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2013年08月08日
秩序の戦士だとか、混沌の戦士だとか、神々の闘争だとか。
元の世界に帰るとか。
正直、どうでも良かった。
ある日、秩序の聖域が、俄かに騒がしくなった。
仲間の一人が姿を消したのだ。
その人物は、リーダーの忠告を無視して、度々単独行動をしていた。
いなくなったと判明する数日前にも、彼は単独で秩序の聖域を離れていて、そうするだけの実力がある人物だったから、誰も気にしていなかった。
ああまたか、懲りないなあ、後でリーダーと揉めるだろうから、仲裁してやらないと。
そんな程度で暢気に考えていたら、一日、二日、三日四日と時間が過ぎて、いつまでも戻らない彼に、流石にこれは妙だと気付いた。
まさか彼が敵に負ける事などあるまいと、秩序の戦士達は方々を探し回ったが、一向に彼の姿は見えない。
若しも彼が死ぬ事があれば、秩序の女神がその気配の消失に気付く筈だ。
戦士達が彼女に問えば、気配は確かに、この世界に残っていると言う。
けれども、彼の姿は見付からず、どれだけ探し回っても、その影さえも見付ける事が出来なかった。
同じ頃、混沌の地で、奇妙な出来事が起きていた。
混沌の戦士が一人、忽然と姿を消したのだ。
その人物は、混沌の戦士の中では、云わば“穏健派”とでも言うのだろうか。
魔人や幻想のように、理由もなく秩序の戦士と戦う事をせず、剰え一部の秩序の戦士とは親しげに会話を交える事もあった。
本質は秩序として召喚されるべき戦士だったのではないかと、口にしたのは誰だったか。
彼はその言葉に、「さて、どうかな。此方に召喚される性質があったから、混沌に呼ばれたんじゃないか」と言っただけで、要するに、どちらでも構わなかったと言う事だ。
秩序の戦士と混沌の戦士が総力戦でぶつかる時でさえ、彼はその場に向かう事はしない。
戦いの結末はどうでも良い、とでも言うように。
そんな彼が固執する人間が、秩序の戦士の中にいた。
それは隠された関係ではなく、時には彼の前で、己の陣営である筈の混沌の戦士に剣を向ける事もあった。
大樹が何度か裏切り者として断罪しようとしたが、彼はそれを力付くで退けた。
“浄化”を知っている彼は、断罪される事で全てを忘却する事を拒んだのだろう。
そして、彼はあくまで“混沌の戦士”としてこの世界に属し、一人の秩序の戦士に固執しつつも、寝返ろうと言う気配は見せようとはしなかった。
だから彼が姿を消した時、ああ遂に寝返ったか、と誰もが思った。
彼が殊更に固執していた秩序の戦士の下に、遂に行ったのだと。
秩序の戦士達は考えた。
殊更に、彼に固執していた混沌の戦士がいた事を。
彼は、混沌に召喚された事が疑問に思える程、秩序の戦士達に対して柔らかい態度で接していた。
己の味方である筈の混沌の戦士に剣を向けこそすれ、秩序の戦士には絶対に剣を向けない。
きっと夢想の父や、騎士の兄と同じで、何かの間違いで混沌に召喚されてしまっただけなのだと、いつしか秩序の戦士達も思っていた。
若しかして、あの混沌の戦士が、彼を誑かしたのではないか。
そんな事は有り得ない、と若い戦士達は言ったが、他に可能性が考えられないのも事実だった。
秩序の戦士達は、混沌の戦士達と相対し、彼を返せと言った。
混沌の戦士達は、知らない話だと言った。
────これは奇妙な事だ、と混沌の戦士達は思った。
秩序の戦士の下に行ったとばかり思っていた男を、秩序の戦士達は知らないと言う。
果て、それでは彼は、そして姿を眩ましたと言う秩序の戦士は、一体何処へ。
秩序の戦士達と、混沌の戦士達が相対していた頃。
一人の青年と、一人の少年は、海にいた。
浜辺の近くの転送石は、粉々に砕けて散っている。
これって壊れるんだな、と言った少年に、青年が、試してみたら壊れた、と言った。
これからどうしようか、と青年が言った。
彼は少年に、この世界がいつまでもいつまでも繰り返されている世界だとは、伝えなかった。
言えば彼は傷付いて、絶望して、泣いてしまうだろう。
折角二人で過ごせる場所に辿り着けたと思ったのに、と。
世界は何度も何度も繰り返される。
秩序の女神が敗北し、秩序の戦士達は浄化され、この世界で過ごした日々を忘れる。
青年は、それを何度も何度も見続けて、少年が何度も何度も浄化されるのを見て来た。
何度思いを繋げても、次の世界で少年は全てを忘れて目覚め、また一からやり直し。
気が狂いそうになる繰り返しを、青年は何度も何度も見て来た。
どうしようか、と言った青年に、少年は、あんたとずっと一緒にいたい、と言った。
何度も何度も繰り返された世界で、彼がその言葉を音にして伝えたのは、初めてだった。
青年は嬉しくて、少年を抱き締めた。
青年と少年が、手を繋ぐ。
良いのか、と言う言葉は、何度も何度も確かめた事だったから、もうどちらも言わなかった。
お互いの事しか見えないから、見たくないから、振り返りたくないから、此処まで来た。
青年は、少年の手を引いて歩き出した。
浄化の影響が及ばない場所がある事は、この世界をくまなく歩き回って、判明した。
それがこの小さな島に存在する、幾つかの深い深い歪の奥底だ。
其処まで少年を連れて行けば、もう秩序の女神が敗北しても、少年が浄化される事はない。
その代わり、輪廻の輪からも外れて、いつしか元の世界に戻る事も出来なくなると言う話だが、それこそ青年にとっては嬉しい話だった。
…あの世界の因果律が、これで壊れてしまうと判っていても、それこそ、青年が望む事だった。
そんな青年に対し、少年がどうして彼について行く事を決めたのか。
浄化が繰り返され、その度に全ての記憶を失った少年だが、人の心は時として、記憶よりも強く残る事がある。
思いを抱き、消され、また抱き、また消されと繰り返された心は、少しずつ蝕まれて行くようになる。
手に入れた筈なのに、手に入れて貰った筈なのに、もう一度逢う時には何も判らなくなる。
判らなくなるのに、感じるものがあって、また消えて、また感じてと、繰り返される。
元々が淋しがり屋な気質であった彼にとって、失う事を、繋いだ手が離れてしまう事を嫌う彼にとって、それは記憶になくとも繰り返し心を切り刻まれるようなものだった。
やがて彼の心は疲弊し、ようやく繋ぐ事が出来た手を、失わない為にはどうすれば良いのか考えるようになった。
いつの間にかその思考は、傭兵として培われた意識を塗り潰し、繋いだ手を失う恐怖に怯えるようになった。
この手を失う事が、その恐怖から解放されるのなら、それで良い。
けれど、秩序と混沌が争い続けるこの世界では、いつかどちらかの命が摘まれて、消える日が来る。
この手があれば、それだけで良いのに、彼が混沌で、自分が秩序にいる限り、それは絶対に叶わない。
だから全てを投げ捨てて、彼と手を繋いでいたいと、思った。
どれ程か、地上が随分と遠退いた頃。
とん、と少年が青年の背に身を寄せた。
此処まで来たら、引き返せない。
もう地上へは戻れない。
仮に戻ったとしても、その時にはきっと、世界は浄化されている。
青年の事も、少年の事も、秩序の戦士達は覚えていなくて、戦いを棄てた青年も、居場所はない。
望んでもいない宿命から、戦いの輪廻を。
自分自身で撒いた、運命の種を。
全て棄てて、二人は静かに目を閉じた。
繋いだ手が、いつまでも此処に在る事だけを、信じて。
いつかの未来、全てが失われた世界が来ても、きっと彼らは目を開けない。
ある筈だった未来が消え、あった筈だった過去が消えても、きっと彼らは気付かない。
繋いだ手から伝わるものだけが、彼らが求める真実だから。
88の日で『ヤンデレオン&ヤンデレスコールで、メリーバッドエンド』とのリクを頂きました。
……ヤンデレ要素が見えなくなってしまった……
二人きりで、何処かに行きたいな。
突然のレオンの言葉に、そうだな、と言う返事をすると、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「何処に行きたい?」
訊ねて来たレオンの手には、本屋で買って来たのか、旅行雑誌があった。
テーブルの上にも、発行元を問わずに様々な旅行雑誌が詰まれており、国内は勿論、海外の案内雑誌もある。
言葉の壁なんてものは、レオンにとっては大した壁にはならない。
大学を卒業後、海外を飛び回る仕事をしていたから、英語は勿論、挨拶や基礎会話程度であれば、10ヶ国語位は余裕で話せるのではないだろうか。
ほら、これ、とレオンが雑誌をスコールに見せる。
其処には如何にも南国と言った風の写真が載せられており、お薦めプランが綴られている。
「ホテルがバンガローで、それぞれにプールもついてる。海も近い」
「……うん」
「大通りも近いから、食事も色々楽しめそうだ。ああ、バンガローにキッチンがあるから自分で作る事も出来る」
「…ふぅん」
「バーベキューセットも貸出してるそうだ」
殊更に楽しそうに、嬉しそうに語るレオン。
スコールは相槌を打ちながら、そんなレオンの話を聞いていた。
レオンの顔はとても穏やかで、安らかで、幸せに満ちている。
それを見ているだけで、スコールもなんとなく、自分が幸せの中にいるような気がした。
そして、それは強ち間違っていなくて、けれど少し、違う。
窓の向こうで、鳥が鳴いている。
なんと言う名前の鳥だったのか、レオンに教えて貰った筈だが、スコールはもう覚えていない。
レオンから聞く話に興味がない訳ではないのだけれど、やはり、動物そのものに興味がないので、記憶には長く残っていてくれないようだった。
恐らくレオンの方も、スコールに鳥の名前を教えた事は、覚えていないだろう。
「水着、あったかな。ないなら、行く前に買わないとな」
「向こうで買えば良いんじゃないのか。あるだろ、近くに。そういう場所なんだし」
「売ってはいるが、サイズの規定がこっちと違うからな。丁度良いサイズがないかも知れない。こっちで買ってから持って行った方が、失敗しなくて済むぞ」
「……そうか」
仕事柄、色々な所に足を運び、自分の目で見て来たレオンが言うのだから、間違いではないだろう。
素直にスコールが頷くと、じゃあ来週にでも、とレオンは言った。
性急過ぎるとスコールが思う事はなく、もう一度こくんと頷けば、レオンはやはり嬉しそうに笑った。
こっちも良さそうだぞ、とレオンが別の雑誌を開こうとする。
其処で、スコールのポケットの中で、携帯電話が鳴った。
「…ちょっと」
「ああ。友達か?」
「……ん」
そうか、と言ってレオンは雑誌を開いた。
スコールは二人で座っていたソファを離れ、リビングを出る。
廊下とリビングを隔てる扉には、大きな覗きガラスがあって、向こう側の相手の姿を見る事が出来る。
スコールはガラスの向こうのレオンを見ながら、携帯電話の通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『もしもし、スコール?』
「…ああ」
今大丈夫か、と訊ねて来る電話の主は、ラグナだった。
レオンとスコールの実の父親であり、大会社の社長を務めている。
レオンは、大学を卒業後、直ぐに父の会社に入社し、その手腕を発揮して、めきめきと業績を上げていた────一年前までは。
電話の向こうの父の声は、とても消沈していた。
無理もない事だと、スコールは知っている。
『レオン、どうだ?落ち着いてる?』
「ああ。昼間は、一応。夜になると、まだ判らない」
『どんな感じなんだ?』
「……眠れない事がある。眠っていても、朝になったら酷い顔をしてる時がある」
スコールの言葉に、そっか、と父は小さな声で言った。
覗き窓から見えるレオンの姿は、スコールが幼い頃から見て来た兄のものと、特に変わらない。
パソコンに向かって書類を書いたり、考え事をしている時と同じ表情で、彼は雑誌を読んでいる。
視線に気付いたのか、顔を上げたレオンが、扉の向こうのスコールを見る。
ひら、と手を振るレオンに、スコールも小さく手を振った。
電話の向こうで、父が潜めた声で言う。
『あのさ、スコール。レオンの事、お前にしか頼めないから頼んじゃったけど。お前は大丈夫か?』
「問題ない」
『本当か?無理するなよ』
「大丈夫だ。それより、レオンが海外旅行に行こうって言ってる。行っても良いか」
『え?───ああ、うん、えーと……』
電話の向こうで、がたがたと騒がしい音がする。
スコールは、のんびりと父の返事を待つ────つもりだった。
徐にソファから立ち上がったレオンが、扉へと近付いて来る。
カチャ、と扉を開けると、レオンは何も言わずにスコールの腕を掴んで、抱き寄せた。
突然の出来事であったが、スコールの表情は平静としたまま、レオンの背中を抱き締める。
もしもし、と父の声が聞こえたが、後でかけ直した時に謝ろう、と決めて、通話終了のボタンを押した。
ぷつ、と通話が切れて、父の声が聞こえなくなると、レオンは言った。
「何処に行ったのかと思った」
先程まで同じ部屋にいて、電話だから、と言って席を離れたスコールの事を、彼はもう覚えていない。
スコールは微かに震えるレオンの背中を、あやすように撫でる。
「何処にも行かない。ずっと一緒だ。約束しただろ」
「……約束……」
「俺が、子供の頃に」
「…ああ、うん。そうだな。約束した。ずっと一緒だって」
ずっと、ずっと。
大人になっても、ずっと一緒。
それは、スコールもレオンも、今よりもずっとずっと幼かった頃の、小さな約束。
その約束だけを、レオンはずっと忘れない。
大人になって、スコールと一緒にいる時間がないほど、海外を飛び回っていた事を忘れても、スコールと一緒に過ごした時間の記憶だけは、忘れなかった。
だから今のレオンの記憶には、スコールと共に過ごした時の記憶しかなく、スコールが傍にいない時の事は、ふとした瞬間にぷつりと消えてしまう。
だから、スコールがほんの少し部屋を離れている間に、自分が一人で何をして過ごしていたのかさえ忘れて、長い長い時間をスコールと離れて過ごしていたかのような錯覚を起こす。
そして、覚えていない筈なのに、大人になってからスコールの傍にいられなくなった事をまるで罪であったかのように感覚的に覚えていて、大慌てでスコールの姿を探すのだ。
だから夜も、目を覚ました時にスコールがいなくなってしまったりしないか心配で、彼は眠る事が出来ない。
一晩でも二晩でも起き続けて、若しもスコールが怖い夢を見て目を覚ました時、直ぐに慰められるように眠らずにいるのだと言う。
スコールが一人ぼっちで淋しくないように、傍にいて、直ぐに抱き締めてやれるように。
何処にも行かない、ずっと一緒。
その言葉がレオンを苦しめて、その約束がレオンをこの世界に繋ぎ止めている。
「ほら、レオン。旅行の話。さっきの」
「ん……ああ」
「何処に行くんだ。俺、あんたが行きたい所なら、何処でも良い」
「そうか?俺も何処でも良いんだけどな。お前と一緒に行けるなら」
仕事をしていた時、一人で飛び回っていた世界の事を、レオンは殆ど覚えていない。
知識として覚えた事は記憶しているけれど、その地を自らの足で踏んだ事を、彼は思い出せない。
今のレオンにとって、スコールと共に過ごす世界だけが、彼の全てなのだ。
「じゃあ、さっき言ってた所。行こう」
「バンガローの奴か。ああ、良いな。電話で予約しておこう。他にも観光スポットの事が書いてあったから、行きたい所がないか見ると良い」
「……レオンは、一緒に行くのか」
行きたい所に、一緒に行ってくれるのか。
訊ねると、レオンは「ああ」と頷いて、嬉しそうに笑った。
スコールに、行きたい所がある訳ではない。
けれど、若しも何処かに行くのなら、その時はレオンと一緒が良いと思う。
レオンの記憶がとか言う話ではなくて、ただ純粋に、レオンと一緒にいられる事が、スコールは嬉しい。
レオンが心の一部を失くして帰って来た時、それが自分の所為だと知って、戸惑った。
けれど、自分だけが欠けてしまったレオンの心を支えられるのだと知って、嬉しかった。
きっと誰もが、レオンの欠けた心が癒える日を待っている。
自分も待っている、待っているけれど。
自分の顔を見て、酷く嬉しそうに笑う彼の顔が好きだから、もう少しこのままでいたいと思う。
88の日で、『レオンが病んでいて、スコールが健常者なほのぼの』とのレオスコリクを頂きました。
シリアスのほのぼのの隙間になったが、良かったのだろうか。
無意識に弱ってるレオンさんは書いてて楽しかったです。
クーラーの風がほどよく当たる場所で昼寝をしていたら、何かが風を遮った。
部屋の温度は適温まで下がっているので、風が当たらないからと言って、一気に熱くなる事はない。
とは言え、心地良く感じていた風が途絶えたのは、少々不満が沸かないでもない。
────が、それを気にしていられたのは、ほんの数秒。
かぷ、と耳を噛まれて、レオンは目を開けた。
ぼんやりと眠気の残る視界に、細い身体と、ゆらゆらと揺れる黒の尻尾が見えた。
何処か楽しそうに、と言うよりも、興奮気味にぐるぐると円を描きながら揺れる尻尾。
何とはなしにそれを眺めていると、もう一度、かぷ、と頭の上の耳を噛まれる。
「…どうした、スコール」
一緒に住んでいる、もう一匹の猫の名前を呼んでやる。
すると、レオンの頭の上────耳元に埋められていたスコールの頭が離れたのが判った。
身体の上に覆い被さっていたスコールが退いてくれたので、レオンは起き上がった。
眠気で少しくらくらとする頭を振って、睡魔の名残を追い払って、ついでに目を擦る。
そんな事をしていると、傍らの気配が動いて、レオンの頬をぺろりと舐めた。
「スコール?」
「……ん」
名を呼ぶと、ごくごく短い返事があった。
自分と同じ青灰色の瞳が、近い距離でぼんやりとした光を湛えて見詰めて来る。
なんとなく誘われた気分になって、レオンが顔を寄せると、スコールも同じように顔を寄せて来た。
瞼の上をぺろりと舐めると、スコールはくすぐったそうに目を細め、ゆらり、尻尾を揺らす。
すり、とスコールが身体を寄せ、小さな舌がぺろりとレオンの頬を舐めた。
何度も、何度も、怪我をしている訳でもないのに、繰り返し、まるで甘えたがる仔猫のように。
「なんだ。今日は随分、甘えん坊だな」
「……悪いのか」
ちょっとした意地悪心で言った言葉に、思いも寄らない返事が返って来て、レオンはぱちりと目を瞬かせた。
てっきり、誰が甘えてなんか、と言うとばかり思っていたのに。
何かあったのだろうか、と一瞬考えたレオンだったが、今日は二人とも、ずっとリビングで何事もなく過ごしていた。
若しもスコールに何かあったのなら、同じ空間で過ごしていたレオンが気付かない訳がない。
いつもと様子の違うスコールの顔をじっと見詰めていると、またスコールが身を寄せて来た。
すり、と頬を寄せて、ぺろりとレオンの頬を舐めるスコール。
それだけで十分、甘えん坊だな、とレオンに思わせる行動だったが、スコールは止まらなかった。
スコールはレオンの両肩を捉まえて、膝立ちになり、レオンの頭の上の耳に鼻先を埋めた。
くんくん、と匂いを嗅いだ後で、かぷ、と三度目の甘噛み。
ぴくん、とレオンの耳が動くと、今度は労わるように耳の毛並を撫でられる。
「…スコール、くすぐったいぞ」
「……駄目か」
「いいや。でも、本当にどうしたんだ?」
「……なんとなく」
特に深い理由はない、とスコールは言った。
スコールの身体が下がって来て、青灰色の瞳が真っ直ぐに交じり合った。
レオンの指がスコールの後ろ髪をくすぐると、スコールはふるふるっと体を小さく震わせる。
その反応を見て、ああ、とレオンは合点が行った。
「スコール。お前、発情してるのか」
レオンが言うと、スコールは真っ直ぐにレオンの顔を見詰め返した。
平静とした表情の傍ら、白い頬が判り易く紅潮するのを見て、レオンはくつくつと笑う。
「此処にメスはいないぞ?」
「……レオンがいる」
「俺はメスじゃない」
「………」
拗ねたように眉根を寄せるスコールの表情に、レオンは益々笑みを深める。
そんなレオンを見て、スコールはずい、と顔を近付け、
「メスになんか興味ない」
「ああ、知っている」
「…レオンしか、興味ない」
「それも知っている」
真っ直ぐ、心をぶつけるように告げられる言葉に、レオンは表情を変えずに頷いた。
その反応が益々スコールには不満だったのだろう。
むぅ、と子供のように唇を尖らせて、スコールは掴んでいたレオンの肩を押した。
とすっ、とフローリングの床の上に倒される。
その上にスコールが馬乗りになって、レオンの喉元に顔を寄せ、────カリッ、と小さく刺さる痛み。
「────……っ」
生き物の急所である喉に食い付かれて、反射的にレオンの体が強張る。
けれども、直ぐに労わるように舌が撫でて、レオンはくすりと小さく笑った。
首に顔を埋めるスコールの頭を、くしゃりと撫でる。
するともう一度、ぺろりと首を舐められる。
それから、ちゅう、と吸い付かれたのが判って、レオンは意趣返しのようにスコールの耳の根本をくすぐった。
「……レオン、」
名前を呼ぶ声は、甘えん坊の仔猫を思わせるけれど、それと懸け離れた熱も孕んでいる。
レオンは体の力を抜いた。
それを感じ取ったのか、スコールの尻尾が心なしか嬉しそうに跳ねて揺れる。
頭の上の耳がぴくぴくと動いて、ごろごろと喉が鳴ったのが聞こえたような気がした。
メスなんか、興味ない。
レオンしか興味ない。
そう言われた時、無性に嬉しくて、揺れそうになる尻尾を隠すのが大変だった。
リクで頂きました、猫耳猫しっぽなスコレオ(多分)!
ちなみに、レオンも当然スコール以外に興味ないよ。
ぶつけるように合わさった唇。
がち、と硬い音がしたと同時に、二人は口元を抑えて蹲った。
「っ……!」
「痛……」
折角の雰囲気が、ぶち壊しだ。
口元を押さえながら、スコールは思った。
何度も何度も飲み込んだ言葉を、ようやく音にして、驚く事に受け取って貰う事が出来た。
その時はそれだけで幸せの絶頂に来たような気がしたけれど、日が経つほどに、今度は逆に不安になった。
受け取って貰えたのは、自分が年下だからで、彼が殊更に年下に甘いからで、特にスコールに対しては寛容の言葉を通り越している程に甘いからで。
本当は、自分を傷付けない為に頷いてくれただけなのではないかと思い始めたら、止まらなかった。
誰にも伝えなかったその不安を、彼が一人気付いてくれた時でさえ、スコールの不安は増すばかりだった。
レオンは何もかも、スコールを先回りする。
スコール自身が気付かない、自分自身の事でさえも、彼は気付いてくれる。
それは若しかしたら、とても幸せな事かも知れないけれど、スコールにはただただ怖かった。
ひょっとしたら、スコールが傷付かない為に、スコールが求める言葉を先に考えて、先回りして用意しているんじゃないか────そう思えてならない。
レオンはいつもスコールを子供扱いしているから、スコールの告白も本気だと思っていないのかも知れない。
そう思ったら、不安だった心が、一気に別の方向へと働き始めた。
子供じゃない、嘘じゃない、本気なんだ。
けれど、きっとそれを口に出して伝えても、レオンは判ってくれないだろう。
聡いようで何処か鈍い彼に、自分の気持ちを理解して貰う為には、行動するしかない。
それもスコールは相当なハードルだったのだが、妙に目敏いジタンやバッツのお陰で、聖域に二人きりで残されて、後は頑張れと背中を叩かれた事で、思い切る事を決めた。
………その結果が、キスをしようとして勢い余って歯をぶつけると言う、非常に情けないもの。
「スコール、大丈夫か?」
痛みが引いたのか、いつもの表情に戻ったレオンが、スコールに言った。
スコールはじんじんとした余韻が残るのを隠して、小さく頷く。
「そうか。なら良かった」
「………」
ちっとも良くない。
男として、これ以上ない程に情けない醜態を晒したスコールは、そう思った。
正直な話、キスなんて生まれてから一度もした事がないから、やり方なんて判らない。
物心ついてからの17年間、誰かを好きになった事もないスコールだから、無理もない事だ。
それでも、経験云々はともかく、知識だのイメージだのと言うものはあるから、なんとなく、こうすれば良いんだろうとは思っていた。
向き合って、ゆっくりと顔を近付けて、そっと唇を合わせて─────と、考えていたつもりだったのに、彼が余りにも無防備に目の前に座った瞬間、考えていた事が何もかも吹き飛んだ。
それでも、やらなければ、と一種の使命感に駆られて口付けようとして、……勢い余ってしまった、と言う具合だ。
唇を噛んで、赤い顔で俯くスコールに、レオンが柔らかく微笑みかけている。
慰めるように、レオンの手がスコールの頭を撫でていた。
そうした子供扱いが、またスコールのプライドを刺激する。
「……っレオン!」
「ん?」
頭を跳ね起こして、スコールはレオンの名を呼んだ。
彼は驚く事なく、なんだ?と訊ねて返す。
スコールの目の前にある、柔らかくて優しい、青灰色の瞳。
其処に自分だけが映り込んでいる事が、どうしようもなく嬉しくて堪らない。
けれど同時に、もっと見て、自分だけを見て、と貪欲な感情が生まれるのも確かだった。
スコールはレオンの肩を押して、ベッドの上に押し倒した。
レオンからの抵抗はなく、それはきっと、スコールが今からしようとしている事を、本気に捉えていないからだろう。
(悔しい)
寛容されていると言う事が、赦されていると言う事が。
嬉しいのに悔しくて、悔しいのに嬉しくて。
そんな気持ちをぶつけるように、スコールは己の唇で、レオンの唇を塞ぐ。
一瞬、レオンの身体が驚いたように強張ったのを感じて、スコールの心は俄かに喜んだ。
(俺は、子供じゃない。あんたが思ってるような、子供じゃないんだ)
確かに、初めて抱いた感情に、酷く戸惑ったけれど。
自分よりも年上の男に焦がれて、それは憧れと同じものだと言われたら、否定するだけの言葉も浮かばないけれど。
それでもこの気持ちは、子供が抱くような、ただの純粋な感情ではないと判る。
……とは思いつつ、唇を触れ合わせたまま、スコールは固まった。
これからどうすれば、と戸惑っていると、ベッドの上で投げ出されていたレオンの手が持ち上がる。
やめろと言われても、絶対に離さない、と強い力でレオンの肩を抑えていると、スコールの予想に反して、レオンの腕はスコールの背中へと回された。
「ん……」
「……っ!?」
ちゅく、と何かが咥内に滑り込んで来たのを感じて、スコールは目を見開いた。
生温いそれの正体を本能的に感じ取り、反射的に離れようとするが、背中に回された腕がそれを阻む。
「ん、んっ…!!」
「……っふ……」
「ん……っ!」
レオンの舌が、スコールのそれと絡められ、ちゅく、ちゅく、と音を鳴らす。
歯列をなぞられ、ぞくぞくとしたものがスコールの背中を上る。
しばらくの間スコールの咥内を愛撫していたそれは、やがてスコールの舌を誘うように撫で始めた。
スコールは、直ぐ近くで青灰色の瞳が何処か楽しそうにしているのを見て、我に返る。
こんな時まで子供扱いか、と一気に頭が沸騰して、畜生、と思った。
誘うように舌を撫でるそれを捕まえようと試みる。
しかし、レオンの舌はさっさと引っ込んでしまい、唇も離れてしまった。
「っは……!」
「大丈夫か?」
問う声に、スコールは眦を吊り上げて、レオンを睨む。
けれども、レオンは相変わらず、柔らかな笑みを浮かべてスコールを見て、
「キスの仕方は、これで判ったか?」
────その“大人の余裕”を如実に表わす表情が、スコールには憎らしくて堪らない。
いつだって一歩も二歩も先を行って、背伸びをするスコールを愛しげに見詰めている。
此処までおいで、と言うように、両手を広げて、待っている。
もう一度、スコールはレオンの唇を塞いだ。
今度は自分から、レオンの咥内に舌を入れて、彼のそれを絡め取る。
夢中で、一所懸命、目の前の男を貪って。
本当は、余裕の表情の裏側で、彼がずっとずっと待ち侘びていた事は、少年の知る由もない。
スコレオスコ!と言うかもう寧ろ百合だこれ。
頑張ってこっち向かせようとするスコールと、余裕な振りして内心ドキドキしてるレオンさん(言わないと判らない)。
夕飯を終え、今日の内に済ませて置かなければならない課題や仕事を片付けて、交代でのんびりと風呂に入った後は、もう眠るだけ。
寝室にはベッドが二つ、どちらも綺麗にノリの効いたシーツが被せられている。
それぞれのベッドヘッドには、参考書やプログラム構築に関する分厚い書物、プリントや書類ファイルが詰まれている。
そして、二つのベッドの真ん中に置かれたサイドテーブルには、二人の共通の趣味である、シルバーアクセサリーの雑誌やカタログがあった。
隙間に挟まれているトリプル・トライアドを特集したカードゲーム雑誌は、スコールのものだ。
先に寝室に入ったのは、スコールの方だった。
レオンは風呂上りに、会社からのメールのチェックの為、リビングでパソコンを立ち上げていた。
受信メールの確認と返信、作成した書類データを今一度確認し、パソコンの電源を落とす。
やっと休める、と一度背を伸ばしてから、レオンはリビングの電気を消し、寝室のドアを開ける。
寝室の電気は消えており、レオンはドア傍で目が慣れるのを待った。
暗闇の部屋の中で、僅かに影の形が見えるようになった頃、レオンは自分のベッドを見て、ぱちりと瞬き一つ。
「スコール」
誰もいない筈のベッドに、丸くなった布の塊が一つ。
ミノムシ宜しくと言った形のそれに、同居人の名を呼んでみると、びくっと布の塊が動いた。
もう一つのベッドは、シーツが綺麗に整えられたまま、無人。
此方は同居人のベッドの方で、その証拠に、ベッドヘッドには分厚い参考書があった。
其処まで確認せずとも、左はレオン、右はスコールと決まっているので、スコールが自分のベッドではないと判っていて、レオンのベッドに潜り込んでいたのは確かだろう。
寝惚けていたのならともかく。
呼んだ瞬間の反応の後、布のミノムシはまたじっと静かになった。
レオンは零れかける笑みを堪えて、自分のベッドへ上る。
ぎしり、とスプリングが音を鳴らした。
「お前のベッドは、あっちだろう?」
「……」
布の端を持ち上げれば、俯せになったスコールがいる。
返事はなかったが、眠っている訳ではないだろう、とレオンは確信している。
スコールが包まっていたシーツを奪うのは、思いの外簡単だった。
少しは抵抗されるのかと思ったのだが、それも布の端を摘むように握っていただけで、軽く引っ張ってやるだけで解けた。
しかし、スコールは相変わらず俯せになったまま、動かない。
顔を上げないので、レオンにはスコールの表情は判らないが、彼は全身で「こっちで寝る」と訴えている。
そんなスコールに、レオンはくすりと笑みを漏らし、
「仕方ないな。俺はあっちで寝るか」
そう言って、ベッドを下りて隣へと移動しようとする。
しかし、ぎし、とスプリングが鳴ったと同時に、くい、と何かがレオンのシャツの背中を引っ張った。
何がシャツを引っ張っているのか、確かめるまでもない。
想像通りの反応に、レオンはくつくつと笑う。
それが聞こえたのだろう、抗議するようにシャツを握る手がぐいぐいと引っ張った。
堪え切れない笑い声を漏らしていると、もぞ、と背中でスコールが動いた。
笑うレオンの背中がぐいっと引っ張られて、レオンはベッドに倒れ込む。
沈んだ身体に何かが覆い被さって来て、ぎゅう、とレオンの頭を捉まえて抱き締める。
「スコール、苦しいだろう」
「あんたが悪い」
「ああ、悪かった。でも、お前も素直にならないからだろ?」
首に回されたスコールの腕には、大して力が入っておらず、レオンはきっと簡単に振り解けるだろう。
しかし、それでは勿体ない。
レオンは首の腕をそのままに、間近にあるスコールの髪を撫でてやる。
スコールの腕が緩むと、レオンは起き上がり、スコールへと体を向き直らせた。
真っ直ぐに向き合ってみると、スコールはレオンから目を逸らす。
そんな彼の腕を掴んで抱き寄せて、一緒にベッドへ倒れ込めば、おずおずと背中に細い腕が回される。
────ちゅ、と耳元にキスをする。
暗闇に慣れたレオンの目に、真っ赤になった白い耳や頬、首が見えて、レオンはくつくつと笑う。
「可愛いな、お前は」
「……かわいくない」
「可愛いよ」
ずりずりと位置をずらして、レオンの胸に顔を埋める少年の頭を撫でる。
ふるふると、否定するようにスコールは首を横に振ったが、レオンは撤回しなかった。
そうして否定する所も、レオンには可愛く思えて仕方がない。
レオンが心地の良い温もりを抱き締めてじっとしていると、腕の中でスコールがもぞもぞと身動ぎする。
息苦しくなったかな、と思ったレオンだったが、────ちゅ、と首下を微かに吸われる感覚に、微かに肩が震えた。
「……スコール」
「………」
名を呼べば、ぎゅう、と顔を隠すようにレオンの胸に顔を埋めるスコール。
背中に回された腕が、見るなと言わんばかりに爪を立てていた。
きっとレオンの首下には、ほんの僅かに浮き上がる、赤い花があるのだろう。
スコールからこんな事をしてくれるのは、本当に珍しい。
なんの気紛れかな、と思いつつ、レオンは背中を丸めて、スコールの頭に顔を近付け、
「スコール、顔を上げろ」
言うと、スコールはしばらくの沈黙の後、そろそろと顔を上げた。
額にかかる前髪を持ち上げて、キスを落とす。
もう少しスコールの顔が上げられると、目尻に、頬に、少しずつ位置を変えて、キスの雨を降らせる。
スコールはレオンの唇が触れる度、恥ずかしそうにしていたが、その内、身を委ねるように、体の力を抜いた。
リンゴのように赤くなったスコールの頬に手を添えて、そっと持ち上げる。
素直に従い、顔を上げたスコールの唇を、レオンは己のそれで塞いだ。
「…ん……」
「……ぅ、ん……」
背中から離れたスコールの手が、レオンの首へと回される。
緩やかに、甘えるように。
舌を絡めて互いの味を確認し合うように堪能して、ゆっくりと離す。
はぁっ、とどちらともなく熱の篭った呼吸が漏れる。
熱の篭った蒼灰色の瞳が、同じ色の瞳を見詰め、
「……レ、オ……」
名を呼ぼうとするスコールの声を、レオンは塞いだ。
首に回されたスコールの腕に、仄かに力が篭ったのが判る。
二人分の重みを受け止めたスプリングが、抗議するように音を鳴らす。
けれど、それはレオンにも、スコールにも聞こえない。
聞こえるのは、感じるのは、お互いの声と体温だけで十分だったから。
88の日でツイッターより頂いたリク。
『寝る前にベッドでじゃれあう(意味深)レオスコ』でした。
いちゃいちゃレオスコヾ(*´∀`*)ノ