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2025年08月08日

[セシスコ]閉じた世界で熱反射

  • 2025/08/08 22:25
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



モーグリショップで買い物を済ませたスコールが、秩序の聖域にある屋敷に戻ってから間もなく、遠出の探索に出ていた仲間たちが帰還した。

探索チームは、ウォーリア・オブ・ライトをリーダーに、クラウド、セシル、バッツと言う、年若い秩序の戦士たちの中では年上に与するメンバーだ。
長旅には慣れている面々と言って良かったが、往復の途に約一週間、目的地での探索調査に約四日───総じて十日の長丁場だったお陰で、さしもの四人も疲れた様子を隠せない。
移動手段がテレポ石で繋がっているポイントを除けば徒歩なのだから、足もすっかり棒だった。
玄関を潜って安全領域に入ったと安堵すると、あのウォーリアでさえ、重い体を壁に預けた程である。

スコールは買って来たばかりだったポーションを人数分取り出して、それぞれに配った。


「……使え。休む前に全員倒れそうだぞ、あんたたち」
「はは、流石に否定できないな。有難く貰っとくよ」


スコールが差し出したポーションを受け取って、バッツは早速その蓋を開けた。
マラソンの後にスポーツドリンクを一気飲みするように、バッツはぐびりと中身を煽る。
他の三人も同じように、疲れ切った喉を潤して、ようやくの一息を吐き出した。

それでもまだ疲労の色濃い四人を見渡して、スコールは湯殿が整っていた筈だと思い出す。


「あんた達、一回風呂に入って来い。それから寝た方がマシになる」
「風呂か……正直に言うと、それも面倒くさいんだが……」
「クラウド、少しだけ頑張ろう。昨日は雨に打たれたし、その前は泥場で戦ったんだ。洗った方が気分が良いよ、きっと」


疲れから惰性になるクラウドを、セシルが眉尻を下げて宥める。
その言葉を聞いて、どうやら帰りの旅路は相当な悪路だったらしい、とスコールは思った。

ウォーリアが重い体を壁から起こし、兜を外す。
普段から特に手入れをしている訳でもないだろうが、それでも銀糸が草臥れているように見えて、スコールは目を細める。
あのウォーリアでさえ、のべ十日の旅路は堪えたのだろう。
それでも、休むまでにこれだけは確認しておきたい、とウォーリアが此方を見て、


「スコール。此方に変わりはなかったか?他の皆はどうしている?」
「特に問題は起きていない。今日はジタンとルーネスとティナが素材を集めに行ってる。後は俺を含めて待機、フリオニールとティーダはリビングにいる筈だ」
「判った、留守をありがとう」


離れている間、聖域に残った仲間たちが無事だったことを聞いて、ウォーリアの目が微かに安堵に細められる。
そんなウォーリアの背中を押したのは、バッツだった。


「ほらほら、リーダーも早く風呂に入って休もう。一番働いてたんだからさ」
「そうだね。クラウドも行こう」
「……仕方ない。此処で寝落ちる訳にもいかないしな」


クラウドが座り込んでいた体をよいせと起こして、四人は浴場へと向かう。
スコールはその背中を見送った後、抱えた荷物を整理する為、物置倉庫へと向かった。




十日ぶりに仲間が勢揃いしたお陰か、夕食は久しぶりに賑々しかった。
夕食の当番だったフリオニールとスコールは、仲間たちの帰還の労いに、ボリュームを増やした料理を振る舞う。
長い期間の予定を組むと、詰める荷物の限界との戦いで、食糧などは嵩張る為に絞ることになる。
現地調達が可能な場所なら幾らか望みは繋げるが、今回はそう言う予定ではなく、どちらかと言えばひもじくなることを見越さねばならなかった。
帰りの足が重く、お陰で悪路が余計に堪えたのもある。
そんな旅路を終えてようやく帰ってきた仲間たちに、鱈腹食べられる食事と言うのは、何よりの喜びを齎した。

そして食事を終えて間もなく、クラウドとバッツは欠伸を堪えられなくなり、早々に部屋へと帰って行った。
ウォーリアとセシルもそれに続き、彼らにはとにもかくにも休養が必要だと、誰もがそれを快く見送る。
探索先で得たことを共有するのは、明日に回されることになった。

スコールも、リビングダイニングの大きな置時計が夜の十時を鳴らす頃に、自室に引き上げた。
待機をしていたこともあって、疲れていた訳でもないので眠気はないが、リビングでは今、ティーダとジタンがボードゲームに興じている。
その賑やかさから逃げるようにして、部屋に引き籠って本でも読もうと思ったのだ。

一階奥の書庫から持ち出してきた本を片手に、スコールは部屋のある二階に上がった。
五つ並んだ部屋の真ん中、其処がスコールの寝所になる。
手に持った三冊の本を眺め、さてどれから読んでみようかと選んでいたスコールは、自室の前まで来た所で、その扉を塞ぐように寄り掛かっている人物に気付いた。


「……セシル?」
「やあ」


どうして此処に、と首を傾げるスコールに、セシルはにこりと笑う。

セシルは夜着に身を包んでいて、一度は自分の部屋に戻ったのであろうことが伺えた。
よくよく見ると、目元には僅かに隈のようなものが浮いていて、まだ随分と疲れているのが見て取れる。
さっさと眠って休めば良いのに、とスコールは少し呆れた気持ちでセシルを見た。


「あんた、こんな所で何してるんだ。寝るんじゃなかったのか?」
「うん。そのつもりではあったんだけどね」


セシルは眉尻を下げて言いながら、体ごとまっすぐにスコールと向き合う。

顔だけを見ていると、中性的で、ともすれば女性とも見紛う程に整っているセシルだが、その体躯はしっかりとしている。
パラディンの白銀の鎧は勿論のこと、暗黒騎士の力を操る時には、全身を重鎧で包んで動く程だ。
近くで向き合うと、意外と圧力を感じる厚みがあることを、スコールはよく知っていた。

その身体がすいと近付いて来たと思ったら、本を抱えていたスコールの腕が掴まれる。
かと思ったら中々に強い力で引っ張られて、スコールは目を丸くしている内に、踏鞴を踏みながら自室の中へと連れて行かれた。


「セシル、」


掴まれた腕に伝わる力は、強い。
その理由が判らなくて戸惑っている内に、スコールの身体はしっかりとした両腕に閉じ込められていた。

ジャンクションと言う方法で身体能力を底上げしているスコールと違い、セシルの腕力は純粋なものだ。
しかし、それが直接スコールに向けられた事は、まずない。
いつだって彼は、その嫋やかにも思える見た目に違わず、スコールの身を柔く慮りながら触れてくれた。
だからスコールは、彼に身を預けて良いも良いのだと、思えるようになったのだ。

だが、今スコールの背中に回された腕は、そんな配慮を忘れたように強引だ。
その事にようやくスコールが気付いて、一体何が起きているのかと、益々の混乱に、この事態を引き起こした当人の顔を見て、


「おい、あんた────」


触れそうな程に近い距離で閃く瞳に、スコールは射貫かれた。
白銀色の睫毛に飾られた紺色の眼が、重く苦しいほどの熱を宿して、此方を見ている。
いつも夜の褥の中で、柔く細められた眼差しの中に見付けていたものが、その陽炎を一切の隠し立てなく晒しているのだ。

まるで魅了されたように動けなくなったスコールの唇が、深く深く塞がれる。
咥内に侵入して来る艶めかしい感触に、びくりとスコールの肩が跳ねたが、背中に回された腕の力は揺るがなかった。
しっかりと檻の中にスコールを捉えて、セシルは微かに端の切れた唇で、少年の柔い咥内を舐るように弄る。


「ん、う、んん……!」


ぬるりとしたものが咥内をしゃぶる感覚に、スコールの背中にぞくぞくとしたものが迸る。
それは実に十日ぶりに感じたもので、若い体に忘れかけていた熱を呼び起こすのに十分だった。
望まざることではあったが、熱と遠退いた十日間は、性に疎い身体からその感覚を遠ざけさせ、期せずして初心な反応を取り戻させていた。

舌を吸われ、絡め取られ、唾液を塗す。
その都度に咥内で鳴る音が、鼓膜の奥から響いて来る。
じくんじくんとした熱が胎の内側から染み出してくるのが判って、スコールはようやく抵抗すると言うことを思い出した。
密着し合った体の間に手を入れて、精一杯に腕を突っ張ろうと試みる────が。


「ん、ふ……ふぅ、んん……っ!」
「ん……ちゅ、んぢゅ……っふ、ん……」
「んむ、うぅ……ん、んぁ……っ!」


口付けは性急だった。
いつもなら、たっぷり愛され、とろとろに蕩けて、それから与えられるものだ。
まだベッドにも入っていないのに、背後に部屋の戸口がある位置で、こんなにも濃くて熱烈な情愛を向けられたことはなかった。

舌の先に柔く歯を当てられて、喉奥と繋がる舌の根が痺れるように震える。
んん、と喉からせり上がったスコールの声には、明らかに甘露の兆しがあった。
床を踏む両足は、徐々に膝から力を失って、スコールはいつしかセシルの身体に寄り掛かり、彼の腕に抱き締められることで姿勢を保っていた。

飲み込み切れなくなった唾液が、スコールの口端から零れる頃に、ようやく呼吸が解放される。
元より急な始まりだったこともあって、呼吸が止まっていたスコールは、すっかり酸素不足になっていた。
くらくらとした意識の中、は、は、とあえかに酸素を求めて呼吸する。
そんなスコールを、セシルは強く抱きしめたまま、ベッドへと倒れ込んだ。


「うあ……っ」
「っは……スコール……」


視界の横転にスコールが絶え絶えになっていると、耳元で名前を呼ぶ声がする。
重みのある体が覆い被さって来て、スコールの腹に堅い感触が当たった。


「セ、シル……っ?」


キスもそうだが、こんな流れは初めてだ。
いつもの夜と何もかもが違い過ぎて、スコールは戸惑いばかりが深まっていく。


「あんた、何……なんか、変……っ」
「……ああ、すまない……怖がらせたかな」


もがくようにベッドシーツを蹴りながら言ったスコールに、セシルはようやく真面な反応をくれた。
会話が出来なくなった訳じゃないらしい、とスコールは僅かに安堵する。

ぎしりとベッドが軋む音を立て、セシルはスコールの顔の横に両手をついて体を起こす。
セシルは、スコールの上に馬乗りになった格好で、体全体でスコールを小さな空間に閉じ込めていた。

紺色の瞳が、もう一度真正面からスコールを捉える。
その瞳は、いつも優しく、恥ずかしがり屋で拙い恋人をあやすように優しかった筈だ。
だが、今それは燃えるように強い情を宿し、今すぐ獲物に食らいつかんとする、獰猛さを見せている。
それはスコールにとって、初めて見るセシルの顔だったが、では普段見ている彼と何が違うのかと言えば、それは全く違わない。
ただ、いつも押し隠すように抑えていたものが、堰を失くして剥き出しになっているだけだった。

いつにない恋人の醸し出す匂いから、息を飲んで硬直しているスコールの頬に、白く無骨な手が触れる。


「こうやって君に触れるのは久しぶりだ」
「……あ、あ……」
「君の顔を見たのも、十日ぶり……」
「ん……」
「……だからだろうな。どうにも、ね……」


スコールを見つめ、すぅと細められる双眸。
指先はスコールの頬からゆっくりと滑って、唾液に濡れた唇を擽り、顎を伝って首筋へ。
微かに汗ばんだスコールの皮膚の感触を確かめるように、セシルは何度もスコールの首筋を撫でた。

こつり、とスコールの額にセシルの額が押し付けられる。
二人の高い鼻先が触れそうな程に近くなり、スコールはついさっきまでこの距離で彼に口付けられていたことを思い出した。


「セシル、あんた……、絶対、疲れてる……」
「ああ。そうなんだろうな」
「ちゃんと、休まない、と……」
「ああ」


スコールの言わんとしていることは、セシルもよく判っている。
だから夕食の後に直ぐに部屋に引き上げたし、恐らく、一度はベッドにも入った。
十日間の遠出の後となれば、どれだけ寝過ごした所で仲間たちが苦言を呈することはないだろうが、敵の襲撃はいつ起こるとも判らない。
休める時にきちんと体を休めておかなければ、何かあった時、自分だけではなく仲間たちまで危険に晒すことになる。

だが、どんなに頭でそれを理解していても、その身体に蓄積された熱の余剰は抑えられない。


「スコール……すまない。やっぱり、我慢できそうにないんだ」
「セシル、待て。こっちの、準備、が」


セシルの指がスコールの頤を捉え、紺と蒼灰が真っ直ぐに交じり合う。
ゆっくりと近付いてくるそれを、スコールは瞬きを忘れて見つめている。
やがて視界は紺と白銀の二色に埋め尽くされて、スコールはまた呼吸を忘れていた。

今度の口付けは触れるだけのものだったが、スコールは先の口吸いよりもずっと長く触れ合っていたような気がした。
心臓の鼓動が走り出し、体が目の前の男を受け入れる準備を始めている。
覆い被さる体の重みに、とっくに逃げ場は塞がれていたのだと、今更に悟った。


「抱くよ、スコール」


耳元に告げられた言の葉は、優しさよりも、有無を言わさぬ合図だった。
もう此処からは止まらないのだと───元より止まるつもりはないのだと、肌を滑る手が示す。



ああ、食われる。
そう思った瞬間、スコールはどうしようもない歓びを感じていた。





『長期間の哨戒・探索から帰って来ていつもより余裕なく迫るセシルと、普段と違い強引で雄らしい振る舞いにドキドキしまくるスコール』のリクエストを頂きました。

普段は気遣い優先で触れてくれるセシルが、手順をすっ飛ばしてきたら、スコールはまずびっくりするんだろうなと思います。
しばらく困惑するけど、セシルが自分を求めてくれていると理解したら、強く拒否はしないだろうなぁ、と言う妄想です。
いつもは宥めたり慰めたり、あやす為に話しかけてくれるセシルが、一言「抱くよ」って言ったら結構クるんじゃないだろうかと。

[シドクラ]零れる心を紐解いて



外での用事を済ませて会社に戻ってくると、ロビーに見知った顔がふたつ、その繋がりから知るに至った顔がひとつ。
黒、金、銀と揃った光景は、実の所、シドが見たのは初めての事だった。

紆余曲折の末、シドが引き取る形で面倒を見るようになった、クライヴ・ロズフィールド。
その弟であり、世界でも有名なロズフィールド家の現当主である、ジョシュア・ロズフィールド。
そして二人の幼馴染であり、偶然の事ではあったが、此方もまたシドの下で事務員として籍を置いている、ジル・ワーリック。

三人は、遡れば幼少の頃からの付き合いで、クライヴがロズフィールド家を実質放逐される形で出て行くまでは、よく一緒に過ごしていたのだとか。
クライヴが実家を出た後、ジルも大学卒業を機に一人立ちしたそうだが、その後がクライヴ同様に良くなかった。
ジョシュアはと言うと、彼は彼で己の意思とは関係なく、実家を支えねばならない立場にあった。
それぞれの道が大きく異なってしまったことにより、三人は長らく互いの連絡さえも取れず、疎遠な状態になったと言う。

それが、シドがクライヴを拾った頃から、星の巡りは再び彼らを引き合わせた。
当分は各々の事情もあり、長らく離れていた故の気まずさがあったようだが、今となっては昔話だ。
クライヴとジルは職場で毎日のように顔を合わせ、時折一緒に出掛けに行くこともある。
其処にジョシュアも加わるようになって、懐かしく親しい顔が揃い、三人で食事の予定を立てることも。
生憎とジョシュアの予定がよく変わるので、三人揃って楽しめるタイミングと言うのは限られているそうだが、それでも逢える機会があると言うのは嬉しいことであった。

シドの会社が事務所として所有しているビルは、それ程大きくはない。
ロビーは受付窓口を設置している他は、待合用のテーブルとソファが一揃いしている位で、後は階段とエレベーターと、自販機が設置されている。
待合スペースには一応のプライバシーとして、簡素な衝立を設けているが、人の気配を遮る程のものではない。
だからシドが帰ってきた時、其処に誰かがいることは、話し声が聞こえた事ですぐに判った。
次いで、記憶力の良いシドだから、聞こえる声が誰のものかと言うのも、直に確かめなくても察しがついた。


(曲りなりにも上司が割って入るのは、野暮ってものだな)


ジョシュア・ロズフィールドは、世に名を知られるロズフィールド家の筆頭だ。
ビジネス的なことを言えば、他愛のないことでも挨拶だけでも、と思う所だが、今待合室にいる彼はそう言うつもりで此処に来た訳ではないだろう。
もしもジョシュアが公人として此処に来るなら、事前に社長であるシドにアポイントメントを取る筈だ。
それがなかったと言うことは、今日此処にいる彼は、一介の私人である。
しかし、それでもシドがあの空間に入れば、ジョシュアは“ロズフィールド家代表”としての顔を作るだろう。
彼の背負う立場がそう言うものであることを、シドは理解していた。

今日のジョシュアは、ただ兄の顔を見に来たのだろう。
時間は正午を過ぎていて、業務も昼休憩を迎えた所だから、この時間なら兄や幼馴染の邪魔にならないだろうと計算して来たのだ。
それなら、今日はこのまま上がってしまおう、とシドはエレベーターのボタンを押した。



シドが仕事を終えて家に帰ると、一足先に帰宅したクライヴが夕食を作っていた。
二人揃って食事を摂り、シドが片付けを引き受けた間に、クライヴが風呂に入る。
それからシドも湯を貰った。

のんびりと少しばかりの長湯をして、ビールの一杯でも飲んでから寝室に行こうとダイニングに入ると、テレビの前のソファにクライヴが座っている。
その手には携帯が握られ、どうやら弟と話をしているらしかった。


「ああ、俺の方は大丈夫だ。ジルも問題ない。……それなら、21日にしよう。お前もその方がゆっくり時間が取れるんじゃないか?」


何やら、兄弟幼馴染の三人で、予定を擦り合わせているようだ。

クライヴは実の母とは折り合いが悪いが、他の家族───弟ジョシュアや父とは良好な間柄だ。
実家を出て以来、疎遠になってしまった兄弟だが、再会の機会に恵まれて以来、折々に二人で出掛ける時間を作っている。
其処へジルも誘い、積もる話を重ねたり、仕事について相談したりと、良い過ごし方が出来ているらしい。

クライヴは「じゃあまたな」と小さな笑みを浮かべて言った。
携帯電話の通話を切ると、メッセージアプリを開いて、誰かにメールを送っている。
恐らく、一緒に出掛ける予定のジルに、決まったスケジュールについて連絡を送っているのだろう。

シドはビールを片手にソファに座った。
風呂で温まった身体に、よく冷えたビールを流し込む。

クライヴはしばらく携帯電話を触り続けた後に、満足げな表情でその画面を閉じた。
喜びを隠せない様子の横顔に、相変わらず弟に関しては分かりやすい、とシドは思う。


「家族サービスか?」
「ジルとジョシュアと食事に行く。21日の昼に決めた」
「了解。のんびりやって来い」


カレンダーを見ると、二週間後になっている。
恐らく、その日が最もジョシュアの時間が取れる日だったのだろう。
世界に名だたる大企業を幾つも抱える、ロズフィールド家筆頭と言う立場を持つジョシュアは、中々プライベートな時間を確保するのも難しい。
それでも、長い音信不通の末にようやく再会できた兄と会うことは、吝かではないようだ。
元々、兄弟仲も良いものだと言うから、離れていた時間を取り戻す感覚なのかも知れない、とはジルの言葉である。

家族と過ごす時間が取れたからだろう、クライヴは上機嫌だった。
ビールを傾けているシドを見て、俺も貰おう、と言って席を立つ。
キッチンに行き、戻ってきた彼の手には、ビールと作り置きの摘まみがあった。


「あんたも食べるか」
「貰おう」


寝る前のささやかな晩酌は、テレビを眺めながらのんびりとしている。
シドはそれを見るふりをしながら、ちらと隣を覗いてみた。

ビールを飲むクライヴの口元は、すっかり緩んでいる。
余程に気に入らないことでもなければ、基本的に温厚な質であはるが、顔の筋肉はそれ程動く方ではない。
鉄面皮とまでは行かないが、長らく真っ黒な環境で過ごしていた名残が抜け切らないのか、ともすれば仕事中は顰め面に受け取られることは儘あった。
ただ目元によくよく感情が映るので、機嫌の良い時と言うのは分かりやすい。
特に家族にまつわるものは、その理由が良かれ悪しかれ、明け透けにその時の感情が見えるものだった。

其処までクライヴが感情を露わにする相手と言うのは、限られている。
そして、クライヴが穏やかに和やかに話が出来る相手と言うのは、彼が家族と想っているジョシュアやジル以外にはまずいない。


(この顔は、俺には向けるものじゃないからな)


シドのこの分析は正確だ。
クライヴ自身に人との接し方に分け隔てを作っている意識はないだろうが、それでも彼にとって家族は特別である。
それは、シドが娘のミドを大切に想っていることと違いはない。

そもそもがシドとクライヴは、数年前に逢ったばかりの間柄だ。
どうにも放っておけずに、あれこれと面倒を見る内に、一日の殆どを共に過ごす、パートナーと呼べる関係になったが、付き合いの時間はまだまだ浅い。
クライヴは実家を出て以来、家族とは長らく疎遠になっていたが、彼自身はずっと家族のことを愛していた。
そしてジョシュアやジルも、クライヴのことを昔と変わらず愛している。
共に過ごして培ってきた時間や、心の繋がりの長さ深さと言うものは、シドは勿論、他者と比べるべくもない。
元々彼らは特別な間柄なのだから、シドが割って入れるものではないのだ。

───そう分かっている癖に、どうにも口の中が苦くなって、シドは誤魔化すようにチップスを噛む。
塩気が舌の上で目立つほど、喉の奥で中途半端に詰まるものがあるのが判った。


(どうやったって、こいつにとって一番特別なのは、あの二人だ)


理屈ではなく、当たり前にそうなのだろう、とシドも分かっている。
そしてシドも、どんなにクライヴと一緒に過ごし、彼が特別な存在になるとしても、最も大事で守りたい存在が、一人娘であることにも変わらない。
それを差し置いて、クライヴがこと大事にしている者たちがいる事に対して、羨望するなど図々しい。

今夜は、らしくもない方向に思考がよく転がるようだ。
あまり飲み続けると悪酔いするかも知れないな、と思いつつも、開けたビールを中途半端に捨てるのも少々勿体なかった。


「……クライヴ。飲むか?」
「急だな。もういらないのか」
「そんな気分らしい」


飲みかけになるがと差し出したビールを、クライヴは受け取った。
クライヴが自分で持ち出してきたビールは、既に空になっている。
追加になったシドのビールもまた、クライヴはそれ程時間を置かずに飲み干した。

空になった缶ビールと摘まみを持って、クライヴは片付ける為に腰を上げる。
キッチンシンクから水が流れる音が聞こえるのを、シドはソファに座ったまま聞いていた。

しばらくして、片付けを終えたクライヴがダイニングに戻ってくると、動いた様子のないシドを見て首を傾げる。


「シド、大丈夫なのか。寝るならちゃんとベッドに行った方が良い」
「ああ。ちょっとな、考え事をしてただけだ」


クライヴの声に、確かにこのまま過ごすのは良くない、とシドは体を起こす。
アルコールも入った事だし、酔う程の所まで言っていなくても、ぼうっとしていると寝落ちてしまいそうだった。

クライヴは心なしか心配そうな顔で、じっとシドを見詰めている。
シドはそれを見付けて、そんな顔をさせる程に見えるか、と苦笑した。


「問題ない。寝れば忘れるような考え事だ」
「……」
「信用ないか?」
「……ないな。あんたはそうやって、大概、肝心なことを誰にも相談しないと、オットーが言っていた」
「手厳しいな。まあ、あいつには色々押し付けてるからなぁ」


無茶振りもしてるしな、と自覚していることを呟けば、クライヴはなんとも言えない顔で溜息を吐く。
その溜息は、付き合いの長い旧友への同情か、考え事云々をはぐらかすシドの態度に対してか。
後者の方が大きそうだな、とシドは立ち尽くす青年の顔を見ながら思った。


「ちょっと酒が回っただけだよ」
「……なら、良いが」


言及した所で、シドが仔細を口にしない事を、クライヴも分かっている。
だからか、クライヴは納得の行かない、少し拗ねたようにも見える表情を浮かべている。

それはきっと、彼が家族に対して見せることのない顔だろう。
ジョシュアにしろ、ジルにしろ、ひょっとしたら実家にいる父母にしろ、クライヴにとっては自分を律する理由になる。
それは自分を育ててくれた父母の期待に応える為であったり、敬愛の念を向けてくれる弟や、慈愛を寄せてくれる幼馴染に対する、クライヴ自身の矜持なのだ。
幼い我儘は早い内に卒業し、模範的な兄になるべく、研鑽して来た積み重ね。
元々が責任感の強い性格をしているから、彼らが思う自分自身であれるようにと、幼い頃から繰り返し身に沁みついた意識に違いない。

家族以外が相手でも、クライヴの拗ねた顔や、弱った表情を晒す相手は少ない。
それは、自分の事で他人に迷惑をかけてはならないと思うからだ。
根本的に隠し事は上手くないクライヴだが、些細な体調不良や戸惑いは、大抵は相手に察させまいとする。


(……だが、俺には随分、分かりやすい)


少なくとも、シドから見たクライヴは、大体どんな時でも判りやすかった。
シドが他者への観察眼に慣れているのもあるが、クライヴはシドの前では、何処か子供っぽい様子を露骨に晒すのだ。
一番最初に、ブラック企業で歯車と化していた、二進も三進もならない所を拾ったからだろうか。
今更、シドに対して取り繕う意味もないのか、或いは家族や仲間とも違う枠にあるからか。
不満の滲む顔や、嫌味を交えた返し言葉なんてものも、向けに行くのはシドくらいのものだ。

そう思った途端に、口の中の苦いものが消えていく。
存外自分は現金だと自嘲しつつ、シドは訝しむ顔を浮かべているクライヴに手を伸ばし、


「クライヴ」
「何────」


呼んだ名前に、律儀に返事をしようとしたクライヴの唇を、シドの唇が掠める。
不意打ちに触れたそれは僅か一瞬のことで、クライヴは先ずその距離感にシドがいた事に驚いていた。
丸く見開かれた目が、存外と幼い顔立ちをしているクライヴの、不意打ちへの無防備さを物語る。

ぽかんと立ち尽くすクライヴの、ハトが豆鉄砲を食らった顔を見て、シドはくつくつと笑った。


(この顔は、あいつらには見せられるもんじゃないだろうな)


そう思うと、ほんの僅かに、優越感が浮かぶ。
そんな自分に、随分現金だなと思いつつ、「いきなり何をするんだ」と紅くなって怒るクライヴに、降参ポーズで宥めるのだった。




『シドクラで嫉妬するシド』のリクエストを頂きました。

うちのシドがクライヴ絡みで嫉妬するのって誰だろう、と考えてみた所、クライヴの根幹にいて絶対に切り離せないジョシュアかな、と思いました。
かと言って二人の関係性や絆を羨むのも筋違いであることは、シドも重々承知している訳でして。シドも自分にとって家族は大事なものですし。
その辺りを判っているけど、培ってきた時間の長さだとか、クライヴから向けられる無二で無心の愛情深さとか。
自分がどんなにクライヴと近しい関係になっても、同じ位置へは踏み込むことが出来ない場所にいる“クライヴの家族”に、大人気ないけどちょっと妬いた、と言う感じになりました。

でも考えてみたら、クライヴはシドに対してする顔(拗ねたりムキになったり、恋人として見せる顔だとか)を、彼らに向けることはないんだよなと思って、じゃあ良いか、と自己完結した模様です。

[サイスコ]牙に頸玉

  • 2025/08/08 22:15
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF

Dom/Subユニバースパロ




支配するもの────Dom。
支配されるもの────Sub。
人間の性別とはまた別に、そうした気質が人を区分する社会と言うのは、中々に面倒だ。

歴史的に遡れば、そうした性質によって虐げる者、虐げられる者がいたことは覆しようのない事実であり、研究者の中には“魔女”と言う存在が生み出されたのも、そんな社会の歪みが突出したことが原因ではないか、と言う者もいたりする。
その研究が何処まで事実であるかはさて置いて、この性質が齎すパワーバランスの傾きは、確かに問題視される所も多かった。
例えば同じ立場、同じ権力を持つ人間同士が相対しても、この性質の違いにより、明らかな有利不利が生まれ得る。
これに立場の差、権力の差、腕力の差など、生き物が生まれ以て得る力の違いまで顕著にあると、支配階級と被支配階級が漫然と存在することになる。
Domの性質を持つ者が、Subの性質を持つ者と相対した瞬間、支配者としての気質を持つDomが一方的にSubを痛めつけ、奴隷として扱うと言った事件も後を絶たない。

バラムガーデンは、この世界では比較的新しい教育機関である。
環境も、島国の中に開校したと言うこともあって、大陸や大国に連綿と続く価値観から距離を置いた場所にあった。
そして、バラムガーデン学園長たるシド・クレイマーの方針として、其処に籍を置く生徒たちは、持ち得る資質の如何に関わらず、皆平等であるべきだと考えている。
幼い子供でさえ───寧ろ子供の方こそが───本能に持つ気質によってパワーバランスが生まれるが、これによって幼い内から人を支配すること、また支配される側もそれを当たり前の権利・義務とするべきではない、とシドは言った。
だからこそ、幼い内に新たな価値観を育む土壌を作らなくてはならない、と彼は考えたのだそうだ。

だが、実際にそれを現実とするには、様々な障害がある。

Domは他者を支配したいと欲求し、Subは他人に自分を支配されたいと望む。
それは動物で言えば性欲のように、本能的に突き上げる衝動の欲求で、満たされなければ自己人格にすら弊害を来す。
それを衝動ではなく、理性的にコントロールする為に、ガーデンでは医療分野の研究も視野にして、様々な取り組みが行われていた。
その甲斐あって、ここ十数年のうちに、欲求による衝動的な暴走を抑える為の抑制剤の認可も進み、少なくともガーデン内の表層上では、DomとSubは平等に扱われるよう努力が進んでいる。

とは言え、根本的に生物の本能として根付いたそれを完全に除去するのは難しい。
エスタの開国により、彼の国でも独自の目線で研究されていたデータが開示されるようになって、更なる研究が求められるようになったと言うが、まだまだ判らない事は多かった。

また、昨今でこそDomとSubは単なる性質の違い、個性のようなものであり、決して支配・被支配の階級を裏付けるものではないとする風潮が生まれているが、これもまだ小波程度の影響だ。
ドールにしろガルバディアにしろ、大きな国の、歴史の長い場所ほど、古くからの価値観が強く残る。
若い世代でも、個人の性質を指して、優れているか劣っているか、と言った格付けを行う者は少なくない。
中には、強い差別的意識で以て、Domを優性種、Subを劣等種と定義づけし、「劣等種たるSubをDomが支配管理するのは慈悲である」等と謳う者もいる。

────今回、スコールが任務で遭遇したテロリストの男が、正しくそれだった。

ドールの古い歴史として、国の前進として“神聖ドール帝国”の名があった時代がある。
嘗てはバラムもこの傘下にあり、時代の流るるうちに独立、島国バラムとして立国することとなった。
また、ドールは古くから自然の要塞と共にあり、他国からの侵略戦争に降ることなく長く続いて来た。
この為、国内の街並みは、いささか古めかしいものが目立つ場所も少なくはなく、旧来の営みや風習がひっそりと残っているところも散見された。
その古めかしさと言うものは、必ずしも建物であるとか、習慣風習に限ったものではなく、人間が持つ価値観についても、因習の如く残り続けている者も稀に見付かることがある。

男は、昨今のドールと言う国について、強い不満を持っていた。
昨今の時代の流れの中、平等と強調を強く意識し、生まれや職業の貴賤を排する風潮に反発し、弱肉強食の掟を以てして、ドールと言う国をより強くしていくべきであると。
そう考える背景としては、魔女戦争終結以前にガルバディアが魔女を国のトップとして擁立したことや、戦争終結後にエスタが科学大国として国際社会に復帰したことと言った、世界的ニュースが乱立したと言うものがある。
世界が、国際社会が一気に変動している今こそ、ドールも富国強兵せねばならない。
何せドールは、ほんの数ヵ月前に、ガルバディアによって攻勢され、成す術もなくバラムガーデンのSeeDに救援依頼を出しているのだ。
嘗ては大国此処にありと言う歴史を持ったドールが、自国の防衛すら自前の軍隊で賄えない状態に、男は激しく怒った。
こう述べると、“憂国の烈士”等と言う謳い文句でも出そうなものだが、だからと言って反政府組織となって過激な煽動行為を頻発させるのは如何なものか。
国にとっては勿論、一般市民にとっても危険分子として忌避されるようになった男が、端的に言えば始末対象となるのは無理もなかった。

バラムガーデンに寄越された依頼は、件の男の捕縛、或いは排除。
男は幾らかの人員を持っているが、その多くは男が強引に掻き集め、脅し混じりに炊きつけて動員させている素人だ。
各個に詳細を確かめる時間は必要となるが、メンバーについては止むを得ない場合を除いて、可能な限り捕縛と言うことになっている。
つまり、グループのトップである男さえ補足すれば十分であった。

男の下へ侵入するのは、それ程難しくなかった。
元々、理不尽な脅しや、強引な遣り取りで人員と物資を確保していた男だから、それからの解放を臨む声は多い。
情報屋は金を渡せば必要なことに口を割ったし、嫌々に従っている者たちは、解放される為に此方が言わずとも手を貸してくる。
何処まで信頼がないのかと、スコールは勿論、補佐として同行していたサイファーも呆れた程だ。
ともあれ、お陰で懐に潜り込むまでは、計算していた手間以上に上手く行ったと言って良い。

此処に件のターゲットがいる、と情報屋から得た話の通り、とある古いビルの一画にそれはいた。
幾らもしないような古びたビルを土地ごと買い上げ、其処を根城にして、反政府活動の指揮を執っていた男。
縦に細く伸びたビルはの最上階にふんぞり返っていた男は、スコールから見て、判りやすいお山の大将だった。
元々はドールの国軍に属していたが、軍の縮小に伴って解雇の憂き目に晒されたらしい。
それなら、人心掌握については素人でも、戦闘に関しては軽く見積もる訳にはいかないだろうと、スコールは入念な警戒と準備をしてから、男の捕縛に赴いた。

────だが、男の目を見た瞬間に、スコールの身体はまるで拘束されたように動けなくなった。
何が、と自身の身体に起きた変貌に意識がついて行く暇もなく、膝が折れる。
瞬間的に、駄目だ、と頽れようとする身体に武器で支えを作ったが、それきり、体が持ちあがらない。
頭から何かに掴まれ、肩を、背中を、首を押さえつけられているような、見えない何かに締め付けられているような感覚。

そんなスコールを、テロリストの男は見て、嗤った。


「は───はは、ははは!なんだ、お前。Subか!」


勝ち誇ったように笑う男の全身から、高揚と共にどす黒く醜い圧が放たれている。
それはきっと、スコールと同じ性質を持つ者ならば、それが人間であれ動物であれ、敏感に感じ取ってしまうものに違いない。

ぞくぞくとした悪寒がスコールの足元からせり上がってきて、窮鼠を圧迫する。
頭の奥で警笛が鳴り響き、頭痛になって、目の前が点滅した。
男がゆっくりと近付いて来る足音に、離れなければと思うのに、足が鎖で縫い付けられたように動かない。

そして、男の手がスコールの頭をわしりと掴んだ瞬間、ぶつん、とスコールの意識は暗転した。




────目を覚ました時、辺りは静まり返っていた。
意識の途切れが数秒だったのか、数十分、或いは数時間だったのかも判らない。
目を覚ましたとは言っても、頭の中は喚くようなノイズが響いていて、スコールは起き上がることも出来なかった。
全身が酷い虚脱感の中にあって、ともすれば呼吸の仕方も判らなくなる。

そんなスコールを、一人の男が見下ろしていた。
草臥れた雑居ビルの最上階を城にして、何処から調達したのか、アンティークのような椅子に腰かけている男。
今回の任務のターゲットであるその人物は、悠々とした表情で、床に倒れたスコールを眺め、


「噂に名高い“魔女戦争の英雄”殿が、Subだったとは意外だな。指揮官なんて役職も持ってるって言うから、そこそこランクの高いDomだろうと思ってたんだが」


男はくつくつと笑いながら言った。
瞳には蔑みと、憐れみと、愉悦が浮かび、優越感に浸っているのが見て取れる。

男の言う“ランク”と言うのは、Domとしての力───支配者としての資質の高さを一定評価の数値として格付けしたものだ。
動物で言えば、群れを統率する長としての能力値の高さを示す指標と同義である。
一般的にはランクが高いほどDomとして他者を支配下に置ける能力に秀でており、指導力や統率力が高いことになる。
また、Domは他を威嚇した際に、その本能に圧をかけることが出来る“Glare”と呼ばれる力がある。
言わば覇気、意識的に放つ威圧感とも言われるそれは、特に被支配者の性質を強く持つSubとって、従属帰依の本能を強制的に呼び起こすものだった。

だからスコールは動けなかったのだ。
DomやSubと言う性質は、本人の意識でコントロールするのは難しい。
戦場でこうした事態に陥ることを避ける為、スコールは先んじて抑制剤も服用していたが、男の放ったGlareはその効果を打ち消す程に強烈だった。
それ程までに、男はDomとして、絶対的な自信と優越感を持っている。

スコールは、痛む意識の中で、辛うじてそれらを理解した。


(───どうりで、こいつの部下の誰も彼もが怯えていた訳だ)


此処に至るまで、侵入に際して出逢った男の部下たちは、誰も彼もが男について行きながらも慄いていた。
解放を求めて、スコールに進んで情報を渡し、道を開けたのも、男が自身のDomの性質を利用し、Subの者たちばかりを手駒としていたからに違いない。
彼らは、この暴君によって、無理やり首輪を嵌められていたに過ぎない。
だからターゲットからの解放・逃亡に協力するとスコールが言った時、酷い時には呼吸困難に陥りながらも、道を開けたのだ。

スコールは力の入らない体を強引に動かして、体を起こそうと試みた。
腕も足も碌に立たない、這いつくばっている少年の抵抗に、男が不愉快そうに眉根を寄せる。


「“Kneel(跪け)”」
「……!!」


がくん、とスコールの身体が見えない重さに潰される。
そのまま平伏しようとする身体を、スコールは唇を噛んで起こし耐えた。

重い頭をそれでも垂れることを拒否したスコールに、男はにやりと笑って見せる。


「Subの癖に生意気だな。SubはDomの言う事を聞くものだろ?」
(……古い考えだ。時代遅れ───と言う程でもないのか)
「“Kneel(跪け)”だ。“Kneel(跪け)”、早く」
(……っこ、の……!)


男が爪先で地面をカツ、カツ、と叩きながら命令を下す。
コマンドを繰り返す度に、男の苛々としたオーラが強くなり、スコールに従う事を強要する。

この男は、これまでずっと、こうやって周囲を支配してきたのだ。
支配者としての本能欲求をまるで隠しもせず、常に周囲に振り撒いて、従うものだけを手許に集める。
そうして手許に来たSubに無理やり首輪を嵌めて、支配者と被支配者と言う関係を作って行く。
男はそうやって生きてきて、自分自身を揺るぎない強者であると定義し、絶対的な君臨者として成り上がってきた。
その足元に踏みつけにした人間の数が多い分、男は己の支配欲を満たされて当然のものと考え、それに従わない者がいることに苛立つ。
苛立つほどに男は周囲を従えようと圧を振り撒き、それに当てられる者ほど、従う本能に負けてしまう───その繰り返し。

根本的に、Subの性質を強く持つスコールには、相性が悪いのだ。
ともすれば、Domである男の命令に否応なく体が従おうとする程に。

男は頽れたスコールの目の前まで来ると、唇に血を滲ませるスコールの顔を蹴り上げた。
コマンドだけでSubが従わないから、体罰を与える───性質が悪い、とスコールは思った。


「“Kneel(跪け)”!」
(絶対嫌だ)
「“Crawl(跪け)”!」
(死んでもやるか)
「“Crawl(跪け)”!!」


スコールの顔を蹴りながら、男の発するコマンドは強いものになって行く。
身体がそれに応じようとするのを、スコールは唇を噛み、拳の中で爪を立てる。
蹴りと命令とで、頭が揺さぶられる程に苦しくても、こんな男の命令になど従いたくなかった。

男はぜいぜいと息を切らせ、どうあっても従うつもりのないスコールに、ちっと舌を打つ。
これまでSubを言いなりにしてきた男にとって、こうも頑なな抵抗に遭ったのは初めてだ。
大抵は強く命令してやれば、Subは従属本能によって言いなりになると言うのに、Subとは言え“魔女戦争の英雄”は伊達でも祀り上げられたものでもないと言うことなのか。
そう思う傍ら、生意気にねめつける蒼灰色を見ていると、どうにかしてこれを従わせ、自分の物にしてやりたいと言う欲望が滾って行く。

コマンドだけでは駄目、殴っても蹴っても少年は折れない。
それなら、と男の口元が醜く歪み、細いシルエットをしたその身体へと、下衆いた欲を持った手が伸びる。

男の手がスコールの首を掴む────直前、部屋のドアが爆炎と共に吹き飛んだ。


「な……!?」


なんだ、と思わず男が目を瞠ると、蝶番ごと外れてぽっかりと開いた入り口に、白いコートの男が立っている。
吹き飛び焦げた鉄扉が、燻ぶる匂いを漂わせる中に、その男の靴が音を鳴らす。


「予定より随分遅いから、心配してやって来てみれば。なんて様だ」
「……うる、さい」


白いコートの男───サイファーが呆れたように言い、男の足元でスコールが苦々し気に返す。
サイファーはそんなスコールの顔と、傍に立っている男の靴に付着した赤い汚れを見付けて、すぅと碧の双眸を細めた。


「成程な。大体判った」
「なんだ、お前は。失せろ!」


黒刃のガンブレードを肩に担いだサイファーに、男は吠えた。
その瞬間にスコールの身体がずしりと重く沈む。
しかし、サイファーは凪いだ風でも吹いたかのように、表情一つ変えずに立ち尽くしている。

サイファーは、男の足元で辛うじて意識を保っている状態のスコールを見て、言った。


「スコール」
「……サイ、ファー……っ」
「今だけ寝てろ」
「……っ」


サイファーの言葉に、張りつめていた糸が切れたように、スコールの意識がぷつりと途切れる。
気力で持ち上げていたスコールの頭が落ちたのを見て、ふう、とサイファーは息を吐く。
そして次の瞬間には、凍える程に冷徹な翡翠が男を捉えていた。

右手に握る獲物を構える事もせず、サイファーは男へと近付いて行く。
その全身から醸し出される、異常なほどの圧力と言うものを、男は生まれて初めて感じ取っていた。


「テロでもなんでも、お前がどんな思想を持っていようと、どうでも良い話だけどな。そいつに手を出したなら、話は別だ」
「何を────俺はDomだぞ。優れた支配者になる人間だ!Subが言う事を聞かないなら、躾をするのは当然だろう!」
「また随分カビくさい考え方だな。Domってのは、別に優性階級じゃない。DomがSubをコントロールして良いのは、Subがその権限をDomに許可するからこそだ。性質は支配者なんて言われても、支配されてるのはDomなんだよ」
「は、そんな訳があるか。SubはDomがいなけりゃ生きていけないんだぞ!」
「生憎、事実だ。第一お前───そいつが誰を飼ってる(ヽヽヽヽヽヽ)と思ってるんだ?」


そいつ、とサイファーは床に倒れたスコールを見る。
意識を手放したスコールの口端に、はっきりと噛んだ後と、滲み伝う赤がある。
男の尖った靴の爪先で何度も蹴られて、目元や頬は蒼く鬱血が浮いていた。

男の前で、サイファーの全身から醸し出されるものが、大きく分厚く膨れ上がって行く。
男は段々と、呼吸すらも儘ならくなっていく自分に気が付いた。
ひゅ、ひゅ、と喉がか細い喘鳴を鳴らし、胃の奥に重苦しいものが溜まり、食道を上って来る。
歯の根が勝手に鳴るにつれ、体中の血が一気に下降していく感覚の中、サイファーの足が前へと進む。
カツ、カツ、と静かに響く足音が近付くにつれ、足元から力が抜けて、指の一本すら動かせなくなって行く。
それが、男がこれまで虐げて来たSubが見て来た光景だと同じことを、彼は知らない。

そして男はいつの間にか、平伏するように地面に這い蹲っていた。
サイファーは肩に担いでいたガンブレードを持ち上げると、一片の躊躇なく、その柄で男の後頭部を殴りつけた。

────グリップ越しに反響する固い感触が消えて、ようやくサイファーは丸めた形になっていた背中を伸ばす。
多少の溜飲にはなったが、身の内を焼くように渦巻く苛立ちは変わらない。
しかし、いつまでもそれに囚われている訳には行かなかった。
Domであるサイファーには、やらなければならない義務がある。

サイファーは男を手早く縛り上げると、床に伏せ、目を閉じているスコールの身体を抱き上げる。
横抱きにして持ち上げた揺れに、スコールの瞼がふるりと震え、薄ぼんやりとした蒼灰色が覗く。


「……う……サイファー……?」
「ああ」


視点が彷徨う中で、スコールは霞む視界に映る金色の持ち主の名を呼ぶ。
それに短く答えると、腕の中でスコールがふるりと震えるのが判った。


「サイファー……俺……」
「ああ」
「……あんた、だけ……だから……」
「判ってる」


サイファーの言葉に、スコールの血が滲んだ唇から、ほう、と安堵の吐息が漏れる。

サイファーとスコールは、互いをパートナーと認めている。
スコールはサイファーに自分の支配を預け、サイファーはそれを以てスコールを支配する。
それは決して一方的な支配と被支配の関係ではなく、彼が良い、彼だけが良い、と互いに望み、信頼と言う首輪を互いに渡したことで確立させたものだ。

だからスコールは、ターゲットの命令に抗った。
サイファー以外の人間から下されるコマンドなど、聞く価値もない。
そう思っても体は本能に従おうとするから、Subとしての気質の強い自分自身を何度恨んだか知れない。
抑制剤を使っても、今回のように、己を絶対的な支配者と信じて揺るがないDomを前にすると、体は勝手に従属しようとしてしまう。

スコールがそれ程までに、望まずとも振り回される程、Subとしての本能が強い事をサイファーも知っている。
だから、スコールがどれ程の気力を振り絞り、それに抗っていたのかも判っていた。


「良い子だ、スコール。頑張ったじゃねえか」
「……うん……」
「後のことは俺が済ませてやる。全部終わったら、良い子のお前をもっと沢山褒めてやるよ」
「……ん……」
「だから、しばらくそのまま休んでろ」
「…ん……」


耳元に触れるサイファーの声に、スコールの瞳は次第にとろりと微睡んでいく。
その眦にサイファーが触れるだけのキスをすれば、スコールは猫のように目を細め、サイファーの肩に頭を預けたのだった。






『サイファー×スコールで、ラブコメ or Dom/Sub的なパロ』のリクエストを頂きました。
Dom/Subユニバースって色々使えて良い……と言うことで、Dom/Subでシリアスな方向に。
ラブコメの空気は消し飛びました。なんか痛々しいぞ。スコールが痛いことされてるからですね。

信頼関係にあるSubが傷付けられると、DomがSubを保護しようと攻撃的になったり、周囲にGlearを撒き散らすこともあると言う設定があったので、スコールを他のDomに痛めつけられて、キレたサイファーが浮かんだのです。
あとDom/Subの力や欲求の強さを評価するにあたり、ランクやレベルが指標として用いられる場合もあるとか。ターゲットの男もそこそこ強い方だったけど、サイファーが圧倒的に強い。でも普段からそれを振り撒くのは周囲にも悪影響になるし、スコールにもストレスを与えるので、必要な時以外は圧を出さないように意識している……と言う設定をふわっと当てています。
サイファーからすると、自分はSubであるスコールから彼の支配権を与えて貰っている立場。なので“支配されているのはDom(自分)の方”と言う意識です。

[フリスコ]花の名前を君が教えてくれたんだ

  • 2025/08/08 22:10
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF

モブ視点でBSS要素があります




スコール・レオンハートとは、二年生に進級して間もなく決まったクラス内の係委員が一緒になった。
彼は学年内では優秀だと有名だったので、違うクラスでも名前を知っている。
それに対して、自分は何処にでもいるごくごく普通の思春期の高校生で、特別何か秀でたものを持っている訳でもない。
係委員が重なったよしみに、自己紹介と連ねて「これから宜しく」と挨拶した時、スコールは小さく会釈しただけだった。
明らかに、此方のことなど知りもしない───昨年はクラスが違ったので無理もない───様子の彼に、まあそんなものだよな、と思った。
そして自分も、スコールの名前と成績優秀な噂は知ってはいるものの、実際に当人がどういう人物であるのかは、又聞きの又聞きの又聞きくらいにしか知らなかった。

二人がクラスで担当しているのは、頒布物や掲示物を教室の要所に設置する係だ。
毎日のように仕事がある訳ではないのだが、授業で作った、或いは描いた何某を教室後ろの壁に貼ったり飾ったり。
学校行事の予定表を教室内の掲示板に張ったり、持ち帰り用のプリント類を所定の位置に置いておいたり。
その活動は、授業が始まる前の朝か、終わった後の放課後にまとめて行うようにしていたのだが、そのお陰で、自分はスコールと会話をする機会が他の生徒よりも増えた。

スコールの口数は非常に少なく、必要な連絡事項を除くと、挨拶でさえも無言で終わらせてしまうことが多い。
クラスメイトたちの雑談に入ることもなく、休憩や昼の時間でも一人で過ごしていることが多かった。
一年生の時から彼はそんな調子だったそうで、二年生ともなれば元クラスメイトは今更彼を交流の輪に誘おうとはしなかったし、周囲もなんとなく、そう言う風に扱っていた。
実際に自分も、会話の少ない係活動をしながら、まあこんなものだよなぁ、と納得していた。

けれども、二人きりで係活動をしていると、ぽつぽつとした会話の機会は存外と多かった。
最初は必要な連絡や確認をするくらいだったが、クラス人数分の掲示物を壁に貼る作業をしている時だとか、プリント枚数の確認だとか、小冊子を綴じる作業だとか───とにかく、色々とそう言うことをやっている内に、打ち合わせも含めた会話が増えて行く。
彼は必要な事柄以外で自分から口を開く事は少なかったが、例えば此方が少々体調を崩している時は、「俺がやっておくから、あんたは先に帰って良い」と言った気遣いをしてくれる。
あれ、こいつ、意外と優しかったりするのかな、と思うまでにそれ程時間はかからなかった。

放課後に教室に二人で残り、大量のプリントを冊子に綴じる作業をしていた時に、単純作業に暇を飽かして、どうでも良い話もした。
そう言う雑談に応じてくれることもあるのだと知ったのは、この時だ。
スコールが早くに母を亡くし、父子二人暮らしをしていて、家事一般を一手に引き受けていると聞いて、成程それなら他の学生たちのように遊び惚ける訳がない、とも納得する。
ごくごく普通に両親に恵まれた自分にとっては、全く違う世界を見ているのだと知って───そう言うことを知れた事に、ほんの少しだけ、彼と距離が縮まった気がした。
それは此方の一方的な気持ちかも知れないが、そう言う話を自分に聞かせてくれるくらいに、彼が信頼してくれたのだと、そう思えたのだ。

彼と共に行う係活動の時間が、段々と楽しみになってきた。
特に早朝は、学校内の人の気配が少ないこともあって、教室に二人きりで過ごすことが出来る。
三十分もすれば誰かが登校してくるから、そんな束の間の事ではあるのだが、自分にとってはこの僅かな時間がある事が嬉しかった。
その間、彼はきっと他のクラスメイトには見せた事もない姿を見せてくれる。

早朝の教室で見る景色は正しくそれだ。
係の為に教室のドアを開けて、それが見れる確率は、半々と言った所だろうか。

からりとドアを開けると、教室の後ろの棚ロッカーの前に彼は立っている。


「やあ、スコール。水替えは終わったのか?」


おはようの挨拶の代わりにそう尋ねると、スコールは両手に抱えていた花瓶を丁度棚に置いた所だった。
蒼灰色が此方を見て、「今終わった」と短く告げる。

スコールは花の見栄えを丹念に調整している。
その間に自分は掲示物の数確認を終えておく。
花の飾りつけを終えたスコールが、「悪い、待たせた」と言ってくれたので、自分は「そんなことないよ」と笑う。
確認作業をしながら、真剣に花と向き合っていたスコールの顔をこっそりと眺めていたなんて、言ったら彼はどんな顔をするだろう。
揶揄われたと怒らせてしまうのも嫌だし、折角見せても良いと言う所まで信頼を勝ち得たのだから、それを無為にしてしまうつもりはないけれど。


「じゃあ始めようか。スコールはこれを黒板に」
「ああ」
「こっちは後ろの高い所に貼るから、後で手伝ってくれ」
「判った」


差し出したプリントを、スコールが受け取る。

時刻はもうすぐ八時を過ぎる。
グラウンドからは人の気配が増えてきて、もうすぐこの教室にも、他の生徒が着くだろう。
それまであと少し、束の間の二人きりの時間を大事にしよう、と思った。




自分たちの教室の後ろには、いつからか、花が飾られるようになった。
誰が持って来たのかは聞いていないが、スコールが随分と熱心に手をかけているので、ひょっとしたら彼が飾ったのかも知れない。
切り花を飾ったそれは時間と共に萎れ行くものだったが、寂しい色合いになってくると、新しい花に替えられる。
もう何ヵ月になるか、スコールはずっとそうして、朝の花の世話を日課にしていた。

花弁や葉肉に傷みが出ていないか、じっと見つめる横顔は真剣そのもの。
そんな顔を見せてくれる───自分が相手なら見せても良いと、気を許してくれているのが嬉しい。
何せ最初の頃は、花に近付くことすらも他人に見せまいとしていたようだったから、事故的な流れで最初の目撃をした経緯があるとは言え、「この人物になら見られても良い」と思い至ってくれたのは、信頼された証のように感じたものだ。

花を見つめるスコールの横顔は、いつも何処か優しくて、淡く甘い。
花が好きなんだな、と言うと、彼は「別に」と答えるけれど、その声が恥ずかしさを隠しているのはよく判った。
そう言うものが読み取れるくらいには、付き合いも深くなったと言うことだ。
その事にこっそりと喜びを噛み締めながら、朝の係活動を二人でこなしていく。

────そんなある日のことだ。

いつも自分よりも早く教室に来て、花の世話をしていたスコールが、遅れて教室に着いた。
寝坊でもしたのか、珍しい、と思ったのだが、どうも顔を見ているとそう言う訳でもないらしい。
酷く落ち着かない様子で教室に来た彼は、何かを振り切るようにして「遅くなって悪かった」と短く言って、直ぐにその日の仕事に取り掛かった。
その時は、花の水替えについて良いのかと聞いたら、「こっちが先だろう」と頒布物の確認を優先している。
出足が遅れたのだから、義務とされている訳ではない花の世話を後回しにすること自体は可笑しくはないのだが、結局、その日、彼は花瓶に一度も触れていない。

その翌日からは、また花の世話を再開させたようだったが、どうも様子が可笑しかった。
水替えをし、花弁や葉肉の具合を確かめて、それは変わらないのだが、段々と萎れて行く花を取り換えることをしない。
いつもならそろそろ新しい花を据える頃になっても、萎れた花がそのままになっていた。
このまま過ぎれば、やがて枯れてしまうことは避けられない。
それを見つめるスコールの目が、何処か泣き出しそうにも見えて、なんだか酷く居た堪れなかった。

だから、新しい花を買って来よう、と思い至ったのだ。


(花のことで、何か悲しいことでもあったのかも知れない。それで、あの花を取り換えられないのかも。でも、あのままだとスコールの心も一緒に枯れてしまいそうだ)


日に日に色を失っていく花と、それを見つめては苦しそうに唇を噛んでいたスコール。
そんな彼に、何かあったのか、と聞くことは難しい気がした。
それが出来る程、親しい間柄と言い切れない、自信のなさが邪魔をする。
だから代わりに、せめて前を向ける切っ掛けを作れたら、と思ったのだ。

しかし、花について自分は全くの物知らずである。
スコールがどういう花が好きで、どう言う色を好んで花を飾っていたのか、自分はよくよく覚えていなかった。
しまったなあ、と思いつつ、取り合えず行動だけはしてみようと、放課後に学校の近くにある花屋に行ってみることにした。

どんな花が良いかな、とぼんやりとした想像を巡らせながら、道の向こうに花屋の看板を臨む頃、其処には一人の青年が立っている。
シャワーホースで店先の花に水を撒いているのは、学校でも有名な先輩だった。


「フリオニール───先輩」
「……ん?ああ、えっと───いらっしゃいませ」


青年の名前を呼べば、銀髪に赤目が此方を見て、にこりと笑った。
社交辞令と判るが、決して悪い印象を与えないその笑顔に、どうも、と此方も小さく会釈する。
恐らく彼は、自分のことなど知りもしないだろう、と思いつつ。

フリオニールは同じ学校の生徒だが、学年はひとつ上だ。
運動神経が抜群に良くて、運動部のあちこちを掛け持ちしており、他校との交流試合や体育祭で大活躍している所をよく見る。
吊り上がった猫目が少し気の強い印象を与えるが、存外とその腰は低いらしく、同級生からはよく揶揄い混じりに構われ、下級生からも慕われていると言う。
が、自分は文化部と言う全くの畑違いと言うこともあり、噂以上の人となりについては全く知らない。

こんな所でこんな人物に逢うとは思っていなかった。
アルバイトでもしているのだろうか。
花と縁のある人とは思っていなかったので、少し意外なものを見付けた気分だ。

なんらか話がある訳でもないので、自分は客として此処に来たと言うことを伝えた。
「教室に飾る花を探したくて」と言うと、店先に在るのは植木や苗ばかりなので、綺麗に咲いている花なら店の中にあると教えてくれた。
中に入ってみると、確かに色とりどりの花が所狭しと並べられている。
この中から、あの少年が気に入ってくれる花を探すと言うのは、中々に骨が折れそうだったが、


(いや、スコールを励ます為だ。元気が出そうな色とか、華やかな感じとか……そう言うのが良いかな)


取り合えず、先ずは一通り見てみよう。
自分を鼓舞するようにそう考えて、広くはない店内を一周してみた。
陳列棚に置かれた花の名前は幾らも頭に入らなかったが、幾つか見覚えのある花弁を見付けることに成功する。
其処からスコールが喜びそうな花を考えて、選択肢を絞り込んでいると、


「いらっしゃい────」


店頭にいたのであろうフリオニールの声が聞こえたが、それは中途半端に途切れた。
誰か客が来たのかな、となんとなく其方を見ると、商品棚の隙間とガラス戸の向こうに、立ち尽くしているフリオニールが見える。
紅い瞳が驚いたように瞠られているのを見て、誰が来たんだろう、とこれもまたなんとなく、フリオニールの視線の先を追った。

追って、自分もまた、目を瞠る。
其処には、見慣れた級友の───スコールの姿があったのだ。


「スコー、ル」
「……」


詰まったような声で、フリオニールはスコールの名を呼んだ。
スコールは俯き加減で立ち尽くしている。

それから数秒、沈黙が下りた。
フリオニールの手に握られたシャワーホースから、出しっぱなしの水だけが地面を濡らす音を鳴らしている。
お互いに金縛りにあったように動かない二人の間には、傍目から見ても判る、気まずいものが滲んでいた。
フリオニールは何度か何かを言おうと口を開いて、その度に口を閉じ、俯く。
スコールはじっと足元を見つめたまま、夏の暑さに当てられたように、頬が日焼けに赤らんでいた。

────二人がそうして過ごしているのを、何故か自分は、息を詰めて見つめていた。
心臓がどくどくと鐘を速めているのは何故だろう。
ゆっくりとスコールが顔を上げていく仕草が、酷くスローモーションに見えた。


「……フリオニール」
「……!」


色の薄い唇に名前を呼ばれて、フリオニールがはっと顔を上げる。
スコールは肩にかけた学校指定の鞄のベルトをぎゅうっと握って、


「……この間の、話」
「……あ……と、あれは───」
「……冗談、か?」


震えるスコールの声に、フリオニールは強く首を横に振った。


「それは、違う。ただ、その、……あの時に、あんな形で言うつもりではなかった、から」
「………」
「でも、あれは……嘘とか、冗談とかじゃない」
「………」
「だけど、勢いで言ってしまったから……困らせたんだと思った。あれから……此処に来なくなったし……」


言いながら、フリオニールは手元のホースを捻り、出しっぱなしになっていた水を止めた。
紅い瞳は気まずさを表すように、ぽたぽたと水滴を零しているシャワーノズルを見詰めている。

そんなフリオニールの言葉に、スコールは溜息を漏らす。


「……当たり前だろう。あんなこと急に言われたって……どうして良いか、困る」
「……そうだよな。すまない」


フリオニールは、弱ったように眉をハの字にして笑う。
寂しい、悲しいと言う気持ちを、強引に押し隠した笑顔だった。

そんなフリオニールに、スコールの足が、根から解放されて一歩進む。


「困る。困った。……けど、……花を見てたら、どうしても、あんたの顔が頭に浮かぶんだ。あんたに貰った花、もう萎れてて、替えなきゃって思うけど、……あんな話したから、また此処に来て良いのか判らなくて」
「……うん」
「でも、他の花屋に行く気もしないし。大体、その、正直言うと、花って今でもあんまりよく判らないし。俺はただ、あんたが……花の世話をしてる時のあんたが、……いたから……」
「……うん」


俯いていたスコールの顔が、少しずつ上げられていく。
やがて彼は、真っ直ぐに目の前に立つ人を見た。
その人を映した蒼灰色は、夕暮れに傾いて強い光を放つ太陽の光を反射して、きらきらと海のように輝いている。

その輝きとよく似た光を、自分はよく知っている。
ほんのりと僅かに頬を赤らめ、柔く微かに細められた眼差しは、教室に飾られた花を見詰めている時と同じものだ。


「……あんたの咲かせた花が、きれい、だったから……俺は、あんたが……」


其処から先、彼が何と言ったのかは、よく聞こえなかった。
彼が声のトーンを落としたからなのか、唇こそ動いたけれど音にはならなかったのか。
見詰めるだけの自分にそれは判らなかったが、その言葉を向けられた男は、ひとつ大きく目を瞠った後、酷く面映ゆそうに笑ったのが見えた。

窓ガラス一枚を挟んだ距離は、近いようで遠いようで、けれど決定的に隔てられたものだ。
フリオニールの空の手が、一度迷うように彷徨った後、そうっと伸びて、スコールの頬に触れる。
スコールは頬に重ねられた手を振り払うことなく受け入れて、あの柔い眼差しで、微かに、ほんの微かに、安堵したように笑った。

そしてフリオニールの手が離れると、彼は「ちょっと待っててくれ」と言って、軒先にスコールを残して店の中へと駆ける。
数分としない内に彼が戻ってくると、その手にはラッピングされた花束。
花の数は多くはなかったが、淡い色合いの花弁を中心に選び、それを引き立たせるように小花で飾りを添えて、バランスよくまとめられている。


「スコール。その、これ───また、受け取って貰えるか?」


また。
また────。

その言葉を聞いて、ああそうか、と理解した。
学校の教室に飾られた花は、彼がスコールに贈ったものなのだ。
いつからなのか、何が切っ掛けなのかなど知りもしないが、あれはスコールがこの花屋でフリオニールから貰って、教室に飾っていたのだ。
だからスコールは、毎日のように水替えを行って、花弁や葉肉が病気になっていないのか確かめていた。
切り花になって飾られた花が、いつかは萎れてしまうことは理解しているけれど、それが少しでも長く生きていられるように。
フリオニールから手渡された花が、一日でも長く、鮮やかに咲き誇っていられるように。

ここ数日の間、花瓶に活け続けられていた花は、もう十分に頑張った。
頭はとうに草臥れて、葉にも茶色の斑が浮かび、このまま水に入れていたとて、元に戻ることはない。
役目を終えた花は、明日には新しいものに入れ替えられているだろう。

────青年が差し出した花束に、少年がそっと腕を伸ばす。

受け取ってくれるなと、そう思った自分がいたことに愕然とした。
いっそそう叫んでしまえたら、あの花束を打ち払ってしまえたら、そんな事まで考える。
けれど、もしもそれを実行に移したら、あの蒼灰色はもう自分を見てくれることはないのだろう。
それ所か、花を打ち棄てるような真似をしたことに、憤りか悲しみか、蔑みさえも向けられるかも知れないと思うと、背中が凍る。
早朝の教室で、二人きりで過ごした他愛のない日々が、壊れてしまう。
それだけは、厭だった。



スコールは、小さな花束を受け取ると、少し照れたように頬を赤らめた。
それを見つめる赤い瞳は、何処か熱に浮かされた幸福感を滲ませている。

どうしようもなく、空虚な鳴き声がする。
それが自分の奥底から響いて来るものだと知っても、どうすることも出来なかった。




『フリスコで、スコールが二人から好かれる関係性(BSS・NTR・横恋慕等)のお話』のリクエストを頂きました。
フリスコ以外の登場人物について、モブでもOKとのことでしたので、モブくんのBSSです。
フリスコが報われるか報われないかもご自由に、と頂いたので、今回はフリスコが報われる形で。でも視点は報われないモブくんです。

作中で使う場面がなかったのですが、フリオニールは運動部ではなく園芸部に所属しています。モブくんは学年の違うフリオニールのことを詳細に知らないので、運動部の人だと思い込んでいる。
学校内に園芸部が世話をしている花壇があって、スコールとフリオニールは其処で知り合って交流を持っていました(モブくんはこのことを知らない)。
アルバイト先まで知る仲になって、話の流れでフリオニールが世話した花をスコールが貰うようになり、教室に飾るようになって、それをスコールが世話してるうちにモブくんがスコールに惹かれて行った、と言う感じです。
そして何かの勢いでフリオニールがスコールのことを好きだと零してしまい、その時はパニックになって逃げたスコールだったけど、時間が経つにつれてやっぱり自分もフリオニールが好きなんだ、と言う自覚に至って、ちゃんと告白の返事をしに来た……と言う所に居合わせてしまったモブくん。
と言うことで、正確には「フリオニールに恋をしているスコールに恋をしていたモブくん視点」と言うパターンのBSSでした。

一応、スコールからこのモブくんへの好感度は高めではある。クラスメイトとして信頼はしてる。励ます為に花を贈れば、受け取って貰えたと思う。友達として。

[スコール&クライヴ]過ぎたる日々が見た色は



その日、スコールは、何処からともなくか細い猫の鳴き声を聞いた。
皆が元気に遊ぶ声が響く庭で、どうしてスコールにだけその声が聞こえたのかは判らない。
みー、みー、と酷く悲しそうな声は、他の誰も知らないまま、スコールの耳だけに届いたのだ。

どうしても気になったスコールは、皆がめいめい元気に遊んでいる輪を抜けて、声のする方へ行ってみた。
孤児院園舎の裏庭に来ると、さっきよりも声が近くなって、きょろきょろと首を巡らせる。
とことこ歩きながら辺りを見回し続けていると、小さな畑の傍に佇む木の上から、その声が聞こえて来た。
見上げれば、一本の木の上で、一匹の黒猫が小さく蹲っている。
黒猫はスコールと目を合わせると、みー、みー、と泣いた。

下りられなくなったんだ、とスコールも直ぐに理解した。
何が理由か判らないが、黒猫は一匹で木の上に行って、そのまま下り方が判らなくなった。
だから、誰か助けて、誰か下ろして、とずっと鳴いて呼んでいたのだ。

スコールは少し戸惑った。
決して運動神経が良くはない自覚があったから、誰か、木登りが出来る人を呼んだ方が良いと思ったのだ。
しかし、スコールがその場を離れようとすると、子猫はみぃい、みぃい、と声を大きくする。
置いて行かないで、と訴える黒々とした円らな眼に、スコールは悩んだ末に、意を決した。
ぼくがのぼってたすけなきゃ、と。

木の幹を直接上るのは難しかったが、幸い、傍には金網フェンスがあった。
スコールはそれに手足を引っ掛けて、うんうん頑張りながら、体を上へと持ち上げて行く。
フェンスの上まで辿り着くと、すぐ其処にしっかりとした木の枝があった。
其方に捕まり直して、フェンスを踏みながらよいせと身体を上げることに成功し、其処から更にもう一つ、二つと枝を上り渡る。
其処まで行って、ようやくスコールは黒猫のいる場所まで辿り着いた。


「もう大丈夫だよ。おいで」


枝に掴まりながら、黒猫の傍までゆっくり近づく。
幹に近い位置まで来て、そうっとスコールが手を伸ばすと、黒猫は大人しく撫でさせてくれた。
くりくりとした目がスコールを見上げ、みぃ、と嬉しそうに鳴いた。

懐に潜り込んできた子猫を抱え、よし、とスコールは達成感を感じていた。
助けて、と自分を呼んだ子猫を、自分で助けることが出来たのだ。
良かった、あとは降りるだけ───と思って地面を見て、スコールは初めて、自分がとても高い場所にいる事を知った。

瞬間、スコールの身体は凍り付く。
落果の恐怖と言うものは、生まれて間もない赤子でも、本能的に持っていると言われている。
当然、スコールもそれを持ち得ているから、高い場所と言うのは、好んで上ることはしなかった。
黒猫を助ける為に鼓舞した気持ちで一所懸命に上ってきたが、こんなにも高い場所だったなんて、幼い子供は知らなかったのだ。


(これ───落ちたら、ぼく、どうなっちゃうの……?)


思った瞬間、遠い遠い地面が、更に遠く遠くに見えて、スコールははしっと枝にしがみついて掴まった。
背中が急激に冷たくなって、体がかたかたと震え出す。

こうなってしまっては、スコールは最早、動けなかった。
とにもかくにも下りなくちゃ、と下を見れば、地面があんなにも遠い。
木を登っている時は、黒猫がいる上ばかりを見ていたから、足元がこんなに離れていたなんて、ちっとも気付かなかったのだ。
そして、下りる時にどうすれば良いのかも、幼い子供は全く考える余裕を持っていなかった。

どうしよう、どうすればいいんだろう、と考えている間に、時間はどんどん過ぎていく。
庭で元気に遊んでいた子供たちの声が聞こえなくなり、休憩時間が終わったことを知った。
きっと皆、おやつを食べて、午後のお勉強の時間の準備をしている。
スコールが帰って来ない事に、ママ先生やシド先生は、気が付いてくれるだろうか。
気が付いてくれたとして、探してくれたとして、こんな高い場所に上ってしまったスコールのことを、見つけ出してくれるのだろうか。
考える程、このまま一生、この木にしがみついて待ち過ごさなくてはいけないんじゃないかと思えてきて、絶望感が幼い心を塗り潰していく。

みぃ、みぃ、と黒猫がまた鳴き始めた。
助けてくれると思ったのに、助けに来た子供がちっとも動かなくなってしまったのだから無理もない。
黒猫が鳴く度に、この子の為にも下りなくちゃ、と思うのに、ちょっとでも枝が揺れるのが怖い。

じわじわと、スコールの視界が水に溺れて歪んでいく。
遠い地面もよく判らない形になって、スコールは喉と鼻がつんと痛くなるのを感じていた。
声を上げたら、誰かが飛んできてくれるだろうか。
ママ先生とか、シド先生とか、お姉ちゃんとか────そう思って、出ない声を頑張って出そうと、精一杯の努力をしていた時だった。


「君、大丈夫か?」


聞こえた声が、自分に向けられたものだと、最初は気付かなかった。
「君だ。其処の、木の上の───」とまで言われて、ようやく、自分が誰かに見つけられたことを理解する。

スコールが涙でぐにゃぐにゃになった目できょろきょろきょろと見回すと、フェンスの向こうの道に、一人の少年が立っている。
綺麗に撫でつけられた黒髪に、スコールの瞳とはもう少し明瞭な青色の目。
きちんと着つけられた襟のある服が、この近くにある高等学校の制服だと言うことは、幼子の知らない話である。

少年は、木の枝にしがみ掴まっているスコールを見つめ、


「下りられなくなったのか?」
「……ふぇ……」


少年の言葉に、スコールははっきりと自分の状態を自覚する。
我慢の限界を超えた涙が、大きくて丸い目から、ぼろぼろと零れ始める。


「ひっ、ひっく……ねこ……ねこが……」
「猫……ああ、成程。その子を助けようとして」
「えっ、えく、えっく……でも、でも……お、おりかた、わかんな……うえ……」
「うん、分かった。ええと、此処は───確か大人の人がいる筈だな」
「うえ、えう、えうぅ……ふえぇえ……!」
「すぐに誰か呼んで来るから、もう少しだけ頑張って───」
「うえぇぇえん!」


その場を離れようとする少年を見て、スコールは遂に大きな声を上げて泣き出した。
それを見た少年は、ああ、と眉尻を下げて、二人を隔てるフェンスを見上げ、


「……仕方がないか。大丈夫だ、直ぐに行く」
「えっ、ふえっ、うえええん!まませんせえぇぇ……!」
「そのままじっとしているんだぞ。俺が行くまで、動かないで」
「ひっ、ひっく、ひっく、うぇええ、うぇえええん……!」


泣きじゃくるスコールの声に混じって、黒猫までもが、みぃい、みぃい、と鳴き始める。

少年は手に持っていた鞄を地面に置いて、フェンスに両手をかけた。
がしゃ、とフェンスが重みに音を鳴らす中、少年はあっという間にフェンスを上り、伸びた木の枝に手をかけた。
スコールは其処から枝をひとつふたつ、体ごと持ち上げて登ったが、スコールよりもずっと背が高い少年は、枝に乗るのは危険だと判断した。
フェンスの細い足場に乗ったまま、少年は枝には手で捕まって、じりじりと位置を動かす。

程なく少年は、スコールが捕まっている枝の袂に辿り着いた。
少年の腕がスコールの前に伸ばされて、捕まれ、と彼は言う。


「俺の手を握るんだ」
「ふっ、ふえ、うえええ……やあ……おちるのやだぁあ……!」
「大丈夫、落ちないよ。俺がちゃんと捕まえてる」


その言葉の通り、少年はスコールの蹲る背中に腕を回している。
スコールの肩に触れるその手は、しっかりと温かかった。
ひっく、と涙に濡れた目で見上げるスコールに、少年は努めて優しく笑いかける。

枝に掴まるスコールの手に、少年の手が重なった。
スコールがそろり、そうっと、枝に掴まる手を解いて、少年の手を握る。
よし、大丈夫、と励ます少年の声を聞きながら、スコールはとにかくゆっくりと、恐怖と精一杯に戦いながら、少年の体に身を寄せた。

スコールの重みをしっかりと腕に抱えた少年の肩に、黒猫が乗り移る。
少年は黒猫を捕まえると、スコールにそれを預けた。


「しっかり抱いてるんだぞ」
「……うん」
「行くぞ。せえ、のっ」


子猫をスコールがしっかりと抱き占めるのを見てから、少年は勢いの合図をつけて、フェンスから飛び降りた。

フェンスの際まで伸びていた枝葉を、制服の端に引っ掛けながら、少年は地面へと着地する。
縋る小さな子供を着地の衝撃から庇った反動で、少年は着地の直後に姿勢を崩して、尻餅をついた。
いたた、と軽く打った臀部を摩りながら、少年はしがみつくスコールを見て、その身体に目立った怪我の類がない事を確かめる。


「怪我は───一先ずは、ないみたいだな。良かった」


少年の手が、ぽんぽん、とスコールの頭を撫でる。
ママ先生やシド先生、大好きな姉と同じ、優しいその手のひらの感触に、スコールは安心したと同時に、大きな声を上げて泣き出したのだった。





スコールが通う高校に、新しい教師が赴任した。
夏休みが開けて間もなく、急遽退職する事が決まった、スコールのクラスの担任教師に変わってやって来たのだ。

クラス担任の退職と、それによる交代の旨については、それが決まった時から生徒に通達されている。
クラス担任はそれなりに生徒から支持が厚かったので、残念に思う生徒は少なくなかったが、スコールにはどうでも良い事だった。
そして存外、生徒たちも、担任教諭が変わったからと言って、前の人をいつまでも惜しむ事もない。
新たな教員が生徒たちにとって余程に折り合いが悪いタイプでもない限り、彼らは新しい教員にも程なく懐いていた。

そしてクラス担任が変わってから、そろそろ一ヵ月が経とうとしている。
休み明けテストの返却も終わり、新しいクラス担任についても、生徒の多くが馴染んでいた。
着任から一週間のうちに、彼は好奇心旺盛な生徒たちに囲まれて、あれやこれやと質問されたり、校内を案内されて回っていた。
其処から出回った噂によれば、彼は随分前にこの学校を卒業したとかで、どうやらスコールたちにとっては大先輩にあたるらしい。
在校中は生徒会長を務めた経験もあると言うから、校長室にある各期の卒業アルバムでも探ったら、写真の一枚くらいは残っているかもしれない、とか。
そんな話で生徒たちが盛り上がる位だから、件の新担任は、生徒たちの間ではそれなりに好評価な印象で通っていた。

だが、スコールはどうにも彼が苦手だった。
何がどう、と言われるとよく判らないが、なんとなく目を合わせるのが嫌だ。
そう思うのは、妙に彼と視線が合う瞬間があるからだろう。


(……見られている気がする)


スコールは、件の教員に対して、そんな風に感じていた。

クラス担任であるから、朝のホームルームを筆頭に、毎日顔を合わせる時間がある。
そしてその都度、ぱちりと真っ直ぐ、透明な青を捉える瞬間に見舞われるのだ。
こんな話をすると、サイファーあたりから「自意識過剰な奴だな」と鼻で笑われるのだが、スコールは間違いないと思っている。
何せ、ホームルーム然り、休憩時間の廊下であったり、彼の担当授業の時だったりと、ふとした時に視線を感じて顔を上げると、ばっちりと目が合うのだ。
その都度、彼は少し気まずげに視線を彷徨わせる仕草があるので、スコールは彼が自分を見ていることを確信した。

だからと言って、教師に向かって「不愉快なので見ないで下さい」とは言わないスコールである。
教師と揉めると言うのは大体面倒な事だし、何より、今の所は見られているだけなのだ。
それが視線の類に敏感なスコールにとっては不快を誘うが、では直接的な実害があるのかと言われれば、ない。
どちらかと言えば、面と向かって会話をする機会すらないので、遠巻きに見られている感覚があるだけなのだ。
これで「見るな」と言ったとしても、スコール自身、言いがかりの印象を出ないことは感じていた。

そんな訳で、最近のスコールは、休憩時間はぎりぎりまで教室から離れることにしている。
人気の少ない学校の校舎裏に逃げ込んで、遅刻だけはしないように努めていた。


(教師に目を付けられると、どんな厄介を押し付けられるか判らない。このまま距離は置いていよう)


そう思いながら、スコールは校舎裏で一人のんびりと過ごしていた。

校舎裏は野良猫たちが溜まり場にしていて、毎日何匹かの猫が日向で丸くなって微睡んでいる。
いつから彼らが此処にいるのかは判らないが、大体は人慣れした個体だ。
スコールは、時折そんな猫たちがじゃれて来るのをあしらいながら、午後の予鈴が始まるのを待っていた。
昼食を平らげて膨れた腹が、木漏れ日の心地良さと相俟って、気だるげな睡魔を誘う。
それに欠伸を漏らしていれば、連鎖するように傍らの猫たちも欠伸をして、もう寝てしまえと抗いがたい誘いをしているようだった。

とは言え、スコールに授業をさぼるつもりはない。
予鈴を聞き逃すことのないように、念を入れて携帯電話のアラーム機能を決まった時間にセットする。
制服のブレザーの胸ポケットにそれを仕舞って置けば、万一、寝落ちたとしても起きれる筈だ。

そうして習慣にした、アラーム機能のセットをしていた時のこと。


「───と……、君は確か───」


零れた風に聞こえた声に、スコールは誰か来た、と眉間に皺を寄せた。
此処はスコールの避難所なので、あまり人が集まることは望ましくない。
面倒な奴じゃないなら良いんだが、と仕方なく振り返って、まだ更に眉間の皺が深まった。


「……ロズフィールド先生」
「ああ、やっぱり。スコールか」


一ヵ月前にやって来た、スコールのクラスの新しい担任。
クライヴ・ロズフィールドと言う名のその人物は、クラスの生徒の名前を概ね覚えたらしい。
……スコールは二年生になって半年が経った今でも、曖昧な人物がいると言うのに、生真面目な事だと思う。

クライヴは木漏れ日の下で、スコールの周りを囲うように丸くなっている猫たちを見て、目を細める。


「此処は猫の集会場だったんだな」
「……そうですね」
「逃げないな。人に慣れているのか」


クライヴが近付いて来ると、猫たちは各々顔を上げたが、すぐにまた寝る体勢に戻った。
声を荒げる訳でも、煩い足音を立てるでもないクライヴを、どうやら猫たちは危険人物ではないと判じたらしい。

人懐こい一匹が、体を伸ばして起き上ると、「な~お」と鳴きながらクライヴの足元へやって来る。
猫はクライヴの足に体を擦り付けると、その場にごろりと転がって腹を見せた。
さあ撫でろ、と言わんばかりの猫の姿に、クライヴはくすりと笑って膝を曲げ、大きな手でふわふわとした腹を撫でる。

クライヴは猫の腹を撫でながら、校舎の壁に寄り掛かっているスコールを見て、


「君は、よく此処で過ごすのか」
「……偶には」


ほぼ毎日のように入り浸っていることを、なんとなくスコールは隠した。
隣の猫が、嘘ばっかり、と言いたげに鳴き声を上げている。

猫が腹を隠さないので、クライヴはじっと猫の腹を撫でている。
青の瞳が、何処か興味深そうに猫の様子をしげしげと眺め、撫でる手付きも、これはどうか、これは、と試すように変えている。
猫は時に、それは良い、それは嫌、と言うように、体を揺らしては自分の心地良いポイントへとクライヴの手を誘導した。

一頻り猫を撫でた後、気が済んだ猫がクライヴの手からするりと滑るようにして逃げる。
たっぷり撫でて貰って満足した猫は、もう此処に用はないと、手近な木の上へとするすると上って行った。
クライヴはそんな猫の姿を見上げている。
そのままじっと動かなくなったクライヴに、いつまで此処にいるんだ、とスコールはひっそりと眉根を寄せていた。


「……ロズフィールド先生は、猫が好きなんですか」


尋ねたのは、そうだとしたら、この避難所はもう使えない、と思ったからだ。
教室から少し遠いが、それ故に人があまり来ない為、スコールにとっては丁度良い休憩場所だったのだが、他の誰かが来るならもう仕方がない。
一人の時間を好むスコールにとって、それが確約できない場所は、もう使う気にはなれなかった。

スコールの問いに、クライヴは「どうかな」と曖昧に眉尻を下げている。


「猫とはあまり馴染みがないんだ。犬なら実家にいるんだが」
「……はあ」
「猫に触ったのは随分久しぶりだな。多分、子供の頃以来だ」
「……そうですか」


クライヴの言う事に、スコールは大した興味もなく、適当な相槌で返す。
それでもクライヴにしてみれば、普段あまり会話をしない生徒との、交流の切っ掛けと捉えられたのか。
彼は木の上で尻尾を揺らす猫を見詰めたまま、話を始めた。


「木の上に登って、下りられなくなった猫と子供を見付けたことがある。俺は敷地の外から見付けたから、家の人を呼んで来ようと思ったんだが……」
(……)
「怖かったんだろうな。子供が随分泣くから、早く助けた方が良いと思って。理由を話すのは後にして、まず助けようと思って、急いで木に登ったんだ」
(……ん……?)
「どうにか助けられて良かった。その時に猫も一緒に助けたから────それ位だろうな、猫に触った事があるのは。まだ俺がこの学校にいた頃だったから、もう何年前になるか」


クライヴの語るものは、彼のごく個人的な思い出話だ。
スコールからすれば、知りもしない人の過去など聞いた所で、どうしろと言うのだろう、と思うものだった。

しかし、今の話の中で、スコールの記憶の琴線が震えた。

それはもう随分と遠い日の出来事で、スコールがまだ十歳にもならない時のことだ。
何が原因だったか、同じ孤児院で過ごす子供たちの輪から離れて木に登り、下りられなくなって固まっていた。
どうにもならないままに過ごしていた所で、誰かが其処へやって来て、助けて貰った事がある。
後はその人に手を引かれ、わんわん泣きながらママ先生に迎えられ、泣き止むまであやして貰った後に、一人で木登りをしたことについて、こってりと絞られた。
そんな経緯でスコールは、元々苦手意識のあった木登りを、何が何でもやらない、と決めている。

結果、スコールが一番記憶として鮮やかに思い出せるのは、孤児院の母役であるママ先生に叱られたことだ。
どうして一人で木登りなんてしたのか、幼かったこともあって、既に記憶の海に埋もれて取り出せない。
だが、誰かに抱えて助けて貰ったことは、辛うじて掘り出せた。


(……まさか……)


スコールは、じっと木の上の猫を見詰めている男を見た。
しかし、幾ら考えてみても、あの日あの時、誰が自分を助けてくれたのかは、はっきりと出て来ない。
とにかく木の上から下りられなくて怖かった、そしてママ先生に叱られたのも怖かった───スコールが思い出せるのはそれが精一杯だった。

沈黙しているスコールに、クライヴは眉尻を下げて振り返る。


「すまないな、俺の昔話なんて聞いても、面白くないか」
「……」
「だが、どうしてだろうな。なんとなく、君を見ていると思い出すんだ。似たような目の色だったからなのか……」


クライヴのその言葉に、ぐ、とスコールは喉の奥を噛む。

蒼い目は、特段、珍しいものでもない筈だ。
目の前の男の目だって青いし、幼馴染の中にも、似たような色は少なくない。
だが、先のクライヴの思い出話を聞いてしまえば、彼の言う“子供”が誰を指すのか、スコールは完全に符合した。

────子供の頃の出来事なんて、今のスコールにとっては、黒歴史のようなものだ。
特に、あの日あの頃の自分は泣き虫の盛りで、なんでもないことでも、毎日のようによく泣いた。
幼馴染のサイファーなどは、今でもその頃を引き合いにだして、スコールを揶揄ってくる。
やり返してやれる位には強気になったスコールであるが、それでも幼い頃の泣き虫ぶりは、今のスコールにとって他人に知られたくない過去となっていた。

だが、どうやら幸いな事に、自分を助けてくれた嘗ての少年は、思い出話の張本人がスコールであるとは気付いていないらしい。
確か五つか六つになるかと言う時だったから、流石にスコールの顔立ちも、その頃とは変わっていた。
スコールも今の話を聞かなければ、クライヴが件の少年だったとは気付かなかっただろう。
まさか十年以上も経って、こんな形で再会していた等とは、夢にも思わぬ出来事であった。

胡乱な表情を浮かべてじっと見つめるスコールに、クライヴはことんと首を傾げる。


「どうした?何か────」
「なんでもないです」


スコールは、クライヴの言葉を遮るようにして言った。

気付いていないなら、知られていないのなら。
このまま、知らない振りをしていよう。
幼い頃の失態は、思春期真っ盛りの少年にとって、掘り返されたくない痴態に等しい。
例え記憶を共有する相手が、微笑ましそうにその出来事を語ってくれたとしても。



これまでじっと黙していた生徒の、急に食い込むようにして入った反応に、クライヴはぱちりと目を丸くしたが、スコールにとっては幸いなことに、それ以上に彼が何かを尋ねて来ることはなかったのだった。





『スコールとクライヴ、ほのぼの』のリクエストを頂きました。
弟属性のスコールと、兄属性のクライヴ。並べるのが楽しかったです。

クライヴが青年期(28歳)ならスコールとは11歳差、クライヴ壮年期(33歳)なら、スコールとは16歳差。
と言うことで、青年期クライヴなら、スコールが5歳の時にはクライヴが高校生!と言うことで、子供の頃に会ってた二人を後に再会させてみました。
でもクライヴが落ち着いているので、立ち振る舞いは壮年期かも。現パロなので、ベアラー兵時代みたいに擦れてた時代がなく済んでると言うのもある。

この場は黙して逃げたスコールですが、一応「あの時助けてくれたお兄ちゃん」なので、なんとなく避けることはしなくなると思います。
ただ「あの時助けた子供」とバレた時に何か言われやしないだろうかと思っている。バレたらクライヴは「大きくなったんだな」って言うと思う。遠戚のお兄さん??

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