[バツスコ←サイ]さかしまの糸
オメガーバースパロ
運命なんて陳腐な言葉を信じていた訳ではないけれど、そうだったら良いな、と思っていた自分がいたのも、確かだった。
元々、スコールはβだった。
それが12歳の頃、突然の性の転換が起こって、Ω性だと診断された。
特に得意なものがある訳でもなく、凡夫だと、自分への自信のなさからそれ以下であるとすら思っていたスコールにとって、この転換は大きなショックを与える。
ただでさえ他人と上手く意見交換も出来ず、縮こまって時間が過ぎるのを待つしかなかったと言うのに───いや、それで待っていれば事もなく世は回ってくれたのだから、それでも良かったのだ。
自分自身の不出来さに、膝を抱えて俯いて、それでも誰かの邪魔をすることなく過ごしていれば、何事もなかった。
それなのに、Ωと言う性まで持ってしまって、他人にしてみれば、余計に手がかかる存在になってしまった。
引き取られたばかりだった父親に伝えるにも随分と時間がかかり、結局彼に知られたのは、“発情期”───ヒートによって昏倒した時のこと。
以降は父親の伝手もあり、ヒートを抑制する薬は欠かさず常備されるようになったが、それもあまり効かない傾向がある。
薬で辛うじて正常な意識を保ちながら、ヒートの期間が終わるまでは、とにかく待って過ごすしかなかった。
その間は学校に行くことは勿論、誰かと会う事も満足に出来ない。
面倒な奴を引き取ったって思ってる、と言う父親に対するスコールの思いは、当人曰くは杞憂で済んだようだけれど、本当はまだ、心の何処かでそう思っているんじゃないかと考えている。
それは、マイナスなことを自分から考えることで、捨てられた時の心の準備をしているからだ。
せめて少しでも早く、そんな不安から逃れられるように、スコールは一秒でも早く自立できる日を目指しているけれど、やはりΩ性故の特性は、そんな少年の思いの足を引っ張っていた。
そんなスコールにとって、何があっても一緒にいるよ、と言ってくれたバッツの存在は、数少ない心の救いだった。
バッツは、スコールが父ラグナに引き取られ、その家に来てから逢った青年だ。
三つ年上の彼は、気難しい年頃だったスコールに何くれと構い、スコールがΩ性へと転換したと最初に気付いた。
それはバッツがα性であったからで、Ω性に見られる、他者を引き付けるフェロモンの発露を肌で感じ取ったからだ。
当時、既にスコールの性格を大まかに把握していたバッツは、言葉を慎重に選びながら、スコールを知り合いで信頼できると言う医者の下へ連れて行った。
だから、スコールがΩ性となった時から、彼はスコールの面倒を見ているのだ。
スコールがΩになった事について、混乱で不安定になっている間も、彼は言葉の通り、ずっと傍にいてくれた。
それが当時のスコールにとって、変え難い経験であった事は、間違いない。
そう言う経緯があるから、スコールにとってバッツが特別信頼できる人間となるのも、自然なことだ。
バッツ以外に何もかもを曝け出し、それを受け止め包み込んでくれる人はいない。
バッツの方も、何くれとスコールを優先し、不安に泣けば抱き締めてくれたし、落ち着くまでずっと傍にいてくれた。
ラグナが家にいない日、ヒートで倒れたスコールの僅かなメッセージを聞いて、駆け付けてくれた。
そうして二人が、お互いの熱に浮かされるようにして交わったのは、二人にとっては当たり前の結果だったと言って良い。
それ以来、逢瀬を重ねては、隠れるように肌を合わせた。
スコールはそれが一番安心したし、バッツはスコールが安心する為に世話を焼くのを惜しまない。
Ωが一人のαの唯一となる為の、“番”になることも考えた。
だが、スコールは今年でまだ十七歳で、父親の庇護下で暮らしているし、“番”は一度その関係を作ったら、離れることが出来ない。
αがΩを捨てると言う出来事は稀に聞く話ではあったが、それはΩに多大なストレスを齎し、収まった筈のヒートも再発するが、二度と“番”を作ることも出来なくなる。
Ωにとって、“番”となったαは唯一無二の存在となり、その存在なくして生きていくことは出来ないのだ。
“番”になることは、Ωの今後の人生の選択を決めるも同然。
だからバッツは、“番”になりたがるスコールを敢えて宥めて、「成人まで待とう」と言ったのだ。
戻れない選択をするのだから、それまでに選べる筈の未来を早くに切り捨ててしまわないで、色んな未来の形を考える為に────と。
バッツに宥められてからも、スコールは彼と“番”になる日を今か今かと待っている。
彼との交わりをする度、項を差し出して見せると、バッツは窘めながら其処にキスをしてくれた。
ぞくぞくと感じる高揚と安堵に、やっぱり此処を噛んでくれるのは彼なのだと思った。
バッツが自分の“運命の番”なのだと、スコールは肌身で感じていたのだ。
だから、バッツの言う通り、二十歳になる日を待とうと思った。
そうすれば、その日になれば、バッツは噛んでくれるから、彼の為だけのΩになれるのだから。
─────そう、信じていたのに。
「おい。お前、スコールか?」
眩い程の金色、ペリドット色の瞳、幼い頃に自分と揃いでつけてしまった逆向きの顔の傷。
五年ぶりに逢ったその顔を見た瞬間、何かの底が抜けるような感覚がした。
後ろを追う足音から、逃げるように歩く。
走っても良かったが、それだと露骨すぎて、きっと火に油を注ぐ。
そも、こうやって逃げている事に気付かれている時点で、全てが油にしかならないのだろうけれど、燃え上がる事は避けたいと思っていた。
待て、と言う声が近付いて来る。
やっぱり走ろうか、でもこの距離まできて走った所で、逃げ切れるとも思えなかった。
彼の事は子供の頃からよく知っている、一緒に走るとスコールはいつも置いて行かれていた。
あの頃よりもスコールは運動が出来るようになったけれど、染み付いた感覚はやはり拭う事は出来なくて、いつだって三つも四つも先を行っていた幼馴染には、今でも勝てる気がしなかった。
そうやって頭の中で考えている内に、追い付かれていたらしい。
ぐいっ、と腕を後ろに引っ張られて、彼────サイファーがすぐ後ろに着ていた事にようやく気付く。
「待てって言ってんだろうが、バカスコール!」
「……バカじゃない」
苛立ち混じりのサイファーに、スコールも眉根を寄せて睨み返した。
当然ながらサイファーがそれに臆する訳もなく、寧ろより苛立った表情で、ずいと顔を近付けてくる。
「毎度毎度、無視してんじゃねえ。少しは話を聞きやがれ」
「話なんて、する事なんかないだろう。離せ」
スコールは、腕を掴むサイファーの手を振り払おうと試みた。
しかし、手首の骨が軋むほどに痛い力で握り締められ、スコールが何度腕を振ってもびくともしない。
それが幼年の頃から培われて根を張った、スコールの劣等感を刺激する。
逃がすまいと掴む腕をそのままに、サイファーはスコールを向き直らせる。
自分とちゃんと相対しろと言うサイファーに、スコールは苦々しい顔を浮かべていた。
「スコール。判ってねえとは言わせねえぞ。だから俺から逃げてるんだろ」
「……逃げてない」
「だったら避ける必要もないだろ?」
「あんたが煩いから嫌なんだ」
「お前が俺の話を聞かないからだろうが」
荒げてこそいないものの、サイファーの声には明らかに怒気が混じっている。
子供の頃なら、スコールはそれに当てられるだけで、縮こまって泣き出していただろう。
その頃よりは成長してるんだ、と拙い反論をする自分に言い聞かせながら、スコールは早くこの場を離れたくて仕方がなかった。
だが、相変わらず腕を掴んだままのサイファーの手があって、どうやってもこの場に縫い留められてしまう。
(離れないと。離れないといけないのに)
学校でサイファーの姿を見る度に、スコールはそう思っている。
学年が違うから、毎日必ず顔を合わせる訳ではないけれど、それでも彼が近くを通れば、本能的に体がその気配を感じ取る。
気を抜くと目がその存在を探しそうになるのを、スコールはいつも歯を噛んで堪えていた。
……“堪えなければならない”ことが、またスコールを自己嫌悪に貶める。
サイファーもそれを判っているのだ。
元々、サイファーは不思議とスコールのことには本人以上に敏感で、スコールの身に異変があると、誰よりも先に気付いていた。
思えばあれは、幼い時代に既に無意識にあった、本能が齎していた行動だったのかも知れない。
けれどそう考えてしまうと、“運命”はあの頃から既に根付いていたことになって、それはつまり────と嫌な結論に行き付いてしまう。
それが嫌だから、スコールは再会してから意図的にこの幼馴染を避けているのだけれど、
「ラグナさんから聞いたぞ。Ωになったって」
「……勘違いだ。俺はβだ」
「だったらお前のこの匂いはなんだよ」
「……香水」
「お前にそんなもんつける甲斐性があるか。ガキの頃、消臭剤にだって鼻曲げてた奴が」
どうでも良いことばかり覚えているな、とスコールは独り言ちた。
けれど、子供の頃、良い匂いだから嗅いでごらん、と差し出されたフローラルな匂いを放つ消臭剤に、一人鼻を摘まんでいたのは事実だ。
今でも匂いの多くには不快感が先立つものだから、サイファーの言う通り、スコールが香水なんてものをつける筈がない。
ずい、と近付けられる顔は、幼い頃と同じで、勝ち気で自信に満ち溢れている。
幼い頃、その光に魅せられるようにして、密かな憧れを抱いていたことを、スコールは思い出していた。
最早幼い日の郷愁でしかなかった筈のその感覚に、今になってまた襲われるなんて。
近付いて来る碧眼に、心臓が馬鹿になったように早鐘を打っている事を、認めたくなかった。
「スコール」
「……!」
向き合え、と名前を呼ぶ声に、鼓膜の奥でぞくりとしたものが奔る。
それが嫌悪感なら良かったのに、言いようのない高揚があるのが判ってしまった。
(やだ。いやだ。いやじゃない。いやじゃないのがいやだ)
直ぐ其処にある碧眼から、俯いて逃げる。
手首を掴む手が益々苛立ちを表すように力を増したけれど、スコールは顔を挙げなかった。
挙げられなかった、と言うのが正しい。
そんなスコールに、サイファーは露骨な舌打ちをして、
「そんなに俺が嫌いかよ」
サイファーの言葉に、今度はぞくりと背中が冷たくなる。
何もかもが自分の想いとは裏腹の反応が起きて、更にはスコールの身体から力が抜ける。
ずるりと座り込んでいくスコールを、サイファーは睨むように見下ろしていた。
唯一、掴まれたままのスコールの腕が、微かに震えながら精一杯に緩い拳を握り、
「……あんたじゃない」
吐き出すように零した言葉は、確かにサイファーの耳にも届いていた。
爛々としていた碧眼が、じわりと重い感情を浮かび上がらせる。
「……なんだと」
「……あんたじゃない……あんたじゃない!」
「お前、」
「あんたじゃないんだ……!」
絞り出すスコールに、サイファーも並々ならぬものを感じたのだろう。
スコールの腕を掴んでいた手から微かに力が抜け、俯くスコールの旋毛を見つめる目が細められる。
スコールは顔を上げないままで、言った。
「好きな奴が、いる」
「……!」
「俺がΩになった時から、一緒にいる。俺を大事にしてくれて、これからもずっと一緒にいるって約束してくれた。番になろうって、俺がちゃんと大人になったら、その時に、ちゃんと」
そう約束したのだ。
あれは一時のものではないし、彼に抱かれていると安心できる。
この腕の中が自分の“巣”だと、スコールはそう信じていた。
だが、そう思えば思う程、その言葉を吐き出せば吐き出す程、どうしようもなく息が出来なくなる。
頭の中の奥隅、深層意識とでも言うような場所から、もう一つの声がする────『判っている癖に』と。
サイファーがスコールのことを良く知っているように、スコールも彼をよく知っている。
父に引き取られて孤児院を離れ、数年間を別々に過ごしていたとは言え、昔は何かと同じ時間を共有していたのだ。
良い所も悪い所も知っていて、幼い日、彼に頻繁に泣かされたのは事実だが、反面、サイファーに慰められたことも多かった。
不器用な子供は、存外と根が真っ直ぐで世話焼きで、いつも一人でいるスコールを放っておけず、また他の子供がスコールにちょっかいを出すと、「俺のスコールに触るな」とばかりに割り込んできた。
幼い頃のサイファーが、どういうつもりでスコールに執着していたのか、正確な所は判らない。
だが、昔からロマンチストな気質だった彼が、αとΩの間にある“運命の番”と言うものに憧れていたことは知っている。
幾千幾億と存在する人間の中で、唯一無二の存在に出会えると言うことは、それこそ得難い幸福だと思っていることも。
若しもその相手に逢えたなら、全力で守ってやるんだと、幼心に誓いを立てていたことも、目の前で見ていたから知っている。
それでも、自分が約束したのは彼なのだと、スコールは見下ろす幼馴染を睨んで言った。
「あんたじゃない。俺の“運命”は、あんたじゃない」
「……」
「あんたじゃ、ないんだ……!」
碧眼に映り込む蒼灰色は、涙と悲しみと悔しさで歪んでいる。
瞬きせずとも溢れ出したその雫に、サイファーの手が伸びて、それは触れる前に止まった。
押し留めるようにゆっくりと握り締められた手が退いて、スコールの腕を掴んでいた手も離れる。
ようやく自由になった、とスコールの覚束ない足が立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
走る事も出来ずに遠ざかって行くスコールの背を、サイファーはただ見送っていた。
いつも何気なく歩いている道が、酷く長くて、足が重い。
家までがやけに遠くて、座り込んでしまいたかったけれど、早く愛しい人に逢いたかった。
その一心だけで歩いていたから、名前を呼ぶ声があった事にも気付かず歩く。
「───ール。…スコール。スコール!」
何度目の呼ぶ声だったのかは判らないが、それが辛うじて聞こえてようやく、スコールは顔を上げる。
褐色の瞳がすぐ其処まで駆け寄ってきて、青白い顔をしたスコールの両肩を掴んだ。
どうしたんだよ、と心配そうに覗き込んでくる愛しい人───バッツの顔を見た瞬間、スコールは堪え続けていたものが溢れ出すのが判った。
(どうしよう、バッツ。俺の運命、あんたじゃなかった)
運命なんてバカバカしいと言っていた。
それでも、運命と言うものがあるなら、これが良いと思っていた。
(今はもう、どう思えば良いのかも判らない)
嗚咽を零して泣き出したスコールを、バッツは戸惑った表情を浮かべながら抱き締める。
大丈夫だよと頭を撫でられて、いつもの匂いを嗅ぎながら、スコールはどうしようもない遣る瀬無さに打ちひしがれていた。
『オメガバース設定で、最愛の恋人と運命の相手が違う三角関係』のリクを頂きました。
CPをお任せで頂きましたので、バツスコ前提サイ→スコになりました。
スコールはβだったけど、元々性質としてΩの資質も持っていて、αのサイファーは本能的に子供の頃からそれを感じ取っていたんだと思います。診断上はスコールがβなので、そうと思っていなかっただけで。
二人が離れ離れになってからスコールがΩになり、その時一緒にいたのがバッツで、何かと面倒を見てくれたし、スコールも信頼してるし、バッツもスコールが好きになった。αとΩだし、きっと運命だなって二人で納得してた訳です。番になる約束もしたし。
でもスコールとサイファーが再会してしまい、αとΩとして“運命の相手はこいつだ”と感じ取ってしまったと言う話でした。
サイファーは運命を信じていて、子供の頃からの無自覚の独占欲や恋慕(当時は未満)があって、再会後は自分がスコールと番になりたいことはもう自覚しているけど、スコールの気持ちを無視したくはない。
追い駆けてたのは、お互い明らかに感じ取ってる節があるのに、スコールが逃げてばかりで話も出来てなかったからです。
やっと話せたと思ったら、スコールの方が追い詰められた状態にあると悟って、スコールの気持ちを汲んで追い駆けなかった(追い駆けられなかった)……と言う状態でした。