[カイスコ]今は、このまま
静かな子供だった、と言うのが、カインのスコールに対する一番最初の印象だった。
公園のそばの養護施設で暮らしていたカインが、初めてスコールを見たのは、彼がまだ5歳の時。
近所に引っ越してきた若い夫婦の一人息子が、彼らの元で引き取られ暮らしているという姉に連れられ、公園に遊びに来た時の事だ。
彼は姉の影に隠れるようにぴったりとくっつき、初めまして、と挨拶する利発な姉に促されて、ぺこりと頭を下げていた。
人見知りの激しさはその頃から発揮されており、スコールはセシルの「はじめまして。お名前は?」と柔和な笑顔を浮かべた質問にすら、答えないまま姉の陰に隠れていた程だ。
初めましての挨拶の後も、スコールは姉から離れようとしなかった。
公園で遊んでいた子供達が「遊ぼう」と誘っても、スコールはどれも首を横に振り、おねえちゃんといっしょにいる、と答えた。
利発な姉が、子供達に「ごめんね」と困り顔で詫びていたのを、カインははっきりと覚えている。
あの頃のスコールにとって、大好きな姉以外の存在は、怖いものだったのだろう。
外遊びが好きそうではない、と言う雰囲気は正解で、彼は鬼ごっこもボール遊びも好きではなかった。
同じ年の男子達が、元気に公園を駆け回る傍ら、彼は幼い姉と一緒に砂遊びをしたり、花冠を作ったり。
その事を他の子供達に揶揄われ、中には「実は女なんだろ」とまで言う子供もいた。
その度、彼は「ちがうもん」「おとこのこだもん…」と泣き出す一歩手前の顔で、精一杯の反論を試みたが、今でも弁舌の立つ方ではない彼は、幼い時分にはもっと弱かった。
男の子達に揶揄われては、零れそうな大きな青灰色の瞳に涙を浮かべ、ぐすん、ぐすん、と泣き出してしまう。
成長するにつれ、そうした泣き虫癖は見えなくなったが、あの頃に培った経験は彼に強く根を張ってしまったようで、折々に自信のなさと言うものが垣間見える。
思春期になると、自分の弱さを認め難い、プライドも芽生えてきたようで、すっかり泣くことはなくなった。
が、相変わらず弁舌は立たないので、無言で相手を睨み続けている事が増え、眉間に皺を寄せる事も増えた所為か、彼の眉間にはいつも深い谷が出来ている。
幼年期の経験は、また別の場所でもスコールに根を張っていた。
子供の頃、隣近所の子供達から何かと揶揄われてばかりいた所為か、スコールは対人関係を構築する事に酷く消極的だ。
彼の面倒を見ていた姉の存在がなかったら、もっと悪い方向へ成長していたかも知れない事を思うと、“消極的”程度で済んだのは幸いかも知れない。
しかし、そんなスコールが、カインにだけは懐いていた。
いや、懐いていたと言う程、朗らかなものではない、とカインは思っている。
何せカイン自身に彼と遊んだと言う記憶はないし、スコールもカインに遊んで構ってとせっついてきた事はない。
ただ傍にいただけなのだ。
公園のベンチで本を読んでいたカインの隣に、いつの間にかちょこんとスコールが座っていた、と言うパターンが常である。
カインはスコールが来た事に気付いてはいたが、小さな子供───それも、ふとすれば泣き出してしまうような、人見知りの激しい子供───の扱いは得意ではなかったので、気付かないふりをして本を読み続けていた。
その内、遊び疲れた姉がスコールを迎えに来て、「スコールがお世話になりました」と言って帰っていく。
二人が目を合わせるのは、スコールが帰り際、ばいばい、とカインに小さく手を振る時くらいのものだった。
後から思えば、あの頃のスコールには、それ位の距離感が丁度良かったのかも知れない。
人見知りが激しいが、可愛らしい見た目と、庇護欲をそそる顔立ちで、姉と同じ年頃の女子には受けが良かった。
しかし、彼自身は人見知りが激しい為、あまり知らない人とは一緒にはいたくない。
そんな中、顔見知り程度は知り合いで、無理に距離を詰めてくる事のないカインとの距離は、スコールにとって楽だったのだろう。
ついでに、カインに話しかける子供と言ったら、幼馴染のセシル位のもので、他の子供は皆遠巻きにしているだけだったのも、スコールには良い避難所として機能していたのかも知れない。
カインとスコールのそうした関係は、今も続いている。
────が、意外や意外、高校生になった彼は、存外と友人というものに恵まれていた。
進学した先で、気の良い仲間達に出会えたのが、功を奏したのだろう。
相変わらず彼自身に積極性は薄いが、周りが彼を放っておかないので、一人になる事は少ない。
スコール自身は「煩い」「鬱陶しい」「しつこい」とにべもないが、口ではそう言いながらも、彼も決して友人達を厭う事はなかった。
中学生であった頃は、友人という存在そのものを忌避しているような節が見られていた事を思うと、良い方向に丸くなってきたと言える。
専ら姉とカインにくっついていた彼の幼少期を知るセシルは、「もうカインがいなくても平気かもね」と言っていた。
そうでなければ困るだろう、とカインは返したが、自分の後ろを無心についてきた子供がいなくなると言うのは、心なしか寂しいものがあるような、ないような────そんな気がした。
……しかし、そんな細やかな淋しさも、そう長くは続かない。
「カイン。ほら、来てるよ」
今日の授業が終わり、ゼミの予定もないと帰宅準備をしていたカインに、セシルが声をかけた。
にこにこと楽しそうに彼が指差す方向を見れば、中庭のベンチに座っている少年がいる。
やれやれ、とカインは溜息を一つ。
そんな幼馴染に、セシルは「また明日」と言って、一足先に教室を出て行った。
セシルから遅れる事、約一分半。
中庭のレンガ道を踏んだカインの足音に、少年───スコールが顔を上げる。
いつもながら、どうして足音だけで自分が来たと判るのか、カインには不思議だ。
柔らかな濃茶色の髪のカーテンの隙間から、青灰色の瞳が真っ直ぐにカインを見上げる。
カインはそれを見下ろして、教室で吐いたものと同じ溜息を吐いた。
「スコール。わざわざ俺を待たなくて良いんだぞ」
「……」
「こんな所で俺を待たずとも、ティーダやヴァンと帰れば良いだろう」
カインの言葉に、スコールは拗ねた様に唇を尖らせ、眉間に皺を刻む。
週に一度、スコールはカインが在籍する大学に来て、帰路を共にする。
この大学は、スコールの家と通う高校の中間地点に位置している為、帰り道を少し変えれば立ち寄れる立地になっていた。
よく一緒に帰っている友人達も同じようなものなので、彼らが大学に立ち寄る事自体は、不思議ではない。
しかし、スコールが、週に一度、カインが出てくるまで中庭で待ち続けていると言うのは、どうしたものか。
昨年の夏など、熱中症になりかけてまで待っていた事もあり、幾らなんでもこれは駄目だと、待つのを止めるように言ったのだが、その時のスコールが、まるで捨てられるのを待つ猫のような顔で見詰めてくるものだから、結局カインの方が譲る事となった。
以来、夏は日陰で水を常備して待つようになったのだが、そもそも、待たずに帰ればあんな事にはならなかったのだ。
子供の頃から懐いていた少年が、今も自分を慕ってくれる事に悪い気はしないが、此処まで傾倒されるというのは、些かどうかとも思う。
そんなカインの胸中など露知らず、スコールは拗ねた顔を続けている。
言葉以上に雄弁な瞳が、カインの言葉に対し、どうしてそんな事を言うんだ、と訴えていた。
その目に返せる言葉が見つからず、カインはもう一つ溜息を吐いて、
「……帰るぞ、スコール」
「……ん」
いつもの言葉をかけてやれば、スコールは少し安堵した声で頷いた。
歩き慣れた道を、いつもよりも少しだけ歩調を落として歩く。
それは、スコールと並んで歩く時の癖だった。
今でこそスコールの身長は177cmとそこそこの数字だが、子供の頃は同じ年頃の子供と比べても随分と小柄だった。
だからカインやセシルと言った年上の少年と一緒に歩くと、コンパスの差で直ぐに遅れてしまう。
それを追って走れば、足を縺れさせて転んでしまうのがお決まりだったから、いつしかカイン達はスコールの歩調に合わせて歩くようになった。
今ではスコールの足もすらりと長く伸び、運動神経も良くなり、少し走った程度で転ぶ事もないのだが、長年の癖と言うものは中々抜けず、二人並んで歩く時には、決まって歩調を落として歩いている。
夕暮れ道を歩く中、カインは何度となく考えていた事を口にした。
「スコール。何故お前は、いつも俺を待っているんだ?」
「……駄目なのか」
「そうは言っていない。だが、去年の夏も、今年も、熱中症で倒れかけた事があるだろう。あんな風になってまで、俺を待つ必要があるのかと聞いているんだ」
前述の夏は勿論の事、真冬でもスコールはカインが大学から出てくるのを待っていた。
高校生とは違い、終わる時間が不定期なので、長く待たされる事も少なくないだろうに、それでもスコールはカインを待っている。
まるで、子供の頃、姉が迎えにくるのをカインの傍で待っていた時のようだった。
中庭に来た時、カインを見つけた青灰色が、仄かに嬉しそうの細められるのを、カインは知っている。
それを見る度にむず痒くはあるが、悪い気はしなかった。
だから昨年の春、自分を待つスコールを初めて見た時は、姉が大学進学を期に留学し、幼年の頃から続く親近者がカインとセシル位しかいなくなった事もあり、好きにさせてやろうと思ったのだ。
しかし、あの時に比べれば、スコールは友人を持ったし、カインばかりを頼らなくても良いように見える。
そう思うと、カインには尚更、スコールが自分の下へやってくる理由が判らない。
隣を歩くスコールは、カインの質問に返事をしなかった。
足元を見つめて歩くスコールは、答えに宛がう言葉を探しているようにも見える。
カインは、また少し歩調を緩めて、スコールが言葉を見つけるのを待った。
「……」
「……ん?」
色の薄い唇が、微かに動く。
それを見つけて、しかし音は聞こえなかった事に、カインが何を言ったのかと確かめようとするが、
「なんでもない」
「……」
遮るようにそう返されて、カインは嘆息した。
それきり、スコールは貝のように口を閉ざす。
二人の間での沈黙は、特に珍しいことではない。
カインは元々寡黙な性質であり、スコールも自分から積極的に喋る性格ではない。
どちらも賑やかしよりも静寂を好むタイプであり、お互いがそうであると判っているから、沈黙の時間と言うものに窮屈さを感じる事もないのだ。
だからこそ、二人の関係は、幼少の頃からずっと続いており、スコールがカインに懐いたとも言える。
大学からスコールが住む家までは、歩いて十分程度。
カインは其処からまたしばらく歩いた場所に、一人暮らしをしている。
スコールの家の玄関前まで来た所で、カインは隣の少年を振り返った。
足を止めたスコールは、まだ俯いたまま、じっと口を噤んでいる。
気まずそうな雰囲気を滲ませている少年に、二度目の嘆息が漏れるカインであったが、その眦か微かに緩んでいる事を見る者はいない。
「来週も来るのか」
「………」
応とも否とも、スコールは答えない。
ある意味、正直な反応であった。
そうか、とカインが零すと、それをどう受け取ったのか、スコールが下唇を噛んだ。
鬱陶しがられている────そう受け取ったのは、想像に難くない。
スコールの思考は、基本的にマイナスに向かって動くのだという事を、カインはよく知っている。
そんなスコールの柔らかな髪を、カインの手がくしゃりと撫でた。
「それなら、次からは図書室で待っていろ。あそこなら空調が効いている」
カインの言葉に、スコールが顔を上げる。
眉間の皺を忘れ、きょとんとした顔で見上げる少年は、まだまだ幼い顔立ちをしていた。
撫でる手を放し、じゃあな、とカインは背を向ける。
あ、とスコールは口を開けたが、彼は遠ざかっていく男を呼び止める声を持たなかった。
しかし、まるでその声が聞こえたかのようにカインが振り返る。
蒼と菖蒲色が交じり合う。
男の形の良い唇が弧を描くのを見て、少年は静かに呼吸を失った。
カイン×スコールと言うか、カイン(→)←スコールと言うか。
スコールが自分の気持ちを言うのを待ってるカイン。
庇護欲もあったり、相手はまだ子供だしという気持ちもあって、カインが自分の方から言うのは控えてる。