[三蔵&悟空]空が閉じた日
ゴロゴロ、と。
聞こえた音が嫌に大きくて、近いな、と三蔵は思った。
空を見上げれば、今にも泣き出しそうな暗雲。
昼間は残暑が強く、まだ夏の最中なのではないかと思う程に快晴だったのに、一体何があったのかと思うような変貌ぶりだ。
お陰で寺院の中は、急な雨雲への準備に終われ、あちこちでバタバタと騒がしい音が聞こえていた。
右往左往する修行僧達を尻目に、三蔵は常と変らない歩調で、自室へと向かう。
眉間の皺がいつもの三割増しなのは、雨天の前兆時にやってくる、じめじめとした湿気の不快感の所為だ。
腹の内から陰鬱とした気分が滲んでくるのを感じつつ、三蔵は不機嫌なオーラを撒き散らしながら進む。
修行僧達は、そんな三蔵の脇をそそっと通り抜けながら、また走り出してを繰り返していた。
寝室のドアを開けると、其処は暗く静かであった。
三蔵の眉根が潜められる。
今日は養い子が昼頃から此処で落描き遊びをしていた筈だが、途中で飽きて出て行ったのだろうか────そう考えてから、「違うな」と三蔵は呟いた。
部屋の明かりを点け、ベッドを見ると、こんもりと膨らんだ山がある。
三蔵は山を形成している布の端を徐に掴むと、一気に取り上げてやった。
「わわっわっ!うわっ!」
隠れん坊から見つかった子供が、わたわたと慌てて、頭を抱えてベッドに突っ伏した。
そのまま、ベッドを占領した子供────悟空は、ぷるぷると小さく震えて蹲る。
三蔵は判り易く呆れた溜息を吐いて、シーツをベッドの箸に放り投げた。
「何してやがる、このバカ猿」
「……う、ふぇっ……だって…」
恐る恐る悟空が顔を上げた。
そのタイミングで、窓の向こうが白く光り、直後に世界を割らんばかりの轟音が響く。
「ひぃうっ!」
「……落ちたな」
ビクッ!と体を跳ねあがらせた悟空と、窓の向こうを見て呟いた三蔵。
悟空はまるで凍り付いたように固まってしまい、瞬きすら忘れているかのように身動ぎ一つしない。
いや、出来ない、と言うのが、正しいだろう。
三蔵が窓の外を覗くと、ぽつ、ぽつ、と小さな雨粒がガラスを叩き出した。
それから程なく、バケツをひっくり返したような豪雨が降り出し、強風が窓をガタガタと揺らす。
ざあざあと煩い外界から目を逸らし、三蔵は踵を返した。
すると、未だに固まった状態で動かずにいる子供の姿が目についた。
「いつまでそうしてるんだ、てめぇ」
「…だっ、…って……ひわっ!?」
三蔵の背で空が光り、再び轟音が鳴り響いた。
悟空はまたビクッと跳ね上がって、ベッドの真ん中でダンゴムシのように丸くなって震える。
子供が雷を怖がるのは構わないが、三蔵にとって問題なのは、子供が陣取っている場所だ。
小柄であるとは言え、ベッドの真ん中を占領されては、邪魔で仕方がない。
「おい悟空。退け」
「………!」
「無理じゃねえ。退けっつってんだ」
保護者の命令に、悟空はベッドに突っ伏したまま、ふるふると首を横に振る。
何が出来ないってんだ、と三蔵が眉間に皺を寄せると、再三、轟音が鳴り響く。
─────途端、
「ふええっ!」
悲鳴と共に、塊が三蔵の腰に飛び付いて来た。
力の加減など忘れた子供の、全力のタックルに、鳩尾を抉られたような衝撃を喰らう。
腰にまとわりつく子供を、このクソガキ、と睨んで─────ぎゅう、と縋り付いて来る小動物に、三蔵は溜息を吐く。
「何ビビってんだ」
「だって!雷!」
「ただの自然現象だろうが」
「さっき落ちた!」
「ああ」
「ここ平気!?」
「さぁな」
縋り付き、震えながら叫んで問う悟空に、三蔵は呆れたように言う。
大して気にする必要はないとばかりの三蔵の態度だが、悟空は涙を浮かべてふるふると首を横に振る。
ぎゅっと更に強く抱き着いて来る子供は、外からゴロゴロと言う低い音が聞こえる度、小さな肩を跳ねさせる。
何が何でも放さない、と言わんばかりに縋る悟空の力に、三蔵が勝てる訳もない。
終いに悟空は、三蔵の胸に顔を埋めたまま、ぐすぐすと泣き出してしまった。
「ったく……おい、離れろ」
「……!!」
三蔵の言葉に、悟空はぶんぶんと首を横に振ってしがみ付く。
その頭をぐしゃりと撫でてやれば、きょとん、と金色が見上げて来る。
「………さ、」
「俺が寝る場所がねえだろうが。少しは端に寄れ」
言うと、悟空は震えて強張っていた手を、ゆるゆると離して行った。
外でゴロゴロと音が鳴り、びくっと小さな肩が跳ねる。
三蔵がベッドに横になると、直ぐに悟空が滑り込んで来た。
ぴったりと背中にくっついて丸くなる子供に、三蔵は溜息を一つ。
「蹴るんじゃねえぞ」
「ん、」
「鼾もするな。煩くて寝られねぇ」
「…頑張る、」
「なら良い」
其処にいて良い。
このままで。
──────空が光る、音が鳴る。
その度に、背中の子供が強く強く縋り付いて来る。
それでも、しばらくすると、健やかで安らかな寝息が聞こえて来て、三蔵も誘われるように目を閉じた。
我が家の上空が急にゴロゴロ来たので。