とある日曜日の午後───バラムガーデンの家庭科用の調理室にて、イデア・クレイマーはとある子供達の到着を待っていた。
班グループになって、複数人数での調理実習が行えるように、調理室には10人程度で囲める大きさの、コンロやシンク付の調理台が並べられている。
イデアはその一角を借り、机の上にボウルやゴムベラ、鍋を揃え、その横にギフト用に使われるラッピングセットが置いてある。
そして教室の隅の冷蔵庫の中には、授業で使用される各種調味料の他、家庭科部が部費で買った食材が収められているのだが、今日は其処にイデアが用意した食材も入っている。
イデアは普段、バラムガーデンの三階フロアにある学園長室で過ごしており、子供達の為に用意する手作り菓子の材料や調理器具の類も、其方に揃えられている。
水回りやコンロも全て整っているので、イデアがプライベートで行う料理の為に、ガーデンの施設を借りる事は先ずない。
が、今日はいつもと少々事情が異なる為、此処を借りる事にしたのだ。
色々と汚しては面倒なものが誂られている学園長室と違い、此処なら掃除も簡単だし、作業スペースも広いので、複数人が余裕を持って作業する事が出来るだろう。
これで準備は万端、後は約束した時間が来るのを待つのみ────だったのだが、その時間よりも随分と早いタイミングで、件の子供達はイデアの下へ現れた。
「ママ先生、こんにちは!」
「こんにちはー!」
挨拶は人と人とを繋ぐ基本、決して欠かさない事。
育ての母の躾をしっかり守って、子供達───スコールとティーダは、扉を開けると同時に、元気の良い声で挨拶をした。
ふんわりとした濃茶色と、太陽を思わせる眩い蜜色に目を細め、イデアも挨拶を返す。
「こんにちは、スコール、ティーダ」
「ママ先生!」
「せんせー!」
膝を折って目線の高さを合わせるイデアに、スコールとティーダが駆け寄る。
ぎゅうっと抱き着いて来た二人を受け止め、イデアは愛しい子供達の頭を撫でた。
じゃれる子供達を一頻りあやして、イデアは子供達から手を離す。
「さあ、始めましょうか」
「はい!」
「うん!」
イデアの言葉に、スコールとティーダは力強く頷いた。
スコールとティーダは、背負っていた鞄を下ろすと、エプロンを取り出して身に付けた。
背中の紐はまだ自分で上手く結べないようで、それぞれ交代で結んでいる。
イデアもいつも使っている黒のエプロンを身に着けて、教室隅の冷蔵庫へ向かった。
イデアが冷蔵庫から取り出したのは、まだ封を切っていない四枚の板チョコ。
何処ででも売っている、ガーデンの購買にも置かれている普通のチョコレートである。
「スコールとティーダは、お料理の授業はした事があるのかしら」
「やった!」
「カレー、作ったんだよ」
二人の言葉に、そう、とイデアは笑みを浮かべる。
「じゃあ、包丁も使った事があるわね」
「うん」
「人参とじゃがいも、切ったんだ」
「上手に切れた?」
イデアの質問に、スコールとティーダは揃って頷いた。
それなら、料理中にやっては行けない事や、火を使っている時の注意点も聞いているだろう。
料理中の兄や姉にじゃれ付くのもいけないと覚えているし、近頃は兄や姉の料理の手伝いを申し出る事もあると言う。
とは言え、何かと過保護な長兄の事、あまり危ない事や、慣れない事はさせていないのは想像に難くない。
イデアは板チョコをまな板の上に置いて、自分を挟んでまな板を覗き込んでいる子供達を見た。
「先ずは、チョコレートを細かく砕きましょう」
「砕くの?バラバラにする?」
「ええ」
「はーい」
チョコレートの封を切った二人は、イデアの手元を見ながら、作業を真似する。
板チョコは3×5のマスのブロックになっているので、継ぎ目で力を入れれば簡単に割れた。
そのまま手でぽきり、ぽきりとブロックを割って行く。
本当は細かく刻んだ方が溶けるのも早く、ダマになる事もないのだが、固いチョコレートを包丁で切るのは骨であるし、子供達に任せるには、まだまだ危なっかしい気がした。
手で砕くだけでもチョコレートはそれなりに細かく出来るし、ゆっくりじっくりと溶かせば、失敗する事もないだろう。
出来るだけ細かくしようと思ってか、スコールとティーダは一所懸命、指先に力を入れてチョコレートを砕いている。
そろそろ手作業では無理だろうと言う大きさになっても、うんうん頑張る二人を見て、イデアはくすりと笑った。
「もう良いですよ、二人とも。さ、チョコをこのボウルに入れて」
「はーい」
「溶けたチョコ、手についちゃった」
二つ並んだボウルをそれぞれ一つずつ使い、チョコレートを移して行く。
その途中で、ティーダが指先についたチョコをぺろりと舐める。
お行儀が悪いですよ、とイデアが言葉だけで叱ってやると、ティーダは舐めた手を背中に隠して、エプロンでごしごしと拭いた。
イデアは鍋に水を入れ、コンロに置いて、火をつける。
「こうやって、お水を沸かせて……」
「チョコ、どうするの?」
「入れるの?」
「お湯の中に入れちゃうと、固まらなくなってしまうのよ」
じゃあどうするの?と揃って訊ねる子供達。
イデアは、湯が沸騰した所でコンロの火を止め、チョコレートを入れたボウルを手に取って、鍋の上にそれを置く。
ボウルの大きさは鍋の大きさとぴったりで、鍋はボウルで蓋をする形になった。
「こうすれば、チョコレートに直接お湯を入れないで、溶かす事が出来るの」
「なんか、レオンとエル姉がやってるの、見た事ある気がする」
ティーダの言葉に、スコールが僕も見た、と頷く。
レオンとエルオーネは、弟達に菓子を手作りしているので、スコール達がその作業工程を見た事もあるだろう。
ボウルが温まり、熱を伝えて、チョコレートを溶かして行く。
イデアはゴムベラでゆっくりとチョコレートを掻き混ぜ、万遍なく溶けるように促す。
バラバラだった小さなチョコレートの塊が、とろりとした液状になって行くのを見ながら、イデアはスコールにゴムベラを持つように促した。
「さあ、スコール。やってご覧なさい。ボウルとお鍋は熱くなっていますから、火傷しないようにミトンを付けて」
「はい、ママ先生」
イデアに言われ、スコールは調理台の横に吊るされていた調理用ミトンを手に取る。
まだ幼いスコールには大きなミトンで、両手に着けるとゴムベラが持てなくなってしまうので、ボウルを支える左手だけに着用する事にした。
スコールはミトンのつけた左手でボウルを持ち、ゴムベラでぐるぐるとチョコレートを混ぜる。
バラバラだったチョコレートは、溶けた分を接着剤にしてくっつきあい、凸凹の塊になって行く。
それがまた溶けて行き、とろりとして行くのを、スコールは楽しそうに見詰めながらゴムベラを動かしていた。
そんなスコールの傍らで、やる事がないティーダが羨ましそうに見詰めている。
イデアはもう一つ鍋を出して、水を入れる。
「ティーダ、こっちはあなたの分よ」
「!」
イデアの声を聞いて、ティーダがぱっと破顔した。
調理台には、一つにつき二つのコンロが設置されているので、スコールとティーダが同時進行で作業する事が出来る。
イデアは先と同じように、沸騰した湯の上にボウルを被せ、新しいゴムベラでゆっくりと混ぜて行く。
一番下のチョコレートが溶け始めたのを確かめて、イデアはゴムベラをティーダに譲った。
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