二人の出会いは、クラウドが中学三年生、スコールが生後三ヶ月だった頃まで遡る。
思春期真っ只中の、所謂疾風怒濤の時期にいたクラウドは、集団行動への違和感と、孤独と温もりへの相反する飢餓感に付き纏われていて、生来多くはない口数が一層少なくなっていた。
昨今、テレビアニメの影響か、少々意味が違って聞こえる場合もあるだろうが、思い返せばあれは俗に言われる“中二病”だったのではないだろうか。
世界にありふれている“普通”の中から、自分だけは“普通”の塊に加わるまいと、他者と違う事をしようとしたり、自分と言う存在には特別な意義がある筈だと思い悩んでみたり、と、クラウドはそう言った症状に長らく支配されていた。
平和だが、だからこそ堪る鬱屈した気持ちは、かと言って何処にぶつけられる訳もなく、クラウドの思考を更に面倒な方へ、面倒な方へと押し流して行く。
テレビアニメや漫画で見るような、大きな変化が突如降って湧いて来たらなあと妄想を膨らませつつ、それが現実になってもきっと自分は主人公にはなれなくて、天変地異が起きてもきっと何も知らされないまま光の塊に飲み込まれて、自分でも気付かない内に消滅してしまうんだろうな────と。
幼少時、どちらかと言えば内向的で、友達の輪の中に進んで入って行けないタイプであった事を、知っているのは最早幼馴染のティファだけだが、その頃の名残がいつまでも残っていた所為もあるだろう。
個の頃のクラウドは、何かが変わる事を望みながら、何処までも受動的であった。
だから、降って湧いてくる、奇蹟のような“何か”が現れるのを、平和で惰性に満ちた日常の中で、延々と待ち望んでいたのである。
そして、────かくて、それは、現れた。
母親と二人暮らしのクラウドは、母が勤めている会社の社宅である賃貸マンションで生活している。
その隣室には、仲の良い夫婦が住んでいたのだが、其処の妻らしき女性の腹が、少しずつ、少しずつ大きくなって行くのを、クラウドは見ていた。
初めは夫婦に対し、特に興味を持っていなかったクラウドだったが、夫のいない間に、スーパーで大きなお腹を抱え、よろよろと腹を庇いながら買い物をしている彼女を見て、流石に此処で放って置くのは気が引ける、と買い物籠を奪うように持ったのが、交流の切っ掛けとなった。
年若い母親になろうとしている───いや、既に彼女は母親だった。腹の中に既に彼女の子供はいたのだから───彼女は、隣家のクラウドの事をよく知っていた。
彼女の夫は、クラウドの母と同僚であるし、彼女もクラウドが登校下校する姿を折々に目撃していたからだ。
初めは、自分が知らない人が、自分を知っていると言う事に些か落ち着かなかったクラウドだが、スーパーでの交流を繰り返して行く内、それも気にならなくなった。
段々と、スーパーでの彼女との交流が日常化してきた頃、彼女はスーパーに現れなくなった。
彼女の夫がアパートから出勤する所はよく見るので、引っ越した訳でもないようだが、どうしたのだろう、と思った数週間後、答えが判った。
母から、彼女が子供を産んだと聞いて、クラウドは俄かに嬉しくなった、そして同時に寂しくなった。
嬉しそうに大きなお腹を撫でる彼女を見ていたから、出産が無事に終わった事は、本当に嬉しかった。
しかし、子供が生まれたと言う事は、もうスーパーで彼女とのんびり話をする時間もないのだろうと思うと、少し淋しかった。
が、そんな淋しさも、そんな自分の矮小さへの苛立ちも、秋の深まる頃には吹き飛んだ。
高校受験が直ぐ其処に控えている事もあって、この頃のクラウドは、図書館に通うようになっていた。
スーパーも家と図書館の帰り道にあるものを使うようになっていた為、彼女と交流していたスーパーからも足が遠退いていた。
そんなある日の夕方、クラウドはアパートの前で邂逅する。
母親になった彼女と、その細い腕に抱かれた、小さな小さな赤ん坊に。
赤ん坊ってこんなに可愛い生き物なのか、とクラウドは初めて知った。
母親になった彼女と距離が出来てしまう、と言う不安は、あっと言う間に忘れた。
この時から、クラウドの世界は色付いた。
緩く生温く思えていた日常の歯車が、一気に加速して、また穏やかになって行く。
その歯車を回しているのは、小さな小さな幼子だった。
クラウドがスコールの前でバイクに乗った事はなかった。
16歳になって直ぐ自動二輪の免許を、その2年後には大型自動二輪の免許を取得した。
元々バイクが好きだった事と、高校が歩いて通うには遠く、公共交通を使うよりは自転車かバイクの方が良い立地だったのだ。
流石に大型自動二輪は自分の趣味の範疇となるので、アルバイトをして、自費で教習所に通った。
とは言え、免許を持っていてもマシンは持っていない訳で、長らくペーパードライバー状態だったが、大学時代からアルバイトを貯蓄し、社会人にもなって得た収入で、ようやく念願の大型バイクを手に入れる事が出来た。
そのバイクは程無くクラウドの愛車となり、カスタムも重ね、唯一無二の相棒となっている。
そんな愛車であるが、スコールの前で乗らなかったのには、理由がある。
今年で7歳になったスコールは、大きな物音や、正体不明の音が苦手だった。
雷は勿論の事、ホラー映画の不意打ちのSEや悲鳴なんて死ぬほど嫌いだし、日常生活でも他人の大きな声や物音に敏感に反応する。
赤子の頃から、そうやって物音に対して泣きじゃくり、たすけておにいちゃん、と縋って来た子供の事を思うと、恐がらせてはなるまいと、排気音の大きなバイクを彼から遠ざけた。
サイレンサーは装着させたし、住宅街でエンジンをフルにさせる事なんて先ずないが、それでもアパートの付近では必ず押して歩くのが習慣になった位だ。
今日も今日とて、アパートまで角一つに差し掛かった所で、クラウドは愛車を降りた。
夏の真っ只中に、数十メートルとは言え、大型バイクを押して歩くのは、中々の重労働である。
それでも習慣となった行為は変わらず続けられ、帰ったら早く冷凍庫の中のアイスを食べよう、と思いながら、えっほえっほと歩いていた時、
「あら、クラウド君」
「……ああ。どうも」
呼ぶ声にクラウドが顔を上げると、スーパーの買い物袋を下げた女性が立っていた。
隣家に住んでいる件の女性───レインである。
その傍らには、小さな手で母の手を握っている、制服姿の小学生の男の子───スコールがいる。
「今、帰り?」
「はい。スコールも、帰りか?」
「………」
バイクを押しているので、いつものようには屈めない為、目線だけ下に向けて子供に訊ねる。
スコールは母の手を握って、逆の手には溶けかけのアイスキャンディーを握って、じぃ、とクラウドを見ていた。
「ほら、スコール。聞かれたんだから、お返事は?」
「………」
母が促しても、スコールは答えず、動かない。
じぃ、とまん丸な蒼の瞳は、クラウドを────否、クラウドが押しているバイクに向けられている。
「おい、アイス溶けるぞ」
「………」
「スコール?」
母と隣家の兄代わりが繰り返し名を呼ぶ。
それから、また数秒の間を置いた後、スコールはアイスキャンディーを持った手でバイクを指差し、
「それ、なーに?」
ことん、と首を傾げて言った。
同時に、溶けたアイスキャンディーが、中程から折れて地面に落ちた。
アイスキャンディーが折れた事も気にせず、スコールは「なーに?」と問う。
「これか。これは、バイクだ」
「バイク?ちがうよ。バイクは、あっち」
そう言ってスコールが指差したのは、丁度角を曲がって来たスクーターだった。
まあ、あれもバイクと言えばバイクだな、とクラウドは思いつつ、
「これもバイクなんだ。色々あるんだよ」
「…ふぅん?」
「仮面ライダーが乗ってるだろう?あれもバイクだぞ」
「………?」
ことん、とまたスコールが首を傾げた。
仮面ライダーと言えば判ると思ったのだが、どうやらスコールは知らないらしい。
確か、彼の家のDVDラックには、古いものから最新のものまで、特撮ヒーロー番組のDVDが並べられていた筈なのだが……
判んない、と言う顔をする息子と、おや?と首を傾げるクラウド。
そんな二人を見て、レインがごめんねえ、と眉尻を下げて笑った。
「この子、あんまりヒーロー物とか見ないのよ。何度かラグナが見せたんだけど、怪人とか、悪者が怖いみたい」
「……成程」
DVDは父の私物、スコールが好んでそれを見る事はない。
では仮面ライダーを知らないのも無理はない、とクラウドは納得した。
スコールの視線は、またバイクへと向けられている。
スクーターに比べるとごつく、剥き出しのエンジンの銀メッキが照り返しを受けてギラギラと光る様は、幼い瞳にはどんな風に映っているのだろう。
クラウドは、幼い頃の自分なら、きっと格好良いとはしゃいだのだろうが、スコールはとても大人しい性格だ。
男の子なら喜びそうなものだが、スコールがバイクではしゃぐと言う図は、中々思い浮かばなかった。
それから数秒の後、べちゃ、と何かが地面に落ちた。
はた、と三人の視線が地面に落ちて、潰れて飛び散ったアイスキャンディーが目に飛び込んでくる。
「あ……」
「あーあ」
「……ふぇ……」
「今日は暑いから、早く食べないと溶けちゃうよって言ったでしょう?」
「えうぅうう~……」
えぐえぐと泣き出したスコールに、レインは呆れたように溜息を吐いた。
アイスキャンディーに刺さっていた棒切れ一本を握り締めて、スコールは泣きじゃくる。
そんなスコールを見ながら、悪い事をしたな、とクラウドは苦笑した。
父親がべたべたに甘い所為か、レインは優しくも厳しく、スコールにおねだりをされても簡単には許してやらない。
そんなレインに、きっと、ねだって粘って頑張って、ようやく買って貰えたアイスキャンディーだったのだ。
だと言うのに、半分も食べ切らない内に台無しになってしまったのでは、泣きたくもなるだろう。
「えっ、うぇっ、うえええええええん」
「スコール。もう、泣かないの。ほら、帰るわよ」
「あいす、あいすぅう…ひっく、えっく…わぁあああああん」
真夏のぎらぎらと痛い程の日差しの中、棒切れ一本を握り、立ち尽くしてわんわんと泣き出したスコール。
レインは「全くもう」と怒ったように呟いて、スコールを抱き上げた。
レインの手に持った買い物袋が、がさがさと邪魔そうに揺れる。
「それ、持ちます」
「ありがと。ごめんね」
「いえ。バイク置いて行くんで、先に上がってて下さい」
「うん。はいはい、スコール、泣かないの」
「ふえっ、えっ。えぇえ…えうぅ~っ」
背中をぽんぽんと叩く母に、スコールは目一杯しがみついて泣いた。
その手には小さな棒切れが握られたままだ。
恐らく、本人はそれの存在はとうに頭から抜け落ちているのだろうが、傍目に見ていると、余程アイスキャンディーに執着していたように見える───それも強ち外れてはいまい。
クラウドは駐輪場にバイクを押し入れると、のんびりとアパートの階段を上った。
隣家の家に行く前に、自分の家に入って、冷凍庫を開ける。
二組一つのアイスを取り出して、クラウドは改めて隣家にお邪魔するのだった。
≫
あいすぅう~!って泣きじゃくる子スコかわいい。