仕事が仕事であるから、兄が一週間程度の出張に出るのは珍しい事ではない。
有能であるが故に早い出世をした彼は、外国向けの仕事もよく任される為、現地に赴く事も年々増えている。
それは仕事なので仕方のない事と本人も理解しているのだが、それでも無視できないのは、最愛の弟を一人にすると言う事だ。
こと弟に関しては過保護で心配性だと自覚のあるレオンは、出張の仕事が近付く度に、判り易く溜息を吐く。
そう言う所は、やはり父とよく似ている、とスコールは思っている。
カレンダーに書いたバツ印のついた日付は、明日に迫っている。
印は一週間に渡って付けられており、レオンがその日まで帰って来れない事を示していた。
忘れないようにと自ら印をつける事を習慣化させていたレオンであったが、それを見る度、聊か憂鬱な気分に捕まえるのは否めない。
どうにか早く片付けて、一日でも早く家に帰れたらと思うが、往復の航空チケットと滞在先のホテルの予約が既に取られている為、自分だけ好きなタイミングで帰りたいと言う勝手は叶うまい。
明日の午後には、レオンは飛行機に乗らなければいけない。
帰って来るのは到着が夜になる便だから、タクシーで家に帰る頃には、もう夜半になっている事だろう。
「面倒だな……」
ぽつりと零れた言葉は無意識だったが、何よりの本音であった。
真面目な性格なので、回された仕事は過不足なくきっちり終わらせておくタイプだが、かと言ってレオンとて好きで仕事に従事している訳ではない。
父の役に立ちたいと言う気持ちで就職し、彼の助けになればと一所懸命に仕事をして来たが、仕事が趣味と言うようなワーカーホリックではないのだ。
遣り甲斐があれば幸せ、なんて思考は、最初から持ち合わせていない。
何より、仕事の為に愛する者と過ごせる時間が減る事は、やはり腹立たしいものだ。
しかし、レオンの愛する者────弟スコールの反応はと言えば、大抵淡泊なものであった。
「面倒って言ったって、仕事なんだから仕方がないんだろ」
「…それはそうなんだがな」
夕飯の片付けを終え、リビングに戻ってきた弟の言葉に、レオンは眉尻を下げるしかない。
「お前が好き好んで勉強している訳じゃないのと同じさ」
「……やらなくて良い事なら、やりたくない」
「そう言う事だ」
スコールも兄に似て真面目な性格だ。
学校で出された課題は、学校で済ませられるものは其処で済ませ、持ち帰った物も帰宅後直ぐに終わらせる。
夕飯の準備に時間を取られる事もあるが、食後には手を付けて、寝る前には片付けているのが常だった。
更に時間に余裕があれば、授業の予習もするし、テスト前には復習も頻繁に行っている。
こうした努力の甲斐あって、スコールは学年でも首位の成績をキープしているが、だからと言って決して勉強が好きな訳ではない。
知れない事を知るのは面白い事もあるが、教わる事に何もかも興味が持てる訳ではないし、どうしたって眠い授業だってあるし、担当教諭が嫌いで好きになれない科目もある。
宿題は出れば面倒だし、テストの為に自分の自由時間を削って勉強をするのも面倒だし、しなくて良いならしたくない、と言うのが本音だ。
しかし宿題を放置する事、判らない問題を判らないままにしておく事が許せず、どうしても先々に片付けておかなければ、安心して眠れないのである。
そんな弟に、社会人になったら大変そうだな、とレオンは思う。
スコールが良くも悪くも真面目な事、融通が利かず要領も決して良くはない事を、兄はよく知っていた。
大人になる前に、もう少し肩の力が抜けると良いんだが────等と思いつつも、今は弟の心配よりも目の前の問題だと切り替える。
それと同じくして、スコールも話の流れを変えた。
「明日出るのは、午後からだよな」
「ああ。空港で昼を食べてからだから、出るのはもう少し早いか」
「帰りは?」
「夜になる。夕飯は先に食べていて良い。空港からの道路の混み具合にも因るが、大方、10時は過ぎているだろうから」
「判った」
レオンの言葉に、スコールは素直に頷いた。
まだレオンも子供だった頃、幼いスコールは一人寝をいつも嫌がっていた。
年の離れた弟がレオンも可愛くない訳がなく、スコールが安心するならと、随分と長い間一緒に眠っていたと思う。
その頃には父もまだ家にいたのだが、子供が眠る前に帰って来る事は少なかった。
だから余計にレオンはスコールに、スコールはレオンから離れたがらない生活を送っており、たまに学校行事で一晩離れ離れになるだけで、スコールは泣いて嫌がったものである。
しかし、それも今となっては昔の話で、中学生になった頃から独立心を急成長させたスコールは、高校二年生の現在、半ば独り暮らしとなる生活でも、特に問題なく日々を熟していた。
レオンは、弟の成長に喜びを感じつつ、いつかのようにくっついて離れなかった幼子の姿を懐かしく思う。
偶にで良いから、またあんな風に甘えてくるスコールを見てみたい。
しかし、思春期に入って、幼い頃の泣き虫振りを黒歴史のように扱っている弟の気持ちも汲めない訳ではないので、そんな気持ちは心の隅にひっそりと置いておく事にしている。
その代わり、もう一つの気持ちについては隠さない。
「スコール」
「ん?」
名前を呼ぶと、なんだ、と青灰色の相貌がレオンを見た。
スコールの瞳に、柔らかく微笑む兄の貌が映って、スコールは「なんだ?」と首を傾げる。
レオンはその問いに答えないまま、こっちに、と膝を叩いて示した。
スコールはぱちりと瞬きを二回繰り返した後、レオンの言わんとしている事を察して、かあっと顔を紅くする。
ぐぐぐ、と何か言いたげに、何かを耐えるように、赤らんだ顔がレオンを睨む。
気にせずレオンがそれを見つめ返していれば、やがて観念したようにスコールはのろのろと歩き出した。
大きめのダイニングテーブルを回って、自分の前に来た弟に、レオンは手を伸ばす。
力なく垂れているスコールの左手を握って軽く引っ張れば、スコールは蹈鞴を踏んでレオンの膝に座った。
いつも僅かに見上げる位置にある兄の貌が、少しだけ低い位置にある事に、スコールは毎回奇妙な気分になる。
距離感の近さにもどぎまぎとしている間に、レオンの唇が頬に当てられた。
くすぐったさに目を細めていると、キスが少しずつ降りて行って、首筋に宛がわれる。
「……んっ……!」
ちゅ、と吸い付いた感触に、スコールの喉から小さく音が漏れた。
ふるり、と微かに震える肩の感触を感じながら、レオンはスコールの腰と背中に腕を回す。
抱き締める腕の檻の中、密着した体越しにスコールの心音がとくとくと早鐘を打っているのが聞こえた。
ゆっくりとレオンの手がスコールの背中を撫でる。
子供をあやすような優しさがあるのに、背筋や脇腹を何度も行ったり来たりとするから、スコールの体は泣き出すように震えてしまう。
しかし嫌な感覚がある訳ではなく、湧き上がるのはじわじわとした緩やかな熱で、それはスコールの意思で抑えられるものではなくなっていた。
「……スコール」
「……っ…!」
名前を呼べば、首筋にかかる吐息に感じて、スコールの体がピクッと跳ねる。
レオンの唇の隙間から覗いた舌が、キスした場所をそっとなぞった。
「……っ、…あ……っ…」
熱を孕んだ吐息が、スコールの唇から零れる。
スコールは喉を差し出すように晒し、天井を仰いで、はっ、はっ…、と息を繰り返していた。
天井の電球を見詰める瞳はゆらゆらと頼りなく揺れ、薄らと水の膜を浮いている。
恐る恐る、おずおずと、スコールの腕がレオンの首に絡められると、レオンはひっそりと笑みを浮かべて、スコールの喉に食い付いた。
すらりとした白い喉に、レオンは甘く歯を立てる。
それだけで、スコールは感じ入ったようにビクッ、ビクッ、と躰を震わせていた。
「レ…オ……っ…」
「……は……っ」
「あ……っ!」
震える声に名を呼ばれ、その音が情事の色を纏っているのを聞いて、レオンの吐息も熱が籠る。
それが薄らと唾液に濡れた喉をくすぐって、スコールは思わず甘い声を上げた。
ゆっくりとレオンがスコールの喉から離れると、スコールはぼんやりとした瞳を彷徨わせる。
その頬にもう一度キスをすると、スコールは日向の猫のように目を細め、ふや、と眦を下げた。
レオンはスコールの雫が浮かんだ眦にキスをして、細い体を横向きで抱き上げる。
熱の煽りを貰ったスコールは、嫌がる事も恥ずかしがる事もなく、レオンの胸に体を預けていた。
レオンは自分の部屋へと移動すると、電気もつけないまま、ベッドへとスコールを運び込んだ。
レースカーテンだけが閉じられた窓の向こうから、青白い月の光が差し込んで、情に染まった二人の貌を映し出す。
「……明日から、しばらく触れないからな」
そう言って、レオンはシャツを脱ぎ捨てる。
薄暗闇の中に浮かび上がる男のシルエットに、スコールは小さく息を飲んで、癖のように緊張していた躰の力を抜いた。
ぎし、とベッドの軋む音が鳴って、レオンがスコールの上に覆い被さる。
「一週間分、感じさせて貰うぞ」
「………っ」
耳元で囁かれた言葉に、スコールの心臓が大きく跳ねた。
どくどくと早い鼓動を打つ心臓を隠すように、スコールはシャツの胸元を握り閉めて、頭上にある兄の顔を見上げる。
「……明日も学校がある」
「判っている」
「…テストが近いから、休みたくない」
「ああ」
「…だから」
「悪いな」
手加減して欲しい、と言おうとしたスコールの唇は、短い詫びの言葉と共に塞がれる。
無防備にしていた咥内に、艶めかしいものが侵入して来るのを、スコールは拒む事が出来ない。
舌を絡め取られ、たっぷりと唾液を塗すように舐られている内に、明日の心配は溶けるように消えて行く。
距離のない近さにある青灰色の瞳が、何も考えるな、と言っているのをスコールは聞いた。
それじゃ駄目なのに────と微かな理性が正気を取り戻せと言った気がしたが、頬を撫でる手がそれすらも容易に忘れさせる。
ゆっくりとレオンの唇が離れる頃、スコールの顔はとろりと緩み切っていた。
ほんのりと頬を赤らめ、うっとりとした表情で見上げるスコールに、レオンも満足気に双眸を細める。
「……レオン……」
「ん?」
「……もっと……」
スコールの両手がレオンの頬を包み込み、ねだる声で兄に催促する。
相手に触れる事が出来ない一週間が辛いのは、レオンだけではないのだ。
幼い頃のように、離れる事を泣いて嫌がる事はなくなったけれど、一人きりで過ごす夜よりも、兄と共に迎える朝の方が良いのは変わらない。
兄弟と言う関係に、その枠を越えた関係が追加されても、スコールのそんな気持ちは変わらなかった。
それでも子供の頃のように聞き分け悪く、自分の気持ちに正直に泣く事は出来ないから、せめて離れる前に目一杯“レオン”と言う存在を感じたい。
彼が帰って来るまで、その声を、温もりを、熱を忘れない為に。
もっと撫でて欲しい、もっと触れて欲しい、もっとキスして欲しい。
言葉で言い尽くせない程のものを、短い言葉で欲しがるスコールに、レオンは小さく頷いた。
いちゃいちゃレオスコ。
レオンとしては、許されるならスコールを連れて仕事に行きたい位。
学校が連休や長期休みだったらやりそうな勢い。
DFFACリノア参戦記念。
声が聞きたい。
ふとした時にそう思ってしまう位に、彼女の存在は自分の中で大きくなっていたのだと、離れている事で一層自覚する。
闘争の世界は、其処に召喚された者の記憶の断片から世界が構築されているらしい。
相変わらずその世界は不安定なものが多く、現れては消え、二度と見る事が出来ない世界も儘あった。
そんな中で、安定して出現し、世界の一部として固定された空間もあり、それらは大抵、戦士達の記憶の中でも特に印象強く刻まれている場所である事が多いようだ。
例えばヴァンの世界の一部だと言うラバナスタと言う城は、彼の故郷にあった王城であり、彼の旅は其処で出会った───正確に言えば、この城の地下で出会った、らしいが───事が始まりであったと言う。
以前の闘争では記憶の回復が芳しくなかったルーネスは、空中に浮かぶ大陸が彼自身の故郷であった事と、自分の生きる世界がごくごく限定された一地域に過ぎなかった事を知った時の衝撃が、記憶に色濃く残っているそうだ。
バッツはどうやらエクスデスとの戦闘の真っ只中に召喚されたらしく、記憶の鮮明さよりも別の力が作用した可能性がありそうだが、元々エクスデスは、空間として不安定な次元の狭間を牙城としている。
他のメンバーとは違う作用が働くのも、想像に難くはなかった。
その他にも、凡そ場所の見当は付けられるが、自ら足を運んだ事はない、と言う場所もあるようなので、一概に言えないのも確かである。
しかし、戦士の記憶、或いはその人物と某かの関わりを示唆する形で、闘争の世界が拡がっているのは間違いではない。
消えゆく世界を新たに作り出す為に、世界は戦士の記憶を取り込み続けている。
二つの陣営に分かれて、新たな闘争劇が始まった。
その時期ごとに新たな顔触れがどちらかの陣営に召喚される、と言う環境にも、慣れてきている。
最初にこの世界に召喚された時、勝手が判らずに戸惑っていたノクトも大分落ち着き、ヤ・シュトラに至ってはシャントットを交えて世界の情報を交換している程だ。
過去に終えた筈の闘争が再び繰り返される事に対し、否定的だった一部のメンバーも、この世界の闘争が以前のような問答無用の殺し合いとは目的が違う方向へと向き始めたからか、当初程の拒否反応は起きていない。
個人間のウマが合わない人物がいると言うのは仕様のない事で、周りに迷惑をかけないように適当に自己処理をしてくれ、と言うのがスコールの感想だ。
……その言葉がそのまま自分に跳ね返っている事には、気付かない振りをする。
今回のスコールは、マーテリア側に属していた。
陣営内には混沌の戦士の気配が多かったが、セシルやカイン、ライトニングと言った秩序の戦士もいる。
何かとスコールに構いつけてくるジタンとバッツは、今回はスピリタス側に属しており、前回の戦闘の際、「お前がいないとつまんない!」「こっち来いよ!楽しいぜ!」等と露骨な勧誘を受けた。
以前のように完全に敵味方が別れる環境ではない所為か、案外と簡単に陣営の鞍替えは可能で、ケフカ等はその時の気分で“面白そうな側”に移動する為、戦闘中でもあっちへこっちへ動くので始末が悪い。
スコールとしては、現陣営の神と“仕事の契約をしている”と言う意識の下、戦闘に臨むので、基本的に余程の事がなければ闘争中の鞍替えはしない事にしている。
秩序の戦士の中でも賑やかしの面々がスピリタス側にいる事、マーテリア側に属する者の多くが個人主義である事、セシルやライトニングも必要がなければ協調性を声高に叫ぶタイプではないので、今回のマーテリア陣営は戦闘以外はバラバラに過ごしている事が多い。
ふらふらと現れるイミテーションの駆除も、見付けた者が必要な程度に処しており、陣営の報告行為等は殆どないようなものだった。
軍人としての習慣か、元々同陣営であったと言う意識の近さからか、スコール、セシル、カイン、ライトニングの四人は情報共有を行っているが、多くの混沌の戦士とは目立った交流はしていない。
それで日々は問題なく回っているから、スコールにとって今回の陣営の振り分けは快適であった。
毎回こう言う振り分けなら良い、と思いつつ、その願いの行く末は今の所神すら知らない。
個人行動をする者が殆どである為、今回のマーテリア陣営の多くは、陣地とも言える秩序の塔に留まっている事が少ない。
しかし、いつもの戦闘はやはり何処かで始まるものである。
ティーダの言葉を借りれば「交流試合」なるこれは、両陣営から三名がチームを組んで、示された場所で行われる。
その場所は歪の中だったり外だったりと決まってはいないが、大抵は戦う為の空間が用意されていた。
女神からの通達でその場所を聞いたスコールは、現地の様子を確かめておこうと、一人先にポイントへと向かった。
指定ポイントと思しき歪の中に入ると、其処は小さな花に囲まれた場所だった。
スコールが忘れよう筈もない、彼女と約束を交わした、あの花畑だ。
(……イミテーションは、いないようだな)
ぐるりと辺りを見回すと、遮蔽物のないその世界は、簡単に全体を見渡す事が出来る。
咲き誇る花畑の中に、踏み潰された花の痕があったが、動き回っている者はいない。
スコールが来た時点で、此処が大地の涯ではなく、花畑に埋め尽くされているのなら、先に誰かが来てイミテーション退治を済ませたのかも知れない。
それが誰であるにせよ、疲れる事を誰かが肩代わりしてくれたのなら、スコールにとっては有り難い事だ。
スコールは花畑の真ん中に腰を下ろして、他のメンバーの到着を待つ事にした。
吹き抜ける風に踊る草花から香る匂いは、此処が闘争の世界だと言う事を忘れさせる。
そんな場所で戦う事に、ふとした違和感を覚えない訳ではなかったが、戦闘はそんな個人の胸中などお構いなしに開始される為、スコールは直ぐに思考を切り替える事にしている。
(今回は、誰が来るのか。あいつ等でなければ良いんだが……)
スコールの脳裏に浮かぶのは、何かと構いつけてくる二人───ジタンとバッツだ。
以前の戦闘で顔を合わせてから、スコールとの邂逅を目的としてか判らないが、彼らは随分と積極的に戦闘に参加している。
その都度、「こっち来いよ!」攻撃が始まるので、スコールとてはやり難くて仕方がない。
うっかり風邪でも引いて寝るなりしてくれ、と思うが、毎度彼らは元気であるから、望みは薄い。
次にジタンとバッツが来たら、選手交代させて貰おうか。
そんな事を半ば本気で考えながら、誰が来ても良いように、頭の中で入念なシミュレーションを行っていると、
「抜けれそうか?慣れないとちょっと変な感覚あるからな」
「無理しなくて良いぜ。ほら、捕まって」
「闘いってのもそんなに直ぐには始まらなかったりするから、慌てなくて良いぞ」
「あっち側はまだ誰も───あ、いや、いたいた。おーい、スコールー!」
背中に聞こえた声は二つ。
その声の主を、振り返るまでもなく察して、はあ、と溜息を吐いた。
煩い奴らが来た、と思いつつ、此方のメンバーが揃うまでどうやって往なしたものかを考える。
二つの声───ジタンとバッツは、何かを案内しているような口調で、あれこれと喋っている。
そう言えば、マーテリアが新たな戦士が一人召喚されたと言っていたか。
召喚を行ったのはスピリタスのようで、マーテリアはどんな人物が召喚されたかは判らないようだった。
新顔が来たのなら、その情報は持ち帰らねばなるまいと、先ずは顔を確かめようと振り返ろうとして、
「────スコール!」
呼ぶ声と共に、どんっ、と背中にぶつかるように重なった体温。
理屈や理由を考えるよりも早く、スコールはその声の主を悟った。
(リノア)
見開いた目で振り返れば、きらきらと光る瑪瑙の瞳が間近にある。
目尻に薄らと雫を浮かべながら、頬がほんのりと赤らんで、ああ前にも見た事がある顔だ、と思った。
首に回された腕には確りとした力が籠っていて、嬉しい、嬉しい、と言葉以上の感情を一所懸命に伝えてくる。
触れる体温に、伝わる鼓動に、それに触れたのは一体いつ以来だったのだろうと考える。
考えて、「スコールだぁ……」と独り言のように囁かれた少女の声に、それ以外の事を直ぐに忘れた。
さくさくと柔らかな草土を踏む音に、スコールははっと我に返る。
背中に覆い被さっている少女の黒髪越しに、意外なものを見たと言う顔と、にやにやと愉しそうな顔が並んでいる。
その瞬間、一番面倒臭い奴等に見られた、と言う事をスコールは覚った。
「いや~、お熱い事ですねぇ、バッツさん?あのスコールがねぇ。いやいや、隅に置けないってのはこの事だな」
「ですね~、ジタンさん。おまけに嫌がらないって所とか、凄く仲が良い関係って事だよな」
「な……」
明らかに何かを勘繰って言うジタンに、バッツが重ねて言うものだから、スコールの顔に一気に血が上る。
それを見たジタンが爛々とした目で「お?おお?」と玩具を見付けたように食いついて来たから、悪手の反応をしたとスコールも悟ったが、既に遅い。
ついでに、抱き着いている少女───リノアは、スコールのジャケットのファーに顔を埋めて、離れようとしない。
「スコール。スコールだ。本当にスコールがいた!」
「リノア、離れ───……いや、それより、なんであんたが此処にいる?」
「ん?んー……召喚された、から?」
一行に離れる様子のないリノアに、先ず冷静になれと自分に言い聞かせながら最初に問うべき事を問うと、リノアはことんと首を傾げながら答える。
まだ自分の状況も明確に理解していないのだろう、いまいちリノアの反応は鈍かった。
この様子だと、今回の闘争に際して新たに召喚された戦士と言うのが、リノアであると見て間違いはない。
と言う事は、初めて召喚されたノクトのように、何も判っていないと言う事だろう。
ちらりと蒼が後ろに控えている二人を捉え、説明責任は果たしたのか、と言葉なく問うと、察しの良い二名は直ぐに答えた。
「この世界の事ならちゃんと説明したぜ。一応、前までの事も含めて、な」
「話の中身が多くなったから、全部一気に理解って言うのは無理があると思うけど」
「……そうか」
確かに、自分達は過去から繋がる記憶があった為、比較的状況の理解は簡単だった。
しかし、ノクトやヤ・シュトラと言ったメンバーは、前代の神々の闘争の話から説明が必要だった為、状況を把握するまでに少し時間が必要だった。
その後も新たな戦士が召喚される都度、量の差はあれど幾何かの説明は必要となり、また新たな世界に関して案内も必要だろうと提案する者もいる。
リノアも、そうやってこの世界のあらましを説明されている真っ最中なのだろう。
しかし、初めて召喚された者が環境の全てを理解するには、この世界は少々ややこしい。
これから開始される闘争についても、果たして説明は及んでいるのか、スコールは其処が見えなかった。
「……リノア。あんた、この世界の事、何処まで理解してる?」
「んーと……秩序と混沌の神様って言うのがいて、色んな人がチームで分かれて、戦ってる───だっけ?」
くるんとリノアがジタン達を振り返って確認する。
恐らく、彼らが言った事をそのまま反芻したのだろう。
「まあそんなトコ。で、今回のおれ達は、スピリタスって奴の側」
「リノアちゃんを召喚したカミサマな」
「うんうん。筋肉ムキムキの男の神様」
「そんで、スコールは今回、マーテリアって神様の方についてる」
バッツの言葉に、リノアがぱちりと瞬きを一つ。
二人の貌を見ていたリノアの目が、ゆっくりとスコールへと向けられた。
じい、と見つめる瞳に、スコールはじくじくと落ち着かない気持ちが胸を巣食うのを感じる。
「スコール、こっちじゃないの?」
「……ああ」
「なんで?」
(なんでって……)
リノアの余りに真っ直ぐな質問に、スコールは答えられなかった。
偶々だと言えばそれまでなのだが、黒色瑪瑙が求めている答えはそれではないと判る。
歪の出入口が拡がる音がして、振り返ってみると、カインとゴルベーザの姿があった。
今回の戦闘に出張ってきたのだろう、二人は花畑の真ん中に屯している若者達を見付けると、その中に見慣れない少女がいる事に気付く。
「新顔だな。新たな戦士か」
「えーっと……はじめ、まして?」
「……ああ」
兜に隠れているカインの顔を見て、リノアは取りあえずと初見の挨拶を口にする。
カインの反応は淡泊なもののみ、ゴルベーザの視線はジタンとバッツへと寄越された。
「説明は済ませているのか」
「一通り。でも見ての通り初だから。まだ自分の勝手ってのも判ってないし」
「女の子だしな。お手柔らかに頼むぜ」
「さて……生憎、そう言った加減は上手くない」
「よく言ってくれるよ」
ゴルベーザの言葉に、ジタンとバッツは肩を竦めた。
だが、この世界に初めて召喚された者にとっては、気持ちとしては易しい相手だと言って良い。
もしも此処にいるのが皇帝ならば、間違いなくリノアは格好の的にされただろうし、エクスデスやセフィロスも容赦はしないし、ケフカ等は問題外だ。
それらに比べれば、手加減についてはともかく、悪戯にリノアの恐怖心を煽るのみの攻撃はしない、かも知れない。
だからと言って、勝ち戦を譲ってくれる程甘い人物ではないのだが。
人数が揃った事で、当たり前の流れに戦闘の準備が始まろうとしている気配が漂うと、リノアもそれを察知したようで、そわそわと落ち着かない様子で視線を巡らせている。
スコールの首に絡んだままのリノアの腕が、微かに強張って震えていた。
(……リノア)
リノアは、普通の少女だ。
スコールは誰よりもそれをよく知っている。
彼女の体には、魔女アルティミシアにも劣らない強大な魔力が内包されている。
その力の大きさは、元の世界で、過去の闘争で、この世界で魔女と闘い続けているスコール自身が理解していた。
それは味方であればとても強力で、敵であれば非常に厄介な力。
決して求めて得た訳ではないその力に、怯えながらも、それを乗り越えて向き合おうと戦っていた事も、スコールは判っているつもりだ。
────それでも、リノアは普通の少女だ。
戦う事を「こわい」と思う、ごく普通の少女なのだ。
「……リノア」
「ん?なに?」
「……大丈夫だ」
「え?」
内心の不安を隠すように、普通の声で反応しようと努めているリノア。
スコールはそんな彼女の手を握って、ごく小さな声で囁いた。
恐らくリノアにのみ聞こえただろうその言葉に、リノアがぱちりと目を丸くする。
スコールはリノアの腕を解いて立ち上がると、ガンブレードを手にしてカインとゴルベーザの下へ向かう。
残されたリノアが不安そうに見詰めているのが判ったが、今は振り返らなかった。
……スコールの脳裏に、何もかも堪えて飲み込んで、遠くに行こうとする少女の背中が浮かぶ。
追い駆けてはいけないそれを、彼女が何を望んでいるかを考えながら、スコールは見送る事しか出来なかった。
あの時の自分の行動が正しかったのか、間違いだったのか、その後の自分の行動も間違った事ではないと言えるのかは判らない。
ただ、あの時の自分は、こうする事が正しいのだと納得している振りをしていた事だけは、確かだった。
そして、「バカ」と言われて、頭を殴られたような気持ちになると同時に、ぐるぐると考え続けていた事が一気に飛び散って、晴れた。
理屈、理由、事情、柵────そう言うものを全て取り払って、真っ直ぐに自分の心だけと向き合った時、スコールはようやく自分が選ぶべき答えを見つけた。
三人と二人の中間になる位置で、スコールは足を止めた。
青灰色が真っ直ぐに二人の仲間と呼ぶべき男達を見詰め、その光の鋭さに、カインが唇を引き締める。
スコールは、はあ、と一つ息を吐いて、言った。
「あんた達には悪いが。今回の闘争、俺は“こっち”側に着かせて貰う」
「……それはお前の意思だな?」
「ああ」
カインの問に、スコールは兜の向こうに隠れた瞳を真っ直ぐに睨んで頷いた。
短い沈黙の中で、カインは傍らに立つ大男を見遣る。
ゴルベーザは腕を組んで立ち尽くしたまま、動く事もなく、言葉を発する事もない。
それでカインにとっては十分な意思確認であった。
やれやれ、とカインが肩を竦めて溜息を吐く。
「好きにしろ」
「ああ。そうする」
カインの言葉に、スコールは踵を返した。
元のいた位置に戻ってくるスコールを、リノアがぽかんとした表情で見つめている。
なんて顔してるんだ、と思いながら、彼女の傍らでも仲間達が同じような顔をしている事に気付いた。
間抜けな顔だ、と思いつつ、スコールは肩に担いでいたガンブレードを下ろして、三人に尋ねる。
「で、誰が行くんだ。あっちが二人になったから、こっちも二人だぞ」
「えあっ。あ、そーか。そうなるな」
「えっ?えっ?」
「えーとえーと、そんじゃ先ずはリノアちゃんは見学で、オレが付き添いを」
「…………」
「じゃなくてオレとバッツが行こうか」
ジタンの提案に「決まりだな」と言って、スコールは輪から離れる。
リノアもバッツに背を押され、スコールの後を追う形で、花畑の中央から移動した。
さくさくと、柔らかな草土の上を進むスコールの背に、リノアが声をかける。
「えっと、スコール……?」
「なんだ」
「…スコール、あっちの人じゃなかったの?」
「もうこっち側だ」
「それは、良いの?」
「良い」
何度も噛み砕いて確かめるリノアに、スコールは全て「良い」と返した。
以前の闘争のように、裏切る裏切らないと言う面倒な話は、今はないも同然の事だ。
何より、この場にいる者に話はつけたのだから、後は彼等が適当に伝えてくれれば良いとスコールは考えている。
相手がカインとゴルベーザなら、妙な尾鰭背鰭が付く事もあるまい。
次の戦闘で他の誰かと遇った時、文句の一つ二つに手痛い攻撃は食らうかも知れないが、気にする程の話ではなかった。
そんな事よりも、スコールが優先すべきものが此処にはある。
適度に距離を取って振り返ってみると、既に勝負は始まっていた。
駆け回るジタンとバッツを追って、ゴルベーザの魔法が飛び交い、二人の足が止まった所を狙ってカインが攻撃する。
因縁も因縁だと言うカインとゴルベーザの戦いぶりは、互いの事を理解しているとよく判る、抜群の連携が出来ている。
対するジタンとバッツも、過去の闘争から長く続く付き合いとあってか、よく互いの癖を上手くカバーし合い、ジタンの足の速さを生かすべくバッツがゴルベーザの魔法との消し合いが始まっていた。
遠目に見ても凄まじい応酬に、リノアが「うわぁ~……」と感嘆と畏怖の混じった声を漏らしている。
「……リノア」
「何?」
「戦闘の展開にもよるが、次は俺達が出る事になるぞ」
「あ────う、ん。うん」
スコールの言葉に、リノアは聊か緊張した様子で頷いた。
両手を握り、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせている少女を横目に見て、スコールもガンブレードを握る手に力を籠める。
「大丈夫だ、リノア。あんたは俺が守るから」
「……!」
「だから、あんたは俺の傍から離れるな」
そう言って、スコールは花畑の向こうへと視線を戻す。
傍らの少女が、いつかの記憶と重なるその横顔に、顔を真っ赤にしている事を知らないまま。
リノア、参戦おめでとう!!
スコール、派生でついにヒロインと共演おめでとう!!
ACはすっかりやらなくなり、NTもあまり手を付けていませんが、やはり参戦記念にスコリノが一本書きたかった。