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User: k_ryuto
一人、傷を負って帰還したスコールを迎えたのは、レオンだった。
滲む血の匂いに気付いたレオンは、すぐにスコールをリビングに引っ張り込んで、手当てを始めた。
スコールは自分で出来ると何度も言ったが、傷を負った本人がするよりも、他人がやった方が的確な処置が出来るだろうと言い返された。
痛みや疲労で適当な手当てで済ませるよりは、きちんと消毒し、傷を保護した方が良いのは当然だ。
レオンはさっさとスコールの上着とシャツを脱がせ、てきぱきと傷の治療処置を始めた。
傷の経緯については、混沌の大陸の探索中に、歪の中でカオス勢の戦士と遭遇した事に因る。
スコールはいつものように、ジタンとバッツと言ったメンバーで調査をしていたのだが、戦闘中に起こった時空の歪みにより、それぞれ分断されてしまった。
その後、敵の猛攻により手負いとなったスコールは、已む無く転身して歪からの脱出を優先している。
歪を脱出した後は、最寄のテレポストーンへと急ぎ、真っ直ぐに帰還の途に着いた。
足を負傷した為にその歩みは遅かったのだが、聖域に着くまでにはぐれた仲間達との合流は叶わなかった。
彼等については、直に帰って来るだろうと信じて待つのみである。
手当をしながら、後でリーダーへの報告の為にと経緯を聞いたレオンは、話し終えた所で「そうか」と言った。
「ジタンとバッツは、まだ帰ってきていない。何処にいるかも判らないが、まあ、一先ずは様子見だな」
「……ああ」
「お前は、ティナかセシル辺りが帰って来るまで、大人しくしていることだ。傷はどれも深くは無いようだが、念の為にな」
そう言ってレオンは、血の滲んだ濡れタオルをスコールの脇腹から離す。
出血が固まって皮膚にこびりついていた其処は大分綺麗になり、レオンは其処に消毒液が染み込んだ脱脂綿を当てる。
「う、」
「我慢していろ」
「……判ってる」
染みる痛みにスコールが微かに顔を顰めた。
ふう、と意識して息を吐き、まだしばらく続くであろうその痛みに心構えをする。
脇腹の処置を終えた時、其処は厚手のガーゼと包帯でしっかりと固定された。
腹回りが少々窮屈で、スコールは眉間に皺を寄せるが、治療魔法を得意としているメンバーが帰って来るまでは我慢するしかない。
言えば、その時までの辛抱なのだから。
次は足の手当てだった。
レオンは、ソファに座ったスコールの前に膝をついて、黒のズボンの裾を捲り上げる。
「切り傷だな。血は止まっているようだが、痛みは?」
「……多少」
「歩いて来た所為もあるんだろうな。また少し染みるぞ」
レオンはタオルの清潔な部分を使って、傷回りを優しく拭く。
皮膚にこびりつき始めていた血が取れると、消毒液で傷口の処置をした。
「大分無理をして歩いたようだな。ケアルは使わなかったのか?」
「……戦闘中に使い切った。ポーションも。バッツとはもうはぐれていたし」
「なら、仕方がないか」
回復魔法の利用を勿体ぶった訳ではない、と言うスコールに、レオンは眉尻を下げた。
戦闘中でも、帰りの道中でも、バッツがいれば───彼の魔力が尽きていなければ───回復魔法を頼めるが、孤立無援では仕方がない。
出来る限りの無理を避け、真っ直ぐに帰還すると言う選択を取ったのが、スコールに出来る最善であった。
レオンは「動かすぞ」と言って、スコールの足を持ち上げた。
神経が振動を感知して、じんとした痛みがスコールの右足に響いたが、眉根を寄せるのみで堪える。
改めて見た自分の足は、思っていた以上に長さのある傷が刻まれていた。
────が、それよりスコールの目に飛び込んできたのは、自分の前で跪く格好になっているレオンの胸元だった。
「………」
「ん?」
さっ、と目を逸らしたスコールに、レオンが顔を上げる。
どうかしたか、と訊ねて来る彼女に、スコールは何も言わなかった……のだが、少年の髪の隙間から覗く耳元が、不自然に赤くなっているのを、目敏い彼女は見逃さない。
「スコール?」
「……なんでもない」
名前を呼ぶレオンに、スコールはいつもの声でそれだけを返す。
早く済ませてくれ、と手当てを急かせば、レオンは直ぐに処置を再開させた。
此方も大きめのガーゼを広げ、傷全体を保護し、包帯で固定する。
「これで良い。他にはないか?」
「十分だ」
「なら手当は此処までで良いとして……次はお前自身だな」
「……?」
レオンの言葉に、スコールは何の事だと眉根を寄せた。
自分自身も何も、傷の手当以外は特に問題はない筈だ、と思っていると、
「ほら、来い」
「……は?」
スコールの前で膝立ちになって、レオンは両手を広げて見せる。
おいで、とでも言っているような仕草に、その意図する所が読めなくて、スコールは判り易く顔を顰めた。
それを見たレオンは、何処か楽しそうな表情を浮かべて、
「疲れているようだからな。癒してやろうと思って」
「……別に必要ない」
「そう言うな。来ないならこっちから行こうか」
「だからいらな────」
い、とスコールが言い切る前に、柔らかいものがスコールの顔を覆った。
むに、と柔らかい弾力のあるものに、顔全体が包み込まれている。
頭を抱きかかえられるように、後頭部にはレオンの腕が回って、捕えたスコールを離すまいとしていた。
そんな事よりスコールは、鼻先に触れる鍵慣れない匂いと、急に暗くなった視界に混乱する。
自分が今どうなっているのか判らないまま硬直するスコールを、レオンは子供をあやすように、濃茶色の髪をぽんぽんと撫でた。
「よしよし」
「……っおい!」
子供扱いと判るその触れ方に、スコールは添えられた手を振り払うように、勢いよく顔を上げた。
危うくレオンの顎を打ち上げる所だったとは気付かぬまま、酷く近い位置にある、自分と同じ傷を持った顔を睨み付ける。
「何してるんだ、あんたは」
「癒しの提供だ。知っているか?ハグにはそう言う効果があるらしい」
「知らない。と言うか離せ、あんた、これ……っ」
異常な程に近い距離にレオンの顔があること、後ろ頭に感じる回された腕。
喋る度に口元で感じる、柔らかい感触に、スコールはようやく”それ”が何なのか理解が追い付いた。
解ってしまえば、“それ”は年若い青少年には、聊か無視できないものになってしまう。
しかし、スコールの望みとは真逆に、レオンは笑みを深め、スコールの頭を抱き締める腕に力を籠める。
豊かに育った胸の谷間に、口元から鼻先まで埋められて、隙間から微かに漂う汗の匂いに、スコールの顔が真っ赤に吹き上がった。
「レオン!」
声を荒げて名を呼ぶと、それまで頭を抱えていた腕が、ぱっと離れた。
解放されてすぐに体を退き逃がすスコールに、レオンはくつくつと楽しそうに笑う。
「そう怒るな。ハグに癒し効果があると言うのは、一応、ちゃんとした研究結果が出ている話だぞ」
「知った事か。あんたの悪ふざけに付き合うつもりはない」
「労う気持ちは本物なんだがな」
険しい顔つきで睨むスコールに、レオンは至極心外と言う表情を浮かべる。
「そう言う事をするなら、ジタンが帰って来た時にでもやってやれ。あいつの方が喜ぶだろ」
「まあ、そうかもな。別にやるのは構わないが……今は、お前にしてやりたいんだよ、俺は」
そう言ったレオンの口元は柔らかく、目元は温かく緩んでいた。
時折、年下の仲間達を相手に向けられるその表情は、何か眩しいものを見るように、微かな憂いを孕んでいる事がある。
彼女がどうしてそんな表情を浮かべるのか、スコールの知る由はない。
ただ、それが自分に向けられた時、何かばつの悪いものを感じる気がして、スコールはなんとなく口を噤んでしまっていた。
どうにも毒気が抜かれたような気分で、しかし青少年には聊か性質の悪い悪戯に、スコールがなんとしたものかと考えていると、とすり、と隣に座る気配があった。
見れば当然、其処にいるのはレオンで、笑みを浮かべた表情で此方をじっと見つめている。
「癒しの提供が不要なら、仕方ない。他に何か欲しいものはあるか?」
「……別に」
「そう拗ねてくれるな」
スコールの返答を、臍を曲げたものだとレオンは受け取ったらしい。
飯でも食うか、と訊ねて来るレオンに、スコールの腹の虫が勝手に返事をして、しっかり彼女に聞き留められてしまった。
「空腹か。歩きどおしで帰って来たのなら、当然だな」
「……」
「軽いのなら朝の、しっかり食いたいなら昨晩の残り物がある。どっちが良い?」
「……軽いので良い」
よし、とレオンが席を立つ。
キッチンへと向かうその背中を見送って、スコールは一つ溜息を吐いた。
────どう言う理由と目的があってか知らないが、レオンはやけにスコールに構いたがる。
悪意を持って接して来る事がないのは良いのだが、逆にスコールはそれが若干の戸惑いを生んでもいた。
目に見えて判る悪意は振り払えば良いが、好意と言うのはどうにも扱いに困る。
ジタン等は「お姉さまに気に入られてるなんて羨ましいぜ」等と言ってくれるが、それなら立場を丸ごと交代して欲しい。
しかしレオンは、専ら”スコールを”構いたいようで、他の仲間達には平等に均等に、対等な仲間らしく応対していた。
ある意味でそれは徹底していると言って良い程、レオンはスコールを特別扱いするのである。
元の世界の記憶が戻れば、彼女が何かと構い付ける理由も判るのだろうか。
何度かそんな事を考えてみるが、今確認できる記憶や感覚を総動員しても、レオンに関する事はいまいち琴線に引っ掛かるものがない。
顔が似ているとか、傷の形も場所も同じだとかで、あちらが勝手に親近感を持っているのかも知れない。
だとすれば、こんな事は考えるだけ無為なもののようにも思えるのだが、理由のない判らない好意と言うのは、なんとなく落ち着かなかった。
キッチンから戻って来たレオンの手には、サンドイッチを乗せた皿と、水の入ったグラス。
レオンはそれをソファの前のテーブルに置いた。
「スープとサラダもあるが」
「……良い。これで十分だ」
サンドイッチを手に取るスコールに、そうか、とレオンは言って、テーブルを挟んだ反対側のソファに座る。
黙々と食べるスコールを、レオンはソファのひじ掛けに寄り掛かって眺めていた。
判り易いその視線を、スコールは敢えて無視して、食事に集中する。
ハムと卵、レタスとチーズを、マヨネーズと一緒に挟んだサンドイッチは、空腹の胃には大層染みた。
胃袋がじわじわと満たされるに連れて、体が段々と重くなって来る。
帰還するまで張り詰めていた神経がようやく解け、休息を求めているのだろう。
食ったら部屋に帰って寝よう、とスコールが思っていると、
「戻ったぜー。誰かいるかあ?」
廊下の向こう、玄関の方から聞こえた声は、バッツのものだ。
それと続いて、少し不明瞭ではあったが、誰かと会話しているらしき声も聞こえたて、どうやらジタンも一緒にいるらしい。
「俺が見てこよう。スコールはゆっくり食べていると良い」
「……ん」
疲労感もあって、動かなくて済むのなら幸いと、スコールは顔を上げずにサンドイッチを頬張った。
レオンはソファから立って、廊下の方へと向かおうとするが、その前にはたと足を止める。
「スコール」
「……なんだよ」
「二人を連れて来る前に、付いているのを取った方が良いぞ」
そう言って自分の口元を指差すレオンに、スコールは顔を顰めた。
彼女の言わんとしている事は理解したので、手の甲で雑に口元を拭う。
意地汚いのは判っていたが、別に構うまいと、手に着いたマヨネーズを舐めていると、
「まだついてる」
そう言って屈んできたレオンに、スコールは反射的に体を退かせた。
が、レオンは構わず顔を近付け、スコールの口元をぺろりと舐める。
まるで、親猫が子猫の毛繕いをするように。
────距離の近さと、まるで当たり前のことのように触れて離れた感触に、スコールは目を丸くして固まった。
レオンはそんなスコールの様子に、くつりと笑って、今しがた触れたばかりの場所に指先を当て、柔らかく其処を拭ってやる。
「これで大丈夫だ。じゃあ、二人を呼んで来る」
そう言ってようやくソファを離れて行ったレオンの足取りは、いつもと変わらないもの。
ドアの開け閉めの音が鳴って、ようやくスコールが我に返った時には、彼女はもう扉の向こうに消えていたのだった。
つくづく意味が判らないと、また揶揄われた事に顔を顰めて、スコールは残っていたサンドイッチを口の中に捻じ込んだ。
空になった皿をキッチンのシンクに置いて、リビングに人が戻って来る前に其処を抜け出す。
背中にはしゃぐ仲間達の声が聞こえたが、スコールはその一切を無視して自分の部屋へと向かうのだった。
『レオンお姉さんに悪戯されるスコール』のリクエストを頂きました。
イタズラ……どこまでのイタズラ……!?と勝手に悶々としていた私です。
♀レオンと♂スコールの組み合わせは新鮮でした。
この後スコールはベッドでゴロゴロタイムですが、その内59が突撃してくるんだと思います。
なんやかやしてる内にどうでも良くなって、またレオンとも普通に接するんでしょうね。
そんな距離まで気を許している事について、スコール本人の自覚は無い。レオンの方は判っていて、年相応(なんならそれより幼い)の青臭い所も含めて可愛い可愛いしてる。
一日の授業を終えて、スコールはやれやれと言う気分で校門を出る。
後ろをついて歩くのは、いつの間にかセットでの行動が定着していた、ティーダとヴァンだ。
時には此処に後輩のジタンが加わるのだが、今日は彼が所属している演劇部の活動日なので、彼はいない。
それでも後ろの会話が賑やかな事には変わらず、喧しい奴等だな、と思いながら、それもいつもの光景と慣れた足で家路につく。
高校入学を期に、生まれ育った街から離れたスコールであるが、一人暮らしをしている訳ではない。
入学先であった学校から程近い場所に、嘗ての幼馴染であり、兄代わり的存在であった青年が、社会人として暮らしていた。
彼のもとに下宿と言う形で住むことが決まり───と言うよりは、元々彼の傍に行くことを目当てにスコールは進学先を選んだと言う本音がある。
住み込ませて貰う事まで想定していた訳ではなかったが、しかし彼が傍にいるなら話は早いと、父ラグナの方から兄代わりの彼に連絡が取られた。
女子じゃあるまいし大袈裟な、と言う人はいるかも知れないが、だが父の心配の種は、強ち冗談ではないのだ。
何せスコールは、幼い頃に何度か誘拐未遂をされているし、中学生の頃にもストーカーめいた被害に遭っている。
兄代わりの青年もそれを知っているから、此方に来るのならいっそ、とラグナと彼との間で話はとんとん拍子に進んだ。
そしてあれよあれよと、近所住まい所か、スコールも密かな恋心を持ち続けていた事もあって、好きな人と一緒にいられる、と言う機会を手放す気にはなれず、同居する事が決まった。
それが一年と半年前の話になる。
そして、今年の冬の終わり頃から、スコールと兄代わりの青年───ウォーリアは正式に恋人同士となった。
幼い頃から密かに抱いていた恋心が、まさか叶う事があるなんて、スコールは思ってもいなかったから、今でも時々あれは夢なのではないかと思う。
だが、そんな事を考える度、ふとした折に彼が優しく触れてくれるから、ああ現実なんだと知る。
そんな風に、毎日を夢と現の境目にいるような気分に見舞われるスコールだが、学校帰りはとても現実的な思考になる。
何せ毎日の夕飯の支度はスコールの仕事だから、献立なり冷蔵庫の中身なりと、考えなくてはいけないことは幾らでもあるのだ。
実家で暮らしていた頃から家事はスコールの役目として定着していたので、放課後に入るなり、夕飯のメニューを考えるのは、最早癖のようなものだった。
(残ってたものは昨日全部使ったから、今日は大目に買い出しして……サラダも使い切ったな。スープは何を……その前にメインを肉にするか魚にするか……)
考えることが多い、とスコールは一つ溜息を吐く。
今週の頭に定期テストが入っていたから、その前週の食事は、専ら作り置きを利用し、足りないものは買い込んでいた冷凍食品やフリーズドライを使った。
スコールはそれ程食べる訳ではないし、ウォーリアも必要最低限のエネルギーが摂れれば十分という性質だから、それで食事量は上手く回すことが出来た。
しかし、一週間と言う、常を思えば少々長い期間、買い物の時間を削っていたので、そろそろ冷蔵庫の中は心許なくなっている。
非常食として置いているカップラーメンを開けても良いが、自分一人ならそれで良くても、同居人がいるとなると、やはり其方には気を遣うものであった。
主菜も副菜も当てに出来るものがないので、スコールは程なく考えるのを辞める。
取り敢えず、今日はスーパーに行ってから、必要なものを軒並み揃えて、その中から適当に考えても良いだろう。
財布の中身だけは確認しておかないと、としばらく開けていないその中身について思い出そうとしていると、
「あ、ウォーリアだ」
「……え?」
「本当だ。ほら、あそこあそこ」
ヴァンの言葉に、スコールが聞き違いかと思わず足を止める間に、ティーダが前を指差した。
彼が示した先には、きらきらと眩い銀糸を持った男が立っている。
傍らには、彼が毎日の出勤に使っている、黒の乗用車が停められていた。
見知った顔との遭遇に、ティーダが嬉しそうに走り寄る。
それにつられてヴァンが「行こうぜ」とスコールの手を引っ張って行くものだから、スコールはどうしてウォルが此処に、と言う混乱のまま、彼の下まで引き摺られて行った。
「ウォーリア、今帰りっスか?」
「ああ」
「スコールを迎えに来たのか?」
「ああ」
矢継ぎ早の少年たちの質問に、ウォーリアはそれぞれ頷いて答えた。
それを聞いたティーダとヴァンは、そうかそうかと言って、後ろに棒立ちになっていたスコールを前へと押す。
「そんじゃ、今日は俺達は此処までっスね」
「な……おい、」
「また明日な~」
スコールがまだ何も言っていない内に、友人二人はさっさと退散してしまう。
おい、とスコールの手は彷徨ったまま、半ば呆然として、スコールは二人の背中を見送る事となった。
取り残された形になってから、数十秒か。
我に返ったスコールが振り返れば、柔らかいアイスブルーの瞳が此方を見ていた。
不意を打ったように視線が交わったものだから、スコールは思わず言葉を失うが、ウォーリアの方は心なしか嬉しそうに口元が緩み、
「早く上がって良いと言われたのでな。君も今から帰る時間だろうとお思って、迎えに来た」
「……そうか」
「邪魔をしたかも知れないな。すまない」
「……別、に」
友人との放課後は、学生にとっては少しの自由時間となるものだ。
実際スコールも、友人たちに連れられて、ちょっとした散策に参加する事は儘ある。
その予定だったのならすまない、と詫びるウォーリアに、スコールは緩く首を横に振った。
ウォーリアが助手席のドアを開けてくれたので、スコールは車に乗り込んだ。
エンジンは切られていたが、此処に来てから間もなかったのか、車内は冷房が効いていて涼しい。
ふう、と冷風の心地良さに目を細めている内に、ウォーリアが運転席へと座る。
ウォーリアはエンジンをつけた車のウィンカーを点けて言った。
「何処かに立ち寄る予定があるのなら、其方に向かうが」
「……冷蔵庫の中身が空だ。スーパーに行く。夕飯も考えないといけないし」
第一ボタンを外したワイシャツの襟元で首回りを扇ぎなら、スコールは答える。
すると、ウォーリアは少し考えるように沈黙した後、
「では、今日は外食にしないか」
「外食?」
「ああ。その方が、君も準備や片付けをしなくて良いだろう」
「……まあ、それは助かるけど」
家事は自分の仕事として引き受けてはいるが、日々のそれを面倒に思わない訳ではない。
買い出しでも食事の用意でも、楽が出来るなら、それはスコールにとって有り難いことだった。
素直にそう答えれば、「では、そうしよう」と言って、ウォーリアは車を発進させた。
ウォーリアと一緒に暮らすようになって一年半、その内に外食した回数は非常に少ない。
ウォーリア自身は料理ができないこともあり、以前は外食やコンビニ弁当を食べることが多かったそうだが、同居を始めてからは、スコールがそれを一手に担う事もあり、殆ど機会がなくなった。
昼もスコールが自分の弁当を作るついでに用意するので、其方も行くタイミングは激減している。
同居を始めた頃は、まだお互いの遠慮もあり、スコールも勝手の分からないキッチンを使う事に躊躇いもあったので、何度か外食で済ませた事もあったが、もうそんな話もない。
久しぶりの外食に、何処に連れていかれるのかと思ったら、何処にでもあるチェーン店のファミレスだった。
品の種類が豊富だから、君も好きなものがあるのではないか────と選択の理由をウォーリアは語る。
別に好き嫌いはないし、何処でも良かったスコールだが、ウォーリアが此処を選んだと言うのが少し意外だった。
勝手ながら、少々敷居の高いレストランだとか、コース料理が出る所だとかを想像していたからだ。
だが、気楽に気兼ねをせずに、スコールが楽に過ごせる場所と言う意味で選んだのであるならば、スコールにとっては少し擽ったいものだ。
あくまでこの選択は、スコールの為を思ってのこと、なのだから。
どれでも好きに食べると良い、と言われて、スコールはパスタとサラダを頼んだ。
セットのドリンクバーも頼んでおくと、注文を取った後、ウォーリアが「私が行こう」と席を立つ。
ドリンクバーの使い方を判っているのか、となんとなく不安になって席から見守っていたスコールだが、ウォーリアは問題なく、炭酸ジュースと自分のコーヒーを持ってきた。
よくよく考えれば、スコールが家に来るまでは、こう言う店にも比較的頻繁に足を運んでいたのだ。
何処か浮世離れしている印象が消えない恋人であるが、余計な心配だった、とスコールはこっそり反省する。
夕食を済ませると、「デザートは要らないか?」と訊ねられた。
別に、いるかいらないかと言えば、“どっちでも良い”スコールであったが、なんとなくそれは口に出し難かった。
尋ねる恋人の視線が、酷く柔らかくて、小さな子供をあやしているようにも見えたからだ。
子供じゃないんだが────と思いつつも、多分これもウォーリアからの気遣いだろうと受け取って、アイスを一つ注文した。
程無く運ばれてきたアイスの冷たさに舌鼓を打ちつつ、
「……なんで急に外食しようなんて言い出したんだ?」
食べる所をずっと見られているのが落ち着かない気持ちもあって、スコールは間を埋めるようにそんな質問をしてみる。
ウォーリアは、二杯目となったコーヒーに口を付けていた所だった。
それをソーサーへと静かに戻し、長い睫毛を携えた目元を僅かに伏せて、
「先日まで、君は試験だっただろう」
「ああ」
「その間でも、君は家事を引き受けてくれている。その感謝は常に絶えないが、気持ちだけではどうなのか、と思ったのだ」
曰く。
元々の習慣として、日々のノルマ的に意識にあるものだから、スコールは試験勉強期間の最中も、家事は欠かさなかった。
作り置きを事前に用意し、保存食も活用し、手間を削って時短を優先してはいるが、準備も片付けも全てスコールが行っている。
台所仕事の他にも、掃除や洗濯も。
それはウォーリアよりも自分の方が時間の融通が利くから、家にいる時間が長いから、と効率を優先してのことなのだが、とは言え、其処に試験勉強も重なれば、いよいよ自分の時間が足りなくなる。
スコール自身は、試験期間中だけの話だと割り切っているが、とは言え、大変ではない訳でもない。
「私が君を手伝えれば良かったのだが、結局何も出来なかった」
「それは───別に、あんたの所為じゃないだろう。仕事だってあるんだし」
「君にも勉強がある。試験期間に限った話ではないが、私がもっと君の手を補える事が出来たら、と思うことはあるのだ」
「………」
俺が勝手に引き受けた事なんだから、気にしなくて良いのに。
スコールはそう思う傍ら、どうにも自分が要領が悪いものだから、ウォーリアには「大変そうだ」と言う印象を与えるのかも知れない、とも思う。
口の中に籠る言葉を誤魔化すように、アイスを口に運ぶスコールを見て、ウォーリアは続けた。
「恐らく私が悪戯に手を出しても、余計に君の手を煩わせてしまうだけだろう。今後、君を手伝えるように努力はして行きたいと思っているが……それはそれとして、先日の試験の間も家事を引き受けてくれていた君に、何か返せるものはないかと考えた」
「……」
「だが、これと言って浮かぶものがなかった。それならばせめて、君に楽をさせてやれないかと思って、外食ならば、片付けも準備も要らないだろうと。これは今日限りのことではなく、今後も機会を作れたらと思っている」
────つまり、この外食は、ウォーリアからの精一杯の気遣いと、感謝の形なのだ。
その事にスコールは、大袈裟な、と思いつつも、じんわりと胸の奥が温かくなる。
自分の仕事と割り切っていても、時には目が回りそうなこともあるし、面倒だと思う事は少なくなくて、優しい恋人はそんなスコールのことをちゃんと見ていたのだ。
そして、なんとかしてやりたいと思って、彼なりに見付けた方法が、この外食だった。
アイスも食べ終え、レジへと向かうウォーリアの後ろをついて歩きながら、確かに楽だった、とスコールは思う。
家事はスコールにとって仕事で、別に趣味だとか好きでやっている訳ではないから、しなくて良いのは非情に助かる。
ただ手料理をするより割高にはなるよな、と、環境柄、社会人の恋人に養って貰う立場となっている事が聊か頭を擡げるが、今はそれは追い遣っておくことにした。
駐車場へ出て、車に乗り込もうとすると、ウォーリアがそのドアを開けた。
助手席のドアを開けて待つウォーリアは、まるでレディファーストを心がける紳士のようだ。
女子じゃないんだけど、とスコールは思いつつ、じっとスコールの乗車を待つウォーリアの眼は、何処までも愛しいものを見る甘さを孕んでいて、文句を言う気にもならない。
スコールが車に乗り込むと、ウォーリアも運転席に座り、
「何処か寄る所はあるか?まだ何処の店も閉まっていないから、行ける筈だ」
足になってくれる、と彼は言う。
それじゃあ、とスコールは今日は遠慮しないことに決めた。
「スーパーに行く。明日の食べるものがない」
「了解した。他には?」
今日の夕食は外食で助かったが、明日の朝までそれが出来る訳ではない。
必要なものは買い足しておかないと、と言うスコールに、ウォーリアも頷いた。
その他にはないか、と訊ねて来るウォーリアに、スコールはしばし考えてみるが、
「後は……特にない。……それより、早く帰って、あんたとゆっくりしたい」
家に帰って、二人きりで。
遠慮をしないと決めたから、スコールは今日は目一杯、恋人に甘えたくなってそう言った。
顔が熱くなるのを自覚しながら、隣の恋人をそろりと見ると、綺麗な顔がじっと此方を見詰めている。
薄く開いた唇が、自分の名前を呼ぶのが聞こえて、スコールは体の奥がじんと熱くなった。
吸い込まれるように近付く距離は、すぐになくなって、二人の唇が静かに重なる。
とうに陽が沈んでいる上、この駐車場は広さの割に外灯の数が少ないものだから、車内は互いの顔を見るのが精一杯と言う暗さだ。
車内灯もつけていない今、車の隣か正面にでも来ない限り、人に見られることはないだろう。
だからだろうか、触れ合っていたのはほんの少しの時間なのに、スコールには随分と長く感じられた。
そう感じるのはきっと、じっと見つめるアイスブルーが、何処までも甘くて優しかったからだろう。
ゆっくりと唇が離れていく間、スコールは細めた双眸で、ウォーリアの顔を見つめていた。
ほう、と溶けた吐息を零した後、大きな手がスコールの頬を撫でる。
「では、行こうか」
このキスの続きは、家に帰ってから。
そんな声を聴いた気がして、スコールは小さく頷いた。
『スコールをべたべたに甘やかすウォーリア・オブ・ライト』のリクエストを頂きました。
迎えに来たり、外食に誘ったり、遠慮しがちなスコールにデザートを促したり。
全部含めて甘やかしてますが、一番は“助手席のドアを開けるWoL”だと思う(書きたかった)。
家に帰ったら、人目もない訳だし、存分に(隠喩)甘やかして欲しいですね。
酔っ払い気味の後輩から、「お前らは遊びが足りない」と言われた時には、まあ否定は出来ないな、と思った。
自分にせよ、括られたもう片方にせよ、遊戯的な物事について疎いのは確かである。
若者達の間であっという間に過ぎていく流行云々と言うのは、ビジネス的な某かに影響することであれば、新聞やニュース等と言った情報の中あから掻い摘む事はあるが、それそのものを追うことはしない。
元々、二人揃ってその手の事には興味が薄いものだから、理由がなくては調べる事もないのだ。
別段、それで日常生活が困る訳ではないし、必要な情報であればその時に仕入れれば良いと考えているので、疎くて当然ではあるのだろう。
が、共通の友人────ザックスとクラウドが口を揃えてそう言ったのは、“遊びに関する知識が足りない”と言う意味ではない。
単純に”遊ぶと言う事そのものが足りない”と言っているのだ。
休日はどちらかの家に行く事はあるが、揃って出不精と言えばそうなので、改めて出掛けようと言う話は稀である。
おうちデートも良いだろうけどさあ、と言ったのはザックスだったか。
其処で何をしているのかと訊ねられた二人は、よくあるのはそれぞれで本を読んでいる、と答えている(当然、あまり大っぴらに言うべきではない事もしてはいるのだが、後輩たちがそんな話を聞きたがる訳もないので、これは口にはしない)が、これがまたザックスには不満らしい。
なんで遊びに行かねえの、遊園地とか水族館とか、ゲーセンとか────赤ら顔で詰めて来るザックスに、なんでと言われても、と二人は顔を見合わせる。
恋愛の中身なんて人によって異なるもので、他人からどう言われようと、大して気にするものでもない。
当人たちが“これで良い”と思っているなら、それで十分なのだ。
だが、恋人たちの甘い時間と言うものが如何に大切か、相手が楽しめるように思い遣りながら過ごし、特別な一時を築くからこそデートと言う時間は大事なんだと豪語する酔っ払いに、クラウド曰くの”変な所で真面目なセンサー”が働いた。
主にはそれはセフィロスの方で、其処まで言うのなら試してみようか、と至ったのである。
こうして、セフィロスはレオンと共に、ゲームセンターと言う施設を訪れる事となった。
「───来た事は?」
入り口の前でそう訊ねたレオンに、セフィロスはふむ、と腕を組んで考え、
「プライベートでは初めて入るな」
「あんたらしいな」
自動ドアの向こうで、これでもかと煩い音を立てる沢山の筐体。
それをガラス越しに眺めながら言ったセフィロスに、レオンがくすりと笑った。
ゲームセンターは、セフィロスにとって未知のものに近い。
仕事の取引先に筐体の製造であったり、ゲームメーカーであったりがあるので、そう言う意味では無縁ではないのだが、こと仕事の類を外すと、めっきり遠いものになる。
存在は街のあちこちにあるのだから、その気配は感じるものだが、自分が其処に入る事はなかった。
仕事の一つとして、商品の納品チェックなどで入ったことはあるものの、其処で遊んで帰るような事もしない。
元々、ゲームの類に大した興味がなかったし、ゲームセンター特有の騒がしさも好きではない。
必然的に、足が近付かないものであった。
自動ドアが開くと、それだけで煩い音がよりはっきりと聞こえて来る。
自然に眉間に皺が寄ったセフィロスだったが、今日は此処で過ごすのが目的だ。
険しい表情のまま、店内へと入ると、先ずは大きなぬいぐるみを山にしているプライズゲームが迎えてくれる。
つぶらな瞳で見詰めて来る、犬モチーフのキャラクターを横目に見つつ、「取り敢えず回ってみようか」と言うレオンに従って、セフィロスも筐体の隙間を通路に歩いて行く。
高いトーンのアナウンスが聞こえて来るプライズゲームを横目に見ながら、セフィロスは前を歩くレオンに訊ねる。
「お前は、こういう場所は慣れているのか」
「いや、そう言う訳でも。ただ、弟たちと一緒に来る事が偶にあるからな。少なくとも、お前よりは判る」
そう言ったレオンの弟と言えば、確か高校生だった。
仲の良いもので、休日は一緒に出掛ける事もあるそうで、となれば学生がよく遊び場にしているような所を使う事もあるのだろう。
レオンの背中を黙々とついて行くと、ビデオゲーム類のコーナーに着いた。
「どうする、セフィロス。どれか遊んでみるか?」
「ルールが判らん」
「そう難しいのはないと思うぞ。でも、判り易いものとなると、そうだな……音ゲーなんかはどうだ?」
おとげー、とは。
セフィロスが首を傾げている間に、こっちだ、とレオンが移動する。
誘導される形でセフィロスがそれについて行くと、周囲の喧騒に負けまいとばかりに、一際大きな音を立てている筐体があった。
筐体の液晶画面には、ゲームのチュートリアルがデモ映像として流れている。
画面の上から落ちて来るアイコンが、下部にあるラインの所に来たらボタンを押す。
落下して来るアイコンは複数のレーンに分けられており、流れて来る曲のリズム合わせ、ボタンタッチのタイミングがリンクされていた。
レオンは、でも画面が一通り流れ終わるのを待ってから、セフィロスに声をかける。
「どうする?一度やってみるか」
「……そうだな」
何事も体験であると、セフィロスは頷いた。
1プレイ分の料金を筐体に入れると、デモ画面が終了し、ゲーム画面が立ち上がる。
難易度の設定はレオンが行い、キャラクターの選択画面は、セフィロスにはよく判らないまま時間一杯をかけて通り過ぎた。
一応、レオンから「これで選択、これで決定」と操作を教わったが、そもそもキャラクターを選ぶ必要性が判らなかった。
それについてレオンに訊ねている間に、初期選択キャラクターのまま、その画面が終了している。
ステージ選択として、大量の曲がリストされているのを見て、ほう、とセフィロスは呟いた。
「随分と多いな」
「ああ。昔は一つの筐体に詰め込めるメモリの限界で、選べる曲も決まっていたんだが、今時はゲーセンのゲームも、インターネットと繋がっているからな。別管理されているデータを、ネットを経由して引っ張って来れるから、過去作品で出した曲なんかも、全部選べるようになっているんだ」
「聞いたことのない音楽ばかりだ。……このゲームのオリジナルか?」
「殆どはこのゲームの為に作られたものなんだが、版権曲もあるぞ。初めてやるなら、そっちの方が判り易いだろう」
レオンはボタンをタッチして、曲を選び、決定を押す。
曲タイトルには、セフィロスが行き付けの喫茶店でよく耳にする、クラシックの曲が流れている。
画面が切り替わり、チュートリアルのデモ映像で見た、レーンの並んだ画面が映る。
落ちて来るぞ、とレオンが言ったので、画面の上の方を見ていると、アイコンがぽつぽつと降りて来た。
「これを見ながら、タイミングよくボタンを押す」
「ふむ」
ぽん、ぽん、ぽん、とアイコンがラインに重なるタイミングで、レオンがボタンを押す。
筐体には複数のボタンが並んでおり、レーンの一つ一つを担当していた。
試しに此処をやってみろ、とレオンがセフィロスの手を誘導したのは、レーンの真ん中にあるボタン。
セフィロスはアイコンが落ちて来るのを見ながら、ボタンを押した。
中々にタイミングがシビアなようで、アイコンとラインが重なったと思って押しても、画面には「MISS!」の文字。
押す瞬間を微妙に早めたり、遅らせたりと試していると、どうやらアイコンがラインと重なる一瞬前が最もベストなタイミングのようだ。
視覚情報に頼ってタイミングを測っていると、認識から脳へ、脳の命令から腕の筋肉の伝達の速度が、それぞれラグを起こすのかも知れない。
一つ曲が終わる頃に、セフィロスはなんとなくタイミングを掴んできた。
スコアの方が全く伸びていないのは、真ん中のレーン以外のアイコンを無視したからだろう。
画面は曲リストに戻り、二曲目をレオンが選びながら言った。
「あんたは耳も良いから、そっちも当てにしてみると良い」
「ああ、曲とタイミングが合うんだったな」
「次は……そうだな、もうちょっとリズムの取り易い曲にしよう」
そう言ってレオンは、版権曲を選択した。
流行の曲だから知ってるだろう、と言ったそれは、セフィロスもラジオやCMで聞いた事のあるものだ。
伴奏が流れ出し、落ちて来るアイコンを見ながら、セフィロスはボタンを押す。
曲を聞けと言われたので、セフィロスは耳を欹てていた。
落ちて来るアイコンのタイミングを、耳から聞こえる曲のリズムに合わせながら押すと、確かに段々と「Good!」の判定が増えていく。
────真剣な表情でゲームに挑んでいるセフィロスを、レオンは微笑ましいものを見守る気持ちで眺めていた。
その光景は、セフィロスと言う人間を知っている者ほど、酷く可笑しいものに見えたに違いない。
社内一と言っても過言ではない美丈夫が、ユニークなキャラクターが躍るゲーム画面に合わせ、ポップな筐体の大きなボタンを押している。
遊び方が全くの初心者だと判る、1ボタンをぽちぽちと押しているものだから、なんと微笑ましいことか。
弟達と遊びに来ると、慣れたプレイヤーが、手が分裂しているのではないかと思う程の速度でボタンを叩いている所を見ているだけに、この初々しさはレオンにはなんとも言えない可愛らしさに映る。
ザックスやクラウドが此処にいたら、写真の一枚くらいは撮って行ったに違いない。
曲が終わってスコア画面に移行すると、相変わらず1ボタンのみを押していたので、合格ラインには全く届いていない。
しかし、判定数の記録には、ミスが減り、ベスト判定が増えていた。
その記録画面も終わると、ゲームはタイトル画面へ戻って、デモ映像が流れ始める。
「……と、音ゲーと言うのはこう言うものだ。中身には色々あるが、概ねルールは共通だろう。難しい曲ほど、さっきのアイコンが大量に流れて来て、目も手も忙しくなる。それをクリアするのが面白い、と言う訳だ」
「勉強になった。あいつらはこれが楽しいのだな」
此処に来る切っ掛けとなった後輩たちを指して言うセフィロスに、多分な、とレオンは言った。
他にも見てみよう、とレオンの先導で、セフィロスはフロア内を一周した。
先のものとは違う音ゲーム、格闘ゲーム、クイズゲーム、シューティング────どれもがセフィロスには初めて触るものばかりだ。
セフィロスは、レオンがルールが説明できるものを選んで、それらを一通り触ってみた。
シューティングや格闘ゲームは、操作を理解する前にコンピューターにやられてしまう。
クイズは設問ごとの時間制限に引っ掛かって二回分のお手付きを使ったが、決められた二十問はクリアした。
レーシングゲームは二人での対戦ができると言うので、それなら、とレオンにも筐体に座らせている。
レオンは操作の判らないセフィロスに一つ一つ教えながら走った為、雰囲気はとてもレースとは言い難く、二人寄り添ってゴールテープを切った。
ビデオゲームのコーナーを一通り歩いたので、今度はプライズゲームのコーナーに行く。
プライズゲームと言えば、セフィロスにとってはUFOキャッチャーのイメージだったのだが、
「……随分色々と形があるな」
「ああ。景品の置き方も色々あるぞ。あれは運ばなくても良い、落とせば取れる奴だ」
レオンが指差した其処には、景品口と繋がる穴の上に、橋のように渡された棒が二本。
その棒の上に、箱に入った景品が置かれ、一辺に取っ手がついていた。
「あそこを掴めば良いのか」
「まあ、それでも良い。それで持ち上げるなり、倒すなりして、下に落とせば景品が手に入る」
「……」
「試してみるか。結構難しいぞ。取れなくて意地になっている奴をよく見かける」
じっと筐体を見詰めるセフィロスに、レオンはそう言ったが、それは冗談も混じっていた。
橋に乗った景品は、有名なゲームのフィギュアだったが、セフィロスの興味の対象ではない。
取るにしろ取れないにしろ、もうちょっと使い道のあるものでも、とタオルか何かないかと探していたレオンだったが、
「試してみよう」
「本気か?」
「いけないか」
「いや、別にそう言う訳じゃないんだが……何もこれじゃなくてもと思って」
「よく判らんからな。どれでも構わん」
セフィロスの言葉に、あんたが良いなら良いけど、とレオンは筐体にコインを入れる。
入金の音が鳴り、アームがピカピカと光って、操作可能になったことを知らせた。
縦横に動くボタンを教えると、セフィロスがそれに倣ってボタンを押した。
決められた回数分だけアームが動けば、後は自動で上下運動を行う。
効果音を鳴らしながら動くアームは、ボタンを押している限り、端に行くまで動き続けた。
端から端までアームが行きつくところまで動かして、ようやくセフィロスがボタンを外すと、アームはゆっくりと下に下り、何もない場所を掴んで、元の位置へと戻って行った。
もう一度アームを動かせるようだが、セフィロスはふむ、と考える仕草をして、
「レオン。見本が見たい」
「見本?俺は別に上手くないぞ」
「やった事はあるんだろう」
「一応は……」
「なら問題あるまい」
見せてくれ、と言ってセフィロスはレオンに場所を譲る。
レオンは仕方ないと言う表情で、ボタンに手を伸ばした。
レオンの操作で動いたアームは、中々上手く景品の上で止まったが、取っ手を掴むことは出来なかった。
アームは景品の箱の横腹を掠め、少し置き場所がズレただけ。
慣れた人間ならともかく、俺には取れないだろうなと言って、レオンはゲームを終了した。
「……と、まあ、これはこんな感じだな。上手いやつは二、三回も遊べば、取る事が出来るかも」
「必ず取れる訳ではないようだな」
「ああ。それじゃ店側も商売あがったりだろうしな。上手く取れた時が嬉しい、と夢中になる奴もいるぞ」
「成功体験か。しかし、少々ギャンブル性があるようだな」
「まあな。それに、景品も少し特殊なものも多くてな。こう言う系統でしか手に入らないグッズと言うのもあるんだ。これなんかも、多分そういう類だろう」
景品のフィギュアを指差して言うレオンに、成程、とセフィロスは頷く。
そろそろ周囲の音の喧しさで耳鳴りがする、とセフィロスが呟いたことで、ゲームセンターを出る事にした。
外に出て、自動ドアも閉まると、あれだけ煩かった音が遠退いて、行き交う車さえも静かに感じられる。
試しに、と言う気持ちでそれなりにゲームを触ったからか、二時間ほどが過ぎていた。
適当に静かな店に入って休む事にして、宛てになりそうな店を探す。
その傍ら、レオンはセフィロスに感想を訊ねた。
「どうだった?初めてのゲームセンターは」
「やはり煩いな。色々と勉強にはなったが」
セフィロスの発した単語に、ふふ、とレオンは笑う。
「俺もあの音の大きさはあまり得意じゃないからな。やっぱり、俺達が何度も来るような所じゃない」
「あそこでいつまでも遊べる奴等の気が知れん」
「やっぱりゲームが好きなんだろう。俺達は、そこが先ず無いからな」
やはり自分達には、静かな場所で落ち着いて過ごす方が性に合っている。
セフィロスは、それがはっきしりただけでも、今日の勉強代としては十分だろうと思う事にした。
また飲みの席で酔っ払いたちが同じ話でも始めたら、今日の結論を伝えれば良い。
と、それはそれとして、セフィロスは自分の所感を着地させていたが、もう一つ気になる事はある。
「お前はどうだったんだ、レオン」
「俺?」
「一応、これはデートだからな。お前がどう感じたかも重要だ」
今日のこの予定は、セフィロスの興味からのもので、レオンは付き合ってくれたようなものだ。
とは言え、二人きりの休日ではあるので、デートとと言えばデートだろう。
セフィロスの言葉に、レオンは“デート”と言う単語にか、今更ながら意識したように少々顔を赤らめつつ、
「……俺は、まあ、悪くはなかった。微笑ましいものも見れたしな」
そう言って蒼の瞳を細め、思い出した光景にくつくつと笑うレオン。
彼が何を見たのか、何を思い出しているのかセフィロスには判らなかったが、それでも彼が楽しかったのならそれで良いかと思うのだった。
『セフィレオ』のリクエストを頂きました。
ゲームセンターに行かせてみた。セフィロスにしろレオンにしろ、自分達だけで先ず行かないだろうな、と思う。
音ゲーはアレです、ポップな奴。あれのボタンをぽちぽち押してるセフィロスが見たいなと思って。
レオンの方は、学生時代に友人後輩に連れられてとか、今なら弟と出掛けた時には行く機会があるので、一緒に遊んだことのあるゲームはやり方を知ってる。ただジャンルごとにあるような専門用語(ノーツなど)は知らない程度のゲーム知識。
相変わらず、傍から見るとデートか?と言う過ごし方だけど、本人達は満足しています。
目が覚めた時、酷く体が重かった。
まるで長い間、重石にでも浸けられていたかのような怠さで、起き上がろうとするのも面倒に感じる。
しかし今日の予定は詰まっているから、起き上がらねばなるまいと思って、出来なかった。
頭の奥がくわんくわんと揺れているような感覚があって、ああ多分これは駄目だ、と思った。
何がどう駄目なのか、と言う理屈まで考えることは出来なかったが、感覚的に駄目だ、と言う結論が見えたのだ。
取り敢えず、この泥沼に沈んでいるような感覚が消えるまでは、碌に動ける気がしなかった。
────二日前の話だ。
一人索敵に出ていたスコールは、南北の大陸を繋ぐ細道の袂で、複数のイミテーションに遭遇した。
両陣営の境目でもある其処で退く訳にはいかない、これ以上の数が増える前に殲滅するのが良策であると判断し、戦闘を開始する。
イミテーションの練度はバラバラで、一発で仕留められるような物もあったが、その奥には司令塔を担う皇帝のイミテーションがいた。
本物とよく似て、いやらしいトラップ魔法を幾つも仕掛けるそれを倒す為、スコールは少々の無茶を押し通した。
敢えてトラップを避けずに突き進み、逃げようとするターゲットに最短距離で肉薄する。
こうしてイミテーションの群れは、一体残らず殲滅したのだが、その時に少々深手を負ったのだ。
勿論、そのまま放置していた訳ではなく、応急処置を施して屋敷に戻ることにしたのだが、皇帝のトラップ魔法と言うのは、後から効いて来る代物もある。
恐らく、毒魔法と掛け合わせて仕込まれていたのだろうその効果が、帰還した後になって、じわじわとスコールの体を蝕んだのだ。
帰還してから一夜が過ぎ、毒は体をすっかり巡り、発熱と言う形でスコールの体を苦しめた───と言う訳だ。
……それから次にスコールが目を覚ました時、部屋の中は薄暗かった。
傍らには、タオルを絞っているフリオニールがいて、スコールの看病をしていた。
ベッドの住人が目覚めたことを知ったフリオニールは、急いでバッツを呼びに行き、容体を診せる。
バッツはスコールの様子をよくよく観察した後、
「うん、大丈夫そうだ。毒ももう抜けてるしようだし」
「そうか。良かった」
「微熱っぽい感じもするけど、昨日に比べれば全然マシだ。これも直に下がるんじゃないかな」
バッツの言葉に、本人以上にほっとした様子で、フリオニールは胸を撫で下ろす。
一応これは飲んどいてな、とバッツは煎じた薬を置いて、スコールの部屋を後にした。
残ったフリオニールが椅子に座り、ベッドヘッドに背中を預けて座っているスコールを見て笑みを浮かべる。
「昨日は中々熱が下がらないから心配したよ」
「……そんなにか」
「氷嚢が足りなくなるんじゃないかと思った」
フリオニールはそう言うが、スコールは全く思い出せない。
酷い高熱に魘され、毒も回って意識がほぼなかったのだから無理はないだろう。
しかし、肩やら腕やら、背中やらが痛むのは、恐らくその所為なのだ。
意識朦朧として、寝返りも打てない程に重くなった体は、ただただベッドに預けるしか出来ず、その内に体の筋肉が固まってしまったのだろう。
少し体を動かして解したい、と思うスコールだったが、
「今日の所は、まだ大人しくしていた方が良いぞ。ぶり返す可能性もあるからって、バッツが言ってたからな」
「……判った」
バッツがそう言うのなら、今日の所はあまり動かない方が良いだろう。
そうしないと、よく効くから早く治る、と言って、酷く苦い薬を飲まされることになる。
今サイドテーブルに置かれて行った薬だって、彼の手ずからもので、恐らく苦いだろうと想像がつくのに、それ以上のものは御免被りたい。
それでもせめて柔軟くらいはしないと、体のあちこちが痛くて、ゆっくり休める気がしない。
横になった状態で出来るものがあったよな、と思い出しつつ、布団を引き上げる。
そんなスコールに、フリオニールは「着替えた方が良いよな」と、予備の寝間着を渡した。
「飯は食べられそうか?」
「……腹は減ってる」
「はは、昨日は水しか飲んでないもんな」
空腹を感じる、食欲があるのなら十分だと、フリオニールは言った。
着換えを終えたスコールは、ベッドに横になって、布団の中でごそごそと体を動かしてみる。
出来れば立ってやりたかったかが、バッツと言い、フリオニールと言い、まだベッドから抜け出すことは赦してくれそうにない。
肩と背中だけでも解せばマシになるだろう、と寝返りを打った所で、ふと見下ろす紅を見付ける。
スコールを見詰めるフリオニールの表情は柔らかく、ほんのりと甘い。
恋人同士と言う関係になって以来、二人きりの時に彼がそんな顔をするのは珍しくはなかったが、正面からそれを見付けてしまうと、どうしてもスコールは意識してしまう。
見なかったふりをして反対側に寝返りを打つと、今度は其方に戻るのが難しくなった。
猫の伸びのように腕を伸ばして気分を誤魔化していると、項にかかる髪を払う指の感触を感じ取る。
「……良かった。元気になって」
零れたその声は小さくて、ひょっとしたら独り言だったのかも知れない。
けれども、聞こえてしまうと勝手に耳が熱くなって、スコールは胸の内を隠すように蹲る。
温度を確かめるように、フリオニールは何度もスコールの首筋に触れた。
覚えていないが、相当な高熱だったと言うから、昨晩はかなり汗を掻いたのだろう。
後ろ髪の生え際が少し湿っているような感覚があって、そこに髪がまとわりつくのが鬱陶しいのだが、フリオニールが指を滑らせる度、隙間が空いて肌が外気に触れる。
じわじわとしたくすぐったさに首を竦めても、フリオニールはただの身動ぎにしか見えないのか、滑る指は離れなかった。
フリオニールの指は、その背でスコールの首横を撫でて、耳元を掠めた。
とくん、とスコールの胸の内で鼓動が一つ、高鳴る。
そろ、と振り返ってみると、やはり甘くて柔いルビー色が、じっとスコールの顔を見つめていた。
(……あ、)
その目が、色が、ほんのりと熱を持っているのを見付けて、またスコールの鼓動が鳴る。
久しく重ねていない熱の記憶が蘇り、じんじんと体中に広がって行くのが判った。
スコールに熱を呼び覚まさせた当人はと言えば、何処までも優しい表情で見下ろしている。
相当な心配をかけたのだろうと思うと、俄かに申し訳ない気持ちにもなって、目を反らし続けているのも聊かばつが悪くなった。
もう一度寝返りをして、フリオニールと向き合うポーズになると、柔い瞳が愛おしそうに細められる。
「……フリオニール」
「ん?」
「……悪かった」
心配と手間と、恐らく随分とかけたのだろうと詫びれば、フリオニールは眉尻を下げて笑う。
良いよ、と言葉なく告げながら、フリオニールはスコールのまだほんのりと高い体温を確かめるように、何度もその頬を手のひらで撫でた。
新陳代謝が良いのか、フリオニールの体温は、スコールの体温よりも少し高いものだった。
それが今はスコールが微弱ながら発熱している所為だろう、頬を撫でる手が僅かにひんやりと感じられる。
温かい彼の体温が好きなスコールにとっては少々残念だったが、しかし今はこの手の冷たさも心地良い。
「夕飯は消化の良いものにしような」
「……あんたが作るのか」
「うん」
「……そろそろ作り始めないと、間に合わないんじゃないのか?」
「ああ、いや。皆の飯はもう作ってあるんだ。だからこれから作らないといけないのはスコールの分だけだし、そう時間はかからないと思う」
「……」
「スコールは、ちゃんと目が覚めてからじゃないと、食べれる状態かも判らなかったしな。まあ、先に何か作っていても良かったんだけど……」
フリオニールの言葉に、気を遣わせているな、とスコールは眉根を寄せる。
そんなスコールを見て、フリオニールは殊更優しく、火照りぎみの頬を撫で、
「……スコールが起きるまで、俺が此処にいたかったんだ。目が覚めた時、すぐに気付けるようにって」
秩序のメンバーの半数は、傷病人の看病と言うものに慣れている。
科学レベル、医療レベルの差により、知識はそれぞれ分野で差別化されるが、一般的な手法は何処もそう変わらない。
毒の心配があった時にはバッツやセシルに看病を任せるしかなかったが、それも落ち着いたら交代を申し出た。
氷嚢を用意したり、体を拭いてやったりと、フリオニールもその位のことは出来る。
熱に魘されるスコールの様子は見ていて辛いものではあったが、僅かに目を覚ました時など、すぐに求めるものに応じれるようにしたかった。
そうして甲斐甲斐しく看病したお陰で、スコールは無事に山を越えたのである。
そう言えば、時折ふっと意識が浮上した時、フリオニールの声を聴いたような気がする。
熱に魘された頭は、それを夢だと認識していたが、ひょっとしたら、本当に彼の声だったのかも知れない。
(……あまり覚えてないけど)
朧な記憶を、今になって酷く勿体無く思う。
もっとはっきりと覚えていれば、頬に触れる手が酷く大切そうに撫でる理由も、もっと判ったかも知れないのに。
頬から離れようとしない手に、スコールはそうっと自分の手を重ねた。
ぴく、とフリオニールの指が微かに震えたが、構わず柔く捕まえて、掌に唇を宛がう。
微かに舌先を出して、皺のある場所を舐めてやると、
「……スコール」
「……」
「駄目だぞ」
恋人の甘い誘いを、フリオニールはきちんと受け取ったようだ。
その上で、駄目だ、としっかり釘を刺してくれる彼に、スコールは拗ねた顔を浮かべる。
「まだ熱があるんだぞ」
「……平気だ」
「駄目だ。……ちゃんと治ってからにしてくれ。無理させたくない」
フリオニールのその言葉は労わるものであった。
が、スコールはと言うと、そうか無理をさせられるのか、と独り言ちる。
それ位に、フリオニールの方も、スコールの事を求めてくれているのだと思うと、面映ゆい。
「……判った。今日は寝る」
「ああ」
「……それまで、……」
「うん」
スコールが俄かに口を噤んでも、フリオニールはその先をきちんと理解してくれる。
此処にいるよ、と言って、頬に触れた手がまたゆっくりと肌を撫でた。
『フリスコ』のリクエストを頂きまして。
リク下さった方が病み上がりと言う事で、病み上がりでいちゃいちゃするフリスコが浮かんだのです。
治ったら存分に無理させてくれると良いと思います。
馬鹿みたいに暑い日、と言えば一番わかり易いだろう。
ニュースで連日のように報道される、都市部の最高気温と言うものは、日に日に上がり続けていた。
熱中症にご注意を、と言うのが最早締めくくりの言葉として当たり前にもなっていて、ロックはそろそろ聞き飽きた位だ。
そんな日々でも人々の生活は変わらず回り続けているから、どんなに嫌でも、どんなに面倒でも、仕事はしなくてはいけない。
寧ろ、キッチンカーであちこちを回りながらジェラート売りなんて仕事をしていれば、こんなに暑い日々だからこそ売れるもので、書き入れ時と言えばそうだった。
しかし、狭いキッチンカーの中はどんなに冷房を運転させた所でタカが知れている。
あの一畳ほどもない車内で、あくせく働いていれば、外歩きのサラリーマンと同じ位の汗も出る。
それに、確かにこう言う商売をしている人間にとって、暑さは寧ろ客の呼び水にもなるのだが、灼熱のフライパンと化した外界に積極的に出ようと言う者は減るものだから、大盤振る舞いできる程の儲けにはならないのだ。
この数週間、うだる暑さに誰もが辟易し、外出するなら午前中で、と言う風潮が出来上がっていた。
午前は蒸し暑さは残っていても、まだ地面が熱されきっていないので、太陽が昇り切った後よりは活動がし易い。
多くの人はそのつもりで、午前中にやるべき事をやり、暑さが本格化する午後は、空調の効いた屋内で過ごしている。
賢い生き方だ、と今日も蒸し風呂になりつつあるキッチンカーの中で、ロックはそんな事を思う。
今日のキッチンカーは、ショッピングモールの一角を借りていた。
そこは少し広めの公園もあって、快適な季節であれば、昼間は子供を連れた家族、午後から夕方にかけては学校帰りの学生がよく利用する。
しかし、広々とした空間が作られているお陰で、其処には主だった屋根がなく、夏は遊具でさえ焼きゴテのような暑さになってしまう。
木材作りであるものはまだマシだが、金属を塗装したような大型遊具は触れたものではなかった。
この為、当然ながら今日の客足も伸びがなく、ロックはせめて屋根のあるモール内に入れて貰えば良かったと、この夏何度目かの後悔をする。
車内にいると熱がこもって仕方がないので、ロックは束の間にキッチンカーを下りた。
冷凍庫から出して五分ほど経ったスポーツドリンクは、この暑さで短時間のうちに程好く溶けて、表面に沢山の結露が浮いている。
溶けだした分を早々に飲み干し、頭に巻いていたバンダナを解いて汗を拭いていると、
「今日はもう終わりなのか」
聞き慣れた声が聞こえて、振り返ると、蒼灰色の瞳が此方を見ていた。
自然と口元が緩むロックに、蒼は物静かな光を湛えて、じっと返事を待っている。
ロックは口に含んでいた水を飲み干すと、「いいや」と言った。
「車の中が地獄でさ。少し涼んでたんだ」
「……確かに、暑くて狭苦しそうだな」
トラックを改造して作られたキッチンカーを見て、制服姿の蒼い瞳の少年───スコールは言った。
その目が冷え冷えとしたジェラートのショーケースに向けられているのを見て、ロックは解いたばかりのバンダナを巻き直す。
「食うか?」
「……ん」
小さく頷いたスコールに、よしよし、とロックはキッチンカーへ戻る。
スコールが注文をする前に、ロックはアイスカップを一つ取った。
平日で三日に一回の頻度でこのショッピングモールにやって来るジェラート屋に、スコールは必ずやって来る。
最初は友人に連れられてやって来ていたのが、いつの間にか一人でも買いに来るようになって、ロックともぽつりぽつりと会話を交わすようになった。
その際、彼は必ずジェラートを買ってくれるのだが、器にはコーンとカップの内、必ずカップを選んでいる。
友人のように食べるのが早くないとかで、コーンは食べている内に溶け出してしまい、手が汚れるのが嫌なのだとか。
スコールは、車体分高い位置にあるショーケースをじっと見つめ、どれを食べようか選んでいる。
フレーバーは定番のものが8つ、週によって替えているものが2つあって、スコールは大抵、定番のものと変わり種とをダブル仕様にしていた。
「……ショコラとブラッドオレンジ」
「あいよ」
注文を受けて、ロックはショーケースの蓋を開ける。
ヘラで掬い取ったジェラートを、カップに盛り付ければ、二色の三角形が出来上がった。
支払いを済ませ、ほい、と腕を伸ばして差し出すと、スコールはそれを手に取って、早速口を付ける。
ブラッドオレンジの酸味と甘味の効いた、心地良い冷たさに、スコールの眉間の皺がほうっと緩んだ。
他に客もいないし、とロックはまたキッチンカーを降りる。
車体に寄り掛かって水分を補給しながら、立ったままジェラートを食べているスコールを眺め、
「学校はもう夏休みだっけ」
「……ん」
「でも制服ってことは───補習?」
「……」
「お前に限ってそんな訳ないか」
ロックの言葉に、解けたばかりの皺を再度寄らせるスコール。
判り易く不服を見せる少年に、その優秀ぶりを知っているロックは、ははは、と笑って撤回した。
「夏期講習か何かか?」
「……ああ」
「大変だな、学生は」
「……こんな所で客も来ないのに商売してる奴には負ける」
「そりゃどうも。でも客は案外来るんだぜ。まあ、暑いから皆ここまで出て来ないのも確かだけど」
やっぱり来ないんじゃないか、とスコールの目が胡乱に細められる。
全く来ない訳ではないんだから嘘じゃない、とロックは付け足した。
広いショッピングモールを囲う街路樹からは、朝からセミが元気に羽根を震わせている。
たまにキッチンカーの背中にも留まるものだから、その時は煩くて仕方がないのだが、今日は距離があるだけ随分とマシだ。
それより如何ともし難いのはこの暑さで、ロックは佇む少年の肌が赤くなっているのを見て、パラソルでも用意した方が良いかな、と考える。
「スコールの所の学校は、教室に空調はあるのか?」
「ある」
「そりゃ良い。バカみたいに汗掻きながら勉強しなくて済むんだな」
「……教師がクーラーつけて良いって言わないとつけれない」
「あー、そういう決まりがあるのか。でも、この暑さだと流石にOKするだろ?」
「まあ、一応。でも設定温度が高いから、どうなんだか」
「何度?」
「人によるけど、一番高い奴は、30度」
「なんだそりゃ。点けてる意味ないじゃないか。勉強どころじゃないなぁ」
「だから空調のスイッチに近い席の奴が、こっそり下げてる」
それは賢いやり方だ、とロックは笑った。
教師は教師で色々と考えて方針を決めているのだろうが、生徒としては、ただでさえ面倒な勉強に加え、下手な我慢大会の開催は勘弁して欲しいものである。
ショコラとブラッドオレンジのジェラートを、スコールは味を楽しむように交互に食べている。
きちんと味を分けて堪能しているスコールに、何度目の来店だったかの時、「混ぜても良いんだぜ」とロックは言った。
違う味を混ぜて、新しい風味を楽しむのも、ジェラートをダブル・トリプルで食べる時の醍醐味だ。
とは言え、別々に食べて味わうのも勿論良いものなので、ロックはあまり食べ方に口煩くはしたくなかった。
それより、とロックはふと思い出し、
「そうだ。新作を作ってる所なんだけど、ちょっと試しに食べてみてくれないか」
「……新作?」
「ああ。まだ店には出せないんだけど、誰かの意見が欲しくてさ」
ロックは再度キッチンカーに戻ると、キッチン台下の冷凍庫を開ける。
客待ちの間に新作研究をしようと思って、自宅から持って来ていたのだが、この暑さでやる気をなくし、ただただ冷やされていたボウルを取り出す。
其処には濃いピンク色に、所々に粒が入ったジェラートが入っていた。
冷え切って固くなっているジェラートをヘラで程好くなるまで解し、プラスチックスプーンで一掬い。
ほら、とカウンターから腕を伸ばして差し出すと、スコールは持っていたスプーンはカップに差し、ロックの手から試作品を受け取った。
スコールは何の味なのか、警戒するように一口分のジェラートをしげしげと眺めていたが、暑さにゆっくりと溶けだす表面を見て、思い切ってぱくりと口に運ぶ。
「……なんだ、これ」
「どうだ?」
「……少し酸っぱい。なんか、プチプチしてて……?」
フレーバーの正体が判らないからか、スコールの表情は怪訝なものになっていた。
一体何を食べさせられているのかと、早く答えを寄越せと視線を向けられて、ロックは手元のボウルを混ぜながら答える。
「桑の実なんだ。ジャムにして混ぜたんだよ」
「クワの実……」
「一応、ベリー系だな。さっぱりしてるから、夏に良いんじゃないかと思ったんだけど」
どうだ?と訊ねるロックに、スコールは考えて、
「……俺は、そんなに嫌いじゃない」
「おっ。じゃあ、もうちょっと仕上げて、来週あたりに出してみるかな」
ロックの言葉に、スコールの目が分かり易く輝いた。
言葉は酷く少ないのに、存外とお喋りなその瞳に、ロックは噴き出しそうになるのをなんとか堪える。
プライドの高い少年は、周りの大人が思う以上に、地雷が沢山あるのだ。
うっかり怒らせてしまわないようにと、ロックは努めて平静を装いながら、ボウルを冷凍庫へと戻した。
ほんの五分程度、キッチンカーの中にいただけだと言うのに、シャツの中はもう汗を掻いている。
環境柄、致し方のない事とは言え、もう少し涼の取り方を考えないと、いつか倒れてしまいそうだ。
キッチンカーを降りながら、どうしたもんかな、と考えていると、
「……ロック」
「ん?」
「……あんた……いや……」
何かを言いかけ、スコールは口を噤んだ。
もう殆ど食べ終わって空になったアイスカップを片手に、蒼の瞳が居心地悪そうに彷徨う。
どうした、とロックが敢えて訪ねてやると、スコールはまた少し逡巡した後で、
「……大丈夫かと、思っただけだ。……暑いから」
「ああ、心配してくれてたのか」
「…………別に」
そんなつもりじゃない、とスコールはそっぽを向くが、ロックはくつくつと笑みが漏れてしまう。
確かに馬鹿のように暑いから、それ位の心配は、してくれたって罰が当たるものではないだろう。
それでも、余計な世話なのではないかと、悪い方に考えてしまう癖があるのがスコールだ。
ロックは氷の解け切ったスポーツドリンクを飲み切って、空のペットボトルを車体の横に置いたゴミ箱に捨てる。
「今の所は大丈夫。水分も塩分も用意してるし、冷房もつけてるし」
「……そう、か」
「あんまりキツくなったら、ジェラート食って休むさ。売る程あるからな」
ロックの台詞に、そもそも売っているものだろう、とスコールが目を細める。
スコールは空になったアイスカップと、用済みになったブラスチックスプーンを捨てて、背中のスクールバッグを背負い直す。
今から正に太陽が本格的に仕事をする時間になると言うのに、彼はこれから家に帰らなくてはならないのだ。
まずショッピングモールの敷地から出る距離を歩くだけで、ロックはうんざりとしそうなのだが、この少年はそれを熟さなくては家路につけないのである。
「じゃあ、もう帰る」
「うん。こんな暑さだし、送ってやれたら良かったんだけど」
「……店がなくなったら、客が来た時困るだろ」
来ない訳じゃないんだから、と言うスコールに、ご尤も、とロックは眉尻を下げる。
炎天の下、キッチンカーを離れていく背中を見詰めるロック。
本音と言うと、客を多少困らせたって良いから、彼を送って行けたら良いのに、と思う。
そうすればスコールはこんな猛暑の中をフラフラと歩かなくて済むし、何より、もう少し他愛のないお喋りの出来る時間が増える。
寡黙な彼にとっては会話の時間など増えても面倒なだけかも知れないが、ロックにとっては、彼と過ごす時間が細やかな楽しみなのだ。
しかし、少年はどうしてロックがそんなにも世話を焼きたがるのか、恐らく理解していない。
だからロックが送ってやると申し出た所で、店のことは勿論、他人に手間をかけさせることを嫌って断るに違いない。
そう言う事が判る位には、ロックは彼のことを見ているつもりだ。
駐車場を行き交う車の向こうに、仄かな想い人の姿が見えなくなって、ロックは一つ伸びをする。
「うーん……まあ、もうしばらく長い目でって所かな」
多感な時期の少年に、下手な混乱を与えて、疎遠になるのは避けたい。
ロックは気を取り直して、先ずは彼の期待に答える為、新作のブラッシュアップに臨むことにした。
『猛暑日のロクスコ』のリクエストを頂きました。
暑いとアイスとかジェラートとか食べたいよねって言う。
現パロのロックの職業(公式25歳なので基本は社会人と言うイメージだけどサラリーマンとか合わなそう)を悩むのですが、今回は移動販売してる人と言うことにしてみた。
スコールとは、まだ毎日顔を合わせる程じゃないけど、近過ぎないけど程好い距離感で交流している所。
心配してくれる位に自分のことを気にしてくれてるんだなー、と言う細やかな喜びの頃です。
その内ロックの家にスコールが来て、試作品の味見とかするようになるんだと思います。