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User: k_ryuto
ただいま、と言う習慣に、スコールはまだ慣れない。
けれど、帰ったらそう言ってくれると嬉しいな、と言われたから、それなら、と努力をしてみている。
独り暮らしがそれ程長いと言う訳ではない。
そう言う習慣を束の間忘れる位には、“独り”と言う生活に沈んでいた。
養護施設で育ち、高校入学を期に其処を離れ、自分の事を誰も知らない土地で暮らすことを選んだ。
勉強とアルバイトの両立は簡単ではなく、食事も忘れる位に目が回っていたのは、一年目の初めの頃のこと。
元々食にそれ程執着がなかった事も災いして、一日二日、何も食べずに過ごす事もあって、その所為で一度、アパートの部屋の中で目を回した。
受け身も取れずに昏倒したその日、隣人が何事かと心配し、大家を通じて部屋に入り、救急車で搬送されたのが、生活の変化の始まりだ。
搬送された翌日、スコールは見知らぬ病室で目を覚まし、医者からは疲労と睡眠不足、加えて栄養失調気味であると叱られた。
勉強と慣れないアルバイト、もっと言えば新たな環境に適応しようとするストレスや、元より人との交流が得意ではない所へ、アルバイト先の店長のパワハラ紛いの扱いに辟易していた事など、ざっくりと言えばスコールは“鬱”の真っ只中にいたのだ。
とにかくきちんとした休養と、出来るのなら生活を支えてくれるパートナーのようなものが必要であると言われたが、前者はともかく、後者はまるで宛てがない。
養護施設で世話になった人々には恩を感じているし、いつかそれを返せたらとは思うが、半ば強引に早い独り立ちを選んだ意地もあって、頼る気にはなれなかった。
それなら、と手を挙げたのが、セシル・ハーヴィだった。
彼はスコールが住んでいた部屋の隣室の住人である大学生で、詰まり、倒れたスコールを援けてくれた張本人だ。
それまで、早朝のゴミ捨てだとか、遅くに帰って来た時だとか、アパートの敷地前で稀に顔を合わせる事がある程度の、顔見知りと言うにも遠い関係であったのだが、彼曰く、「倒れた所を結果的には助けたんだ。今更放ってはおけないよ」とのこと。
それにしたって名も知らないような子供を───とスコールは思ったが、気付いた時には、セシルに面倒を見られる事が決まっていた。
セシルは「勝手に僕が君を気に掛けるだけだから、君はこれまで通りに過ごしていれば良い」と言ったが、それまで全くの“独り”であったスコールにとって、生活に変化が起こったのは事実であった。
先ずは、スコールが退院するまで、毎日のように病室にやって来て、自己紹介やら何やらと話して行った。
退院する時には付き添ってくれて、どうせ隣なんだからと、入院生活で使った荷物を持ってくれた。
アパートに戻ってからは、朝の挨拶を交わす頻度が増えて、「ご飯は食べてる?」「眠れてるかい?」と訊ねて来る。
スコールにとって、初めこそ聊か面倒で鬱陶しく感じられたのだが、昏倒した所を助けられた手前、露骨に無碍にも出来ずにいた。
挨拶には挨拶を、聞かれた事には取り敢えずの返答を、と言うのがスコールにとって出来る精々のコミュニケーションだったのだが、セシルはそれで満足そうだった。
そして偶に、「兄が送ってくれたんだけど、食べ切れなさそうでね」と乾物やら総菜やらを渡しに───見ようによっては、押し付けに───来る。
また栄養失調になったら良くないから、と言われると、突き返すのも気が引けて、スコールはされるがままに差し出されたものを受け取っていた。
時には、「食べに行こうと思うんだけど、一緒にどう?」と誘われ、そう言う時は大抵、スコールがアルバイト疲れて食事の用意も面倒になっていた時で、自発的に外食に行くのも足が重い所を、“誘われる”と言う形で促される事で辛うじて夕飯を口にする事に成功していた。
スコールとセシルの関係は、そう言う所から始まったのだ。
だからスコールは、長い間、セシルは随分と世話好きな奴なのだと思っていた。
その本質が、実は案外と真逆であると知ったのは、セシルの親友だと言う男と逢ってからの事。
やたらとスコールに甲斐甲斐しくしているのは、良い所を見せようとしているからだろう、と彼をよく知る男は言った。
セシルがどうしてそんな事をしてくれたのか、何をどうして、彼がそんな事をしようと思ってくれたのか、今でもスコールは知らない。
ただ、スコールが彼を認識するよりも早く、彼がスコールを見ていた事だけは確かなのだろう。
だからあの日、倒れたスコールを援けるべく動いてくれたのかも。
だからある意味、この形は、「納まるべき所に納まった」のかも知れない。
そう言ったのはセシルの親友で、それを受けたセシルはいつもの食えない笑みを浮かべていた。
それを見た時、スコールはなんとなくハメられたような気がしないでもなかったが、ではこの形に不満や不服があるかと言うと、そうではない。
慣れない感覚こそあれど、関係を否定するような感情は沸かず、寧ろいつかこの心地良さが消えたりしないと良い、とすら願っている。
知り合ってから一年、隣人として過ごし続けた二人の関係は、恋人と言う形に変化していた。
それに伴い、スコールは自身が住んでいた部屋を引き払い、セシルの部屋へと移り住んでいる。
どうせ隣なのに、と思わないでもなかったが、壁一枚の距離がなくなっただけで、“二人で”過ごしている感覚も強くなって、なんとも面映ゆいものがあった。
そんな中で、セシルが言ったのだ。
『これからは、“お邪魔します”じゃなくて、“ただいま”って言ってくれると嬉しいな』
此処は僕の家でもあるけど、これからは君の家でもあるから。
そう言ってふんわりと笑ったセシルに、スコールは眩しさと恥ずかしさで赤くなった。
誰かと一緒に暮らしている、自分の帰りを迎えてくれる人がいる───それがどうしようもなく、照れくさくて、嬉しかった。
しかし、どうにもスコールにその言葉はハードルが高い。
何故と言われると自分でも判らないが、どうしてか、その言葉を紡ごうとすると、いつも喉が閊えるのだ。
アルバイトを終え、新たに自宅となった部屋の前まで帰ったスコールは、今日も先ず息を整える。
(……よし)
息を吸って、吐いて、自分の鼓動のリズムを確認する。
心なしか逸っているのを、いつも通りだと無理やり飲み込ませて、スコールは玄関の鍵を差した。
最近、ようやく隣の部屋のものと間違える事がなくなった扉。
キ、と小さく蝶番が音を立てるそれを開けると、恋人が好んで合わせている、ラジオの音楽が流れていた。
然程大きくはないその音にうっかり負けないように、スコールは意識して声を出す。
「……た、だいま」
また閊えた、とスコールは思った。
が、奥からはいつもと変わらない、嬉しそうな返事が返ってくる。
「お帰り、スコール」
「……ん」
柔らかなウェーブのかかった銀糸が、部屋の奥の窓から差し込む西日を受けて、きらきらと光っている。
その眩しさに目を細めながら、スコールは迎えてくれたセシルの笑顔に、微かに唇を緩めた。
靴を脱いで部屋の奥へと向かえば、クラシックの音楽と一緒に、仄かに甘い香りが漂っている。
「夕飯は出来てるよ。食べるかい?それとも、先にお風呂?」
「……夕飯」
「じゃあ座っていて。すぐ用意するよ」
「俺も手伝う」
スコールの申し出に、セシルは眉尻を下げて笑う。
良いのに、と表情は告げていたが、どうにもスコールは人任せにするのが苦手だ。
それはセシルを信頼していないと言う訳ではないのだが、要は貸し借りを作る事に躊躇いがあるのである。
皿運びでも、茶を淹れるでも、何か一つ仕事をしておいた方が、気が楽になれるのだ。
セシルが料理を器に盛り、それをスコールが食卓のテーブルへ運ぶ。
以前、スコールが栄養失調で倒れた事を鑑みてか、並ぶ食事はいつも栄養バランスがよく考えられている。
一通りを並べ終えたら、向かい合って座って、手を合わせた。
「頂きます」
「……頂きます」
セシルに合わせて、スコールも食前の挨拶を言った。
この一言も、スコールは慣れていない。
養護施設にいた頃は、躾の一環もあり、皆が習慣づけている事もあって当たり前に行っていた筈なのだが、一人暮らしになるとぱったりと止めていた。
更に食事を採らない日も増え、食べてもパン一つとか、水一杯だとか、養母に知られたら怒られそうな位には食への意欲を失くしていた。
そう言う期間が、長くはないが集中した感覚の中で続いた為、スコールは幾つもの習慣と言うものを忘れていたのである。
セシルとの生活は、それを一つ一つ、取り戻していくような所があった。
セシルが言うから、セシルが言うなら───と、彼の希望に合わせる形で、忘れていた言葉を改めて身に付けていく。
「ちょっとレモンが強かったかなあ」
「……別に、悪くない」
「そう?それなら良かった。スコール、結構酸っぱいものは平気だよね。箸も進んでる」
「……普通だろう。そんな事覚えてたのか、あんた」
「大事なことだ。君の好きなものは何かなって、知っておきたいから。スコールが一杯食べれないと、また倒れてしまうかも知れないし」
「もうあんな事にはならないだろ。毎日ちゃんと食ってる。……あんたのお陰で」
セシルが毎日の食事を欠かさず作ってくれるお陰で、スコールの食生活は安定している。
彼が忙しくて台所に立てない日でも、弁当やパンを先んじて準備し、食べないと駄目だよ、と釘を刺されるので、少し面倒でもスコールはちゃんと胃に食べ物を入れる習慣が出来てきた。
────本当に、一つ一つの習慣が、セシルのお陰で戻ってきている。
若しくは、セシルと共に生活する事で、新たな習慣が身に付いて来る。
朝から晩まで独りで、時には学校のクラスメイトと挨拶すらも交わさず過ごしていた事が嘘のように、今のスコールの生活は充実していた。
食事を終えると、「ご馳走様」と言って席を立つ。
これもまた、セシルと一緒に過ごすようになってから、戻ってきた習慣だ。
「セシル、片付けは俺がやる」
「ああ、ありがとう。じゃあお風呂の準備をしておこうか。先に入る?」
「いや───」
後で良い、とスコールが言うよりも僅かに早く。
「じゃあ、一緒に入るかい?」
「……は?」
にっこりと笑みを浮かべて言うセシルに、スコールはぱちりと瞬きを一つ。
そんなスコールに、セシルは「悪い話ではないと思うよ。色々節約になるし」と言った。
確かに、そう言われるとそうだが───と一瞬考えたスコールだったが、
「何言ってるんだ、あんな狭い風呂で」
「はは、まあ、そうだね。じゃあ僕が先に入ろう」
眉根を寄せてスコールが返すと、セシルは笑ってそう言った。
お先に、と手を振って風呂場へ向かうセシルを見送って、スコールは溜息を一つ。
判り易く呆れた吐息であったが、その裏側で、彼の心臓はとくとくと早いリズムを刻んでいる。
(……何を意識しているんだ。馬鹿じゃないのか)
ただ一緒に風呂に入るだけなのに。
いや、入らないけど。
そんな話をしたけれど、どうせ冗談に決まっているのに。
そう思いながらも、俄かに意識してしまう自分が妙に不埒な存在に思えて、シンクの前で一人唇を摘まむスコールであった。
4月8日と言う事で、セシスコ!
セシスコで現パロって書いた事がなかったような、と思って。
知らず知らずのうちにセシルに染められていくスコールが見たい。
セシルはスコールの事を尊重しつつ、しっかりちゃっかりスコールが自分の方を向くようにしていると良いなと。
その為にも、スコールが喜んでくれそうな事は忘れないし、嫌がる事はしない。
でも押しの強さもあるから、スコールが本気で嫌がらないなら、ちょっと意地悪なことしてみたりその先もしてみたりするんじゃないだろうか。
何をどう足掻いた所で、この世界に召喚された者たちの中で、自分が一番の年下である事は覆せない。
悔しく思わない訳ではないが、自分の時間だけが早回しに出来ない以上、仕方のない事だ。
また、それに固執して悔しく思う事そのものが、また子供っぽい、稚拙な気がして、ルーネスは敢えて其処についての言及は飲み込んでいる。
年齢によるアドバンテージと言うのは、中々に大きい。
単純に人生から来る経験値と言うものにも差が出るし、故に物事への想像やそれに対する応用力と言った枝葉の数も変わる。
長く生きた分だけ、その濃度は増して行くもので、故に突飛な出来事にも即時に反応できる躰があったり、思わぬ出来事があってもうろたえる事のない冷静さを持つ事が出来る。
幼い頃、何もかもが真新しい故に得られていた刺激が減る分、適応力と順応性が育っていると言う訳だ。
だが、そういったアドバンテージが、若さと言う力に絶対的に勝るかと言えば、そうではない。
歳をとると守りに入る、と言うのはよくある事のようで、危険への事前察知が強く働く分、そのラインを越えないようにと言うブレーキも効くようになるのだ。
無知を勇気というほど愚かではないつもりだが、故にこそ突破できるエネルギーも湧く事もある。
後先考えない行動はルーネスにとって好むものではないが、時によってはそう言うものも必要になる、と言う事は理解しているつもりだ。
逆にルーネスの場合、若いながらに頭が回る分、予測不可能な未知へと振り返らずに突き進む、と言うことへの抵抗が強い。
けれども、今日だけは、その未知へと突き進まねばならない。
突き進んでやるのだと、ルーネスは強く意気込んでいた。
─────しかし。
待ちに待った、と言うよりも、焦がれに焦がれた、恋人との褥の上で、ルーネスは息を飲んでいた。
屋敷では流石に、いけない事をしているような気がして、二人きりでの一時の遠出に誘ったのは、今から半日前のこと。
大の大人が二人も入れば満員になる、小ぢんまりとしたテントの中で、ルーネスはスコールを薄い毛布の上に横たえていた。
自身はその上に覆い被さるように、所謂馬乗り状態になっているのだが、その背中にさっきから汗が出て止まらない。
(やっと……スコールと……っ)
テントの準備をしている時から、ルーネスの心臓は早かった。
スコールが用意してくれた夕飯は、美味しかった筈なのだが、味はよく覚えていない。
今日こそ、今日こそ、と何度も意気込んでいた所為か、喉につっかえそうになっていたのは、気付かれずに済んだだろうか。
そんな夕飯を終えた後、先に寝て良いぞ、といつもの野宿のように休息を促すスコールに、一世一代の告白の気持ちで、ルーネスは言った。
「スコールを抱きたいんだ」────と。
告げた瞬間、スコールはぽかんとした顔で此方を見た。
存外と幼い印象を作る蒼の瞳が、夢でも見ているような表情を浮かべているから、ルーネスは夢じゃないと言う事を知らせる為に、もう一度同じ言葉を告げた。
ルーネスとスコールが恋人同士と言う関係になってから、もう二ヵ月が経っている。
どちらも現実主義の面がある故に、この関係が傍目にどう映るのかと言う予想は立っていて、他の仲間達には秘密にしていた。
故に愛はひっそりと交わされており、元々、あまり交流が多いと思われていない二人であったから、互いを何かに誘うタイミングと言うのも碌々なかったものだから、初めてのキスをしたのも、つい二週間前のことになる。
それから、人目を避けてほんの少しの間手を繋いだり、頬や瞼にキスをしたりと言う触れ合いを重ねてきた。
不便は少なくないが、それでも誰にも内緒で育む愛は、ちょっとしたスリル感もあって、言う程不自由ではないような気もして、ルーネスはそれ自体に不満は多くはない。
しかし、存外と人間の心は我儘なもので、ルーネスはもっとスコールを感じたい、と思うようになった。
手を繋いで、キスもして、それ以上に彼が欲しい。
もっともっと内側で、彼と一つになって交じり合いたい。
そう言う気持ちがむくむくと芽吹き育って、ルーネス自身にも止められなくなっていた。
だからスコールを連れ出して、此処なら多分危険も少ない、と言う場所を、敢えての探索ポイントに当てた。
欲しいアイテムがあるから必要になる交換素材を集めるのを手伝って欲しい、と言えば、別の誘いも約束もなかったスコールは、構わない、と頷いた。
そうして素材を集める傍ら、今、いやもう少し、やっぱり夜に、とタイミングを計り続けて、夜を迎える。
明日には拠点に戻らなくてはならないから、此処まで来たのに意気地のない結果になるのは駄目だと、自分を鼓舞してスコールをテントに誘った。
スコールと一緒に寝たいんだ、と言ったら、二人の野宿だから無防備になる、と言われた。
重ねて頭を撫でられ、我儘を言う幼子を宥めるように、口端に柔らかい表情を浮かべるスコールに、胃とが伝わってない、とルーネスも判った。
精一杯の勇気を振り絞ったのに、と肩透かしを食らったが、いやこれは仕方ない、と自分に言い聞かせる。
逆の立場ならルーネスだってそう思うだろうし、そもそも今夜そのつもりで誘い出したことなどスコールは知らないのだから、ルーネスの誘いが子供の駄々に見えるのは無理もなかった。
ならばいっそと、意を決して事の真意を告げれば、ようやく理解した彼は数拍遅れて真っ赤になってくれたのだった。
その後、「火の番がいる」「何かが襲ってきたら」「こんな所で」とスコールは言ったが、彼は気付いていただろうか。
ルーネスを止めるように促す言葉の羅列の中に、「嫌だ」と言う類の単語が一つもなかった事に。
混乱もあってか、年上の矜持か、ルーネスが暴走したとでも思ったか、宥めようとする言葉は幾つも並べていたけれど、一番わかり易い拒絶の言葉を、彼は終ぞ使わなかった。
それをルーネスが逆に「嫌なの?」と問えば、ぐっと詰まったように音を失ってしまう。
だったら────とルーネスが今一度、真っ直ぐに蒼い宝石を見詰めると、遂にスコールは応えてくれる事になったのだった。
────と、二人でテントに入った訳だが、其処からがルーネスには大緊張だ。
ジャケットを脱いでラフな格好になったスコールが、寝床の毛布の上に落ち着いただけで、心臓が飛び出そうな位に煩くなる。
ルーネスも鎧を外し、アンダーのみの格好になって、スコールの前に近付いた。
座っていたスコールの肩を押して、ゆっくりと横たえると、彼は抵抗なく布地の上に転がって、少し伏せた双眸で見下ろす年下の恋人を見上げる。
(────………っ)
ルーネスはこの世界に存在する者の中で最年少であるが、身長も低い。
必然的に他のメンバーの事は見上げなくてはならず、目線の角度は上へと向くのが常だった。
スコールはウォーリアやフリオニールには負けるが、長身痩躯と呼んで障りない体格をしている。
勿論、ルーネスの事も常に見下ろす側にあって、キスをする時には必ず彼が屈んでくれなくては出来なかった。
それが今は真っ直ぐ、それも見下ろす場所にあると言う事に、ルーネスは言いようのない興奮を覚える。
ともすれば変に逸っている呼吸を漏らしそうで、ルーネスは唇を噛んでいた。
それを意識してゆっくりと力を解き、スコールの顔へと近付ける。
ちゅ、と瞼にキスをすると、「……ん……」とスコールが小さく音を漏らすのが聞こえた。
(まずは、えっと……服を脱がせた方が良いよね)
長い睫毛に飾られた目元が、眩しそうに細められるのを見ながら、ルーネスは考える。
そぅっと白いシャツに手を伸ばし、その裾を摘まんで持ち上げてみると、スコールは心得たように、床から少し背中を浮かす。
するするとシャツが上って行くのに合わせ、今度は肩を浮かせて、両手を上に上げ、最後に頭を持ち上げた。
上半身を裸にして、スコールは少し寒そうに身震いする。
着せたままの方が良かったのだろうか、とルーネスが思っていると、スコールの手が徐に持ち上がって、ルーネスの腕に触れた。
それだけでどきりと口から心臓が飛び出そうになったルーネスを、静かな蒼がじっと見つめる。
「……ルー、」
ルーネスの腕を滑った手が、まだ未発達さのある少年の脇腹へと移動した。
アンダーシャツとボトムの隙間から覗く微かな隙間に手を入れて、肌をするりと撫でられる。
ごくり、とルーネスの喉が鳴った。
「僕も、脱ぐね」
「……ああ」
逸る鼓動を隠し、努めて余裕な顔を作りながら、ルーネスは自分のシャツを脱いだ。
スコールは細い細いとよく皆に言われるし、ルーネスもそう思うのだが、それはやはり、周りに分厚い体の者が多いからだろう。
実際の所、スコールは脂肪が少ない引き締まった体付きをしており、決して華奢には出来ていない。
頑健なシルエットにならないのは、どうやら元々肉が付き難い上、彼の世界の法則にある“ジャンクション”と言う性能により、極端な筋肉トレーニングの類が不要である事も理由と思われる。
とは言え、傭兵育成機関に在籍していると言う事もあり、身長に見合った全体バランスの取れた体付きをしていると言って良いだろう。
スコールの裸なら、風呂場で何度も見たものだったが、今この瞬間にそれを目の当たりにして、ルーネスは目の奥がチカチカとするのを感じた。
テントの外でまだ揺れている、けれど徐々に小さくなる焚火の明りを頼りに、暗がりの中に浮き上がる白い肌。
煌々とした場所でない環境で見るそれは、非日常の光景に似て、ルーネスは夢を見ているような感覚に陥る。
(でもこれは、本物────)
ルーネスの手が、ひた、とスコールの肩に触れる。
汗ばんだその手を冷たく感じて、スコールの体がぴくりと反応した。
その僅かな仕草だけで、ルーネスの心臓は逸馬の駆け音のように加速して行き────
「ルー、待て」
「え?」
「その……鼻血が出てる」
「えっ!?」
場の雰囲気を壊してしまう事への躊躇か、一瞬言葉を探すように口籠ったスコールだが、結局はストレートに言った。
それを受けてルーネスが目を丸くする間に、つぅ、と鼻下に温冷たいものが垂れて来る。
慌ててルーネスがそれを手の甲で擦ろうとすると、すぐにスコールの手がそれを掴んで止めた。
「うわ、あ、」
「動くな。顔を上げるな」
「んぐ」
「じっとしていろ」
スコールはルーネスの鼻を右手で摘まみ、頭を上げないよう、後頭部を柔く押さえて俯かせた。
鼻溝を伝い落ちて行くものが、唇の上蓋からぽとりと落ちて、スコールの腹に赤い色が乗る。
それを見て、うわあ、とルーネスは青くなったが、頭を押さえる優しい手は離れてくれなかった。
一分、二分と、ゆっくりと───少年にとっては非常に気まずい───時間が流れる間、スコールは繰り返しルーネスの顔を覗き込んできた。
大丈夫か、眩暈は、息は出来ているかと訊ねるスコールに、ルーネスは頭を動かさないように努めて、うん、だいじょうぶ、と答える。
そうして茹りかけていたルーネスの頭もすっかり冷えた頃に、スコールはそっと抑えていた手を離す。
のろのろと頭を上げたルーネスに、スコールは荷物の中にあったガーゼを渡した。
意図を組んでそれで鼻を包んでは離して、鼻の具合を確かめる。
どうやら止まってくれたと判じた後、ルーネスはスコールの右手に付着しているものを見た。
「……ごめん、ありがとう」
「落ち着いたか」
「……うん」
努めていつも通りに返事をしたつもりのルーネスだったが、その声は自分でも判り易く消沈していた。
それも無理からんことである。
(格好悪い……)
自分からこの状況に持って行ったのに、まさか鼻血を出すなんて。
これから遂に、と思ったら、どうしようもなくアドレナリンが出て、興奮がピークを振り切った。
挙句に鼻血が出て、それにも気付かず、恋人の手を煩わせるなんて、何もかもが台無しだ。
スコールは手や腹に付着した血を拭き取ると、まだ薄く小さい肩を落としている少年を見た。
見て判る落ち込み様のルーネスに、スコールは何か言った方が良いのだろうか、と思ったが、なんとなくルーネスを余計に傷付けそうな気がして、迂闊に口を開けない。
しかしこのままはより気まずい、と言うのは読み取れた。
そんなスコールの気配を、ルーネスもまた感じ取っている。
ルーネスは自分への情けなさで、また漏れそうになる溜息を飲み込んで、顔を上げた。
「その……ごめんよ、スコール。僕の方からしたいって言ったのに、こんな」
「……良い。気にするな。……でも、今日はもう、止めた方が良い」
スコールの言葉に、だよなあ、とルーネスは思った。
折角ここまで来れたのに、こんな所まで呼び出してやっとだったのに。
そんな思いがありはすれども、醜態を曝してしまった今、諦め悪く食い下がる事は出来なかったし、何よりまたスコールに心配をかけてしまうだろう。
大人しく俯いていると、スコールの腕がルーネスの肩に伸びて来て、優しく引き寄せられる。
興奮の後に、蒼褪めて冷や汗まで掻いたので、ルーネスの背中は酷く冷たくなっていた。
それを包み込むように抱き締められる感覚に、ルーネスはあやされる子供のような気分になったが、
「……次」
「え?」
ぽつりと耳元で聞こえた声に、何、とルーネスが問い返すと、
「……次は多分、もう少し、進めると思う」
「……スコール」
「……だから今日は、ここまでだ」
急がなくて良い、寧ろ急いでくれるなと、そんな風にスコールは言った。
告げる声が少し安堵しているように聞こえたのは、彼が緊張していたと言う証左だろうか。
それを隠して、抱きたい、と言ったルーネスに応えようとしていたのか。
ルーネスは、自分が焦って急いていたのを自覚せざるを得なかった。
恋人ともっと深く繋がりたいと願うのは当然の事であっても、スコールの気持ちもきちんと考えなくてはいけない。
自分の事しか考えてなかったなあ、と反省しながら、ルーネスはスコールの背中に腕を回す。
「……ねえ、スコール」
「……なんだ」
「このまま一緒に寝ても良い?」
思えば、こうして密着して夜を迎える事すら、滅多になかった。
触れ合った皮膚が温かく溶け合うなんて初めての事で、これだけでルーネスは心臓が逸って止まらない。
そして重ね合わせた胸の奥で、スコールの鼓動もまた、ルーネスと同じように早鐘を打っている。
二人は、まずは此処から慣れなくてはいけなかったのだ。
見張りが、と言うかと思ったが、スコールは黙ったまま、体を横にした。
毛布の上に二人で寝転がり、徐々に焚火も消えていくのを幔幕の向こうに感じながら、二人で目を閉じる。
ルーネスの耳には、恋人の緩やかな呼吸と、少し早い鼓動だけが聞こえていた。
3月8日と言う事で、オニスコ。
初めて同士で頑張ってみるけど、上手くはいかないねと言う話。
Ⅲの世界は昔ながらのファンタジー色が強い世界なので、バッツ程じゃなくても、ルーネスもまあ多少早熟気味でも可笑しくはない?かな?
とは言え彼は(Ⅲの主人公たちの設定に則れば)孤児だし、田舎町で育ったので、ソッチの経験がそうあるともないかなと。耳年増はあると思う。
スコールの方は授業と、ありふれたメディア類、思春期の学生なので周りでそんな話も出て来るだろうけど本人がああだし、保健体育の知識はあっても経験はさっぱり。
皆に内緒の関係だけど、目敏いメンバーは気付いてるんでしょう。やきもきしながら見守り中です。
スコールの声が出なくなってしまったのは、三日前のこと。
いつものように、彼がジタンとバッツと三人組になって探索に向かった先で、発見した歪に入った所、其処はパンデモニウム城だった。
トラップだらけの廊下を掻い潜り、巣食っていたイミテーションを概ね蹴散らした所で、イミテーションの逃げ込んだ先でトラップが発動された。
運悪くそれを追い込んでいたスコールが巻き込まれ、サイレス魔法の餌食になってしまったと言う訳だ。
イミテーションの群れは問題なく片付けたが、それらとは別の原因が罹ってしまった沈黙魔法は、それそのものの効果が切れるまで残り続ける。
初めは数分、その後は数時間もすれば消えるだろうと思っていたのだが、どうやらもっと複雑で面倒なトラップだったらしい。
秩序の聖域に戻り、ティナやセシルが白魔法を使って解呪を試してみたが、此方も効果はなく。
幸いなのは、あくまでスコールの声が出ないだけで、他は身体的にも魔力的にも異常のない事だが、とは言え念の為と言うこともあり、スコールは声が出るようになるまで待機を命じられたのであった。
待機となったスコールが常に屋敷にいる他に、更に念を置いて、もう一人が待機する事になった。
生活する分にはスコール一人で何ら問題はないのだが、もしも襲撃等の事件が起きた際、音声による危険信号の発信が出来ないと言うのは、情報が命を左右する緊急時に置いて、中々の痛手である。
だからこそスコールは治るまで待機する事になったのだから、この決定にはスコールも異を唱えなかった。
ローテーションでと決まった待機班のもう一人は、今日はフリオニールだった。
昨日はバッツ、一昨日はセシルと、スコールに発声以外の問題が起きれば直ぐに対処できる人員を、と選んでいたが、三日目ともなるとやはり慣れても来ていて、他のメンバーでも大丈夫だろうと判断された。
丁度ティーダが「そろそろフリオの飯が食いたいっス!」と言っていた事もあり、それなら、と決まった。
仲間のリクエストに応える形で、フリオニールは早速キッチンに入っている。
スコールはと言うと、他のメンバーがそれぞれの用事で出掛けた為に、一人暇を持て余している状態だった。
ガンブレードのメンテナンスをしても良かったが、昨日と一昨日と、同じように暇を持て余した末、掃除も調整も済ませており、流石にもう見る所がない。
籠っていてもどうにもならないので、屋敷の外で軽くガンブレードを振るってみることにした────が、
(……なんか変な感じだ)
教科書に則る形で、数回、銀刃を振り下ろした後、スコールは違和感に眉を潜めた。
体は何処にも異常はないし、負傷している訳でもないのに、どうにも思うように体が動かない気がする。
気がする、のであって、恐らくは思った通りに筋肉は動かせている筈なのだが、どうにも何かが足りないのだ。
(……声か)
喉に手を当てて、スコールはそう思った。
魔法トラップに当たった日から、スコールは何度となく声を出そうとしてはいる。
その際、声帯が震え、器官が音を出そうとしている感覚のようなものはあるのだが、しかし結局音にはならない。
空気を音の形に形成し損ねた、はあっと言う吐息が出て来るのが精々で、幾ら力んでみてもそれは変わらなかった。
素振りに置いても同じだったのだ。
踏み込み、其処からガンブレードを振り上げ、下ろす、それらの動作の一つ一つに追随する声。
発声することで合図になる事もあれば、体を動かした際の反動で漏れる音である場合もある。
それらが一つとして、スコールの喉から口から、音になって出ないのだ。
(……待機なのは、正解だったんだろうな)
声が出なくなった時は、それ所ではなかったし、戦闘の真っ只中のスイッチが入っていたから、気付かなかった。
こうして改めて剣を握る段になって見付けてしまった違和感に、スコールは深く溜息を吐く。
傭兵であるスコールにとって、戦うことは己の存在意義と同義であり、それを揺らがせる現象に見舞われている事は、言いようのない苛立ちのような焦燥感を呼ぶ。
さっさと治って欲しい、と時間しか薬にならない状態に辟易しつつ、スコールはガンブレードを仕舞った。
体を動かす分には全く足りなかったが、幾ら動かした所で、この違和感は消えないだろう。
結局もやもやとした異物感に見舞われるだけなら、運動するのは諦めて、発声練習の真似事でもしていた方が堅実かも知れない。
かと言って本当に発声練習をする気にはならなかったので、スコールは取り敢えず、リビングへと戻った。
リビングに入ると、奥にあるキッチンの方から、ツンと香辛料の匂いがした。
厚みのある肉が食いたい、とティーダが言っていたから、今日はきっとそれに合うものが出て来るのだろう。
殆ど外出も出来ないスコールでは、さて半分も食べられるかどうか。
とは言え、辛みの混じる香辛料の匂いは、さして活動が活発的ではないスコールの腹でも刺激を齎してくれて、少しだけ今日の夕飯が楽しみになる。
(でもその前に、水でも飲むか)
なんとなく喉の渇きを覚えて、スコールの足はキッチンへと向かう。
小気味の良い包丁の音が聞こえて来る所へ、そうっと中を覗き込んでみると、フリオニールは大玉のキャベツを刻んでいた。
千切りになって行くそれは、まだまだ半分以上の大きさが残っている。
フリオニールはそれを綺麗に刻んで行くのが楽しいのか、謎のスイッチが入ってか集中力が出ているようで、一心不乱に包丁を動かしていた。
『フリオニール────』
いつものように名前を呼ぼうとして、スコールのそれは音にならなかった。
口を動かしただけ、声帯も動いている筈なのに音が出ない喉に、そうだった、とスコールは顔を顰めた。
スコールは普段から口数が少なく、仲間達に対して饒舌に喋る事もない。
そう言うこともあってか、スコールが喋れなくなったからと言って、仲間の多くはコミュニケーションに難があるとは思っていないようだ。
挨拶にしろ雑談にしろ、スコールから返すものがないのはいつもの事だったし、必要であれば目を合わせるから、それで十分なのだろう。
スコールとしても、言わずとも最低限でも読み取ってくれるのならば、聊か甘えていると言う気に多少思う所はあるものの、平時と変わらず過ごせるのは楽だった。
だが、こう言う時────声をかけて誰かを呼びたい時、やはり不便だと思う。
水を飲む位、勝手にグラスを取って、水道を使えば良いだけの話だ。
が、それはキッチンに誰もいなければの話で、使っている人間がいるのなら、やはり一声くらいはかけた方が、不慮の事故にもならないだろう。
とは言え、触るようなことは少し気が引けるし、しかし声は出ないし……と思っていると、
「───あ。スコール、どうした?」
「……」
気配を察したか、ふと顔を上げたフリオニールが此方を見た事で、スコールは助かった。
こちらを見ていてくれるなら十分と、スコールはシンクを指差す。
ん、とフリオニールがそれを確認した後、指をついと動かして、食器棚を指した。
「ああ、喉が渇いたのか?」
「……」
「じゃあジュースでもどうだ?さっき柑橘を搾ったんだけど、蜜の残りに蜂蜜を入れておいたんだ。飲みやすくなってると思う」
フリオニールは冷蔵庫に向かい、黄色の液体が入ったガラスビンを取り出した。
ちゃぷん、と揺れるそれをマドラーでくるくると混ぜた後、スプーンですくって一口味見をした。
うん、と頷いて、食器棚から出したグラスに注ぐ。
「ほら」
「……」
差し出されたそれをスコールは受け取り、ありがとう、と口を動かす。
音がなくてもフリオニールはきちんとそれを読み取ったようで、彼は照れ臭そうにはにかんで笑った。
スコールがジュースを口に運んでいる間に、フリオニールは刻み終わっていたキャベツをボウルに移している。
大玉キャベツ丸々一つ分のキャベツは、間違いなく今日の肉の当てとして添えられるのだろう。
しかし幾らリクエストのメインは肉でも、野菜がそれだけと言う訳にはいかないと、フリオニールは今度は大量の人参の皮剥きを始めた。
(……大変そうだな)
この分だと、今日だけではなく、明日以降も使える量を刻んで置くつもりのようだ。
そうしてくれると、後の当番員は助かるが、ただでさえ十人分の食事が必要なのに、それを数日分まとめてとなると、結構な作業量だ。
どうせ暇も持て余しているし、少しは手伝うか、とスコールは声をかけようとして、
(そうだった。声、出ないんだ)
当たり前のように名前を呼んでいたから、何度もこんな風につっかえてしまう。
スコールは漏れそうになる溜息をジュースに溶かして飲み込んで、どうやってフリオニールに気付て貰おうかと考えた。
(……仕方ない)
聊か気は退けたが、フリオニールが持っているのがピーラーだと言うのが助かった。
これも刃物には違いないが、包丁に比べれば、幾らか気分的に易しい。
スコールは空になったグラスを洗って干した後、そうっと手を伸ばして、フリオニールに服の端を摘まんだ。
「ん?」
「……」
「スコール?」
つん、と引っ張られた服の感触に気付いて、フリオニールが此方を見る。
きょとんとした丸い赤の瞳に見詰められ、スコールはなんとなく恥ずかしくなったが、堪えてフリオニールの手に在るものを指差した。
「え?」とまだ要領を得ない様子のフリオーニールに、スコールはピーラーを握った彼の手に自分の手を重ねる。
「えっ。あ、やってくれるのか?」
「……」
「ああ、うん、助かる。頼むよ」
スコールの意図を理解して、フリオニールは人参とピーラーをスコールに預けた。
人参をスコールに任せたのならと、フリオニールはジャガイモを水洗いし、芽を取って皮付きのまま大きく切っていく。
此処にいるのがスコール、或いはフリオニールのどちらかではなく、他の誰かがいたのなら、きっと何かしら会話が始まったのだろう。
今日のメニューの内容であるとか、調理方法だとか、日々の雑談であるとか、何かと話題は出て来るものだ。
しかしスコールは黙したまま、それは声が出ないからでもあるが、普段から口数は少ないし、フリオニールも作業に集中すると没頭する。
今日は料理をしたい気分なのか、フリオニールは最低限のこうして、ああして、とスコールに伝える以外は、黙々と料理を続けて行った。
フリオールが皮付きのジャガイモに火を通し終わった頃、スコールも全ての人参の皮剥きを終えた。
これを次はどうすれば、とフリオニールに聞く為に、スコールはタイミングを見計らって、フライパンのジャガイモを転がしている彼の服端を摘まむ。
「ああ、終わったのか?ありがとう」
「………」
「じゃあ、それを半分は千切りにして、もう半分は……一口サイズくらいかな」
ザルに入った人参の行先は、それぞれキャベツと一緒にサラダ行と、スープの具になるそうだ。
先ずは一口サイズに切って、次に残った半分を千切りにしていく。
量は多いが、フリオニールに倣っている訳ではないが黙々と手を動かしたので、程無く人参も全て刻み終わることが出来た。
(次は)
何か仕事はあるかと、スコールはフリオニールを見る。
火を見ている彼は向けられる視線には気付いていないようで、スコールは腕を伸ばして、その服端を引っ張った。
「終わったのか」
「……」
「ありがとう」
「……」
「まだ手伝ってくれるのか?」
フリオニールの言葉に、スコールはどうせやる事もないしと頷く。
それじゃあ次は、と仕事を探すフリオニールに、スコールは黙ったまま指示を待った。
程無く宛がわれた次の仕事は、スジ肉を入れたスープの煮込み番だ。
今からじっくり時間をかけて煮込み続ければ、夕飯になる頃には肉もとろとろに柔らかくなり、良い出汁もたっぷり出ている筈。
宜しくな、と言われたスコールは、小さく頷き、レードルでくるくると鍋を掻き混ぜ始めた。
黙々と手伝いに没頭するスコールは、それをこっそり見詰める紅い瞳に気付かない。
増してや、声の代わりに呼ぶ指が、引っ込み思案そうに服を摘まむ仕草が愛しいと思われているなんて、露とも知らないのであった。
2月8日と言うことでフリスコ!
フリオの服を摘まんで気を引こうとするスコールが浮かんだので、やらせたの図。
最初はともかく、後はフリオニールもスコールが傍にいると意識しているので、多分本当はスコールが「次は…」ってきょろきょろしたりする時に気付いてる。
でも気付かないふりをしていると、スコールが服をくいって引っ張って呼ぶのが可愛いので、また見たくてこっそり待ってる。
そんなフリスコでした。
ウォーリアが自宅に帰って来た時、彼はそれはそれは酷い有様だった。
頭の天辺から足の爪先まで、余す所なくぐっしょりと濡れた彼は、その手に折れた傘を持っていた。
今日の夜から雨になると言う予報は確認済みで、故にこそ彼は傘も忘れず準備していたのだが、まさか此処までの暴風雨になるとは、流石に予想していなかったし、少なくとも出勤時間である朝の段階では天気予報もそこまで言及してはいなかった。
雨は予報通りに降り出し、其処までは想定通りであったのだが、計算外だったのは風の強さだ。
小さな子供が傘を差していたら、風に煽られふわりと浮き上がってしまいそうな、それ程の強風である。
流石に大人の男性であるウォーリアが宙に舞うことはなかったが、代わりに傘が犠牲になった。
すっかり逆向きに開いた上で、骨組みから折れた傘は、最早修復不可能だ。
可能だったとしても、買い直した方が早い、と言える状態。
それが自宅の最寄り駅に着いてからの事だったものだから、家路の途中に代替品を買うのも躊躇われ、買った所で間もなくそれもお陀仏になりそうだったので、仕方なくウォーリアはそのまま歩いて帰ったのだ。
彼にとって幸いだったと言えるのは、明日が休日とあって、恋人のスコールが家に来ていた事である。
風雨の様子を心配していた所へ、丁度帰って来たウォーリアを見て、スコールはすぐに彼を風呂へと押し込んだ。
準備の良い恋人は、濡れ鼠までは流石に想定してはいなかったが、これだけの荒れた天気なら濡れて帰って来る羽目になるであろうウォーリアの為、しっかり風呂を沸かしていた。
お陰でウォーリアはすぐに温まる事が出来、その間にスコールは夕飯も作り終え、災難を十分に忘れる程の穏やかな夜を過ごせたのだった。
しかし、夜も過ぎた頃、ウォーリアは異変を感じた。
愛しい人が泊まりに来ているのなら、熱い夜を過ごしても良かったのだが、今日は流石に疲れていた。
スコールもそれは判っており、今日は添い寝をするだけで程無く眠った筈が、夜半になってふとウォーリアの目が覚めた。
普段は、翌朝の決まった時間になるまでは滅多に目を覚まさないのに、明け方もまだと言う時に、突然ふっと意識が覚醒したのである。
隣で眠る少年に何かあったのかと思ったが、彼はすぅすぅと規則正しい寝息を立てていた。
ウォーリアは自分の行動に首を傾げたものの、稀にはあることだと深くは気にせず、もう一度眠る事にした。
────だが、それから彼は、全く眠れなかったのである。
翌朝になって、朝食を作ろうと重い瞼を開けたスコールに「おはよう」と声をかけようとして、ウォーリアはまた一つ異変に気付いた。
喉の奥が痛みを発し、声を出そうとすると何かが絡んだように上手く発声できない。
げほ、と音が出たのを聞いたスコールが、ウォーリアが自分よりも先に起きていた事と、滅多に聞く事のない咳をしていることに気付いた事で、ようやっと、ウォーリアが風邪を引いた事が発覚したのである。
それからはスコールが昨夜にも増しててきぱきと行動した。
自分が風邪を発症していると、何故かその認識が鈍いウォーリアに、体温計を使ってその数字を見せる。
とにかくベッドから動かないようにと言い聞かせ、一先ず冷蔵庫にあったリンゴを摩り下ろし、それを朝食として食べさせた。
常備薬として棚にしまわれている市販品の風邪薬を飲ませた後は、寝て休むようにと促した。
それから程無く、昨晩の睡眠不足と、薬の副作用もあってか、ウォーリアは間もなく眠りにようやっと就くこととなる。
ウォーリアが眠ったのを確認してから、スコールはようやく寝間着から着替えた。
冷蔵庫の中身を確認したスコールは、病人食を作るには聊か足りない材料を確認すると、すぐに買い物に出た。
恋人の体調不良の原因を作った昨晩の雨は、あれからすっかり通り過ぎ、憎らしい位の青空になっている。
歩いていける距離にある、複合施設の生鮮食料品売り場で、必要なものをまとめて買い込み、終わると走って帰る。
戻った時には、ウォーリアはまだ深い眠りの中にいて、スコールはほっとした気持ちでキッチンへと立った。
ウォーリアが食欲があるかは起きて改めて聞いてみなければ判らない事ではあったが、一先ず胃に負担がかからないものをと意識して、昼食の準備を始めた。
炊飯器にセットした粥が、炊き上がりの音を立てて間もなく。
時間にして、ウォーリアが眠ってから三時間ほどは経っており、そろそろ目を覚ましただろうかと寝室を覗いてみると、
「起きてたか」
「……ああ。つい、先程」
上半身を起こし、ぼんやりとしていたウォーリア。
声をかけると、彼はゆっくりとスコールの方を見て、微かに目を伏せて応えた。
その白磁のような色をしている筈の頬が、いやに血色の良い肌色になっているのが、反って彼の体を熱が病んでいるのだと言うことがありありと感じさせられる。
ウォーリアはスコールとは別の意味で表情筋の固い男であるが、今日はその顔が緩んでいる。
意識がふわふわと浮かんでいるような、アイスブルーの瞳が蕩けているようにも見えて、スコールは眉根を寄せた。
(なんでそんなになるまで、自分が風邪ひいてるって事に気付かなかったんだ?)
今朝、体温計の数字をつきつけるまで、ウォーリアは自分の状態に気付いていなかった。
幾ら滅多に体調を崩さないからと言って、この鈍さはない、とスコールは思う。
(……いや。気付かない位、調子が悪かったって事なのか。だとしたら、気付くべきだったのは……)
体調不良で判断能力も鈍り、自己認識も甘い状態の病人に、色々と気付けと言うのは聊か無理もある。
それよりは、傍にいる自分が気付くべきだったのだと、スコールは漏れそうになる溜息を飲み込んだ。
ベッドの傍に歩み寄ったスコールは、まだ少し眠そうに目を細めているウォーリアを見下ろして言った。
「一応、粥が出来てる。食べられそうなら、持って来る」
「…頂こう。君が作ってくれたものだ。食べなくては勿体ない」
「……無理に食おうとしなくて良い」
「いや、大丈夫だ。すまないが持って来て貰えるだろうか」
「……ん」
ベッドから出るな、と言う言いつけは、ちゃんとウォーリアの記憶に残っているらしい。
理由は何にせよ、食事の意欲もあるのなら、それは良い事だ。
スコールは踵を返し、キッチンに戻って、すぐに昼食の準備を整えた。
炊飯器から小さな小鍋に粥を移しておき、そこから茶碗に注いだ粥とレンゲ、梅干しを一つ添えて、寝室へと戻る。
「食べられる所までで良い」
「ああ、ありがとう」
「薬と水を持って来る」
ウォーリアがトレイを受け取り、膝の上に丁寧に置いたのを確認してから、スコールはまたキッチンへ。
ダイニングテーブルの上に出して置いたままにしていた薬と、買って来たばかりの常温のミネラルウォーターのペットボトルと、グラスを用意して寝室に戻った。
炊飯器から出したばかりの粥は、ほこほこと湯気を立てている。
それを少しずつ、冷ましながら口へと運ぶウォーリアに、食べる事は出来るようだ、とスコールは安堵した。
と、そんなスコールを見たウォーリアが、
「君の食事は、良いのか?」
「……持って来る」
言われて、そう言えば自分もまだ食べていなかった、とスコールは思い出した。
何なら、昼食と言わず、朝食も食べ損ねている。
ウォーリアはその事には気付いていないようだったが、此処で彼が言わなかったら、スコールは晩まで何も食べずに過ごしていたかも知れない。
それ程に、スコールはウォーリアの看護の準備で頭が一杯だったのだ。
食パンを手っ取り早くトーストし、バターを塗った後は、インスタントのスープを作った。
もう一つトレイを出して、それらに全て乗せて寝室に戻り、ベッドの傍に椅子を運んで座る。
朝も抜いているのに、少な過ぎはしないか───とは言われなかったので、スコールはいつも通りの顔で朝食兼昼食を済ませた。
スコールが用意した粥を、梅干しの塩気を貰いつつ、ウォーリアはゆっくりと平らげた。
薬も飲み終え、ベッドにまた横になったウォーリアの体温を測ろうと、ナイトテーブルに置いていた体温計を手に取ったスコールだったが、
「……ん」
「どうかしたのか」
「……点かない。電池が切れたか」
今朝は使えた筈のデジタル表示の体温計だが、ボタンを何度押しても液晶画面が反応を示さない。
そう言えば今朝見た時にも、液晶画面の表示が薄かったような、と今になって考える。
(電池なんてないよな。多分、普通の乾電池じゃないだろうし)
看病の為の諸々を買いに行った時に、買っておけば良かったか。
しかし、今朝の段階で電池切れが発覚していたならともかく、気付いたのが今ではどうしようもない。
スコールはしばし悩んだが、仕方ない、とベッドに片手を突いた。
「じっとしてろよ、ウォル」
それだけ言って、スコールはウォーリアの顔に自身の頭を近付ける。
銀糸の前髪を掻き上げて、広い額にこつん、と特徴的な傷のある額を押し付けて、そこからじわじわと伝わって来る体温の高さを感じていた
そんなスコールの顔を、ウォーリアは嘗てないほどの距離で見ている。
スコールと恋人と言う間柄になってから、一緒のベッドで眠る事も、それ以上の事もしているが、これほど近い距離で蒼の瞳を見る事はなかった。
思春期真っ盛りの少年は、元々が初心でもあって、触れ合うことは勿論、見つめ合うことも苦手としている。
キスをする時には必ず目を瞑ってしまうから、ウォーリアがどんなに見ていたいと思っても、近付く程にその蒼い宝石は瞼に隠れてしまうものだった。
それが、今すぐに触れ合いそうな程に近い距離で、じっとウォーリアを見詰めている。
深い深い海の底のような瞳の中で、意思の強い光が、溶け込んだ星屑のようにひらひらと揺れている。
いつも見付ける度に、吸い込まれるようにウォーリアを虜にする色が、光が、今初めて、じっとウォーリアを捕えて離さない。
────が、すげない光はまたすぅと離れて行ってしまう。
「やっぱりまだ熱い。今日は一日、大人しくしてるんだな」
いつもの距離に戻ってしまって、ああ、とウォーリアの心に嘆きに似た声が漏れた。
そんな事には露とも気付かず、スコールは空になった食器を一つのトレイにまとめて、片付けるべく席を立つ。
すぐ戻る、と言って部屋を出たスコールは、その言葉通り、数分となく戻ってきた。
洗い物をしたとは思えないので、恐らく、食器を水に浸けてきただけなのだろう。
またベッド横に座ったスコールに、どうやら彼がずっと付きっ切りで看病してくれるつもりであると、ウォーリアも理解する。
それはウォーリアにとって嬉しい事ではあったが、申し訳なくもあった。
「……すまない、スコール」
「……何がだ?」
ベッドに横になったまま言ったウォーリアに、スコールは眉根を寄せて返した。
謝られる事などあるか、と問う恋人に、ウォーリアは天井を見上げていた目を伏せる。
「今日は休日だろう。それなのに、君の手を煩わせてしまっている」
「……大した手間じゃない」
「だと良いのだが。それに、本来なら君には帰って貰わなくてはいけない筈だ。伝染してしまうかも知れないのだから。だが、やはり君がこうして傍にいてくれるのは心地が良くて……甘えてしまっている。すまないな、スコール」
「……別に、……そんなの」
重ねて詫びるウォーリアに、スコールの声が段々と小さくなって、俯いた。
しかし、ベッドに横になっているウォーリアが目を開けると、赤らんだ顔で視線を逸らしている少年の顔が見える。
なんとも面映ゆい顔を浮かべている少年に、ウォーリアの唇が僅かに緩む。
ウォーリアは、ベッドに沈めていた腕を持ち上げて、スコールの下へと伸ばした。
蒼の瞳が視界の端にそれを捉えると、唇が逡巡するように何度か引き結ばれる。
スコールは目一杯に眉間に皺を寄せた後、膝に乗せていた手をそろりと上げて、節張った手を掬うように重ねた。
(……あつい)
何度も熱を交わしたけれど、そう言う心地の良い熱とは違うものが伝わって、スコールは思わずその手を握り締める。
彼を蝕んでいるこの熱が消えてくれるのなら、自分に伝染る位はなんでもないとすら思う。
だが、それを言ってしまったら、ウォーリアはそれは絶対に出来ないと首を横に振るだろう。
だから、いつもの交わる熱が感じられるように、早く元気になって欲しい。
そんな願いにも似た気持ちに促されて、スコールは恋人の火照った頬にキスをした。
1月8日と言うことで、ウォルスコ。
偶にはウォーリアに体調不良になって貰った。
そんでちょっと弱って貰ったら、スコールが恥ずかしいけど突っ撥ねられなくてうぐうぐしながら甘やかす図になりました。ちょっと新鮮。
一昔前、正月に開いている店なんて、殆どないのが普通だった。
それが様々な経済の流れや、流通網の発達、人々の生活形態の変化などがあって、24時間365日利用できる店が増えて行った。
そして今現在、便利な代わりに忙しくなった日々から脱却し、ゆとりを楽しむ一時を取り戻す為、改めて正月休みなんてものを取るべきであると、大手企業は考えるようになったとか。
お陰でラグナは、年末年始を家族と一緒に過ごすことが出来るようになった。
一応の重役なんて言うポストに就かせて貰っているお陰で、元々休みは取得し易い筈ではあったが、仕事の都合を色々と考えると、やはりそう易々とは休めない。
しかし、ラグナは家族を第一に考えていて、年間行事のあるシーズンとなれば、やはり家族と一緒に過ごしたいとも思う。
今のポストを貰うまでは、どうしても仕事を優先しなくてはならず、家庭のことは妻に頼り切りとなり、幼かった子供達にも随分と寂しい想いをさせていた。
その反動もあって、ラグナは正月は勿論のこと、夏休みには皆と一緒に海へ行ったり、ちょっとした行楽に誘ったりと、家族サービスと呼ばれるものに余念がなかった。
いつの間にかその空気は部署全体にも広がっており、正月に某か予定のある者はそこで優先して休みを貰い、代わりに正月出勤した者は、後でその分の休みを取りと、そこそこ上手く回るようになっている。
ラグナ自身もこれのお陰で自分の休みを調整する事が出来ているので、有り難い事だ。
クリスマスの華やかな一時を過ぎ、一転、年末の準備に速足で切り替わる、忙しない年末を終えて、ようやくのんびりと過ごす時間。
ラグナはリビングに出した炬燵に入って、蜜柑の皮を剥きながら、テレビ番組を眺めている。
そんな彼の後ろにあるキッチンでは、息子二人がいそいそとこの後の準備を始めていた。
「大きさ、これ位で」
「見た目としてはもう少し大きい方が良いんじゃないか?」
「晩飯前だし」
「まあ、それもそうだな」
ラグナは剥き終わった蜜柑を一房食べて、ちらと肩越しにキッチンを見る。
アイランドキッチンの天板には、まな板と包丁が並べられ、その横に箱があった。
箱から出したものをスコールがそうっとまな板に乗せると、包丁を取って、これくらい、この辺、と宛がって切り分けるサイズを確認している。
「余ったのはどうする」
「ラップして冷蔵庫に入れておこう。明日食べれば問題ないさ」
「上……真ん中の苺、これどうやって切れば」
「退かせるか?」
「それだと穴になるだろ。でも力任せは押し潰すし……」
「そうなると見た目も良くないしな。あまり揺らさないように気を付けながら引き切るしかないか」
ああしてこうして、ああでもない、こうすれば、と話し合う兄弟の声が、ラグナには微笑ましい。
弟がまだ幼い頃にも、レオンはああやって、彼と一緒にキッチンに立っていた。
それはレオン自身が幼い頃、母と共に過ごした年始の楽しみと言うものを、早くに逝ってしまった彼女に代わって弟に伝えたいと思ったからだ。
お陰でラグナは、この歳になっても、今日と言う日を喜びと共に過ごすことが出来る。
年が明けて間もなくして、今年もラグナの誕生日はやって来た。
一昔前は、こんな時に開いているケーキ屋なんてものは滅多になかったが、代わりに妻レインが手作りケーキを作ってくれた。
初めは二人きりの正月と誕生日だったから、彼女が営んでいたカフェバーでも出していたカップケーキが二つ。
レオンが生まれてからは、先ずは幼児でも食べられるケーキを母子が一緒に作って用意してくれた。
次第にレオンが母の諸々を手伝えるようになると、手作りケーキも段々と本格化して、レオンがデコレーションを担当したりと、凝って行く。
そしてスコールが生まれ、彼の物心がつく前に彼女は急逝してしまうが、レオンは毎年恒例になっていた父の誕生日を忘れなかった。
幼い弟の面倒を見ながら、いつか母にして貰ったように、スコールと一緒にケーキを用意し、ラグナに兄弟揃って「誕生日おめでとう」と言ってくれた。
しっかり者になってくれた兄と、まだ意味が判らなくても兄を真似て健やかに育つ弟と、そんな姿を妻に見せてやれない遣り切れなさで、ラグナは泣きながら笑っていた位に堪らない思い出になった。
今ではスコールは17歳の高校生に、レオンも25歳で立派な大人になっている。
しかし、今日と言う日の習慣は今も変わらず続いていて、二人は父の誕生日祝いをしっかり用意してくれていた。
そろそろ受験が見えて来るスコールと、社会人として忙しくしているレオンであるから、流石に手作りケーキは用意できず、代わりに駅前にある有名店が今日から開店しているとチェックをしていたようで、其処で小さなホールケーキを買って来た。
贅沢過ぎるほど贅沢だ、とラグナは想いながら、彼等の準備が終わるのを待っている。
「湯が沸いたな。コーヒーにミルクはいるか?」
「……いる」
「砂糖は」
「それは良い」
「父さんはどうする?」
カップの準備をしながら、レオンが父に訊ねた。
ラグナは、そうだなあ、と考える素振りを見せてから、
「俺もミルクだけ入れて貰おっかな」
「判った、ミルクだな」
「レオン、後で皿を出してくれ」
「ああ」
父と弟にそれぞれ返事をして、レオンはてきぱきとやる事を熟していく。
社会人になるまで、母に代わって家事の殆どを担当していたレオンは、本当に手際が良い。
スコールも、幼い頃からその手伝いをし、兄が成人した頃にはすっかり役割を引き継いだこともあって、キッチン回りの仕事は慣れたものであった。
コーヒーサーバーをセットし終えたレオンが、食器棚からデザート皿を出す。
三枚のそれをキッチンに置いた所で、スコールが「あ」と言った。
「これ……」
スコールが眉根を寄せながら兄に見せたのは、一枚のチョコレートプレート。
長方形の薄いミルク味のそれには、本来ならメッセージなり名前なりと書いてあるのだろうが、今はそれらしきものは綴られていない。
と言うことはまさか───と言う顔をするスコールに、レオンは頷いた。
「ああ。これを注文する時に、誕生日ケーキなんだと言ったら、店員が添えてくれたんだ」
「……で、なんで何も書いてないんだ」
「ご家族でどうぞ、ってな。ほら、チョコペンもある」
そう言ってレオンがケーキの箱の奥から取り出したのは、ホワイトチョコレートのペン。
残っていたポットの湯でレオンがそれを温めている間、スコールは露骨に貌を顰めていた。
「書いておいて貰えば良かったのに」
「まあ、それもありではあったがな。でも折角なんだから。半分ずつ書こうか」
「レオンが書けば良い」
「そう言うな」
俺はやらない、と突っぱねるスコールであったが、彼のそんな反応は兄には予想済みだ。
構わずレオンは、程好く溶けたチョコペンで、メッセージプレートに文字を綴っていく。
スコールが幼い頃は、よく手作りケーキを用意していた事もあって、綴る字体もやはり慣れたものであった。
綺麗な筆記体で『父さんへ』『Happy』とまで書いてから、レオンはチョコペンをスコールに差し出す。
其処まで書いたなら、全部書いてくれたら良いのに。
スコールの表情はありありとそれを語っていたが、差し出されたものは一向に引っ込まない。
結局、押しに敗けるような気持ちで、スコールはチョコペンを受け取った。
切り分けたケーキを皿に移し、その一つにメッセージプレートも乗せて、レオンはそれを炬燵へと運ぶ。
スコールは残ったケーキをまた別の皿に移動させて、ラップをして冷蔵庫へと入れた。
コーヒーも炬燵へと移した所で、スコールも兄を追ってキッチンを後にし、父子三人がリビングの炬燵の中へと納まる。
「さてと。じゃあ、お祝いだな。誕生日おめでとう、父さん」
「……おめでとう」
一心地としてから、レオンが父に今日の祝いを述べれば、スコールもそれに倣うように言った。
もうそれだけでラグナは感無量と言うものだ。
「ああ、ありがとな。毎年ケーキも用意してくれてさぁ。俺ってば幸せものだなぁ」
「……大袈裟だ」
「ふふ。ケーキはまだ残っているから、明日も食べよう。今日は夕飯前だから、このサイズで勘弁な」
「うんうん、判ってる」
皿に乗せられたケーキは、元々のサイズが4号と言う小さなサイズと言うこともあって、どう切り分けても店で売っているような程好いカットサイズは難しい。
かと言って切り易い四等分では聊か大きめになってしまうし、今から三時間もすれば夕飯だ。
幾らケーキとは言え、このタイミングで沢山食べるのはどうかと、スコールが気を遣ってケーキを切り分けてくれた事はラグナもよく判っている。
ケーキを一口食べてみると、ふんわりとした触感のスポンジに、甘い生クリームが絡んで溶ける。
スポンジの間に挟んだスライスされたフルーツの酸味が味わい深く、もう一口、もう一口と進んでフォークが伸びた。
流石有名店のケーキだな、と呟くレオンに、スコールも頷いていた。
ラグナも息子たち同様に舌鼓を打っていたが、ふと、
(────お)
後の楽しみにと残しているチョコレートプレートに目が行った。
こういったデコレーションを作ることに慣れている、綺麗な筆跡の綴りと、其処に並んで几帳面な字体。
その光景が、嘗て幼い次男と一緒にケーキを作っていた長男の、思い出の情景と重なった。
あの頃にも二人はこうしてメッセージプレートを用意して、チョコペンで一所懸命にお祝いのメッセージを書いてくれたものだった。
当時はチョコペンの使い方にも四苦八苦していて、綴りが途切れたり、線がくにゃくにゃとヘビのように踊っていたりと、それは微笑ましいものだった。
それが今では、こんなに綺麗な文字で書けるようになっている事に、子供達の成長を感じる。
(食べちまうの、勿体ねえなあ)
そう思うのは、いつもの事。
息子たちが幼い頃から、学校の課題もあって書いてくれた手紙などは、今でもラグナのデスクの引き出しに大事に仕舞われている。
彼等から貰ったものは、いつまでもいつまでも大事に取っておきたいラグナにとって、どうしても残してはおけないチョコレートのメッセージプレートは、勿体無くて仕方がないものだった。
けれども、これを食べないと言うのも、それはそれで非常に勿体無い話だ。
昔、スコールがまだ甘いものが大好きな位に幼かった頃。
父の為にと用意したケーキは、それに添えられたチョコレートのメッセージも含めて、父への贈りものだった。
けれども、父が独り占めにする形になるチョコレートが、スコールは羨ましくて仕方がなかったようで、よくじいっと見詰めていたものだ。
そんなスコールが可愛くて、ラグナはいつも、メッセージプレートを割っていた。
レオンも仲間外れにしちゃいけない、と彼の分も用意すると、レオンは判り易く遠慮をするのだが、三人で同じものをシェアするとスコールが大層喜ぶものだから、結局彼も受け取っていた。
あれから時が流れて、スコールも味覚の変化もあり、甘いものはそれ程得意ではなくなった。
けれど、こうして祝う時には必ず同じ場所にいてくれて、口では色々と呟きつつも、準備はせっせとこなしてくれる。
レオンは、思春期真っ盛りの弟が少し素直になれるように口添えしながら、父が毎年願っているように、家族皆で今日と言う日を迎えられるようにと努めてくれるのだ。
────だからこれは願掛けだと、ラグナはメッセージプレートを持つ指先に少し力を入れて、ぱきりとそれを三つに割った。
幼い頃とは違い、異なる大きさに割ったそれをシェアすると、スコールは仕方ないと言う顔で、レオンは嬉しそうにそれを受け取ってくれるのだった。
ラグナ誕生日おめでとう!と言うことで息子二人にお祝いして貰いました。
父の誕生日祝いを喜んで準備するレオンと、文句言ってるようでちゃんと準備するスコールです。
ラグナが嬉しそうだと二人とも嬉しいんだけど、レオンは素直にそれを認めれる、スコールはツンデレする。
スコールがツンツンするのは、喜ばれるのも全部恥ずかしくて照れ臭いからだけなので、兄の父もちゃんとそれを判っています。