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2018年08月
夏休み中の特別夏期講習なんて申し込むものじゃない。
暑い教室の中で、自分で申し込んだ夏期講習授業を終えて、スコールはそう思った。
校庭で鳴いている蝉の声の煩さに辟易しながら、外と大して温度の変わらない校舎内を歩く。
水筒の中身の水は、登校中と授業の合間の休憩時間だけで、もう残り少なくなってしまった。
荷物を重くするのが嫌で小さな水筒を愛用していたのだが、こうも減りが早いと、もう少し大きなものにすれば良かった、と後悔する。
学年で上位の成績を持つスコールが、どうして夏期講習が必要なんだとよく言われる。
理数系なら確かにスコールは得意だし、今から慌てて勉強しなければとは思っていないのだが、苦手な文系がどうしても怖い。
それも補習常連の友人に比べればマシなレベルは保っているが、やはり成績が振るわないと言うのは、スコールにとっては気になるのだ。
予習する所はするし、復習も重ねたいし、より深く緻密に勉強する機会が設けられるなら、それは使いたい。
勉強は決して好きでする訳ではないけれど、無視できない性格である以上、スコールはそれらをしない訳にはいかなかった。
(でもこんな環境で勉強する位なら、家で自習していた方がマシだ……)
思いながら、去年も同じ事を考えていたような気がする、とスコールは溜息を吐く。
人間は学習する生き物だと言うが、同じ愚を犯す生き物でもある。
矛盾している、と肩を落としながら、スコールの重い足は、ようやく昇降口へと到着した。
────と、其処で耳に馴染んだ声が二つ。
「あ、スコールだ」
「スコールも終わったトコっスか」
名を呼ぶ声に顔を上げれば、蜜色と褪せた銀色の髪が並んでいる。
同じクラスの友人で、先程赤点組と称した、ティーダとヴァンであった。
「……あんた達も帰りか」
「うん。途中でコンビニ寄ろうって話してた」
「…俺も行く」
「行こう行こう!アイス買わなきゃやってられないっスよ」
ティーダの言葉に、アイスか、良いな、とスコールは小さく呟く。
コンビニと聞いた時には、冷たいジュースでも買って帰ろうと思っただけだったのだが、アイスも欲しくなって来た。
うだる暑さの中、帰る道中のお供には最適だろう。
上履きから靴に履き替えて、軒の外へと出ると、カンカンと照る太陽に肌を焼かれる。
じりじりと皮膚が焦がされるのを感じて、スコールは腕を摩った。
それを見たティーダが、うわ、と声を上げる。
「スコール、腕真っ赤じゃん」
「……触るな。あんたの手、熱い」
「真っ赤だけど焼けてないな。スコールって焼けない奴なのか?」
「そういやスコールって白いっスね。インドアっぽいしなー」
スコールの赤らんだ腕をしげしげと観察するティーダとヴァン。
その視線すらも熱を感じるようで、スコールは手首を掴んでいるティーダの手を振り払って逃げた。
土で整備されているグラウンドを抜けると、アスファルトからの輻射熱が少年たちを襲う。
道の向こうが陽炎で揺らいでいるのが見えた。
卵を落としたら目玉焼きになりそうだな、と思いつつ、スコールは足早に歩き、ティーダとヴァンがそれを追う形でついて来る。
「スコール、夏期講習ってどんな事してるんだ?」
「勉強してる」
「補習授業とやってる事って違うんスか?」
「…違うんじゃないのか。補習授業は受けた事がないから知らないけど」
「っかー!イヤミっスか!」
「別に。ただの事実だ」
スコールは特別授業の類を率先して受けているので、夏期冬期講習の常連であるが、補習授業は一度も受けた事がない。
受けないのが一番良いとも思っているので、今後も受ける予定はなかった。
対してティーダとヴァンは補習授業の常連と化しており、教師達の頭痛の種となっている。
「…夏期講習の内容が知りたかったら、あんた達も申し込めば良いだろう。良い勉強時間になるんじゃないのか」
「補習だけでも面倒なのに、夏期講習なんてやりたくないっス!部活の時間もまたなくなるし」
唇を尖らせるティーダに、やれやれ、とスコールは肩を竦める。
そんなティーダの隣で、ヴァンも「俺も部活は早く出たいなー」と言っている。
それなら補習も受けないように、ちゃんと勉強すれば良いだろうに、とスコールは何度思ったか知れない。
スコール達の学校では、テストの赤点や単位不足で補習が組まれると、その間は部活動に参加する事が出来ない。
運動系の部は、地区でも有名な強豪校と言われているが、学業が疎かになるのなら部活はさせない、と言うの決まりがある。
しっかりと線を引いた上で、どちらも両立させるように、と言う方針が定められているのだ。
お陰で成績が常に低空飛行のティーダは、部活一時休止の瀬戸際に常に立っている。
ヴァンはテストの方は平均点はカバー出来るが、普段の授業態度───忘れ物だとか、居眠りだとか───が多くて減点を食らっていた。
これにより、長期休暇期間になると、二人は一定の補習授業を受けて単位を取り戻すまで、部活に参加する事が出来ないのがパターンと化している。
早く部活がやりたい、ボールが触りたい、と言うティーダと、作りかけの航空模型を完成させたい、と言うヴァン。
そんな二人の声を聴きながら、毎日灼熱地獄なのに、よく部活なんてやっていられるな、とスコールは思っていた。
どんなに夢中になる事でも、好きな事でも、この暑さの中でやれと言われたら、スコールは諦めて涼しい家の中に引き籠る。
それを思うと、暑さよりも夢中になれる事がある友人二人が、少し羨ましいような気もした。
校門を出てから五分の所に、学生達が行きつけのコンビニがある。
平時は放課後の寄り道で菓子を買った学生が屯しているポイントだが、流石にこの暑い日中に炎天下で過ごす猛者はいなかった。
店に入ると、いらっしゃいませー、と気のない店員の声が届けられる。
三人はいそいそとアイスボックスへと向かい、ガラス越しに並ぶ商品を眺め、
「俺これにする」
「あ、新商品ある。俺はコレ!」
(……これにするか)
ティーダはソーダの棒アイス、ヴァンはチョココーティングされたクリーム系棒アイスを選び、スコールはカップのアイスを取る。
レジカウンターで順番に会計を済ませて店を出ると、早速アイスの封を切った。
冷凍庫から出されたばかりのアイスは、キンキンに凍っていて固い。
ティーダは躊躇なくそれに齧り付いて、ガリッ、と噛み割った。
口の中で氷の塊をしゃくしゃくと砕き、ごくっと飲み込めば、食道から胃までひんやりとした感覚が通って行く。
「く~っ、これこれ!やっぱり夏のアイスは最高っスね」
「そうだなー。夏って感じがする」
「………」
涼を喜ぶティーダと、頷きながらチョコとクリームの味を堪能するヴァン。
スコールは無言のまま歩きながら、凍っているアイスの表面をプラスチックの小さなスプーンでザクザクと耕している。
「ヴァンのそれ、新しい奴だよな。どんな感じ?」
「うまいぞ。クリームがミルクって感じがする」
「一口貰って良い?」
「ん」
ねだるティーダに、ヴァンがアイスを差し出した。
食べかけのそれにティーダがぱくっと齧り付く。
「んー……確かに濃いっスね。最近こう言うアイス増えてる?」
「そうだっけ?スコールも食べてみるか?」
「……一口」
「ん」
ひょい、と差し出されたヴァンのアイスに、スコールも口を開けて首を伸ばす。
はく、と大きくはない一口分だけを貰えば、チョコレートとクリームは直ぐに口の中で溶けて行った。
「……牛乳っぽい」
「だろ?なあ、スコールのそれもちょっと食べたい。良いか?」
「……ほら」
先に一口貰ったのだし、とスコールはヴァンの希望に応じた。
アイスをスプーンで一口分掬い、差し出してやると、ヴァンは雛のように口を開けた。
そのままスプーンを口元まで持っていけば、ぱくり、と食いつく。
「レモン味」
「ああ」
「スコール、俺も欲しいっス!」
「……判った判った」
きらきらとした目でねだってくるティーダに、スコールは溜息を吐きながら寛容した。
アイスをざくざくと耕して、柔らかくなった氷の塊を掬って差し出す。
ティーダは直ぐにぱくっと食いついた。
「ソーダとはちょっと違ったさっぱり感。良いっスね~、今度これ買おうかな」
「なー、ティーダのアイスもちょっとくれよ」
「ん、良いっスよ。スコールも食べて良い────」
我儘を聞いてくれた友人たちへのお返しにと、ティーダが自分のアイスを差し出そうとした時だった。
ぺちゃ、と言う音がティーダの足元で鳴る。
見下ろせば、其処には無残な姿のソーダアイスの塊。
次いでティーダが自分の手元を見ると、其処には棒きれが一本のみ。
「……あ」
「……」
「ああああああああ!!」
響くティーダの声に、煩い、とスコールは釘を刺した。
しかし当のティーダはそんな事に構っている余裕はなく、
「お、俺のアイスが~っ」
「暑いからなあ。溶けるのも早いんだな───って、あ」
嘆くティーダを眺めるヴァンの足元からも、べちゃ、と言う音が鳴った。
見ればクリームアイスがすっかり溶け、割れたチョコレートコーティングごと、地面に落ちている。
鉄板のような熱さの上に落ちた二つのアイスは、みるみる内に溶けて液体になってしまった。
「あー」
「アイスぅぅぅううう」
(……カップにしておいて良かった)
残念そうに眉尻を下げるヴァンと、悲痛な叫びをあげるティーダを見て、更に自分の手元を見てスコールは思った。
カップの中身はかなり溶けてしまっているが、カップからは水漏れもなく、手を滑らせなければ落とす事もない。
元々は手が汚れるのを嫌って選んだカップアイスだったが、こんな副次効果もあったとは。
なんとなくでアイスを選んだ十分前の自分に感謝する。
そんな事を考えていると、何か熱いものを感じて顔を上げると、二対の瞳がじっと此方を見ている。
「……なんだよ」
「それ」
「良いなあと思って」
二人揃って指差すのは、スコールの手の中にあるカップアイス。
暑さに負けた彼らのアイスは、大変残念な事と思う。
思うが、それを選んだのはあんた達だろう、とスコールは二人を睨み付けた。
しかし、付き合いの長い彼らがそれに慄く訳もなく、子犬と子猫を思わせる瞳がじっとスコールを見詰め、
「……あと一口だけだぞ」
こんな事で根負けしてしまうのは、これで何度目になるだろう。
まだ溶け残りのあるカップアイスを差し出すスコールに、ティーダとヴァンの表情がぱぁっと明るくなる。
「スコール!大好き!」
「抱き着くな、暑苦しい!」
「俺も好きー」
「判ったから離れろ!」
抱き着いて来た二つの熱の塊から、スコールは逃げ遅れた。
ぎゅうぎゅうと抱き締めて離さない二人に、この暑いのに、とスコールの眉間の皺が益々深くなっていく。
それでも、自分から彼等を突き放す事はしないのだった。
『現パロで夏休みな17歳×スコール』のリクエストを頂きました。
17歳のどちらとも書かれていなかったので、二人ともセットでスコールにはぐはぐ。
スコールもツンツンしつつも本気で拒否はしないので、なんだかんだ言っても二人の事が好きなんです。
魔女戦争の後、世間的にはふつりと姿を消したサイファー・アルマシーは、現在、ドールに己の拠点を構えている。
しばらく長居したF.Hは悪くなく、世間から身を隠すには最適だったが、色々と考えた末に出て行った。
良くも悪くも争いを根本から嫌う土地と言うのは、投げ出した形とは言え傭兵育成の環境下にいたサイファーには、肌に合わない所も少なくなかった。
それに加え、ガルバディア軍が魔女戦争の責任者として、サイファーに全てを押し付けようとしていると言う情報が入った。
F.Hが嘗てガルバディア軍の襲撃を受け、スコール達の介入によって無事に事が済んだと言う話は(他人の顔をして)聞いていたので知っていたし、その際、街に幾らかの被害を出したことも聞いた。
頭がすげ変わっても相変わらず躾の悪い軍隊であるから、サイファーを捕らえようと良からぬ根回しが始まる前に、サイファーは其処を出て行く事を決めたのだ。
その後、ガルバディアには自分の顔が知られ過ぎているし、エスタもルナティック・パンドラや“月の涙”の件があると近付かず、セントラは誰の目を気にする必要もないが、其処は不毛の地だから、生活するには不便だ。
そうして唯一残ったのがドールの街であった。
幸か不幸か、件の魔女戦争に置いて、ドールは若干蚊帳の外になっている。
ガルバディア軍による電波塔占拠の事件は、全ての始まりでもあったのだが、バラムガーデンとガルバディアガーデンの衝突等はセントラ大陸で起こったし、D地区収容所から発射されたミサイルはバラムとトラビアに着弾し、地理的にも全く違う場所にあるドールは、魔女戦争の一連の被害に被るものはなかったのである。
そうした環境の所為か、魔女戦争後に起こった国際裁判の類にも、ドールは我関せずと言う具合だった。
そんな場所でもサイファーの顔は知られているのだが、此処で役に立つのが“金”だ。
合法的なカジノから、非合法のギャンブルまで、ドールではあらゆる場面で金が動く事に重きが置かれる傾向がある。
その金の動きに己を上手く乗せる事が出来れば、ドールでのある程度の安寧は手に入れる事が出来るのだ。
最初に其処に流れ着いた時、サイファーは一文無しだった。
ガーデンに帰れと言ったのに、ついて行くと聞かなかった雷神も同じだ。
堅実な風神は幾らか貯金が残っていたが、三人で生活するには雀の涙である。
幸い、ドールには日雇いの仕事と言うものが幾らでも募集されているから、それでどうにか食い繋ぎ、地道に資金を貯めて行った。
なんとも自分らしくない地道な生活だと思ったが、金がなければドールであろうと何処であろうと宿無生活は脱出できないので、これは踏ん張り所と割り切った。
……そんな事で多少の諦めが着く位には、子供ではいられなくなった自分を自覚しつつ、日々は続く。
少し金が溜まった所で、サイファーはアパートを借りた。
雷神と風神も其処に住んで良いと言うと、二人は泣きながら喜んだ。
そんなに宿無し生活が辛かったのかと思ったら、ガーデンに帰れと言わず、一緒に住む事をサイファーの方から提案してくれた事が嬉しかったのだと言う。
無性にこそばゆい感情に背中を掻きながら、三人の共同生活は改めてスタートした。
その後も日雇いの仕事は続けつつ、サイファーは偽名を使って傭兵稼業を始めた。
新たな人生として、何処かの会社に就職する、と言う頭もない訳ではなかったが、やはりサイファーは根っからの傭兵だ。
地道なデスクワークなんて性に合わないし、ぺこぺこと人に頭を下げるのも好きではない。
何より、自分が最も誇れるものは何かと聞かれたら、バトルの腕だと答える。
そんな人間が好んで出来る仕事なんてものは、結局そう言う道以外にはなかったのだ。
傭兵と言うとやはりバラムガーデンのSeeDが有名だが、世の中にいる傭兵の全てがSeeDと言う訳ではない。
単に『バラムガーデンのSeeD』と言うネームバリューが商品として売れているだけで、フリーランスも少なくはなかった。
この世界での傭兵は、戦争事の駒として駆り出される事は勿論、魔物の討伐も依頼される事がある。
言い換えてしまえば、荒事専門の何でも屋だ。
先の“月の涙”の影響により、エスタ大陸を中心にした各地で魔物の生態系の変化が起きている事もあって、魔物討伐の依頼は急増している。
バラムガーデン擁するSeeDだけでは手が足りず、各国の軍隊も自国の主要な施設を防備する事を優先している節もあって、一般人は個人で魔物討伐の手立てを得なければならなかった。
其処でSeeD以外のフリーランスの傭兵や、セキュリティ会社等に魔物討伐の依頼が寄越されるようになっている。
────が、サイファーの構える傭兵事務所には、中々大きな依頼が回ってこない。
ドールにはサイファー以外にも事務所を構えている個人の傭兵がいて、其方には依頼が来ているようだが、立ち上げたばかりで知名度が低いサイファーの下まで話が降りて来ないのだ。
取り敢えず自主的に探して引き受けたドール近辺の魔物退治をして日銭を稼いでいるが、日雇いのアルバイトに行っている雷神の方がトータルして稼ぎが良いのが少し悔しい。
別に競争している訳ではないのだが、一応、社長と言う肩書で事務所を持っているのはサイファーなので、従業員扱いの雷神と風神に養われている状態は早く脱したいと思う。
そんなサイファーの傭兵事務所だが、大きな仕事が全く来ない、と言う程寂れてはいない。
月に一度か二度、ほぼ必ず、大口の依頼が舞い込んでくるからである。
今月もそろそろ来る頃か、と思っている所へ、「依頼がある」と言うごく短いメールは寄越された。
昼から予定していた郊外の治安維持を目的とした魔物退治を終えて、帰路を歩く。
途中の自動販売機で買った缶ビールを傾けながら、口煩い奴が近くにいないのは良いな、と思った。
これがバラムガーデンだったら、先生辺りに見付かって、禁酒ルールの罰則としてトイレ掃除でも押し付けられる所だ。
とは言え、風神に見付かると棘を貰う羽目になるので、家に着く前に飲み切って、道端のゴミ箱に捨てておく。
少し古びた建物がひしめき合っている地区に、サイファーの拠点であるアパートがある。
あまり治安の良い場所ではないが、今の収入ではこれ以上は求められない。
それもあって余り依頼が来ないのかも知れない、と早く引っ越したい気持ちはあるのだが、その為にもまずは貯金を蓄えなければいけない。
大手はそう言う心配がないから良いよな、とこれから会う顔を思い浮かべて独り言ちた。
軋んだ音を立てるアパートの階段を上って、三階にあるのがサイファーの事務所兼家だ。
半日振りに帰ったその扉の前に、見慣れた黒のジャケットとガンブレードケースを見付けて、サイファーの口角があがる。
「ようこそ、指揮官様。今日はお早いお着きで」
ドアに寄り掛かり、狭い夕空を見上げているのは、バラムガーデンの指揮官こと、スコール・レオンハートである。
スコールは戻ってきた家主を見付けると、眉間に深い皺を刻んでサイファーを睨み付けた。
「あんた、出掛けているなら先に連絡しろ。あんたを待ってニ十分も時間を無駄にした」
「いつもそれだけ遅れて来てんのは誰だよ」
「あんたと違って忙しいんだ、仕方がないだろ。暇なあんたが都合を合わせろ」
なんとも横暴な物言いに、腹が立たない訳ではなかったが、言い返せば仕事を取り上げられるのが判っているので、へいへい、と適当に返事だけを投げる。
スコールが部屋の外で待っていたと言う事は、同居人は揃って不在と言う事だ。
まあそれが正解だな、と思いつつ、サイファーはドアの鍵を開ける。
ドーゾ、とだけ促してサイファーが中に入ると、続いてスコールも玄関の敷居を跨いだ。
見た目も古く、中身も相応のアパートだから、本当なら一人暮らしが精々の広さしかない。
それを三人───うち二人は図体のでかい男───で共有している訳だから、各個人のスペースなど猫の額もありはしない。
が、私物は自分で管理し、他人の物は許可なく触らないと言うルールの下、共同生活はなんとか無事に回っている。
掃除洗濯と言った家事も一通り出来るし、悪戯に散らかすばかりの人間も、やたらと神経質に清潔を意識する人間もいないので、今の所は息苦しくなるような事もない。
ただ、個人の部屋と言うのはないので、滅多にない来客が来た時等は、他の二人はカプセルホテル等に一時避難するようになった。
リビング兼寝室にスコールを通せば、勝手知ったる他人の家と、スコールは遠慮せずに三人掛けのソファに腰を下ろす。
サイファーは小さなキッチンでインスタントコーヒーを入れて、形ばかりの持成しをする。
「ほらよ、コーヒーで良いだろ」
「……砂糖は」
「入れた。一杯だろ」
「ん」
好み通りなら十分と、スコールはコーヒーに口を付けた。
程好い温度で入れられたコーヒーに、ふう、と一つ呼吸が漏れる。
その様子を眺めながら、クマが増えたな、とサイファーは思った。
「…で、今日はなんの御用で?依頼だったら嬉しいんだが」
「希望の通り、依頼だ。詳細はこれ」
スコールはガンブレードケースを開けて、懐紙入れから書類を取り出した。
差し出されたそれを受けって、紙面を見たサイファーの眉間に皺が寄る。
「グランディディエリの森でモルボルとメルトドラゴン、エスタ近郊でキマイラブレイン、トラビアでルブルムドラゴン……お前、面倒なのばっかりじゃねえか」
「だからあんたに任せるんだ。出来ないなら別に構わないが」
「この野郎……」
スコールの事だ、サイファーの経済事情など判り切っているに違いない。
生活を回すだけなら今のままでもなんとかやって行けない事もないが、それではこの先の傭兵稼業が続く訳がないのだ。
況してやサイファーは、今は捨て置かれる形になっているとは言え、“戦犯”と言う肩書がついて回る。
偽名で仕事を続けていられる内に、稼ぎと実績を作っておかなければ、何処から余計な茶々が入るか判らない。
その為にも、一気に稼げるスコール=バラムガーデンからの下請け依頼は、断る訳には行かないのだ。
はあ、と溜息を吐きつつ、サイファーは依頼書に一通り目を通す。
バラムガーデンからの下請け依頼なので、報酬は折り紙付きだ。
元々ガーデンに寄越された依頼料の何割か、と言うレベルではあるが、ドール近郊でちまちまと魔物退治をしている時の額に比べれば、雲泥の差がある。
況してや、今回は面倒な魔物ばかりを指定されている為、その分だけ金額も大きい。
「移動費は?」
「出してやる。後で領収書を回せ」
「ついでに指揮官様お抱えの足も貸してくれると嬉しいんだがな」
「悪いが、当分運行予定は埋まっている」
悪いと欠片も思っていないだろうに、いけしゃあしゃあと言うスコールに、可愛くねえ、と呟く。
独り言だったそれはしっかり聞き取られ、悪かったな、とこれもまた心にもない返し口であった。
カチャリ、とコーヒーカップが小さく音を立てる。
このカップが使われるのが、自分が此処に来ている時だけだと、スコールは知らない。
知る必要もない事だ、と思いつつ、サイファーは依頼書に自分のサインを綴った。
これで依頼は引き受けた事になる。
任務地はドールからでは何処も遠いので、これからしばらくは色々とスケジュールの調整が必要だ。
風神と雷神が帰ってきたら伝えなければ、と思ったが、二人が今夜帰って来る事はないだろう。
メールや電話で連絡しても良いのだが、どうせ揃って詳細を伝えなければならないのなら、明日にした方が二度手間にならない。
────さて、と。
やるべき事はやったし、とサイファーが顔を上げると、スコールはコーヒーを片手に眉間に皺を刻んでいた。
その目が時折此方を見ては逸らされるのを見付け、サイファーも負けず劣らずの皺を刻む。
「なんだよ」
「……」
「言いたい事があるならさっさと言え」
沈黙してはいるが、物憂げな蒼が此方に向けられるのを見て、サイファーはさっさと吐き出せと言った。
スコールはコーヒーカップの残りを飲み干すと、カップを皿を戻しながら口を開く。
「……シュウ先輩が言ってたんだが」
「ああ」
「……俺が此処に行くのが、単身赴任の旦那の所に逐一通っているようだと」
「……へえ」
なんとも下らない事を。
相槌を打ったサイファーの表情からは、そんな言葉が漏れ出ていた。
キスティスと同期のシュウと言えば、サイファーも知らない筈がない。
今年行われていたSeeD試験然り、去年も彼女も顔を見たし、万年候補生と呼ばれたサイファーにもしっかり釘を差すシュウは、サイファーの記憶にもしっかりと残っている。
何事にも芯がしっかりとしてブレない彼女は、後輩達からもよく慕われている。
バラムガーデンが要塞として起動した以後は、指揮官と言う座に就かされたスコールのサポートを主な仕事として、バラムガーデンの要の一人として忙しなくしているそうだ。
そんな彼女は、相手が指揮官たるスコールであっても、中々遠慮なく物を言ってくる。
オンオフの切り替えはしっかりしているので、公の場では余計な口は使わないが、日常の中ではスコールを揶揄う事も多いのだそうだ。
今の単身赴任云々と言う言葉も、恐らくそう言う流れで出て来た言葉なのだろう。
サイファーが旦那なら、月一、二で通うスコールは妻か。
そう思うと俄かに口元がにやけそうになるサイファーだったが、そんな事をすればスコールの雷が落ちかねない。
ぐっと堪えて、恐らくこの反応が妥当、と思う言葉を口にする────が、
「……誰が単身赴任の旦那だ」
「全くだ。稼ぎのない旦那なんて俺は御免だ」
「其処かよ!っとに可愛くねーな!」
旦那か妻かと言う、一番スコールが反発しそうな所を無視して、要点は稼ぎの額と来た。
嫌に現実的な指摘は、今最もサイファーがジレンマを感じているポイントを容赦なく突き刺す。
ほんの少し前なら、誰が妻だと其処から怒って見せただろうに、今のスコールは難無く聞き流せる余裕があるらしい。
これだから指揮官とか言う高給取りは、と忌々しさに歯を噛むサイファーに、スコールは溜息を吐いて、
「単身赴任でもなんでも良いから、あんたは早く仕事をまともな軌道に乗せろ。偽名でもあんたの名前がちゃんと売れれば、こっちも仕事の依頼がし易くなるんだ。今はあんたが信用の置ける委託先だって事を説明しなくちゃいけなくて面倒なんだぞ」
「あーあー、判ってる判ってる」
「判ってるなら、仕事の選り好みをしていないで、さっさと────」
スコールの言葉は、最後まで続かなかった。
サイファーはソファにすっかり落ち着いているスコールの腕を掴んで、強引に寝床にしているベッドへと連れて行く。
放るように離してやると、スコールはベッドに倒れ込んで、溜息を吐きながらごろりと寝返りを打った。
直ぐにサイファーがその上に覆い被さって、文句を言おうとしている唇を塞ぐ。
近い距離で蒼がじろりと抗議に睨んだが、構わずに舌を絡め取ると、ひくん、と薄い肩が震えたのが判った。
前にこの唇を味わったのは、もう三週間も前になるだろうか。
その時も流れは今と同じで、仕事の話をして、どうでも良い応酬をして、ベッドに雪崩れ込んだ。
偶には外で良い飯を食ってロマンティックな景色でも見て、と思わないでもないけれど、現実は小さなアパートの片隅で即物的な交わりをしている。
今の所はそれしかないのだから、これでしっかり繋ぎ止めてやるしかあるまい。
深く深く口付けている内に、腕が首に絡み付く。
離れていた時間を取り戻すように、溶け合って混じり合って、同じ泥の海へと沈んで行く。
明日にはまた別々の世界に分かたれると知っているから、今だけは。
『サイスコで、ガーデンでどちらかがどちらか部屋に行く or 何処かの街で通い妻か同棲してる感じ』のリクエストを頂きました。
あまり二人が別々に生活してるのって書いてないなーと思ったので、スコールに通い妻して貰いました。
通い妻って、なんか響きがエロい。好き。
サイファーも後でそんな感じの事を考えて、まあ悪くはねえなとか思ったりする。
誰かをこんなに好きになった事なんて、初めての事だったと思う。
元の世界の記憶と言うものが未だに朧気だから、その事まで引き合いに出されたら、やはり判らない事ではあるのだけれど、それでも経験則として、こんな感情を抱いた事はないのは確かだった。
近くにいると、真っ直ぐに前を見詰める瞳が強くて眩しくて、堪らなかった。
抱いていた苦手意識はそう言う所から芽生えたものだったから、言ってしまえばあれは劣等感から目を逸らしていたに過ぎなかったのだろう。
後から思い返すと、本当に子供の反抗のようだった。
けれどその時は、そうしなければ向かい合う事すら出来なかったから、仕方のない事だったのだろう───多分。
それから繰り返す逢瀬の中で、あの光に惹かれていく自分に気付いた。
ちっぽけな自分と彼では、見える世界の色も、生きている世界の形も違い過ぎて、不釣り合いだと思った事もある。
いつか別れてしまう出逢いだったのだから、悪戯に近付くよりも、見ているだけで十分だとも思った。
触れ合えばきっと忘れられなくて、別れるのが嫌になるから、姿形と生き様以外の事は、知らなくて良かった。
……けれど、触れられるとやはり嬉しくて、もっと欲しいと思ってしまう。
頬を撫でる手は、慣れていないと判るぎこちなさが感じられて、その事に少し安堵した。
いつも真っ直ぐに歩き続ける彼でも、知らない事や慣れない事、戸惑う事もあるのだと、人間臭さを知れた気がしたのだ。
雲の向こうで光り輝く星のような、遠い存在のように感じていたけれど、彼は両足を地面について此処にいる。
手を伸ばせば触れる事が出来る場所にいるのだと知った時、胸の奥が熱くなったのを覚えている。
そうして存在を感じる度に、もっと感じたい、もっと知りたい、と願う。
欲張りな感情は望む事を止めないから、まだ足りない、もっと欲しい、といつも飢えている。
それを少しずつ埋めてくれる熱を、今よりももっと深い場所に打ち込んで欲しいと思った。
スコールにそう言った経験はないが、ウォーリアもないと言う。
彼もまた、スコール以上に記憶の回復が芳しくなく、本当の名前と言うものも思い出せないようだから、過去については定かではない。
しかし、少なくとも、今この記憶を持つ現在に置いて、経験がないのは確かだった。
それを聞いたスコールは、ほんの少しだけ安堵した。
自分ばかりが何も知らない子供である事は、背伸びをしたい彼にとって、どうしても受け入れ難い事だったからだ。
そんな事に頓着するのが子供なのだと言われるとぐうの音も出ないのだが、幸い、それを指摘する者はいない。
彼も知らない事があるのだと、これから彼の“初めて”を自分もまた貰えるのだと思うと、嬉しかった。
同時に、少なくない緊張がスコールを襲う。
ウォーリアは誰かに恋愛感情を持った事もなければ、口付けやそれ以上の事をした事もなく、もっと言えばそう言った知識そのものが欠落しているようだった。
だから自分がスコールに対し、他の仲間達とは違う特殊な感情を持っている事も、その感情が何と呼ぶものなのかも、彼は判らなかったのだ。
スコールの気持ちと、ウォーリアの様子を見た仲間達が、あれやこれやと気を回してくれなければ、きっと今でもウォーリアは自分の感情の正体を知らなかったに違いない。
……そんなウォーリアと、これから恋人としての触れ合いをするのだ。
経験はなくとも、知識だけはある自分の方が、流れを作って行くべきではないのかと、スコールはそう考えていた。
(でも……流れって、どうやって作るんだ?)
ウォーリアの寝室に入って、ベッドの端に座ってから、スコールはずっとそれを考えていた。
主のいない部屋で過ごすのは今日が初めてではなかったが、思考をぐるぐると巡らせている所為で、酷く落ち着かない。
だがウォーリアが部屋に戻って来るまでには答えを見付けなければならないと、思考を止める訳にもいかなかった。
この場にいないウォーリアは、日課になっている聖域周辺の見回りを終えて、風呂に入っている。
長湯をするタイプではないから、あと五分もすれば上がって来るだろう。
その待ち時間が長いようで、短いようで、スコールは緊張した面持ちでそわそわとしていた。
(……ウォルと…これから……、…………)
もう直ぐ訪れるであろう瞬間を想像するだけで、スコールの顔は赤くなる。
イメージはどうにも希薄で、上手く形作る事が出来ないのだが、それでも“何を”するのかは浮かぶ。
だが、スコールの緊張を煽るのは、二人が未だキスすらした事がないと言う事だ。
(……それなのに、それ以上の事まで一気にするとか、無理だろ!)
物事には順序と言うものがある。
それは大抵、簡単な事から始め、課題を一つ一つクリアしながら、難易度を上げていくものだろう。
しかし二人の仲間達は、此処に至るまでの両者の進み具合から、「これじゃいつまで経っても進まない!」「見ていてじれったい!」と言う結論に至ったらしい。
大きなお世話だとスコールはつくづく思うのだが、そのお陰で、強引にこうした時間が作られたのも確か。
その証拠に、誰かがいたら二人とも人目を気にしてしまうだろう、と言う事で、全員が某かの理由をつけて出払っている。
お陰で今夜、秩序の聖域にいるのは、スコールとウォーリアの二人だけだった。
気の使い方が露骨過ぎて思う事がない訳ではないが、ぶつける相手は誰も明日まで帰ってこない。
ついで、お節介だと言ってはいても、彼らの気遣いが有り難くない訳ではない。
彼をもっと触れたい、もっと感じたい、と思うスコールにとって、先に進む為に、これ以上のお膳立てはなかった。
……だから仲間達の気遣いは受け取るつもりでいるのだが、如何せん、どうすればスムーズに進められるのかが判らない。
(やっぱり俺の方からが良い、よな。あいつは…あまり自分からは、して来ない、し……)
経験がないからか、指標がないからか、恋愛に関する事はウォーリアは余り積極的ではない。
知識もないので、何をどうすれば良いのか判らない、と言うのが彼の正直な言葉だった。
となると、やはりスコールの方から流れを進めるのが良いのだが────と、思考は堂々巡りを続けている。
とにかく切っ掛けを作るようにしないと、思った所で、部屋のドアが開く音がした。
キイイ、と蝶番の鳴る音を聞いただけで、スコールの心臓が早鐘を打つ。
今からこんな調子では────と思っている内に、隣にほんのりと熱を持った気配が腰を下ろす。
「すまない。待たせてしまっただろうか」
「あ───い、や……別に……」
詫びるウォーリアの声に、スコールは顔を上げる事が出来なかった。
ドキドキと煩い心臓の音が、隣の男に聞こえているような気がする。
黙れ、静まれ、と自分に言い聞かせてみるけれど、鼓動は感情に正直で、一行に収まる様子がない。
ちらり、と隣を見遣れば、まだ水分を孕んでいる銀色がきらきらと閃いて、スコールの心を奪う。
銀色の前髪の隙間から覗くアイスブルーの澄んだ瞳が、つ、と此方に向いて、少年の顔を映した。
その瞬間にスコールの意識は目の前の恋人に全て囚われて、身動きが出来なくなる。
「…ウォ、ル……」
震える唇で名を呼ぶと、ウォーリアの手がスコールの頬に触れた。
する、と撫でる指先がくすぐったくて、スコールは目を細める。
ウォーリアの触れ方をなぞるように、スコールもウォーリアの頬に手を伸ばした。
ひた、と触れた頬は、まだほんのりと上気していて温かい。
此処も温かいんだろうか────と蒼の瞳が形の良い唇へと向けられて、スコールは誘われるように其処に顔を近付けていた。
「ん……」
唇を押し当てるキスを、ウォーリアは拒まなかった。
目を閉じて唇を重ねているスコールに、ウォーリアも習って目を閉じる。
長いような短いような時間を過ごして、スコールはそっと唇を離した。
はぁ……っ、と緊張と熱の混じった吐息が零れて、ウォーリアの口元をくすぐる。
「は…ふ……ウォル……」
「……スコール」
名前を呼べば、呼び返してくれるのが嬉しかった。
その声に促されたような気がして、スコールはもう一度、ウォーリアの唇に己のそれを重ねる。
「ん…んぅ……」
触れているだけなのに、重ねているだけなのに、心地良い。
キスとはたったこれだけの事で、こんなにも気持ち良くなれるものなのか。
生まれて初めての経験に、スコールの意識は緩やかに溶けつつあった。
重ねていた唇を離して、また呼吸をする。
は、ふ、と少し逸る呼気を繰り返した後、スコールはウォーリアがどんな顔をしているのか気になって、顔を上げた。
「……ウォル…どう、だ……?」
嫌じゃないか、変じゃないか、と問うスコールに、ウォーリアは薄く笑みを浮かべて頷く。
「ああ。とても、幸せだ」
「……そう、か……」
ウォーリアの言葉に、なら良い、とスコールは呟く。
彼が嫌な気持ちにならないなら、自分と同じように幸せを感じてくれているなら、十分だ。
スコールの頬に触れている手がするりと滑って、スコールの顎を捉える。
くん、と上向くように促されて、スコールは素直に従った。
そうして微かに開いたスコールの唇へと、ウォーリアのそれが重ねられる。
「ん、あ……っ」
ウォーリアの方から────そう気付いた時、スコールは自分の体が熱くなるのを感じた。
口付けを重ねる内に徐々に落ち着きつつあった心音が、また跳ねて煩くなる。
開いたままの唇に、温かいものが触れた。
なんだろう、と思っている間に、それはスコールの口の中に入ってきて、歯列をなぞる。
背中にぞくぞくとしたものが走ったが、それは嫌悪とはもっと別の感覚だった。
「ふ…ん……っ!」
ひくっ、ひくんっ、と震えるスコールの体。
その腰にウォーリアの腕が回されて、抱き寄せられ、二人の体が密着する。
無防備な舌が熱の塊に絡め取られて、撫でられる。
ぞくぞくっ、と言う感覚がスコールの首筋を辿って、頭の芯まで響いたような気がした。
これは、何、とスコールが誰にも問えずにいる間にも、口付けは深くなっていく。
「ん…あ……あふ……っ」
「…ん……ふ……」
ふるふると震える舌を、何度も何度も撫でられている。
舌の根がびりびりと甘い痺れを感じて、スコールは体の力が抜けるのが判った。
いつの間にか自分で自分の体を支えられないまでになり、くったりとウォーリアに体重を預けてしまう。
寄りかかるスコールの重みを感じながら、ウォーリアはゆっくりと唇を離す。
二人の唇の間を、細い銀色の糸が繋いだ。
「ふ…あ……ウォ、ル……?」
ぼんやりとした蒼灰色の瞳が、不思議そうにウォーリアを見上げる。
これは、何。
ふわふわと気持ち良いのは、何。
自分からキスをした時には、受け入れて貰えた喜びがあった。
それは確かに幸せな事だったけれど、こんなにも溢れそうな多幸感はなかった筈だ。
まるで特別な何かを施されたかのように、スコールはウォーリアから貰ったキスが忘れられない。
熱に浮かされたように揺れるスコールの瞳を、ウォーリアは真っ直ぐに見詰めていた。
顎にかけられた指に微かに力が籠るのを感じて、スコールは無意識に唇を薄く開く。
作法のように従うスコールに、またウォーリアは口付けた。
「は…ん、ふぁ……っ」
するり、と滑り込んだ舌が、スコールの舌を絡め取って愛撫する。
唾液が絡み合ってスコールの耳の奥で音を立てていた。
それが恥ずかしくて溜まらないけれど、与えられる心地良さが恋しくて、離れる事が出来ない。
スコールの腕がウォーリアの首に絡み付き、上気した瞳が、もっと、と音なくウォーリアに訴える。
ウォーリアはそんなスコールの後頭部に手を回し、柔らかな力で抱き締めて、より深くに口付けを与えて行く。
そうすればもっとスコールが幸福になれると知っているかのように。
「あ…は……っ…」
ようやく唇が解放されて、スコールはウォーリアにしな垂れかかる。
足りなくなった酸素を求めて、はふ、はふ、と吐息を零す唇は、桜色になっていた。
「……スコール。大丈夫か」
「…ん……た、ぶん……」
気遣う声に、スコールは小さく頷いて、顔を上げる。
「……ウォル」
「なんだ?」
「……あんた…初めて、なんだよ、な……?」
「ああ」
確かめる気持ちで訊ねるスコールに、ウォーリアははっきりと頷いた。
それを聞いて、嘘だろう、とスコールは胸中で呟く。
(初めてしたのに…キスだけ、なのに……こんなに、気持ち良い、とか……)
これはまだ、始まりに過ぎない筈だ。
此処から先、もっとキスをして、触れて、混じり合う事になる。
それを想像するだけで、体が持たない気がする、とスコールは思った。
『ウォルスコで、WoLのキスに翻弄されてとろとろになるスコール』のリクエストを頂きました。
知識も経験もないけど、本能でスコールが喜ぶ事を知ってるWoLって良いですね。
キスだけでこんなにされたので、今夜のスコールは初めてなのに大変な事になると思います。
高校入学の際、地元から遠く離れた場所にある学校を選んだのは、一人暮らしの為だった。
実家は小さな村にあり、周囲は山に囲まれ、冬になると雪で閉ざされる、そんな場所だったのだが、そう言う環境から一刻も早く抜け出したいと言う気持ちもあった。
何かと不便を強いられる場所よりも、何もかもが便利な場所の方が良い。
別に、故郷の事を嫌う程ではないけれど、そう言った“都会”と言う場所への強い憧れが、見た目ばかりの自立を促したのは強ち間違っていない。
クラウドの家は母子家庭であったから、母に余計な負担はさせたくないと───それなら、そもそも地元の学校に入学すれば良かったのだが───、自分の生活費は自分で賄うように努めた。
新聞配達、コンビニ店員、一日限りのイベントスタッフや、工事現場等、色々な所で仕事をしたと思う。
学生の稼ぎなど知れているから、学費だけは母が出すと言って譲らなかったのは、後々に思う事だったが、本当に助けられた。
それでも毎日の生活で必要なものを得るには足りなくなる事も少なくなく、そんな時には、母が実家の畑で採れた物を仕送りしてくれた。
勉強は無理をしなくて良い、服も清潔感を保てているなら無理にお洒落なんてしなくて良い、けれど食べ物だけはきちんと食べなさい、と同送された手紙に書かれていたのを覚えている。
母からの仕送りは、どんなものであれ、非常に有り難かった。
畑で採れた作物、ご近所さんから貰った乾物、町内会の旅行で買った土産の漬物、等々。
それらが届けられた時は、カップラーメンやコンビニ弁当の生活は少し止めて、出来ない料理を頑張ったりもした。
頑張った結果、黒焦げのダークマターを生産するばかりと悟ってからは、料理の得意な友人に頼むようになって、月に一度はその友人を交えて夕飯を食べるようになった。
お陰で母の仕送りは無駄なく消費され、クラウドの高校生活を支え続ける事となる。
大学に入ってから、アルバイトの時間が更に長く取れるようになり、母も若くはないのに仕送りを続けるのは大変だろうと断りの電話を入れたのだが、「良いからやらせて」と押し切られた。
母にとっては、仕送りをすると言う事が、遠く離れた息子と繋がる証のように思えるらしい。
そんな事を言われると、クラウドはどうにもむず痒くて、じゃあ出来る間は宜しく、としか言えなかった。
そうして、大学を卒業し、社会人になった今でも母からの仕送りは続いており、クラウドの食生活が今以上に崩壊しないように、密かな支えとなっている。
(……とは言え、キャベツ一玉を丸ごと送って来るのはどうかと思うんだが)
実家から届けられた段ボールを受け取って、蓋を開けたクラウドは、見事な大玉のキャベツの入ったそれを見て思う。
スーパーで売っているキャベツに比べると、倍はあろうかと言う大きさのキャベツは、母が丹精込めて育てたのだろう。
それは立派なキャベツなのだが、20代の男とは言え、一人暮らしの人間が消費するには中々大変だ。
他にもトマトやキュウリ、ナス等、夏野菜が沢山入っている。
冷蔵庫に全部入るだろうか、と首を傾げつつ、クラウドは段ボールを持ち上げた。
玄関から部屋へと戻ると、其処には一人の少年が寛いでいた。
封を開けて時間が経ち、少し湿気り始めたポテトチップを摘まみながら、少年───スコールが顔を上げる。
「何か届いたのか?」
「実家からの仕送りだ。……これ、冷蔵庫に全部入るか?」
クラウドが段ボールを下ろすと、スコールが覗きに来る。
キャベツ一玉を筆頭に、種類豊富な夏野菜を見て、眉根を寄せる。
「……大きいな」
「ああ」
「キャベツも、トマトもナスも……こんなに大きいのは初めて見た」
スコールはナスを取り出して、しげしげと眺める。
くるくると上下左右に回しながら実の具合を確認して、元の位置へと戻す。
「全部は入らないと思う。特にキャベツ」
「半分位、貰ってくれると有り難いんだが」
「じゃあ、貰う。あんたの所の野菜、美味いし」
「伝えておこう」
今のスコールの言葉は、母にとって嬉しい事だろう。
伝えたら、また張り切って大きな野菜が届けられるような気がしたが、それは止めまい。
スコールの他にも、クラウドと同じように独り暮らしをしている友人に配れば、喜んでくれるに違いない。
「キャベツを半分と、トマトも一個。トウモロコシ、一本貰って良いか?」
「ああ」
「それ位か。後は、今のうちに幾つか調理してしまおう」
そう言って席を立ち、スコールは自分の鞄からエプロンを取り出した。
クラウドと恋人関係になり、クラウドのアパートに長居する事が増えてから、いつの間にか用意されるようになったものだ。
手早くエプロンの背中を結んだスコールは、ダンボールを抱えてキッチンに移動した。
すっかりスコール専用に整え直されたキッチンで、先ずはキャベツを半分に切り、それぞれをビニール袋に包んで、一つは冷蔵庫へと納められた。
案の定、一角を占拠するキャベツに、後で四分の一にして刻んでしまおう、と決める。
その前にスコールはナスとキュウリを刻み、それぞれ塩揉みを始めた。
手際良く作業していくスコールを、クラウドは後ろから覗き込む。
ちらりと蒼の目がクラウドを見たが、作業の邪魔にはならないと踏んでか、スコールは何も言わなかった。
「どうするんだ、それは」
「半分は漬物にする。後は、今日の晩飯のカレー」
「良いな。いつも助かる」
「……ん」
恋人同士になってから、クラウドの食生活の管理は、スコールが握るようになった。
週に二回は放課後にアパートに来て、数日分の料理を作り置きしていく。
それが定着した頃には、友人のザックスは「俺は空気を呼んだ方が良いな」と言って、余り家に来なくなったと言うのは、スコールには秘密にしている。
作業を始めたついでにと、スコールはそのまま夕飯のカレーを作り始めた。
料理が好きな訳ではないが、何かを始めると没頭する癖のあるスコールは、後ろにクラウドが立っている事も気にせず、黙々と野菜を刻んで行く。
着々と進む調理の準備は、見ているだけでも面白いと言えば面白いのだが、
「……スコール」
「なんだ」
「何かやる事はあるか?」
「あんた、料理できないだろ」
「まあ、そうなんだが。放っておかれるのは寂しいんだ」
「良い年した大人が何言ってるんだ」
呆れた口調で返しながら、スコールはフライパンに野菜を移し、火を点けた。
じゅうじゅうと野菜を炒める音を聞きながら、スコールは背中に張り付いて離れないクラウドを見遣り、
「段ボールの中、まだ何か入ってただろ。それ片付けて置いたらどうだ」
「ああ、そうだったな。そうするか」
母からの仕送りは、野菜ばかりではないのだ。
乾物やらレトルトパックやらと、色々なものが詰め込まれている。
要冷蔵のものはないが、段ボールの中に置いたままと言うのも味気ないし、使わずに忘れてしまいそうで勿体ない。
クラウドは、段ボールの中身を再確認すると、それぞれスコールが指定した置き場所へと移動させた。
諸々の片付けが終わると、スコールはルーのパックを開ける所だった。
ルーの入ったフライパンを弱火にかけて煮込んでいるのを見て、クラウドはその背中に手を伸ばす。
「!クラウドっ!」
「ん?」
後ろから伸びて来た腕が腹に回され、抱き締められて、スコールが声を上げた。
何してるんだ、と肩越しに睨む顔が赤くなっているのを見て、クラウドの口角が上がる。
「あんた、凄く邪魔だぞ」
「だろうな。気が済んだら離れるから、それまで我慢してくれ」
「……いつ気が済むんだ」
「さて。いつだろうな」
そう言って、クラウドはスコールの項に唇を寄せた。
ちゅ、と首の後ろに触れられた感触に、ピクッとスコールの肩が跳ねる。
スコールの体を片腕で抱き締めながら、空いている手で細い腰を撫でれば、じろりと睨まれた。
「ちょ……っ、変な事するな!」
「変な事とは酷いな。触っているだけだろう?」
「触り方が……んっ…!」
口付けた項に柔らかく歯を立てると、甘い音が漏れる。
敏感な反応にクラウドがこっそりと笑みを浮かべていると、ふるふるとスコールの肩が震え、
「……っいい加減にしろ!セクハラみたいな真似ばかりして!」
「悪かった。怒るな」
声を荒げるスコールに、クラウドは素早く離れて両手を上げる。
お玉を手に睨むスコールに、クラウドは落ち着け、とホールドアップの姿勢で言った。
スコールはしばらくの間、興奮した猫のように鼻息を荒げていたが、ぽこぽことカレーが沸騰する音を聞いてキッチンに向き直る。
怒っていると隠さない背中に、ちょっと調子に乗り過ぎたな、とクラウドが遅蒔きに反省していると、
「あんた、あっちで大人しくしてろ。夕飯が出来るまでこっちに来るな」
「ああ。悪かったな」
「………」
重ねて詫びるクラウドに、スコールは返事をしなかった。
これは自業自得と反省しつつ、しかし余り落ち込む事もなく、クラウドはリビングテーブルへと向かう。
時計を見ると、夕方の六時まであと少しと言う所だった。
米は朝炊いたものが保温のまま残っているので、カレーが完成すれば夕飯になるだろう。
それまでは大人しくしていないと、スコールの怒りが再燃して、下手をすれば飯抜きだ。
テレビでも見て、時間を潰すか────と思っていると、
「……クラウド」
「ん?」
名前を呼ばれて、一瞬聞き間違いかと思いつつ、顔を上げる。
スコールはキッチンに立ち、此方に背を向けたまま、
「……今日は泊まりだから」
「ああ。そうだな」
「……だから」
「うん」
「………あと少しだけ、待ってくれ」
それからなら良いから、と言うスコールが、何を指して“良い”と言っているのか、直ぐに読み取れた。
クラウドの理解が間違っていないのは、赤くなったスコールの耳を見れば判る。
正直な気持ちを言えば、夕飯の後だなんて言わずに、今すぐ食べてしまいたい。
だが、スコールから待てと言われたのだから、クラウドはぐっと堪えて待つ事にした。
待っていればその時は来るのだと、スコールの方から約束してくれたようなものだから、此処で暴走してしまうのは勿体ない。
カレーのスパイシーな香りが漂い、胃袋が鳴る。
色々楽しみだな、と思いつつ、クラウドは先ずは目の前の夕飯の完成を待つのだった。
『クラスコ』で私の好きなシチュエーションでとリクエストを頂きました。
ので、最近は当たり前に彼氏の家でご飯作ってるスコールと言う設定が好きだなぁと(日替わり定食感覚)。
このクラスコはいつかそれぞれの家にお互いを紹介しに行けば良いと思います。
モーグリショップで、琥珀の原石を見付けた。
掘り出された際の形のまま、磨きにすらかけられていない、一見すると風変りな溶岩石にしか見えない代物だ。
素人が見ると本当にただの石なので、正しく石ころ同様の値段で売られていた。
その価値がバレないようにと、口八丁でモーグリを丸め込んで、バッツは無事に原石を手に入れた。
聖域へと原石を持ち帰ったバッツは、その日からコツコツと加工と始めた。
鉱石の加工は、旅の資金を得る為には重用される技術の一つだったので、父親と旅をしている内に仕込まれた。
加工そのものを必要とせずとも、旅の最中、魔物との戦闘等でアクセサリーが破損した時、応急処置程度の修復も出来るので、神々の闘争の世界に喚ばれてからも、バッツのこの技は折々で有効活用されている。
しかし、原石からの本格的な加工は久しぶりだったので、じっくりと腰を据えて作業を続けた。
加工作業は地道で根気のいる作業だ。
暇な時間を見ては作業に手をつけていると、案の定、目の肥えたジタンに見付かった。
ショップに売られていた原石のままでも、きっとジタンならその価値に気付いただろうし、盗賊の彼が宝物を好むのも知っている。
物を渡すのは流石に拒否したが、見る分には構わなかったし、人の目から見てどれ位整ったか、加工の具合を見て貰うにも良い相手だった。
此処の角度が甘い、と中々厳しい指摘を貰いつつ、バッツは着々と石の加工を進めていく。
セシルも中々目が肥えていた。
それ程詳しい訳ではないんだけど、と本人は言うが、やはり城仕えの騎士となれば、様々な宝石類を目にする機会も多かったのだろう。
反対にこの手のものに全く知識がなかったのがティーダとクラウドだ。
宝石や鉱石は彼らの世界にもあるものだったが、彼らにとっては本物よりも偽物───イミテーション、と彼等はそれを指す言葉として使った───の方が身近なものだったと言う。
本物そっくりの偽物の宝石を作るなんて、殆どの仲間にとっては其方の方が驚く話だったが、彼等の世界は機械的な発達が大きな分野を占めていたらしいから、自然の産物は逆に量が限られるレベルだったと言えば、バランス的には判る話だった。
代わりにティーダとクラウドは、偽物を使った安価で凝ったデザインのアクセサリーを知っており、図書室からその手の雑誌を持ってきて、こう言う形で売られている石もある、と教えてくれた。
雑誌に掲載されている物の多くは、専用の道具を使って加工して作り出す物も多かったので、バッツの腕だけで加工している今は出来ないものばかりだったが、デザインの参考には多いに役立ってくれた。
いつも風の向くまま気の向くままに、ふらりと歩き出すバッツが、長く座って作業をしている時間が続いた。
何をしているのかと気にした仲間達が、物見に来たのは一度や二度ではない。
そうして見に来る度、少しずつ形を変えていく石を見て、感心した表情を浮かべていたのが、バッツは妙にくすぐったかった。
専用の道具等殆ど無い上、毎日ずっとその作業をしている訳にも行かない為、バッツの作業は遅々としている。
それでも折を見ては欠かさず続けていくと、いつしか石は輝きを持ち、美しい形へと生まれ変わって行った。
ショップで売られていた時には、直径5センチはあった筈の石は、不純物を取り除いて磨く内に、みるみる小さくなっていく。
不純物も含めて琥珀の個性の一種ではあるのだが、バッツはどうしても、不純物のない綺麗な石に仕上げたかったのだ。
そうしてバッツの地道な日々の積み重ねで、ようやく石は輝く宝石となる。
モーグリショップで購入したアクセサリーから石を外して貰い、其処に宝石を固定して、ようやく完成だ。
プロの金細工職人が見れば粗だらけだろうが、手作りの味と言う事で許して貰おう。
透明な赤黄色をした、一対のピアス。
それを手に、バッツは彼────スコールの下へと赴いて、
「ほら、スコール」
そう言って差し出したピアスを、スコールはきょとんとした表情で見詰めた。
バッツはピアスを差し出した格好で、スコールはそれを見詰めて、数秒間の沈黙が流れる。
「……え?」
首を傾げるスコールに、バッツはにっこりと笑って見せる。
「これ、スコールにあげようと思ってたんだ」
「な……そ、んな。そんなもの」
「あ、ひょっとして琥珀って嫌いだったか?」
「あ────そ、そうじゃない、けど」
僅かに顔を引き攣らせるスコールに、失敗だったか、とバッツが尋ねると、スコールは慌てて首を横に振る。
「……それ、琥珀なんだろう。結構貴重な石だって、あんた言ってたじゃないか」
バッツが石を加工している様子は、スコールもよく見ていた。
専用の機械を用いず、ヤスリを使っての人の手による地道な加工作業は、スコールには非常に珍しいものだった。
始めは貴重なものを見ると言う気持ちで観察していただけだったのだが、作業中にバッツがあれこれと鉱石について話をしてくれたので、本物の琥珀と言うものがどれだけ希少な物かと言う事も知った。
特殊な環境下と、何千万年と言う長い長い歳月をかけて作り上げられる、琥珀石。
その価値すらも具体的に判らないスコールには、とても手にして良い代物ではないような気がするのだ。
しかしバッツは構わず、スコールの手を掴んで、その手に琥珀のピアスを握らせる。
「最初からこれはスコールの為に作ろうって思ってたんだ。だから受け取ってくれよ」
そう言って、バッツは握っていたスコールの手を離す。
スコールは手の中に残されたものを見て、眉根を寄せた。
空から降り注ぐ光を受けて、琥珀がきらきらと透き通った輝きを反射させている。
スコールの記憶にある、“本物に似せて作られた石”とは違う光だ。
「……こんなもの。落としたらどうするんだ」
「別に良いさ」
「良くないだろう。あんたが毎日時間をかけて作ったものなのに」
琥珀石の金額的な価値は勿論、スコールはこれをバッツが作ったと言う事が重い意味を占めていた。
加工の為の碌な工具もない世界で、バッツの手一つで作られた宝石のピアス。
きっとこの世界で失くしてしまったら、どんなに探しても、二度と見付ける事は出来ないだろう。
それでも良い、とバッツは言うが、スコールは絶対に嫌だった。
苦い表情を浮かべているスコールに、バッツはかりかりと頭を掻いて、
「じゃあ、せめて受け取ってくれよ。つけなくても良いからさ」
「………」
「な?」
僅かに高い位置にある顔を覗き込んで、にぱっと笑うバッツに、スコールはひっそりと唇を噛む。
眉間の皺が消えないスコールを見て、バッツは濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でてやった。
「それよりさ、スコール。面白いもの見せてやるよ」
「……面白い…?」
「それ、片方貸してくれ」
バッツがピアスを指さしたので、スコールは無言でピアスを差し出した。
バッツは対になっているピアスを一つ取り、天上の太陽に翳して見せる。
「お、」
「……」
「スコール、ほら。こっちから見てみろよ」
「……?」
嬉しそうな表情で誘うバッツに、スコールは首を傾げつつ近付く。
見てみろ、と言うのは恐らくピアスの事だろうと、スコールはバッツの視線に出来るだけ合わせるようにと、翳されたピアスを下から覗き込んでみた。
すると其処には、深い深い蒼色の輝きを宿した石の姿があった。
え、と目を丸くして、スコールは自分の手の中にある石を見る。
其処にあるのはオレンジがかった黄色の石のピアスがあり、え、と益々スコールを混乱させる。
自分とバッツの手元を交互に見るスコールに、バッツはくすくすと笑いながら、
「凄いだろ。太陽の光で、色が変わって見えるんだ」
「…そう、なのか。琥珀って、そういう宝石なのか?」
「いや、全部が全部じゃないよ。琥珀の中でも凄く珍しい奴なんだ。生命力を引き出してくれる、なんて言い伝えもあったりするんだぜ」
ただでさえ貴重と言われている石の、更に貴重な代物と聞いて、スコールが絶句する。
「そんなもの。俺なんかに」
「そう言うなって。それに、おれ、これを見付けた時、真っ先にスコールの顔が浮かんだんだ」
言いながらバッツは、スコールの手にピアスを戻し、また握らせる。
スコールは握られた手を落ち着かない様子で見下ろしている。
バッツはその瞳を覗き込んで、蒼灰色の宝石をじっと見つめた。
「……へへ」
「……?」
スコールの顔を覗き込んだ体勢のまま、頬を緩めて笑うバッツに、スコールは首を傾げる。
なんだよ、と唇を尖らせるスコールに、バッツは双眸を細めて顔を近付け、スコールの眦にキスをする。
「……?!」
「へへ。な、これ、持っててくれよ。別につけなくても良いからさ」
「あ…、な、……!」
バッツの言動に理解が追い付いていないのだろう、スコールは言葉を失っている。
ピアスを握らせた手を柔らかな力で包まれて、振り払う事も出来ず、スコールははくはくと唇を開閉させるだけだった。
その間、言葉以上にお喋りな蒼の瞳が、何を言って、ふざけるな、石はどうすれば、と矢継ぎ早に問いかけていたが、バッツは何も答えない。
バッツの手の中で、スコールの手が震える。
何かを考えるように、スコールの唇が噤まれて沈黙した後、はあ、と言う溜息が漏れた。
「……もう、判った。判ったから」
「貰ってくれるか?」
「…受け取らないと離さないだろう、あんた」
「あはは」
否定しないバッツに、スコールはもう一度溜息を吐く。
両手を包むように握っていたバッツの手が離れて、スコールは自由になった手を開く。
黒のグローブの手の中で、赤黄色に光る石を見詰めていると、角度を変えた時にひらりと蒼く光る瞬間が見えた。
確かに綺麗ではあるけれど、この価値が具体的にどれ程のものなのかは、相変わらず判らない。
こう言う代物は、まだまだ学生であるスコールには、縁遠い物なのだから仕方がないだろう。
やっぱり何処かに締まっておこう、とスコールは思いつつ、手の中のピアスを落とさないように気を付けながら、耳へと手を持っていく。
「……スコール?」
名を呼ぶ声に返事をせずに、スコールは右耳のピアスを外した。
続いて左耳のピアスも外し、「ちょっと持っててくれ」と蒼石のピアスをバッツに差し出す。
バッツがそれを受け取ると、スコールは手元に残った琥珀のピアスを耳に宛がう。
いつもと違うピアスをつけるなんて、随分と久しぶりの事のような気がする。
なんだか妙な気分だ、と思いつつ、スコールは真新しい感触のする耳を触りつつ、
「あんたが折角作ったんだから。……今、だけだ」
失くしたくないから、直ぐに仕舞うつもりだけれど、その前に一度だけ。
微かに顔を赤らめながら、スコールは琥珀のピアスを嵌めた耳をバッツに見せた。
この為にと作られて、陽の光を受けながら、赤黄に蒼にとひらひらと光を揺らす小さな石。
滅多に見る事もないであろう、貴重な石が抱く輝きに、きれいだなあ、とバッツは思う。
けれどそれ以上に、赤らんだ頬の傍らで恥ずかしそうに逸らされる蒼が、一番きれいだと思った。
『バツスコかジタスコで、お互いがお互い大好き同士のほのぼの』のリクエストを頂きました。
どっちも書きたくて迷った末に、バツスコが浮かびましたのでバツスコで!
なんでも出来そうなジョブマスター&旅人と言う便利なスキル。
貰った物は失くすのが怖くて使えなくて仕舞い込んでるスコールが可愛いなって思った。