[ラグスコ]君と迎える今日と言う日に
一国の首席たる大統領と言う地位に就いてから、休みが取れたとて、その身が全くの自由になると言う事は滅多にない。
エスタは長い鎖国の中にあり、その中でラグナは現状に置いて善政と呼ばれる評価を貰ってはいるが、反発勢力が皆無という訳ではなかった。
特に、クーデターが成功した直後から数年の間は、魔女アデルを心棒する残存勢力も多く、後続の懸念を断つ為に、厳しい決断をした事もある。
それが英雄として持ち上げられ、大統領と言うポストに就くに至ってしまった、自分自身の責任の形でもあった。
憂いを払ったとてラグナが自由になる事はなく、国の舵取りのあれこれだとか、やっと声を上げられるようになったエスタの国の人々の訴え等々、とかくラグナは数多に手を引かれていた。
中には、アデル様を返してくれ、と純な瞳で訴える者もいたりして、頭を悩ませたものである。
そして、そう言う人々が、ラグナの命を狙って行動を起こす事も、決して珍しくはなかったのだ。
十年以上の歳月が経って、魔女アデルの存在を求めるものは、表沙汰にはなくなった。
これはあと数十年は仕方のない話で、齢を重ねたもの程、新たな環境や異質な風には拒否反応を示すものだ。
それでも、流石に時代の移り変わりという空気は避けられず、またアデルと言う存在を強く忌避する人々がクーデターを勝ち取ったと言う事実が強く根を張るに連れ、それに対する反対勢力は意気消沈せざるを得なかったのである。
また、ラグナと言う人物が、クーデターの主要人物として英雄視された事、粗はあれども、少なくとも恐慌的な政治を良しとしなかった事もあり、多くのエスタ国民は彼に友好的だ。
お陰でラグナは、国内ならば護衛もつけずにふらりと出歩く、と言う事が可能な位に、ラフな過ごし方を許されていた。
とは言え、である。
一国の大統領、況してや英雄を、本当に一人で街に放逐できる筈もない。
エスタの街には、主要な施設や幹線道路を始めとして、至る所に警備兵が常駐している。
コンピューター制御を要した監視カメラも随所に設置され、犯罪に対する抑止力も整備されている他、私服警官、雑踏に紛れ込んでいる変装したSP等も勿論いる。
ラグナと言う存在が、もし某かの犯罪に巻き込まれたら、それは嘗てのクーデターが今度はラグナに牙を剥いて来たと言う事になる。
其処には嘗て魔女を心棒した人々の存在がある事は無視できず、世代一つが交代する時間をかけて、ようやく安定にも慣れて来た国の在り方が、再び激動に翻弄されることになるだろう。
エスタ国民の多くは、そんな時代が来ることを望んではいない。
彼の人物が、エスタにとって、現実的にも精神的にも大きな支柱となっているからこそ、彼は護られなくてはならない。
故にラグナは、一人でいるようでいて、決して一人になる事は叶わないのだ。
結果として、ラグナが“ラグナ”として一個人でいられる場所と言うのは、その日一日の職務を全て終え、私邸となった自宅で過ごす、ごくごく僅かな時間のみと言う具合だった。
そして、時代の変化は再びやって来た。
アデルを宇宙に追放し、鎖国をしてから17年────エスタの国にまた“魔女”がやって来た。
一人は自らその身を封印する為に、もう一人は意識のないまま、そうと知らずに運ばれてきた。
偶然か必然か、数えきれない程の要因が幾つも重なって、あの忌まわしい“魔女戦争”は、エスタを巻き込んで大きく動き出した。
結果的には、エスタに新たな“魔女”を連れて来た少年少女達の奮闘により、魔女は屠られ、新たな”魔女戦争の英雄”が誕生する。
そして戦後処理と言える様々な世界情勢の中、エスタは開国する事となった。
エスタが開国してから数ヵ月の間に、国内外問わずに様々な変化が起きている。
閉鎖的な環境が長く続いていた為、異国との付き合い方と言うものも、忘れてしまった世代は少なくない。
老兵も出しゃばろうにも、17年と言う歳月は、光速のように情報が駆け抜ける現代において、置いてけぼりされるのも致し方のないものであった。
出来る事から始めようと動き出す人々も少なくはなかったが、その多くは若い世代で、異国との向き合い方と言うものを全く知らない者も多い。
また、エスタは“月の涙”の影響も色濃い為、其方の対応もしなくてはならなかった。
幸いなのは、”魔女戦争の英雄”擁するバラムガーデンと友好的なパイプが出来ていること、その繋がりもあって、F.H.の人々も協力姿勢を見せてくれている事だろうか。
エスタはそれらを足掛かりに、ようやく国際社会への復帰を試みている段階であった。
そんな訳だから、ラグナは多忙な毎日を送っている。
これまで国内の事に注力する仕事が多く、それらを上手く捌ける分野へ割り振るのも、流石に近年は慣れて来ていた。
しかし、エスタを開国に舵を切った事により、国際的な首脳会議であったり、他国の駐在官を迎える為の準備であったり、これまでとは類の違う仕事が一気に増えている。
ラグナ自身の顔を必要とする場面も多くなり、ラグナは毎日のように足が攣りそうだった。
年の瀬ともなれば、国内外の様々な年中行事にも呼ばれ、スケジュールの調整を担当している執政官が目を回していた程である。
例年ならば、多忙を乗り切った後の年末年始は、比較的ゆっくりとした時間が取れるものだったのだが、それも今回は難しいと言われていた。
こればっかりは仕方がないと、いつの間にか身についてしまった諦念に身を任せ、どうにかこうにか乗り切った────その後。
「……って訳でさ。もうてんてこまいだったんだよ」
『……そうか。……何処も似たようなものなんだな』
モニター越しの、約一週間ぶりに見る顔。
ラグナの近況報告と言う名の愚痴を、面倒臭そうに聞いた後、画面の向こうの少年───スコールは溜息交じりにそう呟いた。
最近ラグナは、こうしてスコールと通信を繋いでいる。
ラグナに負けず劣らず、彼も祀り上げられた立場によって多忙な身だから、頻度はそれ程多くはない。
二人ともに、ラグナは私邸に、スコールはバラムガーデンの寮に戻っている時でなければ、通信を繋ぐことも出来ないからだ。
繋ぐだけなら、スコールがラグナロクに乗っている時でも可能ではあるのだが、その時の彼は大抵、仕事をする為に出向いている。
スコール自身のスイッチも其方に切り替わっている為、ラグナが“スコール”と純粋に話をしたいのなら、彼が仕事用のスイッチをオフにしている時でなくてはならなかった。
通信だろうと、直に会っていようと、スコールの口数は少ない。
だからいつもラグナが一方的に喋っているのだが、最近はそれに対するスコールの相槌も増えているように思う。
こうして話をする事に、スコールが慣れてくれているのなら、ラグナにとって嬉しいものだった。
しかし、今日も直に日付が変わろうとしている。
ラグナはもっと話をしていたかったが、明日もまた任務だと言う少年から、休む時間を削るのは良くない。
「そろそろお前は休まなきゃな。明日は、えーと……何処に行くんだっけ」
『カシュクバール砂漠』
「大変だなあ。無理するんじゃないぞ」
ラグナの言葉に、スコールは「別に……」と言ってモニターから視線を逸らしている。
頬がほんのり赤いので、労いや心配の言葉に対して、どう返せば良いか判らないのだろう。
そう言うコミュニケーションに不慣れな所も、ラグナには初々しい可愛らしさに見えるのだから、すっかりこの少年の事が気に入っているのだと自覚する。
画面越しの会話でなければ、頭を撫でたり、頬に触れたり出来るのに。
そんな事を考えているラグナに、スコールが話題を逸らすように言った。
『あんたは……休みなんだろ。良かったな』
「うん。まだやる事は色々あるんだけど」
『……誕生祝なんだから、受け取って置けば良いだろう』
スコールの言葉に、うん、とラグナは頷いた。
年が明けて直ぐにやってくるラグナの誕生日と言うのは、今のエスタ国にとって、特別なものだった。
魔女アデルを追放した英雄であり、国民の心を離さない現職の大統領は、嘗てのクーデターからずっと英雄視されている。
そんなラグナに、誕生日くらいはゆっくり休んで欲しいと言う思いの表れか、いつしかこの日は公休が宛がわれるようになった。
年始なんて国内だけの催事でも幾らでもあると言うのに、良いのかなあ、と頭を掻いたのはいつの話だったか。
特に今年は、開国と言う大きな変化があった事もあり、休んでいる暇などないと言う程に忙しかった。
年始も早々にスケジュールが黒く塗り潰されていたし、その予定の多くは外交が絡んでいて、誕生日と言えどのんびりとは過ごせる事はあるまい────と思っていたら、執政官たちは四苦八苦してこの日だけはと予定を空けてくれていた。
気の良い旧友達からも、「遠慮せず休みたまえ」との言葉を貰っている。
皆忙しくしてんのになぁ、と思う事はあるものの、この休みが彼等からの労いであり、祝いの代わりである事も判っている。
厚意を受け取らないのも悪い、という気持ちもありつつ、ラグナは明日一杯の休日を満喫する事になる。
しかし、休みだからと自由が利く訳でもないのも、また事実だった。
「折角の休みだから、お前の所に行けたらなって思ったりもしてたんだけど」
『……仕事だ』
「うん。まあ、そうでなくても、お前は忙しいだろうし。俺が一人でバラムに行く訳にもいかないんだろうしなぁ」
『当たり前だろう。あんた、自分の立場をもう少し自覚しろ』
スコールにしてみれば、国内でも大統領が明らかなSPの類を連れずに一人でふらふらと出歩いている事自体が、可笑しい状況だと言うだろう。
例え鎖国し、長い善政で支持されているとは言え、彼の存在を不満に思う者がいない訳ではないのだ。
その上、今年のエスタは、開国して初めて迎える年始である。
入国の為の足が限られている為、まだまだ全体数では一握り程度ではあるが、それでも異邦人の来訪も始まっている。
長い鎖国を過ごしてきた為に、異邦人との遣り取りやトラブルへのノウハウがない今、一国の首席が供もつけずに一人で出歩くなど冗談でも辞めて欲しい。
況してや、プライベートであろうと、一人で国外にふらりと出向くなんて、スコールにとっては問題外の話だろう。
────と、傭兵であるスコールにとっては、厳しい態度に出るのは当然なのだが、その反面、まだまだ青い所のある少年は、存外と気を許した人間に対して甘いところもあって。
『……俺が、……休めてたら、まだ……』
そっちに行く位は、出来たかも知れないのに。
そう呟いたスコールは、赤い顔を通信画面から逸らしている。
言う事ではないと自分自身思っていたのだろう、それでもラグナが会いたがるから、ぽつりと零してしまう言葉。
受け取ったラグナの頬が、分かり易く緩んでしまうのも、無理のないことだった。
しかし、明日のスコールは任務があり、ラグナも現状のエスタから迂闊に外に出る訳にはいかない。
「今年はさ、もう仕方ないし。俺も正直、皆に言われるまで忘れてたし」
『………』
「そんな感じだから、気にしないでくれよ」
そもそも、スコールがラグナの誕生日を知ったは、ほんの一週間前のこと。
次に逢えるのはいつだろうと、双方の予定の確認をしていた時、年明け直ぐのラグナの休みが、誕生日だから、と言う理由を話した時だった。
そんな直近のタイミングで、スコールがラグナの誕生日を祝う為にスケジュールを空ける等、土台無理な話なのだ。
知らなかったのだから、今年はどうしたって仕方がない。
明日のスコールは任務があるし、そうでなくとも、今晩の内にエスタに来ると言うのも無理だ。
同じく、ラグナがバラムの地に向かうのも難しいもので、仮にそれをしようとするなら、スコールを護衛任務につけると言う方法が必要になるだろう。
そうなるとスコールは仕事になるし、ラグナも大統領として接しなくてはならなくなる。
今画面越しに向き合って交わすような会話は、出来なくなってしまうだろう。
────今はこれが最良なのだと言うラグナに、スコールは眉間に皺を寄せて俯く。
判っているけれど、何処か納得がいかない様子の少年に、とラグナは緩く眦を緩め、
「でも、そうだな、こうやってお前に知って貰えた事は良かったな。これで来年の誕生日は、一緒に過ごせるかも知れないもんな」
今こうして知れたのなら、次の時には何か準備が出来るかも知れない。
その時は、一緒に過ごせたりしたら嬉しいなあ、と欲と冗談を交えて言うと、画面の向こうの少年の瞳が、一瞬判り易く輝いて、
『……そんなの、期待するな』
直ぐにそのお喋りな瞳を隠すように俯いて言ったスコールに、ラグナは思わず吹き出しそうになるのを寸での所で堪えた。
沈着冷静な顔をして見せる少年は、実の所、まだまだ若くて未熟な部分も多い。
ふとした瞬間に感情を晒す瞳の色や、白い頬を赤らめるのが判り易くて、ラグナは存外と彼のそう言う表情を見るのが好きだった。
好きだからよくよく見ていると、其処に何より彼の本音が滲み出ている事がよく判る。
「へへ。来年は楽しみにしてっからな、スコール」
『今するなって言ったばかりだろう』
素っ気ない反応も、“次”を期待している事を気付かれまいとしている、恥ずかしがり屋のポーズだ。
判ってしまうから、ラグナはどうしても顔がにやついてしまう。
────と、モニターの端に映っている時刻が、遂に日付が変わった事を示す。
スコールもその事に気付いたようで、蒼の瞳が彷徨うように揺れた後、やはり目線は画面から大きく逸らされたまま、
『……ラグナ』
「ん?」
『……おめでとう』
蚊の鳴くような小さな声を、マイクは辛うじて拾ってくれた。
ああ録音しとけば良かった、今から巻き戻しで出来るかな、なんて思いつつ、ラグナは胸の奥の温もりを自覚する。
同じ言葉を、これまで何度、沢山の人から貰っただろう。
エスタの地に根を下ろしてからは勿論、それ以前も、幸いにも気の良い人々に恵まれていたから、祝いの言葉はあちこちで貰ったように思う。
けれど、それらのどんな言葉よりも、今目の前の少年から貰った不器用な音が、こんなにも心地良くて愛おしい。
出来ることなら、画面の向こうに今すぐ行って、彼を抱きしめてその温もりを感じたい。
判り易く顔が赤らんでいるスコールを見ている内に、なんだかラグナも照れ臭くなって来た。
それを鼻頭を掻いて誤魔化して、自然と頬が緩んでしまう。
「今年一番のお祝い、貰っちまったなぁ」
『………大袈裟だ』
「そんな事ねえって。お前の顔見て迎える誕生日なんて、こんなに嬉しいもん、今まで一度だってなかったよ」
異国の地で長く過ごし、今日と言う日も幾つも過ごしてきたけれど、こんなにも今日と言う日を喜ばしく感じた事はない。
あわよくば、来年は直にその言葉を貰える事を祈りながら、ラグナは画面の向こうの少年の顔を見つめるのだった。
1月3日でラグナ誕生日おめでとう!
画面越しの「おめでとう」と、そんな今日にこれまでにない特別感を感じるラグナが浮かんだので。
エスタ国民にとっては、クーデターの英雄であり、現大統領の誕生日なので特別な催しなんかも多そうだけど、ラグナ自身はそう言うのもには特に頓着なさそうと言うか。
自分を頼る人、慕う人への義理や、責任からの義務はあるけど、愛着的なものは別と言うか。そんな頭の隅で案外ドライだったりしても好きです。
そんなラグナが、スコールからの「おめでとう」が無性に嬉しくて嬉しくて仕方ないとかあっても良いなって。贔屓目欲目。