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2017年08月08日
見た目の頼り甲斐と違って、決して強くはない人間だと言う事を、クラウドは知っている。
帰っているのなら手伝えと、見付かるなり首根っこを引き摺られて、ハートレス退治に駆り出された。
特に用事があった訳でなければ、探している男の手がかりについても、何も進展はない。
だから時間を持て余していたのは確かで、幼馴染達が常に人手を求めている事も理解しており、たまにしかそれに協力する機会を作っていない事も自覚があったので、暇潰しも兼ねて仕事を引き受ける事にした。
しかし、パトロールの最中に振り出した雨については、辟易する。
事前にシドやトロンから、データから算出された天気図により、午後から雨が降ると聞いてはいたが、こんなにも土砂降りに見舞われるとは思わなかった。
振り初めこそポツポツとした小雨程度であったのだが、それからものの五分としない内に、バケツをひっくり返したような雨に変わった。
幸い、門が近かったので、其処まで走って軒下に滑り込んだが、その時には二人ともすっかり濡れ鼠だ。
「散々だ」
「…そうだな……」
濡れて垂れ落ちて来る前髪を掻き揚げながらクラウドが呟けば、レオンも同じように、傷の走る額に張り付く前髪を払って頷いた。
レオンは水を吸って重くなったジャケットを脱いで、積み上げられた瓦礫の上に放った。
アンダーに来ていた白いシャツも、雨の所為で薄生地が透けてしまっている。
男とは言え、流石に此処で裸になる訳にはいかないと思うのか、レオンはそれ以上脱ぎはしなかったが、ベタつく服が鬱陶しいのだろう、襟を摘んで肌から距離を空けようとしている。
クラウドもトップスの前を広げて、服の中に籠った湿気を逃がすが、煙る雨の所為で大気も湿気ばかりとあっては、爽快さとは程遠い。
コツ、と固い靴音を鳴らしながら、レオンが近付いたのは、元々窓であったろうと思われる位置。
今はガラスも何もない、ぽっかりと穴だけが開いている其処に立って、レオンは雨に濡れる街並みを見ていた。
「……これだけ激しい雨なら、ハートレス被害も減るか」
「多分な。休憩だ、休憩」
雨が降ると人々の外出が減り、ハートレスに襲われる人も減る。
そう言う意味では、パトロールが必要とされないので、雨の日の再建委員会は休息時間でもあった。
しかし、レオンにとっては複雑な所だろう。
小雨程度のものならともかく、雨宿りが必要な程の激しい雨となると、復興作業は中断せざるを得ない。
一日でも早く、嘗ての故郷の姿を取り戻したいレオンにとっては、もどかしいものであった。
かと言って、雨が齎す恩恵や、生活に必要な貯水の事を思うと、降るなと言う訳にもいかない。
ふう、と溜息を吐いて、レオンは石の窓に寄り掛かった。
長く伸ばした濃茶色の髪から、ぽつ、ぽつ、と水滴が落ちて、瓦礫の表面に滲んでいく。
「……しばらく止みそうにないな」
レオンが見上げた空は、どんよりと濃い雲に覆われている。
雨ばかりが強く、風はほとんど感じないので、天候が停滞しているようにも見えた。
雨雲がどれ程の大きさかは判らないが、しばらくは此処で立ち往生しているしかなさそうだ。
クラウドが窓の向こうを見ると、深い谷の道があり、其処でうろうろと動き回っている影があった。
動きは鈍く、岩場の影に入ると動かないのを見ると、あれらにも雨を嫌う習性があるようだ。
濡れた所で大した意味も嫌う理由もなさそうだが、何かの心から分離して現れた生物───と言って正しいかは知らないが───だから、多くの生き物が雨に濡れる事を避けるように、その意識が根底に残っているのかも知れない。
────等と言う学者のような考察をした所で、クラウドには全くどうでも良い事だ。
ハートレスが大人しいのなら、汗水垂らして歩き回る時間は減るし、休息時間が多く取れるのな歓迎である。
そして雨が上がってハートレスの活動が活発化すれば、その時は退治していくのみ。
それ以上の情報は、クラウドには不必要なものであった。
しかし、レオンにとっては少々違う。
「……不思議だな。濡れる事を嫌がる訳でもないのに、雨は避ける」
「そうなのか」
「ああ。この修正が利用できるなら、新しいセキュリティに組み込む事も考えられるが、確信がないな…」
再建委員会として、復興作業の大まかな指示や、資材の確保に駆け回る傍ら、ハートレス対策としてパトロールをしているレオンである。
人を襲うだけでなく、作業に使う大型機械を壊したり、何かと作業を邪魔しに来るハートレスは、出来るだけその動きを鈍らせたい。
シドがトロンと共に完成させたセキュリティシステムのお陰で、幾らか作業はやり易くなったが、それでも被害報告は絶えなかった。
中型ハートレスになって来ると、知能を持つのか、セキュリティシステムが届かない場所から攻撃してくる事もある。
それを思うと、幾ら対策を講じてもいたちごっこにしかならないのだが、かと言って、対策を怠る訳にもいかない。
レオンを中心とした復興委員会のメンバーは、ハートレス退治に使える対策方法を、殆ど毎日のように考えていた。
じっと雨の中を見詰めていたレオンであったが、しばらくすると、ふう、と溜息を吐いて目を伏せた。
これと言って使える案が思い付かなかったのだろう。
その様子を眺めながら、クラウドもひっそりと溜息を零す。
(少しは休憩できないのか、お前は)
雨の所為で、どうせ動く事は出来ないのだから、休憩しようと言ったのはクラウドだ。
それは単純に体の休息だけではなく、頭の休息も指している。
再建委員会と言うものを立ち上げ、自身が其処に所属していると言う責任感か、レオンは常に街の事を考えている。
その甲斐あってか、ぽつりぽつりと故郷に戻って来た人々は、こぞって再建を頼りにし、その中でもレオンはよく声をかけられていた。
土木作業が多い事、ハートレスと戦う必要もある所為か、女性よりはレオンの方が頼りにされているように見える。
再建委員会の中では、若者たちを育てたシドの方が年長ではあるのだが、良くも悪くも彼は大雑把である。
そんなシドよりも、細々とした気配りが出来るレオンの方が、皆も頼り易いのかも知れない。
────其処まで考えて、クラウドは歪む口元を隠した。
唇の形は歪な笑みを浮かべているが、決してそれは、レオンや街の人々を嘲笑する訳ではない。
ただ、街の人々が見る“レオン”の人間像が、実物との剥離が大きい事が、無性に可笑しさを誘う。
(お前は、そんなに大層な人間じゃない。お前自身もそう思っているんだろう?)
音のない声で問うクラウドに、答える者はいない。
けれど、応じるようなタイミングで、レオンが拳を握るのが見えた。
雨の向こうに見える故郷の景色は、クラウドが幼い頃に見たものとは程遠い。
街の規模だけは大きいばかりで、中身はまだ半分も埋まっておらず、戻って来た人々も、安全が確立された場所に寄り添うように固まっている。
レオンは、そんな街を“元通りの”“それ以上の”街にしたいと言っている。
これはユフィやエアリスも同じ気持ちであったが、その根底にある感情は、レオンと彼女達とで随分と差があった。
立ち尽くすレオンの胸に去来するものが何かと聞かれれば、クラウドは間違いなく、怒りであると答える。
それは故郷を奪った者への怒りでもあったが、それ以上に、彼自身を灼く怒りでもあった。
(そんな事を気にしているのは、お前だけなのに)
レオンが“レオン”と名乗る理由を、幼馴染の面々は知っている。
シドも本人から聞いたようで、好きにしろ、と言ったそうだ。
故郷を失ったあの日、最も深い傷を負ったのは、若しかしたらレオンなのかも知れない、とクラウドは思う。
その傷の呪縛に、レオンは長い間苛まれ続け、今もその苦しみは続いている。
平静とした表情の内側で、記憶とは未だ程遠い故郷の景色を見ては、彼は歯痒い思いを抱いていた。
だが、あの日、あの時、幼かった自分達に出来た事など、幾許もないのだ。
シドに抱えられるようにして逃げ延びる以上に、幼かったクラウド達が行動できる事はなかった。
その後、故郷に戻るべく奮闘し、鍵の勇者に行く道を示しただけでも、レオンは過去の贖罪を十分に果たしたのではないだろうか。
街に戻ってからは再建委員会を立ち上げ、日々奔走しているのだから、もうレオンを責める者はいない───いや、最初からそんな者は一人としていなかったに違いない。
……今も彼を責める、彼自身を除いては。
────ふう、とクラウドが一つ大きな溜息を吐き出すと、その声が聞こえたのだろう、レオンの体が驚いたように跳ねたのが見えた。
思考の海に沈んでいたのだろう、レオンは我に返って、ふるふると頭を振っている。
クラウドはそんなレオンに近付いて、隣で窓の石枠に寄り掛かった。
「雨が降ればハートレス被害が減るなら、当分降っていて欲しいもんだな」
「……そう言う訳にはいかないだろう。作業の方が進まない」
クラウドの台詞に、レオンが馬鹿な事を言うなと眉根を寄せる。
そう言う反応になるよな、と予想に違わぬレオンの言葉に、クラウドは肩を竦める。
「だが、作業をしている連中だって、毎日休みも無しに働ける訳じゃないだろう」
「…それはそうだが。別に、休みなしで毎日出て貰っている訳でもないぞ。シドはセキュリティの監視に出て貰っているから、余り休ませてやれていないが…」
「どうせシドは外には出ないんだから、それ位はやらせていれば良い」
「お前な……案外大変なんだぞ。データの収集からエラーの修復から、全部任せてしまっているんだから」
レオンはそう言って、負担を減らす方法を考えないと、と言うが、クラウドは放って置いても大丈夫なのではないか、と思っている。
無論、シドとて若くないのだから、負担を軽減させるのは良い事だが、精神的な面ではシドはかなり頑丈だ。
適当に息を抜く事も、手を抜く事も覚えているし、そう言う点では年若い面々よりも上手く回せている。
それを思うと、やはり最も負担が大きいのは、レオンだろう。
変に真面目な性格でもあるので、引き受けた事は完璧にやり遂げないと気が済まないし、一つの事を考えている内に、其処から派生する問題まで頭が巡り始めるので、本当に休む暇がない。
今もまた、レオンは思考を巡らせているらしい。
雨の降る街を睨み、ぶつぶつと独り言を零しているレオンに、クラウドは零れかけた溜息を飲み込む。
再び思考の海に沈んでいるレオンに無言で近付くと、徐にその腕を掴んで引っ張った。
完全に油断していたレオンの躯は簡単に傾いて、クラウドはその肩を捕まえて、僅かに高い位置にある頭を自分の方へと引き寄せる。
「……っ!」
重なり合った唇に、レオンが目を瞠る。
一瞬だけ口を離せば、何を、と形が紡がれたが、クラウドは構わずにもう一度キスをした。
逃げる舌を絡め取り、撫でてやれば、鼻にかかった声がレオンの喉奥から零れる。
「……っは…、おい!」
レオンが腕を突っ張って、クラウドの躯を離そうとする。
しかし、肩を掴むクラウドの腕には確りと力が入っており、見上げる碧眼には欲の色が映っていた。
こんな場所で、とレオンは呆れるが、それもクラウドは気にしない。
逃げを打つ体が壁へと押し付けられ、クラウドの手がシャツの上からレオンの胸を撫でる。
「クラウド!」
「良いだろう、止むまでは休んでいれば。ハートレスも大人しいし、あんた一人が働く気でも、仕事がないんだから」
「……考える事は幾らでもあるんだ」
「考えても動きようがない」
クラウドの言葉は的を射ている。
幾らレオンが頭を巡らせた所で、この雨の中では、何も動きはしないのだ。
それでも今の内に決めたい事が、とレオンは思ったが、喉元に喰いつくように歯を当てられて、ようやく諦めた。
「……もう構わないが…これは、俺は休める事になるのか?」
「なるだろ」
「疲れるだけだと思うんだが」
「あんたは体を休めるのは勿論だが、頭も休ませた方が良い」
レオンは、いつも考え事で頭が一杯だ。
それは必要な事ではあるのだが、クラウドは時折、考え過ぎで頭の中がショートする事があるのではないかと思う。
……寧ろ、一度や二度はショートしてしまった方が、楽に眠れる日があるのではないか、とも。
だが、レオンが自分で思考を放棄する事はないだろう。
だからクラウドは、レオンの思考を無理やり停止させる方法を取る。
まだ濡れているシャツの中に手を入れると、じっとりと湿った肌に触れた。
蒼の瞳は諦めた色で、降り頻る雨の向こうを見ている。
クラウドがもう一度、白い首に噛み付くと、レオンが体の力を抜いたのが判った。
『クラレオで切ない感じのお話』のリクエストを頂きました。
過去に縛られ続けるレオンと、どうにかしたいけど、どうにもならないとも感じているクラウド。
色々諦めてしまえば楽になるだろうに、それをしない、出来ないのも判っているから、深くは踏み込めない。
時々シャットアウトさせるのが今は自分の役目。
スコール→?×レオンの三角関係が示唆されています。
物心がついた時から、人付き合いと言うものが苦手だった。
沢山の人の輪の中に入って行く勇気などないし、頑張って踏み込んでも、其処に自分の居場所があると思えない。
あるのは自分の発言によって何が起こるのか、それが良い事か悪い事か、それによって自分の初めからない居場所が更に失われるかどうかと言う事。
傍にいて安心する事が出来るのは、家族と言う極限られた人のみで、後は全て他人。
保育園の先生も、同じ年頃の男の子も女の子も、全て“他の人”で、スコールにとって心を預ける人間には成り得ない。
どうしてそう感じるのかと言われても、理由が判るものであるなら、スコールの方が教えて欲しい位だ。
ただ、本能的に、スコールはそう考えるように出来ていて、そう言う風に感じる人間なのだとしか言いようがなかった。
だから幼い頃から、家族以外の人と向き合うのが苦手で堪らなかった。
周りにいる者がいつ自分を攻撃してくるか、そんな妄想に囚われていた事も否めない。
それは誰に責任がある訳でもなく、勿論、スコール自身が悪い訳でもない。
そう言う風に感じ、考え、掴み処のない不安に捕まってしまう、強迫観念が頭の芯に根付いていただけだ。
スコールにとって幸いだったのは、家族がそんなスコールを受け入れ、理解してくれていた事だろう。
幼い時分から続く酷い人見知りを、確りしなさいと叱られた事は一度もない。
無理しなくて良いよ、と手を繋ぎ、毎日のように保育園や小学校の送り迎えをしてくれた兄や、怖い思いをすると直ぐに駆け付けてくれる父のお陰で、スコールは必要以上に委縮した成長をせずに済んだ。
社会生活に置いて、否応なく迎えなければならない独りの時間と言うものも、兄と父が時間をかけて慣らしてくれた。
だからスコールは、中学生になる頃には、一人で学校生活を送れるようになり、会話は相変わらず少ない性質であるが、友人と呼べる者を持つ事も出来た。
それでも、相変わらずスコールの世界は狭い。
幾らか克服したとは言え、幼年の頃から続く、外の世界への恐怖意識は、簡単に拭い去れるものではなかったから、無理もないだろう。
だが、スコールはそれで自分の生活に不自由を感じた事はなかった。
生まれてこの方、その場所から動く事なく成長して死んでいく人間などごまんといるのだから、スコールだけが自分の世界に閉じこもってはいけない理由はない。
父も兄も、若しもスコールが自分の意志で何処かへ行きたいと思うなら、その時は遠慮しなくて良いと言う。
だからその日が来るまでは、スコールが過ごしやすい場所で、楽な気持ちでいられる場所にいれば良い、とも。
だから、なんとなく、このままの世界が続いて行くのだろうと、スコールは思っていた。
少なくとも、自分が真っ当な独り立ちが出来るようになるまでは。
けれども、色が変わる瞬間と言うものは、前触れもなく訪れる。
“彼”が兄と特別な間柄である事は知っていた。
いつ頃からか、詳しい事をスコールは知らないが、ある一時から、兄が家族の前では見せない顔を、彼と一緒にいる時だけ見せていた。
それを初めて見た時は、少なからずショックを受けたように思う。
自分の世界で一番頼りにしていた兄が、知らない何処かで、知らない何かに変わっていくような気がしたからだ。
だから初めは、“彼”を酷く警戒したし、ひょっとしたら嫌ってすらいたのかも知れない。
誰よりも頼りにしていた兄を作り替えていく異物として、彼と言う存在を排そうとしていた────そんな気がする。
けれど、“彼”がとても優しい人だと知った。
兄の変化を喜ぶ父の傍ら、その変化を受け入れられない自分が、苛立ちを募らせていた時の事だ。
大事な兄貴なんだろう、すまないな、と弱り切った顔で詫びを告げられて、酷く戸惑ったのを覚えている。
何も言わずに兄を浚って行くような人なら、自分の世界を壊した犯罪者として、一方的に憎んでいられたのに、“彼”はそうしなかった。
スコールの世界の形を変えた事を理解しており、それを齎したのが自分である事も判っていて、それを恨むスコールを咎めようとはしない。
悪いな、と言って頭を撫でる“彼”に、スコールは自分の矮小さを思い知った。
同時に、こんなに優しい人なら、兄が心を預けるようになるのも無理はないのだと知って、そんな人に逢えた兄が、羨ましくなった。
スコールに、唯一無二と呼べる人はいない。
敢えて言うなら、父や兄がそうだったのだろう。
けれど、父にとっては母が、兄にとっては“彼”が唯一無二だ。
それを言えば、彼等は口を揃えてスコールの事も唯一無二の家族だと言うのだろうけれど、違うんだ、とスコールは思う。
“家族”ではなく、“スコール”として、一個人として、自分を唯一無二に見てくれる人が欲しい。
スコールは、そう渇望するようになっていた。
その渇望の矛先は、いつの間にか“彼”へと向けられた。
“彼”は、恋人である兄に対しては勿論、その弟であるスコールにも、優しい。
露骨な子供扱いには辟易する所もあったが、柔らかな眼差しで見詰められると、心の奥底まで除かれてしまいそうで、怖いと思う反面、全てに気付いて欲しいと思った。
一日の就学時間を終え、夕飯の買い物を済ませて家に帰ったスコールを出迎えたのは、一足の靴。
スコールの靴よりも一回り大きなそれが誰のものであるのか、スコールは直ぐに悟った。
“彼”がいる。
それを知ったスコールは、逸りそうになる足を抑え、いつもの歩調を意識して短い廊下を進む。
そして突き当りにあるリビングへのドアを、一呼吸して心臓の鼓動を宥めてから、押し開けた。
「……ただいま」
いつもよりも少しだけ、声が大きくなった。
明らかに浮ついている自分に呆れつつ、目当ての人を探してリビングを見回す。
“彼”はソファに座っていた。
後姿を見付けて、心臓が跳ねている間に、“彼”がゆっくりと振り返る。
二対の瞳が交じり合うと、“彼”は静かに笑って、口元に人差し指を立てた。
静かに、と促す“彼”に、スコールは首を傾げて、ソファまで近付いてみる。
ソファの前に回り込んで、スコールは“彼”が静寂を誘った理由に気付いた。
ソファに座る“彼”の傍らに、兄───レオンが横になっている。
決して小さくはない体を丸め、世界から隠れるように縮こまり、“彼”の膝に頭を乗せて、眠っているのだ。
「……レオン」
「仕事で少しトラブルが起きてな。対応に追われたから、疲れているんだ」
眠るレオンを見遣れば、疲労した事の証のように、眉間に深い皺が刻まれている。
寝かせてやってくれ、と言う“彼”に、スコールは小さく頷いた。
スコールは買い物袋をキッチンへ運び、夕飯に使うものを残して、それ以外を冷蔵庫へと詰める。
料理の準備を進めながら、スコールはちらりとリビングを見た。
仕事でレオンに何が起こったのか、スコールが知る由はない。
だが、スーパーマンとは言わずとも、何事も効率よく捌く事が出来る兄があんなにも疲れているのだから、相当な事があったのだろう。
“彼”はレオンの同僚でもあるから、何があったのかもよく判っている筈。
だからこそ、“彼”はレオンと共にこの家へと帰宅して、疲れているレオンを休ませているのだろう。
(……あんなレオン、初めて見た)
これまでの生活の中でも、レオンが疲労して帰って来る事は少なくなかった筈。
それでもレオンがリビングのソファで寝落ちる事は愚か、弱った所すら彼は見せる事はなかった。
父はそんな長男を心配していたが、それも判った上で、レオンは「大丈夫」と笑っている事が多かったように思う。
そんなレオンが、“彼”の前でだけは、違う顔を見せる。
鍋に入れた水を沸騰させていると、微かに話声が聞こえて来た。
潜めるような小さな声は、ソファの方から聞こえて来る。
確かめるまでもない、レオンと“彼”のものだ。
「……悪い、寝ていた…」
「構わない。寝ろと言ったのは俺だ」
「………」
「まだ痛むか?」
「……少し」
「なら、まだ寝ていろ」
「………」
「会社からの連絡もない。滞りなく回っていると言う事だろう」
「……だと、良いが……」
不安か、と問う“彼”に、レオンの返事はなかった。
否とも応とも言った様子はなかったが、肯定なのだろう。
“彼”もそう受け取ったようで、“彼”は身を屈めて、何かをレオンに囁いた。
スコールがちらりとソファを見ると、ソファの膝枕をされているレオンの頭を、“彼”が撫でているのが見えた。
それを見た瞬間、ずきりとスコールの胸が軋む。
“彼”の手は、節が長く綺麗な形をしていて、頭を撫でる時は少しぎこちなく動く。
よくスコールの頭を撫でていたレオンや父ラグナと違い、人との触れ合いには慣れていないのだろう。
それでも、触れ合う相手を安心させるようにと、思い遣っている事は確かだった。
……スコールも、あの手に何度も頭を撫でられた事があるから、よく判る。
(………)
じわじわと滲んでくる感情の正体を、スコールは気付いている。
しかし、それを認めてしまったら、大事な物を壊してしまう事も判っていた。
時折交わされる声を、意識の外へ追い出して、スコールは夕飯の準備を始めた。
リズム良く野菜を刻む包丁の音は、ソファに座っている二人にも聞こえているだろう。
弟が帰って来ている事を、レオンも気付いている筈だ。
時計を見ながらいつも通りの手順を進めて行けば、毎日と変わりなく、食事の用意が整って行く。
作り終えた料理を食卓へと揃えるべく、スコールは食器棚の戸を開けた。
目線の高さよりも一つ上の位置にある皿を取り出そうと、腕を伸ばす。
家族分の三枚の皿を取り出した所で、もう一枚いるだろうか、と予定になかった“彼”を見遣り、
「─────っ」
見付けてしまった光景に、躯が震えた。
重なり合う為に近付いた、“彼”とレオンの影。
“彼”の前髪で隠された、二人のその瞬間を見て、スコールの胸の奥が締め付けられた。
それは以前にも感じた、兄を取られたと思った瞬間の恨めしさでもあったし、“彼”に心と共に触れられる事が出来る兄への妬みでもあった。
劈くように尖った音が連続で響いて、“彼”が思わずと言ったように顔を上げる。
レオンも意識が現実に戻ったようで、体を起こそうとするが、
「待て、俺が行く。お前はもう少し休んでいろ」
「…しかし、」
「頭が痛むんだろう。無理をするな」
弟を心配する兄を宥めて、“彼”は一人ソファを立った。
スコールは、破片の散らばった食器棚の前で、立ち尽くしていた。
皿を落とした事すら気付いていないかのように呆然としているスコールに、“彼”が声をかける。
「スコール、大丈夫か?」
「……あ、……」
「待て、動くな。箒か何かあるか」
「ベランダ用のなら、あっちに」
「取って来る」
急ぎ足でベランダへと向かう“彼”を見送って、スコールはようやく足元を見た。
数枚の皿を一挙に落としてしまった為、大小の破片が無数に飛び散っている。
それを見ていると、スコールは自分の心の有様を見たようで、無性に息苦しくなった。
その場に膝を折って、スコールは一番近くにあった陶器の破片に手を伸ばす。
ちゃり、と金属の音が鳴って、欠片に入っていた罅が震え、ぱきりと割れた。
破片の爪が柔らかなスコールの指先を切り、つ、と赤い糸が零れる。
フローリングを歩く音がして、スコールが顔を上げれば、自分と同じ蒼灰色の瞳とぶつかる。
頭が痛むと“彼”が言ったように、体調が思わしくないのだろう、レオンは少し顔色が悪かった。
「スコール、大丈夫か…?」
「………」
それでも弟を心配せずにはいられなかったのだろう。
痛む頭を手で押さえて宥めながら、レオンは立ち尽くすスコールに声をかけた。
それをベランダから戻った“彼”が見付け、
「レオン、お前は休んでいろ」
「だが、スコールが、」
「無理をするな。スコール、ベランダのものだがスリッパを持ってきたから、これでこっちに」
“彼”の声を、スコールは最後まで聞いていなかった。
その場にうずくまったまま、抱えた膝に顔を押し付ける。
スコール、と呼ぶ聲から隠れて、スコールはその場から消えてしまいたくなった。
動かないスコールに焦れたのだろう、じゃり、と破片を踏む音が聞こえた。
スコールの視界の隅で、ベランダ用のスリッパを履いた足元が見える。
「スコール、何処か怪我をしたか?」
降って聞こえた声は“彼”のものだ。
動かずにいると、スコールの体がふわりと持ち上げられて、惨状の外へと運び出される。
“彼”はスコールを抱えたまま、ソファへと向かった。
レオンもその後を追い、ソファに下ろされたスコールの隣へと座る。
「掃除は俺がしておくから、二人とも其処にいろよ。良いな」
「…ああ。すまない、面倒をかけて」
「構わない」
詫びるレオンを宥めるように、“彼”の手がレオンの頬を撫でた。
その手はスコールの頭へと移動して、濃茶色の髪をくしゃりと撫でる。
大丈夫か、と問う兄の声に、スコールは答えない。
口を開いてしまったら、何を言い出すか、何が飛び出して来るのか、自分でも判らなかった。
何もかもをぶちまけてしまいたい気持ちと、幼い頃から続く平穏と、どうにも出来ない自分の感情とが混ざり合って、目尻に熱いものが滲む。
弟の泣き顔に、レオンは昔から弱かった。
幼い頃からいつも弟を撫でて来た手が、労わるようにスコールの目尻を拭う。
スコールが沸きあがる感情を堪えてソファの端を握り締めていると、レオンはそんな弟の肩を抱き寄せた。
小さな子供を宥めるように、ぽん、ぽん、と背中を叩く手は、昔と変わらず温かい。
(それなのに)
(なんで)
恨めしくて、妬ましくて、苦しい。
それでも愛しいと思う気持ちも、何一つ捨てられない。
何処かで一つでも捨てる事が出来たなら、きっと楽になれるのに。
何処かで何かが、音を立てずに壊れて行く。
それが誰かの心である事を、聞く者はいない。
『同じ男に依存するように恋をして、泥沼気味なレオスコ兄弟』のリクエストを頂きました。
火スぺにありそうな感じとあったのですが、火スぺとなるとサスペンス=事件としか浮かばない貧困な発想から迷走した感がひしひしと…
レオンはスコールの事はやっぱり一番に大事。
ただ自分が弱った所を見せられる相手が出来たと言うのは、気持ちとして大きい。
自分がレオンの一番だった筈なのに、そんなレオンをとられたようで悔しいスコール。
でも初めて自分を個人としてちゃんと見てくれたのがレオンの恋人で、もっと見て欲しいと思うようになった。
今の所一番泥沼にいるのはスコールですが、スコールの気持ちに気付いたらレオンも泥沼化する。
“彼”は好きな相手でどうぞ。
遠くに名前を呼ぶ声が聞こえて、重い瞼を持ち上げる。
暗がりの視界に飛び込んできたのは、淡い月の光を思わせる、プラチナブロンドだった。
藤色の瞳が心配そうに此方を覗き込んでいるのを見て、どうしてそんな顔を、とスコールは首を傾げる。
その仕草を見た藤色が、ほっと安堵の色を灯した。
「ああ、良かった。すまない、無理をさせたみたいだね」
そう言って柔和に微笑むセシルに、スコールは自分が意識を飛ばしていた事を知った。
面立ちとは裏腹に、厚みのある戦士の手が、スコールの頬を撫でる。
ごめんよ、と詫びるセシルに、スコールはゆるゆると首を横に振った。
セシルと体を重ねる関係となってから、どれ程の時間が過ぎただろうか。
まだ両手では余るが、それでも片手が埋まる位には、同じ褥で夜を越えたように思う。
その中で、スコールはいつも、途中で意識を飛ばしていた。
スコールが気を失う度に、セシルは無茶をさせた、負担を強いたと謝るけれど、気を失う理由は本当はそれではない事をスコールは自覚している。
スコールの意識がはっきりと戻って来るまでの間、セシルは年下の恋人を宥め慰めるように、ずっと頬や頭を撫でていた。
子供をあやすように触れる手にスコールは些かの不満を覚えたりもするのだが、見下ろす瞳は確かに熱を持っていて、単に自分を甘やかしているだけではないのだと言う事が判るから、黙認する。
「落ち着いたかな」
「……ん。…悪い」
「いや、君が謝る事じゃないよ。僕が無理をさせたんだから」
いつもの言葉を口にするスコールに、スコールはそうじゃない、と言いたかった。
けれど、ではどうして、と聞かれる事を思うと、どうしても否定の言葉は出せない。
頭を撫でる手が離れると、セシルはスコールの首筋をそっと撫でて言った。
「今日は此処までにしようか」
「……嫌だ」
拗ねた顔で返したスコールに、セシルは眉尻を下げて困った顔をする。
でも、と言おうとするセシルを、スコールは自分の唇で塞いだ。
スコールの方からセシルの咥内へと侵入し、舌を絡ませ合う。
セシルの瞳が一瞬大きく見開かれたが、求める少年の声なき声を聞いて、直ぐに応え始めた。
先の熱の余韻も残る中、唾液の分泌は直ぐに始まり、ぴちゃ、ぴちゃ、と言う蜜音が耳の奥で響く。
重みのある筋肉が自分の上に覆い被さって来るのを感じて、スコールの足がシーツの海を引っ張った。
青白い月の色をした髪が、スコールの頬を掠める。
ふわふわとした髪質のそれが少しくすぐったくて、スコールの鼻先がひくひくと我慢するように震えていた。
「……んっ……」
セシルの手がスコールの胸をするりと撫でる。
火照りの残った体には、それだけで甘い刺激になった。
肌を重ねている時のセシルは、酷く優しい。
それこそ、スコールが一種の拷問と思う位に優しく、柔らかく、緩やかだ。
明日の戦闘や、日々の内に知らず蓄積されて行く疲労でスコールが潰されてしまわないよう、気遣ってくれているのだと言う事は判る。
しかし、若い躯に余りにも緩やかな刺激は、じわじわと効いて行く弱毒に似て、スコールを苛んでしまう。
「う…ん……っ!」
「大丈夫かい?」
「……っ」
まだ肌を滑り合わせているだけなのに、敏感に反応してしまうスコールに、セシルが囁く声で問う。
それもスコールを慮っての事なのだが、耳元で密やかに囁かれると、スコールはその声だけで高ぶってしまうのだ。
真っ赤な顔で、スコールは平気だ、と頷いた。
セシルはそんなスコールの眦に、羽根のようなキスをして、胸を撫でていた手を腰へと回す。
いつも鎧に覆われているセシルの腕は、嫋やかそうに見える外見に反して、とても筋肉質だ。
クラウドのような判り易い筋肉の盛り上がりは少ないが、鍛え抜かれた固さと厚みがある。
どうにも筋肉がつき難く、絞られる一方で戦士らしい体格が身に着かないスコールには、羨ましい事だ。
一時はそれがスコールのコンプレックスを刺激する事もあって、セシルの裸身を見る事に随分と抵抗を抱いた事もあったが、今となってはどうでも良い事────でもないのだが、目くじらを立てる話ではなくなった。
代わりに、騎士然としたその肉体に組み敷かれる事で、その体を持って世界の全てから隠されているような気がしてならない。
閉じ込められた腕の中で、スコールは未だ続く緩やかな刺激に身を捩った。
中心部が膨らんでいるのを自覚すると、頬の朱が走る。
暗闇の中でも、セシルはそれを見付けたのだろう、くすりと笑う気配があった。
「何処か痛むなら、無理をしないで言ってくれよ」
「……それ、は…ない……っ」
「そう?」
なら良いけど、と言って、セシルの手がスコールの下肢へと降りていく。
膨らみの足りない臀部を摩られるのを感じて、スコールはビクッと喉を逸らした。
緩慢に煽られる熱の中で、体はスコールの意志とは関係なく、此処から先の流れを期待している。
スコールはゆっくりと足を開いて、セシルに続きを促した。
気を失う前に一度繋がっていたから、改めての準備は必要ないだろう。
言外に、早く、と言うスコールの希望が体現されたのだが、
「……っは…あ……っ!」
セシルの手はスコールの太腿を滑り、足の付け根を辿る。
其処に触れられている時が、スコールは一番もどかしくて堪らなかった。
ほんの少し横に逸れれば、一番触れて欲しい所に触れて貰えるのに、辿り着かないのだから。
スコールは、時々、セシルが判っていてこんな触れ方をするのではないか、と思う事がある。
気遣うような触れ方は、スコールにとっては焦らされているも同然で、その間に嫌と言う程熱を蓄えさせられるのだ。
それから秘部に熱を貰うと、それまでの高ぶりが一気に限界まで膨張して、頭の芯まで溶かしてしまう。
まるで全身が性感帯にされたかのような熱の中で攻められれば、スコールはあっという間に前後不覚の状態になって、限界まで上り詰めて果てる。
これを繰り返されるから、いつも途中で意識が途切れてしまうのだ。
今もスコールは、先に貰った熱から続く欲望を煽られて、体の芯が熱くて堪らなかった。
今直ぐにでもそれに触れて解き放って欲しいのに、セシルの手は白い肌の上を滑るばかり。
重なり合った部分が高ぶっている事はお互いに判り切っている筈なのに、焦燥しているのが自分だけのようで、スコールはいつも恥ずかしかった。
だが、いつまでもこんな触れ方をされていては、スコールの躯が持たない。
「セシ、ル……」
「……うん?」
胸の頂に口付けされて、スコールの肩がピクッと跳ねる。
ふう、ふう、と零れる呼吸を噛みながら、スコールはシーツを突っ張っていた足を持ち上げて、セシルの腰へと絡み付かせた。
「も…早、く……!」
「でも」
「…いい、からぁ……っ!」
セシルの気遣いは判っている。
大事にしようとしてくれているのも、理解しているつもりだ。
けれど、それ以上に、彼の熱が欲しくて堪らない。
強く抱き締めて、一番奥に彼の存在を注ぎ込んで欲しい。
それでまた意識を飛ばしてしまうなら、それも良いだろう。
彼と言う存在が自分の中に種を残してくれるのを感じながら、溺れ死ぬのも悪くない。
「……判った。辛くなったら、無理をせずに言ってくれ」
「……無理、なんて…ない……」
このままじわじわと灼かれ続ける方が無理だ、とスコールは思う。
それをセシルが読み取ったかは判らないが、スコールの懇願だけは受け止めてくれた。
腰に絡み付かせていた足を掴まれ、大きく左右に開かれる。
全てを曝け出す格好になって、スコールは一気に羞恥心が蘇ったが、今更引き留めるのも都合の良い話だし、何より、見下ろす瞳に雄の匂いが浮かんでいるのが判って、息を飲む。
反射的に閉じようとした足の抵抗を捨てれば、形の良い唇が、良い子、と紡いだのが判った。
『セシスコでしっとり大人な雰囲気えっち』のリクエストを頂きました。
……しっとりってなんだっけ……
余裕がある訳ではないけど、自分の方が年上だから、無理させないようにしなくちゃって思ってるセシルと、そんなの良いから早く欲しいスコールでした。
昔から妙に運は良い方で、縁日の出店でクジを引けば、少なくとも三等は当たっていた。
スーパーの出口で月に一度行われるクジ引き大会でも、ハズレクジを引いた事はなく、三等四等、時には一等やら特賞まで当たっていた。
余りに引きが良いものだから、ジタンから「実は裏で何か貰ってんじゃねえの」と言われた程だ(勿論、冗談ではあるが)。
残念賞のティッシュや菓子が欲しくて回す時もあるのだが、そんな時にこそ上位の当たりを引いてしまい、嬉しいやら悲しいやら、バッツ自身は複雑な気持ちになる事もあったりする。
そのクジ運を使って、映画のチケットを手に入れた。
駅前の大きな映画館で上映される、毎日のようにテレビCMも放映されている、流行りのファンタジー映画だ。
露骨なラブロマンスとかでなくて良かった、と思うのは、バッツがその手のものを苦手としているのもあるが、それ以上に、誘った人物がこのジャンルに全くと言って良い程興味がなさそうだったからだ。
愛だの恋だの浮ついたものを嫌う───とまでは言わないが、避ける傾向のある想い人を映画に誘うなら、そんなものはスパイス程度に振り掛けてある位のものが良い。
お陰で、映画でもどう、と誘った時には、いつもの渋い貌が浮かんだが、チケットに書かれたタイトルを見ると、彼は頬を赤らめて頷いた。
それもこれも、チケットに描かれた今回の映画のキーマンである、ライオンのお陰だ。
チケットに描かれた時間指定に則り、夕方に映画館前で待ち合わせをした。
待っている間に小腹が空いて、先に夕飯にしても良かったかな、と思ったが、時刻は五時前で、食事をするには少々早い。
上映前にポップコーンでも買おうか、と割高になるものと判っていながら、しかし映画館の醍醐味と言えばそうである訳で、と考えていると、
「……悪い、遅れた」
「いやいや。時間ピッタリだって」
反対側の横断歩道から駆けて来た少年────スコール。
彼がバッツが恋慕を寄せる人物であるが、彼自身はまだそれを知らない。
ビルの外にいても暑いばかりなので、早速二人で中に入る。
高層ビルを複合施設として利用している為、映画館はエレベーターに乗って上層まで行かねばならない。
休日になると、映画館に向かう客と、下層フロアで買い物をする客とで混雑してしまう為、映画館へは専用のエレベーターが設けられていた。
そのエレベーターは、映画の上映時間と前後するタイミングで乗ると非常に混むのだが、今は丁度上映の真っ最中である為か、利用する人の数は疎らだ。
今の内に、と言うバッツにスコールも頷いて、エレベーターに乗り込む。
映画館のロビーは広々としており、ポップコーンやジュースを売っている館内購買の他にも、ロビーに向かい合わせてファーストフード店も併設されている。
空き腹を思い出し、ちょっと何か食べて行けるかな、と思ったバッツだったが、上映までの時間を考えると微妙な所だった。
やっぱりポップコーンだな、と改めて時間との都合を思い直し、
「スコール、ポップコーン買わないか?おれ、腹減っちゃって」
「……俺は、別に……」
要らない、と言うスコールに、そっか、とだけ言って、バッツは購買へ向かった。
塩味のポップコーンをSサイズで買って、コーラをMサイズで買った。
自分の分だけと言うのも味気ない気がしたので、スコールの為にアイスコーヒーを注文する。
スコールはホットのコーヒーの方を好んで飲んでいるが、映画を見ている内に冷めてしまう事を考えると、アイスコーヒーの方が無難かなと思ったのだ。
紙トレイに乗せられた飲み物と、山盛りのポップコーンを零さないように気を付けながら、購買を離れる。
きょろきょろと辺りを見回し、スコールを探すと、彼はグッズ売り場に立っていた。
「スコール、お待たせ」
「あ……ああ」
「何か見てた?」
「……いや」
バッツの問に、スコールは僅かに間を置いてから、首を横に振った。
それでも存外とお喋りな蒼灰色の瞳は、吊るされたストラップへと向けられている。
スコールが見ていたのは、これから見る映画のグッズで、チケットにも描かれていたライオンがシンボルマークとなって彫刻されている。
ゴールド、シルバー、ブロンズと並んだ配色の中で、スコールが熱烈に見詰めているには、シルバーのものだ。
元々シルバーアクセサリーが好きな上に、ライオンの意匠となれば、スコールが食いつかない筈がない。
「買う?」
「……え?」
パッツの言葉に、スコールは目を丸くして振り返った。
「い、いや……」
「格好良いよな、このストラップ」
「あ……」
「これキラキラしてるの良いな」
バッツはゴールドのストラップに手を伸ばして、しげしげと眺める。
値段は普通に売っているストラップに比べると割高だが、映画グッズとしてはこんなものだろう。
眺める程に、ライオンの意匠はしっかりと作り込まれているのが判る。
金属特融の重みを感じないので、アルミか何かを箔や彩色しているのだろうが、材質なんて気にしていたら気楽に買える値段でなくなるのだから仕方がない。
その代わり、意匠が丁寧に細かい所まで作られている事を思えば、チープな映画グッズとしては上等な類だろう。
スコールもそれに関心しつつ、好きなライオン、シルバーとあって、買おうか買うまいか迷っていたに違いない。
スコールは人一倍人目を気にする性格で、他者から自分がどう見られているかと言う事に敏感だ。
幼い頃からそうだったのだが、最近は思春期特有の背伸びや虚栄心も相俟って、一層複雑化している所がある。
好きなものを好きと素直に言えない事や、流行りには興味がなくとも、周りがそれ一色になっていると気になって来るし、かと言って周りに流されるのも良しとは出来ない。
映画グッズのストラップなんて子供っぽい事、と思って、気になるけれど買う事に抵抗を覚えているのも、バッツは簡単に想像できた。
そんなスコールに対して、バッツは余り人目と言うものを気にしない。
自分の欲求を我慢する事も少ないし、自分の気持ちに正直に生きるのが、バッツであった。
「よし、おれこれにしよっと。スコール、ちょっとこれ持っといてくれ」
「あ、ああ…?」
「スコールはやっぱシルバーだよな」
「ああ……!ちょっと待て、あんた、」
スコールにトレイを押し付けるように渡して、バッツはゴールドとシルバーのストラップを手に、レジへと向かう。
慌ててスコールが追いかけて来た時には、ストラップは既にレジカウンターに置かれていた。
「おい、バッツ」
「ん?」
「別に俺は欲しいなんて」
「いらない?」
「…いや……」
真っ直ぐに目を見て問うバッツに、スコールは口籠る。
其処で、いらない、とはっきり言えない所が、素直だよな、とバッツはくすりと笑った。
それぞれ袋詰めされるストラップの中身が、どちらがどちらのものであるかを忘れないように注意して、支払いを済ませる。
バッツは手渡された袋の一つを上着の胸ポケットに入れて、もう一つをスコールに差し出した。
スコールの手に預けていたトレイを片手で受け取ると、スコールは空になった手で、おずおずとストラップ入りの袋を受け取る。
「……」
「多分そっちがシルバーの方だよ。間違ってたら後で交換しよう」
「……」
スコールはじっと袋を見詰めて、良いんだろうか、と言う表情を浮かべている。
バッツはそれに気付いていたが、構わずにっかりと笑った。
それを見て、突き返した所でバッツが受け取らない事を悟ったのだろう、スコールは小さな声で「……ありがとう」と言って、袋を鞄の中に入れた。
時計を見ると上映十分前となっており、入場が始まっていた。
バッツはスコールにチケットの一枚を渡し、受付へと向かう。
切られたチケットの版権をトレイの上に置いたまま、バッツは指定のスクリーンへと進んで行った。
やはり流行りの新作映画とあってか、一番大きなホールのスクリーンを使うらしい。
バッツ達の他にも続々と客が集まっており、並んだ椅子の前列はあっと言う間に埋まって行った。
「何処にする?」
「……ゆっくり出来る所が良い」
「んじゃ真ん中辺りに行こっか」
近過ぎると画面の全体が見えないし、後ろ過ぎれば人影が視界にチラつく。
画面全域が無理なく見える位置が良いな、と思ったバッツだったが、考える事は他の皆も同じようだ。
前列と同じく、中央部分もさっさと埋まってしまい、バッツは真ん中列から少し後ろに座る事にした。
スコールは選択は完全にバッツに委ねているようで、何も言わずに後をついていき、バッツの隣に腰を下ろす。
「ほい。これ、スコールのコーヒーな」
「……ん」
「ミルクも貰って来た」
「…ああ」
スコールはコーヒーを好んで飲むが、其処にはやや大人への背伸びがある。
人前で飲む時にはブラックを飲んでいるが、その実、まだコーヒーの苦味を苦手としている所があった。
それを知っているのは、彼の家族の他には、バッツのみである。
バッツがポップコーンを齧る傍ら、スコールはプラスチックカップの蓋を開けて、フレッシュミルクを流し入れた。
蓋を閉じて軽く揺らして撹拌し、ストローから一口飲む。
好みの味になったのか、ほっと息を吐くのが聞こえた。
客入りの時間が終わるまでは、まだ僅かながら時間がある。
パンフレットでも買っとけば良かったかな、と考えるバッツの傍らで、スコールが鞄を開けていた。
ちらりとバッツが其方を見遣れば、ストラップの入った袋を見詰めている。
控えた光量の間接照明の下、本人の自覚以上にお喋りな蒼灰色の瞳が、嬉しそうに輝いている。
(可愛いよなあ)
大人びた顔をしていても、落ち着いた表情を作っていても、彼はまだ17歳の少年だ。
見た目とのギャップもあってか、折々に見られる年齢相応の表情や仕草が、幼さを助長させる。
スコールがこのストラップを使ってくれるのかについて、バッツは余り期待していない。
中々凝ったストラップではあるが、スコールがこの手のものを使う所を見た事がないのだ。
元々流行り物に興味がある性格でもないし、可惜に持っていても煩わしく感じるらしく、好んで買ったアクセサリー以外をに身に着ける事はない。
けれども、身に着けないからと言って、直ぐに捨ててしまうような事はあるまい。
飽きるまででも良い、その内記憶に埋もれてしまうでも良い、少なくともそれまでは手許に持っていてくれる筈だ。
それでバッツは満足している。
館内に上映を報せるアナウンスが流れ、電気がぽつりぽつりと落ちて行く。
スコールが大事そうに袋を鞄に入れ直すのを横目に見て、バッツは緩む口元を気付かれないように引き締めた。
────後日、スコールのクラスメイトが、彼のスクールバッグに光る銀色の獅子を見付ける事を、バッツは知らない。
『バッツ→スコールなバツスコ』のリクエストを頂きました。
バッツ→スコールで、実はスコールの方もバッツが好きで、両片思い。
ジタンとかティーダとかから、早く言えば良いのにって言われてる。
演技力には対して自信はないけれど、電話越しなら多少は相手も騙されてくれる。
普段は真面目に仕事をしていた事も功を奏して、ゆっくりと休んでくれと言われて、ほっとした。
ついでに溜まっている有給も消費しろと言われたので、遠慮なく使わせて貰う事にする。
元々、こんな時の為に使わずに残していたようなものだから、気兼ねする必要もない。
携帯電話の通話を切って、ズボンのポケットに押し込みながら、火にかけていた小さな土鍋の蓋を開ける。
ほこほこと温かな湯気が立ち上るのを確かめて、レオンはコンロの火を消した。
水分を多く含んで柔らかくなった白米の真ん中に、赤い梅干しが一つ。
味見をしてみると、梅干しの仄かな塩気の他は、米の控え目な味が残るのみ。
今の所はこれくらいで良いだろうと、トレイに鍋敷きを敷いて、その上に土鍋と匙を置いた。
トレイを持ってキッチンを出て、リビングを通り過ぎる。
寝室のドアを背中で開けれると、一つだけ置かれたベッドの上で、蹲っている少年がいる。
「スコール、粥が出来たぞ」
「……ん……」
もぞ、と少年が身動ぎして、被っていた布団の端を持ち挙げる。
頬を赤らめ、心持ちぼんやりとした蒼灰色が、レオンを見付けた。
ゆっくりと起き上がる少年────スコールは見るからに体が重そうだった。
それも無理のない話である。
彼は昨夜から熱を出し、深夜にはピークを迎えて、眠っている事も難しい程の高熱に魘されていた。
レオンの夜通しの看病の甲斐あって、明け方から熱は下がり始めたが、それでもまだ38度と言う熱に苛まれている。
レオンはサイドボードにトレイを置いて、起き上がったスコールが楽に座っていられるように、枕をベッドヘッドに立てかけた。
柔かな背凭れにスコールが体重を預けて、汗の滲んだ額を拭う。
「大丈夫か?」
「……なんとか。夜より大分楽になったから…」
「良かった。飯は食えそうか?」
「……多分」
「無理に全部は食べなくても良いからな」
昨夜の意識朦朧としたスコールの姿を思い出し、きちんと会話が出来る位に意識が明瞭としている弟の姿に安堵しつつ、レオンは土鍋の蓋を開ける。
まだまだ熱の残る粥と梅干しを、匙を使って軽く解す。
一口分を掬い取って、ふー、ふー、と息を吹きかけて軽く冷ましてから、レオンは粥をスコールへと差し出した。
「ほら、スコール」
「え……」
レオンが差し出したのは、匙の柄ではなく、先の方。
つまり、口を開けろとレオンは言っているのだと悟って、スコールの顔が赤くなった。
「い、良い。自分で食べるから」
「そう言うな。こんな時にしか甘やかしてやれないんだ。付き合ってくれ」
世話を焼きたいんだと言うレオンに、スコールは赤い顔を俯けた。
蒼の瞳が恥ずかしそうに右往左往した後、見詰める兄の視線に耐え切れなくなって、そろそろと口を開ける。
小さな口が開いたのを見て、レオンは其処に匙を運んだ。
はく、と匙の先をスコールが咥えたのを確認してから、レオンは匙を引く。
温かく柔らかい米は、顎をそれ程動かさずともほろほろと形が崩していき、とろみと一緒に飲み込む事が出来た。
「美味いか?」
「……ん…多分……」
レオンが作ってくれたのだから、美味くない訳がない、とスコールは思うのだが、どうにも味覚の働きが鈍い。
スコールのそんな様子にも気付いて、レオンは眉尻を下げ、くしゃくしゃとスコールの頭を撫でた。
二口目もレオンが掬い、冷ましてから、スコールに差し出す。
スコールは雛鳥になったような気分で、粥を食べていた。
レオンが作った粥は、いつも食が細いスコールの為に、一般的な一人前よりもずっと少なく作っていたのだが、それでも半分程度が残った。
折角作ってくれたのに、とスコールは思うが、余り食欲が湧かないのも事実。
食べれただけでも十分だ、と言ってくれるレオンの言葉に甘えて、スコールの朝食は終わった。
買い置きしていた風邪薬も飲んで、汗で失われた水分を取り戻す為、白湯をもう一杯飲んでおく。
レオンは中身の残った鍋に蓋をして、トレイを持って立ち上がりながら言った。
「夜の間に随分と汗を掻いただろう。身体を拭いて着替えた方が良いな」
「……ん」
「蒸しタオルと着替えを取ってくるから、少し待っていろ」
レオンの言葉に頷いて、待つ間にスコールは体の熱を逃がさないよう、布団に潜り込んだ。
レオンは残った粥を土鍋から茶碗に移し、ラップをかけて冷蔵庫に入れた。
洗い物は手早く済ませて、洗面所から持ち出したタオルをポットの湯に浸してしっかりと絞る。
着替えにするシャツも、リビングのクローゼットから探し出して、寝室へと戻った。
腹が膨れて眠気が来たのか、スコールは布団の中でうとうとと舟をこいでいた。
無防備な姿に、寝かせてやりたい気持ちはあるが、昨夜から続いた高熱で、夜通し汗を掻き続けていた事を思うと、清潔を保つ為にも、着替えは済ませておかなければならない。
「スコール、着替えよう。もう少しだけ起きていられるか」
「んぅ……」
スコールは眉根を寄せて、むずがる様に布団を手繰り寄せて隠れようとする。
昨晩は決して安眠できた状態ではなく、苦しむばかりの一夜となった為、落ち着いた今になって改めて眠いのだろう。
早く休ませてやりたい気持ちを堪えつつ、レオンはスコールの身体を抱き起した。
「レオン…ねむい……」
「ああ。だから、着替えが終わるまでの辛抱だ」
終わったらゆっくり寝ていいから、と言うレオンに、スコールは拗ねた唇を見せつつ、小さく頷く。
万歳、とレオンが促すと、スコールは素直に両手を上にあげた。
幼い頃を彷彿とさせる仕草に笑みを零しつつ、レオンはシャツを持ち上げて、すぽんと脱がせてやる。
脱がせた服を畳むのは後回しにして、レオンは蒸しタオルでスコールの身体をゆっくりと拭き始めた。
服の中で籠っていた空気や、汗のベタつきがなくなり、すっきりとした感覚に洗われて行くのを感じながら、スコールは消えない眠気の中で、ゆらゆらと頭を揺らしている。
レオンはスコールの正面から抱き寄せて、自分へと寄り掛からせた。
体重を預けるスコールを受け止めたまま、スコールの背中を拭いていると、スコールが甘えるように肩口に頬を摺り寄せたのが判った。
「ん……」
「気持ち良いか?」
「……うん…」
力の入らない手が、レオンの服の端を握る。
ちょっと弱っているな、と甘える仕草を隠さないスコールに、レオンは眦を緩めた。
身体を拭き終わり、冷えない内にと着替えのシャツを広げるレオンに、スコールが小さな声で尋ねる。
「…そう言えば、レオン。仕事は……」
「ああ。休みにさせて貰った」
さらりと言ったレオンに、スコールは目を丸くして顔を上げる。
それから、気まずそうに俯いて、
「あの……俺、もう平気だから、今からでも……」
「そんなにフラフラしているのに、平気な訳がないだろう?」
「だ、大丈夫だ……後は寝てれば、その内治る……」
寄り掛からせていた身体を離し、平気だと言うスコール。
しかし、レオンはその体をもう一度抱き寄せて、まだ熱の残る細い体を慰めるように撫でる。
「良いんだ、俺が勝手に休んでるんだからな。今から仕事に言った所で、どうせ手につかないし」
「……」
「お前の傍にいたいんだよ。こんな時でもないと、一日中一緒にいるって事も出来ないからな」
平日はレオンは仕事、スコールは学校がある。
レオンが仕事を終えて帰った時には、スコールは明日に備えて眠っている事も多かった。
レオンはあまり家に仕事を持ち帰らないから、土日になれば少しは時間の空きも作れるが、それも毎回と言う訳ではない。
誰かの手伝い、或いは尻拭いで折角の休日を返上する事も少なくないし、スコールもスコールで、誰かと遊ぶ約束をしていたり、食事の準備に買い物に行ったりと、暇とは言い切れない日々である。
だから、こうして朝から家で一緒に過ごせると言うのは、滅多にない事だった。
それを思うと、体調不良でレオンの手を煩わせている後ろめたさの傍ら、兄が傍にいてくれる事を嬉しく思うのも確かであった。
赤くなるスコールの胸中を察しつつ、レオンは広げたシャツを彼に着せて、
「ほら、ズボンを脱いで。下着も替えてしまおう」
「ちょ……ま、待て。自分で脱ぐから……うあっ」
レオンの手がズボンの端を引っ張って、スコールは慌てて前を掴んで抵抗する。
が、レオンの方が一枚上手で、ゴム紐のズボンはあっさり脱げ落ちてしまった。
「レオン!」
「怒るな。判った、向こうを向いててやるから」
真っ赤になって声を荒げるスコールに、レオンは降参と両手を挙げて離れる。
背中を向ける兄を睨みつつ、スコールは上がった体温の所為でくらくらとする頭を叱咤して、自分の手で下着を履きかえた。
脱いだ服をレオンが洗面所へと持って行き、洗濯機の中に入れて、スイッチを押す。
洗濯機を回したまま、レオンはまた寝室へと戻って、ベッドの端に腰を下ろした。
きしりと小さく軋んだベッドの上で、スコールは枕元に座っている兄を見上げる。
「……仕事、本当に大丈夫なのか?」
「ああ。有給も溜まっていたしな。問題ない」
「……そうか」
「だから、今日はずっと一緒にいられる」
そう言ったレオンは、双眸を柔らかく細め、嬉しそうだった。
新しく汗が滲み始めた額を撫でる手は、スコールの体温が上がっている所為だろう、少しひんやりと冷たく感じられる。
その掌の感触が心地良くて、スコールは心臓の鼓動が落ち着いていくのが判った。
食事も終わり、薬も飲んで、着替えも済んだ。
病人であるスコールがやる事を済ませると、また体は休息を求めて、睡魔がやって来る。
意識がうつらうつらとし始めるのを感じて、スコールは目を擦った。
と、擦る手がやんわりと捕まえられて、視線を上げれば、自分と同じチョコレートブラウンの髪が頬をくすぐる。
唇に柔らかいものが触れたのを感じ、スコールは眉を潜めて、目の前の男を見詰め、
「……伝染る……」
「構わない」
伝染ったら、今度はお前に看病して貰うから。
そう言ってもう一度重なる唇に、それならもう一日一緒にいられるかな、とスコールは思った。
『サラリーマンレオン×学生スコールで、風邪ひきスコールを看病するレオン』のリクエストを頂きました。
スコールが体調不良になったら、迷わず仕事を休んで看病するのがうちのレオン。
どうせ仕事に行っても、気になって仕方がないんだろうな。