[サイスコ]瓦礫と塵とバースデイ
最悪だ────と言うサイファーの呟きを、スコールは否定しなかった。
そりゃあ確かに最悪だろう、と壁の向こうで未だ止まない銃声と、感情任せの男達の怒号に似た声を聴きながら思う。
彼等のお陰で、散々に方々を走らされる羽目になったので、服はあちこち擦り切れて、皮膚も傷んでいる場所が目立つ。
そこまでの目に遭わせられても、事はまだまだ収まらず、二人を追い回す男達は益々熱狂を持って銃口を向けて来る。
これを最悪と言わずしてなんと言おう。
二人を追い回す男達の声が、姿を隠す崩れた壁の間近に迫る。
自然と息を殺し、気配を殺し、歩調の合わない沢山の足音が近付き、遠退いて行くのを待つ。
どこだ、あっちだ、向こうを探せ、と飛び交う声は、とにかく二人を見付ける事に躍起になっていた。
見付かればどうなるか、過激派テロリストの考える事なんて精々知れているもので、碌な事にならないのは想像に難くない。
夜の帷も降りて時間が経った今、外気温は氷点下近くまで落ち込んでおり、乾いた砂塵が微かな風に巻き上げられて、其処に滞在を余儀なくされている者の目をチカチカと晦ませる。
そのお陰か、結局、二人は見付かる事なく、武器を持った男達は、壁の向こうから離れて行った。
研ぎ澄ませた神経で、眼に見えない気配を、その下となる音が近場に潜んでいない事を探りながら、スコールはゆっくりと詰めていた息を吐く。
キンと冷えた空気の中に、僅かに白いものが混じった。
「……行ったか」
「らしいな」
スコールの隣で、ガンブレードの引き金から指を外しながら、サイファーも頷く。
二人の対の傷を抱く眉間には、双方劣らない深い皺が刻まれており、埃塗れの頬に滲む汗もあって、どちらもかなり疲労している事が解る。
それだけ、二人は追い詰められているのだ────表向きは。
壁に背中をぴったりと当て、瓦礫の向こうを覗き、外部の様子を伺いながら、スコールは「……時間は?」と訊ねた。
サイファーも崩れた天井の穴を睨みながら、手探りでコートの中にある懐中時計を取り出す。
チ、チ、チ、とごくごく小さな音を刻む針を確認して、サイファーはもう一度呟いた。
「最悪だ。天辺越えだ」
日付が変わった、とサイファーは言った。
やっとか、とスコールが思っていると、サイファーは憎々しい声で続ける。
「折角の誕生日だってのに、こんな色気もねえ場所で迎えなくちゃならんとは」
「ああ……そう言えばそんな日もあったな」
「おまけに恋人はこの有様だしよ」
スコールの素っ気ない、所か興味もないと言う返しに、サイファーは益々苦い表情を浮かべる。
傷ついたと言わんばかりの声であったが、スコールは気にしなかった。
それより、ぎりぎり聞こえるか聞こえないかと言う場所から聞こえて来る声の方が、スコールには重要な情報源であった。
スコールが聞こえている位の声なのだから、サイファーも聞き留めているだろう。
が、サイファーはその声の気配に構わず、ぶつぶつと苦い言葉を吐き出しながら、手許の愛剣に新たな弾を込めている。
「こっちは色々と計画してたし、少しは期待もしてたんだぜ」
「例えば」
「うちの恥ずかしがり屋の恋人が、人目を忍んでこっそり用意したプレゼントを、何処でスムーズに受け取れるようにしてやろうかとか」
「そんな物好きがいるものなんだな」
「忙しい恋人に期待だけするのも難だろうって、敢えて俺からディナーの招待でもしてやろうかとか」
「ドールのホテルの最上階にあるレストランを勧めておく」
「ああ、良いな。何せあそこは個室もある。そう、そこのスイートルームって案にあったんだぜ」
「じゃあそこのシングルで」
「ダブルに決まってんだろうが。いや、どうせならキングだな。豪華なもんだろ」
「ああ、豪華だ」
「まあ、全部ご破算な訳だが」
見ての通りに、とサイファーは再度穴の開いた天井を仰ぐ。
ミサイルでも落とされたか、或いは爆発物でも放られたか、其処にはぽっかりと穴が開き、満点の星空が見えている。
其処だけ見れば多少ロマンチックに見えなくもないが、散らばる瓦礫と、火薬と灰燼の匂いが充満していては、ロマンなど何処にもありはしない。
色々と計画を立てていたのに、何もかも駄目になった、と呟くサイファーは心底悔しそうだ。
「ったく、テロリスト崩れを捕縛するだけで、こんな面倒な作戦をしなくちゃならねえなんてよ」
「人質がいるんだから仕方がないだろ。そっちの救助が最優先って依頼になってるんだから」
「だからってこんなでかい釣り針を使う必要があるか?」
「お陰であっちは追い回してくれてる。陽動には十分役に立った」
「十分どころか十五分だ。向こうもその程度の連中だってこった」
埃に塗れた顔を、やはり埃に塗れた服の袖で拭いながら、サイファーは忌々しげに呟く。
もっと簡単に済ませてやる方法も、短時間で終わらせる方法もあるのに、それを取れなかった依頼内容が憎い。
それは正直な気持ちも言えばスコールも同じで、こんな回りくどい方法を取るなんて面倒臭い、と思っている。
────バラムガーデンに寄せられた今回の依頼は、緊急に瀕したものであった。
昨今、鎖国を解いたエスタに、外交政策も踏まえて他国の外交官が訪れたり、駐在官を置く機会が増えるようになったのだが、その中に、強い魔女心棒の者がいた。
嘗ては魔女が納めた科学大国、今はバラムガーデンと並んで魔女戦争終結の立役国となったエスタは、魔女心棒の人間にとって、様々な意味で強い懸念と誘惑を齎すものだったらしい。
外交官としてエスタの地を訪れた魔女心棒者は、十七年の鎖国を経て尚、エスタ内でも不穏分子として警戒されていた、嘗てのエスタ大統領であり魔女であったアデルに心酔する者達と、密かにコンタクトを取っていた。
そして再び魔女が全てを支配するべきであると謡い、エスタを訪れていた他国の外交官や、その側近たちを拉致したのである。
拉致された人々を解放して欲しければ、現エスタ大統領のラグナ・レウァールと、“魔女戦争の英雄”であるスコール・レオンハートを処刑せよ、と言うのが彼等の要求だ。
当然ながら、とても応じれる話ではない為、エスタもバラムガーデンも飲む訳がないのだが、人質は救助しなくてはならない。
其処で、スコール自らが彼等の要求に応じる格好で前に出て、人質救出の時間稼ぎをする事になった。
相手が徒党を組んでの集団である事から、流石にスコール一人を行かせる訳にもいかず、かといって大人数で出向くのはあちらの要らぬ刺激になると、最大かつ最低限の戦闘力として、サイファーが駆り出されたのである。
かくして、人質の受け渡し場所として指定された、エスタの都市外周にある既に廃棄された地区にて、スコールはテロリスト達の前に現れた。
その場で銃殺刑を敢行しようとする彼等を、サイファーが乱入する形で阻止。
そのサイファーの乱入の直前には、通信でキスティス達から人質が押し込められていた拠点を制圧したと情報が入っている。
後は人質の安全が確保されるに至るまで、二人はテロリスト達からつかず離れず、且つ大立ち回りで彼等の眼を引く役目を担っていた。
陽動と言うのは、存外と面倒で気を遣わなくてはならない。
不審に思われない程度の損耗を与えながら、必要以上の増援を誘発する事なく、捕まらないが捕まりそうな距離を保つ。
恐らくは人質の救出については、途中であちらにも情報は伝わっている筈なのだが、其処で人質を奪い返されない為にも、人員を割かれないようにもしなくてはならないのだ。
だから余りに派手に暴れると、此方は手が付けられないと判断されてしまい、逃げに徹されるか、人質の再度確保に向かわれると厄介なので、それも加味しての応戦が求められる。
腹を空かせた魔物の大群の相手をするよりも、スコール達にとっては厄介な任務だった。
「お陰で俺の計画が全部台無しだ」
苦々しく吐き捨てるサイファーは、今日と言う日をこんな瓦礫埃の場所で迎えた事を、心底悔しがっている。
こんな風に、彼曰く『ロマンティックな計画』がお流れになるのは珍しい事ではなかったが、こうも愚痴る様子からするに、大分気合を入れていたのだろう。
後で何処かに休みを捻じ込んで、ついでに自分の休みも合わせてやらないと、臍を曲げ続けていそうだな、それはこの任務より面倒だ、とスコールは思った。
「大体、俺まで出張る必要があったか?あんな小物に、大層豪華な餌じゃねえか。飲み込める訳がないだろ」
「大きい方が食い出があるだろう。餌が目立てば遠くからでも寄って来るし」
「川底で苔つついてる奴が、自分よりでかい獲物が食えるかよ」
「時間をかければ食えるかもな。微生物だって大体そうだ」
「こちとらそんなに暇じゃねえ。ったく、さっさと帰ってこの美味い飯を鱈腹食いたいもんだ。そうだろ?」
「一人で食ってろ」
「お許しが出たな。骨までしゃぶりつくしてやる」
サイファーの言葉から滲む暗喩の気配に、スコールは肘で傍らの男の横腹を突いた。
いてぇ、等と欠片も思っていない声が返って来る。
そんなスコールの胸元で、小型の通信機が小さく着信を知らせた。
音声を介する程の精密さを持たないそれを耳に当てると、ツーツツーと言う電子音が聞こえる。
長短の組み合わせで暗号とするその音を聞いて、ふう、と一つ息を吐いた。
「喜べ、サイファー」
「あ?」
「人質救助班が予定通りにラグナロクに搭乗した」
作戦が予定通りに組み上がった。
それを聞いたサイファーは、それまで疲労と苛立ちで萎えていた瞳を、ぎらりと輝かせる。
「なら、もう良いんだな?」
「ああ。好きにやれ」
「お前もだろう」
スコールはシリンダーに込めた弾の数を確認し、サイファーはグリップを握り直して腰を上げた。
遠く聞こえていた男達の声が、また近付いて来る。
乱れた足並みは、彼等の指揮系統が混乱を起こしている事、動揺を隠すこともできない程に慌てている事を示している。
ならば最早単なる掃除にも等しいが、とは言え、姿を見せては隠してと繰り返していたフラストレーションを発散させるには十分だ。
最早逃げる必要もないと、牙を構えた獣が二匹、瓦礫と砂塵の中を真っ直ぐに歩き出す。
いたぞ、と言う声が砂煙の向こうから聞こえた。
ぞろぞろと集まって来る烏合の衆の数を確認しながら、スコールはふと思い出す。
「ああ、そうだ」
「あん?」
「誕生日おめでとう、サイファー」
忘れる前に言っておこう。
そんな気持ちでぽいと投げた言葉を、サイファーは受け止めた後、はああああ、と露骨に溜息を吐いて見せた。
「もっと色気のあるシーンで聞くつもりだったのによ」
「良いだろう、シーンなんて何処でも」
「雰囲気が大事なんだよ」
「じゃあ似合いだろう」
煌びやかな夜景も、見た目も良い豪華な食事も、此処にはない。
汗と蜜を吸い込んでくれるシーツもないし、二人を世界と隔てる壁もない。
瓦礫と塵と、鉄錆と、嗅ぎ慣れた火薬の匂いばかりが流れる戦場が、自分達には一番似合いの風景だ。
サイファーはそれを否定しなかった。
しなかったが、
「後でもう一回、ベッドの上で聞かせて貰うからな」
そう言って、初手を取りに地を蹴ったサイファーに、誰が言ってやるかとスコールも続いた。
サイファー誕生日おめでとう!
なんやかんやでサイファー誕生日を書く時は、ガーデンで過ごしていたり、しっぽりしていたりが多かった気がするので、ちょっと初心に返って戦場に放り出してみた。
戦闘的には余裕なんだけど、作戦の関係上で物陰に身を寄せ合っていつも通りの軽口叩きあってたら良いなって。
帰ったらお互い滾ってるのでそれはそれは盛り上がれば良いと思います。