[オニスコ]このてのひらは僕だけの
ルーネスが風邪を引いた。
珍しい事だと言うのが、その話を聞いた全員の第一の感想だろう。
自分に厳しいルーネスは、自己の体調管理にも当然、余念がない。
寒い日には体を冷やさないように十分に温めてから就寝するし、余計な怪我を避ける為に、特訓や運動前のストレッチも欠かさない。
座学への興味も尽きない彼は、夜遅くまで本を開いている事も多いが、反面、自分が眠いと思ったら無理をせずに休むようにしている。
毎日の些細な積み重ねが、自分自身を育てる事にも、怠惰にもし得る事も、彼は理解しているのだ。
────とは言っても、バイオリズムとは不思議なもので、それだけ務めても、思わぬ時にバランスを崩してしまうものだった。
ルーネスが体調を崩したその日、秩序の聖域の屋敷には、ルーネスの他、スコールのみが待機する事となった。
スコールならば安心だろう、とウォーリアが言い、ティナもそうねと頷いた。
本当はティナもルーネスの面倒を見たかったようだが、生憎、彼女には看病の知識がない。
この世界で仲間達との共同生活を始めてから、折々に怪我や病気で寝込む者を看る機会がある為、経験が皆無と言う訳ではないのだが、手放しで任せられるかと言われると、少し難しい。
その点、スコールならば、元の世界で看護に必要な知識───最低限の程度であると彼は言うが───があるし、病人に無茶をさせる事もなく、ついでに言うと、ルーネスが大人しく言う事を聞くであろうと言う思惑もあって、聖域の留守を任される事となった。
仲間達がそれぞれの予定に合わせて出立した後、スコールは少し早目に昼食を採った。
トースターで焼いたパンとコーヒー、朝食の残りのサラダを手早く腹に入れた後は、ルーネスの為の粥を作る。
少し多めの水で炊いた全粥を土鍋に移し、少し塩を振り、真ん中に梅干しを入れる。
小さな皿に漬物を二切れ乗せて、熱い茶を淹れた急須と湯呑、それから匙と土鍋とトレイへ並べて、キッチンを出た。
リビングの扉を背中で押し開けて、二階へ向かう。
五つ並んだ部屋の右端に、ルーネスの部屋がある。
スコールは持ったトレイを落とさないように片手で持ち直し、空いた手で扉をノックした。
「はーい」と言う返事が聞こえたのを確認して、ドアノブを回す。
「昼飯だ。食えそうか」
「うん。ありがとう、スコール」
部屋に入ってきたスコールを見て、ベッドに寝転んでいたルーネスが起き上がる。
まだ子供らしさの残るまろい頬は、ほんのりと熱の赤みを帯びていたが、瞳はしっかりとしており、熱もそれほど高くはないようだ。
「朝あんまり食べなかったからかな。お腹空いちゃって」
「食欲が出てきたのなら、良い事だな」
今朝のルーネスは、熱の自覚症状を感じ始めた所で、食事もあまり進まなかった。
食べたいと言う気持ちはあるが、体がそれを受け付けられなかったのだ。
しかし、あれから数時間の間をおいて、ベッドで養生に努めたお陰か、熱も下がり、代わりに空きっ腹が元気な主張を始めていた。
スコールからトレイを受け取ったルーネスは、それを膝の上に置いて、土鍋の蓋を開けた。
ほこほこと立ち上る湯気の中、紅一点を抱いた白米の煌めきに、ぐう、とルーネスの腹が鳴る。
「頂きます」
「ああ」
行儀よく両手を合わせた後で、ルーネスは匙を手に取った。
この世界に召喚された戦士の中で、ルーネスは最も小柄であるが、食事の量は他の面々に引けを取らない。
ティナやセシル、バッツ等のように、魔力もかなりの量を操れる者は、総じて健啖家であった。
まだ熱い粥に息を吹きかけて冷ましながら、ルーネスはぱくぱくと小気味良く平らげていく。
スコールは土鍋の中の粥の減り具合を見ながら、もう少し多めに作っても良かったか、と思った。
だが、幾ら消化しやすい粥とは言え、食べ過ぎれば胃に要らぬ負担をかけてしまうだろう。
昼食は一先ずこれで済ませて貰って、後でまた小腹が空いた時には、昨日フリオニールが作ったデザートの残りを出してやるのも良い。
ルーネスが粥を食べ終わる頃に、スコールは湯呑に茶を入れ、ジャケットのポケットに入れていた薬包を取り出す。
「バッツが煎じた薬だ」
「うわ……有難いけど嬉しくない」
顔を顰めるルーネスの言葉に、スコールの唇が緩む。
「あいつの薬は苦いからな。セシルも顔を顰める位に」
「本当にね。良い薬は苦いものだって言うけどさ。もう少し飲み易くして欲しいな」
「同感だ」
ジョブマスターを自負するだけあって、バッツは薬師としての腕も悪くない。
スコールもサバイバル用の薬草の知識はあるが、あそこまで幅広く網羅している訳ではないし、幾つもの種類の薬草を煎じて“薬”として使えるものを作れと言われると、白旗だ。
それだけの知識があるなら、苦くて堪らない薬も、もう少し工夫を施せるのでは、と思うが、バッツは其処までしてはくれない。
と言うよりも、バッツとしては今の状態でも、十分に苦味を抑えて作っているつもりなのだそうだ。
そう言われてしまっては、スコール達にはどうしようもない事で、これ以上の我儘はひっこめた。
ルーネスは先ず湯呑の茶を一口飲んで、温度を確かめるついでに、口の中を湿らせた。
それから、粉末状に砕かれた薬が、さらさらとルーネスの口の中へ入っていく。
舌の上で溶け始めた苦味に、ルーネスの眉根が目一杯寄せられていた。
スコールが湯呑を差し出すと、ルーネスは直ぐにそれを受け取り、こくこくと口の中のものを喉の奥へと流し込んでいった。
「う~っ!」
「……もう一杯飲むか」
急須を用意するスコールに、ルーネスは頷いた。
空になった湯呑に並々と茶を注ぐと、ルーネスはそれを半分まで一気に飲み干す。
それからようやく、はあ、と一息を吐き出した。
「苦かったぁ……」
「よく頑張ったな」
「やめてよ、その言い方。子供じゃないんだから」
年少の子供を褒めるようなスコールの口振りに、ルーネスは唇を尖らせる。
口直しに、ぱりぱりと漬物を齧って、ルーネスの食事は終わった。
空になった土鍋と匙をトレイに戻し、スコールはそれをベッド横のサイドテーブルへ置いた。
「少し熱を計るぞ」
「うん」
ぽふっ、とルーネスがベッドに横になり、スコールの僅かに温度の低い手が、少年の額に触れた。
「…まだ少し熱いな」
「スコールの手は冷たくて気持ち良いよ」
「……お前の熱が下がりきっていないって事だろう」
心なしか嬉しそうに言うルーネスの言葉に、スコールは溜息を吐いて返した。
暢気だな、と呆れた表情を見せるスコールだったが、ルーネスは気にしていない。
目を閉じて額に触れる冷たさを感じている彼の表情は、いつものこまっしゃくれた生意気さはなく、穏やかな顔をしているように見えた。
「眠るか?」
「んん……あんまり眠くはないんだけどね。さっきまで寝てたし」
「……」
「でも、もうちょっとこうしていたいかな。スコールの手、気持ち良いから」
そう言って、ルーネスの緑黄の瞳がスコールを見上げる。
良いかな、とねだられている事を、スコールはなんとなく察した。
反面、忙しいのなら良いよ、と言う気遣いのようなものも感じられて、スコールは溜息を吐く。
「……少しだけだぞ」
病人、それも子供───と言うと彼は怒るに違いないが───が甘えたがるのは、恐らく普通の事だ。
自分がそうであったかはスコールに思い出す事は出来ないが、そうでなかったと言い切れる程の自信もないし、知識や意識としてはそう言うものなのだろうと思っている。
第一、今は特にやらなければならない事がある訳ではないし、病人が傍にいて欲しいと言うのなら、叶えるのは吝かな事ではなかった。
ルーネスの額に触れていた手が、するりと滑る。
淡い金色の髪に手櫛が通るのを感じて、くすぐったい、とルーネスは笑った。
不器用な手付きで撫でる手は、とても優しい。
その優しさに甘えて、ルーネスは、その手を一人占めする喜びを感じながら目を閉じた。
3月8日と言う事で、オニスコ。
子供は苦手と言いつつも、割と無条件に甘やかしてくれるスコール。
子供扱いは好きではないけど、自分にだけ甘いスコールが嬉しいルーネス。
そんなオニスコ。