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2014年03月
自分達の授業が終わると、いつも真っ先に姉の教室の前に来ていた筈の弟達が、何処にもいない。
可笑しいな、と思いつつ、エルオーネは一先ず弟達の教室へと向かった。
しかし、其処にいた弟達のクラスメイトは、彼等は既に帰った───教室を出て行った───と言う。
なんでも、授業終りのホームルームが終わるなり、一目散に帰って行ったとの事だが、これにエルオーネは益々可笑しいな、と思った。
エルオーネは、初等部の教室群を彼等のクラスに近い所から順に覗いて、弟達の姿を探す。
グラウンドや中庭で遊んでいるのかも知れない、と思って足を運んでみたが、それらしい影は見当たらなかった。
携帯電話を持たせて置けば良かったかな、と思いつつ、目撃証言を探してみると、何人かの生徒が、初等部の子供二人が揃ってエレベーターで上階に上って行ったのを見たと言う。
教室のあるフロアから更に上となると、あるのは教員室と学園長室だけだ。
ママ先生の所かも、と思い至って、エルオーネも学園長室へと向かうと、エレベーターを降りた所で、二人の子供が学園長室の前に立っていた。
イデア・クレイマーが手を振り、それに手を振り返している二人を見て、ほっと安堵の息を吐く。
心配した事を叱る事はしなかったが、二人の口の端には、チョコレートの食べカスがついていて、これだけはずるいなぁ、と丸い頬を軽く引っ張ってやった。
それが、今日の夕方の事。
「大変だったな」
放課後のアルバイトを終え、帰宅して遅い夕食を食べていたレオンは、愚痴混じりに話す妹に、眉尻を下げてそう言った。
エルオーネは本当だよ、と呟いて、両頬杖を突いて顔を剥れさせる。
「何処に行ったんだろうって心配してたのに、ママ先生の所でチョコレートケーキ食べてたんだって。私も食べたかったのに」
イデアが作るチョコレートケーキは、絶品物である。
子供が好む甘いチョコレートケーキなのだが、チョコクリームはふんわりと柔らかく、所々に細かく砕いたチョコチップが混ぜ込んである。
スポンジ生地はコーヒーを混ぜてあるので、ほんのり苦味が感じられるが、生クリームが甘く作られているので丁度良い。
頭には季節ごとの美味しいフルーツが乗っていて、今日は苺が乗っていたとの事。
今日スコールとティーダが食べたのはカットされたケーキだったが、孤児院にいた頃はその月々の誕生日ケーキも兼ねられていたので、ホワイトチョコのメッセージプレートが添えられている事もあった。
甘くて美味しい、でもほんの少し大人の香りもする、イデアが作ったチョコレートケーキ。
スコール達だけでずるい、と呟くエルオーネに、レオンはくつくつと笑う。
「食いしん坊だな、エルは」
「……そんなのじゃないもん。ただスコール達ばっかりずるいって思ってるだけ」
唇を尖らせるエルオーネに、レオンは益々笑う。
意地っ張りな妹の様子がツボに嵌ったのか、声を張り上げて笑う程ではないが、彼は長い間笑っていた。
余りにも兄がいつまでも笑うので、エルオーネは益々むっつりとした顔になって、今日の夕飯のメインだった厚手のハムステーキが乗ったプレート皿を取り上げた。
「おい、エル」
「レオンが笑うのが悪いの」
「悪かった。返してくれ、結構腹が減ってるんだ」
降参宣言をするレオンに、エルオーネは取り上げた皿を元の位置に戻す。
が、レオンはそれに手を付ける前に、テーブルを立った。
「忘れる訳に行かないから、今の内に渡して置こう。ママ先生から預かってるものがあるんだ」
「ママ先生から?」
キッチンに向かうレオンを、エルオーネは目で追った。
何だろう、と首を傾げている間に、レオンは小さな持ち手付きの箱を持ち出してくる。
それは、夕飯の前にエルオーネが冷蔵庫を開けた時から入っていたものだった。
妹弟から送れて帰って来たレオンが手にしていたものだったので、レオンのものなら断りなく触るまいとしていたものだ。
レオンは箱をテーブルに乗せて、可愛らしい猫のシールの貼られていた封を切る。
開けられた箱をエルオーネが覗き込んでみると、チョコレートのショートケーキが二つ並んでいた。
「レオン、これ、」
「ああ。ママ先生の作ったケーキだよ」
レオンの言葉に、エルオーネの目がきらきらと輝いた。
そんな妹の様子に、やっぱりまだまだ子供だし、女の子なんだな、とレオンはこっそり笑みを零す。
「スコールとティーダは、ママ先生の所で食べたから、これは俺とエルの分だそうだ」
「本当?いいの?」
「ママ先生本人から、そう言って渡されたんだ。バイトの前はスコールとティーダもいたから、見せられなかったけど。二人が見たら、きっと羨ましがるだろ?」
先に食べていたから我慢しなさい、と言えば二人は大人しくなるだろうが、必死で我慢している円らな瞳の熱視線と言うのは、意外と応えるものがある。
だから、アルバイトが終わって、弟達が寝付いた後に見せようと思っていたのだ。
早速食べようと、エルオーネは皿とフォークを用意する為、席を立つ。
「レオンも食べる?」
「夕飯を食べた後にするよ」
「じゃあ、これは冷蔵庫に仕舞っておくね」
常温にしておくと、折角のイデアのケーキの美味しさが損なわれてしまう。
頼むよ、と言ったレオンに頷いて、エルオーネはケーキボックスを揺らさないように両手で持って、キッチンへと運んだ。
それにしても、どうして急にママ先生はケーキを作ってくれたのだろう。
食器棚からケーキプレートとフォークを取り出しながら、エルオーネhあ首を傾げた。
週末にイデアが兄妹の下を訪れ、持参した手作りクッキーを食べながらティータイムを楽しむ事はあるが、放課後のガーデンの学園長室でケーキが振る舞われるのは珍しい。
そんな事を考えつつ、ケーキと並べる紅茶をどれにしよう、と茶葉の並んだキッチンボードを眺めていると、
「どうした、スコール、ティーダ。もう寝たんじゃなかったのか?」
「んぅ……」
「まだ眠くないー」
「スコールは寝そうだけどな」
くすくすと笑う兄と、眠くないもん、と言う、文字通り眠気の無い声と、言葉に反して何処かぼやけている声を聞きつつ、エルオーネはリビングに顔を出す。
其処には、二階に繋がる階段の前で、目を擦っているスコールと、ぱっちりと目を開けているティーダがいた。
エルオーネは手に持っていた紅茶の缶をキッチンに置いて、キッチンから出る。
「どうしたの、二人とも。夜更かしは駄目だよ」
「うん。後でちゃんと寝る」
「でも、寝る前に、わたすもの……」
スコールはこしこしと目を擦りながら、右手に持っていた物をレオンとエルオーネに見せる。
ティーダも背中に隠していた物を差し出し、二人の前に掲げた。
弟達が持っていたのは、白と水色の水玉模様があしらわれ、口を扇の形で絞ってモールで閉じた、ラッピング袋だった。
模様の所以外は透明なので、きらきらとしたものが入っているのが見える。
光っているのは、赤や青や緑色のアルミカップで、所々に何かが零れたまま固まっているのが判った。
これは一体───とぽかんと呆ける兄と姉を見て、ティーダがにーっと笑う。
ティーダは、隣で目を擦っているスコールの脇腹を、つんつんと肘で小突いた。
ほら、早く、とティーダが小声で急かすのを聞いて、スコールはうん、と頷き、目を擦っていた手を下ろし、
「んっと……お兄ちゃん、お姉ちゃん、バレンタインデーのチョコレート、おいしかったです」
「今日は、ホワイトデーで、バレンタインデーのお返しをする、日だから、チョコレートを作りました!」
「いつも、おいしいお菓子、ありがとうございます」
「僕たちからの、お礼です!」
「「受け取って下さい!」」
きっと何度も練習したのだろう。
一言一句を間違えないように、思い出しながらゆっくりと、最後には声を揃えて二人は言った。
両手できちんと持ったチョコレートを、それぞれスコールはレオンに、ティーダはエルオーネに差し出しながら。
レオンとエルオーネは、少しの間、ぽかんとした表情で弟達を見詰めていた。
ホワイトデー────そう言えばそんな日もあった、とエルオーネはぼんやりと考え、それでママ先生がチョコレートケーキを作ったのか、と合点する。
スコールとティーダは、そんな兄と姉を、緊張と期待の入り交じった表情で見詰めていた。
エルオーネがレオンを見ると、レオンもエルオーネを見ていた。
段々と今の状況への理解が追い付いて、二人は顔を見合わせたまま、どちらともなく小さく噴き出す。
くすくすと漏れる笑い声に、今度は弟達がきょとんとした顔で首を傾げる。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
「エル姉もなんで笑ってるの?」
「ふふ。なんでもない、なんでもないよ」
「ほんと?」
「ちょっとびっくりしただけだよ。ね、レオン」
エルオーネが同意を求めれば、弟達の視線が揃ってレオンへと向けられる。
レオンは笑う声を引っ込めて、席を立って弟達の下へ向かった。
「うん、そうだな。確かに驚いた。お前達が、こんなに美味しそうなチョコを作れたなんて、知らなかったからな」
くしゃくしゃと頭を撫でながら言う兄に、スコールとティーダは顔を見合わせ、嬉しそうに頬を赤らめた。
エルオーネも、二人の頭をぽんぽんと撫でて、ティーダが持っているチョコレートに目を向ける。
「本当に美味しそうなチョコだね」
「お前達だけで作ったのか?」
「ううん。ママ先生に教えて貰ったよ」
「チョコ溶かすの、オレとスコールでやったんだよ」
こうやって、ああやって、と自分達の手で作ったチョコレートの工程を離して聞かせる弟達に、レオンとエルオーネは相槌を打ちながら聞いていた。
話をしながら、スコールはレオンに、ティーダはエルオーネにチョコレートの入った袋を差し出す。
二人が袋を受け取ると、弟達は目的が見事に達成された事が嬉しいのか、くすぐったそうに笑って手を繋ぎ、その手をぶんぶんと振って見せる。
レオンはそんな二人の頭をもう一度撫でて、
「お返し、ありがとうな、二人とも」
「うん」
「美味しく食べさせて貰うね。ありがとう」
「うん!」
「さ、二人はもう寝なさい。もう11時だよ」
「はーい。おやすみなさーい」
「おやすみなさい、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
「おやすみ、スコール、ティーダ」
兄と姉に揃って促され、スコールとティーダはほくほくとした笑顔で、二階へ向かう
きゃっきゃと可愛い声を上げながら階段を上って行く二人に、危なっかしいな、と思いつつ、兄姉の口元は笑みに緩んでいる。
二階の寝室のドアが閉まる音が聞こえた。
再び兄妹で二人きりになったリビングは、打って変わって静寂に包まれる。
その静寂に些かの寂しさを感じつつ、レオンとエルオーネは窓辺のテーブルに着いた。
「ママ先生のチョコケーキは、明日までお預けかな」
「そうだな。ああ、ママ先生に今日のお返ししないと……」
「今度、ママ先生が家に来る時に用意しよっか」
「それか、来年のバレンタインデーだな。と言うか、今までママ先生には何も渡してなかったな。盲点だった」
「そう言えばそうだよね。ママ先生へのお返しかぁ、何が良いかなあ」
うーん、と唸りつつ、エルオーネがラッピングの封を解いて、中に入っているチョコレートを一つ取り出す。
チョコカップの縁を捲って、チョコレートからカップを外すと、一口サイズのそれを口の中に入れる。
ころん、と口の中で転がしたそれが、ゆっくりと溶けて、エルオーネの口の中は甘い味で一杯になった。
「どうだ?」
「……ふふっ」
忘れかけていた夕飯の手を再開させて訊ねる兄に、エルオーネは笑って見せる。
そんな妹を見て、楽しみだな、とレオンは言った。
チビ達が頑張りました。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも喜んでます。良かったね。
3月8日なのでオニオンナイト×スコール!
総勢10名の秩序の戦士の中で、料理が出来るのは約半分。
色々な意味で万能なバッツと、素朴ながらもボリュームのある料理が作れるフリオニール、基本に習った料理を作れるルーネス、簡単なものからレシピと材料さえ調達出来れば幅広く作れるスコール、酒の当てを中心に大衆向けのメニューを網羅しているジタンと言った具合だ。
後の面々は、戦闘以外は日常生活からして何処か抜けた感が拭えないウォーリア・オブ・ライトを筆頭に、料理の基礎は勿論、材料の種類の区別がつかない者が殆どである。
セシルとティーダはある程度出来るのだが、セシルは味付けの基本が何処かズレて(かなりオブラートに包んだ言い方である)おり、ティーダはかなり極端な味付けになり、健康に著しく害を及ぼしそうなので、もしも彼が料理当番になる時は、二人係りで補佐(と言う名の制御)を行う必要がある。
そんな訳で、秩序のメンバーの料理当番は、かなりコンスタンスに順番が回ってくる。
一人で十人分を作るのは相当な重労働となる為、必ず二人以上が当番になるとなれば、尚更順番の回転は早い。
昨日の食事当番は、秩序の聖域で待機番となったルーネスとフリオニールだった。
今日からはルーネスとスコールと言う組み合わせになり、ルーネスは今日の夕飯を作って、ようやく食事当番から解放される。
一週間もしない内にまた順番が回って来るのだが、こればかりは料理を任せられるメンバーが増えない限りは仕方のない事だ。
最近、ウォーリアの発案で、料理の出来ないメンバーにも料理のいろはを教える機会を設けるようにしているが、その成果が無事に功を奏すかどうかは、怪しい所であった。
一先ず、セシルには大多数の意見の味を反映して貰うように説得し、ティーダは"一つまみ"を"一握り"にする癖を直すようにスコールに教わっているようなので、今の所望みがあるのはこの二人だろう。
他の面々───ウォーリア、ティナ、クラウド───に関しては、今は触れるまい。
ルーネスとスコールが預かっているキッチンは、静かなものであった。
話しをしたのは食事の献立を決める時と、レシピの確認をした時だけで、後はそれぞれ分担し、黙々と自分の仕事に従事している。
スコールは元々喋る人間ではないし、ルーネスも話しかけられれば応えるが、必要ではないのなら喋らなくても良いだろうと思うので、二人の間には最低限の会話しかない。
聞こえるのは、トントントン、じゅうじゅうじゅう、ぐつぐつぐつ、と言った料理が出来上がっていく過程の効果音のみ。
(フリオニールとは、色々話をしながら作るけど)
刻んだ野菜をフライパンに入れて、コンロに火をつける。
ボッ、と簡単に火が付くのを初めて見た時は驚いたものだったが、今ではすっかり慣れたものだ。
じゅうじゅうと野菜を炒め、焦げ付かないように菜箸を入れながら、ルーネスは隣で鍋を掻き混ぜているスコールをちらりと見遣る。
(スコールは本当に喋らないから、作業が早くて良いな)
スコールと料理をする度に感心に思うのは、彼の手際と効率の良さだ。
何せ10人分を賄う料理を作るのだから、効率と言うものは大事である。
フリオニールも慣れた手付きで料理をするので、決して効率が悪い訳ではないが、話をする分、多少作業が遅くなるのは儘ある。
賑やかし事好きのジタンとバッツもよく喋り、おまけに遊びながら(楽しんでいるだけだと彼等は言うが)料理を作るものだから、見ていて危なっかしいと思うような場面も少なくない。
そんな面々に比べると、黙々と作業に従事するスコールの姿は、ルーネスにはとても好感が持てるものであった。
作業は完全に分担制で、お互いに邪魔をする事もないので、調理作業はいつも早く終わらせる事が出来る。
今日も二人の手は着々と終わりに近付いており、近々帰ってくる予定の仲間達を待たせる事なく、食事を提供する事が出来そうだった。
よく火が通り、しんなりとしたキャベツの入った野菜炒めを皿に盛る。
その隣で、スコールがスープの入った鍋を掻き混ぜる手を止め、小皿を手に取った。
ルーネスはスコールの邪魔にならないように移動して、冷蔵庫に入れていた食後のゼリーが固まっている事を確認しに行き、ぱか、と冷蔵庫の蓋を開けた時、
「……っつ……!」
押し殺したような声が聞こえて、かしゃんと何かが落ちる音がした。
ルーネスが振り返ると、スコールが口元を押さえて立っており、足下にステンレス製のおたまが転がっている。
微かに赤らんだ顔で、眉根を寄せているスコールを見て、ルーネスは直ぐに察した。
スープの味見をしようとして、冷まし方が足りなかったのだろう、熱い液体を口に含んで舌が痛んでいるに違いない。
「スコール、大丈夫?」
「……ああ」
問うルーネスに、スコールは顔を逸らして頷いた。
すまない、と言って、足下に落としていたお玉を拾って、シンクの蛇口を捻り、水洗いする。
ルーネスはよく固まったゼリーの入ったキッチンバットを取り出しながら、何気なくスコールの様子を見ていた。
お玉を綺麗に洗ったスコールは、床拭き用の布巾で、スープが零れた床を拭いている。
その口元は真一文字に引き絞られており、スコールは時折、その口元を気にするように指を当てていた。
布巾を洗い絞って布巾干しに戻して、スコールは改めてお玉を手に取った。
もう一度味見をしようと小皿にスープを掬い移し、今度はきちんと冷ましてから、皿を傾ける。
「………」
スコールが無言で眉根を潜め、今一度味見をする様子を、ルーネスはまだ見ていた。
「…………」
スコールの整った眉が、更に潜められる。
眉間に深い皺が刻まれるのを見て、ルーネスは手に持ったままだったゼリーをテーブルに置いて、スコールに声をかける。
「スコール。ひょっとして、舌を火傷したの?」
「……多分」
「大丈夫?」
「少しヒリついているだけだ。時間が経てば治る」
心配されるほどの事ではないと言って、スコールはルーネスに小皿を差し出した。
其処にはスープが少量入っていて、どうやら代わりに味見をしてくれとの事らしい。
何事も慎重なスコールが、珍しい事もあるものだ────そんな事を思いつつ、ルーネスは小皿を受け取った。
スコールのように火傷をしてしまわないように、念入りにスープの熱を覚まして、口に運ぶ。
少し薄味に思えたが、昨日はフリオニールがティーダとクラウドの要望に応え、肉系の濃いスープを作っていたので、今日はこの位で良いだろう(ティーダは不満かも知れないが)。
「うん、大丈夫。美味しいよ」
「少し薄くないか」
「これ位の方が僕は好き」
「……なら、これで良いな」
薄味が好きなのは、スコールも同じだ。
ルーネスが好きと言うなら良いだろう、とスコールは言って、返された皿を流し台に置く。
ルーネスがゼリーを切り分け、一人分ずつに皿に移し、また冷蔵庫に入れて、食事の用意は完了した。
片付けは二人並んで、ルーネスが水洗いをし、スコールが水気を拭いて所定の位置に戻して行く。
その間に、スコールは何度も自分の口元に手を当てていた。
「そんなに痛いの?」
ルーネスが訊ねると、スコールは口の中を気にしながら答えた。
「痛いと言う程じゃないが、少し麻痺しているような感じはする」
「それ、結構重症なんじゃない?」
「………」
「ちょっと見せてよ。具合、確認してみるから」
ルーネスの言葉に、スコールは僅かに眉根を寄せたが、口の中の違和感の方が勝ったらしく、手にしていた計量カップを棚に戻した後、ルーネスに向き直った。
身長差の所為で見えないだろうと、背を屈めるスコールの仕草に些かの悔しさを覚えつつ、ルーネスは開けられたスコールの口の中を覗く。
スコールの口の中は綺麗なもので、予想していたような、爛れや気泡のようなものは見当たらなかったので、ルーネスはほっと安堵の息を吐く。
「火傷って程じゃないのかな。それっぽいものは見当たらないよ」
「そうか」
「でも、気になるのなら、氷とかで冷やしてみる?」
「…そうする」
火傷にならない程だとしても、熱で舌の表面が炎症を起こしているのは確かだろう。
手っ取り早く冷やせば収まるかも知れない、とスコールは冷凍庫から氷を一つ摘まんで、口の中に入れる。
スコールは氷を口に含んだまま、残りの調理器具を拭いて、片付けを終了させた。
出来上がった料理をリビングの食卓用テーブルに運んで、食事の準備は出来た。
ルーネスが窓の外を覗くと、何処かで合流したのだろうか、バラバラに出発した筈の仲間達が揃って戻って来ている。
良いタイミング、と思いながら、彼等が入って来るまでの束の間の休憩に浸ろうと、リビングのソファへと向かったルーネスは、一足先に其処で休んでいたスコールが、また口元に指を当てているのを見て、
「氷、もう溶けた?」
「ああ」
「まだ痛む?」
「少し。さっきよりは引いた」
そう言いながら、スコールの形の良い指が、薄淡色をした唇をなぞる。
痛みが気になる所為か、薄く唇を開いて、視線を定まらせずにいる横顔は、何処か無防備で憂いを孕んでいるように見える。
「……そんなに気になるなら、ケアルで治しちゃう?」
「この程度の事で魔力を使うのは感心しない」
「僕もそうは思うけど。でも、僕は昨日も今日も待機だったから、魔力は有り余ってるし。ちょっと位、贅沢したって平気だよ」
スコールの言葉にはルーネスも同意見だが、この二日間、ルーネスは全く力を使っていない。
有り余っている、と言うのは語弊がありそうだが、エネルギーを持て余し気味なのは確かだ。
ケアル一回程度で空になるような魔力ではないし、たまには良いだろう。
ルーネスの思考が伝染したか、スコールはしばし考えた後、「……頼む」と言った。
どうやら、先の見た目に反して、口の中の痛みは存外とスコールを不愉快にさせているようだ。
「口、開けて」
ルーネスの指示に、スコールは素直に従った。
間近で目を合わせる気まずさを避けてか、スコールは目を閉じて口だけを開いて見せる。
此処にいるのがジタンやバッツなら、きっとこうは行かないのだろうな、とルーネスは思う。
良くも悪くもスコールに対して遠慮のない二人は、スコールが少しでも無防備な姿を見せようものなら、即襲撃して来る。
最近はスコールもそんな二人の扱いに慣れて来たのか、飛び掛かって来た彼等の気配を察して回避行動を取る事も増えたが、二対一では分が悪いのか、よく押し倒されている場面を見る。
そんな二人を相手に、無防備に目を閉じて口を開ける姿など、彼等が余程上手く誘導しなければ───それが出来てしまう辺り、彼等は本当にスコールの扱いと言うものをよく知っている───見せる事はないだろう。
ルーネスがもう一度スコールの口の中を確認してみるが、全容は先程と特に変わらなかった。
あれから悪化した様子もないので、軽い炎症だけで済んでいるのだろう。
その炎症を抑えるべく、ルーネスはスコールの口元に手を翳して、ケアルを唱える。
(これでよし)
多分、痛みは消えた筈。
その証拠のように、潜められていたスコールの眉が微かに緩んでいる。
「……もう良いか?」
ルーネスとの距離感を気にしてか、スコールは目を閉じたまま言った。
それに、良いよ、と答えようとして、ルーネスの口が止まる。
目を閉じて無防備になったスコールの表情は、ルーネスがいつも見ているものと雰囲気が違う。
そう感じるのは、自分が彼を見下ろしているからだろうか。
まだまだ小さいルーネスと違い、上背がある事もあって、ルーネスは専ら彼───に限らず、この世界にいる者全て、ジタンでさえも───を見上げる側だ。
きっとどんなに背伸びをしても、この世界で彼と一緒にいる間に、ルーネスがスコールの身長を追い越す事はあるまい。
そんなスコールが、今は座っているお陰で、目の前に立っているルーネスよりも頭の位置が低くなっている。
スコールの口元に翳していたルーネスの手が、まるで何かに操られるように動き、その指先がスコールの唇に触れる。
色が薄い所為か、肉も薄いのかと思っていたが、案外と膨らみがある。
「……ルーネス?」
まだ終わらないのか、と問うスコールに、ルーネスははっと我に返った。
それから、自分の指とスコールの唇が触れている事に気付いて、慌てて手を引っ込める。
「も、もう良いよ。どう?痛みは治まった?」
「ああ。ありがとう」
思わず声が震えたが、スコールには気付かれなかったらしい。
短く感謝を述べて、スコールは先と同じように唇に指を当て、咥内を舌で確認しながら頷いた。
スコールの形の良い指が、スコールの唇を撫でている。
その動きを目で追って、ルーネスは自分の行動に気付き、ぶんぶんと首を横に振る。
それを見たスコールが不思議そうに首を傾げ、どうした、とでも問おうとしてか唇を開いたが、その声は雪崩れ込んで来た空腹の仲間達の声に掻き消されてしまった。
3月8日と言う事で、無自覚ルーネス×無防備スコール。
年下だと思って警戒心が薄いスコールと、年下権限でひっそり役得だったルーネスでした。
太陽が南天を迎える頃、用意された食事を二匹並んで平らげる。
小さな器に山になった食事は、あっと言う間に空っぽになって、その後は綺麗な水で喉を潤した。
食後の毛繕いをしっかりやって、一心地ついた所で、欠伸が出る。
その欠伸を見て、食後の毛繕いを続けていた幼子が顔を上げた。
お兄ちゃん、お兄ちゃん。
おなかいっぱい、眠たいの?
腹が膨れて、窓から差し込む春の訪れを告げる陽気を感じていると、不思議と睡魔が手招きする。
眠たいの、と問う幼子に、うん、ちょっと、と頷いた。
冬が終わって春先の今、窓を開ければまだまだ冷たい風があるが、閉め切っていれば問題ない。
春の陽光は昼寝をするのに丁度良い暖かさだから、日向で目を閉じていると、眠るつもりはなくても眠ってしまいそうだった。
睡魔が手招きする今なら尚の事、良い夢を見る事が出来そうだ。
この家はいつでもぽかぽかと暖かいけれど、冬の窓辺は、やはりつんと冷たい冷気が滑り込んでいて、窓辺の昼寝も満足に出来なかった。
けれど、窓の向こうで色とりどりの花が芽吹き始めたこれからなら、そんな心配もないだろう。
幼子もこの位の時間にはいつも眠たそうにしているし、久しぶりに窓辺でゆっくり眠ろうか、と幼子を誘って昼寝をしようとしたのだが、幼子からは意外な返事が返ってきた。
お兄ちゃん、お昼寝するの?
じゃあ、お兄ちゃんがお昼寝してる間、お兄ちゃんを守ってあげる。
思いも寄らない幼子の言葉に、きょとんと瞬き一つ、二つ。
そんな兄を見て、幼子は楽しそうに尻尾を揺らして、ぴしっと背筋を伸ばして座る。
前は、兄が昼寝をする時は、幼子も一緒に眠っていた。
最近は、兄が昼寝をする時は、クッションで一人遊びをしていたり、広くなった家の中を探検したり、やっぱり兄と一緒に眠ったりしていた。
そんな中で、此処に来て新しいパターンが現れたようだ。
きょとんとしている兄を見て、幼子は可愛らしい丸い顔を、精一杯凛々しく引き締めた。
お兄ちゃん、いつも守ってくれるから。
今日はお兄ちゃんを守ってあげる。
幼子の言葉に、なんだか目頭が熱くなったような気がしたのは、何故だろう。
嬉しいような気もしたから、額をぐりぐり押し当てると、くすぐったいよぅ、と幼子の声。
守ってあげるね、と繰り返す幼子と一緒に、窓辺の寝床に戻って座る。
幼子は寝床の隣で、前足を揃えて身体を伏せ、窓の外を睨むようにじっと見詰める。
家の中は危ない事など何もないから、何かが襲ってくるとしたら、庭と繋がるこの窓だと、幼子も判っているのだろう。
幼子は尻尾をゆらゆら振りながら、凛々しい顔で、怪しい奴を見逃すまいと丸い瞳を精一杯鋭くさせて、外の世界を注視する。
さて、自分はどうしよう。
寝床のクッションに体半分を埋めて、考える。
このまま眠ってしまっても良いけれど、幼子の事が気になって、余り眠れないような気もするのだ。
そんな事を考えていると、窓の外を見詰めていた幼子が顔を上げて兄を見て、
大丈夫だよ、お兄ちゃん。
絶対、守ってあげるから。
幼子はそう言って、兄の頬を舐めてあやす。
きっと、いつも兄にして貰っている事を真似したに違いない。
幼子は悪いものが現れた時、兄を守って戦う気満々のようだが、思えば、家の中に怖いものがないように、外に怖いものが現れても、それは絶対に入って来れない訳で。
仮に悪いものが家の中に入って来た時、怖がりな幼子が、爪を牙を突き立てて戦えるのかは、正直、ちょっと判らない。
それでも頑張ろうとしている幼子の成長と、守ってくれると言う言葉を無碍にする事はないだろうと、改めて寝床に身を委ねる。
ぽかぽかと、暖かい日差しに抱かれるのが心地良い。
今日は正しく昼寝日和と言えるだろう。
そのまま、うつらうつらと幾らかの時間を過ごした後、ふと幼子の様子が気になった。
幼子は寝床の傍らで伏せたまま、ぴくりとも動かず、固まったようにじっとしている。
閉じていた目を、そっと開いてみると、楽しそうにゆらゆらと揺れていた尻尾が止まっていて、微かに見えた幼子の腹がゆっくり、ゆっくり動いていた。
幼子の顔がきちんと見えないのが何と無く淋しくて、姿勢を変えようと起き上がる。
そうして見えた幼子の姿を見て、兄はやっぱり、と苦笑した。
……んぅ…むぅ……
うつら、うつら。
兄よりずっと眠たそうに、幼子は瞼を伏せてとろんとしている。
……んぅ…むぅ……
…………ふぁっ。
かくん、と頭が少し落ちて、幼子はぱっと目を開けた。
自分が眠りに落ちそうだった事に気付くと、幼子はぷるぷると頭を振って、ぱっちりと目を開ける。
頭を乗せていた、揃えた前足をにぎにぎと動かして、眠くなんかないぞ、と言わんばかりの横顔だった。
が、それも長くは続かずに、また幼子の瞼がとろり、とろりと落ちて行く。
完全に目を閉じると言う所で、またかくんと頭が落ちて、目を開ける。
……んぅ…むぅ……
…………ふぁっ。
とろり、とろり。
かくん、ぱちっ。
……んぅ…むぅ……
…………ふぁっ。
…とろり、とろり。
……かくん、ぱちっ。
幼子は、眠るまいと頑張った。
かくんと頭が落ちて目を開ける度、眠くないもん、眠くない、と呟いているのが聞こえる。
何処からどう見ても眠そうだったけれど、兄は何も言わず、そんな幼子をこっそり見守る。
眠っていいぞ、と言う事は簡単だ。
けれど、幼子はきっと、眠くないもん、と言うに違いない。
今日はお昼寝しないで、お兄ちゃんを守るんだ、と頑張るに違いない。
けれど、幼子の気持ちとは裏腹に、小さな身体は春のぽかぽか陽気に包まれて、うとうと眠気に捕まった。
……んぅ…むぅ……
……すぅ……すぅ……
すぅ、すぅ、と小さな寝息が聞こえるようになって、体を起こしてそっと寝床の外を覗いてみれば、揃えた両脚に顔を伏せるようにして、寝息を立てている幼子がいる。
起こさないように顔を覗き込めば、おにいちゃん、と小さく呼ぶ声がした。
眠る幼子を起こさないように気を付けながら、小さな体を持ち上げる。
温まった寝床に幼子を下ろしてやれば、幼子はくるんと丸くなって、すやすや眠る。
気持ち良さそうな寝顔が愛しくて、頑張ったご褒美に口元を舐めてやると、眠っているのに幼子の尻尾が嬉しそうに動いた。
そんな幼子の反応が、嬉しくて可愛くて堪らない。
幼子を包み込むように抱いて、丸くなる。
今日の昼寝は、特別、良い夢が見れそうだと思った。
ペットショップで、前足揃えて伏せの姿勢のままで、ゆーっくり眠りについた子がいたので。
うとうとして、頭がちょっとカクンッてなって目を開けて、またうとうとして行くのが可愛かった。
何故か二人きりにされた『女優』の店の中、無言で差し出されたものを見て、どうすれば、と京一は困惑した。
何処かの駄菓子屋で売っていそうな、小さな袋菓子。
ピンク色のデフォルメされた梅の柄がちりばめられ、可愛らしい男女のイラストが描かれた袋には、『ひなあられ』と記されている。
そう言えばそんな時期だった、と京一は思ったが、それからもう一度困惑する。
(……雛祭りって、女子の祭りだよな。オレ、関係ないよな?)
雛祭りは、女児の健やかな成長を祈る節句とされている。
男の京一が特に何かを祝われるような日ではない筈だ。
其処まで考えてから、もう一度差し出された袋菓子を見て、次にそれを差し出している男を見上げた。
差し出しているのは、神夷京士浪───京一の剣の師だ。
妙に古風な雰囲気を醸し出しているこの男は、常に寡黙で、物事への反応も薄く、俗っぽさとは程遠い。
そんな彼が『ひなあられ』と言う、年中行事にあやかった代物に乗っかっている、と言う違和感たるや半端なものではなかった。
これが紅白饅頭や年越し蕎麦なら気にする事もなかったのだろうが、見た目も響きも可愛らしい『ひなあられ』である事が、京一の中で違和感たっぷりに感じられてならない。
何度も菓子と顔を交互に見る京一を、京士浪はじっと見下ろしていた。
眉間ん皺を寄せている京士浪は、一見すれば不機嫌そうに子供を威圧しているように見えそうだが、京一はそれで物怖じする事はないし、師のこの顔は見慣れている。
怯える所か、なんだよこれ、と言わんばかりに睨み返す。
「……要らないか」
「………」
「………」
ようやく口を開いたと思ったら、最低限以下の一言のみ。
京一は、聞きたいのはそういう所じゃなくて、と思うが、聞きたい事を自分から問う気にもなれない。
雛祭りは女児の節句で、男の京一には関係ない。
が、京一がそう考えているのは、雛祭りに限った話ではない。
伝統や年中行事の大半は、自分にはどうでも良いと思っているのだが、関係なくともあやかれるものは遠慮なくあやかるのが京一である。
京一が右手を伸ばして、掌を上向けて広げると、かさり、と其処に袋が置かれた。
可愛らしい、それこそ女児向けと判るパッケージの中、透明に切り取られた覗き窓から中身が見える。
白の中で所々緑や赤と醤油漬けの菓子が混じっているそれは、一粒の直径が精々1センチと言う小さなあられは、どれだけ食べても京一の腹を膨らませるには足りそうにない。
「足りないか」
「……まあ……」
まるで心を読んだようなタイミングで言われて、京一は言葉は濁しつつも、正直に頷いた。
せめてもう少し大きければ、さもなければ数があれば、と思っていると、
「持って行け」
「───うぉっ、お、おっ!」
京士浪は、着物の袖から同じ袋菓子を取り出し、京一の手に重ねて行く。
膨らまされている袋は、上手くバランスを取って抱えなければ、落としてしまう
京一は慌てて両腕で袋の受け皿を作ろうとしたが、間に合わず、ばらばらと足元に散らばってしまった。
あーあー、と嘆く声を漏らしながら、京一はしゃがんで菓子袋を拾う。
京士浪も無言で傍らに膝を折り、袋を一つ一つ拾って京一に渡した。
ようやく全てを拾い終わった時には、京一の腕はひなあられの袋で一杯になっていた。
袋自体は小さいものなのだが、数が重なればそれなりに嵩張る。
こんなに何処に持っていたのだろう、と言うか大きな袋にでもまとめて渡してくれれば一番楽なのに、と両腕を埋める袋を見下ろしていると、ぽん、と何かが京一の頭を撫でた。
くしゃくしゃと、やや不器用に撫でる手は、大きくて温かい。
京一は顔を上げるか否か迷った末、どうにも気恥ずかしさが勝って、俯いたまま動かなかった。
「それで全部だ」
「………」
「まだ欲しければ、兄さん達に頼め」
頭を撫でる手が離れて、京一は妙にむず痒さの残る頭を掻きたかったが、両腕を塞ぐひなあられの所為で敵わない。
なんとも珍妙な気分に取りつかれた京一であったが、師がそんな弟子に気付く事はなかった。
京士浪はゆっくりと踵を返すと、京一をその場に残して、離れて行く。
それと入れ替わるように、何処かに出かけていた『女優』の面々が帰宅して来た。
「あ~ん、もう3月なのに、どうしてこんなに寒いのかしら」
「京ちゃん、お外出る時は厚着しなくちゃダメよォ」
「ビッグママ、このおつまみ何処に置いておいたらいいのォ?」
「カウンターの下に入れて起きな。おや、京ちゃん、随分大量だね」
「……えぁっ?」
外気の冷たい風から解放されたからか、賑やかに帰宅して来た見慣れた面々が、店の真ん中で立ち尽くしている京一に気付いて、声をかける。
頭の上の違和感に意識を囚われて、呆然としていた京一だったが、我に返って自分の状況を思い出した。
両腕に抱えていた袋菓子の置き場を探して、きょろきょろと辺りを見回していると、アンジーが京一の抱えたひなあられに気付き、
「あら、京ちゃん、ひなあられ貰ったのォ。良かったわね」
「…いや、別に……」
貰ったと言うか、押し付けられたと言うか。
貰いたくて貰った訳では───と思いつつ、それを正直に口にするのは流石に憚られ、口籠ってしまう。
反論の途中で黙った京一の様子が、アンジーには意地っ張りな子供が恥ずかしがっているように見えた。
「うふふ。でも、こんなに一度に食べたら虫歯になっちゃうから、ちょっとずつ食べましょうね」
「………おう」
京一の両手を埋めていた菓子を、アンジーが受け取る。
両手がようやく自由になって、京一はむずむずとしていた頭をがしがしと掻く。
それでも中々消えない違和感に、京一は唇を尖らせる。
子供の顔が終始赤らんでいる事は、誰も指摘しなかった。
不器用師弟の精一杯のスキンシップ的な。
京士浪なりに弟子を可愛がってるつもりですが、判り難い伝わらない。
この後、頭のむずむずが消えない京一が雛あられをヤケ食いしたそうです。