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2017年08月08日
好き、と言う感情が、よく判らない。
誰かを好きと思う事と、犬や猫を好きと思う事の違いは、なんとなく判る。
判るが、それを理性的に理屈で説明しろと言われると、非常に面倒臭い事になる。
それでもカテゴリで区別すれば全く違う箱に入れられるのは、判る。
判るが、判らない。
スコールにとって、誰かを“好き”と思う事は、そう言う事だった。
何かと強く繋がりを持つことで、その対象に傾倒し依存して行く事を、スコールは良しとしない。
他者がそうであるならば、自分に火の粉さえかからなければ好きにすれば良いと思うが、自分自身がそうした傾向を持つ事を、彼は決して許す事が出来なかった。
それは、埋もれてしまった記憶の中で、幼い時分に自分が姉に対して強く依存していた事と、それでいて彼女を失った事によるショックが大きかった所為に他ならない。
自分が泣き虫で何も出来ないから、姉は自分の事が嫌いになっていなくなったのだと、だから弱い自分から脱却する為にも、“自分一人の力で生きて行ける”───“何者にも頼る必要のない強い自分”を求めた。
だから、誰かに依存する事を少なからず含む、他者を“好き”と思う感情を、彼は自身の中に有する許容を持つことが出来なかったのだ。
その内に年齢を重ね、記憶は埋もれ、感情のみが残り、そこから枝を生やした極端な排他意識ばかりが値を増やして行いき、今に至る。
だと言うのに、突然、好きだったんだと言われても、困るのだ。
それを終生のライバルである筈の男から言われたら、尚更。
その言葉を聞いて以来、スコールはサイファーから逃げている。
彼を避ける事は、挑まれた勝負から逃げているようで業腹であったが、逢う度に何処か熱の籠った瞳で見られているような気がして、どうすれば良いのか判らず、踵を返してしまう。
その都度、逃げるな、と声を大きくされて、逃げるんじゃない、忙しいんだと言い返した。
実際スコールが忙しいのも確かであり、サイファーばかりを相手にしていられない事も事実。
だが、いつまでもそんな言い訳が通じる相手ではない事は、判っていた。
サイファーは短気に見えて存外と気が長い所がある。
他者の都合によって自分が待たされるのは嫌いだが、待つと決めれば腰を据える事が出来た。
今回は、スコールが自分を避ける原因に、自分の行動がある事は判っていたのだろう。
そしてスコールが混乱して逃げ回る事も、概ね予想していたに違いない。
だからスコールが向き合う事を避け、忙しさに感けて自分を無視する事も、当面は許容していたのだ───当面は。
しかし、そろそろ限界が来たのだろう。
魔女戦争後、指揮官用の執務室として誂えられた部屋の隅で、サイファーはスコールを追い詰めていた。
「そろそろ返事聞かせてくれても良いんじゃねえか?」
「……任務に関する質問なら、さっき答えただろ」
そうじゃねえよ、とサイファーは眉間の皺を深くして言った。
だろうな、とスコールは胸中で返す。
スコールは、壁とサイファーの躯に挟まれ、身動きが出来なくなっていた。
体を押し退けようとした腕は、その前に両手首とも捕まえられてしまい、壁に縫い付けられている。
腹を蹴ってみたが、びくともしなかったのが実に腹立たしい。
純粋な力勝負となると、この男に適わない事実も、また悔しかった。
力にアルテマをジャンクションしようか、と少々物騒な事を考える。
傍目に見て、この状況はどういう理由の末に成り立った物に見えるのだろう。
指揮官を壁際に追い詰め、拘束している、指揮官補佐代理。
その指揮官補佐代理は、魔女戦争の折にはスコールと繰り返し対決しており、命を削り合った相手である。
幼馴染の面々から見れば、それはそれで今は今、と言う認識であるのだが、サイファーの事をよく知らない───傍若無人の風紀委員であるとか、魔女の尖兵であるとか───者から見れば、非常に不穏な光景に見えるに違いない。
其処から妙な噂話でも立てられたら、折角シドやイデアが苦心してもぎ取った“更生期間”が無駄になってしまう。
その辺りの事は判っているのだろうな、とスコールが無言で睨んでいると、サイファーがずいっと顔を近付けて来た。
鼻先が触れそうな程の距離に、スコールは思わず頭を後ろへ持って行くが、直ぐに壁に当たって行き止まる。
「おい、近い。暑苦しい」
「ご挨拶だな。こうでもしないと、お前、こっち見ねえだろ」
「…こんな事してまで、あんたを見なきゃいけない理由がない」
「ない事ねえだろ」
判っているだろう、と翡翠の瞳が言外に告げている。
それを読み取ってしまう自分が面倒で、スコールは知らない振りをした。
視線を執務机の方へ向けて、溜まっている書類を気にしていると、
「おいコラ。無視すんな」
「……」
「キスするぞ」
「は!?」
思いも寄らぬサイファーの言葉に、スコールは思わず大きな声を上げた。
となれば、「聞こえてんじゃねえか」としたり顔をされて、くそ、と反応してしまった自分に毒吐く。
こう言う時は、何もかも聞こえない見えない振りをして流すのが得策だったと言うのに。
「まあ、無視してるつもりなら、それでも良いけどな。キスするから」
「するな!離せ!ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふざけて野郎にキスなんかするかよ」
「嫌がらせにしそうだ、あんたは」
「馬鹿。キスってのはロマンティックなもんなんだぜ。それで嫌がらせなんざ、それこそふざけてんだろ」
至極真面目な顔で、キスの特別性を語るサイファーに、だったら尚更嫌だ、とスコールは思う。
サイファーにとってキスが特別なものなら、それをする相手、したいと思う相手は、当然特別なものになる。
粗暴な見た目や言動に反して、ロマンチストな彼だから、その重要性は一入と言うものだろう。
同時に、サイファーがそれを“したい”と思う相手がどういう意味を持つのかも、判ると言うもの。
スコールは腕に力を入れ、身体を捩って、拘束する手に抵抗を示す。
歯を噛んで鬼気迫る表情を浮かべるスコールを、サイファーは捕まえる手の力は一切緩めないまま、じっと見詰めていた。
「お前な。そんなに嫌か」
「当たり前だ。誰があんたなんかとキスしたいと思うんだ」
剣を向け、命を殺ぎ合い、こいつにだけは負けたくないと思う事はあっても、口付け合いたいなんて思う訳がない。
スコールはきっぱりとそう言ったが、
「だったら、本気で抵抗すりゃ良いだろ」
「してる。あんたがバカ力なだけで────」
「ほーお?」
ずい、とまたサイファーが顔を近付けてくる。
鼻先どころか、唇が触れ合いそうな程の距離で、お互いの呼吸が微かに唇の縁をくすぐった。
スコールは、触れていないと思っているのは自分だけで、実は既に重なっているのではないか、とそんな錯覚を感じる程に距離が近い。
間近に迫った碧眼が、にやにやと楽しそうに笑っているのが判る。
その顔は、勝負をしている時、己の勝ちを確信してスコールを挑発して来る時に見せるものと同じだった。
それを見ると、スコールの内に秘める、対サイファーに過度に反応する負けず嫌いが疼く。
「こんなもんがお前の本気の抵抗か?」
「……何が言いたい?」
「判ってんだろ?」
含みばかりのサイファーの言葉に、スコールの眉間の皺が深くなる。
笑みを孕んでいた男の顔が、ふと消えて、強い意志を宿した瞳が、真っ直ぐにスコールを射抜く。
その瞬間、どくん、と心臓が跳ねたのをスコールは聞いた。
「教師相手みてえに、いい子ぶる必要なんかねえんだ。嫌なら嫌って言えば良い」
「……」
「それも言わねえで、だらだら逃げ回ってんのは、どう言う訳だ?」
指摘する言葉に、スコールはひっそりと奥歯を噛んだ。
蒼灰色の瞳が逸らされ、何もない床を睨むように見詰める。
────サイファーの言う事は最もだ。
相手がリノアやセルフィ、キスティスや、名前を憶えているかどうかも怪しい女子生徒ならいざ知らず、スコールが何某かの答えと、それを適切に表現する事が出来る言葉を探すまで、ずるずると引き伸ばしていても可笑しくない。
仮に相手が教師や目上の人間なら、面倒を嫌い、角を立てない方法を探して、早い内に決着を着けようとするだろう。
こういう事は、変に返事を引き伸ばし、期待を持たせるような期間を作る方が、反って面倒を起こすものなのだから。
しかし今回のスコールの相手はサイファーであり、話を長引かせるような必要もなければ、相手を慮って言葉を探すような期間も必要ない。
何せサイファーなのだから、切って捨てるのは簡単だ。
それでサイファーが激昂するようなら、剣の勝負にでも雪崩れ込んで、実力で黙らせる事だって出来るだろう。
遠慮も気兼ねもいらない相手だと判っているから、スコールが結論を出し、それを口にする事について、こうまで時間を必要とする事はない。
それなのにスコールがいつまでも逃げ回るのみで、明確な答えを避け続けていると言う事は、
「お前も俺に気があるんだろ」
「!?」
スコールの感情を代弁するかのようなサイファーの台詞に、スコールは目を丸くする。
バカな事を、と言いかけた唇に、サイファーのそれがやや強引に重ねられた。
蒼の瞳が零れんばかりに見開かれるのを、サイファーは至近距離で見ていた。
捕まえていた腕が、思い出したように抵抗を示す。
うーうーと唸る声も無視して、サイファーはスコールが静かになるまで、キスを続けた。
段々と酸素不足で抗う力を失うスコールに、サイファーはこっそりと笑みに目を細める。
ゆっくりと唇を開放すれば、はあっ、と不足した酸素を思い切り吸い込みながら、スコールはずるずるとその場に座り込む。
「ほら見ろ」
「……何が…」
「嫌じゃなかったんだろ」
「………」
サイファーの言葉に、スコールはまた眼を逸らす。
触れた感触の消えない唇に手の甲を当てて、スコールはぎりぎりと歯を噛んだ。
噛みつこうと思えば噛みつけた。
振り払おうと思えば出来た。
拘束する腕の力は強かったけれど、ジャンクションをすれば意外と簡単に逃げられたのだと言う事を、スコールはわかっている。
スコールの腕を掴んでいた手が離れ、くしゃくしゃと濃茶色の髪が掻き回すように撫でられる。
蹲って立てた膝に顔を伏せるスコールは、隠しきれない耳まで赤くなっていた。
何が理由で、そんなにも自分の気持ちを否定しようとしていたのかは判らない。
戸惑いと、混乱と、記憶の淵に埋もれた怯える感情と、どれが一番大きかったのかも判らない。
こんな感情が、いつから自分の中にあったのかも、何も。
目の前の男は、いつからこんな感情を抱いていたのだろう。
聞けばあっさり答えてくれそうなのが、自分との対比になるようで、それも酷く悔しい気がした。
『サイスコで好きだと自覚してからお付き合いするまでの話』のリクエストを頂きました。
こいつが好きだなんて認めたくない!って自覚してからひたすら否定の為に逃げ回るスコールが浮かんだ。
最終的に捕まって逃げ場を失くして、否応なく認めさせられる(嫌ではない)。
クラレオ前提のセフィレオ。
微かに浮上した意識を、更に上へと押し上げるように、差し込む光。
重い体はまだ睡眠を欲していたが、理性は目覚めなければならないと言う。
結局、理性が勝って、レオンはのろのろと瞼を開けた。
起き上がって散らばった髪を手櫛で掻きながら、閉めたカーテンの隙間を見遣る。
目を開ける前に感じていたよりも、光はそれ程強くはなく、陽光と言うには足りない外光が零れている。
伸ばした腕で一番近い位置にある窓のカーテンを開けると、曇天が空を覆っている。
「……雨か……」
光の弱さの理由を知って、レオンは納得し、興味を失った。
カーテンを摘んでいた手を離せば、腕はぱたりと落ちる。
起き上がった時にシーツが体から剥がれ落ちたので、レオンは裸身を空気に晒していた。
雨で気温が下がっているのだろう、微かに冷えた隙間風がレオンの肌を撫でる。
ふる、と冷気を嫌った躯が震えて、レオンは熱を蓄えられるものを探して寝返りを打った。
────そうして目の前にあった背中を見て、眉根を寄せる。
起き上がって見れば、その背中の向こうに広がっていた情景が見える。
脱ぎ散らかした服が床に散らばっているのを見て、溜息が漏れる。
重い体の理由も、気分にまで及ぶ気怠さも、理由は全て判っている事であったが、それを具現化させたような部屋の有様は、レオンの落ちた気分に更に追い打ちをかけるには十分であった。
部屋の惨状に助長されたように、レオンは服を着るのも面倒になっていた。
裸のまま、レオンは傍の窓にもう一度手を伸ばし、カーテンの隙間から鍵に手をかけた。
カチン、と音を立ててロックが外れ、カラカラと車輪の音を立てて、軋んだ窓が開けられる。
(……激しくはないが……止みそうには、ないな)
空から落ちる雫粒は、大きさこそないものの、復興途中の街全体を余すところなく濡らしている。
この分では、今日は復興作業など出来ないだろう。
街の人々が外を出歩く事も減るので、ハートレスによる被害を防ぐ為のパトロールも、しなくて良い。
それでも何も起こらないとは言い切れないので、寝倒している訳には行かないが、慌てて城に向かう必要がないのも確かであった。
開けた窓の桟に腕を乗せて、その上に頭を乗せる。
風はないので、降る雨が部屋の中に吹き込んでくる事はなかった。
目が覚めたのだから、朝飯を食べなければ。
そう思いながら、レオンは自分が空腹を感じていない事を自覚していた。
昨日の夜はきちんと食べたから、今は食べなくても良いか、とぼんやりと雨雲に覆われた空を見ていると、
「どうした」
背中にかけられた声に、レオンはちらりと瞳を動かしたが、直ぐに視線は空へと帰る。
声の主もレオンの反応を予測していたのか、咎める声はなく、代わりにするりと腰骨を撫でられる。
触れる手を好きにさせていると、きしり、とベッドの軋む音がした。
背中を大きなものに覆われ、腹に回された腕が、閉じ込めるように力を籠める。
さらりと長い銀糸がレオンの肩をくすぐりながら流れ落ちて行った。
「雨か」
「……ああ」
「それなら、今日は急く事もないな」
低く通りの良い声が、レオンの耳元で囁くように紡がれる。
その声に、ねっとりと絡み付くような何かを感じるのは、果たしてレオンの思い過ごしだろうか。
腹を抱いていた腕が、滑らかな肌を撫でるように探る。
耳朶の裏側に吐息が掛かるのを感じて、レオンは頭を振ってそれを嫌った。
すると、肌を撫でていた手が上がって来て、レオンの顎を捕らえて後ろへと振り向かせる。
抵抗が面倒で従ってやれば、よく知る色とは微妙に違う光彩を宿した瞳が間近にあって、呼吸が塞がれた。
初めの頃こそ、何も言わずとも抵抗を感じていた口付けであったが、何度も繰り返されている内に、拒否する事が面倒になった。
そうして受け入れてしまってからは、段々と抵抗感も消えて行き、今では重ねられても何も思う事はない。
「ん……」
「……ふ、」
「んんっ……!」
顎にかけられた指に力が入って、口を開けるように促された。
されるがままに唇を割れば、熱い肉の塊が滑り込んできて、レオンのそれを絡め取る。
昨夜の熱を思い起こさせんとするように、男の舌は執拗にレオンの咥内を舐る。
それを受ける事に抵抗は辞めたが、眉間の皺だけは無意識に寄るようで、レオンの表情は毎回厳しいものになった。
だが、男はそんなレオンの表情すらも愉しむような表情を浮かべて、瞬きすらせずに、嬲られるレオンの顔を至近距離で眺めている。
舌を外へと導き出しながら、口付けから解放されると、レオンははぁっと熱を孕んだ呼気を漏らした。
唾液の落ちる顎を手の甲で拭っている間に、腰を抱かれて強い力で引き寄せられる。
窓に寄り掛かっていた体が離れて、代わりに背後にいる男の胸に体を預けた。
「そう恨めしい顔を向けてくれるな」
「……」
「…また泣かせてやりたくなる」
薄い笑みを浮かべて囁く男の言葉に、レオンははっきりと顔を顰めた。
覗き込んでくる男の顔が腹立たしくて、肩にかかる長い銀糸すら鬱陶しく、レオンは手で払う仕草をして見せた。
先の言葉に対し、お断りだ、と無言で示すレオンに、男はくつくつと笑う。
「そうは言うが、お前の躯は感じ易いからな。昨日もよく泣いたのを覚えているぞ」
「……っ」
厚みのある胸を、節の長い指が這う。
それだけで躯が震えてしまう程、自分が背後の男に侵入されている事を自覚して、レオンの顔に朱が走った。
唇を噛んで悔しげに眉を顰めるレオンに、男は宥めるように赤らんだ頬を撫でて言った。
「お前の所為ではない。その体は一人では持て余すものだからな」
「……そうさせたのは、あんただろう」
「ああ、俺にも責任はある。だが、そもそも、お前にそんな想いをさせたのは────」
其処から先の男の言葉はなかった。
射殺さんばかりに睨む蒼灰色が、それ以上の言葉を禁じている。
銀糸の男は、睨むレオンの表情を見て、益々愉快そうに哂った。
独特の仄昏い光を宿した碧眼は、まるで魂の檻のようで、それに見詰められていると、心の奥底に隠したものが暴かれてしまう気がする。
だからレオンはその目を見るのが嫌いなのだが、よく似た色と長らく向き合っていない事を思うと、どうしても目が離せなくなる瞬間があった。
……それを見抜かれてしまったから、この爛れた関係は始まった。
抱き締める腕を解かせ、レオンは男の腕から抜け出した。
しかし、ベッドを下りようと背を向けた所をまた捕まえられ、シーツの波へと引き倒される。
レオンの体重を受け止めたベッドが抗議の音を上げた後、レオンの上に大きな影が覆い被さった。
「おい」
「なんだ?」
「もうしない」
「飽きたか」
「疲れてるんだ」
「激しくしたからな」
何を、と男は言わなかったが、昨夜の事を指しているのは明らかだ。
お前が泣くから、と囁く男に、レオンは触れたもの───枕を掴んで、目の前の男の顔面に叩き投げてやった。
くつくつと喉を震わせる声がする。
枕を奪われ、ベッドの下へと放り投げられて、レオンの気分はまた下がった。
開かされた足の間に男の躯が割り込めば、レオンは馬乗りになった男から逃げる事も、彼を蹴り飛ばす事も出来ない。
「しないと言ってる」
「どうせする事もないんだろう。あれも来る気配はない」
「……言うなと言った」
「誰とは言っていない」
「言ったようなものだろう」
レオンが何を言っても、目の前の男には暖簾に腕押しであった。
最初からこうなのだ。
レオンが何を思うと、何を考えようと、この男は自分のしたいようにしか行動しない。
だから本当にレオンが今の関係を否定する気があるのであれば、レオンが本気で抵抗する以外に方法はない。
ガンブレードでも魔法でも───この男に通用するのかは甚だ謎だが───使って、殺すつもりの意思でも示さない限り、男はレオンを抱く腕を離そうとはするまい。
レオン自身が、預か一片でも、この歪な温もりを求める心がある限り、二人の関係が終わる事はない。
顎に指が掛かり、見ろ、と無言で命令された。
従うつもりはなかったが、抗うのもやはり面倒で、顔を上げてやれば、唇が重ねられる。
視界の端に見えるのは、ちらちらと光る銀色ばかりで、レオンの世界は銀一色に閉じ込められていた。
(俺は、)
(俺は、いつまで、)
こんな事を続けているのか。
こんな関係を、続けていれば良いのか。
問うてみた所で、レオンが望む答えを返してくれる者は此処にはなく、目の前にいるのは、爪を失った猫を薄笑いを浮かべながら可愛がっている狂人だけ。
……帰って来ないお前が悪い。
もう長く見ていない金糸の翳に、レオンはそれだけを吐き捨てて、目を閉じた。
『セフィレオで寝取られてる感じ』のリクエストを頂きました。
クラレオを前提に。
ぼんやりと諦めの混じったレオンは、投げ槍感と危うい雰囲気がありそうで好き。
子供達が夏休みに入り、母の監督の下、規則正しい生活を心がける日々。
朝はラジオ体操、朝食を終えたら勉強時間で夏休みの課題を進め、昼食を食べたら、午後はしばしの自由時間。
友達と遊びに出かけたり、母の買い物の手伝いをしたり、幼い弟の遊び相手をしたり。
夕方になると父が仕事から帰り、家族五人で夕食を囲んで、末っ子が眠い目を擦り始めた頃には、長男と長女もそろそろお休みモードになる。
寝落ちない内に順番に風呂に入って、長男と長女は一緒の部屋で、末っ子は父母と同じ布団で眠る───これが一家の一日の流れだ。
休みだからと怠ける事無く、健康的に過ごしているお陰で、子供達は毎日元気溌溂だ。
上がる一方の気温は両親が気を付け、子供達にはこまめに水分摂取をする事と、出掛ける時には帽子を忘れないようにと徹底させる。
幼い末っ子はまだまだ自分では気を付けようがないので、家族皆で注意した。
そんな日々の中で、父ラグナの所属する会社が、慰安旅行の企画を立ち上げた。
旅行と言う程遠くへ行く訳ではないのだが、家族同伴で行くことも出来るとあって、何かと忙しくて家族サービスの計画も難しい昨今の家庭には、有難い話でもあった。
今年の旅行先は海とあり、車を持っている者は運転して言っても良いし、そうでない者にはバスも用意されると言うので、参加希望者は少なくなかった。
ラグナも例に漏れず、折角だから皆で行こう、と提案すると、長女エルは万歳で喜び、そろそろ思春期の入り口に入った長男も、日々の暑さへの辟易もあって、海と言う単語には心躍るものがあったのだろう。
幼い弟は、海と言われてもまだピンと来るものがないようだったが、兄と姉がはしゃいでいるのを見ると、なんとなく楽しい雰囲気だけは察したようで、一緒にきゃっきゃと笑っていた。
子供達が揃って行く気になっていれば、母も少々の面倒や不安はありつつも、子供達の思い出作りと思えば、悪い気もしない。
こうした経緯から、一家は久しぶりの───末っ子にとっては人生初めての、海へと繰り出す事になったのである。
「ほら!海に着いたぞぉ!」
「海ー!」
車を降りての父の言葉に、いの一番に元気な声を上げたのは、エルオーネだった。
真っ白なワンピースの裾が翻る事も気にせず、ぴょんぴょんと跳ねて、駐車場の向こうの浜辺、その向こうに広がる海原に、きらきらと栗色の瞳を輝かせている。
そんな妹に笑みを零しつつ、レオンは車のトランクに入れていた荷物を取り出している。
母はと言うと、車の中で寝ていた末っ子スコールを、チャイルドシートのベルトから外し、抱き上げていた所だった。
抱き上げられた振動で、スコールの夢は妨げられたようだ。
むぅう、とむずがる声を零しながら、小さな手が眩しい太陽の光を嫌って、こしこしと目許を擦る。
「おっ、スコール。起きたかあ」
「……んぅ……?」
「おはよう、スコール!」
「……はよぅ……?」
目覚めの挨拶をする姉に、スコールは拙い舌でオウム返しに同じ言葉を返した。
くりくりとした目を眩しそうに細め、んんぅ、とまた唸って、スコールは母に抱き着く。
起きてすぐに浴びた眩しい光を嫌う息子に、レインは小さく苦笑して、ぽんぽんと息子の背中を叩いてやった。
バタン、と音がして、車のトランクが閉められる。
「父さん、荷物全部出したぞ」
「おっ、ありがとうな」
息子が降ろしてくれた荷物は、大きな旅行用バッグが一つと、後は小さなリュックサックが一つ。
大きなバッグには家族全員分の着替えや消耗品が、リュックサックにはお菓子が詰められている。
大きなバッグをラグナが抱え、小さなリュックはエルオーネが背負う。
レオンはエルオーネと手を繋ぎ、レインはまだ眠そうな目をしているスコールを抱いて、社員の集合場所へと向かうラグナの後を追った。
父が上司からの挨拶を聞いている間に、家族は少し離れた場所で、それぞれのスペース作りに勤しむ。
レオンは早く海に行きたがるエルオーネを宥め、スコールの面倒を任せて、母と一緒にビクニックシートを広げた。
荷物やサンダルを重石替わりにして、水筒やタオルなどを出しておく。
「こんなものかな」
「そうね。エル、いらっしゃい。水着に着替えて、日焼けしないようにお薬塗らなくちゃ」
「はーい。スコール、行こう」
浜辺の砂で遊んでいた子供達を呼ぶと、エルオーネはスコールの手を引いて戻って来た。
エルオーネをレインが、スコールをレオンが担当して、水着へと着替えさせていく。
着替え終わると早速!と海へ向かおうとした娘を、母はもう少しと捕まえて、まだ柔らかいぷにぷにとした肌に、日焼け止めオイルを塗った。
さらさらとした冷たい水の感触に、きゃっきゃと子供達は楽しそうに笑う。
上司の挨拶を終えて、ようやくラグナが合流した時には、子供達の準備は整っていた。
レオンは足ふみポンプを使って、スコールが使う子供用の足入れ浮輪を膨らませている。
「ふい~、終わった終わった」
「お疲れ、父さん」
「皆準備できたよー」
「早いなあ。俺もすぐ着替えるぞぉ」
「じゃあ、その間に、皆準備体操しときなさいね」
着替え始めたラグナを横目に、母の指示を聞いて、はーい、と子供達の声が揃う。
学校で何度か水泳授業で体操見本をやった事があると、順番を覚えているレオンが手本になって、子供達は準備体操を始めた。
レオンの真似をして手足を伸ばすエルオーネを、スコールは少しの間きょとんとした顔で見ていたが、「スコールもやるんだよ」と言われると、小さな手足をぴょこぴょこと動かし始めた。
レオンが鏡向きになって、いちに、いちに、と声を揃えてカウントしながら体操する子供達。
微笑ましい光景に、レインとラグナは顔を見合わせ、唇を緩めた。
「よし、お終い」
「わーい!」
「こら、エル!一人で行ったら危ないぞ」
待ってましたと海に向かって駆け出す妹を、兄が慌てて追いかける。
スコールは、兄と姉が揃って駆け出したので、真似るようにその背中を追った。
全速力のエルオーネに、レオンは直ぐに追いつくが、スコールはすっかり置いてけぼりだ。
それでも一所懸命に追いかけようとするスコールを、ふわっと浮遊感が襲う。
「あう?」
「よしよし。スコールはパパと一緒に行こうな」
スコール用の浮輪を片手に、抱き上げる父の首に抱き着いて、スコールは後ろを見た。
ピクニックシートに残って日傘を差している母と目が合う。
此処にいるからね、と手を振る母に、スコールも手を振った。
白波が寄せる波打ち際で、エルオーネとレオンが遊んでいる。
「つめたいー!」
「滑らないように気を付けろよ」
「はーい。えいっ!」
「うわっ」
エルオーネが掬って撒いた水が、レオンの体を濡らす。
悪戯が成功した顔で逃げ出す妹を、レオンは水を蹴りながら追い駆けた。
ラグナは波打ち際で一度立ち止まって、不思議そうな顔で海を見つめているスコールを見る。
「スコールは海初めてだなあ。冷たくて気持ち良いんだぞ」
「……?」
「ちょっと下りてみっか」
膝を曲げて、ラグナはスコールを地面に下ろした。
その足元に、ざあっと音を鳴らして白波が寄せると、スコールはビクッと体を硬直させて、父にしがみついた。
「あはは、大丈夫大丈夫。怖くないって」
「…やああ!」
引いては寄せる波が、幼いスコールにはまるで生き物のように見えるのか。
形のはっきりとしない生き物が、何度も何度も手を伸ばすのを見て、スコールは泣き出す顔で父を見上げた。
助けて、と言わんばかりのお息子の様子に、ラグナは苦笑しつつ、曲げた膝の上に乗せてやる。
「大丈夫だぞ、スコール。怖くない。ほら、お兄ちゃんとお姉ちゃんは楽しそうだぞ」
「……んぅ……」
ラグナのシャツをしっかりと握るスコール。
そんな息子の背中をぽんぽんと撫でて宥めつつ、ラグナは早速泳ぎ出している兄姉の姿を見せてやった。
エルオーネとレオンは、浅い場所で身を屈めて、海水の冷たさを楽しんでいる。
浮輪がいるかな、と言うレオンに、エルオーネは平気、と首を横に振った。
学校のプール授業で泳ぎも覚えたし、今はまだエルオーネの足が届く場所だから、エルオーネは自信を持っているようだ。
とは言え、突然の深みと言うのも海にはよくあるもので、レオンはエルオーネから目を離さないように気を付ける。
「見てみて、レオン。おっきな貝があるの」
「何処だ?」
「ほら!きれいな形してるの」
「本当だ。他にもあるかな」
浅瀬で水を掻きながら、エルオーネは近い水底を見詰めている。
これは、とレオンが拾った貝殻を見せると、それもきれい!とエルオーネは目を輝かせた。
ラグナはスコールを抱き上げて、兄と姉の下へと連れて行く。
下ばかりを見ていた二人だったが、水音を聞いて顔を上げた。
「父さん」
「スコール!見てみて、貝がら、キレイだよ!」
綺麗な巻貝を弟に見せるエルオーネ。
スコールはきょとんとした瞳で姉の握るものを見詰めた後、小さな手を伸ばす。
ラグナに抱かれたままのスコールは、弟程ではなくとも、まだ背が低いエルオーネまで届かない。
レオンが代わりに受け取って、スコールの目線の高さまで持ち上げた。
「食べちゃダメだぞ、スコール」
「う」
「おお~、キレイな形してるな。エルが見付けたのか」
「うん」
凄いなあ、とラグナがエルオーネの頭を撫でる。
エルオーネは照れ臭そうに顔を赤らめ、うふふ、と笑った。
スコールは小さな手に貝がらを握り、くるくると上に下にと回転させながら眺めている。
底の穴を不思議そうに見つめていると、もぞもぞと何かが動いていた。
それを見てことんと首を傾げたスコールの目の前で、ひょこり、とハサミを持った生き物が顔を出す。
「!」
「おっ、ヤドカリ」
「えっ、見せて見せて!」
「ふえ、」
ラグナが楽しそうにその生き物の正体を当て、エルオーネが興味津々に跳ねる傍ら、大きな瞳にじわあ、と雫が浮かぶ。
「ふええええええ」
「おわっ。どしたどした」
「びっくりしたのかな。エル、ヤドカリさん、海に帰すぞ」
「待って、見せて。見たい見たい」
父にしがみついて泣き出したスコールに、ラグナとレオンは苦笑する。
レオンはエルオーネに掌を出すように言って、その手にヤドカリ入りの貝を乗せた。
小さなヤドカリはうろうろとエルオーネの手の中を行ったり来たりしている。
可愛い、と笑う妹の横で、泣きじゃくる弟の対比が無性に可愛らしくて、レオンの頬が緩んだ。
一頻り眺めて満足してから、エルオーネはヤドカリを海へと帰した。
ヤドカリは波の流れに攫われつつ、いそいそと遠くへ泳いでいく。
「貝がら、キレイな形してたから、持って帰りたかったのに」
「ヤドカリさんのおうちだから、あれは駄目だな。他にもキレイな貝があるだろうから、探してみよう」
「うん。ね、スコールも探そう!」
「……んぅ……?」
誘う姉に、スコールはすんっと鼻を啜って、首を傾げた。
「そうだなあ。皆で一緒に、キレイな貝探そうか」
「スコール、海に入って大丈夫なのか?」
「それもチャレンジしてみなくちゃな。エル、スコールの浮輪、持っててくれるか?」
「はーい」
ラグナが片手に持っていた、足入れ浮輪をエルオーネの前に浮かせる。
エルオーネは浮輪が波に流されないよう、両手で持って固定する。
その背中を、転ばないようにとレオンが支えた。
ラグナはスコールを抱え直して、車の形を模した足入れ浮輪の中へと入れてやる。
スコールの右足が足入れ浮輪の布に乗って、ラグナは何度かスコールの位置を調整させた。
小さな足が上手く穴に嵌ると、スコールの体は布の支えに乗って、ぷかぷかと海に浮かぶ。
「……?…?」
「どーだぁ、スコール。冷たくて気持ちいいだろ」
「??」
ラグナが笑い掛けてみるが、スコールは状況が判っていないのだろう、不思議そうな顔できょろきょろとあたりを見回している。
そんな弟の前で、レオンがぱしゃぱしゃと水面を叩いて見せた。
きらきらと光って跳ねる水飛沫に、丸い蒼の瞳が釘付けになる。
小さな手が目一杯伸ばされて、浮輪の外側へ。
傾く体重で浮輪がひっくり返らない様に、ラグナが反対側を手で押さえつつ、スコールが浮輪から零れ落ちないように注意する。
ぱちゃん、と小さな手が水面を叩いて、跳ねた水がエルオーネの顔にかかった。
「やー、冷たい!」
「やー!」
嫌がりながらも楽しそうな姉に、スコールも楽しくなってきたようだ。
二人でぱちゃぱちゃと水面を叩いて遊び出す。
きゃっきゃとはしゃぐ妹弟の傍ら、レオンも二人が飛ばした水にかかって、笑いながら濡れた顔を拭く。
と、その視線がふと浜へと向いて、波打ち際に立っている人に気付いた。
「母さん」
「おっ、レイン!」
「あっ!」
「ふあう。あうー」
波間に立っている母を見て、エルオーネがぱちゃぱちゃと水を掻き分けていく。
スコールは離れて行くエルオーネを目で追って、一足遅れて、母が来ている事に気付いた。
大好きな母の姿にスコールは目を輝かせ、抱っこをねだって両手を伸ばす。
気持ち良いよ、一緒に遊ぼう、と娘が母の手を引く。
水着を着ていないレインは、困った顔をしながら、ワンピースの裾を少しだけ持ち上げて、白波へと足を進める。
幼い息子が、母の下へ行こうと、水の中で足を動かしていた。
ラグナはそんなスコールを抱き上げ、レオンが浮輪を持って、レインとエルオーネの下へ向かう。
抱っこを求める息子を抱いて、レインはスコールの濡れた前髪を掬い上げた。
すっきりとした視界に母を映して、スコールは嬉しそうに笑う。
いつもと違う景色の中で、いつもと変わらず笑う家族の姿に、レインは眦に熱いものがこみ上げる。
「……おかーしゃ?」
拙い舌で呼ぶ息子に、なんでもないのよと笑い掛けて、抱き締める。
触れ合う肌から、潮の匂いと、いつもと変わらない高い体温を感じた。
ラグナ、レイン、レオン、エル、スコール。
皆で海へ。
末っ子の初めての海、家族揃っての小さな旅行。
終わって子供達が眠る家路まで、全てが幸せの形。
少しは洒落た格好をして行ったらどうだ、と言われて、ガラじゃねえよ、とラグナは言った。
が、やはり少しは努力してみるべきだったかも知れない、と今になって思う。
年下の青年と恋人同士と呼ばれる関係になってから、数ヵ月が経つ。
人事異動でラグナの新たな部下となった彼は、真面目で良く気配りの出来る人物で、とても優秀だった。
その優秀さの影には、彼自身の多大な努力と、周囲に対する過剰な程の気遣いがあり、ラグナはそんな彼に少しでも気を楽に過ごしてくれたらと言う気持ちから、交流を深めていた。
それが恋心にまで発展していた事には驚いたが、他の者には一切弱った所を見せない彼が、ラグナにだけは少しずつ甘える様子を見せるようになってから、ラグナの彼への庇護欲は一層増した。
不器用な彼を大事にしたい、甘やかしてやりたいと思ってから、然したる時間は置かず、ラグナは彼と深い関係となった。
が、元々職場が同じである事や、男同士である事、同僚や他の上司に気付かれて妙な噂を立てられる事を嫌って、二人の関係は秘密にされている。
ラグナは周りに何を言われても気にしなかったが、青年の方が酷く気にしていた。
それも、自分に対する噂話云々ではなく、噂によってラグナが誹謗中傷されるのではないか、と言う事を危惧している。
この為、二人は恋人同士となってからも、人前で親密な言葉を交わす事はなく、恋人らしい逢瀬の時間と言うものは、殆ど存在しなかった。
そんな青年を、なんとか宥め説き伏せて、ラグナは彼と一緒に出掛ける日を作った。
所謂、デートと言う奴だ。
浮ついた言葉に夢中になるような年齢ではないが、やはり恋人同士と出掛けると言うのであれば、そう呼ぶのが良いだろう。
青年は友人知人に見付かる事を心配していたものの、ラグナと一緒に出掛けられると決まった時には、仄かに眦を緩めて嬉しそうに笑っていたから、嫌と思ってはいないのだろう。
それさえ判れば十分だ。
そしてデートの当日、ラグナはいつもより早く起きて、しっかりと出掛ける支度を整えた。
いつもなら、ギリギリの時間に起きて、ばたばたと慌ただしく準備をし、パンを齧りながら家を出るラグナが、今日は予定の十分前には身支度を済ませていたのだから、気合の入り様も判ると言うものだろう。
その反面、流行だのお洒落だのと言うものには興味がないから、服装はいつもと大して変わらない。
流石に休日のお決まりになっているチノパンやサンダルは避けたが、シルエットは似たようなものだ。
不格好ではないようにしたから、これで良いよな、とラグナは思ったのだが────待ち合わせ場所を前にして、ラグナはそんな自分に頭を痛めていた。
人の多い所はちょっと、と彼は言ったが、やはり駅前が何処に行くにも便利だろうと、待ち合わせ場所に指定した。
案の定其処は人の波で溢れており、人との待ち合わせに立っている者も沢山いる。
その人込みの中で、埋もれない存在感を持っている人物が一人。
濃茶色の髪、蒼灰色の瞳を持った青年────ラグナの恋人、レオンである。
レオンは、200mlのペットボトルを片手に、太陽の下でぼんやりと立っていた。
ただ立ち尽くしているだけなのに、その姿はとても絵になる。
黒のTシャツに、白のカーディガンと、ボトムはすっきりとしたシルエットのデニムパンツと、服装だけで言えば、何処にでもいる若者と変わらない。
しかし、整った容姿、無駄な肉のない体つき、バランスの取れた長い手足等、まるでモデルのようだ。
それを見て、ラグナは今更ながら、自分の格好を後悔していた。
(あー、もうちょっと頑張るべきだったかなあ…)
余りにもラフな格好は避けたが、彼と並んで歩くには、少々心許ない気がする。
しかし、今から帰って新たに服を選んでいる時間はないし、クローゼットの中にある私服なんて、どれも似たような物しかない。
何より、この夏の炎天の下、日陰にも入らず、律儀に指定した待ち合わせ場所でじっと立っているレオンを、これ以上待たせる訳にはいかない。
周囲の人々が、その容姿に惹かれて、ちらちらとレオンを見ているのが判る。
そんな中で腹を括って、ラグナは恋人の下へと駆け寄った。
「レオン!」
「ラグナさん」
名前を呼べば、振り返った蒼が嬉しそうに窄められて、名を呼び返される。
「悪い悪い、遅れちまったかな」
「いえ、時間ぴったりですよ。俺も今来た所ですから」
レオンの言う通り、時計を見れば、待ち合わせの時間丁度。
しかし、レオンの「今来た」と言うのは嘘だろう。
その証拠に、レオンの顔は強い陽に当てられた所為で、熱を持って赤らんでいる。
ラグナは、遅刻しないなんて話ではなく、もっと早く来るべきだった、と思った。
ラグナはさりげなくレオンを日陰へと誘導した。
木陰へと入ると、やはり暑いのを我慢していたのだろう、レオンが微かにほっとした表情を浮かべる。
「えーと、んじゃ、取り敢えず……昼飯かな」
「そうですね」
「此処ら辺は、店は多いけど、何処も一杯かなあ」
「丁度昼のピークですから、埋まってそうですよね」
交差点の向こうには、ファーストフード店がずらりと並んでいるが、此処から見えるだけでも、何処も人で溢れている。
レオンは人込みはあまり好きではないし、ラグナも食べるのならゆっくりと食べたい。
少し探してみようか、とラグナが言うと、レオンは頷いた。
都心の真ん中にあって、若者たちが集う服飾店が近くにある多いお陰か、食べる場所を探すだけなら事欠かない。
大通りに面した道は勿論、路地を一つ二つ曲がっても、美味しそうな看板を掲げた店は幾らでもあった。
しかし、駅に近い場所は、何処も彼処も満席だ。
食事を終えても、当分はお喋りに費やす者も多く、直ぐに席は空いてくれそうにない。
「悪いなあ、目星つけておけば良かった」
「いえ、そんな。俺の方こそ、何も決めてなくて。食事の後の事も、まるで何も……」
すみません、と申し訳なさそうに詫びるレオンに、ラグナは首を横に振った。
どちらも何も決めずに今日と言う日を迎えたのだから、お互い様だ、と。
しばらく歩き回った末に、ラグナが見付けたのは、小さな雑貨カフェだった。
看板は小さなもので目立つものではなかったが、ランチメニューが書いてあったので、其処に入った。
女性客がターゲットなのか、メニュー表は軽食よりもデザート類が多かったが、肉料理も掲載されている。
ラグナはチキンのプレートを、レオンはサンドイッチプレートを頼み、食後のコーヒーもオーダーした。
「食べ終わったら、何処に行こうか。行きたい所とかある?」
「……ええと……」
食事の傍ら、尋ねるラグナに、レオンは口籠った。
それ見て、何も決めてないって言ったっけ、とラグナは記憶を掘る。
ラグナは味のしみ込んだチキンを齧りながら、この後の予定について考える。
(デートってなると、やっぱり映画館とか?面白そうな奴、やってるかな。でも映画館に入っちまうと、レオンと話が出来ないなあ)
じっと黙って映画を見ると言うのが、ラグナは余り得意ではない。
隣に親しい人がいるなら、ついつい口を回してしまうのがラグナであった。
しかし、映画館で喧しくするのは良くないし、レオンが映画に集中するようなら、邪魔をする訳にも行かない。
他には、と考えて浮かぶのは、デートの定番である水族館だ。
此処は都会の真ん中だが、ビルの屋上に水族館施設があるのは知っている。
「じゃあ、水族館とかどうだ?涼しいし」
「水族館……じゃあ、海の方ですか?」
「いや、近くにあるんだよ」
どうやらレオンは、この都心に水族館がある事を知らなかったようだ。
驚いた顔を浮かべるレオンに、よし、とラグナは決意する。
「水族館に行こう。俺も一回、行ってみたかったし。良いかな?」
「はい。水族館なんて、初めてだから、楽しみです」
嬉しそうに目を細めるレオンの言葉に、ラグナはほっと安堵する。
食後のコーヒーを傾けながら、以前聞いたレオンの過去から、彼が娯楽施設の類に縁がなかった事を思い出す。
となれば、水族館に限らず、動物園にも行った事がないのかも知れない。
今日は暑いので、動物園に行っても日焼けするばかりになりそうだから、また別の日に計画するのが良いだろう。
支払いをどちらが済ませるかで揉める事、しばし。
仕事の絡む飲み会や、同僚がいる場面では上司であるラグナが気前を良くして支払うのがパターンだったが、今日はデートだ。
その所為か、せめて折半で、とレオンが譲らなかった。
此処でレオンの言葉を断るのはラグナには簡単だったが、そうした場合、レオンが後々まで気にするのは目に見えている。
お互いに気兼ねなく過ごす為にも、今日は金銭の類は分け合うのが妥当であった。
水族館があるビルまでの道は、ラグナが覚えていた。
屋上にある水族館の他にも、ショッピングや飲食店、フロアによっては会議場や宴会場など、複合施設となっている為、ラグナは仕事で何度か訪れた事があったのだ。
なんとか迷うことなくビルに辿り着くと、フロアまで直行のエレベーターに乗り込む。
「ビルの屋上の水族館なんて、不思議ですね。海や大きな川の傍にあるとばかり思ってました」
「判る判る。俺もあんな所に水族館があるって聞いた時は、不思議でさ。魚も水も、どうやって持って上がったんだろうって」
エレベーターはぐんぐん昇り、ガラス窓から見える景色は、地上から遠く離れている。
少し離れた場所を見ると、天を突く程の高さを持った高層ビルが見えたが、この水族館を要するビルも相当の高さである。
水族館受付口となっているフロアに下りると、思いの外其処は空いていた。
平日の午後とあって、土日に比べると客足も落ちているのだろう。
ゆっくり見るのならこれ位の方が良いな、とラグナは思った。
大人二枚のチケットを購入し、スタッフに案内されて、もう一つ上のフロアへと昇るエレベーターへ誘導される。
中に乗り込むと、モニターが付いており、ゆっくりと昇る筐体の中で、水族館の案内映像が流れた。
「おっ。見ろよ、レオン。ペンギンの餌やりが出来るぞ」
白黒の体を左右に揺らしながら、ひょこひょこと歩くペンギンの映像。
その傍らに、餌やり体験の時間が表示されているのを見付けて、ラグナは嬉しそうに声を上げた。
レオンが腕時計を確認すると、餌やり体験まではもう五分もない。
「時間、もうすぐですね。エレベーターを降りてから間に合うか…」
「じゃあちょっと急ごう。餌やりしてから、また最初から見て回ろうぜ」
ラグナがそう言った所で、エレベーターがフロアに着いて、ドアが開いた。
急ごう、と言う言葉の通り、ラグナはレオンの手を握って、引っ張るようにエレベーターを降りる。
「え、あ、ラグナさん?」
「こう言うのって先着順だからな。急がないと一番が取られちまう」
「い、一番って」
「ほら、走ろうぜ!」
「こういう所は走っちゃ駄目なんですよ」
咎めるレオンの指摘に、おっとそうか、とラグナは駆け出そうとする足を緩めた。
それでも早歩きである事に変わりはなく、レオンはそんなラグナに引っ張られ、転ばないように急かしく足を動かした。
通路の足元には、それぞれの展示エリアへの誘導ルートが記されている。
人気のペンギンの餌やりが体験できる場所へもきちんとルートが示されており、ラグナはそれを頼りに歩きつつ、路なりの展示をきょろきょろと見回した。
「結構色んなのがいるなあ」
「そう、ですね」
「…やっぱりちょっと見て行くか?」
ペンギンの餌やりが出来るとあって、テンションが上がってレオンを引っ張って来たラグナであったが、肩越しに見たレオンが歩きながら展示を目で追っている事に気付いて、足を止めて尋ねる。
しかし、レオンは小さく首を横に振り、
「……いえ。後でゆっくり見ましょう」
「良いのか?」
「はい。ペンギン、俺も早く見たいですし」
ペンギンの餌やりなんて、レオンも見た事がない。
ラグナ程にはしゃぐ事はなくても、見てみたいし、折角なら体験もしてみたい。
行きましょう、と言ったレオンの手が、捕まえているラグナの手をぎゅっと握る。
それを感じ取って、ラグナは笑顔を浮かべ、またレオンの手を引いて歩き出した。
───通路が微かに暗くて良かった。
握った手の体温を感じながら、幸福に滲む雫をこっそりと拭って、レオンは思った。
ラグレオの初デート。
デートと言うだけでも一杯一杯で、実は手を握られているだけで凄く幸せなレオンでした。
SeeD服を着ている時のスコールは、近付き難い。
華美にならない程度に、しかしパーティのような場面でもそのままの格好で出席できるようにとデザインされた服は、軍人に似た重厚な雰囲気を醸し出している。
セルフィやゼルが着ると、本人の持つ空気故か、式典用の学校制服に見えなくもないのだが、スコールが着るとまた違う。
元々の大人びた雰囲気も相俟って、屹然とした空気を滲ませた。
其処には、魔女戦争を経てスコールがバラムガーデンの指揮官と言う立場になった事も、理由として有るのだろう。
元々、正SeeDのみが着用を許される服である事から、SeeDを目指すバラムガーデンの生徒にとっては、憧れの対象であったと言う。
魔女戦争後、指揮官として矢面に立つことが増えたスコールが、頻繁に着るようになってから、一層憧れの視線は増えたそうだ。
スコールにとっても、SeeDとなる事は自分の目標であり、それを果たした暁に手渡されたSeeD服は、着る度に密かな高揚を齎すものであった。
とは言え、何度も何度も着ていれば、段々とそうした気持ちは薄れ、最近では完全に仕事着としての役目となり、着る事が面倒になる日もあるらしい。
それを小さな声で零したスコールに、判るなあ、とラグナは言った。
ラグナも記者会見など、公的な場ではスーツを着なければならないが、普段はもっと楽な格好をしていたい。
元々スーツのようなカッチリとした格好が苦手なのもあるが、それを着ると、きちんとしなければ、と言う気持ちが働くのだ。
仕事に置いてその意識は良い事なのだろうが、それが何度も、延々と続くと、やはり疲れてしまうものである。
今も、少し疲れているのだろうか。
記者会見に応じるラグナの直ぐ後ろで、硬い表情で記者団を睨んでいるスコールをちらりと見て、ラグナは思う。
今日は朝から忙しく、ラグナはあちこちで取材記者団に囲まれていた。
取材の内容は政治的なものから、割とどうでも良さそうな雑事まで、様々である。
一通り終われば次の視察へ向かい、それを終えると、出口でまた報道陣に囲まれる。
こうした生活はエスタで暮らす内に何度か経験していた事だったが、最近はその頻度と、囲む報道陣の数が増えて来ていた。
と言うのも、以前はエスタ国内の報道関係者のみで完結していたのが、エスタが開国した事で、外国からも記者団がやって来るようになったからだ。
中には強引なやり方で───他国ならば普通の方法なのかも知れないが、少なくとも、エスタの感覚では───取材をしようとするパパラッチもいるので、最近の記者会見では、警備レベルが引き上げられている。
警備任務を依頼したバラムガーデンから、“伝説のSeeD”がわざわざ派遣されて来たのは、そうした事情も加味されていた。
“伝説のSeeD”と言う言葉は、本人の自覚以上に重い文鎮の役割を果たしている。
世界に混沌を齎した魔女を屠った者の睨む眼には、流石に報道陣も尻込みする所があるらしい。
特にデリングシティから来たと言う記者団は、魔女戦争の際の魔女心棒を少なからず記事にして旨味を啜った後ろめたさがあるようで、スコールがいるだけで妙な質問をしてくる輩は格段に減った。
これは副次効果であったが、エスタの大統領府関係者にとっては、有難い事である。
報道陣に応えている間に、時間は刻々と過ぎてゆく。
執政官として後ろに控えていたキロスが、そろそろお時間です、と促すのを聞いて、ラグナは小さく頷いた。
「では、次の仕事の時間がありますので、これで失礼します」
形式ばった言葉で会見を締め括りにし、ラグナは記者団に背を向けた。
まだまだ聞きたい事があるのだろう、槍投げのようにしつこく質問を飛ばして来る記者達を、警備員とSeeD達が止める。
スコールはハンドサインで部下に指示を残すと、ラグナについてその場を後にした。
ウォードがドアを開けて待っていた車に乗り込む。
記者団の塊を避けて、張り込んでいた新しい記者が、今がチャンスと駆け寄ってきたが、スコールがじろりと睨むと足を竦ませた。
記者の足が止まった隙に、スコールはラグナの隣に乗り込み、ウォードが車のドアを閉める。
運転席にはピエットが待機しており、出しますね、と断り一つを入れて、発進させた。
「ふい~……」
記者団の影が遠退いて、ラグナはようやく詰めていた息を吐いた。
首元を締め付けているネクタイを引っ張って緩め、近い位置にある天井を仰ぐ。
「はあ、疲れた……」
「お疲れ様です、ラグナさん」
「んー」
車を運転しながら労うピエットの言葉に、ラグナは浦々とした声で返事をした。
この後は官邸に帰って書類仕事をする予定なので、着いたら着替えて良いかなあ、とラグナは考える。
と、隣できっちりと着込んだ服は愚か、姿勢すら崩そうとせずに窓の外を睨んでいる少年に気付く。
「スコール、もう楽にして良いぜ。後は帰るだけなんだし」
「……いえ、お構いなく。任務中ですので」
固い言葉遣いに、完全に仕事モードである事が判る。
その反応にラグナは少し寂しくなったが、いつもの事と言えばいつもの事だし、スコールが“大統領警護”と言う任務中である事も確かであった。
大統領官邸前には、また別の報道陣が待機していたが、それは官邸の敷地外で事。
どうしましょうか、と判断を仰ぐピエットに、スコールが「そのまま奥まで行って下さい」と言った。
官邸前でのインタビューは仕事の予定に入っていない。
無視して行けと言うスコールに頷いて、ピエットは車に積んでいる通信機で官邸内のスタッフへ連絡を取り、車から降りる事なく、官邸の門を開けさせた。
飯の種を逃がしてなるかとカメラマン達が仕事道具を掲げて、インタビューやらフラッシュ撮影やらと忙しない。
ラグナはカメラ向けに笑顔で手を振る仕草だけを見せ、彼らの前をすーっと通り過ぎて行った。
どうにかして追いかけようとする者は、警備員と門に阻まれる。
後ろで門が閉まる音を聞きながら、車は路なりに進み、官邸玄関へと到着した。
車を降りると、もう騒がしさはなく、いつもの静かな官邸だ。
「今日はもう外には出ないんだっけ」
「そうですね。予定されていた物は終わりましたから」
ラグナの問に答えたのはスコールだ。
そっか、と言って開いた玄関の中へとラグナが入り、スコールも続く。
きょろきょろと辺りを見回したラグナは、記者会見の場に残して来た友人達がまだ帰っていない事に気付く。
何処かで捕まっているのか、彼等を撒く為に適当に時間を潰しているのか。
何れにしろ、心配する必要はないだろうと、特に気にせずに官邸奥へと進んだ。
「書類、何が残ってたっけなあ……」
「……」
「うーん、腹減ったから何か食ってからにしようかな」
ラグナの呟きは、声ばかりが大きい独り言だ。
スコールもそれを判っているようで、半歩後ろを黙ってついて行くのみであった。
17年ですっかり通い慣れた廊下を進み、一番奥の執務室に到着する。
扉を開けると、やはり其処は無人であった。
念の為にとスコールが先に中に入り、室内の安全を一通り確認してから、ラグナに入室を促す。
「お待たせしました。問題ありません。どうぞ」
「うん、ありがとな」
ラグナが執務机を覗いてみると、書類は数枚が重ねられているだけだった。
今日の午前は机につけないからと、昨日の内に殆どの書類を終わらせていたお陰だろうか。
机に座り、書類の内容を確認して、サインと判を押して行く。
キロス達が帰ってきたら、追加の書類を持って来られるかも知れないが、この分ならそれも然程多くはないだろう───希望的観測であるが。
そんなことを考えている間に、少ない書類は片付けられる。
ラグナが書類に視線を落とした時から、スコールは執務机から二メートルの位置にある壁際に立って待機していた。
執務室で警護をしている時のスコールのお決まりの立ち位置だ。
其処なら、仕事をしているラグナの姿も、人の出入りがある扉も一目で確認できる配置になる。
この為、スコールはこの場に立つと、用事がなければ自分から動き出す事はない。
時には数時間に渡って直立不動を貫く時があるので、ラグナは時々、このままスコールがマネキン人形にでもなってしまうのではないかと思う事がある。
書類を終わらせてから、ラグナはじぃっとスコールを見ていた。
その視線に気付いていない訳ではないだろうに、スコールは気に留める様子はなく、沈黙して仕事に従事している。
そんな少年を見る度、真面目だなあ、と思う傍ら、ラグナは細やかな悪戯心を刺激された。
「スコール」
「……はい」
名前を呼ぶと、スコールは一拍置いてから返事をした。
蒼の瞳が向けられる事にラグナは表情を緩め、こっちに、と手招きする。
スコールは眉根を寄せつつも、入口の方をちらりと確認だけ済ませて、執務机へと歩き出した。
机を挟んでラグナの正面に立ったスコールだったが、ラグナはにっこりと笑って、椅子の肘掛をぽんぽんと叩く。
その意図する所を読み取って、スコールの眉間には深い皺が寄せられた。
が、睨んでもラグナが表情を変えないのを見ると、判り易い溜息を吐いて見せ、心なしか遅い足取りで机を回り込む。
「何か────」
御用ですか、と言うスコールの言葉を、ラグナは最後まで聞かなかった。
届く距離になったスコールの腕を捕まえて、ぐいっと引き寄せる。
予想していなかった訳でもないだろうに、何処かで油断しているのか、スコールは踏鞴を踏んでラグナの下へと体を傾けた。
とすっ、とラグナの腕の中へ、スコールが落ちて来る。
目を見開いている少年をそのまま抱き寄せ、ラグナは膝の上にスコールを乗せた。
「な……おい!」
「ほらほら、大きな声出したら人が入って来ちゃうぞ」
それまでの鉄面皮が嘘のように、真っ赤になって声を荒げるスコールに、ラグナはくすくすと笑って言った。
スコールは悔しそうに歯を噛んで、じろりとラグナを睨む。
「あんた、仕事中だろう。ふざけてないで真面目に」
「仕事なら終わったよ。書類、大して数がなかったから。だから今日のお仕事はもうお終い」
「あんたはそうでも、俺はまだ任務があるんだ」
スコールにとって、ラグナの傍にいる限りは、仕事は継続しているのだ。
ラグナの仕事が終わったからと言って、睦言に感けられるような時間はない。
しかし、ラグナは構わず、スコールの唇に己のそれを重ねた。
「んぅっ……!」
予告もなく重ねられた口付けに、スコールが目を丸くする。
突発的な出来事に弱いスコールは、驚いた表情のまま、体を硬直させていた。
それを幸いと、ラグナはスコールの腰に腕を回して、まだ青さの残る細い体をしっかりと抱き締める。
絡めた舌をゆっくりと撫でから、ちゅ、と音を立てて唇を離す。
ほう、と心なしか濡れた吐息が、スコールの唇の隙間から漏れた。
微かに上がった呼吸を整えるように、スコールは少しの間肩を揺らした後、
「……人、来ないんだろうな」
「うん」
スコールの問に、ラグナはきっぱりと頷いた。
何の根拠もなく。
ラグナの返答に根拠がない事はスコールも判っていたのだろう、ちらりと蒼の瞳がドアを見る。
今はまだ帰って来る様子のない執政官達だが、記者団への対応が終わったら、順次引き上げて来るに違いない。
早ければ今からでも戻り始めていても可笑しくない頃だ。
だが、スコールの腰を抱く男の手は、確りとしていて離れそうにない。
「……一回だけだ」
赤い顔で、視線を明後日の方向に逸らしたまま、スコールは消え入りそうな声で言った。
うん、とラグナは頷いて、SeeD服の詰襟に指をかける。
制服を脱がせれば、其処にあるのは発展途上の青い果実。
禁断の園を暴くような背徳感を覚えながら、ラグナはその味をゆっくりと味わったのだった
SeeD服って禁欲的な雰囲気になるのが良いですね。
そしてそれを脱がせたい。
キロスとウォードはその内帰って来るけど、察して中には入って来ないと思います。