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2014年08月08日
スコールは朝に弱い。
任務中、或は人目が多い場所では、いつ如何なる時でもすっきりとした表情で目を覚ましているのだが、実はあれは見えない努力の賜物である。
目覚ましのタイマーを他のメンバーよりも早くセットし、任務だから仕事だからと重い体を無理やり起こし、後輩SeeD達が目を覚ます前に身嗜みを整える。
指揮官と言う大層な役職を与えられている以上、士気にも影響するようなだらしない格好は見せられない。
早く後任を見付けてくれと願いつつ、スコールはスコールなりに、必死で“指揮官”のイメージを保つように努力していた。
そんなスコールの内情を知っているのは、幼少の頃からスコールを知る幼馴染達と、一部の身内仲間だけだ。
一週間に渡る任務を終えたスコールは、寮の自室に戻るなり、ばったりと倒れ込んだ。
荷物を片付ける事も、服を着替える余裕もなく、ベッドに倒れて意識を飛ばしたのである。
張り詰めていた緊張の糸が切れたスコールは、それから8時間に渡って眠り続けていた。
そろそろ正午を迎えようと言う時間帯になっても、スコールは目を覚まさない。
放って置けば、このまま昏々と眠り続けるのではないか────と言う頃に、ロックを忘れた扉が開かれる。
「……まーた帰って即寝しやがったな」
荷物もそのまま、服装もそのままで、ベッドの上で丸くなっているスコールを見て、サイファーは溜息を吐いた。
この様子だと風呂にも入っていない、と言うサイファーの予測は当たっている。
サイファーは一つ溜息を吐いて、ぐるりと部屋の中を見回した。
室内は綺麗に整えられている────ように見えるが、これは物が少ないだけだ。
一週間前に任務に出る前に読んでいたのであろう雑誌は出しっぱなしで机に積んでいるし、洗濯物は部屋干ししてあるだけで片付けていない。
因みに、この洗濯物も、洗って干したのはサイファーである。
任務に持って行った荷物は、鞄の口すら開いておらず、帰って来た時に放り投げたきりである事が伺えた。
ベッドに近付いて、其処で眠る部屋の主の顔を覗き込む。
夢も見ない程に深い眠りの中にいるのだろうに、スコールの寝顔は余り健やかとは言えない。
休息には向かない服装のままで寝ているのだから、無理もあるまい。
「ったく……こら、スコール。起きやがれ」
「………んぅ……」
「起きろってんだ、この怠け者」
肩を強く揺さぶってやると、スコールは目を閉じたまま小さく呻く。
「う……」
「またンな格好で寝やがって。上着ぐらい脱げ」
「……うるさい」
サイファーの声に、一応目は覚めたらしいスコールだが、彼は起き上がろうとしない。
スコールは肩を掴むサイファーの手を振り払って、もぞもぞと寝返りを打つ。
俯せになってまた眠ろうとするスコールに、サイファーの眉間にスコール顔負けの皺が寄る。
「煩ぇじゃねえ、脱げ!」
「うー……」
「ほら、起きろ!そんで顔洗え!シャワーでも浴びて来い!」
サイファーはベッドから動こうとしないスコールを強引に起こすと、ジャケットを脱がし、腰のベルトを外した。
力任せにズボンを脱がせば、抵抗しないスコールの体がまたベッドに落ちる。
幸いとばかりにシーツに包まろうとするスコールを、また強引に起こして、シーツを奪って脱衣所へと蹴り出した。
スコールがのろのろとシャツを脱ぎ始めたのを確認して、サイファーは寝室へと戻る。
放り出したジャケットをハンガーにかけ、ズボンは後でシャツ諸々と鞄の中の着替えとまとめて洗濯機に入れる事にする。
干しっ放しにされていた一週間前の洗濯物を片付けて、サイファーはベッドに腰を下ろした。
ズボンのポケットに入れていた煙草と携帯灰皿を取り出して、火を点ける。
サイファーとて、一週間の指揮官業務代行で疲れていない訳ではないのだ。
デスクワークばかりでストレスも溜まっているし、スコール程ではないにしろ、睡眠時間も足りていない。
それでも、仕事の合間に訓練施設に足を運んで、アルケオダイノス相手にストレス発散する事は出来ているから、スコールよりはマシかも知れない。
(……要領が悪ぃんだよな、あいつは)
紫煙を燻らせながら、サイファーは胸中で一人ごちた。
物心がついた頃から傍にいるものだから、スコールの事は───彼が覚えていない事まで───よく知っている。
昔からスコールは要領が悪い子供で、何か一つの事が出来ると、何か一つが出来なくなる所があった。
何かに集中すると、スコールはそれしか見えなくなるのだ。
だから、前を走るサイファーの背を追い駆けては、何もない所で転んで泣き出していた。
エルオーネがいなくなった後、一人の世界に閉じ籠るようになったのも、そんな要領の悪さが招いた結果かも知れない。
あの頃のスコールは、いなくなったエルオーネの背中ばかりを追い駆けていて、直ぐ隣にサイファーがいる事すらも忘れかけていたのだから。
人は成長して行く内に、少しずつ視野が広くなって行く。
スコールもそれなりに広くなったのだろうが、要領の悪さは相変わらずだ。
寧ろ、人目を気にする事ばかりが増えて、そんな自分を嫌ったばかりに、周りと自分を隔絶しようとする。
魔女戦争を経て、リノアに振り回され、過去を思い出してから、少しずつ丸くなってきてはいるが、幼年の頃から培った要領の悪さは、そう簡単には治せまい。
サイファーは、そんな幼馴染の世話を、もう随分と長い間焼き続けている。
転んだスコールの手を引いたり、閉じ籠ろうとするスコールを引き摺り出したり、と言う具合に。
(……俺も大概、物好きだよなぁ)
肺に取り込んだ煙を、天井に向かって吐き出す。
ふわふわと漂う白い煙を見て、窓を開けていなかった事を思い出した。
窓を開けてしばしの一服を堪能した後、吸い殻を灰皿に押し付けて潰す。
直に目を覚まして戻って来るであろうスコールの為に、遅い朝食(サイファーにとっては早目の昼飯になる)を作らなければならない。
放って置けばコーヒー一杯、最悪水で済ませてしまおうとするから、食べなければならない状況に持って行く必要がある。
記憶は霞んでいるとは言え、「食べものは残しちゃいけません」と言う育ての母の教育は沁み付いているので、作ってしまえばスコールも大人しく食卓に着く。
寝起きで量は食べられないスコールの為、作るものは軽くする。
パンと甘いスクランブルエッグ、ベーコンサラダに、ヨーグルトを並べて置いた。
サイファーは少し物足りない位だが、後で食堂で何か摘めば良いだろう。
後はスコールが戻ってくるのを待つだけ────だったのだが、それが随分と長い。
「……まさか、」
サイファーは眉根を寄せて、風呂場へと向かった。
脱衣所のドアをノックするが、返事はない。
まだ風呂場から出てはいないようだ。
因みに、以前はノックなどせず開けて確かめていたのだが、「デリカシーってものはないのか?!」と毎回怒られる為、珍しくサイファーの方が配慮するようになった。
脱衣所に入ると、擦りガラスのドアの向こうで、シャワーの音が響いている。
それ以外の物音がないのを見て、サイファーは躊躇なくドアを開けた。
────此処でノックと言う配慮をしないのは、結果が概ね予想出来ているからだ。
……案の定、其処には壁に寄り掛かってすぅすぅと寝息を立てているスコールの姿があった。
「風呂場で寝るんじゃねえ!死にてえのか、手前は!」
広くはない浴室に響くサイファーの怒鳴り声も、スコールには大したダメージにはならない。
が、意識覚醒の切っ掛けにはなったようで、スコールはぼんやりと目を開ける。
「……サイファー……」
濡れた髪と、温いシャワーの湯で微かに熱を取り戻した白い肌。
寝起きと抜け切らない疲労の所為だろう、眦は気だるげに微睡んでいるように見える。
その表情で、抜ける吐息と共に名を呼ばれるのは、若いサイファーには色々と堪えるものがある。
が、サイファーは動じなかった。
シャワーの温度調整のコックを捻り、泣き出した水をスコールにぶつける。
「冷たっ!」
「よし、起きたな」
「起きたって……もっと他にやり方があるだろう!」
「他のやり方で起きねえから、こう言う手段になるんだろうが。ほれ、さっさと出ろ。またぶっかけるぞ」
程好く火照った体に、容赦のない冷水は御免被りたい。
スコールはぶつぶつと文句を言いながら、脱衣所へと出て行った。
サイファーはシャワーを止めて脱衣所に出ると、床に散らばっていた服を拾い、洗濯機に放り込んだ。
洗濯機のスイッチを押した後、体を拭いているスコールの横を通り過ぎて、寝室へ戻る。
「朝飯出来てるからな」
「……ん」
「服着ながら寝るんじゃねーぞ」
「そんな事しない」
拗ねていると判る声で言い返したスコールに、どうだかな、とサイファーは鼻で笑う。
水を被って一応は目が覚めたようだが、時間が経てばまた欠伸を漏らすに違いない。
スイッチがオフになっている時のスコールの寝汚さと言ったらないのだから。
「……んっとに、世話の焼ける奴」
呆れたように呟きながら、食事を並べたテーブルについたサイファーは、先刻の光景を思い出していた。
────スコールの任務は、一週間前に始まった。
当然、サイファーの指揮官代行業務も其処から始まり、つい先程、任を解かれて一時指揮権をキスティスに委任した所である。
スコールはきっと疲れているだろうからと、キスティスが気を回して今日一日だけでもと休暇を通してあった。
と、なれば、遠慮はいらない。
「世話代くらいは貰わねえと、割に合わねえよな」
呟いて、サイファーの唇が弧を描く。
脱衣所から出てきた恋人が、訝しげに眉根を寄せたのが見えたが、サイファーは何も言わなかった。
それよりもサイファーは、濡れたままぽたぽたと雫を落としている濃茶色の髪が気になる。
椅子に座ったスコールの髪を、タオルでわしゃわしゃと拭いてやる。
何も疑わず身を任せている少年の首筋に、悪戯に噛み付いてやろうかと思ったが、後で幾らでも出来る事だ。
今から警戒させる事もあるまいと、サイファーは乾いた髪をぽんと撫でて、自分の席へと戻った。
『サイスコで、サイファーに世話を焼かれるスコール』でリクを頂きました。
お兄ちゃん気質な世話焼きサイファーは書いてて楽しい。
しかし、こうなると本当にスコールが駄目な子になってしまうw
会社からの呼び出しで、真夏の熱い中を外出させられる羽目になったレオンが、珍しいものを買って帰って来た。
最寄のコンビニエンスストアの店頭で、かき氷が販売されていたと言う。
炎天下と、フライパンのように焦げたアスファルトの上で、テント一つの下で大量の汗を流していた、アルバイトと思しきコンビニ店員。
今日の暑さを思えば、氷やアイスは売れ時────の筈なのだが、レオンが通り掛かった時、辺りには客は一人もいなかった。
夏休みに入り、昼日中でも子供達が元気に遊び回る光景が見られる昨今だが、今日の暑さは流石の子供達も堪えたのだろうか。
かき氷はいかがですかぁー、と言う声だけが虚しく響くのみである。
売り上げが伸びなければ、何の為に炎熱地獄の中で頑張っているのか、判ったものではない。
レオンも、緊急の用事だからすぐ来てくれと言われて飛んでみれば、何の事はない、会社で使っているパソコンの配線について尋ねられただけだった。
電話口でも良かっただろうにと愚痴を零しかけたが、会社内でパソコンに一等詳しいのはレオンであり(それでも一般人に毛が生えた程度の知識だ)、周囲は全くの素人。
判らない人間に判らない事を説明しろと言っても出来る筈がなかった為、レオンは止むなく休日出勤する羽目になったのだ。
そんな自分の成り行きが、炎天下に立つコンビニ店員に対し、勝手なシンパシーを齎した……と言った所だろうか。
いや、単に自分が涼を求めたのが正直な所だろう。
気付いた時には、レオンはイイチゴとブルーハワイのかき氷を一つずつ購入していた。
「どっちが良い?」
鮮やかな赤と青の氷の山を差し出して、レオンは尋ねた。
スコールはしばらく考えた後、赤の氷を指差す。
差し出されたカップとストロースプーンを受け取って、さくさくと山を切り崩しにかかる。
「珍しいな。あんたがこんなの買って来るの」
「まあ、偶にはな」
レオンが青いシロップのかかった氷を口に入れる。
予定外の外出に見舞われた彼の頬は、日に焼けて赤く火照っていた。
自宅にはスコールがずっといた為、クーラーで快適温度が保たれていたが、それだけでは湯だった体の内側は収まってくれないようで、レオンの額からは後から後から汗が出ている。
制汗スプレーやらタオルやらを使えば、発汗は多少は抑えられるが、それよりも今は体の内側を冷やしたいらしい。
彼にしては珍しく、氷の山が早いペースで小さくなって行く。
スコールはと言うと、のんびりした早さでかき氷を食べていた。
一口食べてはさくさくと山を崩し、また食べて山を崩す、その繰り返しだ。
「外、そんなに暑いのか」
「ああ。陽炎が見える」
「……図書館行こうと思ってたけど、止めた」
「何か調べものでもあったのか」
「レポートの資料。でも、提出日はまだから、いい」
「うん。それなら、その方が良い。お前は外に出た瞬間に倒れそうだから」
スコールは、極端な暑さにも、極端な寒さにも弱い。
寒いのは着込めばまだ何とかなるが、暑さは裸になっても防げない。
こんな日は自殺紛いの行動は取らず、快適な家の中でのんびり過ごしている方が良い。
只管氷を食んでいたレオンが手を止めた時には、彼の氷は既に半分まで減っていた。
あの、キーン、と言う感覚が頭を襲っているのだろう、レオンは頭を抱えて苦い顔をしていた。
ジタンやティーダはあれが良いんだ、かき氷って感じがする!と言っていたが、スコールはこれさえなければ…と思うタイプだ。
レオンも同様で、コツコツと指で米神を叩いて、ようやくほっと息を吐く。
「急いで食べ過ぎたな」
「一気に冷やすと腹壊すぞ……」
「止まらなかったんだ。外が暑過ぎて」
そう言って溜息を吐くレオンに、お疲れ様、とスコールは言った。
レオンの発汗は、大分落ち着いていた。
頬が赤いのは日焼けの所為だから、もう少し後を引くだろう。
かき氷を食べる速度もゆるみ、さくさくと氷を崩す音が続く。
スコールは、イチゴシロップのかかった氷を食べながら、なんとなくレオンの横顔を眺めていた。
氷を食べる為に口を開けたレオンの、僅かに覗いた厚みのある舌が、真っ青に染まっている。
「……青い」
ぽつりと呟いたスコールに、レオンがきょとんとした貌で振り返った。
数瞬の間を置いてから、ああ、とレオンは読み取り、
「そんなに青いか」
「……青い」
「ブルーハワイだからな」
少し高級な和菓子店や洋菓子店で出されるかき氷は、着色料は目立たない程度で、果汁と果肉が殆どなのだろうが、大量生産が優先される市販のシロップはそうも行かない。
イチゴなら赤、メロンなら緑、ブルーハワイなら青が鮮やかに映えるように、多分の着色料が入っている。
その濃さを現すように、食べた味で舌の色が変わると言うのも、ある種、夏の風物詩の一つと言えるか。
後に影響するようなものではないので、レオンは口の中の色を特に気にしなかった。
が、自分が青いならば、と隣で赤いシロップを口にしている少年を見遣れば、案の定。
「お前の舌は、真っ赤だな」
「…目立たないだろ、そんなに」
元々舌は赤いのだから、と言うスコールに、まあな、とレオンは頷いた。
しかし、レオンの見慣れた色ではない事は確かである。
さくさく、さくさくと氷を崩す音が続く。
音が最初よりも小さくなっているのは、氷の山が減って、凝固していた水分が殆ど解けている所為だろう。
直に薄めたシロップの飲み物になる筈だ。
レオンは、青色の液体をストローでくるくると掻き混ぜながら、ふとあると事を思い出した。
「企業の方針やブランドにも因るだろうが、こういうシロップの味と言うものは、どれも余り大差ないらしいな」
「……そうなのか?」
「人から聞いた話だから、真偽は定かじゃないが。まあ、言われて納得したような所はある」
イチゴ、メロン、レモンにブルーハワイ、最近ではブドウやマスカット、他にも色々なフレーバーが出ている。
その大半は、材料に大きな差異はなく、着色料と匂いを持たせる為の果汁が少し入っている程度───-と言うものらしい。
だから、目を閉じてシロップを飲んだ場合、どれも同じ味がするのだと言う。
さく、……と氷の山を削る音が止んだ。
スコールの視線が、じいっと手元のカップの中を見詰めている。
中身は殆ど溶けてしまい、ジュースになった赤いシロップの上で、小さな氷の島がぷかぷかと浮いている程度だ。
暫くそれを見詰めた後、スコールの視線はレオンの手元に向かい、興味深げな表情で青いシロップを見詰める。
レオンはくすりと小さく笑って、シロップだけになったカップを差し出した。
「比べてみるか?」
レオンの言葉に、スコールはしばらく動かなかった。
興味はあるが、それが子供染みた好奇心に思えるのだろう、背伸びしたがるプライドが決断を邪魔しているようだ。
ややもしてから、そろそろとスコールの手がカップに伸びる。
レオンは、スコールのその手を捕まえて、ぐっと強く引っ張った。
突然の事に目を丸くするスコールの、薄らと赤がついた唇に、レオンは己のそれを押し当てる。
「………!?」
スコールが事態を把握した時には、既にレオンの手はスコールの後頭部に回っていた。
硬直しているスコールに、可愛いなと思いつつ、赤い舌を絡め取る。
ちゅく、と小さな音が鳴って、スコールの肩が跳ねたのが判った。
絡めた舌は、甘い、とレオンは思った。
しかし、自分が食べていたかき氷の味とどう違うかと言われると、然程の違いはないように思えた。
イチゴとブルーハワイと言う、正反対の色をしているシロップだから、イチゴの方が甘いとか、ブルーハワイは少しすっきりしていて、と言うイメージがあったのだが、どうやら見た目から来るイメージに過ぎなかったようだ。
人間は目で見て、鼻で嗅いで食事をするから、それらの情報が失われると、味覚はあっと言う間に狂ってしまう。
特に視覚情報は大事なのだろう、目で食事をすると言う言葉は、強ち大袈裟でもないのだ。
息苦しさの所為だろう、蒼灰色の瞳が瞼の裏に隠れ、眉間に深い皺が刻まれる。
レオンは絡めた舌の表面をゆっくりと撫でて堪能してから、スコールを解放してやった。
「───っは……レオン!」
真っ赤な顔で食ってかかるスコールだったが、レオンは全く動じない。
所か、彼は楽しげに笑い、
「どうだった?」
「は!?」
「かき氷の味の違い。判ったか?」
そんな話をしていたのだと、スコールはようやっと思い出した。
が、そんな話から、どうして今の流れになると言うのか。
「あ、あんなので、判る訳ないだろう!」
「じゃあもう一度するか」
「しない!俺で遊ぶな!」
伸びて来た手を振り払って、スコールはレオンに背を向けた。
遊んだつもりはないんだが、と言うレオンの声が聞こえたが、スコールの気は収まらない。
氷が溶け切ったシロップにストローを突っ込み、ズズズ、とわざと音を立てながらシロップジュースを飲む。
臍を曲げたスコールに、参ったな、とレオンは眉尻を下げて頭を掻いた。
が、直ぐにその表情は笑みに変わる。
背を向けたスコールの耳が、イチゴシロップのように赤い。
此処も甘いかな、と思って食んでやれば、随分と可愛らしい悲鳴が零れた。
『夏感のあるレオスコ』と言う事で、かき氷食べさせてみた。
お互いに「あーん」ってさせようと思ってたら、レオンが暴走したよ。暑かったせいだ!
ただの買い物だと言うのに、ソラの足取りは随分と楽しそうだった。
何がそんなに楽しみなんだろうな、と思いつつ、レオンはソラの後をついて行く形で、ディスカウントストアへと向かっていた。
レオンにとっては日常と何ら変わりない買い物であるが、ひょっとしたら、ソラにとっては違うのかも知れない。
日中のソラは専ら外を駆け回っているから、買い物などと言う平和な行動は取った事がなかったか。
そう思えば、いつも違う一日を過ごしていると言う意味で、ソラが楽しそうにしているのも判る気がする。
モーグリが経営するディスカウントショップは、日常生活に必要なものが一通り揃っているとあって、今日も繁盛している。
生鮮食品、冷凍食品、乾電池や洗濯バサミ等々、たまにマニアックな掘り出し物や、B級品も並んでいた。
当然、ソラが大好きなスナック菓子も置かれているのだが、今日はそちらに用事はない。
遠くからでも目につく鮮やかなパッケージに誘われそうになるソラを捕まえて、レオンは掃除用品コーナーへと向かった。
通路の端に置かれた籠を取って、棚に並んでいる商品を入れて行く。
台所用洗剤、洗濯用洗剤と柔軟剤、ティッシュボックスとウェットティッシュ。
トイレットペーパーはまだストックがある────が、値段票を見ると、いつもの半額の値札がついていた。
どの道追々買いに来るのであれば、今の内に買っておくべきか、とレオンが悩んでいると、
「レオン、レオン」
「……なんだ?」
「籠、俺が持つよ」
呼ぶ声に視線を落とせば、ソラが朗らかな笑顔で言った。
いや、とレオンはやんわり断ろうとするが、ソラは聞かなかった。
「ほら、貸して」
「おい、ソラ」
「それで、えーっと……トイレットペーパー、買うんだよな」
まだ悩んでいたと言うレオンの胸中には気付かず、ソラはトイレットペーパーを籠に入れた。
明らかに嵩張るトイレットペーパーに、抱えた方が楽かな、とソラは呟く。
右手に買い物籠、左手にトイレットペーパーを抱えた状態で、これでよし、とソラは言った。
「で、次は?」
「あ……ああ、えーと…」
満足げなソラに、今更俺が持つから、とは言えず、レオンは次の目当てを探す事にする。
玄関に置いている芳香剤が切れていたので、それを買う事にした。
芳香剤の種類には、特に拘りはない。
余りに匂いが強いと、鼻が敏感なソラが参ってしまうので、無香料か、それがなければ柑橘系やピーチ系を選ぶ事が多かった。
今日はソラが同行しているので、ソラの希望を聞いてみる事にする。
「ソラは、どの匂いが良い?」
「んー……」
テスター用の小ビンの蓋を開けて、ソラの鼻先に近付ける。
くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐソラに、子犬みたいだな、と思ってレオンはこっそりと笑う。
ピーチよりは柑橘系の方が良い、とソラが言うので、オレンジの芳香剤を選んだ。
序に、試しにバラやラベンダーの匂いも試してみたが、レオンが予想した通り、ソラの鼻に盛大な皺が寄せられた。
曰く、悪くはないが、ちょっと強い、との事だ。
食品コーナーの前を通り過ぎるレオンを、ソラが追う。
「レオン、晩飯は買わないの?」
「昨日、一週間分をまとめ買いしたからな。今日は買わない」
「今日の晩飯、何?」
「鶏肉のトマト煮込み。サラダはコールスローが残ってるから、それだな。パンと米、どっちがいい?」
「う~ん……今日は米かな。昨日はパンだったし」
「ならスープは味噌汁にするか」
「レオンの味噌汁、美味いから好き!」
「煽てても鶏肉の量は増えないぞ」
量はもう決まってる、と言うレオンに、そんなつもりで言ったんじゃないよ、とソラが唇を尖らせる。
剥れたソラの顔に、レオンはくつくつと笑った。
「怒るな。ほら、お菓子買ってきて良いから」
ソラが持っていた買い物籠の持ち手を握って、レオンは菓子コーナーを指差して言った。
判り易い子供扱いに、ソラが益々拗ねた顔を浮かべる。
「子供扱いするなよ」
「じゃあ要らないのか?昨日の買い物じゃ菓子は買ってないから、家にあるものは直になくなるぞ」
「……うーっ……」
上目でレオンを睨むソラだが、脅しになる筈もない。
レオンは楽しそうな表情のまま、睨むソラをじっと見詰め返していた。
子供と言う程幼くはないつもりのソラだったが、食べ物の誘惑は効果覿面であった。
ちくしょう、と悔しげに吐き捨てて、ソラは買い物籠をレオンに渡し、菓子コーナーに駆けて行く。
一列丸ごとを占拠している菓子の棚を、右へ左へ行ったり来たりするソラの姿に、レオンはくすくすと笑う。
やはり、どんなに成長が早いように見えても、その根はまだまだ子供なのだと安心した気分だった。
迷いに迷った末に、ソラは「お徳用」と書かれた、複数の菓子がまとめられている袋を一つと、新商品と銘打たれたチョコレート菓子を持って来た。
買い物籠の中にそれらを入れて、レオンはレジへと向かう。
「レオン、重い物は俺が持つから!」
「ああ。ありがとう」
支払いを済ませ、袋詰め用の台へと移動する。
家から持って来たビニール袋を広げて、洗剤などの重みで袋菓子を潰さないように分けて入れる。
トイレットペーパーは袋には入らないので、そのまま持って帰るしかない。
結果、荷物は洗剤類の入った重い袋と、菓子とティッシュが入った軽い袋、そしてトイレットペーパーの三つとなった。
「じゃあソラは────」
「俺、これ持つね!」
レオンが菓子の袋を渡そうとして、それよりも早く、ソラは洗剤の入った袋を持ち上げた。
と、想像していたよりも圧のかかる重みに、袋を持ち上げたソラの腕がかくっと落ちる。
「おっとっと」
「ソラ、無理するな。それは俺が持つから」
「へーきへーき」
「……いや、やっぱり俺が持つ。手、食い込んでるんだろう」
まだ子供らしさの抜けない手、その指の関節に、重みを受けて細く伸びた袋の持ち手が食い込んでいる。
いつもなら手にグローブを嵌めているソラだが、今日は完全にオフ日だったので素手だ。
時間を追う毎に血色が悪くなって行く指先は、見ていられるものではない。
渋るソラから袋を取り上げ、レオンは菓子の入った袋を渡した。
結局、レオンが重い袋とトイレットペーパーを、ソラは軽い袋一つを持つ事となった。
これがソラには大層不服なようで、彼は店を出てから顰め面ばかりを浮かべている。
「気持ちは有難いけど、無理はするなよ」
「無理なんかしてないって!」
「そうか」
「ちっともそう思ってないだろ。また子供扱いして」
判り易く剥れた顔をするソラに、その顔で子供扱いするなと言うのか、とレオンは思う。
菓子の誘惑に負けたり、意地を張ったり、そんな様子を子供と言わずなんと言おう。
レオンはくつくつと笑いながら、家路への道をのんびりと歩く。
街の中心部から外れた場所にある、古びたアパートメントが、レオンとソラの住居である。
其処までの道すがら、終始楽しげに唇を緩めているレオンを、ソラは拗ねた顔でじっと見詰めていた。
アパートの階段を上がり、二階の角部屋の扉を開けて、約一時間ぶりの帰宅。
レオンは重い袋をリビングの食卓テーブルに乗せて、洗剤やティッシュをそれぞれ所定の場所へと保管しに行った。
その間に、ソラはチョコレート菓子を冷蔵庫に入れ、詰め合わせの袋菓子の封を破る。
ポリポリポリ、とスティックを齧る音に、レオンはやっぱり子供だな、と小さく呟き、
「直に夕飯なのに、もう食べてるのか」
「今日はおやつ食べてないもん」
「夕飯が入らなくなっても知らないぞ」
「其処まで食べないって」
どうだか、とくすくすと笑いながら、レオンはキッチンに向かう。
エプロンの紐を背中で結び、冷蔵庫の米袋から米を二合分計り出し、炊飯器のジャーへ映した。
流水で米を濯いでいるいると、とん、と背中に何かが抱き着く。
二人きりの生活の中で、その正体は確かめるべくもなく、今度は甘えん坊が顔を出したかとレオンが思った矢先、
「レオン、レオン。こっち向いて」
「ん?」
エプロン紐を引っ張られて、振り返る。
と、────ちゅ、と柔らかなものがレオンの唇に触れて、直ぐに離れた。
目を丸くするレオンの眼前で、いつもよりも近い位置にある空色の瞳が、悪戯っぽく笑う。
「俺、子供じゃないんだからな?」
そう言うとソラは、ぱっと身を翻して、キッチンを出て行った。
リビングからはテレビのバラエティ番組の笑い声が聞こえて、直ぐにソラの声も其処に加わる。
レオンはと言うと、振り返った時の姿勢のまま、呆気に取られた顔でしばらく立ち尽くしていた。
何が起きたのか、何をされたのか、レオンがそれを理解するまで、しばしの時間を要する。
理解した後、レオンは赤らむ顔を気の所為だと誤魔化しながら、キッチンに向き直った。
『ソラレオ結婚生活』でリク頂きました!
普段子供扱いしてる恋人に、不意を突かれてうろたえる年上の図になった。
狐レオン×人間スコールです。
獣耳ではなく、完全な動物の姿をしたレオンで、(多分)現代パラレル。
喋る狐と仲良くなった。
子供の頃、そう言ったら、変な子だ、と周りから笑われた。
嘘なんて吐いていないのに、息子に甘い父以外は、誰も信じてくれなかった。
その父も、疑ってる訳じゃないけど、他の皆には言ったら駄目だぞ、と言った。
狐は皆と一緒に遊んでみたいと言っていたのに、どうして、と問うと、父は困った顔で笑って、そう言うものなんだよ、と言った。
どうして喋る狐の事を皆に話してはいけないのか、皆が喋る狐がいる事を信じてくれないのか、子供の頃は全く判らなかった。
けれど成長するにつれて、その狐がどうして喋るのか、それがどんな意味を持っているのか知るに連れ、皆が信じてくれない理由が理解できるようになった。
俗に言われる話として、猫又と言う妖怪がいる。
長く生きた猫は、妖力を持ち、尾が二つに分かれて、“獣”の領域を逸脱するのだ。
幼い頃に仲良くなった“狐”は正にそれで、その時点で既に、狐の尾は七又に分かれていた。
だが、スコールがそれをそうと知るまでは、随分と長い時間を要する事となる。
気付いた時には、狐の尾は八又に分かれており、スコールにとって狐は自分の全てを知る者となっていた。
学校帰りに、スコールは必ず立ち寄る場所がある。
それはビルとビルの隙間に取り残された、小さなお堂のような神社だった。
狐を祀ったその神社は、宮司も神主も随分昔から途絶えており、地域の自治体が最低限の管理をしているだけのものだ。
古くからこの地域に存在していた社だけに、壊す事は勿論、移す事も気が引けたらしく、こう言った状態が続いている。
朱塗りすら褪せた鳥居を潜ると、澄んだ空気がスコールを包み込む。
広くはない敷地を囲む木々が、騒がしいものからこの静かな空間を守ってくれているようだった。
その静けさが好きで、幼い日のスコールは、心無いクラスメイト達にいじめられる度、この神社を訪れていた。
今では、特に何か出来事があって此処に来る訳ではないが、何年も通い詰めていれば、習慣にもなって来る。
何よりスコールは、この神社にいる“もの”に逢うと言う目的があった。
長らく使われていないであろう、壊れた賽銭箱の裏に回って、拝殿の前に座る。
帰り道のコンビニで買った稲荷寿司を取り出して、スコールは拝殿扉の前に置いた。
それから取り出したおにぎりの包装を破って、ペットボトルの水を傾けながら食んでいると、きしり、と木板の軋む音が鳴る。
『お帰り、スコール』
「……ただいま、レオン」
肉声ではない声が、スコールの耳に届いた。
振り返れば、黒い毛色の獣がいつの間にかスコールの背後に座っていた。
大きな三角の耳、長いマズル、切れ長の目、そしてふさふさとした八又の尾。
尾の数と、頭の天辺から足先まで真っ黒だと言う珍しい点さえ見逃せば、其処にいるのは紛れもなく狐であった。
レオンと言う名は、幼い頃のスコールが勝手に名付けたものだ。
スコールは口の中のものを飲み込んで、ん、と小さく返事をした。
レオンはそんなスコールに満足そうに笑って、足元に置かれた稲荷寿司を食べ始める。
スコールは体の向きを元に戻して、レオンに背を向けたまま、おにぎりを最後まで食べ切った。
ペットボトルを傾けるスコールに背に、とん、と暖かいものが柔らかくぶつかった。
スコールは濡れた唇を拭いて、空になっていた稲荷寿司のプラスチックパックに水を注ぐ。
『学校はどうだ?』
「……別に」
今更聞くまでもないだろう、とスコールは言った。
レオンはしばらく沈黙した後、水を飲み始めた。
風が吹いて、鎮守の森がさわさわと音を立てる。
ビルの隙間にあるのに、何処から風は来るのだろう。
噴き下ろしてくる風にしては、随分と優しい。
スコールにとって、学校は煩わしいものでしかなかった。
行かなければいけない、と言う意識は一応はあるものの、義務教育である中学は二年前に終わっている。
将来にやりたい事がある訳でもないし、職を探す程に生活が困窮している訳でもないから、取り敢えず高校に進学したに過ぎない。
高校は中学校と違い、区外の新学校を選んだけれど、それも将来に希望があったからではなく、小学生の頃から延々と続く、自分に対するいじめや好奇の目線が嫌になっただけの事。
自分の事を誰も知らない場所に行きたくて、今の高校を選んだのだ。
学校が煩わしい理由の大部分は、スコールの人間関係への消極さだ。
子供の頃から、他人には見えないものが見えてしまい、それが可笑しい事だと理解するまで、随分と時間がかかった。
その間に続いた陰惨ないじめは、スコールの心に暗い影を落とし、今でも深く根付いている。
(………何処かに行きたい)
背に触れる温もりに寄り掛かって、スコールは思った。
ふわりと柔らかなものがスコールの身体に巻き付く。
狐の真っ黒な尻尾だった。
この尻尾に包まるのが好きで、幼い日のスコールは、度々この神社に足を運んでいた。
今でも、ふわふわとした感触や、柔らかな温もりは離れ難く、スコールを此処へ誘う理由となっている。
背を乗せた狐は、案外と大きな体躯をしていた。
これはスコールが子供の頃からで、昔は小柄なスコールが背に乗れる程であった。
今ではスコールも背が伸び、レオンを───大分苦労するが───抱えられる大きさになったが、それでもレオンは、スコールを昔と変わらず子供扱いする。
生きて来た時間が違うのだから、無理もないだろう。
尾が八つに分かれる程に生き永らえて来たレオンにとって、十七歳の人間の子供など、赤子同然に違いない。
スコールは胴に回された尻尾を一つ摘まんで、柔らかく握った。
ペットボトルを傾けながら、手遊びするように握って離してを繰り返すスコール。
ぼんやりと見上げた先には、ビル山の向こうに沈もうとしている赤い太陽がある。
「……明日から、林間学校なんだ」
『なんだ、それは』
スコール以外の話し相手がいない所為か、レオンは現代の物を良く知らない。
詳細の説明を求めるレオンに、詳しく言うのは面倒だな、とスコールは思い、
「…授業の体で、山に入って遊ぶんだ」
『お前が嫌いそうな授業だな』
「……行きたくない」
『休めないのか?』
「体調が悪ければ休めるだろうけど。そうしたら、ラグナが煩い」
過保護で知られている父の名を出せば、確かにな、とレオンが笑いを交えて言った。
ラグナは、幼い日のスコールが、何度かレオンの事を話し、俺も喋る狐さんに逢ってみたいな、と言うので、神社まで連れて来た事がある。
結局ラグナはレオンの存在が見えず、レオンと喋る事も出来なかったのだが、彼はレオンの存在を訴えるスコールを疑ってはいなかった。
そんな父親を見て、息子に大分甘いが良い大人だ、とレオンは思った。
明日、スコールが体調不良を訴え始めたら、ラグナは大いに心配するに違いない。
病院まで連れて行かれるかも知れない。
其処まで大袈裟にされると、反って面倒臭い、とスコールは言った。
ふさっ、と尻尾が揺れて、スコールの身体を包み込む。
さわさわと森が揺れる音すら、遠くなるのが判った。
『林間学校とやらは、いつまでなんだ?』
「……三日。憂鬱だ」
『だが、滅多にない経験をする為のものなんだろう』
「それはそうだけど。面倒臭いし。帰るまであんたに逢えない」
それが嫌だ、とスコールは言った。
ふさっ、と尻尾が揺れる。
スコールは尻尾の端を摘まんで、毛先を指で遊ばせながら思う。
(……あんたが此処を出られたら良いのに)
レオンは、永らくこの神社から外に出た事がないと言う。
縛られているのか、単にレオンが外に出る気がないのかは、聞いた事がないので判らない。
子供の頃は、レオンが外に出ない事は、寂しいけれど嬉しかった。
誰もレオンの存在を信じてくれないから、スコールは嘘つき、変な子と言われて苛められるようになったけれど、自分だけの秘密の友達が出来たような気がしたのだ。
若しもレオンが外に出たら、自分以外の友達を作って、そうなったら泣き虫で弱虫な自分は呆れられて嫌われるに違いないと思った。
それは嫌だと思ったし、何より、自分がレオンに逢いに行ける事が楽しかった。
小さな足を精一杯動かして、神社に飛び込み、其処にレオンが待ってくれている事が、幼い日のスコールにとって、かけがえのない喜びだったから。
けれど、成長した今は全く逆の事を考えている。
背が伸びて行く毎に、勉強時間は増え、レオンと一緒に過ごす時間が減って行く。
学校行事は、担任教師の方針で、余程の体調不良か家庭事情がなければ休ませて貰えず、ほぼ強制参加になってしまう。
スコールは、そんなものに参加するより、レオンの所に行きたい、と何度思ったか知れない。
(…あんたと一緒にいたいのに)
背中の温もりに体重を預けて、ずるずると背中が落ちて行く。
拝殿に寝転んだスコールを、咎める者はいなかった。
ぺろ、と頬がくすぐられる。
レオンの舌だ。
『寝ると帰りが遅くなるぞ』
「……いい。今日はラグナは帰らない」
『風邪を引く』
「…そうしたら、明日休めるな」
腕で顔を隠して丸くなるスコールに、やれやれ、と狐は溜息を吐いた。
頭の傍で、きしきしと古い木板が音を立てている。
しばらくして音が止まると、暖かいものが頭を囲むのが判った。
ふわふわと暖かいそれが、レオンの体温だと知るまで、時間はかからない。
『風邪を引いたら、明日の林間学校とやらは休めても、此処にも来れなくなるぞ』
「……あんたは、明後日も此処にいるだろ」
『三日後も此処にいる』
「だから林間学校に行けって?」
『いや。俺も、三日もお前と逢えないのは、寂しい』
スコールの首下に、しっとりと濡れた鼻と、細いヒゲが当たる。
くすぐったいな、と思いながら、スコールは目を閉じた。
(俺も、あんたに逢えないのは、寂しい)
レオンは、スコールの心の拠り所だ。
幼い頃から、レオンはスコールの唯一の友達で、自分の全てを知っている者だった。
────だから、思う。
(あんたと、ずっと一緒にいられたらいいのに)
こんな風に、夕暮れのほんの一時ではなく、ずっと。
明日逢える逢えないではなく、傍にいる事が出来れば良いのに。
スコールは身動ぎをして、自分を包んでいる狐の尻尾に腕を回した。
潰さないように力加減をしながら抱き着けば、ふわふわとした毛並が心地良い。
「……レオン……」
小さく小さく名を呼んで、それきり、スコールは静かになった。
勉強で根を詰める事が多いスコールは、昨夜も遅くまで勉強机に齧り付いていた。
レオンはそれを見てはいないが、スコールの目の下に薄らと残ったクマを見れば、彼が睡眠不足に陥っていた事は容易に想像できる。
すぅ、すぅ、と寝息を立てるスコールの寝顔は、昔からレオンがよく見ていたものと変わらない。
レオンはそんなスコールの頬に顔を寄せ、ぺろ、ぺろ、とまろい頬を舐める。
きゅ、とスコールが抱いている尻尾が強く抱き締められる。
スコールはいつも遠慮がちに抱くので、引っ張られたり、痛みを感じた事は一度もない。
もっと強く抱き着いても良いのにと思うが、スコールはあまり他者の体温が得意ではなかった。
それを思えば、こうして抱き着いたり、身を寄せたりしてくるだけで、スコールと言う人間にとって大きな意味を持つのだろう。
カア、カア、カア、と森の向こうで鴉が鳴いている。
よく通る鴉の声に、スコールが僅かに身動ぎしたのが判った。
八尾の中の一本でスコールの頭を覆い、まだ響く鳴き声から隠してやる。
『………』
遊ぶ尻尾がふわふわと揺れる。
レオンはそれの全てで以て、スコールを世界から包み隠して呟いた。
『……あと、少し……』
あと少しで、お前の願いを叶えてやれる。
その呟きを聞いている者は誰もいない。
スコールはすぅ、すぅ、と穏やかな寝息を立てている。
夕の空が完全に見えなくなる頃には起こそうと決めて、レオンも束の間、目を閉じた。
──────狐の尾がもう一つ分かれる、ほんの少し前の話である。
『獣レオン×と人間スコール』のリクを頂きました。
ライオンと狼と狐で迷って、狐です。完全獣型ですが、多分後に人型にもなれるようになる。
なんか色々設定作ってましたが、使う余裕なかった。
このスコールは昔から霊感やら何やらが強かった感じ。その所為で色々卑屈になってます。
体調管理は何事に置いても、基本中の基本である。
それを、体が資本の傭兵が判っていない訳がない。
増してスコールは気真面目な性格であるし、元々が傭兵としてそれなりに鍛えられているので柔な体は持っていないし、半裸で寝る習慣がある訳でもないから、体調不良に見舞われた時には、それなりの理由があるものだ。
その“それなりの理由”と言うのは、突然降り出したゲリラ豪雨に見舞われたとか、作戦任務中に止むを得ず水場を強行する必要があったとか、キャパシティを越えた疲労に見舞われたか、と言う具合だ。
が、今回のスコールの体調不良は、彼一人の責任ではなかった。
と言うよりも、ほぼ全面的に、ラグナに責任があると言って良い。
久しぶりの連休が取れたと言うスコールが、エスタにやって来たのが昨日の事。
連休の為に仕事を前倒しで片付けたと言う彼は、来国した時点で少々疲労が見えていた。
そんなスコールを出迎え、今日の所はゆっくりお休みと私邸に送り届けた後、ラグナは再び仕事へと戻った。
そして夜の帳が下りる頃、ようやく全てのスケジュールを終えて、ラグナが私邸に戻ってみると、スコールが夕食を作って待っていた。
スコールは終始言葉少なであったが、代わりに彼にしては珍しく積極的にスキンシップ───と言っても、手を触れようとしたり、寄り掛かって来たりと言う些細なものではあるのだが───をして来た。
珍しいなとラグナが言えば、駄目なのかと赤い顔で問う。
大人びた顔をしていても、英雄だの指揮官だのと大層な肩書を持っていても、根は寂しがり屋の子供だ。
ずっと焦がれていた温もりを、彼は何よりも欲しがっていた。
そんな可愛い息子兼恋人を前にして、ラグナの理性はぷつりと切れた。
ラグナの翌日は早かった。
しかしその時、既に後の事などラグナの頭にはなく、無我夢中でスコールを抱いた。
久しぶりの睦み合いに、スコールも箍が外れたようで、甘えて縋って、必死になってラグナにしがみ付いていた。
いつにないそんなスコールの様子が可愛らしくて、ラグナも一層燃えたものである。
最後にはスコールが気を失い、その寝顔を見ながら、ラグナも意識を手放した。
……その結果、スコールが風邪を引いたのである。
昨夜はエスタでは珍しい熱帯夜で、バラム育ちのスコールでも参ってしまう程だったので、寝室ではずっと冷房をつけたままにしていた。
先日までの疲労が未だ回復し切ってなかったのも、悪い原因だったと言える。
行為の後、汗だくのまま、裸身で繋がり合ったまま眠ってしまったのも。
とにかく、アフターケアについては、きちんと自分がするべきであった事を、ラグナも深く反省している。
体調を崩したスコールを私邸に一人残す事には抵抗があったが、スコールから「平気だ」と押し切られた。
後は一日休んでいれば治るから、あんたは気にせず仕事をしろ、と言われ、ラグナも止む無く官邸へ向かった。
しかし、やっぱり手伝いの人くらい呼ぶべきだった、とラグナは思った。
食事は昨夜の残り物があったが、体調不良で食べるには少々重いものばかりで、粥を作るにも自分一人では辛いだろうと、そんな気持ちが拭えなかったのだ。
そんなラグナの胸中を、旧い友人達は言葉なくとも察したようで、各市長との会談が詰まった午前のスケジュールが終わると、そのままラグナは私邸へと送り届けられる事となった。
(持つべきものは、優しい友達ってな)
寝室へと向かう廊下を歩きながら、ラグナは察しの良い友人達に感謝する。
溜まる書類の事が少々頭を擡げるが、それも幾つかは彼等が捌いてくれるだろう。
自分が見なければならないものは、スコールの風邪が治ってから、死ぬ気で頑張ればなんとかなる筈だ。
寝室の扉をノックして、ドアノブを回す。
「ただいまー……っと、」
二人で眠っても狭くないようにと誂たダブルベッドを見て、ラグナは声のボリュームを絞る。
其処には、顔を赤らめた少年が目を閉じていた。
物音を立てないように、そっと鞄を置いて、ベッドへと近付く。
気配に敏感な彼の事、普段ならば蝶番の音がした時点で目を覚ます筈だった。
しかし、シーツに包まった少年からの反応はなく、心なしか早い呼吸が聞こえて来るだけ。
(悪化しちまったのかな)
ベッドの横に膝を折って、そっと腕を伸ばす。
スコールは広いベッドの真ん中ではなく、端に寄っていた。
これはスコールの癖らしく、ガーデンの寮ではよく壁際を向いて丸くなっていると言う。
この部屋のベッドは壁際に置かれていないのだが、それでも真ん中よりは端に近い方が落ち付くのか、放って置くとよくこの位置で眠っている。
傷の走った額に汗が浮かび、長い前髪が張り付いていた。
頬に触れれば案の定熱く、枕元に置かれた手も、握って見ればいつもよりもずっと高い温度。
(やっぱり、一人にするんじゃなかったな。でもって、キロスとウォードに感謝)
ラグナは音を立てずに、しかし足早に部屋を出ると、風呂場へと向かった。
脱衣所でタオルを、バスルームから洗面器を取って、水を張って寝室へ戻る。
洗面器の水が幾らか零れたが、ラグナに気にする余裕はなかった。
背中で寝室の扉を押し開けて、いつもスコールとカードゲームをしているテーブルに洗面器を置く。
タオルを濡らしてしっかりと搾り、横向きになっているスコールを仰向けに転がして、額に冷えたタオルを乗せた。
……ふるり、と長い睫が揺れる。
「………、……」
ゆっくりと瞼が持ち上がって、濡れた蒼灰色の瞳が顔を覗かせる。
ぼんやりと少しの間彷徨ったそれを、ラグナはそっと覗き込んだ。
「起きちまったか」
「………?」
ラグナの声を聞いても、スコールの反応は鈍かった。
ぱち、ぱち、とゆっくりと瞬きを繰り返した後、「……らぐな…?」と小さく呼ぶ声が零れる。
「ただいま、スコール」
「……おかえり…?」
「うん。風邪、悪化したみたいだな。辛い?」
「……さむい……」
いつも意地を張るスコールが、素直に弱音を吐いた。
大分辛いみたいだな、と判断して、ラグナは布団をスコールの肩上まで持ち上げる。
「ごめんなぁ。昨日、ちゃんと風呂入れてやれば良かった」
「……ん……」
「折角の休みなのにな」
「……ん……」
「あ、俺も今日はもう休みになったから。欲しいものとか、食べたいものとか。作ってやるから、遠慮せずに言えよ」
「………うん……」
何を言っても、スコールの反応は虚ろだ。
無理もない、と思いつつ、ラグナはふとベッド横のサイドボードを見て、目を丸くした。
其処には今朝ラグナが用意して置いた風邪薬と水が、今朝と変わらない状態で残っていたのだ。
そりゃ悪化もするか、と納得して、ラグナは薬を手に取る。
ちゃんと飲めよ、と言った時、言われなくても、と言い返して来たのに、この有様だ。
「スコール。薬、飲まなかったのか」
「……ん…?」
「おーくーすーり。飲まなきゃダメって言っただろ?」
眉尻を吊り上げて、叱る口調で言ってやる。
しかし、スコールは依然として、ぼんやりとした瞳でラグナを見上げているだけだった。
ラグナはしばしスコールの貌を見詰めた後、ふう、と息を吐いた。
こつんと額を当て合ってみれば、手で触れた時よりも明らかに高い温度が感じられる。
寒気もするのか、スコールは小さく体を震わせていた。
今のまま説教をするものではないだろう、とラグナは気を取り直し、薬を飲む為に、粥か何か、軽く食べられるものを用意しようと腰を上げようとした。
しかし、くん、とシャツの端が引っ張られて、引き留められる。
「……ラグナ……?」
「…スコール?」
泣き出しそうな声で名を呼ばれ、ラグナの動きが止まる。
どうした、ともう一度スコールの貌を覗き込んで、ラグナは目を丸くした。
「どこ…いくんだ……?」
いつも凛と冷えた蒼の瞳が、頼りなく揺れている。
熱で上気した頬の所為か、眦がいつもよりも柔らかく見えた。
ラグナのシャツを掴んだスコールの手が、微かに震えている。
寒さの所為なのか、もっと別の理由なのか、ラグナには判らなかったが、どちらでも良いと思った。
震える手を握って、もう一度ベッドの傍に膝を折る。
離れかけた距離がまた近くなって、スコールはぼうっとした目でラグナを見詰めた。
赤くなった頬にキスをすると、スコールはぱちりと瞬きをして、ことりと首を傾げている。
いつになく幼い仕草のスコールに、ラグナはくすりと笑みを零して、濃茶色の髪をくしゃりと撫でる。
「何処にも行かないよ」
「………」
「ほんとだって。ご飯作って来るだけ」
「………」
じい、と蒼がラグナを見る。
疑るような視線は、きっと不安な気持ちがそうさせているのだろう。
しばらくじっとしていたスコールだったが、は、と小さく息を漏らした後、のそのそと起き上がり始めた。
熱の所為で平衡感覚が鈍っているのだろう、頭がふらふらと坐らない子供のように揺れている。
ラグナは慌ててスコールの肩を掴んで押さえつけた。
「何してんだよ、スコール」
「……キッチン」
「飯なら俺が作るから。お前みたいに凝ったのは無理だけど、お粥くらい……コラ、スコール!」
ラグナの手を払い除けて、スコールはベッドを降りようとする。
立ち上がろうとして、案の定ふらりとバランスを崩したスコールを、ラグナは咄嗟に抱きかかえた。
頭痛がするのか、ラグナに抱えられたまま、スコールは苦しげに呻いている。
こんな状態でキッチン等に行ける訳がない。
普段なら判っている筈なのに、無茶な事をしようとするのは、熱に浮かされている所為だろうか。
やれやれ、と思いつつ、ラグナはスコールをベッドに戻した。
布団をかけ直し、もう起き上がる様子がない事を確認して、ラグナは今度こそとベッドを離れる。
「あ……」
ドアノブに手をかけようとして、聞こえた声に足が止まる。
そっと振り返ってみると、迷子になった子供のような頼りない表情で、空の手を伸ばしているスコールがいる。
ラグナは数瞬迷った後、踵を返す。
ベッドに戻って来たラグナを見て、中途半端に浮いていたスコールの手が伸ばされる。
それを握って、ベッドサイドに膝を着いて覗き込んでやれば、蒼灰色がほんの僅かに細められた。
「大丈夫、何処にも行かない」
「……」
「本当だって。スコールが寝るまで、此処にいる」
「………寝る、まで……?」
「…寝た後も。ずっと」
くしゃ、とラグナの手がスコールの髪を撫でる。
その手は一頻りスコールの頭を撫でた後、火照った頬に触れた。
いつからこんなに悪化してしまったのかと思いながら、ラグナは本当に帰って来て良かったと思った。
もしも通常通りに仕事をしていたら、こんな状態のスコールを、夜まで一人きりにさせる所だった。
程無くして、すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえて来た。
夕飯の用意しなくちゃな、と思いつつ、ラグナはその場から動かない。
繋いだ手がほんの少しでも離れようとしたら、きっと目覚めてしまうであろう少年を、心から愛しいと思った。
どうかどこにもいかないで。
『夏風邪スコールをパパがよしよし』のリクを頂きました。
弱気になってるスコール可愛い。こんな時しか甘えられないスコールを、ラグナが思いっきり甘やかしてあげれば良いと思います。