[ティスコ]君と繋いだ手の先は
試合が近くなれば、ティーダの練習も一層の熱が入り、学校の閉門時間までプールに浸かっていることは珍しくなかった。
必然的に帰りも遅くなる訳で、この期間の家事一切と言うのは、帰宅部のスコールが引き受けている。
平時は当番制で回している家事仕事を同居人に任せきりになることに、ティーダは少なからず罪悪感があるらしいが、スコールは既に割り切っている。
何よりスコールは、ティーダには自分のやりたいことに芯から打ち込んで欲しいと思っているから、そう言ったものに縁がない自分が雑事を引き受けるのは、当然の役回りだと考えていた。
水に親しむスポーツと言うと、夏を連想させることは常であるが、競技大会の開催日はそれに限ったものではない。
屋内プールのあるなしなど、地域の環境によって時期は色々と違いがあるものの、地方大会、それに出場する為の予選などは、季節問わず───時には冬にも───行われるものであった。
学校に屋内プールがあるのだから、ティーダも年がら年中、水に親しんでいる。
恐らく、数としては珍しい類であろう水球部がある上、その筋では強豪校と言われている位だから、学校側もその方面への育成には熱心な訳だ。
ティーダは入学した時から、水球界でキングと名高いジェクトの息子として知られていたし、周囲もそれ故にこの学校を選んだと思っている。
実際、それは間違いではないのだが、本当は水泳や水球と全く縁のない方へ行こうかと悩んでいたことは、幼馴染のスコールだけが知っている事だった。
結局、彼は父の背中を追うことを選び、いつか必ずそれを追い越して見せる、と日々努力を重ねている。
それを昔から見守っているから、スコールもまた、彼が夢を追う姿を隣で応援することを決めたのだ。
水の中で活動し続けると言うことは、陸上での生活が当たり前である人間にとって、かなりの重労働だ。
日々の訓練でそれに耐えられる体作りが成されているとは言え、何時間も水を掻き分けて運動した後となれば、その身体は疲れ切っている。
だから練習を終えて帰ってきたティーダは、夕飯を食べると、すぐに風呂を済ませて、ベッドに入った。
時々、風呂の中で寝落ちることもあるので、スコールは小まめに浴室の様子を確認して、万が一の事故でも起こらないようにと声掛けもしている。
そんな話を、どうやらスコールの兄伝いで聞いたジェクトは、「手間かけさせて悪いな」とスコールに詫びた。
確かに傍目から見ると、随分と甲斐甲斐しいことをしているように見えるのかも知れない。
嫌々にしている訳ではないし───時々、やっていることの手間の多さに、判っていながらの溜息は零れるが───、自分からやっている事なのだから良いんだ、とスコールは思っている。
そして、スコールのこうした細々とした気配りと、ティーダ自身の努力の甲斐あって、強豪ひしめく予選大会は無事に突破された。
此処からまた二ヵ月ほどの期間が空いて、全国大会が開催されることになる。
勝って兜の緒を締めよ、と監督からは生徒たちに告げられたそうだが、とは言っても、一先ずは張りつめた緊張を緩めることに怒る事はあるまい。
寧ろ、予選を無事に突破できた祝いと、次に向けた弾みをつける為、部に所属する生徒たちには、しばしの休息と自由が与えられることになった。
ハードな練習メニューをこなす日々を越え、全国大会への切符も手に入れて、ティーダは意気揚々としている。
その気持ちのままに、今日は遊びに行きたい、と言った彼に、スコールも付き合うことに否やは唱えなかった。
インドア気質のスコールにとって、休日であろうと外に出るのは聊か腰が重い所はあったが、ティーダと二人で出掛けると言うのも、随分久しぶりの事なのだ。
「デートしたい」と臆面もなく言った同居人兼幼馴染兼恋人に、存外と悪態も出てこないスコールであった。
かくして迎えた日曜日に、スコールとティーダは揃って街の中心地へと繰り出していた。
最先端のファッションや、テレビでもよく取り上げられる飲食店が、所狭しと並ぶ街道を、溢れるような人混みの中に紛れて進む。
日々のやり繰りで貯めた資金は、こう言った時に楽しむ為のものだ。
学生の割りに、普段は質素倹約な生活を送っている二人は、ここぞとばかりにそれを放出する事にしていた。
三日前にテレビで見たクレープ屋は、人が並んで三十分待ちだったが、折角なので並んで買った。
零れんばかりに盛られたフルーツやらクリームやら、ティーダは大きな口を開けてそれに被り付く。
その隣で、スコールは小さなプラスチックスプーンを使って、巻かれたクレープの具を摘まみながら、時々皮を齧っている。
「うんまぁ~!流石、テレビで紹介されただけあるっスね」
「……ん。でも量が多すぎる」
「こんなもんスよ、クレープって。甘いもの食ったら、しょっぱいもの欲しくなるな。ポテトとか欲しくない?」
「まあ……少しは」
ないかなあ、ときょろきょろと首を巡らせるティーダ。
スコールは溶け始めているアイスを舐めて、食べきれるだろうか、と減る気配のない具を見つめる。
昼食替わりの買い食いをして、腹を適当に満たした後は、映画館に入ってみた。
今ヒット中のタイトルの上映が始まる所で、チケットを買って観劇する。
アニメタイトルならばそれ程難しい内容でもないだろう、と見てみたそれは、物語が二転三転とテンポ良く進む。
スコールはそれ程刺さることはなかったが、アクションが派手だったことで、ティーダが大興奮していた。
映画など、専ら決まった曜日にテレビで放映されるものを流し見するだけだったから、全編をしっかり通して見たのは、子供の頃以来かも知れない。
偶には良いもんだな、と言うティーダに、彼が楽しそうならばと、スコールもなんとなく満足した気分になった。
あとは、本屋に寄ったり、インディーズものを多く取り揃えている音楽ショップに入ったり、仮装のような服を扱っているブティックを覗いたり。
人込みの中を歩くのはスコールには疲れるものだが、あっち行こう、次はあっち、と手を引くティーダの楽しさに引っ張られるのは、悪い気はしなかった。
こんな風に二人で出掛けること自体、久しぶりだったのだ。
真夏の太陽のようにきらきらと輝くティーダの表情を見ているだけで、スコールも伝染したように口元が緩む。
とは言え、元々が出不精な性質のスコールであるから、午後のピークを過ぎる頃には疲れている。
休憩にと入った全国チェーンのカフェで、それぞれ飲み物を注文して、今日を振り返った。
「あー、いっぱい歩いたっスね。映画見て、服買って、飯も食って」
「一週間分は歩いた」
「スコール、外出ないっスからね~」
「用もないのに出る必要もない。最近までずっと暑かったし」
今年の夏は随分と長引いて、つい一週間前まで、とても外で過ごせる気候ではなかった。
ティーダも屋内プールであったから部活が出来ていたが、他の屋外で過ごす運動部の大半は、熱中症を警戒して部活休止になったとか。
空調のある体育館で代替えした部もあるそうだが、交流試合などの予定がご破算になる事も少なくなかったと言う。
そんな状態で出掛けるなんて、買い物など生活に必要なものであっても、最低限で済ませておきたいものである。
それが今週に入って、ようやく気温が低下して来た。
夜は急に冷え込むようになったので、これはこれで体が堪えそうなのだが、とにかく夏は終わったらしい。
そうでなければ、今日こうやって二人で出掛ける事もなかっただろう。
ティーダは氷の入ったパイナップルジュースを飲みながら、さてと、と言った。
「後はどうしようか。気になってる所は大体行った気がするなぁ」
「此処から家に帰る時間を考えると……買い物もして行くから、良い時間になると思う」
「えー、もう帰るつもりなんスか?」
帰宅時間の計算しているスコールに、ティーダは気が早いなぁと眉根を寄せる。
人込みを歩いてスコールが疲れているのは理解しているが、久しぶりの二人での外出───デートなのだ。
もう少しだけこの二人きりで過ごす楽しい時間を続けたい、と言うのがティーダの本音であった。
ティーダのその気持ちは、幼馴染のスコールも、想像できない訳ではない。
彼に手を引かれ、あっちへこっちへ赴いて、ころころと表情が変わるティーダを見ているのは楽しかった。
二ヵ月後に控えている全国大会の予定を思えば、練習が再び始まるまで遠くはないし、そうなればまた二人で出掛けるなんて出来なくなるだろう。
けれど、とスコールは程よい温度に冷めたコーヒーを一口飲んで、
「つい最近までバカみたいな暑さだったから、忘れそうにもなるけど。もう秋なんだぞ。すぐ暗くなるんだから、その前には帰りたい」
「そういや、6時過ぎるとあっと言う間だもんな」
秋の夕刻は、あっと言う間に陽が落ちる。
二人が一緒に暮らしているアパートの周辺は、少々入り組んだ小道が多く、灯りが少なかった。
治安が悪いと言う訳ではないのだが、時折不穏な話も耳にするもので、やはり、暗くなってから歩くのは出来るだけ避けたい、と言うのがスコールの気持ちだ。
ティーダはジュースの底をストローでくるくると回しながら、頷いた。
「じゃあ、これ飲んだら帰ろっか。で、レンタル屋でDVDとか借りて行かない?」
「何か見たいものでもあるのか」
「今日の映画で見た奴の、本編。あれって、テレビでやった奴の続きだったみたいでさ」
折角だから本筋の方も見ようかなって、と言うティーダに、スコールも構わないと言った。
支払いを済ませて店を出ると、夕刻の人波に紛れて、駅へと向かう。
太陽はビルに向こうに隠れてしまったようで、通り一体が影を作り、気温も少しずつ下がっていた。
道に連なって軒を出している店々も、看板やポップのLEDライトが点灯し始めて、少し早めに夜の準備を始めようとしている。
道を歩く足を迎える風は、随分と涼しい。
夏の装いもそろそろ撤収だろうか、と思う気温になりつつあるが、快晴の日はまだ暑いと感じるので難しい所だ。
これなら夕飯は温かいものでも良いかも知れない、とスコールが思っていると、
「スコール」
名前を呼ばれて隣を見ると、幼馴染の顔がある。
夏の海によく似た色の瞳が、にっかりと笑いかけて、ティーダは左手を差し出した。
空の左手、それを見たスコールの眉間に皺が寄る。
「……いやだ」
ティーダが言わんとしていること、誘っていることを読み取って、スコールは苦い表情で言った。
それをすることが嫌いとは言わないが、こんなにも沢山の人がいる所でなんて、スコールにはハードルが高い。
だが、ティーダは構わず、スコールの右手を握る。
「良いじゃん。どうせ誰も見てないし」
「そう言う問題じゃなくて……」
「それに、今日はもう何回も繋いだだろ。今更だって」
ティーダのその言葉に、スコールは益々眉間の皺を深くするが、彼の言うことも最もなのだ。
今日一日、街を歩き回っている間、何回ティーダに手を握られただろう。
あっちに行こう、と思いつくままにティーダが手を引くものだから、スコールは流れのままに、その手に従った。
そうしているとティーダが楽しそうに嬉しそうにするから、嫌がる意味も、拒む理由もなかった。
半日もそんな調子で過ごしていた癖に、今になって拒否を示した所で、何の説得力もない。
耳を薄らと赤くしながら睨むスコール。
ティーダにとっては全く見慣れた顔だから、握った手は当然離される事はなく、寧ろぎゅっと強く繋がれる。
「まだ人もいっぱいしるしさ。逸れたら大変じゃん」
「携帯で連絡取れるだろ」
「でも逸れないのが一番だろ?」
「……駅まで一本道だ。逸れようがないだろ」
「万が一ってやつ」
ティーダは何が何でも、繋いだ手を離すつもりがないらしい。
判り切っていた事だが、スコールは募る気恥ずかしさに、殆ど意味のない抵抗をしていた。
結局の所、押し負けるのはスコールの方だ。
冷静に見えて短気な所のあるスコールが、何事も粘り強いティーダに勝てる訳もなく、何より、冷え始めた街の空気に対して、繋いだ手の暖かさは手放し難い。
絶えない人波の中を、行こう、と引いてくれる手は、子供の頃からスコールの大好きなものだった。
電車の中では、離すように言おう。
近付く駅にそんなことを考えているスコールだったが、それも形ばかりのやり取りで終わってしまうのであった。
10月8日と言うことで、学生の休日デートに行かせてみた。
外出の類には、用事がなければ腰が重いスコールを、ティーダが連れ回すのが常のようです。
ティーダも好きに場所を選んでるように見えて、ちゃんとスコールが興味を持ちそうだったり、本気で嫌がりそうな所には連れて行かないので、さり気のない気配りも効いています。
きゃっきゃしてる男子高校生の手繋ぎは大変良い。