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2019年08月
どうしてこうなった────と叫んでも、きっと誰もスコールが欲しい答えはくれない。
折角だから良いじゃない、と言うきらきらとした笑顔ばかりが返って来るのが想像できて、スコールは叫びたい気持ちを喉まで来て飲み込んだ。
これが良い、こっちが可愛い、こっちも綺麗、とめいめい楽しそう過ごしているのは、新たな秩序の女神に召喚された女性陣。
彼女たちをぐるりと囲んでいるのは、見た目も華やかな沢山の種類のドレス。
カジュアルなものからクラシックなものまで、選り取り見取りの衣裳部屋で、女性陣は実に楽しそうだ。
皆それぞれに、自分が着たいと思うものを探したり、誰かに似合いそうなものを見繕ったりと、爛々と瞳を輝かせている。
あまりこう言ったものに関心がなさそうなライトニングでさえ、周囲の女子陣の雰囲気に感化されたか、皆が選んでくれるドレスを受け取っては着替えて披露目させている。
其処に、何故かスコールもいるのだ。
こんな雰囲気は苦手なのに、逃げる事も許されず、椅子に座らされ、白のパーティドレスを着たリノアに髪を整えられている。
普段スコールの髪は首元までのすっきりと短いものだったが、今はエクステンションのお陰で、背中にかかる程の長さになっていた。
「えへへ~。スコールの髪、一度で良いから触ってみたかったんだ。こんな所で叶うなんて思わなかった」
「……楽しそうだな……」
「そりゃあもう!」
リノアはこの世の春が来た、と言わんばかりの満面の笑顔だ。
どうもその笑顔に弱いスコールは、観念したように目を閉じて、リノアに頭を預ける。
この世界の存在意義に多大な物議を呼びそうなこの光景は、秩序の戦士達のちょっとした休息を望む声が、あれよあれよと転がって行った末のものだ。
以前の世界に比べ、切々とした理由で、命をかけた闘いをする必要はない────とは言え、やはりこの世界で望まれているのは“闘うこと”である。
だが、年若い者も多くいる事や、以前よりも何処かスポーツめいた雰囲気が混在している所為だろうか。
若者達の切羽詰まった糸はいつまでも保てるものではなく、何処かで娯楽を求めていた。
それは大抵、芸達者な仲間がちょっとした雑技を見せたりする事で解消されていたのだが、その過程でダンスが取り上げられた。
ジタンを筆頭として、芸として踊りを見せる事に慣れた者だけではなく、皆で踊ってみてはどうか、と言う提案が上がったのだ。
スコールとしては、踊りたい者だけが勝手に過ごしてくれれば良かったので、自分には関係ない話と殆ど聞いていなかったのだが、それが良くなかったのだろう。
“皆で踊る”訳だから、其処にはスコールもしっかり数に含まれていたのだ。
そして、皆で踊るのならいっそダンスパーティのようにしてはどうか、と言う話になり、更には女神まで巻き込んで、衣装を用意する事は出来ないかと相談に行ったらしい。
色々と頼りない所があり、人の感情に鈍感な節も見られるマーテリアだが、“女神”であるからなのか、女性陣からの提案に妙に乗り気になったと言う。
その末に用意されたのが、広い衣裳部屋が中身付きで丸ごと、と言うものであった。
この頃から嫌な予感を感じたスコールは、誰かに捕まる前に見回りにでも逃げようとしたのだが、その前にティナとユウナに捕まり、あの真っ直ぐで純粋な目に挟まれて、衣裳部屋へと連れ込まれてしまったのである。
衣裳部屋に入れられたスコールは、まるで着せ替え人形であった。
普段は黒を基調にしたタイトな服装だけを着ている彼女を、女性陣はこれでもかと着飾らせた。
可愛らしいフリルレースをふんだんに使ったものや、背中が大きく開いたもの、スリットの深いスカート、エトセトラ。
余りに自分が着るには酷いとスコールが思うものまであって、流石にそれは勘弁してくれとスコールも主張した。
最後はスコールの好みを理解した上で選んだのであろう、紺色のドレスを用意したリノアのコーディネートを着る事にした。
そして(スコールにとっては)長い時間をかけて、ようやくアクセサリー選びも終わり、
「これで完成ね。うん、似合ってる」
「スコール、綺麗だよ~」
「……勘弁してくれ」
褒めちぎるティファやリノア、楽しそうな周囲の女子の言葉に、スコールはどう言う顔をして良いか判らない。
いつもはしないメイクを施された自分の顔も、なんだか自分の物とは思えないのだ。
それでも、一応、やる事は終わったらしい。
やっと解放された気持ちで、スコールは久しぶりに椅子から腰を上げた。
それを見付けたライトニングとヤ・シュトラが、くすりと笑みを浮かべて言った。
「やっと終わったか」
「スコール、貴方のパートナーが外で待ってるわ」
「…パートナー?」
何の話だと眉根を寄せるスコールだったが、ライトニングとヤ・シュトラはそれ以上は言わなかった。
行ってらっしゃい、と手を振る彼女を訝しみつつ、スコールはリノアに手を引かれて衣裳部屋を後にする。
部屋を出ると、其処は見慣れた景色ではなくなっていた。
基本的には殺風景で、各人の部屋に入る扉以外は何もなかった筈の廊下が、大理石の床になり、カーペットが敷かれ、壁には意匠を凝らしたランプが設置されている。
誰かの世界の由緒正しい貴族の屋敷でも模したのか、と思う雰囲気だった。
何と言う力の無駄遣い、前代の女神が見たら何を思うだろう……と、余り意味のない事にスコールが憂いを感じていると、
「おっ、終わったのか。ほら、スコールが来たぜ」
声のした方を見れば、ジタンとバッツが手を振っている。
こっちこっち、と呼ぶ二人の方へ、聊か面倒な気持ちもありつつ足を向けたスコールは、彼らの傍で此方に背を向けて立っている人物に気付いた。
雪のように澄んだ銀色の髪は、いつも兜に隠されて、滅多に見る事はない。
それが今は余す所なく晒されて、無精気味に跳ねている所を不自然にならない程度に直されている。
きっと衣装に合わせてきちんとした方が良い、と身嗜みに煩い面々から手を出されたのだろう。
ひらひらとランプの光を反射させる銀色が、ゆっくりと閃いて、アイスブルーの瞳がスコールを捉える。
「……ウォル、」
名前を呼ぶと、心なしか瞳が和らいだように見えた。
ウォーリア・オブ・ライトは黒のテールコートに身を包んでいた。
スコールの世界で言えば、ドレスコードが指定される正式な舞踏会や、礼式の場で着用する、最上級の礼服だ。
上から下まで完璧に整えられたウォーリアの姿は、今現在の宮廷めいた背景と相俟って、正真正銘の貴族のようにも見える。
隣でジタンとバッツも同様の服装をしてはいるのだが、ピンと背筋を伸ばした姿勢や、体全体の均等を取れたバランスが、より彼の存在感を光らせている。
騎士然とした鎧姿のウォーリアとは違うが、生まれながらの英才教育を受けた紳士と思われても可笑しくない、そんなウォーリアの姿に、スコールの目は釘付けになっていた。
スコールはリノアに手を引かれたまま、ウォーリア達の下まで歩み寄る。
と、リノアはスコールを前に立たせて、男性三人にお披露目して見せた。
「見て見て、スコール、綺麗でしょ」
「ああ、すっごく綺麗だ!」
「何処のお姫様かと思ったぜ。勿論、リノアちゃんもな」
素直に褒めるバッツと、抜け目なくリノアの事も褒めるジタン。
そんな二人に挟まれて、ウォーリアは頭一つ低い位置にあるスコールの顔をじっと見詰めている。
相変わらず強い目力に、もう随分と慣れてはいたが、自分の慣れない格好もあって、スコールは無性に恥ずかしくなった。
背中にくっついているリノアを肩越しに見る蒼は、縋るような色を含んでいて、リノアはしっかりとそれの理由に気付き、
「ね、ウォルさん、どうかな?」
「おい、リノア……!」
「スコールだって気になってるでしょ?」
「俺、は、別に……」
好きでこんな格好にされた訳でもない、とスコールは眉根を寄せるが、リノアはにこにこと笑顔だ。
素直になれないスコールの胸中を、リノアはしっかり見抜いている。
それがまたスコールには恥ずかしい。
おまけに、ウォーリアはまだ此方を見詰めているだけで、何も言わない。
元々表情の変化に乏しい彼だが、今は輪をかけて無表情に見えて、スコールは居た堪れなかった。
変なら変だとはっきり言え、とスコールが言おうとした所で、
「……ああ。とても綺麗だ」
「………!」
感歎したウォーリアの声は、とても優しく、愛しさに満ちていた。
普段はスコールだけが聞く事の出来るその声音に、スコールの顔はゆっくりと赤くなっていく。
それを見た三人の仲間達は、顔を見合わせ、空気を呼んだ。
「よしっ。それじゃ私は先に行ってるね、スコール」
「…は?」
「じゃあおれ達も行くか」
「そうだな。ではリノアちゃん、お手をどうぞ」
「ありがと、ジタン。じゃあ後でね」
ひらひらと手を振って、リノアはジタンにエスコートされて歩き出した。
バッツもそれについて行く形で、ダンス会場に宛がわれているのであろう、廊下の向こうにある大きな扉へと向かう。
その場にスコールとウォーリアの二人だけを残して。
ちょっと待て、待ってくれ、と声にならない声で叫ぶスコールだが、仲間達には聞こえない。
共に取り残された相手の方を、恐る恐ると見て見れば、柔らかく細められた瞳がじっと此方を見詰めていた。
またスコールの顔が熱くなり、それに気付いたウォーリアの表情が、心配そうなものに変わる。
「スコール。顔が酷く赤くなっている。熱があるのではないか」
「……それは、ない。ないが……いや、なんでもない」
「?」
赤らんだ顔をウォーリアから逸らして隠しながら、スコールは火照った顔に自分の手を当てる。
早く熱を逃がそうと、はあ、と溜息を吐くスコールの前に、すい、と白い手袋を嵌めた手が差し出された。
「…なんだ?」
「違っただろうか」
「…何が?」
訝しむスコールに、ウォーリアは少し不安そうな声で訊ねた。
その意図が読めずにスコールが訊ね返すと、
「こうした場では、エスコートと言うものが大事なのだと、ジタンが言っていた。エスコートは男性が女性を大切にする為の礼節に必要なものであると」
「ああ……まあ、そう、か」
「古くは騎士が大切な人を守る為の習いであった事もあったと。ならば、君をエスコートするのは、私でありたい」
「それ、は……うん……」
何か色々と脚色が混じっている気がするのは、スコールの気の所為か。
世界が違う、価値観が違う、異文化の背景も混じっているのだろうか。
先に行ってしまった仲間に、それを問い詰めたい気もするが、彼らはきっと戻って来るまい。
戦う事を目的として生み出された世界に召喚されて、戦う為に生きている傭兵であるスコールにとって、守られるなんて事は、耐え難い事だ。
けれど、真っ直ぐに見詰めるアイスブルーの瞳は、それでもスコールを守ろうとするのだろう。
手を差し出した格好のまま、ウォーリアは動かない。
スコールの反応を待っているのだろう、その表情は、これで正しいのだろうかと言う若干の不安が見て取れた。
スコールの手が、そっとウォーリアの手に重ねられる。
触れた場所から伝わる優しい温度に、今日だけはこの手に守られているのも良い、と思った。
『甘々な感じのウォル♀スコ』のリクを頂きました。
先天性でも後天性でも良いとの事でしたので、先天性な♀スコールを。
ウォルはマナーとかそう言う物を、弁えているけど理屈は特に判っていないと言うか、本能的に所作がそれに準じて整っていると良いなあと言う妄想。
でもエスコート云々のやり方とかは判っていないので、ジタンに教わった通りにやっています。
スコールはダンスの授業もある訳だし、SeeDになれば色んな場面に出そうだから、ルールやマナーは一通り知ってはいそう。
と言う理屈は置いといて、スコールをエスコートするドレスコード着用のウォルが書きたかったのです。
クラウドが独り暮らしをしているアパートは、築三十年で、中のリフォームも殆ど行われていない物件である。
近所にスーパー、コンビニ、内科を中心とした病院もあり、立地条件はそこそこ良い。
駅への道は少し遠く感じる所もあるが、バイクや車と行った移動手段を持っていれば、それ程気にはならない程度だ。
周囲には似たような物件はそこそこ多く、そのお陰か、苦学生や利便性優先で居住の快適さは二番手に考えている人が選ぶような所だ。
夜は女性が出歩くには少々心許無いのだが、道に沿って備えられた街灯の数は多い方で、クラウドが此処で暮らすようになってから、今の所は事件めいた出来事は聞かない。
とは言え夜間の出歩きは不用心である事には変わりなく、築年数が経っている家のセキュリティと言うのはやはり昨今の住宅事情からはかけ離れたものであるのがよくある事で、そう言う理由もあってか、住んでいるのは多くが男性、と言う印象があった。
築年数が経っている家に住むと、色々と建物トラブルは起こり易い。
管理人がきちんと定期点検をしていない家と言うのも少なくはなく、人の出入りの際に確認点検だけはするけれど、リフォームまではしていない、と言う所もある。
だから家賃も安いのだが、ハズレの物件に当たると、家賃云々よりも家屋修理費の方が高くついた、なんて事もあったりする。
クラウドの住んでいるアパートも、大雨の日に風向きが悪いと屋根の隙間から雨が入り込んで、天井から染み出す雨漏りに見舞われたりするのだが、クラウドはあまり気にしていなかった。
この家賃なのだから仕方ない、と寧ろこの程度で済むなら幸いと、幾つかの対処策だけ講じて、引っ越し等を考えた事はない。
そんなクラウドのアパートに、最近は定期的に訪ねる客がある。
スコールと言う、都内の高校に通っている少年で、クラウドの恋人だった。
生まれも育ちも都会っ子のスコールは、それなりに恵まれた家で過ごしている。
何度かクラウドがお邪魔させて貰った彼の家は、都心の真ん中にあるマンションなのだが、其処はリビングダイニングだけでクラウドの居住空間が丸々収まって余ると言う広さであった。
セキュリティも勿論固く、エントランスホール、エレベーター、玄関扉と全て違うキーで管理されている。
今は携帯電話のアプリで、住人だけが一括管理で鍵を潜れるシステムが導入されたそうだが、このアプリを使うにもマンションの住人である事の登録が必要なのだそうだ。
因みに来客は、奥まで入るには住人側から各所のインターフォンから連絡してロックを一つ一つ解除して貰わなければならない為、住人が下まで降りて出迎えた方が早いと言われている。
運送業者はと言うと、当人受け取りの荷物でもない限りは、エントランスにある宅配受けか、コンシェルジュに預ける事になっていた。
コンシェルジュがいるマンションなんて、クラウドは初めて見た。
こんな所で父子二人暮らしとは、中々贅沢だな────と羨望と嫉妬混じりの皮肉を言った時には、スコールはその手の揶揄には慣れているのか、どうでも良いのか、肩を竦めるだけだった。
スコールの父親は、世間で有名な玩具会社の社長だった。
元々はただの平社員だったのだが、業績と人の心を掴むカリスマ性を買われたらしい。
まるでシンデレラストーリーのような出世の仕方に、嫉妬を買う事も多かったようで、父親の周辺にはきな臭い匂いが漂う時期があった。
そう言う輩がスコールの存在を知り、ラグナへの余りに度が過ぎた嫌がらせや、時にはスコールが命の危機を感じるような出来事もあったと言う。
こうした事件があって、息子を危険な目に遭わせる訳にはいかない、と、父は都心の真ん中にある高級マンションを買ったのだ。
其処なら、どうしても息子を一人にしなければならない時でも大丈夫だと、願って。
そんな背景を持っているスコールを、自分のアパートに上げる事に、クラウドは多少憂慮は持っている。
大きな事件こそ聞いてはいないものの、クラウドが住んでいる地域は、治安が良いとも言えない所だ。
過去に誘拐未遂事件まであったと聞いていると、彼の父が一見過剰な程に心配するのも頷けると言うものである。
しかしスコールはと言うと、今の居住環境が心地良いとは思えないようで、寧ろクラウドが住んでいるような場所の方が落ち着くと言う。
恐らくは、父の仕事の都合もあり、一人で過ごしている時間が長いのに、やたらと広い空間にいるからだろう。
人間は適度に手狭な方が落ち着くもので、クラウドのアパートはスコールにとって丁度良い大きさになるらしい。
でも住むと色々問題もあるぞ、とクラウドは言っているのだが、スコールは其処まで想像が及ばないようだ。
────だが、今日と言う日でスコールは一つ学んだだろう。
このアパートに住むと言う事は、こうした出来事も少なからず起きるのだと言う事を。
昨今、酷暑と呼ばれるような日に、動かない空調を睨むだけの日が、比較的頻繁に起きるのだと言う事を。
「……暑い……」
今年の春に買った二人掛けのローソファに並んで座り、ぐったりとしている男が二人。
零れた声はスコールのもので、彼は額に大粒の汗を滲ませ、熱の籠った赤らんだ顔をしていた。
いつもならその顔を見れば、なんだかむらむらとした気分になって来るクラウドだが、流石にこの暑さではそんな元気も湧かない。
「…だから言っただろう。今日はうちに来ない方が良いって」
「……」
「空調が壊れたから、地獄だぞって」
「……こんなに酷いなんて、思わなかったんだ…」
言った筈だと咎めるように言うクラウドに、スコールは唇を尖らせた。
今日は二人で過ごす約束をしていて、クラウドの家で過ごそうとも話していた。
しかし、今朝になってクラウドの部屋の空調が言う事を聞かなくなり、ウンともスンとも言わなくなった。
午前中はまだ雲が出ていたので、扇風機を回せば過ごせる室温だったのだが、日中になれば灼熱地獄待ったなしだと、クラウドはスコールに外で会うか、スコールの家で過ごすかを提案した。
しかし、スコールはクラウドの家で過ごしたかったようで、少し位平気だと言って聞かない。
言い出すと中々頑固なスコールに、年下の恋人に甘いクラウドは、仕方がないので一度家に来るようにと言った。
一度でもこの温度を経験すれば、この手の我儘は言わなくなるだろう、と思っての事だ。
アパートに来たスコールは、その時点で大分暑さにやられていた。
極端に暑いのも寒いのも嫌いなスコールにとって、夏の昼間の炎天下に外出するだけでも、相当のダメージを伴ったに違いない。
それを乗り越えてでもクラウドの下に行きたい、と思ってくれるのは嬉しいが、環境を鑑みて判断を改めるのは大事な事だ。
「うー……」
苦し気な唸り声を漏らして、スコールの頭が揺れる。
くらん、と傾いた頭が、隣に座るクラウドの肩に乗った。
「クラウド……」
「なんだ」
「あつい……」
「そうだな」
甘えたいのか慰めて欲しいのか判らないが、残念ながら今のクラウドには其処まで応えてやる気力がない。
懸命に首を振っている扇風機は、最早室内の熱を熱風で掻き回しているだけで、涼を与える役割を為していなかった。
「クーラー、いつ動くんだ……」
「業者が来て直してくれたら動く」
「いつ来るんだ……」
「そればっかりは」
「……直ぐ呼べよ」
「それが出来るならしているさ」
今朝、空調が動かないと判った時点で、クラウドは修理業者に連絡をした。
連絡自体は直ぐに着き、今日中には来ると言ってはいたのだが、何時頃に来れるとは言っていない。
と言うのも、酷暑の中でフル稼働する空調はあちこちにある訳で、それらがあっちもこっちも不調を来し、修理業者は儲け時なのだそうだ。
儲けられると言えば聞こえは良いが、空調が動かないと言う事は、その作業場もまた地獄のような環境であると言う事。
加えて何処も人手が足りないと泣く声がする今日、業者が休みなく駆け回っても追い付かない程、修理依頼が舞い込んでいるそうだ。
特にこの地域は、古い空調機器を使い続け、この暑さと長時間の運転に耐え切れなくなった機器も多いらしく、中々クラウドの所まで順番が回って来ない、と言う有様。
こんな状態なのだから、さっさとファミレスなりに避難する方が良いのだとは判っている。
判っているが、クラウドがそれをしないのは、可愛い恋人の我儘の所為だった。
「……スコール」
「…なんだ……」
「もう良いだろう、これだけ暑いんだから。何処か涼しい所に行かないか」
「………」
頑固で我儘な恋人は、クラウドの言葉に判り易く眉根を寄せた。
「……」
「暑いんだろう、スコール」
「…あつい」
「俺も暑い」
「………」
苦しいのは自分だけではない、クラウドも同じなのだと、判り易く伝える。
我儘で頑固だけれど、根は素直な子供なスコールに対し、少し意地悪だとは思ったが、このままでは二人揃って熱中症になり兼ねない。
それは流石に良くない、とクラウドはスコールに外出を促すが、
「……クラウド」
「ん?」
名を呼ぶ声に返事をして、目を合わせてやれば、甘える瞳が其処にある。
薄く開いた唇がねだっているような気がして、クラウドは自分のそれを重ねてやる。
スコールは直ぐに目を閉じて、クラウドが与える甘味を受け入れていた。
どうしても甘やかしてしまう。
キスが欲しいとねだり、触れて欲しいと甘えるスコールは、人目がある場所でをそれを出来ない。
男同士だから、と言うのも理由だが、他人の気配があると、スコールはどうしても羞恥心が先立つ。
けれど本当は触れていて欲しいと求めてもいるから、スコールは人目のない場所に籠っていたいのだ。
それならスコールの家でも良いじゃないか、と言われそうだが、今日は彼の父が家にいるらしい。
流石にそんな状況では、恋人とは言え、堂々とは触れ合えないのはクラウドも弁えているつもりだった。
堪能した唇をゆっくりと離すと、とろんと蕩けた蒼い瞳がクラウドを見詰めていた。
クラウドの首に回された腕が、もっと、と先を求めている、けれど。
「スコール」
「……ん…?」
「暑いんじゃないのか」
「……あつい…」
「このまますると、多分死ぬぞ」
「……やだ……」
「クーラーが直るまで我慢」
「……やだ……」
ぎゅう、と抱き着く腕は、それ程力が入っていないので、振り払おうと思えば出来る。
しかし、そうしてしまえばきっと悲しい顔をするに違いない。
それはクラウドにとっても望む事ではなかった。
そもそも、暑い暑いと言いながら、二人並んで座っている時点で、クラウドがスコールをこれ以上拒否できる筈もない。
嫌ならさっさと離れれば良いし、言い含めて宥めて、スコールを外に連れ出す事も出来ない訳ではないのだ。
とは言え、このまま事に溺れれば、熱中症か脱水症状は確実だろう。
「……水風呂でも入るか」
「……ふろ?」
「湯じゃないぞ。水道管が大分温まってるだろうから、ぬるま湯みたいなものだろうが」
「……あんたも、入る?」
「ああ」
何処にも行かないのなら、せめて別の方法で、この暑さを和らげたい。
提案してみせるクラウドに、スコールは「……はいる」と言った。
よしよしと頭を撫でて、クラウドはスコールに促しながら立ち上がる。
予想通り、水道管がとてもよく温まっているお陰で、思ったほどに冷たい水は出なかった。
それでも部屋で過ごすよりはマシと、胸に頭を預けている少年を抱いて、クラウドは濡れた項に唇を寄せた。
『暑い日に暑い暑いって言いながら結局くっついてるクラスコ』のリクを頂きました。
暑いの嫌いだけどそれより甘えたいスコールと、暑いからせめて場所を変えたいけどスコールが甘えてくれるのは此処だけだとも判っているのでどうしようかなあと考えるクラウドになりました。
水風呂でいちゃいちゃすれば良いと思います。ちゃんと水分は取ろうね。
カチ、チリチリ、カチリ。
小さな小さな金属音が、静かな空間で辛うじて聞こえる。
音の出所は、ロックの手元だった。
其処には古めかしい金属製の錠前が握られ、鍵穴には細い針金が差し込まれている。
ロックは針金を細かい動きで操り、チン、と言う小さな音を聞く度、手指の形を微妙に変えて、じっくりと奥を探るように針金を操る。
スコールはそれを真剣な表情でじっと見詰めていた。
何度目かのカチ、と言う小さな音を聞いて、ロックの口角が上がる。
スコールがその表情の変化に気付いた時には、カチャン、と言う音と共に、錠前の鍵が外されていた。
「こんな物かな。参考になったか?」
「……あまり」
ロックの言葉に、スコールがふるふると首を横に振れば、ロックは苦笑する。
「はは。まあ、そうでなくちゃ俺も困るけどな。それなりに知識と経験が必要な事だから」
言いながら、ロックは外したばかりの錠前の鍵を元に戻す。
何処かの古城のような歪で拾ったと言う錠前は、ロックやジタンと言った、鍵開け術を持っている者達の良い玩具になっている。
ウォード錠と呼ばれる構造を使った掌大の錠前なんて、スコールの世界では、遺跡でもなければ見ないような代物だ。
シリンダー錠を使っている家庭は多くあったと思うが、それでもセキュリティ的な不安も囁かれており、鍵を二重三重にしたり、電子キーと併用したりする所が増えている。
この為、泥棒を働こうとする者は、様々な便利器具のようなものを使い分けたり、習慣として閉め忘れになってしまっている不用心な家屋を狙い、強引な鍵開けを行う者は少なかった。
その所為か、針金一本であらゆる鍵を開けると言う技術は、泥棒稼業のような人間ですら、滅多にお目にかかる事はない。
それだけに、ロックの鍵開け術と言うのは、スコールには目新しく新鮮だった。
歪で見つけた鍵のかかった宝箱など、ジタンが開ける所を見ていたので、初めての経験と言う訳ではないが、目の前でその手法をじっくりと見たのはこれが初めてだ。
そして、見て思ったのは、やはりぱっと見ただけでコピー出来るような簡単な技術ではないと言う事。
「あんたは、こう言う事を誰かに教わったりしたのか?」
「多少は教わったよ。仲間内でこんな扉があるとか、あそこの鍵はこう開けたとか、眉唾な武勇伝もあったりしたけどな。これが出来なきゃ、基本の仕事が出来ないし」
「……泥棒の仕事?」
「俺はトレジャーハンターって、そろそろ判っててそれ言ってるよな?」
じろりと睨んでくるロックに、さて、とスコールは涼しい顔で流す。
スコールはロックの手で遊んでいた錠前を取ると、鍵穴に入ったままの針金を抜いた。
針金は微妙な形に変形した名残が残っており、元は真っ直ぐだったものが少しずつ中の形に合わせて変形していったのが判る。
その変形の過程は、全て錠の内部、即ち目には見えない場所で行われていた事だと思うと、スコールは感心せざるを得なかった。
じっと錠前と針金を見詰めるスコールに、ロックが楽しそうに声をかける。
「スコールもやってみるか?こいつはそんなに複雑じゃないし、偶然でも開けられるかも知れないぞ」
「……」
「知恵の輪みたいなものだと思ってやってみろよ」
それなりに知識と経験が、と言ったその口で、ロックはスコールに鍵開けを実践してみろと言う。
確かに、この技術が身に着けば、この闘争の世界ではともかく、元の世界でも某かの役には立つかも知れない────これを使うような場面が、スコールの世界にあるのかは微妙だが。
開かないものと諦めた上で、スコールは少しだけ試してみる事にした。
素手の方が良いかも知れない、と黒の手袋を外して、スコールは針金を握った。
左手に錠前を持ち、針金を鍵穴に差し込んで、ロックがしていたように、少しずつ針金を左右に揺らして、鍵穴の中を探ってみる。
針金の先端が、穴の中をカリカリと引っ掻いている音がする。
何かに引っ掛かったような抵抗感が時折感じられる気がしたが、それが鍵を開ける為に必要なものかどうか、スコールには判らない。
(……と言うか、何も判らない……)
針金が何かに引っ掛かる感触はあるものの、それにどうアプローチをすれば良いのか。
大体、こうして穴を探っていて、何か判る事があるのかすらもさっぱりだ。
しばらく格闘してみたスコールだったが、時々何か判らない感触がある以外は、何も収穫はなかった。
判っていた事だと溜息を吐きながら錠前から針金を抜く。
「無理だ。判らない」
「諦めが早いな。案外短気だよなあ、スコールは」
「……」
「怒るなよ、別に揶揄ってる訳じゃない。最初は誰でもそんなもんさ」
俺も似たようなものだったし、と言いながら、ロックはスコールの手から錠前と針金を取る。
癖のように流れる仕草で、ロックは錠前に針金を差し込み、カチカチと鍵穴を探り始めた。
「外から見ると適当な事してるように見えるだろうけど、こうやって中の形を確認してるんだ。どの辺に凹みがある、引っ掛かるってことは出っ張りがある……じゃあ多分これはこう言う形の鍵だ、って想像しながら、針金の形がそれに沿うように曲げて行く」
「……鍵穴の形なんて、パターンがあるものなのか」
「ある程度は。時代と言うか、その鍵が作られた技術力と言うか、そう言うので決まって来る。俺の世界では、だけどな。スコールの世界は、もっと複雑なものが簡単に作れそうだから、骨が折れそうだけど」
「あんたは、自分の世界にある鍵の種類を覚えてるのか?」
「まあまあ覚えてるよ。だから、これならこう言うパターンが来る、って言うのも、予想は出来る。だからこう言うのは、天啓みたいな勘も必要だけど、知識と経験がないと難しいものなんだ」
拗ねた顔のスコールを宥めるように話しながら、ロックは錠前を突いて遊んでいる。
しかし錠前を見詰める表情は真剣そのもので、遊びながらも本業の血が騒ぐのだろうか。
一度開けている事もあってから、ロックは先の半分の時間で、錠前を開けて見せた。
「それから、後は指先の感覚だ。嵌ったり引っ掛かったり、そう言う所に気付く事」
「指先……」
スコールの視線が、錠前で遊ぶロックの指へと向けられる。
例えば、一つ引っ掛かりを見付けたとして、その引っ掛かりは出っ張っているのか凹んでいるのか。
それは鍵を開ける為には重要な情報であり、其処を正確に把握するには、自分の指がどんな形状のものを探っているのかを把握できなければならない。
しかし鍵は二つに割って中身を見る事は出来ないので、指先の感覚だけで、その是非を知らねばならないのだ。
必然的にそれを感じ取る為には指先の知覚神経が敏感でなければならず、また更に細かな動きが出来なければ、内部の形通りに針金の形を変える事は出来ない。
トレジャーハンターとして様々な鍵に触れて来たロックの指は、目に見えない所でも、指先一つでその情報を繊細に感じ取る事が出来るのだろう。
────だから、いつも。
いつもあの指には、見付けられてしまうのだろうか。
スコールが必死に隠そうとする場所のことまで。
「…………!!」
「ん?」
ふつり、と脳裏を過ぎった思考に気付いて、スコールの顔が一気に沸騰した。
突然絶句して真っ赤になったスコールに、ロックが顔を上げてきょとんと首を傾げる。
「スコール?どうした?」
「……!!」
鍵を遊んでいた手が離れ、スコールの顔へと近付く。
熱でもあるのか、と頬に触れた手に、指の感触に、スコールはぞくぞくとしたものが背を奔るのを感じた。
つい昨夜、その指はスコールの深い場所に触れていた。
ロックの指先はとても優秀だ。
だからスコールがどんなに隠そうと反応を堪えても、誤魔化せない中の反応で、全て伝わってしまう。
彼の指の動きと言うのはとても繊細で、スコールを傷付けないように優しく解しながら、適格に弱い所を探り当てて来る。
スコールが自分でも知らなかったポイントを、ロックはどんどん見つけ出し、一度見付けるともう忘れてくれない。
其処は嫌だと泣いて訴えても、スコールがとろとろになるまで、優しく、時に激しく、掻き回していく。
そんな事を思い出して、耳まで真っ赤になるスコールを、ロックは心配そうに見ていた。
その距離感が酷く近い事に気付いたスコールは、弾かれたようにソファから立ち上がる。
「な……っんでもない!」
「おお?」
思わず声を荒げたスコールに、ロックは目を丸くする。
ぽかんと見上げるロックを置いてけぼりに、スコールは逃げるようにキッチンへと潜り込んだ。
茹った頭と顔を冷まそうと、スコールはグラスに水を注いで、氷を入れた。
幾らも水が冷えない内に喉を通すが、頬の火照りは一向に抜けない。
こっそりとリビングを覗けば、ロックが首を傾げながら、ぽんぽんと錠前を投げて遊んでいる。
その手を、指先を、スコールは当分の間、真っ直ぐ見る事が出来なかった。
『甘々なロクスコ』のリクを頂きました。
Ⅵ本編でロックが世界崩壊後のナルシェの家の鍵を開ける所が好きです(マニアック)。
あんな事できるんだからロックは絶対に精密作業とか指先のあれこれとか得意だと思ってる。
一家のアイドルが新しい門出を迎えた、春。
末っ子のスコールは、晴れて幼稚園への入園を果たした。
一番上の長男であるレオンは、あまり物怖じしない性格のお陰か、初の登園はスムーズであった。
毎日のように父から登園の練習を促され、彼も真剣に取り組んでいたので、余り不安はなかったようだ。
公園で近所の子供達と遊んでいる時も、その親御と話をしている時も、レオンはすらすらと受け答えをしており、初めて出会うものに対して強く警戒する事はなかった。
好奇心が旺盛、と言う程にやんちゃでもなく、幼いなりに色々と頭の中でシミュレーションをして当日を望むタイプらしく、予定が予定通りに繋がって行けば、彼はあまりパニックを起こさない。
その分、予想していなかった事や、思いも寄らない事が起きると、混乱してフリーズしてしまう事もあった。
幼稚園に入ってからは、そうした出来事にも少しずつ慣れて行く。
そして妹が生まれると、彼女の為に自分がしっかりしなくちゃ、と言う気持ちも芽生え、より慎重に、けれど臆病にはならない性格になっていった。
真ん中の子である娘エルオーネは、レオンよりも賑やかであった。
幼稚園に行くのも特に抵抗はなく、幼稚園と言う新しい場所に行く事を楽しみにしていた位だ。
入園してからも友達が直ぐに出来、クラスの担任の先生にイタズラをしかけるやんちゃ振り。
男の子とケンカをする事もあり、そのケンカに勝った負けたで泣くので、レオンが慰めれば良いのか、叱れば良いのか、褒めれば良いのか、途方に暮れた事がある。
幼稚園で過ごすにあたって、余り不安を感じる事はなかったエルオーネだが、幼稚園の花壇や畑にいる虫だけは駄目だった。
当番制で花壇と畑の水遣りを任される日は、いつもよりも少し嫌そうな顔で登園していたものだ。
そして末っ子のスコールはと言うと、初日から中々大変だった。
兄や姉とは違い、引っ込み思案で怖がりな所があるスコールは、見知らぬ場所に一人で残される事を嫌がり、送った母が家に帰ろうとすると泣いて引き留めた。
スコールがこう行った反応を見せるのは、凡そ想像がついていたので、レインとラグナは予行練習として、玄関を出る時の行って来ますから、園門に着いての行ってらっしゃいまでシミュレーションしていたのだが、当日になるとスコールの不安は一気に膨らんでしまったらしく、慣れない場所に一人にされる事を嫌がって、レインに抱き着いて離れなかったのだ。
生まれた時から母、父、兄、姉に囲まれていたスコールは、幼稚園に行って初めて、家族の輪から離れた場所で過ごさなければならなかったから、余計にスコールは一人になるのが怖かったのだろう。
幼稚園の先生は、優しくスコールを諭してくれていたが、当然ながら3歳の子供に理屈が判る訳もなく、そもそも泣いている子供には中々他人の声は届かない。
幼稚園が怖い場所ではない事、お昼ご飯が終わったら迎えに来るよ、と宥めながら、さり気無く先生にスコールを預けて、レインは家へと帰る日々。
母がいないと気付いたスコールが、門の向こうで大きな声をあげて泣くのが聞こえて、可哀想だと思いもした。
しかしこれは母子ともに一つの試練でもあって、避けて通れる道ではない。
今この道を避けたとしても、小学校に上がる時には同じ事が起きると、レインは簡単に想像できてしまった。
せめてエルオーネが一緒に通園して、同じ場所で過ごせる年齢だったら違ったのかな、と考えたが、もしもは何度考えても現実にはならない。
母としては、一日でも早く、スコールが幼稚園に馴染んでくれる事を祈るばかりであった。
初めての幼稚園の一日を終え、母が迎えに来ると、スコールは泣きながら母に抱き着いた。
レインはそれを受け止めて、先ずは一日を頑張ったであろう息子を褒めてあやした。
明日も行くのよと言うと、いやいやと首を振った幼子に、なんと言って宥めたものかと考えながら帰路を歩いたのを覚えている。
次の日から、スコールの朝は憂鬱になった。
起きると幼稚園へ行く準備をしなければならないから、行きたくないスコールはいつも駄々を捏ねた。
少し収まって来ていたおねしょも再び始まって、全身で嫌がるスコールに、母も毎日工夫を凝らす。
怖い所に行く訳ではないのだから、楽しい気分でいられるように、行く道を歌いながら歩いたり、今日のお昼ご飯のお弁当の話をしたり。
一番最初に迎えに行くからね、と約束をして、指切りげんまんをして、ようやくスコールは母から手を離す。
お迎えの時間になると、レインは諸々の家事を切り上げてスコールを迎えに行くように努めた。
幼稚園に行くと母と離れるけれど、ちゃんと迎えに来てくれる事を覚えれば、スコールの不安も段々と落ち着いて行くだろう、と願って。
スコールの幼稚園への順応は、先の兄姉と比べてしまうと、どうしても長い時間がかかると思った。
それは予想通りで、一日を泣き暮らす日もあり、そう言う時は家に連絡があった。
その日の様子によって、少し迎えを早くしたり、直ぐには行けないけどちゃんと迎えに行くから良い子で待てる?と宥めたり。
友達が増えて、楽しい思い出が増えれば、スコール自身が幼稚園を億劫に感じる事も減るのだろうけれど、何をするにも引っ込み思案な性格が足踏みをさせていた。
けれど、時間が経つに連れて、ぽつぽつと話をする子は増えたらしい。
一番話をする子と言うのが、一つ年上の年中クラスの子で、スコールとは正反対のやんちゃな子だと聞いた時は少し驚いたが、その子を中心にして、スコールの交流の輪も広がって行ったようだ。
そうなると、段々と朝の大泣き行事は減り、夏を迎える頃には、門前での「行ってらっしゃい」「行って来ます」の挨拶も出来るようになって行った。
スコールが幼稚園に慣れた頃から、スコールの送り迎えは家族皆で交代制になった。
基本的にはレインが送り迎えをしているが、兄と姉が送り、母が迎え、父が送り、兄と姉が迎えに行く日もある。
レオンとエルオーネが通っている小学校は、スコールが通う幼稚園とは少し道が違う。
だから弟を幼稚園へ送る日、二人は早めに起きて家を出なければならないのだが、それは余り苦ではないらしい。
二人も元々は卒園生であるし、レオンはエルオーネの送り迎えをしていた事があるから、少し懐かしい気持ちで弟を送り出しているようだ。
ラグナが専ら送るばかりなのは、仕事の都合なので仕方がない。
代わりにラグナは、家に帰ると、いの一番に末息子を抱き締めて「今日もお互い頑張ったな!と」頬擦りするのが日課になっていた。
一日のお勉強が終わり、最後に終わりの会をして、子供達は親の迎えを待つ。
待ち方はそれぞれで、友達と一緒に園庭で遊ぶ子もいれば、教室で本を読んでいる子もいた。
スコールはお絵描きをするのが習慣になっていて、教室の隅で丸くなってクレヨンを握っている。
幼稚園に通い始めた頃、スコールは此処で過ごす事が嫌で嫌で仕方がなかった。
知らない大人がいて、知らない子供が沢山いて、此処は兄も姉も、父も母もいない。
まるで異世界に一人で突然放り込まれてしまったかのような感覚で、スコールは幼稚園に来るのが怖くて堪らなかった。
けれど今は、其処まで怖いとは思っていない。
良い子で待っていればちゃんと誰かが迎えに来てくれるし、此処でお勉強を頑張れば、誰かが褒めてくれると判ったからだ。
最近のスコールは、帰りの迎えを誰が来てくれるのかを楽しみにしている時もあった。
(今日はおにいちゃんとおねえちゃんがつれて来てくれたから、おかあさんかなあ)
いつものようにライオンの絵を描きながら、スコールはそわそわとお迎えの到着を待っていた。
レオンとエルオーネが弟を迎えに来られるのは、授業の時間が少ない曜日に限られる。
だから二人が迎えに来る日は決まっているのだが、スコールはまだそれを判っていなかった。
偶にはお父さんも迎えに来て欲しいな、と思うのも、幼い期待故の可愛い願いである。
お母さんが迎えに来たら、今日のお弁当は全部食べられたんだよと伝えよう。
お兄ちゃんとお姉ちゃんが来たら、今日はともだちと一緒にお外で遊んだよと伝えよう。
お父さんが迎えに来たら、お絵描きの時間にお父さんの似顔絵を描いたんだよと伝えよう。
話したい事は毎日幾つも幾つも生まれて、皆それを良かったね、頑張ったねと褒めてくれるのが嬉しかった。
まだかな、まだかな、とお迎えの来た子供を呼びに来た先生が、自分の名前を呼んでくれないかとそわそわしていると、
「スコールくん。お迎えが来たよ」
「!」
子供達の賑やかな声が響く中、優しい先生の声を聞き留めて、スコールはぱっと顔を上げた。
急いで鞄にお絵描き帳とクレヨンを片付けて、よいしょと肩にかけて立ち上がる。
小さなコンパスを一所懸命に動かして、靴箱へ向かう先生の後を追った。
お母さんかな、お兄ちゃんとお姉ちゃんかな、とわくわくしながら靴箱に来たスコールをお迎えしてくれたのは、
「おとうさん!」
「おう、パパだぞー!」
その姿を見付けて、スコールは両手を広げて精一杯早く走った。
廊下は走っちゃいけません、と言われている事も忘れて、一目散に。
さあ来い、と両腕を拡げるスーツ姿の父の下に、スコールは思い切り飛び込んだ。
ラグナは小さな息子を受け止めると、そのまま抱き上げて、ぎゅうっと抱き締める。
「おとうさん、おとうさんだ!おとうさんだー!」
「うんうん、パパだぞ。パパが迎えに来たぞぉ~」
初めてお迎えに来てくれた父に、スコールは多いに喜んだ。
そんなスコールの反応が愛しくて、ラグナも満面の笑みを浮かべる。
大きな手がスコールの濃茶色の髪をくしゃくしゃに撫でる。
少しチクチクとした感触のある頬が、スコールの丸くふにふにとした頬に寄せられた。
いつも家で、ラグナが仕事から帰った夜にして貰っている事を、まだ幼稚園にいるのにして貰えて、スコールはなんだか不思議でくすぐったくて堪らない。
子供は勿論、一緒に嬉しそうにはしゃいで見せる父親に、先生がくすくすと笑っている。
それを見付けたラグナが、少し照れたようにへらりと笑った。
「あはは、どうも、今日もお世話になりまして」
「いえいえ。今日はパパがお迎えに来てくれて良かったね、スコールくん」
「うん!」
ぎゅっ、とラグナの胸に抱き着いて、スコールは先生の言葉に返事をした。
それじゃあ今日はさようなら、と手を振る先生に、スコールもばいばいと手を振る。
ラグナは抱いたスコールを落とさないように支えながら、ぺこりと小さく頭を下げて会釈した。
母と同じように優しくて、けれど母より確りした腕に抱かれて、スコールは鼻歌を歌っていた。
ふんふんふん、と楽しそうな息子に、ラグナもついつい頬が綻ぶ。
「スコール、楽しそうだなあ。今日の幼稚園、楽しいこと一杯あったか」
「んーんー。ふふ。んー?」
「んー?」
ラグナの言葉に、スコールはふるふると首を横に振る。
しかしにこにこと笑顔なのは変わらず、父の顔をまじまじと見て、首を傾げて見せる。
それに釣られるように、ラグナも顔を合わせながら首を傾けて見せれば、あはは、とスコールは面白がって笑う。
「あはは。おとうさんだぁ」
「そうだぞー」
「あのね、あのね。おとうさんもね、おむかえ来てくれないかなって思ってたの。そしたらね、おとうさん、来てくれたからね。うれしいの」
「そっかそっか。俺もスコールのお迎えしたかったから、お迎え出来て嬉しいぞぉ」
ぎゅう、と喜びを体全部で伝えるように、ラグナはスコールを抱き締めた。
少し苦しいけれど、それよりも父に抱き締めて貰える事が嬉しくて、スコールもラグナの首に腕を回して、ぎゅっと抱き着く。
のんびりとした家路だけれど、大人のラグナの足の一歩は大きい。
レオンとエルオーネに手を引かれて歩くより、レインに抱かれて歩くより、父子が家に着くのは早かった。
初めてお迎えに来てくれたラグナにもう少し抱かれていたいスコールは、まだ降ろさないでとぎゅっと抱き着いておねだりした。
それを感じ取ったのか、スコールには判る事ではなかったが、ラグナにとっては息子が甘えてくれるのがただただ嬉しい。
もうちょっと抱っこしたままで良いか、でも靴は脱がなきゃな、と思いつつ、玄関のドアを開ける。
「ただいまー」
「おかあさん、ただいま!」
「はーい、お帰りなさい」
ラグナとスコールの声に、ダイニングキッチンの方から返事があった。
エプロンで手を拭きながら出迎えに来た母の後ろに、学校を既に終えていたレオンとエルオーネもついて来る。
今日はラグナだけでなく、レオンとエルオーネも学校が早く終わったようだ。
「スコール、お帰り!」
「父さんもお帰り」
「うん、ただいま。スコール、お靴脱ごうな」
息子と娘に返事をしつつ、ラグナはスコールを床に降ろした。
スコールは靴の踵に指を入れて、んしょんしょと頑張って脱いで、シューズクロークに収めてから、手を洗わなきゃと言う兄と姉に連れられて、洗面所へと向かった。
スコールが手を洗い終わった時には、ラグナとレインは既に玄関にはいなかった。
きっとダイニングだろうと向かおうとしたスコールを、レオンが呼び止める。
「スコール、鞄を置いて来ないと」
そうだった、とスコールはくるんと方向転換して、部屋へと向かう兄と姉の後をついて行く。
いつも母と一緒に眠る部屋が、スコールの物を置く部屋でもあった。
肩にかけていた鞄を下ろしてから、その中にあるものの事を思い出して、蓋を開ける。
ごそごそと探って取り出したのは、今日の授業で描いた絵だった。
鞄に入れる為に丸めていた紙を広げると、レオンとエルオーネが覗き込んで、
「父さんだ」
「うん。ぼくがかいたの!」
「スコールすごーい!上手上手!」
ぱちぱちと拍手して褒めてくれる二人に、スコールは照れ臭そうに顔を赤らめながら笑う。
父さんに見せなきゃ、と言う兄に頷いて、スコールは速足でダイニングへと急いだ。
ダイニングでは、ワイシャツの襟元を緩めたラグナと、冷たいジュースを用意した母が待っていた。
おとうさん、と真っ直ぐに駆け寄って来たスコールを、ラグナが腕を伸ばして迎える。
ふわっと浮いた体が、父の膝に乗せられて、スコールは嬉しさいっぱいに抱き着いたのだった。
末っ子が幼稚園に行くようになりました。
慣れるまで大変だったけど、お友達も出来て元気にやっているようです。
でもやっぱり家族と一緒の時間が一番大好き。
体に重さを感じるような気怠さの中で、ラグナはゆっくりと目が覚めた。
飲み過ぎたかなあ、と思ったが、よくよく考えると、昨日は殆ど酒を飲んでいない。
じゃあ仕事のし過ぎかなあ、と思ったが、昨日と今日と会社は休みだ。
それでは、このぼんやりとした、けれど何処かふわふわとした怠さは一体────と思ってから、隣で肌を晒して眠っている青年の事を思い出した。
いつも一人で眠っている筈のベッドに、今日は自分を含めて二人。
シーツの波に濃茶色の髪を散らばらせた傍らの青年は、目元に少し泣き腫らした跡があったけれど、寝顔はとても穏やかだった。
彼がそんな風に眠るのは珍しい事で、昨夜も随分と無理をさせていたような気がするから、その寝顔が健やかである事に安堵する。
出来るだけ彼の負担が軽くなるようにと努めたつもりはあるけれど、それでも立場を交換でもしない限りは、どうしても彼の体に無体を強いる事になる。
彼の記憶が苦痛のみで埋め尽くされていなければ良い、と思っていた分、彼───レオンの柔らかな寝息は、ラグナの不安を拭うには十分であった。
昨夜、ラグナは初めてレオンを抱いた。
始めは恐る恐る触れていた手が、躊躇いを忘れて縋るようになって来た時には、ラグナも彼の体に溺れていた。
恋人同士と呼ばれる関係になってからも、何かと気を遣い過ぎる青年は、中々思い切る一歩が出なかったようで、自分から体を繋げたいと言い出す事も出来ず、しかしラグナを求める気持ちもあって、随分と葛藤していたらしい。
その葛藤には、やはり元々ラグナが既婚者であり、一人息子を儲けている事や、今でも亡き妻を愛している事も含まれている。
レオンはラグナに対し、不可侵の聖域のようなものを感じている節があったし、家族に関する事へは尚更踏み込んではいけないと感じている所もあった。
だが、ラグナはレオンとも家族になりたいと思っているし、年が離れている所為もあって時折息子を相手にしているような気分になる事もあるが、やはり彼とラグナの関係は“恋人”と呼ぶものが一番適切に当て嵌まる。
その“恋人”が“家族”になりたいと言っているのだから、ラグナはそれに応える事に否やはなかった。
だが、今まで独りで生きてきたレオンを、自分の下に縛る事になるとなれば、ラグナの方も迷う所はあった。
何せレオンはまだ二十代の半ばで、人生もこれから、自分なんかに恋をしたなんて何かの間違いじゃないのか、と未だに思ってしまう事がある位だ。
レオンがもう一度自分の生き方を振り返り、新たな道を択ぶ自由を喪わない為にも、彼をこの場に縛り付けるような事はしない方が良いのではないか、とラグナは思っていたのだ。
────結局の所、そう言ったお互いへの遠回りな気遣いは、全て杞憂だったのだけれど。
ラグナは、傍らで眠る青年の、微かに赤みを残している目元にそっと触れた。
昨夜、何度も涙を拭っては、唇を落とした其処を、ゆっくりと指先でなぞる。
と、ふるり、と長い睫毛が震えて、少し眉根が寄せられた後、ゆっくりと瞼が持ち上げられる。
「……ん……」
夢幻の中で目覚めるかのように、レオンの蒼の瞳はゆらゆらと頼りなく揺れていた。
いつも凛としている姿が常にある分、こうした表情が酷く幼く見えて、ラグナの庇護欲をそそる。
寝起きの息子───スコールも同じような顔をする事があるかな、と思いながら、ラグナはレオンの頬を撫でた。
レオンはしばらくの間、撫でるラグナの手に甘えるように、それを受け入れながら目を細めていた。
緩く開いた唇から、時折甘い吐息が漏れて、昨夜の情事の呼吸を思い起こさせる。
流石に朝から求める程にラグナは盛んにはなれなかったが、色っぽいなあ、と思いながら、撫でる指を唇まで持って行く。
「……ふ…?」
ふに、と唇に触れられて、レオンから不思議そうな音が漏れた。
くすぐったかったのか、んん、とむずがる声と共に、レオンがゆるゆると頭を揺らす。
それが脳に刺激を齎したか、茫洋としていた瞳に徐々に意識が浮かび上がり、
「……あ……」
「おはよ」
「……おはよう、ございます……?」
ようやく蒼がラグナを捉えて、朝の挨拶を交わす。
レオンがのろのろと起き上がり、猫手で眠い目を擦る。
そうしてきょろきょろと辺りを見回し、此処が何処なのかを認識した後で、
「あ、……あ、」
此処がラグナの家、ラグナの自室である事に気付いた後、レオンは自分が裸である事に気付く。
その理由を続け様に思い出したのだろう、あまり日に焼けない色をした頬が、ふつふつと沸騰していくように赤くなる。
それから、自分の顔をじっと見つめる男もまた、裸身である事に気付いて、耳まで一気に真っ赤になった。
「あ……!」
「ん?」
ようやく全ての記憶が繋がって、レオンはぱくぱくと唇を震わせる。
ラグナは、そんないつになく動揺した青年の顔を見て、可愛いなあ、と笑みを零した。
それがレオンにとっては駄目押しだったらしい。
「すっ、すみませ……っ!」
「え?あら、おーい」
口早に詫びたかと思ったら、レオンはベッドに突っ伏してしまった。
耳まで赤くなった顔をシーツに埋めて隠し、ふるふると肩を戦慄かせている。
「レオン。おーい、レオンー」
「……っ…!」
繰り返し名前を呼んでみるラグナだが、レオンは俯せのまま首を横に振るばかり。
見ないでくれ、と言わんばかりのレオンであったが、ラグナは構わずにレオンの肩に触れてみた。
振り払われる事はなかったので、恥ずかしがっているだけだな、と理解して、ラグナはレオンの肩を引いて抱え起こす。
「ラ、ラグナさん…ちょっと、待って下さい……」
「大丈夫、大丈夫」
「いえ、あの、大丈夫じゃない……」
落ち着くまで待って欲しい、とレオンが言っているのは理解できたが、ラグナは待たなかった。
恥ずかしがっているレオンと言うのは、どうにも可愛らしくて仕方がないのだ。
だからラグナは、本気で嫌がられないのを良い事に、恥ずかしがっているレオンの顔を見ようとする。
直視は勘弁してくれと、レオンは片手で顔の半分を覆って、ラグナと向かい合う形になった。
指の隙間から見えるレオンの顔は、頭から湯気が出そうな程に赤くなっていた。
「はは、まっかっか」
「すみません……」
「謝る事ないって」
この場合、謝るべきは、強引に顔を見たがった自分なのだろうなと思いつつ、それは口にはしなかった。
代わりに寝癖のついた濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でると、レオンのへの字だった口元が微かに緩むのが判る。
「元気そうだけど、何処か辛いトコとかないか?痛いとかさ」
「あ…は、はい、大丈夫です」
「ほんとに?お前、すぐ我慢したりするからなあ。昨日は無理したようなもんなんだから、辛い所があるなら、ちゃんと言って良いんだぞ」
「……はい。ありがとうございます」
謝辞は口にするものの、やはり何が辛いとは言わないレオンに、ラグナは仕方がないと目尻を下げる。
ぽんぽんと子供をあやすように頭を叩いて手を離すと、レオンは撫でた名残を惜しむように、自分の手を其処に当てた。
「取り敢えず、朝飯にすっか。えーと、確か残り物が」
「あ。俺がやります」
「え。おい、ちょっと、」
習慣なのか気を遣ってなのか、レオンは急いでベッドから降りようとする。
だが、昨夜の事を思えば、若いとは言えその体がいつも通りに動く筈もなく、ベッドを出て立とうとした瞬間に、力の入らない足ががくっと膝を折った。
自分の体で思いも寄らない事が起きたのだろう、目を瞠って倒れそうになるレオンの体を、寸での所で後ろから伸びた腕が掬う。
「危ない危ない。大丈夫か?」
「は、はい……」
目を白黒とさせているレオンを、ラグナはなんとか持ち上げて、ベッドへと座らせた。
「やっぱり昨日のが響いてるんだよ。今日は無理しないで、ゆっくりしてな」
「でも……それは、その……」
「良いから、飯は俺が持ってくるから。良いな?」
「……はい」
念入りに押して押して、ようやくレオンはラグナの言葉に頷いた。
よしよし、ともう一度頭を撫でてやれば、レオンは眩しそうに目を細める。
ラグナはレオンの体にシーツを被せて、ベッドを降りた。
少し腰回りに疲労感が残っているが、立って動き回れない程ではない。
今日はスコールが友人宅に泊まりに行っているから、家事諸々はラグナが担わなければならないのだ。
動ける位で良かった、明日になってから筋肉痛とか来ないような、とひっそり恐々としつつ、ラグナはパンツとチノパンを履いた。
寒くはないが一応シャツも、とワイシャツに袖を通しつつ、少し落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回しているレオンに気付き、
「レオン。今日のレオンは、休むのが仕事だぞ?」
「は、はい。でも、その、何もしないと言うのはやっぱり落ち着かなくて…」
「動けるようになったら、色々頼むからさ。それまでは休んでてくれよ。さっきみたいにフラフラしてたら、心配になっちまうからさ」
「…はい。判りました」
「よし。良い返事!」
ようやく言い聞かされてくれたレオンの返事に、ラグナは両手でレオンの頭をくしゃくしゃに撫でまわす。
小さな子供を褒めるような触れ方だが、レオンはこうしてラグナに触れられるのが好きだった。
困ったように眉尻を下げて笑いながら、その触れ方を受け入れる事で甘えている青年の額に、ラグナは触れるだけのキスをする。
良い子にしてろよ、ともう一つ念を押して、ラグナはキッチンへ向かった。
彼が触れた場所に手を当てて、赤い顔を柔らかく緩ませる青年の貌を、見ないままで。
恥ずかしがるレオンが書きたくて。
そう言うレオンを可愛い可愛いと思ってるラグナが書きたくて。
こう言う幸せ一杯なレオンを書いてると、今まで多分安心できる幸せを感じた事なかったんだろうなと思ってしまう、基本不幸体質を不幸体質を思わず生きてるレオンが脳内に根付いている。