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2014年01月01日
「明けましておめでとーっ!」
鈴のような少女の声と共に、ぱぁん、と弾ける高い音。
何が起きたのか、すわ敵襲かとまで考えて咄嗟に構えようとしたスコールだったが、目の前でにこにこと楽しそうに笑う恋人の顔を見て、一気に気が抜けた。
「…これは違うんじゃないか、リノア」
「ん?そっかな?」
これ、と言ってスコールが指差したのは、リノアの手に握られているもの────パーティ御用達のクラッカー。
目出度い席や、楽しい宴の席でよく用いられるものであるが、幾ら今日が目出度い日とされるとは言え、これは些か雰囲気が違うのではないだろうか。
と、スコールは思うのだが、リノアはその辺りの事は深く気に止めていなかった。
「スコール、テープだらけだね」
「…あんたがこんなに近い距離で鳴らしたからだろ」
スコールの脳茶色の髪には、赤緑黄色と色とりどりのカラーテープと銀紙が引っ掛かっている。
クラッカーが弾けて飛び出したテープと銀紙が降り注いだのだから当然だ。
はあ、と呆れた溜め息を漏らしつつ、スコールは頭に乗ったカラーテープを払い除けた。
柔らかな髪の隙間で引っ掛かる銀紙も、リノアの手で一枚一枚回収されて行く。
身長差の所為で上手く行かないのか、ちょっと屈んで、と言われたスコールは、ベッド端に腰を下ろした。
リノアはスコールの前に立ったまま、真剣な表情でスコールの髪の中を探っている。
一分か二分か経った頃、カラーテープと銀紙は全て無事に取れたらしく、「もういいよ」とリノアが言った。
スコールが顔を上げ、リノアはスコールの隣に腰を下ろす。
「ね、ね。びっくりした?」
「……それなりに」
「そっかー。ふふ」
スコールの答えに、リノアは無邪気に喜んでいる。
何がそんなに彼女を喜ばせているのか、スコールには全く判らないのだが、彼女の機嫌が良い事だけは確かなので、まあ良いかと思う事にした。
ぽすん、とリノアの頭がスコールの肩に乗せられる。
黒くて長い髪がさらりと滑ったが、ジャケットを着たままのスコールには、その感触は判らない。
「スコール、今日は大変だったんでしょ。色んな所からスコール宛てのメッセージとかが来たって、セルフィが言ってたよ」
「……そうだな。ラグナと、大佐からも来た」
「パパから?」
カーウェイ大佐とバラムガーデン───指揮官であるスコールとは、政治的な意図を抜きにしても、太いパイプがある。
その理由の第一等であるリノアは、父の名前が出た事に、そわそわとした表情でスコールを見上げ、
「パパ、私の事とか、何か言ってた?」
「……世話をかけている、と言われた」
「他には?」
「…娘を宜しく、って」
スコールの言葉───カーウェイからのメッセージ───を聞いて、リノアの顔がぽんっと赤くなる。
それをスコールが見る前に、彼女はベッドに座ったスコールの膝に頭を乗せて俯せになった。
うーうーと甘える子供のような声を漏らすリノアに、スコールは首を傾げたが、取り敢えず彼女の機嫌が良さそうである事は判ったので、好きにさせる。
─────“娘を宜しく”と言う言葉に、どんな意味が込められているのか、スコールとて判らない程鈍くはない。
以前ならば、先ず自分がそんな言葉を向けられる事は有り得ない、と頭から否定していたが、今は違う。
リノアの事は他の何よりも、誰よりも大切に想うし、彼女をこれから先もずっと守って行きたいと思う。
カーウェイ大佐も、それを感じ取っていて、“宜しく”と言う言葉を選んだのだろう。
スコールは嵌めていた手袋を外して、膝に甘えているリノアの頭に手を置いた。
ぴくっ、とリノアが判り易く反応を示したが、彼女は顔を上げない。
そのまま、ぎこちなくリノアの頭を撫でてやると、膝に置かれていたリノアの手が、きゅう、とズボンの端を握った。
「……ね、スコール」
「……なんだ?」
呼ぶ声に、撫でる手を止めて返事をすると、リノアが首を巡らせて、寝転んだままでスコールを見上げる。
「あのね。私、魔女になっちゃったでしょ」
「……ああ」
「他にもさ、色々、あったでしょ」
「……ああ」
リノアの言う通り、今年は色々な出来事があった。
スコールはSeeDとなり、一年目の新米の筈が指揮官などに祀り上げられ、今では“伝説のSeeD”等と言う異名がついてしまった。
リノアはレジスタンスの一員から始まったのが、終わってみれば今代唯一の魔女となった。
思えば、たった一年────いや、一年にすら満たない時間の出来事だっただが、まるで何年間にも渡る長い出来事だったようにも思う。
その間に得たものもあり、失ったものもあった。
巻き込まれてしまった事を、巻き込んでしまった事を、人知れず悔やむ事もあった。
「ね、あのね。色々あって。あったけど。ううん、だからかな。うーん、上手く言えないんだけど」
しばらく言葉を探していたリノアだったが、結局、上手く当て嵌まる言葉は見付からなかった。
そもそも、自分は何をどう言おうとしていたのか、それも上手くまとまらない。
スコールは何も言わなかった。
彼は、自分の気持ちを完全に把握する事は勿論、その断片ですら口に出す事を苦手としている。
ただ、リノアの言葉の続きをじっと待つ。
「色々あったけど。私、今、凄く幸せだよ」
澄んだ青灰色の瞳を真っ直ぐに見上げて、リノアは言った。
スコールは、「……ああ」とだけ頷いて、もう一度リノアの頭を撫でる。
一年の間に、スコールは失われていた過去の出来事を思い出し、リノアは戦い続ける事で耐えなければならない恐怖と、それに立ち向かう勇気を知った。
そして何より、誰かを大切に想う事、失う恐怖を持っても手放せないものを知って、今に至る。
一年にも満たない出来事に思いを馳せ、今こうして、愛する人と穏やかに過ごす事の出来る幸せを、噛み締める。
「明日、セルフィが皆で新年会やるって言ってたよ」
「明日……」
「スコール、忙しい?」
「…夕方からなら、多少は時間が取れる」
「じゃあ皆で晩ご飯は食べれるね。皆もいる?」
「多分。ゼルとアーヴァインが昼には帰るから、それで全員だ」
一年間を共に過ごした仲間達と迎える、新たな一年の始まり。
セルフィはそれを肴に、仲間達と揃って賑々しく過ごしたいだけなのだろうが、其処まで突く必要はあるまい。
傭兵業をやっている以上、明日がどうなるかも判らないのだから、共に過ごせる時間は大事にしたいと言うセルフィの気持ちも、今のスコールにならよく判る。
もう以前のように、失った時の喪失感だけに怯える必要は、なくなった。
そうした感情をスコールに教えてくれたのは、他でもないリノアだ。
ほんの半年前に彼女と出逢うまでは、こんな風に誰かの温もりに安らぎを覚える自分がいる事なんて、気付きもしていなかった。
「……リノア」
「なーに?」
スコールが呼ぶと、リノアは心なしか嬉しそうに返事をした。
スコールの膝に頭を乗せ、嬉しそうに頬を赤らめて、此方を見上げて来る恋人。
瑪瑙の瞳が真っ直ぐに自分を映している事に、ほんの少し鼓動が逸っている事を隠して、スコールは彼女の赤らんだ頬に手を添えた。
「……これからも、宜しく」
「スコール様の仰せの通りに」
そう言って、リノアは照れ臭そうに笑って、小さな声で「よろしくね」と言った。
ゆっくりと顔を近付けて、唇を重ねる。
ぎゅ、と細い腕が首に回って、甘えるように抱き着かれた。
抱き締めて、抱き返してくれる温もりを、これからもずっと守り続けて行く事を誓う。
新年スコリノヾ(*´∀`*)ノ
相変わらず甘え甘やかしてのスコリノが好きです。
スコリノもスコ受けもひっくるめまして、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
「鐘を突いた程度で、人間の煩悩が消えるかよ」
炬燵に入って蜜柑の皮を剥きながら言った京一に、それは言わない約束だろう、と思いつつ、八剣は苦笑した。
ごぉーん、と言う音が遠くで鳴っている。
都心の真ん中でもあちこちに神社仏閣はあるから、何処かしらから鐘の音は届いて来る。
その音を耳にしながらの、先の京一の言葉であった。
八剣は淹れたばかりの茶と茶菓子を炬燵テーブルに置くと、京一の隣に腰を下ろした。
炬燵は二、三人が入れる程度の大きさはあるが、それも四方向から入っての事で、一辺に二人が並ぶと少し窮屈だ。
その上、京一は堂々と辺の真ん中を陣取っているので、その隣に八剣が入るとなると、中々に狭い。
「お前、邪魔」
「うん、ごめんね」
悪びれる様子もなく邪険に扱う京一に対し、八剣は詫びたがその場からは退かなかった。
京一はしばらく顔をしかめた後、真横からの存在感を嫌って、渋々と言う表情で少し体をずらす。
因に、此処は八剣が住んでいる拳武館の寮である。
だから部屋の主は八剣なのだが、来訪者と言う立場である京一はそんな事は何処吹く風で、まるでこの空間の王様のように振る舞っている。
それは昨日今日に限った話ではなく、八剣もそんな彼を許しているので、こうしたやり取りも京一の態度も、日常茶飯事であった。
京一は、大きめの蜜柑を半分に割ると、五つほど連なっている房を小分けにせず、丸ごとぽいっと口の中に放り込んだ。
膨らんだ頬袋をもごもごと動かしながら蜜柑を粗食する京一を、八剣はじっと眺める。
「大体よ。鐘鳴らすだけで煩悩が消えるんなら、今頃世の中に事件だなんだって起きてねえだろ」
「そうだねえ」
「俺らが鬼だなんだってのに巻き込まれて、死にかける事もなかった訳だし」
「まあ、それはそうかもね」
蜜柑のもう半分を、もう一度京一は口の中に放り込む。
噛んだ瞬間、薄皮の破れた隙間から蜜柑の果汁が溢れだして、京一の唇を濡らす。
八剣が湯飲みに注いだ茶を京一の前に差し出すと、彼は湯飲みを目視しないまま、手探りでそれを取って口に運んだ。
口の中にあった蜜柑を飲み込んで空にすると、京一はやはり隣の男を見ることなく、湯飲みに口をつける。
蜜柑を食べた味が消えない内に飲んだ所為か、「…苦ェ」と小さな呟きが溢れた。
八剣が茶菓子の入った皿を差し出すと、また見ないまま京一は茶菓子に手を伸ばす。
醤油煎餅をぱりぱりと噛み砕きながら、京一は眺めていたテレビのチャンネルをいじり、面白そうな番組を探す。
その傍ら、愚痴かぼやきにも似た呟き────独り言は続く。
「首絞められたり、バカみてぇな高い所から落とされたり。串刺しにされたりとかな。なんか碌でもねえ一年だったぜ」
最早、煩悩云々と言う話からは遠くかけ離れているが、八剣は何も言わない。
いつものように口許に薄く笑みを透いたまま、煎餅を食べながらテレビを眺める京一の横顔を眺めている。
「厄年だったのかもな」
「でも、そう悪い事ばかりでもないだろう?」
溜め息でも吐きそうな京一に、八剣は言った。
すると、じろり、と苛立ち混じりの瞳が八剣を睨む。
八剣が黙って茶請けの饅頭を差し出すと、京一はそれを奪うように取って自分の口へと持っていった。
甘いものは余り得意ではない京一だが、和菓子の類は案外と舌が肥えているらしく、八剣が用意する和菓子は無条件に旨いものとして認識しているようで、それを食べる事は嫌いではないらしい。
こし餡入りの饅頭をもぐもぐと粗食しつつ、「どうだかな」と京一は言った。
「ションベンくせぇガキどもとつるまなきゃならなかったってのは、面倒だったな」
京一が言っているのは、真神学園で共に過ごしている仲間達の事だ。
くすり、と八剣は小さく笑う。
そんな事を言いながら、京一が彼らの事を憎からず思っているのは、誰の目にも明らかだ。
この冬休み中でも彼らは折りさえ合えば、逢って何処かに遊びに行ったり、冬休み中の課題に奮闘したりと、仲睦まじく過ごしている。
特に親友であり相棒である緋勇龍麻とは、恋人である八剣よりも共に過ごしている時間が多いのではないだろうか。
だが、根本的に素直になれない京一は、何があろうと、意地でも他人を誉める事はしない。
彼の場合は逆に、好きなように言っても良い、と認識している相手程、好意と信頼のある人間と思っていると言って良いだろう。
「……おいコラ。何笑ってんだ、気持ち悪ィ」
テレビを眺めていた京一が、いつの間にか此方を向いていた。
細められた眼が八剣をじっと睨んでいる。
「なんでもないよ。ただの思い出し笑いだから」
「……やっぱ気持ち悪い」
「酷いねェ」
傷付いたように眉尻を下げる八剣だが、京一は鼻で笑っただけで、またテレビに視線を戻した。
八剣は、饅頭の最後の一口を頬張る京一の横顔を見つめながら、ぽつりと呟く。
「俺は、結構良い一年だったと思うよ」
「拳武館があんな事になっててもか?」
「それを言われると厳しいけど。終わり良ければ、と言う意味では、そう悪い事ばかりでもなかったね」
「ふーん」
京一の反応は、如何にも興味がないと言った風だ。
実際に彼は、八剣がこの一年間をどう感じているか等、興味どころかどうでも良いと言い切れる事なのだろう。
八剣の手が、京一の後ろ髪に触れる。
指先に絡む京一の髪は、相変わらず傷んでいて、毛先には枝毛もあった。
勿体無いね、と八剣が呟くと、無言で京一の手が八剣を振り払う。
「……京ちゃん」
「なんだよ」
名前を呼ぶと、京一は振り返らずに返事だけを寄越した。
テレビには毎年恒例のバラエティ番組が流れており、今は丁度盛り上がりに差し掛かっているらしく、彼の意識は全てそちらに向けられている。
八剣の手が京一の髪をもう一度撫でると、後ろ髪の隙間に覗く項に指が滑る。
ぴくっ、と京一の肩が微かに跳ねて、紅の混じった瞳が八剣を睨む─────瞬間、その眼が大きく見開かれ、彼の視界が金色に染まる。
「…んっ、ぐ……っ!?」
くぐもった音が漏れて、京一の腕が暴れようと振り上げられる。
それを捕まえてやると、八剣は京一の腕を自分の首へと回し、京一の背中を抱き寄せた。
そうして密着する事が嫌いな彼は、益々暴れようとしたが、八剣は構わず彼を押し倒して、床へと彼の体を縫い止めた。
覆い被さる男から逃げようと暴れる京一だったが、口付けが深くなり、長い時間が経つにつれて、その勢いは段々と衰えて行く。
やがて、八剣の首に回された京一の腕から力が抜け、指先が何かを迷うように八剣の上掛の襟を引っ掛ける中、八剣はそっと重ねた唇を放した。
「っは……、…っの、軟派野郎っ……」
「酷いねェ」
憎まれ口を叩きながら、京一は肩で呼吸し、服の袖で口許を拭おうとする。
その手を捕まえてやんわりと阻むと、この野郎、と射殺さんばかりの眼光で八剣を睨んだ。
その眼差しを見つめ返しながら、八剣は柔らかな笑みを浮かべ、
「概ね良い一年だったよ。何せ、京ちゃんと逢えたんだから」
八剣の言葉に、京一はぱちり、と瞬きを一つ。
それから、頬から耳から一気に赤くして、じろりと八剣を睨み付ける。
「俺は最悪だった」
「そう。良かったね」
「…人の話聞け」
忌々しげに睨む京一の言葉に、聞いてるよ、と八剣は言って、もう一度唇を重ねた。
「お前、今直ぐ寺行って煩悩根こそぎ祓って来い」
「それ位で祓えたら、人間は苦労しないんだろう?」
家でだらだら年越しな八京でした。
パワーバランスは一見八剣<京一ですが、こうなると八剣>京一。
素直になれない(ならない)京一と、そんな京一を寛容してる八剣が好きだ。
新年の寺が賑々しいのはいつもの事だ。
それに伴い、三蔵がせわしなく働かなければならない事も。
こんな時、悟空は大人しく三蔵の私室で寝正月を過ごすか、いつものように裏山に出掛けて一人で遊ぶしかする事がない。
右へ左へ慌ただしく走り回る修行僧逹がいる寺院内では、異端者扱いされている悟空の居場所などない。
悟空としても、誰一人構ってくれる事もなく、忙殺される修行僧逹の露骨な嫌味の混じる目線に当てられるのも、新年早々気分の良くないものであるから、早い内に雲隠れしてしまうのが吉と言うものであった。
今年の新年も、悟空は早速裏山に繰り出して遊んでいたのだが、何分、冬の真っ只中である。
幾ら体温の高い悟空と言えど、流石にいつまでも遊んでいられるほど優しい季節ではない。
体温は走り回っている間は上昇するので良いのだが、立ち止まると吹く木枯らしは冷たく感じるし、背中で滲んだ汗も冷えてしまい、体感温度が余計に低くなったように思う。
動物逹も殆どが冬眠している事だし、自分も大人しく冬眠しようか、と言う思考に行き着くのもそう遅くはなかった。
三蔵の私室へ戻った悟空は、無人の部屋の中で、ベッドに寝転んだ。
此処の主はいつも重役出勤である所為か、昼頃までその温もりが残っている事も珍しくはないのだが、今日は日も上りきらぬ内からベッドを後にした。
そもそも、昨夜の大晦日でも彼は遅くまで出張っており、寝床についたのも深夜過ぎであった筈────その時分、悟空は既に寝ていたので、正確な時間は判らないが、彼が随分遅くまで働いていた事は確かだ。
そんな訳で、今日のベッドはすっかり冷たくなっており、彼が一度は其処に戻ってきていたと言うことすら、幻だったのではないかと思ってしまう程だった。
冷たいベッドに寝転んでから、どれ程時間が経ったか。
冷たかったシーツには悟空の体温がそっくり伝わり、毛布と布団で外気を遮断して、ぽかぽかと暖かい。
これなら、仕事を終えて三蔵が戻って来た時、直ぐに暖かい床に就く事が出来るだろう。
しかし、新年の寺は毎年忙しく、三蔵が解放されるのは早くても夜になってからだろう。
このまま布団に包まったまま三蔵が帰ってくるのを待つとなると、悟空は約半日をベッドの中で過ごさなくてはならない。
じっとしている事が苦手な悟空にとっては、拷問同然だ。
かと言って、折角暖まった布団から出る事も気が進まず、体が温まったお陰が仄かな睡魔もやって来て、このまま寝正月コースかと思った頃。
「おーい、猿ー。生きてるかー」
「お邪魔します、悟空。明けましておめでとう御座います」
耳に馴染んだ二人の声に、悟空は閉じかけていた目をぱちっと開けた。
ミノムシ宜しく包まっていた布団を跳ね退けて起き上がろうとした悟空だったが、その前に何かが悟空の腹に乗ってきた。
重みを知って悟空が思い切ってガバッと勢い良く起き上がるると、きゅう、と言う鳴き声と共に、腹に乗っていたものがコロンと転がり落ちた。
「ジープ!悟浄、八戒、あけましておめでとー!」
ベッドの上で逆さまになっていたジープを抱き締め、悟空は弾む声で新年の挨拶をした。
おめっとさん、と悟浄が言って、ぐしゃぐしゃと悟空の大地色の髪を掻き撫ぜる。
「寝正月とは贅沢だな、猿の癖に」
「猿って言うな!」
「仕方がありませんよ。元旦ともなれば、寺は大忙しですからね。三蔵も真面目に仕事をしてしますから、悟空は退屈でも無理はないですね」
眉尻を下げる八戒の言葉に、そうなんだよ、と悟空は頬を膨らませる。
三蔵が忙しいのも、彼に限らず寺院内が慌ただしく、悟空の居場所がないのは毎年の事だ。
最初の頃は、何か手伝った方が良いのだろうか、と殊勝な事も考えたものだったが、何かとものを壊したり引っくり返したり、そうでなくとも修行僧逹から「仏様に供えるものを妖怪が触るなど汚れが伝染る」と風当たりが厳しくなるばかりなので、悟空は正月の間は大人しくしている事を決めた。
そんな訳で、悟空が退屈をもてあますのは致し方のない事なのだが、やはり暇が続くのは、少々辛いものがある。
其処へ来て、気心の知れた人物の来訪ともなれば、願ってもないもの。
悟空はジープを腕に抱えて、昼以来、久しぶりに布団から抜け出した。
「悟浄と八戒が来てくれて良かったぁ。すげー暇だったんだもん」
「そりゃお前はな。こちとら挨拶回りやら何やら、やる事が色々あるんだよ」
「って言ってますけど、悟浄もついさっきまで寝正月してましたから。僕とジープが起こさなかったら、今も寝てましたよ、きっと」
「じゃあ、オレの方がまだマシだなー。オレ、朝は山に行ってたもん」
山では一人で遊んでいただけだが、こんな昼過ぎまで堕眠を貪ろうとしていた悟浄の話を聞けば、彼よりは幾らかまともな正月を送ろうとしていたようだ。
八戒の言葉にそんな優越感を感じた悟空が言えば、頭に乗せられていた悟浄の手が、嫌味の仕返しのように悟空の頭を握る。
悟空は悟浄の手を振り払って、ベッドを降りた。
抱えていたジープが悟空の肩に乗って、まろい頬に頭をすりすりと寄せる。
─────ぐぅ、と悟空の腹の虫が鳴ったのは、そんな時。
「…そういやオレ、昼飯食ってないや。腹減ったぁ」
いつも悟空の昼食は、三蔵がいるいないに関わらず用意されるようになっているのだが、今日は寺院内が慌ただしい所為か、忘れ去られてしまっているようだ。
午前中、山で見つけた木の実を少し食べたが、それがいつまでも悟空の腹に残っている訳もない。
空腹を自覚した途端、悟空のテンションはすっかり下がってしまった。
鳴き声をあげる腹を撫でてやるが、それでこの胃袋が大人しくなる筈もない。
とにかく、何か詰め込んでおかないと、夕飯───それも寺院内の慌ただしさを思えば、常よりも遥かに遅くなることが予想される───までに体が持たない。
しょんぼりと判り易く落ち込んだ姿を見せる悟空に、八戒がくすくすと笑って、悟浄を見た。
悟浄は呆れたように溜め息を吐いて、手に持っていたものを悟空の前に差し出す。
「ほらよ。八戒お手製の肉まんだ」
「肉まんっ!」
差し出された袋を、悟空は奪うように捕まえた。
袋の中からセイロを取り出して、机に置いて蓋を開けると、まだ暖かな湯気をくゆらせる白山が二つ。
ぱああ、と金色の瞳をこれ以上ない程に輝かせる悟空を見て、八戒がくすくすと笑う。
「この時期ですから、お正月に相応しいものの方が良いかと思ったんですけど、やっぱり悟空はこっちの方が良いみたいですね」
「さんきゅー、八戒。いっただっきまーす!」
八戒への感謝の言葉もそこそこに、待ちきれないとばかりに、悟空は肉まんにかぶりついた。
正月用の食べ物や菓子など、精進料理のような質素なものから豪勢なものまで、色々とある事は知っている。
それらも決して嫌いなものではないのだが、体裁やら作法やらと気にする事なく、腹を満たす為に遠慮なく食べられるものの方が、悟空には喜ばしい。
リスのように頬袋を膨らませながら、肉まんを美味しそうに食べる悟空の姿に、八戒からは満足そうな笑みが溢れている。
悟空の口の端についた食べカスをジープが舐め、くすぐったそうに悟空がきゃらきゃらと笑う。
子供と小動物がじゃれあう姿を眺めながら、悟浄は煙草に火をつけた。
一口目に吸い込んだ煙を吐き出した所で、ガチャリ、と寝室の扉が開く。
「お、三蔵様のお帰りか」
「明けましておめでとうございます、三蔵」
「さんぞー、おかえりー!」
三者三用の出迎えの言葉を受けて、部屋の主────三蔵は判りやすく顔をしかめた。
忙殺された上、久しぶりに部屋に戻ってきてみれば招かれざる客がいたともなれば、眉間の皺が三割増しになるのも無理はない。
「……何故お前らがいる?」
「挨拶回り的な?」
「なら終わったな。今すぐ帰れ」
「えーっ」
睨む三蔵に対し、茶化した返事を突っぱねれば、直ぐに別の方向から抗議の色を含んだ声が上がった。
「良いじゃん、もうちょっと位。暇だし」
「暇してんのはお前だけだ」
「そりゃ判ってるけどさぁ。オレは何にもやる事がないんだもん。外で遊ぶのも飽きちゃったし」
「………」
忙しくしていた三蔵にしてみれば、悟空の言葉は嫌味に聞こえても無理はなかった。
が、養い子にそんな悪意がある訳もなし、一度二度は手伝いを申し出た悟空に「大人しくしていろ」と言ったのは三蔵だ。
三蔵はしばらく悟空を睨んでいたが、悟空の意識は既に八戒手製の肉まんへと移っており、嬉しそうにそれを頬張る子供を見ている内に、俄の苛立ちは溜め息と共に押し流した。
三蔵は机に着くと、取り出した煙草に火を付けた。
昨夜から続く忙殺にうんざりとして、ようやくの一服だったのだろう。
「お疲れ様です、三蔵。お茶淹れましょうか」
「ああ」
「悟空の分も淹れますね」
「うんー」
「聞いてねえぞ」
悟空の意識は完全に肉まんに捕まっており、回りの様子などまるで目に入っていない。
時分の名前が聞こえたので取り敢えず返事をした、と言うおざなりな返事だったが、誰も咎める者はいない。
悟空は二個目の肉まんを食べ終わって、三個目に手を伸ばしている。
流石に特大の肉まんを二つ食べると、それなりに胃袋も落ち着いたので、食べるペースもゆっくりとしたものになった。
しかし、目の前に食べ物があるとなれば、放っては置けない悟空である。
三個目の肉まんは半分に割って、片方はセイロに置いておき、半分をジープと分け合いながら食べている。
八戒が淹れた茶を片手に、四人で机を囲む。
セイロに残った半分の肉まんを悟浄が食べ、取っておいたのに、と騒がしくなる二人を無視して、八戒は三蔵に訪ねる。
「今日は流石に、外に出る暇はありませんか」
「何処かの暇人どもと違ってな」
「明日か明後日はどうです?お鍋しようと思ってるんですけど」
「明後日の夜なら空く」
「じゃあ、明後日にお鍋の用意をしますから、悟空もちゃんと連れてきて下さいね」
八戒にしてみれば、招待したいのは三蔵よりも悟空だろう。
可愛がっている悟空の腹を、自分の手料理で腹一杯にしてやって、悟空が幸せそうにしている所を見るのが好きなのだ。
三蔵への誘いは、保護者への打診のついでと言って良い。
悟浄に取られた半分の肉まんに代わり、まだ手をつけていなかった四個目の肉まんを確保している悟空は、二人の会話をしっかり聞き留めていた。
「何々?鍋?すき焼き?」
「お前、ほんっとすき焼きハマッたな」
「それは良かった。でも、残念ながらすき焼きじゃなくて、今年はしゃぶしゃぶですよ」
「しゃぶしゃぶ?」
聞き慣れない新しい単語に、悟空がきょとんと首を捻る。
ジープまで一緒に首を傾げて見せるその仕草が、どちらも小動物じみていて可愛らしい。
そんな一人と一匹の反応に、悟浄がにやにやとヤニの下がった笑みを浮かべ、
「生の肉をしゃぶるんだよ」
「しゃぶる?何?」
「だから──────」
何を言わんとしたのか、それ以上悟浄の言葉は続くことはなく、代わりに銃声が響き渡る。
籠められた弾丸が全て放出される数の銃声が鳴り響いて、同じ数だけの弾痕が壁に刻まれた。
「あっぶねーな!何しやがんだ、この生臭坊主!」
「煩悩を祓ってやろうと思ってな」
「駄目ですよ、三蔵。大掃除で折角綺麗にした壁に、新年早々穴を開けては」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「ねー、しゃぶしゃぶって何ー?」
新年からの物騒なやり取りに、扉の向こうで修行僧達が戦々恐々としている事など、四人の知る由もなく。
例年通りの一年になる事を予期するかのように、三人の男達の隙間を塗って、無邪気な子供の声が響いていた。
すき焼き知らなかった悟空なら、しゃぶしゃぶも知らなくてもおかしくないなーと。
三蔵に拾われて、悟浄と八戒と逢って、いろんな初体験をしたんじゃないかなあ。
めっきり最遊記ジャンルを書く機会が減ってしまいました(汗)が、まだまだ悟空を愛してますので、今年もどうぞ宜しくお願いします。