[フリスコ]呼ぶ声の指先
スコールの声が出なくなってしまったのは、三日前のこと。
いつものように、彼がジタンとバッツと三人組になって探索に向かった先で、発見した歪に入った所、其処はパンデモニウム城だった。
トラップだらけの廊下を掻い潜り、巣食っていたイミテーションを概ね蹴散らした所で、イミテーションの逃げ込んだ先でトラップが発動された。
運悪くそれを追い込んでいたスコールが巻き込まれ、サイレス魔法の餌食になってしまったと言う訳だ。
イミテーションの群れは問題なく片付けたが、それらとは別の原因が罹ってしまった沈黙魔法は、それそのものの効果が切れるまで残り続ける。
初めは数分、その後は数時間もすれば消えるだろうと思っていたのだが、どうやらもっと複雑で面倒なトラップだったらしい。
秩序の聖域に戻り、ティナやセシルが白魔法を使って解呪を試してみたが、此方も効果はなく。
幸いなのは、あくまでスコールの声が出ないだけで、他は身体的にも魔力的にも異常のない事だが、とは言え念の為と言うこともあり、スコールは声が出るようになるまで待機を命じられたのであった。
待機となったスコールが常に屋敷にいる他に、更に念を置いて、もう一人が待機する事になった。
生活する分にはスコール一人で何ら問題はないのだが、もしも襲撃等の事件が起きた際、音声による危険信号の発信が出来ないと言うのは、情報が命を左右する緊急時に置いて、中々の痛手である。
だからこそスコールは治るまで待機する事になったのだから、この決定にはスコールも異を唱えなかった。
ローテーションでと決まった待機班のもう一人は、今日はフリオニールだった。
昨日はバッツ、一昨日はセシルと、スコールに発声以外の問題が起きれば直ぐに対処できる人員を、と選んでいたが、三日目ともなるとやはり慣れても来ていて、他のメンバーでも大丈夫だろうと判断された。
丁度ティーダが「そろそろフリオの飯が食いたいっス!」と言っていた事もあり、それなら、と決まった。
仲間のリクエストに応える形で、フリオニールは早速キッチンに入っている。
スコールはと言うと、他のメンバーがそれぞれの用事で出掛けた為に、一人暇を持て余している状態だった。
ガンブレードのメンテナンスをしても良かったが、昨日と一昨日と、同じように暇を持て余した末、掃除も調整も済ませており、流石にもう見る所がない。
籠っていてもどうにもならないので、屋敷の外で軽くガンブレードを振るってみることにした────が、
(……なんか変な感じだ)
教科書に則る形で、数回、銀刃を振り下ろした後、スコールは違和感に眉を潜めた。
体は何処にも異常はないし、負傷している訳でもないのに、どうにも思うように体が動かない気がする。
気がする、のであって、恐らくは思った通りに筋肉は動かせている筈なのだが、どうにも何かが足りないのだ。
(……声か)
喉に手を当てて、スコールはそう思った。
魔法トラップに当たった日から、スコールは何度となく声を出そうとしてはいる。
その際、声帯が震え、器官が音を出そうとしている感覚のようなものはあるのだが、しかし結局音にはならない。
空気を音の形に形成し損ねた、はあっと言う吐息が出て来るのが精々で、幾ら力んでみてもそれは変わらなかった。
素振りに置いても同じだったのだ。
踏み込み、其処からガンブレードを振り上げ、下ろす、それらの動作の一つ一つに追随する声。
発声することで合図になる事もあれば、体を動かした際の反動で漏れる音である場合もある。
それらが一つとして、スコールの喉から口から、音になって出ないのだ。
(……待機なのは、正解だったんだろうな)
声が出なくなった時は、それ所ではなかったし、戦闘の真っ只中のスイッチが入っていたから、気付かなかった。
こうして改めて剣を握る段になって見付けてしまった違和感に、スコールは深く溜息を吐く。
傭兵であるスコールにとって、戦うことは己の存在意義と同義であり、それを揺らがせる現象に見舞われている事は、言いようのない苛立ちのような焦燥感を呼ぶ。
さっさと治って欲しい、と時間しか薬にならない状態に辟易しつつ、スコールはガンブレードを仕舞った。
体を動かす分には全く足りなかったが、幾ら動かした所で、この違和感は消えないだろう。
結局もやもやとした異物感に見舞われるだけなら、運動するのは諦めて、発声練習の真似事でもしていた方が堅実かも知れない。
かと言って本当に発声練習をする気にはならなかったので、スコールは取り敢えず、リビングへと戻った。
リビングに入ると、奥にあるキッチンの方から、ツンと香辛料の匂いがした。
厚みのある肉が食いたい、とティーダが言っていたから、今日はきっとそれに合うものが出て来るのだろう。
殆ど外出も出来ないスコールでは、さて半分も食べられるかどうか。
とは言え、辛みの混じる香辛料の匂いは、さして活動が活発的ではないスコールの腹でも刺激を齎してくれて、少しだけ今日の夕飯が楽しみになる。
(でもその前に、水でも飲むか)
なんとなく喉の渇きを覚えて、スコールの足はキッチンへと向かう。
小気味の良い包丁の音が聞こえて来る所へ、そうっと中を覗き込んでみると、フリオニールは大玉のキャベツを刻んでいた。
千切りになって行くそれは、まだまだ半分以上の大きさが残っている。
フリオニールはそれを綺麗に刻んで行くのが楽しいのか、謎のスイッチが入ってか集中力が出ているようで、一心不乱に包丁を動かしていた。
『フリオニール────』
いつものように名前を呼ぼうとして、スコールのそれは音にならなかった。
口を動かしただけ、声帯も動いている筈なのに音が出ない喉に、そうだった、とスコールは顔を顰めた。
スコールは普段から口数が少なく、仲間達に対して饒舌に喋る事もない。
そう言うこともあってか、スコールが喋れなくなったからと言って、仲間の多くはコミュニケーションに難があるとは思っていないようだ。
挨拶にしろ雑談にしろ、スコールから返すものがないのはいつもの事だったし、必要であれば目を合わせるから、それで十分なのだろう。
スコールとしても、言わずとも最低限でも読み取ってくれるのならば、聊か甘えていると言う気に多少思う所はあるものの、平時と変わらず過ごせるのは楽だった。
だが、こう言う時────声をかけて誰かを呼びたい時、やはり不便だと思う。
水を飲む位、勝手にグラスを取って、水道を使えば良いだけの話だ。
が、それはキッチンに誰もいなければの話で、使っている人間がいるのなら、やはり一声くらいはかけた方が、不慮の事故にもならないだろう。
とは言え、触るようなことは少し気が引けるし、しかし声は出ないし……と思っていると、
「───あ。スコール、どうした?」
「……」
気配を察したか、ふと顔を上げたフリオニールが此方を見た事で、スコールは助かった。
こちらを見ていてくれるなら十分と、スコールはシンクを指差す。
ん、とフリオニールがそれを確認した後、指をついと動かして、食器棚を指した。
「ああ、喉が渇いたのか?」
「……」
「じゃあジュースでもどうだ?さっき柑橘を搾ったんだけど、蜜の残りに蜂蜜を入れておいたんだ。飲みやすくなってると思う」
フリオニールは冷蔵庫に向かい、黄色の液体が入ったガラスビンを取り出した。
ちゃぷん、と揺れるそれをマドラーでくるくると混ぜた後、スプーンですくって一口味見をした。
うん、と頷いて、食器棚から出したグラスに注ぐ。
「ほら」
「……」
差し出されたそれをスコールは受け取り、ありがとう、と口を動かす。
音がなくてもフリオニールはきちんとそれを読み取ったようで、彼は照れ臭そうにはにかんで笑った。
スコールがジュースを口に運んでいる間に、フリオニールは刻み終わっていたキャベツをボウルに移している。
大玉キャベツ丸々一つ分のキャベツは、間違いなく今日の肉の当てとして添えられるのだろう。
しかし幾らリクエストのメインは肉でも、野菜がそれだけと言う訳にはいかないと、フリオニールは今度は大量の人参の皮剥きを始めた。
(……大変そうだな)
この分だと、今日だけではなく、明日以降も使える量を刻んで置くつもりのようだ。
そうしてくれると、後の当番員は助かるが、ただでさえ十人分の食事が必要なのに、それを数日分まとめてとなると、結構な作業量だ。
どうせ暇も持て余しているし、少しは手伝うか、とスコールは声をかけようとして、
(そうだった。声、出ないんだ)
当たり前のように名前を呼んでいたから、何度もこんな風につっかえてしまう。
スコールは漏れそうになる溜息をジュースに溶かして飲み込んで、どうやってフリオニールに気付て貰おうかと考えた。
(……仕方ない)
聊か気は退けたが、フリオニールが持っているのがピーラーだと言うのが助かった。
これも刃物には違いないが、包丁に比べれば、幾らか気分的に易しい。
スコールは空になったグラスを洗って干した後、そうっと手を伸ばして、フリオニールに服の端を摘まんだ。
「ん?」
「……」
「スコール?」
つん、と引っ張られた服の感触に気付いて、フリオニールが此方を見る。
きょとんとした丸い赤の瞳に見詰められ、スコールはなんとなく恥ずかしくなったが、堪えてフリオニールの手に在るものを指差した。
「え?」とまだ要領を得ない様子のフリオーニールに、スコールはピーラーを握った彼の手に自分の手を重ねる。
「えっ。あ、やってくれるのか?」
「……」
「ああ、うん、助かる。頼むよ」
スコールの意図を理解して、フリオニールは人参とピーラーをスコールに預けた。
人参をスコールに任せたのならと、フリオニールはジャガイモを水洗いし、芽を取って皮付きのまま大きく切っていく。
此処にいるのがスコール、或いはフリオニールのどちらかではなく、他の誰かがいたのなら、きっと何かしら会話が始まったのだろう。
今日のメニューの内容であるとか、調理方法だとか、日々の雑談であるとか、何かと話題は出て来るものだ。
しかしスコールは黙したまま、それは声が出ないからでもあるが、普段から口数は少ないし、フリオニールも作業に集中すると没頭する。
今日は料理をしたい気分なのか、フリオニールは最低限のこうして、ああして、とスコールに伝える以外は、黙々と料理を続けて行った。
フリオールが皮付きのジャガイモに火を通し終わった頃、スコールも全ての人参の皮剥きを終えた。
これを次はどうすれば、とフリオニールに聞く為に、スコールはタイミングを見計らって、フライパンのジャガイモを転がしている彼の服端を摘まむ。
「ああ、終わったのか?ありがとう」
「………」
「じゃあ、それを半分は千切りにして、もう半分は……一口サイズくらいかな」
ザルに入った人参の行先は、それぞれキャベツと一緒にサラダ行と、スープの具になるそうだ。
先ずは一口サイズに切って、次に残った半分を千切りにしていく。
量は多いが、フリオニールに倣っている訳ではないが黙々と手を動かしたので、程無く人参も全て刻み終わることが出来た。
(次は)
何か仕事はあるかと、スコールはフリオニールを見る。
火を見ている彼は向けられる視線には気付いていないようで、スコールは腕を伸ばして、その服端を引っ張った。
「終わったのか」
「……」
「ありがとう」
「……」
「まだ手伝ってくれるのか?」
フリオニールの言葉に、スコールはどうせやる事もないしと頷く。
それじゃあ次は、と仕事を探すフリオニールに、スコールは黙ったまま指示を待った。
程無く宛がわれた次の仕事は、スジ肉を入れたスープの煮込み番だ。
今からじっくり時間をかけて煮込み続ければ、夕飯になる頃には肉もとろとろに柔らかくなり、良い出汁もたっぷり出ている筈。
宜しくな、と言われたスコールは、小さく頷き、レードルでくるくると鍋を掻き混ぜ始めた。
黙々と手伝いに没頭するスコールは、それをこっそり見詰める紅い瞳に気付かない。
増してや、声の代わりに呼ぶ指が、引っ込み思案そうに服を摘まむ仕草が愛しいと思われているなんて、露とも知らないのであった。
2月8日と言うことでフリスコ!
フリオの服を摘まんで気を引こうとするスコールが浮かんだので、やらせたの図。
最初はともかく、後はフリオニールもスコールが傍にいると意識しているので、多分本当はスコールが「次は…」ってきょろきょろしたりする時に気付いてる。
でも気付かないふりをしていると、スコールが服をくいって引っ張って呼ぶのが可愛いので、また見たくてこっそり待ってる。
そんなフリスコでした。