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User: k_ryuto

[バツスコ]ヒート・バイト・マーク

  • 2024/05/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



バッツが中々に噛み癖が酷いと言うのは、閨を共にするようになってから知ったことだ。
ことの最中、スコールはそれ所ではないので全く気付かないのだが、終わった後や、翌朝になって自分の体を見ると、其処此処に噛み痕が残っている。
肩だとか、腕だとか、腰のあたりだとか───服で隠れる場所であるのは幸いではあるが、時にはそれからはみ出た所に見える事もあった。
その都度、痕を残すな、とスコールは目尻を釣り上げるのだが、バッツは「判ってるんだけどつい」と頭を掻くばかりであった。

今夜もまた、それは同じであった。

二度、三度とまぐわって、スコールが意識を飛ばしてしばらくの後、目を覚ます。
汗と体液まみれになっていた体は、すっかりと綺麗に整えられ、水滴を大量に沁み込ませていたであろうベッドシーツも、そんな気配もない程に整えられている。
裸身で包まるシーツは、少しひんやりとした感触があって心地良い。
体の重怠さと微睡にかまけて、うとうととしていたスコールだったが、ふと自分の手首にあるものが視界に入って、


(……またやったな)


暗がりに慣れた目に映る、素手の手首。
其処に残る綺麗に揃った歯型に、はあ、とスコールは溜息を吐いた。

それが、スコールが起きていることを、傍らの青年に知らせたのだろう。
スコールを背中から抱いていた腕が、ぎゅう、と力を込めてスコールを抱き締めた。


「……暑苦しい」
「へへー」


肩越しに後ろを見遣って睨めば、それが露とも効いていない、上機嫌なバッツの顔。
そのまま睨んでいれば、バッツはスコールの頬に唇を押し付けてきて、ちゅ、ちゅ、とバードキスを繰り返した。
どうにもくすぐったいのと、そうして甘えじゃれてくる恋人に、どうして良いのか判らなくなって、スコールは肘で背後のくっつき虫を押し剥がそうと試みる。
当然ながら、それは大した意味も効果もなく、バッツは益々力を込めて抱き着いて来るのであった。

スコールをすっかり腕の檻の中に閉じ込めて、バッツは至極満足そうだ。
細身の癖に、流石生粋の旅人とでも言おうか、バッツの体力は底無しである。
そんな彼が満足するまで今夜は繋がり合ったので、確かに彼は機嫌が良いだろうが、反対にスコールの疲労も一入であった。

疲れているのでもう一度眠りたいのだが、頬に首筋に項にと落ちる唇が、どうにもそれを邪魔する。
やめろと言った所で聞かないのは判っているので、好きにさせてしまう事にした。
そのついでに、どうせ今すぐ眠れはしないのだから、言うべきことだけは言っておこう。


「バッツ。あんた、また噛んだだろう」
「ん。そうだっけ」


けろりとした反応に、スコールは今し方確認したばかりの手首を翳して見せる。
バッツはぱちりと瞬きした後、其処にくっきりと残っている歯型に気付き、


「あー。うん、そうだな、噛んだなあ」


ようやく思い出して、バッツはうんうんと頷いた。

バッツの手が伸びてきて、スコールの手首を柔く握る。
持って行かれるそれを抵抗せずに任せると、バッツはしげしげと手首の歯形を見て、


「うん、確かに俺の歯だ」
「判ったようで結構だ。痕を残すなって何回言ったら判るんだ、馬鹿」


手首を捻って握る手から逃れ、スコールはぺしんとバッツの頭を叩く。
いて、と本当は痛くもないだろうに、リアクションだけは律儀だ。

バッツは叱られた頭に手を遣り、ぽりぽりと掻く。


「判ってるつもりなんだけど、なんて言うかなあ。やっぱり、つい、なんだよな」
「つい、であんたは俺を噛むのか。あんたは人肉が食いたいのか?」
「いや、其処までチャレンジャーじゃないって」


バッツが生きて来た世界は、スコールにしてみれば酷く前時代的なもののようだった。
まさか人肉文化もあるのでは、と真新しい噛み痕のある手首を隠しながら眉根を寄せるスコールに、バッツも流石にそれはないと首を横に振る。
バッツの世界に未開の地と言うのは少なくはなかったし、足で行ける場所も限られたものだったから、若しかしたら何処かにあったかも知れない、と言う可能性はある。
が、少なくともバッツ自身は、余程の緊急時であっても、容易にそれが選択肢としては上がらない位には、忌避される事ではあった。

ならば、バッツのこの癖は何なのか。
痛みなどとうになかったが、スコールは歯形のついた手首を摩りながら、胡乱にくっつき虫を見る。
スコールの言わんとしている事を、バッツはその表情から概ね察して、うーんと唸った。


「なんて言うか……食べちゃいたいって言うか。美味しそうって思うんだよな、スコールを見てると」
「意味不明だ。そんな事で何度も噛むな。これだけ型がはっきり残るって事は、あんた、相当強く噛んでるだろう。いつか肉を持って行きそうだ」
「そんなに?じゃあ大分痛いよな。ごめんな、スコール」


詫びと一緒に耳朶の裏にキスをされる。
今そう言うのは求めていない、とスコールは頭を振って、キスの感触から逃げた。
そうすると、嫌がっちゃ嫌だと言わんばかりに、抱き締める腕の力が強くなる。


「ほんとに悪いと思ってるって。スコールに痛い思いさせたい訳じゃないしな」
「だったらもっと自重しろ」
「頑張るよ。って言うか、結構頑張ってるつもりなんだよ、これでも」


言いながらバッツの手が、スコールの噛み痕のついた手首を捕まえる。
指先が滑るように、スコールの手首を摩り、ほんのりと其処に温かい感触が集まって行く。

回復魔法の気配を感じて、この程度のことで、とスコールは眉根を寄せたが、一応、バッツの誠意の謝罪と言うことなのだろう。
手首は袖と手袋の隙間なので、肌身を晒さないスコールの服装の中では、ちらちらとではあるが、素肌が覗きやすい場所だ。
癒してこの噛み痕が目立たないものになってくれるなら、幸いではあった。

すっかり噛み痕が消えると、バッツはその手首を口元へと持って行って、キスをする。
その程度なら、この熱の名残のあるじゃれ合いの中で、拒否するものでもないと好きにさせた。


「綺麗になった。これで良いか?」
「ああ」
「あ~、勿体ないなあ。でも仕方ないか」


バッツは酷く残念そうな顔をして、癒したばかりのスコールの手首に頬ずりした。
何をしているんだか、と呆れていれば、ぬる、としたものが手首を辿る。
バッツの舌だ。


「っおい、」
「ん」


嫌な予感を感じてスコールは腕を引っ込めようとしたが、バッツの掴む力の方が早かった。
手首はしっかりバッツに捉えられ、ちゅう、と強く吸われる。
歯形の代わりと言わんばかりに、其処には赤い小さな鬱血が咲いた。

吸っては舌で舐め、また吸って。
逃げようとするスコールの身体を、バッツは上手く力の作用を受け流しながら、自分の体の下へと引きずり込んだ。
シーツを蹴るスコールに構わず、バッツは手首から肘、二の腕、肩とキスの雨と共に登って行き、やがてその唇は、まだ汗ばんだ気配を滲ませている首筋を吸った。


「ん……っ!」
「んぁ、」
「……っ!」


固い感触が、スコールの喉元に当たる。
噛まれている、柔く、けれど力を入れれば簡単に食い込んでくる歯が、皮膚一枚に触れている。
そう感じると、ぞくぞくとした感覚が、スコールの背中を駆け上った。

全身が総毛立つように汗が噴き出て、腹の底にじんじんとしたものが滲んでくる。
気付かれまいとスコールは身を固くしていたが、彼がそうやって緊張している時は、同時に躰が熱を開こうとしている時でもあると、バッツはよく知っていた。


「スコール、なあ」
「……っ」
「もう一回しよう」


首筋にかかる吐息に、スコールは窄めた瞳で天井を仰ぐしか出来ない。
口を開けば今直ぐにでも情けない声が漏れそうで、それを無理やり留めている喉がひくついている。
バッツは其処にゆっくりと舌を押し当てながら、スコールの戦慄く喉を食んだ。

体が完全に熱に持って行かれているのを、スコールも自覚している。
こうなってしまっては、もう眠る事など出来ない。
スコールは熱に浮かされた頭で、これだけは言っておかないと、と唇を動かした。


「……痕、は……駄目、だ……」
「うん」


震える声で辛うじて紡いだスコールに、バッツは判ってる、と頷いた。
その傍から喉仏を食まれて、どうせ聞いちゃいない、と言う事も判っていた。





5月8日と言う事で。
がぶがぶバッツ。怒ってるけど、実際そんな本気で怒ってる気配のないスコール。
バッツにしてみれば我慢してるけどマーキング感覚もあるし、噛むとスコールが興奮するのも判ってるので、本気で嫌がられない内は結局何回でも噛むんだと思う。

お返事(4月30日)

たたんでおります。
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お返事(4月25日)

たたんでおります。
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[16/シドクラ]宥めるてのひら、その温度を



一人暮らしが長かった上に、ブラック企業で歯車と化していた訳だから、多少の無理を押すのが癖になっていた事は、仕方がないとしよう。
良くも悪くも、自分よりも他者を優先する、良く言えばお人好しな性格も手伝って、益々そうした行動が増えていた事も。
とは言え、明らかに体調不良で顔色も蒼いと言うのに、「平気だ」と繰り返すのには呆れた。

同居を始める以前から、そう言った部分は零れ見えていた。
毎日、未明から夜半と言える時間まで、会社で働き詰めであったようだし、寝に帰るだけの家でも、本当に寝ていたのかも怪しい。
目元に酷い隈を作って、とても健康とは言えない顔をしながら、ふらふらと仕事に出ては帰ってくる様子を、いつしか観察するようになった。
その末に、こいつは放っておいたら文字通り駄目になる、と我慢の限界になって、半ば強引に彼を前の職場から引き剥がし、同居まで至ったのである。

そうして一緒に暮らし始めると、益々彼────クライヴの歪な生活が見えるようになった。
此処までの環境の所為で、厭世的な思考になるのは仕方がないが、その癖、他者を見捨てられない人の好さがある。
両手を埋め尽くす仕事が常にないと不安になる、と言い出す位だったから、とにかくシドは、まずはその感覚からこの青年を脱出させなければならないと思った。
先ず限界いっぱいまで仕事は持つものではないこと、誰かを頼るのは決して迷惑ではないこと、睡眠は8時間きっちり摂ること────等々。
良い年をした、一人暮らしも長い男にあれこれと口を出すのはどうかと思わないでもなかったが、引き取った以上は真っ当な人間に戻してやらねばなるまいと、シドは性分もあって根気良く付き合った。
その甲斐あって、同居して一年が経つ頃には、クライヴも大分“普通の暮らし”と言うものが出来るようになっていた。

だが、十年近くも歪な環境にいた訳だから、それにより蓄積された膿は簡単には排出できないのだ。

二日前から少し食欲が落ちている様子はあった。
シドがそれを見逃す訳もなく、大丈夫か、と問えば、「大丈夫だ」と言う返事があった。
その時は確かに顔色もそれ程悪くはなかったし、端に腹が減っていないだけと言われれば其処までのものだったから、シドも注視はすれどもそれ以上のことはしていない。
それから昨日、やはり食欲は普段の半分程で、試しに夕飯をわざと少ない量で皿に盛ると、それを食べきるのもやっとと言う状態。
ついでに、自分が食べている食事が、常より少なかったことについて、彼が気付いているかは微妙な所だ。
皿の上は綺麗に片付いたが、彼の食欲や、恐らくは胃腸の方も不調であることは明らかで、しかし本人はそれを隠したがっている節もあり、さてどうやって切り崩そうかと思っていた。

結局、今朝になって明らかな発熱症状が出た事で、回りくどい事はやめにした訳だが。

食卓につけど、ぼんやりとテーブルの上の料理を見詰めるだけだったクライヴに、シドは体温計を渡した。
計らずとも症状がある事は明らかだったが、此処までの様子からして、クライヴ自身の自覚の有無に関わらず、自分が体調不良であることを認めはするまいと思ったのだ。
判り易く数字が出てくれる方が、妙な所で頑固で意地を張る男を説得するには楽だと踏んだ。

ピピピ、と電子音が鳴って、クライヴが脇に挟んでいた体温計を取る。


「何度だ?」
「……38.9度」
「立派な高熱だ。消化の良いもんだけ食って寝るのが一番だな」


一応の体として並べていた、クライヴの朝食のトーストとスクランブルエッグを取り上げる。
代わりに先んじて用意しておいた、細く切った林檎を置いた。

クライヴは、じっと体温計を見詰めた後、


「……まだ大丈夫だ。仕事も行かないと」
「39度で大丈夫なんて言う奴の台詞に信用性があるとは思わんね」
「解熱剤を飲んでおけば」
「薬ってのは症状を緩和させるだけだ。治す魔法じゃない」
「休んだら皆に迷惑がかかるだろう」
「そんな状態で出勤する奴の方が迷惑だ。移されても困る。お前の今日の仕事は、薬を飲んだら寝て休むことだ」


きっぱりと言い切ってやれば、クライヴは酷くやるせない表情を浮かべる。
まるで小さな子供が叱られたような横顔に、シドはこっそりと嘆息した。

林檎のみの朝食を終えたクライヴに、常備している薬を飲ませて、寝床へと押し込んだ。
これだけの高熱となれば、病院に連れて行くべきだが、生憎とまだ朝早い。
早くてもあと一時間は待たないと、病院に入る事も出来ないだろう。
一人で行かせられる状態でもないし、とシドは先ずは旧友に連絡し、今日の所はクライヴと共に休む旨を伝える事にした。


「────そういう訳だから、少なくとも午前中は出られんな。で、クライヴは今日一日休み」
『分かった。諸々調整と埋め合わせはこっちで片付けて良いな?』
「ああ、任せる」


旧友のオットーは、会社を立ち上げる以前からの長い付き合いだ。
彼に任せておけば心配はないと、シドは今日の代理を全面彼に預けることにした。

通話を切って、朝食の片付けを手早く済ませた後、病院に行くのに必要なものを確認していると、きしり、と蝶番の鳴る音が小さく聞こえた。
音のした方を見れば、寝室のドアが開いて、ぼうっとした表情の男が立っている。
熱に浮かされているのか、青の瞳は彷徨い気味で、何処か心許ない様子が感じられた。

ついさっき、ベッドに戻したばかりだと言うのに、早々に抜け出してくるとは。
呆れた表情を意識して隠しつつ、シドの方から声をかけてやる。


「どうした、クライヴ」


名前を呼ぶと、体格の良い肩がぴくりと震えたように見えた。
クライヴは、まるで悪いことを見付かった子供のような表情で、


「……あんた、仕事は……」
「休んだ。お前を病院に連れて行かなきゃならんしな」
「……それなら俺一人で行けるから、あんたは会社に」
「俺がいなくても会社はどうにでもなるさ。でも、今のお前はそうじゃないだろう」
「……そんな、ことは……」


クライヴは口籠った。
体温計が示した数字や、最低限しか口に出来なかった朝食など、クライヴとしても反論の余地がないことは分かっているようだ。
それならベッドからも抜け出さないで欲しいものだが、とシドは思いつつ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。


「お前、かかりつけの病院はあるか?」
「いや……此処数年は、あまり病院に行った事はなかったから」


クライヴの言うその言葉が、彼が健康優良児だったからではなく、疲弊する中でその選択肢が削られただけだと言う事は、シドにも分かった。
シドが漏れかける溜息を飲み込んで、「じゃあ俺の行き付けでいいな」と言った。
クライヴから示される場所と言うのもなさそうだったので、それで良しと思う事にする。

シドは所在なさげに佇むクライヴを、回れ右させて寝室へと押し戻した。
抜け殻の後だけが残っているベッドに座らせて、取り合えず水分を摂らせる為に、ミネラルウォーターを渡す。
クライヴは透明な水が入ったグラスを見詰めた後、そろりと唇を近付けて、ほんの少し、喉を潤した。
それきり、それ以上は飲む様子のないクライヴに、シドはグラスを取ってベッド横のサイドチェストに置いておく。


「何か必要なものはあるか?」
「……必要な…もの……」


尋ねるシドに、クライヴは反芻するものの、其処から先が出てこない。
熱も高いし、頭が回らないのも無理はないな、とシドが思っていると、


「……よく、分からないんだ。体調が悪い時に、どうしていたら良いかって言うのが」
「子供の時くらい、寝込んだ事があるんじゃないのか」
「……さあ、どうだったか。ジョシュアが寝込んでいるのは、よく面倒を見たこともあったけど」


ぼうとした表情で遠い記憶を辿るクライヴに、シドはひそかに眉を寄せた。

クライヴの昔の話については、本人から僅かに零れ聞く他、その弟であるジョシュアからも聞いている。
シドの会社で働いているジルからも、クライヴ達の幼馴染として、思い出話を聞いたこともあった。
それによれば、幼少の頃の兄弟は、体の弱い弟が度々体調を崩していた事で、兄がそれを甲斐甲斐しく面倒を見ていたと。
兄弟の仲の良さを示すエピソードとしては良いものだが、その反面、クライヴは自分自身が他者の手を煩わせる事のないように努めるのが当たり前になっていた節がある。
両親も───と言うよりは、母親の方らしいが───弟にかかりきりであり、仕事も忙しかった為、よくよく周りを見ていたクライヴは、そんな父母を困らせないようにしてきた。
その為、幼年の頃からクライヴは他人に対して甘える事も少なく、小さな怪我は隠したり、体調不良も人知れず我慢する癖がついたようだ。

幼年の頃から培われた、自分の無理を隠す癖に加えて、長い歯車生活のお陰で、益々自分をあやすことにクライヴは鈍くなった。
シドは、一緒に暮らすようになり、深い仲とも言える今になっても、やはりその歪みは簡単には戻らないものだと実感する。
平時はそれなりに落ち着いたとは言え、こうした綻びが見えると、やはり人とは簡単には変われないのだと思う。

ベッドの端に座ったクライヴは、薄いカーテンを引いた窓の向こうをぼんやりと見ている。
放っておけば、このまま何時間でも過ごしていそうな青年に、シドは癖のついた黒髪をかきあげて、ぐしゃぐしゃと撫ぜ回した。


「……シド?」


普段ならば振り払うものだったが、今日はそんな気力もないのか、クライヴの不思議そうな瞳がシドを見上げる。
シドは一頻り、自分の気が済むまでクライヴの頭を撫でてから、言った。


「病人ってのは、とにかくベッドで大人しくしているのが良い。発熱は体がウィルスに抵抗している証だが、やっぱり体力を奪うからな。とにかく寝て休んで、出来るだけエネルギーの消耗を抑える事だ」
「……ああ」
「と言う訳で、まずは横になれ。熱を逃がさないように布団も被れ」
「……ん」


シドの言葉に、クライヴは大人しく従う。
抜け出したばかりのベッドに改めて横になり、布団を肩まで引き上げた。

横になると手持無沙汰なのか、この状態に慣れていない事への不安か、青い瞳が落ち着きなく彷徨う。
そんなクライヴの頬に、シドが手の甲を当ててみると、赤らんだ頬は案の定熱かった。
そのまま掌で頬を撫でてみれば、彷徨っていた瞳がシドを見上げる。


「……シド。あんた、本当に休むのか」
「ああ」
「……悪い。俺の所為で……」


気まずさに瞼を伏せるクライヴに、シドは彼の高い鼻をつまむ。
んむ、と間の抜けた声が漏れて、シドはくつりと笑った。


「最近、真面目に働き過ぎたからな。丁度良い休憩さ」
「……」
「お前の看病は、そのついでだ」


無論、それは方便の言葉だったが、今のクライヴにはそれ位の方が気が休まるだろう。
それが通用したかは判らないが、クライヴが微かにほうっと息を吐くのが聞こえた。

薬の副作用か、クライヴの躰からは段々と力が抜けて、瞼が重くなっていく。
高く昇って行く太陽の日差しが窓から差し込み、眩しいだろうとその目元をシドの手が隠すと、程なく、緩やかな寝息が零れ始める。
シドは音を立てないように一度立って、厚みのあるカーテンを半分閉めた。
それでクライヴの枕元に届く光は途切れ、当面、彼の睡眠を妨げることもないだろう。



ふと時計を見ると、直に病院が開く時間が近付いていたが、ようやく寝付いた子供を起こすのは気が引ける。
もうしばらくは、ゆっくり寝かせてやろうと、シドは眠るクライヴの頭を柔く撫でてやった。





ブラックな環境から脱出して、ようやく落ち着いて来た位のところ。
クライヴはジョシュアがいたので、子供の頃からそれなりに看病し慣れている所はありつつも、反面、自分が看病されることには慣れてなさそう。原作でも現パロでも。
28歳だと色んな感覚が麻痺している状態だから、無理を無理と思わずゴリ押ししそう。そして周りに心配させたことを怒られてほしい。33歳だともうちょっと落ち着く(でもゴリ押しはするんだと思う)。
そう言うクライヴにあーあーあーって思いながら放っておけずに世話を焼くシドが好き。

[16/バルクラ]ブラインド・マーキング



仕事をしていれば色々な所に出向くもので、其処には様々な匂いが存在しているものだ。
工業製品を扱っている工場に行けば、鉄の匂い、それが溶ける炉の匂い、製糸工場に行けばそれを染める薬品の匂い、食品加工工場に行けば、当然食べ物の匂い。
人と人が集まる場所においてもそれは同様で、生鮮食料品店に行けば野菜や生魚や出来立ての総菜の匂いがするし、スポーツジムにでも行けば、運動する人々の汗や体臭を感じるだろう。
洗濯に使われる洗剤だって、無香料を謡ってはいるが、それにも少なからず匂いと言うものは存在するのだ。
それは洗剤内に使われている薬品や、それの化学反応が作る匂いで、人の快不快に判ずるほど強いものではないので、指標にされる必要がない、と言う程度。
だから体質として、どうしても薬品類にアレルギーが出てしまう人間は、僅かでもそれが感じられると忌避反応を起こしてしまう。
世の中に、本当の意味で無臭と言うのは、まず滅多に存在しないと言って良いだろう。

匂いと一言で言っても、その中身は何万何億と言う種類がある。
人間は動物に比べると鈍い質ではあるが、それでも訓練次第で、その匂いを一つ一つ別のものと判別する事も出来る。
匂いは生き物にとって危険を察知する為の一つの指標であるから、その機能は決して馬鹿にして良いものではない。
野生動物は今もそれを頼りに身を守る術とし、特に目の見えない暗黒で生きる種にとっては、何よりも活かさなくてはならない感覚器官なのだ。

さて、人間は生物の中で匂いに鈍感なものだが、存外と繊細な匂いの差異を気付く事も出来る。
例えばコーヒー豆の違いであるとか、カレールーに使われたスパイスの種類であるとか、煙草のフレーバーの違いであるとか────日常に溶け込むそれらを、人間はきちんと振り分けられるのだ。
嗅ぎ慣れない匂いがするものであれば、それは「知らないもの」として日常的に触れているものとは別物だと判じる。
それは、毎日触れているものである程、敏感に感じる取る事が出来るだろう。

電車に乗っていつものように恋人の自宅へと向かう途中のことだ。
帰宅ラッシュの時間から少し外れて乗った車両の中は、椅子こそ埋まってはいたものの、通路はすいすいと歩ける程度に空いていた。
どうせそれ程間もなく降りるのだからと、吊革に捕まって立っていたクライヴだったが、その後ろから、突然甘い匂いが襲い掛かった。
人工的に強いそれが、香水の類だと悟るのには時間はかからず、ちょっと強いな、と思いはしたものの、気分を害すようなものでもない。
深くは気にせず目的駅への到着を待っていたら、電車が大きく揺れて急停止した。
踏切を越えて自殺をしようとした人間がいたらしく、幸いにも電車の急ブレーキは間に合ったが、お陰で電車の運行は大きく後れることとなる。
巻き込まれた人間は溜息を吐いて待つ他なく、結局、小一時間ほど車内に閉じ込められていた。

予定は狂ってしまったが、最中に恋人に連絡をしたので、あちらは止むを得ないと受け取ってくれた。
それから電車がようやく動き出し、やっと恋人の家に着くと、いつもの渋面に迎えられる。


「悪いな、電車が遅れて……」
「既に聞いた。ニュースにもなっている」


詫びるクライヴに、端的に答えるバルナバスは、到着の遅れを特に気にしてはいないらしい。
拗ねると後を引くんだよなと、そうはならなかったことに安堵しつつ、クライヴは靴を脱いだ。

到着したら先ずはやる事をやらねばと、クライヴは早速キッチンに入る。
二日前に詰め込んだ冷蔵庫の中身を確認すると、予想の通り、作り置きに使ったタッパーのみが消え、食材諸々はそのまま綺麗に残っていた。

電車に閉じ込められている間、時間を持て余すのも勿体ないと、考えておいたレシピに必要な材料を取り出す。
バルバナスはと言うと、対面式キッチンの向こうで、パソコンを開いてじっと液晶画面を睨んでいた。
普段と変わりないその横顔を見ながら、どうせ昼も碌に食っていないのだろうと、まともな食生活意識のない恋人のパターンを思い描きつつ、まずは栄養値の高いものを食わせようと決める。
野菜をヘタや芯まで無駄なく使い、タンパク質の豊富な鶏肉をメインにして、味付けについては簡素に。
何を食べるにしても大して表情が変わる所は見ないのだが、油ものと味の濃いものはあまり得意ではないらしい事は、色々と食べさせている内に分かったことだ。
薄味が良いのは健康を思えば良いことで、とは言え飽きないように───そもそも食に飽きると言う程、彼に執着もないのだが───工夫しながら調理をしていく。

鍋の中でスープをくつくつと似ていると、かたり、と音がした。
見ればバルナバスが席を立っている。
仕事をしていると、数時間でも微動だにせず座っている彼にしては珍しいことだったが、クライヴは特に気にはしなかった。
息抜きか気分転換か、偶にはそんな事もあるらしいと言う事は、極稀に見ることがあるので知っている。
そう言うものだとう、と思ったのだ。

───が、流石に後ろから伸びて来た腕が腹に巻き付いたのには驚いた。


「っバルナバス、」


他に誰がいる訳でもないこの場所で、そんな触れ方をしてくる人間は一人しかいない。
思いもよらなかった密着感が背中にやってきて、クライヴは一瞬動揺した。
背中に重なった男はと言うと、クライヴのそんな様子は気にも留めず、黒髪の隙間から覗く項に唇を押し付けている。


「おい、危ない」
「……」
「聞いてるのか、こら」


調理中に悪戯は怪我の下にしかならないのだから、勘弁してほしい。
図に乗せてはいけない、とクライヴは肘で背中の男の腹を押す。
しかしバルナバスと言う男は、そんな叱る声を気にもせず、ぬるりと生温い舌を項に当てて来た。


「ん……っ」
「……クライヴ」


低く耳に心地の良い声で名前を呼ばれると、否応なくスイッチが入りそうになる。
が、クライヴはぐっと歯を噛んで堪えると、腕を使って振り向きながら、密着する男を押し剥がした。


「料理中だ。危ないだろう」
「後にすれば良い」
「それこそそっちが後にしろ」


聞き分けのない子供を相手にしている気分で、クライヴはじろりと男を睨む。
と、男の方もクライヴに負けず劣らず、渋い表情で睨むように此方を見ていた。
どうも機嫌を損ねているらしいバルナバスに、クライヴは溜息を交えて、


「……一体なんだ。何か用でもあるのか?」
「………」


大概、この男はマイペースで此方の都合を考えない所があるが、幾つかのルールは順守してくれている。
調理中に邪魔をするのも、基本的にはしない事だ。
じゃれあいにしても程度は加減しており、精々甘えてくる所までだったのに、今日は明らかにその先を匂わせている。
ルール違反は明らかなので、仕方なしに理由を問うてみれば、バルナバスはまたも不満げに眉間の皺を深くした。

じっと睨む碧眼に、言葉が少ない男である事は重々承知しているクライヴだったが、やはり言うものは言ってくれないと分からない。
此方から切り崩しにいった方が早いかと思案していると、思っていたよりも早く、バルナバスの方が口火を切った。


「……貴様、何処をうろついて来た」
「何処って───別に、いつも通りに来たつもりだが」


最寄り駅から此処に来るまで、クライヴは特に寄り道した覚えはない。
まさか到着が遅れた事を指しているのかと思ったが、電車の遅れは先に伝えてあったし、事の次第はニュースにもなっていたとバルナバスが言っていた。
妙な疑いをかけられるような覚えはない、とクライヴが眉根を寄せていると、バルナバスは深々と溜息を吐く。


「気付いていないのか。自分自身の事だろう」
「意味が分からない。ちゃんと説明してくれ」


やはりこの男は言葉が足りない。
出会って何十回目になるか、そんな事を改めて実感しながら、クライヴはかみ砕いた説明を要望した。

バルナバスは、この男にしては珍しく呆れた表情を浮かべ、


「妙な匂いがしている。何処でつけてきた?」
「匂い?」


見るからに不快と言わんばかりに、眉間どころか鼻先まで皺を寄せそうなバルナバスに、そうも強い匂いがついているのかとクライヴは首を傾げる。
汗臭いのか、でも今日は汗を掻くほど暑くはなかったし、来るのは遅れたが走った訳でもないし、と腕の匂いを嗅いでみるが、特に感じるものはない。

バルナバスの言う“妙な匂い”を探してみるクライヴだったが、腕も襟も、シャツの胸元も確認してみるが、それらしいものは判らなかった。
そんなクライヴに、バルナバスは「鈍い奴め」と忌々しくも聞こえそうな声色で呟いて、


「背中だ。酷い匂いがする」
「其処まで言うか……でも、背中なんて別に────」


思い当たる節もない、と言いかけて、ふとクライヴは思い出す。
事故未遂で緊急停止した電車の中で、偶々後ろに立っていた乗客が、強い香水の匂いを振りまいていたことを。
その人物は、電車が急ブレーキをした際に、バランスを崩してクライヴの背中にぶつかっていた。
無論意図した事ではないし、ぶつかった本人からも詫びを貰ったし、突然のことだったのだからクライヴも気に留めていない。
だが、おそらくその時、擦れあった服に香水の匂いが移ってしまったのだろう。
それから小一時間は一緒にいたから、距離の近さも相まって、匂いが残ったのかも知れない。


「……電車の中で、近くに香水をつけていた人がいた。それだけだ」
「匂いがそうも移る程に密着していたとでも?」
「密着なんてしていないが……ぶつかったのはある。その後は閉じ込められていたからな。その所為だろう」


クライヴの言葉に、バルナバスはじっと睨むばかり。
心なしかその唇が尖っているようにも見えるが、そんな顔をされてもな、とクライヴは思う。
匂いの下となったであろう人とは、ぶつかった詫びと合わせて、お互いの不運に一言二言交わした覚えはあるが、その程度のことだ。
電車が動き出してからは背中合わせで立っていて、降りたのはクライヴが先で、その後の事は知らない。
その程度でしかないのに、疑うような顔をされても、弁明も説明もこれ以上するものはなかった。

クライヴは、それまでなんともなかった背中が、急にむず痒くなるのを感じた。
バルナバスの舌が触れた項も、心なしか擽る後ろ髪がくすぐったく思う位には、薄らとした熱が宿っている。


(これは、要するに……あれなんだろうな。縄張り意識と言うか)


この家の中は、バルナバスの為に誂えられたものしかない。
寝室、リビング、ダイニングに置かれた調度品は勿論、クライヴが来るまで碌に使われた形跡もなかったキッチンでさえ、バルナバスの為のもの。
クライヴが来るようになるまでは、主であるバルナバスの他は、秘書のスレイプニルくらいしか入った事がないのだ。
旧知だと言うシドでさえ、顔を合わせるのは専ら外で、十数年の付き合いで此処に入ったのは片手で数えて足りると言う。
そうまで徹底されていれば、此処に他人の匂いや気配が微塵のほどに感じられないのも無理はない。

其処にクライヴは他人の匂いをつけてやって来た訳だ。
クライヴ自身は特別に此処に来ることを許容されているが、かと言って、それ以上のものをまとわせて来ることを許可した覚えはあるまい。
“酷い匂い”とも言っていたし、種類問わずに香水の類を嫌う人間もいるものだから、バルナバスにとって余計に不快であったとすれば、意図していないとは言え、悪いことをした。


「悪かったな。飯を作ったら風呂を借りるよ」
「……」
「ついでに着替えも借りる。匂いはそれで少しはマシになるだろう」


これ以上の地雷を避けるなら、それが無難だろうとクライヴは思った。

取り合えずは、夕飯の支度だけは先に済ませておかなくては。
メインの下拵えが済んで、オーブンに入れたら、その間にシャワーを浴びよう────と思っていたクライヴだったが、その腰に太い腕がしっかと回る。


「バル、」


拘束される感覚に、まだ何か怒っているのかと名前を呼ぼうとして、塞がれた。
瞬きをすれば睫毛が擦れあうほどに近い距離で、碧眼が薄暗く熱の籠った色を灯している。
無防備にしていた唇の隙間から、ぬるりとしたものが侵入してきて、クライヴのそれを絡め取った。

耳の奥で唾液の交じり合う音がする。
それはしばらく続いた後、クライヴの呼吸も飲み込んで、ようやく離れて行った。


「っは……なんだ、急に」


足りなくなった酸素を取り込みながらクライヴが抗議すれば、腰を捕まえる腕が益々力を籠める。
離すものかと言わんばかりのその力に、これはもうこっちの話は聞かないな、と悟った。

後ろ手でコンロのスイッチを探り、火を消す。
近い距離にある緑の瞳が、ようやくほんの僅かに機嫌を直して、眉根の皺が緩んだ。
背中を滑る手が、其処にある目に見えないものを拭い取ろうとしているかのようで、少し擽ったかった。





これは多分匂いでマーキングしてた王。

ボディソープだったりシャンプーだったり、部屋のアロマとかだったり(用意したのは全部スレイプニル)を共有してる状態になっているので、知らず知らずにバルナバスと同じ匂いがするようになってたクライヴ。
なのにクライヴが自分のじゃない匂いをつけて来たので、ちょっとお怒りしたらしい。と言う話。

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