[クラスコ]心地の良い場所
風邪など、一体何年ぶりだろうか。
秩序の聖域の、戦士達の拠点となる屋敷の中、自分の部屋でクラウドは天井を見つめながら思った。
開けたカーテンの向こうから差し込む光は、いつものように薄曇りではあるが、それでも室内を明るくするには十分だ。
そんな昼間のうちから、何をするでもなく自室に籠ると言うのは、ひょっとしてこの世界で目覚めてから、初めての事ではないだろうか。
傷を負った為に療養すると言うのは、儘あることだった。
魔法は傷を癒す事は出来るが、消費したスタミナであったり、流れた血を生成して補う事は出来ない。
だから大怪我と呼べるレベルの傷を負った際は、治療の後、きちんと休む時間というものが必要だった。
そうすることで、表面的な所からは判らない、身体の内部の損傷を修復させるようにしているのだ。
だから大人しく寝ているしかないと言うのは、この闘争の世界では、然程珍しいことではない。
怪我ではなくとも、なんらか遅効性の罠や魔法で、毒系を初めとした搦め手を受けることもあるから、此方も同様に、安全の為に様子を見ようと、数日の待機が余儀なくされる事もある。
しかし、今日のクラウドがベッドで大人しくしているのは、闘いや警戒とは全く別のものが理由だ。
どうにも昨日の晩から調子が優れない気がして、夕飯が常の半分程度しか食べれなかった。
健啖家の部類に入るので、半分と言ってもそれなりの量を食べてはいるのだが、体が常と違う状態であったのは確か。
胃もたれのような、どうにもスムーズに食べ物が腹に入らないような、それに加えて妙に背中の方が痛い気がして、あまりのんびりと過ごす気になれなかった。
不調は長引かせたくないもので、バッツに相談して滋養になる薬を一つ煎じて貰い、それを飲んで早めに寝床に入っている。
そして朝になって、熱が出ていたのだ。
今日はティーダに誘われ、フリオニールやセシルと共に、素材熱めに行く話をしていたのだが、これは無理だと判断した。
熱があるから辞めておく、と言ったクラウドを、三人は随分と心配してくれたが、言っても症状は熱だけなのだ。
休んでいれば治るから、とクラウドは三人を送り出し、後は部屋に戻って一日養生する事に決めた。
それから半日が経っており、中々暇なものだと、物言わぬ天井を見つめて思う。
(動き回る訳にも行かないから、寝ているしかないんだよな。これが存外……)
退屈だと、それが今のクラウドの胸中だ。
熱は極端に高くはないと思うのだが、体温計でもあれば、38度はあるのではと言う感覚がする。
一人で動けない事もないが、起き上がるのは体が面倒臭がるし、かと言って寝続けるのもそろそろ飽きている。
元の世界であれば、こう言う時は本なりゲームなりと、何かしら暇潰しが欲しいものであった。
本くらいなら構わないかなと、クラウドはむくりと起き上がる。
書庫にある本を一つ二つ拝借し、部屋に戻ってベッドの中で読む位なら、誰かに怒られる事もないだろう。
書庫に向かう足を見付かると注意されるかも知れないが、直ぐに戻るつもりで行くのだから、それ位は許して貰おう────と思っていた時だった。
コンコン、と部屋のドアがノックされて、クラウドは「開いてる」と答えた。
キ、と蝶番の鳴る音がすると、手にトレイを持ったスコールが入って来る。
「昼飯だ。食えるか」
「ああ、ありがとう。多分大丈夫だ」
置いておいてくれ、と言うクラウドに、スコールはベッド横のサイドチェストにトレイを置いた。
小さな土鍋にスプーンが添えられている所を見るに、粥かスープだろうか。
その横には、小さく折り込まれた紙が二つ並んでおり、中身はバッツが煎じた薬であることが想像できた。
スコールはベッドから降りようとしているクラウドを見て、眉根を潜める。
「起きて良いのか」
「良いと言う程でもないが、あんまり暇なものだからな。本でも取ってこようかと思っていた」
「……熱は?」
「下がっている気はしないな」
自分では体感以上のことは判らない。
そう言ったクラウドに、スコールはふうと一つ息を吐いて、クラウドの前に立った。
いつも嵌めている黒の手袋を外し、クラウドの額に手を置く。
元々スコールは体温が高い方ではないが、それにしても今日はひんやりと感じられて心地良い───詰まる所、まだクラウドの熱が幾らも下がっていないと言う事なのだが。
スコールは、クラウドと自分の額とにそれぞれ手を合わせて、違いを確かめた。
その結果、やはりクラウドの熱がまだ高いままである事を確信する。
「まだ熱い。本なら適当に見繕ってきてやるから、あんたは寝ていろ」
「それは有り難いが、じっとしているのも飽きているんだ」
「病人は大人しくしてろ」
ぴしゃりと言われて、ご尤も、とクラウドは肩を竦める。
食べれるだけ食べていろと言われたので、クラウドはトレイを手元に寄せた。
土鍋の蓋を開け、ほこほこと湯気を立てていたのは、野菜の出汁に浸して作った粥だった。
今日はバッツが屋敷に残っているから、彼が病人の為に用意してくれたのだろう。
熱を取りながら食べ始めたクラウドを見て、スコールは「本を取って来る」と言って部屋を出て行く。
クラウドが粥を半分ほど食べ、胃の感覚から、こんな所だなと食事を終えた頃、スコールも戻って来た。
厚みのある小説を一冊、薄い雑誌形態のものが二冊と、どちらもクラウドの世界では見ないものだったが、今は中身が何であれ読めれば十分だ。
バッツの薬を飲むと、中々に苦くて渋い味が口一杯に広がった。
良薬口に苦しと言うが、もう少しなんとかならないだろうか、と詮無い事を思う。
それを二つも飲むと言うのは中々根気がいるのだが、折角バッツが煎じてくれたのだから、無駄にする訳には行かない。
たっぷりの水を添えて飲み下し、ふう、とクラウドがようやく息を吐いたのを見て、
「……あんたが風邪を引くなんて、珍しいな」
ぽつりと言ったスコールの声が聞こえて、クラウドはベッドに戻りながら「そうだな」と頷いた。
クラウドは空になったグラスをサイドチェストに置きつつ、
「俺も、こう分かり易く熱を出したのは、随分久しぶりな気がする」
「この世界に来てから、こう言う事はなかったのか」
「覚えている限りでは、ないな。傷の所為で熱を持ったのはあったと思うが、風邪なんて、若しかしたら何年振りかも知れない」
クラウドの躰は、頑丈に出来ている。
それは生来の健康体であると言うのではなく───それも理由として皆無ではないだろうが───、クラウドの過去の出来事により、“普通”から逸脱しているのだ。
己の意志と関係なく取り込んだ因子により、表面的な頑健さも、生命が本来持ち得る自己回復力も、大幅に強化されている。
だからクラウドは、時間と共に消えるような弱い毒なら、それ程留意しない事も多く、身体を蝕むものについての抵抗力も強かった。
体に変調を齎すウィルスに対しても、その抵抗力が先んじて攻撃し、速いうちに駆逐してくれるので、そう言った免疫活動による反応が表面化する程に強くなる事も少ないのだ。
そんな訳だから、風邪など本当に久しぶりなのだ。
よくよく考えると、昨日の夜に感じた背中の痛みも、風邪症状の一つだったのだろう。
疲労の肩凝りにしては妙なと思っていたが、体の中に原因があったとは、あまりに感覚が久しぶり過ぎて気付きもしなかった。
バッツに薬を貰う時、色々と症状を聞かれて、それに合わせたものを煎じて貰ったが、今思うと、受け答えに少々ズレがあったかも知れない。
だが、先程飲んだ薬は、昨日のものともまた違うものだったから、恐らく今度こそ症状に合わせたものが煎じられたのだろう。
夜もあの薬を飲まなくて良いように、熱には早く下がって欲しいものだ。
スコールはクラウドに、書庫から持ってきた本を渡し、
「他に何か必要なものはあるのか」
「そうだな……水はまだあるし、暇潰しも手に入ったし。後は────」
取り立てて何も、と答えようとしたクラウドだったが、ふとベッド横に佇む少年を見遣る。
返事を待っているスコールは、じっと此方を見つめていたが、クラウドの視線に気付くと眉根を寄せた。
訝しむ表情にも見えるが、彼の事だから、ただの条件反射の表情だろう。
深くは気にせず、クラウドは自分が座っている隣を、ぽんぽんと叩いてやった。
「……?」
「座ってくれ。此処に」
何が言いたいのかと不思議そうな顔をしたので、クラウドは分かり易く希望を口にした。
スコールが素直に其処に座ってくれるのを見て、よしよしとクラウドも満足する。
「もう少しこっちに」
「……此処か」
ベッドに深く腰掛ける位置にと誘導すると、スコールは言われた場所に位置をずらす。
クラウドが思う十分な場所が出来たことを確認して、クラウドはベッドヘッドから背を離すと、スコールの膝の上にごろりと頭を乗せて転がった。
「……!?」
「うん。中々良いな」
膝を枕にされたスコールは、目を丸くしてクラウドを見下ろす。
クラウドはと言うと、人肌と程よい弾力のあるスコールの膝の感触の心地良さに、良いものだと目を細めた。
男であるし、戦場を駆け回る脚は少々固さも感じられるが、スコールの躰はクラウドやフリオニールのように固い筋肉に覆われているとは言い難い所がある。
少なくともクラウドには、微かに香るスコールの匂いも含めて、心地の良いものがあった。
そのままスコールの膝で落ち着き、横向きの体勢で雑誌を開いたクラウドに、「おい……」とスコールの低い声が落ちて来る。
クラウドがちらと視線の方向を見上げて見れば、眉間に深い谷を作り、心なしか赤くなったスコールの顔があった。
「何をしているんだ、あんたは」
「膝枕だ。恋人の」
「邪魔だ、退け」
「それは出来ない」
けんもほろろに言ってくれるスコールに、クラウドは全く動じなかった。
何処か楽しそうに小さな笑みを浮かべ、また横を向いて雑誌を捲るクラウドに、スコールからは中々に不機嫌なオーラが振り撒かれる。
邪魔、重い、動けない────そんな言葉が彼の視線からざくざくと刺さって来る。
だが、結局スコールは、一つ溜息を吐いただけだった。
恋人だと言う贔屓からか、病人だと言う甘さからか、いずれにせよ、クラウドの頭を膝から落とす事はしなかった。
「病人なんだから、まともにベッドに入って寝ろよ、あんた」
「ベッドの中にはいるだろう。枕も特別性だ。これなら、良い夢が見れる気がする」
「俺が動けない。暇じゃない」
「良いじゃないか、こんな時位、恋人を優先してくれ」
やる事があるのだと言うスコールに、手前勝手な我儘を投げてみると、少年はなんとも言えない表情を浮かべていた。
ほんのりと頬が赤い所から、“恋人”と言う言葉に彼が照れているのだと言う事が判る。
そして、厳しく素っ気なく見えて、実の所は甘えたがりな所があるスコールは、クラウドのこんな我儘を振り払う事はしない。
今日もまた、相手が病人であると言うことも加えて、最後にはクラウドの好きなようにさせてくれるのだ。
何度目かの溜息がスコールの口から漏れた後、彼は書庫から持ってきた小説を手に取った。
此処から動く事を諦めたスコールに、クラウドはくすりと笑みを浮かべて、穏やかな時間を堪能する事にする。
数分後、すぐそこにある恋人の温もりに、沸いた欲と悪戯心でそっと腕を伸ばしてみるが、不埒な手は容赦なく叩かれたのであった。
7月8日と言う事で、クラスコ!
珍しく体調を崩した為、それを前提に甘えたおすクラウドと、なんだかんだと無碍には出来ないスコールが浮かんだ。
でもこの流れなら行けるかなと思った先は、流石に駄目だったらしい。スコールにしてみれば病人が相手なので当たり前。
治ってから存分にいちゃいちゃすれば良いと思います。