[ウォルスコ]閉じた世界に温もりを
歪の中で発生した空間の揺らぎに引っ張られて、スコールとウォーリアは見知らぬ場所に飛ばされてしまった。
何処かの深い密林と思しき其処は、果たして神々の闘争の世界その地なのかも判らない。
重い暗雲に覆われた空の下、鬱蒼とした樹木に覆われた其処は、見知らぬ植物や動物が群生していた。
蔓状の植物や、シダ植物に似たものが多いことを思うと、風景としては亜熱帯ジャングルに似ている。
こういう場所には、食虫植物の巨大バージョン(人肉も襲う類だ)だったり、有毒の蛇や虫がいるもので、足元に這う生き物さえも注意の対象となる。
人の大きさよりも体高のある蜘蛛を見付けた二人は、此処を下手に動き回るのは危険だと判断した。
とにかく、なんでも良いから歪を見付けて、此処を離れた方が良い───と思いはすれど、肝心の歪は中々見付からなかった。
茂る草木を掻き分けながら歩き回る内に、重い空に覆われた天は、あっと言う間に暗くなった。
夜行性の動物が徘徊を始める前に、せめて安全地帯を見付けたい。
そう切に思った二人の前に、一軒の山小屋が現れた。
渡りに船と言うには聊か警戒が立つ二人だったが、暗闇の中、ジャングルを歩く方が良いかと問われれば、出来れば御免被りたい。
山小屋の周囲と、その中に不穏なものがないことだけは確認して、二人は朽ちかけた建物の中へと入った。
長い間放置されていると思しき小屋の中は、恐らくは倉庫のような使われ方をしていたのだろう、壊れた農具らしきものがいくつも転がっていた。
床は辛うじて板張りされているが、足を乗せると何処もぎしぎしと音が鳴る。
壁際は湿気の侵食を受けて、板木が腐りかけている程で、天井屋根に穴がないのが幸いと言えた。
炉や竈に出来そうなものはなく、暖を取ろうにも、朽ちたこの家で火など起こせば、火の粉ひとつで燃え上がりそうだったので辞めた。
暗くなってから気温が低くなっていて、暖は欲しかったが、焼け出されては元も子もない。
雨風の直撃を凌げるだけマシだと思おう、とスコールとウォーリアの意見は一致した。
手荷物にあった携帯食で簡素な食事を済ませた後は、直ぐに休むことにした。
歪での戦闘から、こんな場所へ飛ばされて、歩き詰めで疲れている。
建物の中ではあるが、念の為に見張りがいた方が良いとなって、一人ずつ眠る。
「君が先に休むと良い」とウォーリアが言ったのを、以前のスコールならば口の中で反発の三つや四つはあったのだろうが、今はそれもなくなって久しい。
二人の関係が“仲間”と言う枠組みに収まらなくなった頃から、スコールのウォーリアに対する態度は、分かりやすく軟化していた。
それでも時に渋面が出てしまうのは、節々にあるウォーリアからの子供扱いめいた言葉と、同時に感じられる、「君を大事にしたい」と言うあけすけな気持ちが見えるからだ。
要するに思春期の複雑な心境と言うものだが、それはウォーリアには関係のない話である。
今回については、疲れていたことも含めて、先に見張りを引き受けると言うウォーリアの言葉は純粋に有難かった。
山小屋の中は隙間風が酷かったので、スコールはなるべく体の熱を逃がさないよう、丸くなって眠った。
疲労感のお陰か、睡魔は程なくやってきて、スコールは夢も見ないほど深く眠る。
それから、二時間程度は経っただろうか。
寝入りから当分は深く落ちていたスコールだったが、睡眠の波が浅瀬に上がってきた頃に、がたがたと煩い音が耳についた。
重みのある瞼をどうにか開けると、視界は暗く、朝はまだ当分先だと悟る。
そんな時分に睡眠を邪魔してくれたのは、この小さな空間を保ってくれる、建物そのものが鳴らす音だ。
(……風……強くなったのか……)
山小屋には、明り取りの為か、小さな跳ね板窓がついている。
しかし冷えた空気を取り込むばかりの其処は、閉じたままにしていた。
それがばたんばたんと勝手に開け閉めを繰り返しているものだから、煩いことこの上ない。
スコールは眉間に皺を寄せながら、もぞもぞと内側に閉じこもるように縮こまった。
肩口に引っかかるものを摘まんで、本能的に手繰り寄せる。
小さな世界の、そのまた小さな空間の中は、薄らとだが熱が籠って温かく感じられた。
(……ん?)
温かい、とは。
そんなものに身に覚えがないことを思い出して、スコールは片眉を潜めた。
暗がりの中を見詰めていると、徐々に暗闇に対して目が慣れて来る。
物置然とした山小屋の中の様子が微かに伺える程度になってから、何かを掴んでいる手元を見ると、少し埃っぽくなった布があった。
生成りに近い黄色の布は、毛布とするには少しごわついていて、手触りの良さよりも頑丈さが感じられる。
自分の持ち物ではないそれに、スコールは眠気のある目を擦りながら、寝転んだままでそろりと首を巡らせてみた。
横向きになっていたスコールの背中側に、唯一の同行者────ウォーリアが座っていた。
ウォーリアは着込んでいた筈の鎧を外し、その下に着ていた黒のインナー姿になっている。
細いがしっかりとした体躯がシルエットからも読み取れるその肩口から、無造作に伸ばされた銀糸がきらきらと光って見えた。
ウォーリアはじっと何処かを見詰めている。
何を見ているのかとスコールが首を伸ばして彼の視線の先を辿ってみると、山小屋の内と外を繋ぐ戸口があった。
物言わぬ戸口を見つめるウォーリアの瞳は、何処か冴えて冷たく、剣を握っている時に似ている。
「……ウォル……?」
どうした、とスコールが問う代わりに名前を呼ぶと、アイスブルーの瞳が此方を見た。
ちらと一瞬見遣るだけの視線だったが、その目が「静かに」と言っているように見えて、スコールは口を噤む。
それから数分。
ウォーリアはゆっくりと瞼を一度伏せた後、ふう、と一つ息を吐いてから、スコールへと視線を移した。
「起こしてしまったか」
「……いや」
起きたのはごく自然なことだった。
強いて言うなら、家鳴りが煩いのが原因で、ウォーリアが何かしたと言う訳ではない。
緩く首を横に振って否定したスコールに、ウォーリアはそうか、とだけ言った。
スコールがのろりと起き上がると、体を包んでいたマントが滑り落ちて、冷気が体に刺さってくる。
ぶるりと肩が震えたスコールだったが、寒さをあからさまにするのもプライドが擡げて、唇を噛んで堪えた。
手元のマントを、何食わぬ顔でウォーリアへと突き出し、
「……返す」
「いや、君が使うと良い。眠っている間、微かに震えていた。寒かったのだろう」
「……もう平気だ」
返す、とスコールはもう一度マントを突き出したが、ウォーリアは柔い瞳で此方を見ている。
受け取る気がないのが読み取れて、スコールの唇が尖った。
持ち主ががんとして受け取ろうとしないので、スコールは渋々顔でマントを手繰り寄せる。
使えと言うなら仕方がない、と言う表情で、マントでまた体を包みつつ、
「……外を気にしてたみたいだけど、何かあったのか」
山小屋のひとつしかない戸口をじっと睨んでいたウォーリア。
スコールが眠っている間に、ひょっとして何か、誰かやってきた気配でもしたのかと尋ねてみると、
「少し前に、獣が山小屋の周りをうろついていたのだ。狼のような、魔物かまでは判らなかったが……それが扉の前に屯していた」
腹を空かせた獣か魔物が、山小屋を取り囲んでいたのだと、ウォーリアは言う。
餌を求め、山小屋の中にその匂いを感じ取ったか、獣たちは扉を仕切りに引っ掻いていた。
しかし、朽ちかけの小屋ではあるものの、作りはそれなりにしっかりとしていたのか、幸いにも獣が障壁を突破できるほどに脆くはなっていなかったらしい。
その上、外は強風に加えて雨も降り出していた。
「雨が降り出した頃に、獣は去ったようだ」
「……まあ、これだけ降ってれば、大抵の生き物は引き籠るだろうな」
煩い跳ね板窓の向こうでは、ざあざあと大きな雨粒が降りしきり、開け閉めを繰り返す窓口の隙間から雨粒が入り込んでくる。
もしもこの建物の中に逃げ込んでいなければ、この大雨の中、濡れ鼠で凍える羽目になったかも知れない。
その悪天候ぶりを見て、色んな意味でこの山小屋が見付かって良かった、とスコールは思った。
冷え切った空気がスコールの頬を撫でて、マントの中で肩がぶるりと震えた。
布一枚のあるなしで肌に感じる寒さは大分違うが、とは言え、こんな環境では快適とは程遠い。
せめて火が起こせたらと思うが、やはり火気はこの建物には危ないだろう。
他に何かないか、とスコールは視線を巡らせるが、柄の折れた鍬や、蔓で編んだロープなんてものは、燃料以外に使い道もなかった。
その手の手段が使えないとなれば、いよいよ熱を求める手段はない。
────其処まで考えてから、いや、とスコールは顔を上げた。
(……熱は……ある)
蒼灰色の視線の先には、一人の男がいる。
スコールは其処に行く事に、じんわりとした羞恥心を感じたが、さりとて熱の誘惑には抗えなかった。
肩を包むマントをずるずると引き摺りながら、スコールはウォーリアへと身を寄せる。
気配を感じてか、此方を見たウォーリアと目を合わせる前に、スコールは彼の胸へと飛び込むように体を突っ込んだ。
反射的だったのだろう、かかる重みを支えるように、スコールの肩にしっかりとした手が添えられた。
「スコール?」
「……」
どうした、と名を呼ぶ男に、スコールは返事をしなかった。
出来なかった、と言うのが正しい。
厚みのある胸板に鼻面を押し付けながら、自分が酷く子供っぽいことをしていることを自覚する。
自覚すると無性に恥ずかしさがこみあげて、すぐ間近にある筈の透明な瞳を見る事が出来なかった。
もぞもぞ、もぞもぞと身動ぎして、落ち着きの良い体勢を探す。
胸元でそんなことをされて鬱陶しいだろうに、ウォーリアは何も言わずに、スコールの好きにさせていた。
仲間に対する寛容さとはまた違う、“恋人”にのみ許される甘さを良いことに、スコールはウォーリアの体にぴったりと身を寄せて、猫のように丸まった。
一頻り体勢を試した後、スコールはウォーリアの腕の檻に収まる形で落ち着いた。
ふう、と一息吐いたスコールは、密着した熱量の高い体の感触に安堵する。
「大丈夫か、スコール」
「……ん」
ウォーリアは、見張りの邪魔になるだとか、見張りの交代を、と言ったことは言わなかった。
外はいよいよ雨煙が強くなり、雨音は時折、ごおおお、と重い音がするほどになっている。
こんな状態では、水棲の魔物だって獲物が取れないから棲み処で大人しくする他ないだろう。
獣を警戒しなくて良いなら、見張りの為に起きている必要もない────ウォーリアもそう思っているのか、彼は腕の中の恋人を抱き締めながら、双眸を柔く緩めていた。
その視線を旋毛のあたりに感じながら、スコールはふと、包まっているマントのことを思い出す。
このマントはそもそもウォーリアの持ち物であるから、こんな状態になっても自分が独り占めしていると言うのはどうなのか、と思った。
今更と言えば今更だが、引っかかってしまうと、スコールはそのままの状態ではいられなかった。
スコールは檻の中で自分の腕を動かして、体を包んでいたマントを解く。
広げたそれをウォーリアの背中へと回し開いて、彼の背中を外気から隠した。
スコールの意図を感じ取ったか、ウォーリアは微かに眉尻を下げて、
「私より、君が使うと良いと言っただろう」
「俺はあんたが布団だから良いんだ」
そう返したスコールに、ウォーリアの唇が苦笑するように薄く弧を映す。
心なしか、スコールの身体を包む腕に、優しく力が籠ったように感じられた。
スコールが少し頭を傾けて、ウォーリアの胸板に耳元を押し付ければ、ゆっくりとした鼓動が聞こえてくる。
規則正しいリズムのそれは、褥の中で聞いていると、スコールの安心を誘う。
此処は安全な場所だと、そう思う事が出来るのか、スコールを緩やかな眠りに誘うスイッチのようだった。
ついさっきまで眠っていたスコールだが、こうして恋人の暖に包まれていると、またうつらうつらと意識が揺蕩う。
そんなスコールの様子に気付いて、ウォーリアは背中にかけられたマントを寄せて、二人分の体を布地で包んだ。
本来一人分であるマントを無理に使っていることもあって、二人の体は縮こまるように、より密着し合っている。
「……ウォル……」
「ああ、眠ると良い」
「……あんたも、寝ろ」
「そうだな。君が眠ってから」
スコールは頬に、皮の厚い固い手が触れるのを感じた。
それが首筋までゆっくりと辿って行く感触があって、途端に閨の熱を思い出し、体が鼓動を逸らせていく。
こんな状況で、ウォーリアにそんな意図はないのだろうが、スコールにとっては条件反射のようなものだった。
とくとくと早くなる心臓が、すぐ其処ににいる男に伝わってくれるなと願う。
外の雨は、豪雨から大雨と言える程度になっていた。
風は止んだ様子はないが、風向きが変わったのか、跳ね板窓は静かになっている。
これならもう一度眠るくらいは出来そうだ、とスコールは思った。
スコールが少し頭を動かすと、ウォーリアの首筋に額が擦り付けられる。
あやすように頭を撫でられるのを感じながら、スコールは視界に映った細い銀糸を見つめていた。
暗闇の中にひらひらと光る銀色に、夢の中でも逢えることを願いながら、目を閉じた。
1月8日と言う事で。
ボロい山小屋で二人きりで過ごしている二人が見たいなとか思いまして。
ひょっとしたらこの後、もっと温まることをしたとかしてないとか。