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User: k_ryuto

[ティスコ]いっぱい食べる君と一緒に

  • 2025/10/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



スコールの食への興味と言うのは薄いものだ。
生きる為に必要なので行うが、それ以上に求めるものはない。

ないが、味覚は至って正常であるし、日々の生活相応に育まれているので、美味い不味いはきちんと判る。
判るので、食べるのなら不味いよりも美味い方が良い。
頬が落ちる程の美食にありつきたい訳ではなかったが、“食事をする”と言う毎日不可避とも言える営みの過程について、なるべく負荷を減らしたいとは思う。
となれば、口に入れるものはそれなりに旨いに越したことはなく、日常生活でそれを賄う為に必要となる労力=料理の手間についても、それなりに惜しまない。

ただ、スコールにとって面倒となるのは、“食べる”ことそのものを指すことも少なくない。
必要でないのなら摂らなくても構わない、だが現実は結局必要なので食べる───そんな具合だ。
これは幼い頃からの感覚で、元より体質として小食気味であったことも大きいだろう。
幼い頃は特別な時にだけ食べられるケーキであったり、微かな記憶で、生前の母が作ってくれた菓子も料理も好きだったとは思うが、成長に伴ってその感情も薄らいでいく。
母が亡くなり、多忙な父と兄だけに押し付けてはいられないと、自ら家事仕事を引き受けたのも、遠因とは言えるかも知れない。
自分が作る料理と言うのは、作っている時からつぶさに見ているので、食べる段になる頃には飽きが来ている。
毎日創作料理に打ち込む程に料理が好きな訳ではないし、食べるものも味が予想できるものが殆どだから、父の言葉を借りれば「食べる時のワクワク感」とか言うものがないのだろう。

自分で作ったものを食べることにおいて、スコールの感情は特に波立たない。
日々の生活の一部、必要なので行うことであって、スコール自身もそれで十分であった。
成長期の年頃なので、一日のエネルギーはそれなりに消費する為、補給は適宜必要だが、必要な分が摂れれば後は特に気にしない。
必要な分と言うのも、他者から見れば随分と少ない量らしく、「それで大丈夫なのか?」と聞かれる事も多い。
特に問題はないので、スコールは自分が食べるものとその量について、特に気にする事はなかった。

だが、同居している人間がいて、その人も食べると言うのであれば、その限りではない。
特に、高校生になって、幼馴染と同居生活が始まってからは、尚更。

高校入学を機に、スコールと幼馴染のティーダは、実家を出て二人暮らしをすることになった。
共に父子家庭であり、スコールと年の離れた兄も保護者替わり含め、両家の家ぐるみの付き合いが始まってから8年目のことである。
入学先は違うものの、それぞれの学校を地図で結んで丁度中央あたりに、ルームシェア前提の物件があった。
二人の父と、スコールの兄も、多感な時期の少年たちを心配する気持ちもあって、二人一緒なら少しは安心だろうと送り出してくれたことに因る。

二人の生活は、存外と上手く回っている。
時々喧嘩をすることもあるが、意地を張り勝ちなスコールに対し、素直で怒りが長続きしないティーダが詫び、それを見たスコールの方も謝ることが出来る。
時にティーダが素直さ故の落ち込みを見せれば、スコールが言葉下手なりに寄り添って、甘えるティーダを宥めることもあった。
生活サイクルについては、ティーダが専ら健康優良児で、それに引っ張られる形でスコールも規則正しい生活が送れる。
勉強は、ついつい目を反らしてしまうティーダをスコールが捕まえ、勉強机に縛り付けての指導も始まっるので、父が心配したティーダの成績も、なんとかセーフラインをキープしていた。

この生活の家事については、基本的には当番制としている。
しかし、水球部に所属するティーダは、部活として練習が多くなる他、一年生の頃からエースとして主力に抜擢されて大会に出場することも多い。
そうなると帰宅時間が遅くなったり、休日も家にいない事が増え、その時期はスコールが専ら家事を引き受ける事になっていた。
ティーダはこのことについて、「最初に二人で決めたのに、なんか、ごめん」とよく詫びるが、スコールは気にしていない。
ティーダのように芯から打ち込める類を持たないスコールにしてみれば、手が空いている者が雑事を引き受けた方が生活の効率は良いし、何より、ティーダの邪魔をしたくなかった。
水を掻き分けてボールを追い駆けるティーダの姿は、スコールの密かな憧れだ。
彼自身が目指し求める高みまで、昇り詰めていってほしいから、スコールはそれを応援するつもりでいる。

────そう言う訳なので、スコール自身が食事に然程の関心を持っていないとは言っても、幼馴染の為にはそれなりにきちんとしたものを作らなくては、と思う。
何せ食事と言うのは、選手の体作りにあって、大きな役割を占めている。
スコールは栄養学の本や、ボリュームがありつつ健康的な料理の本など、こまめに探しては目を通すようにしている。
そして幼馴染の為に作った食事を、スコールも一緒に食べるので、案外とスコールの食生活と言うのは、ボリュームも栄養バランスもしっかりと整えられたものになっていた。

ティーダもそれをよく判っている。
毎日自分が食べているものが、幼馴染の献身的な援けのお陰で賄われていることも、それを作る為に勉強が欠かされないことも。
その感謝の想いは折々に口に出してはいるものの、ティーダはそれだけでは足りない気持ちもあった。
もっとちゃんと、形にして、大好きな幼馴染に「ありがとう」を伝えたかったのだ。

ティーダも料理はそこそこ出来る。
彼の父は家事の一切に不向きなタイプであった為、彼の実家では専らティーダがそれを担うことになった。
とは言え、幼い時分は流石に難しかった為、スコールの兄が二家族分の家事を引き受けていたこともある。
それから徐々にティーダが一人で出来ることを増やし、中学生になる頃には、台所も十分に使えるようになっていた。
今現在でも、ティーダが当番の時に台所を使う機会はままある。
ただ、料理のレパートリーに関しては、スコールのように逐一調べたり本を開いたりすることはなく、大味で豪快な代物が専門と言った所であった。

今日はそんなティーダが、大会明けで久しぶりとなる、台所仕事に立っている。
曜日当番を順当にすると今日はスコールの番だったが、大会期間中はスコールが全てを担っていたので、それがようやく終わった今日は引き受けさせてくれ、と言ったのをスコールが頷いた。

お陰で、今日は久しぶりにキッチンにはノータッチのスコールだ。
朝食、昼食もティーダが準備してくれ、片付けも引き受けてくれた。
存外と暇な時間がぽっかりと出来て、スコールは落ち着かなかったが、手伝いを申し出ても断られる。
ティーダにしてみれば、今日はスコールへの恩返しの日なのだ。
仕事の類はさせてくれそうになかったので、スコールはのんびりと、テレビを見たり本を読んだり、と言う“休日”を楽しませて貰った。
そして夕飯の準備もやはりティーダがやってくれているので、食卓でその完成を待つばかりである。


「もうちょっとで出来るからな、スコール!」
「……ん」


台所でオーブンレンジを見守っていたティーダの言葉に、スコールは小さく頷いた。

オーブンからは香ばしいハーブの匂いが漂っている。
スコールが台所を見た時、其処にはオイルをたっぷりかけ、バジルを始めとした香草と野菜に囲まれた、大きな鶏肉があった。
中々手の込んだものを、と思っていたのだが、どうやらオーブンに入れっぱなしで焼けば良い、とのこと。
ティーダがインターネットで調べたその料理は、元々は大きな鶏を丸ごと使うものだったそうだが、流石にそんな食材は手に入らないし、あったとしても二人で食べるには多すぎる。
手頃なサイズ───と言っても、スコールから見ると十分大きいのだが───のもので、同じものを作ることにしたのだそうだ。

主食の米に、インスタントに少し手を加えたミネストローネのスープ、そして千切ったレタスのサラダ。
着々と食卓に並べられたそれに続いて、焼き上がりのサインを鳴らしたオーブンが開けられる。
アルミホイルを敷いたオーブントレイが、まずはそのまま、食卓の鍋敷きの上に置かれた。


「じゃーん!ハーブローストチキン!」
「……でかいな」


どどんと豪快に出現したチキンを見て、スコールは呟いた。
如何にも豪快で、健啖家なティーダらしい料理に、こっそりを笑みが浮かぶ。

スコールの反応は、ティーダも概ね予想していたのだろう。
すぐにナイフを持ってきて、鶏肉の真ん中に刃を入れた。


「でっかいから良いんスよ。っつっても、このままじゃ食べにくいから、切り分けるよ」
「ああ」
「焼き加減は……うん、大丈夫、良い感じ!」


真ん中からぱっかりと割った肉の色をまじまじと確認して、タィーダは安心したように笑った。

切り分けられたチキンは、まずはスコールの皿へ。
胸肉一枚の半分サイズがそのままやってきて、スコールは呆れた溜息を吐きつつ、


「ナイフ、もう一つ持ってくる」
「まだ大きかった?」
「食べ易くする」


食器棚からテーブルナイフを持って来て、スコールはチキンを切った。
半分サイズであったそれを更に四等分にする。
その間に、ティーダも自分のチキンを半分に切って、そのまま自分の皿へと移した。

チキンは皮に程好い焦げ目が付いており、熱の入ったオリーブオイルが沁み込んで、きつね色に輝いている。
其処に肉と一緒に火の通った野菜を飾るように乗せて、食卓は整った。
台所仕事を終えたティーダがエプロンを解き、スコールと向かい合う席に座って、両手を合わせる。


「いただきまーす!」
「いただきます」


兄にしっかりと躾けて貰ったお陰で、食前の挨拶は忘れられない習慣だ。
元気なティーダの声に合わせる形で、スコールも言った。

スコールは切り分けたチキンにフォークを刺して、口へと運ぶ。
半分の更に半分、と言う大きさでも、塊としては十分に大きく、スコールは一口では頬張れない。
端に歯を立てて、ぐっと顎に力を入れて噛み千切り、口の中でよく噛んでいくと、歯切れの良い感触と共に脂の味わいがじゅわりと染み出してきた。


「ん、」
「うまい?」
「……ん」


スコールの反応を見ていたティーダが、頷くその様子を見て、「へへっ」と嬉しそうに鼻頭を赤らめる。
そしてティーダも、手製の大きなローストチキンに被り付いた。


「あっちち、んぐ、ふーっ、ふーっ」
「火傷するぞ」
「大丈夫、大丈夫。はぐっ、んぐ、ん、」
「……喉に詰まらせるなよ」


焼き立てのチキンの熱さに負けず、ティーダはもう一度齧りつく。
白い歯が肉を噛み千切り、皮がパリパリと良い音を立てて裂かれて行った。

肉と一緒に野菜も食べれば、肉汁の甘味が玉葱やナス、パプリカとよく馴染む。
ミネストローネが少し塩気が強かったのは、ティーダの舌の好みで合わせたからだろう。
スコールは自身が薄味の方が好みであるし、カロリー計算するうちに塩分量も控えめに意識するのが癖になったから、今夜の味はティーダの料理ならではだ。
普段が節制気味であるとスコールは自覚している。
それは幼馴染の健康を気にしているが故だが、今日は大会も終わり、ティーダが久しぶりに料理を作ってくれたのだ。
偶にはこう言うのも良い、と思いながら、スコールは今夜の食事を味わっていた。

スコールが皿の上にあるものを半分食べる頃には、ティーダの皿はもう空になっている。
テーブルの中心に置いたオーブントレイに残った二枚のうち、自分用の残りをティーダは持って行った。
此方も豪快に齧りつくその様子に、スコールは相変わらずのことながら、


(……よく食べるよな、ティーダは。昔からだ)


スコールが覚えている限り、ティーダは昔からよく食べた。

お互いの家が知り合ったばかりの頃は、食事を用意してくれる隣家への遠慮があったようだが、「ごちそうさま」と言いながら腹を鳴らすティーダを見て、兄が察した。
気にせず食べて良い、と信頼関係を築くと共に、遠慮の壁も徐々に取り除かれ、いつしかティーダはすっかりよく食べるようになった。
ずっと小食で、兄も父もそれほど多くは食べないのが普通だったスコールから見れば、何処に食べ物が吸い込まれて消えるんだろうと、不思議に思ったくらいだ。

育ち盛りの二次性徴の時期を迎え、運動部に入ったこともあり、ティーダの食欲は益々旺盛している。
そんなティーダの腹を満足させつつ、栄養過多にならないバランスを探るのは、中々に大変ではあるのだが、スコールはその手間を存外と厭ってはいなかった。

スコールの皿には、切り分けた肉が残りひとつ。
そろそろ腹が膨らんできて、オーブントレイに鎮座しているもう半分の肉の塊には、手を付けられそうにない。
けれども、これだけは食べておこう、とスコールは小分けの肉にフォークを刺した。

スコールのその様子を見たティーダが、嬉しそうに頬を赤らめて笑う。


「スコールも今日はいっぱい食べてるな。ちょっと多かったかもって思ってたんだけど」
「多いは多いが……まあ、もう少しなら。でも、そっちはもう入らない」


オーブントレイのチキンを指差すスコールに、ティーダは頷いて、


「良いよ。無理に食べると腹壊しちゃうしさ」
「そいつは明日の晩飯にする。ミネストローネも残ってるだろ」
「うん」
「一緒に煮込めば明日の一品にはなる」
「良いなあ、美味そう。明日の晩飯、楽しみ!」


今から明日の夕飯を想像して、ティーダは嬉しそうに言った。
今だって食べているのに、よく明日の食事ではしゃげるな、とスコールは思う。
それだけティーダにとって、“食べる”と言うのは楽しみとして大きいのだろう。


(……だから、ティーダと食べるのは、好きなんだ)


一枚分のローストチキンをすっかり平らげつつあるティーダを見ながら、スコールはそんな事を思う。

幼馴染が嬉しそうに食べている姿を見る内に、スコールもなんだか胃袋が刺激されるような気がして、もうちょっと食べよう、と思う。
いつもより多い一口、二口と、何故か口に運ぶことが出来るから、不思議だった。
ティーダがそんなに美味しいと言うのなら、同じものなら自分も美味しく食べられるような気がして。

その様子を見ている内に、嘗て兄が、隣家の父子に手料理を振る舞う手間を惜しまなかった理由が判る気がした。
失敗して焦げた料理も、ひっくり返し損なって崩れたハンバーグも、ティーダはいつも嬉しそうに食べてくれる。

自分で作ったローストチキンを、ティーダはしっかり食べきった。
オーブントレイに残っていた肉は、別の皿に移して、ラップをして冷蔵庫へと仕舞われる。
あとは食器の片付け、とスコールが流し台の前に立った所で、


「あ!俺がやるっスよ、スコール」
「今日は全部あんたがやっただろ。片付けくらいはやらせろ」


握ったスポンジを攫おうとするティーダを、スコールは腕を引いて避ける。
ティーダは最後までやる気だったのだろう、唇を尖らせてくれるが、じっと見つめるスコールの目を見て、譲られないと察すると、


「うん、判った。じゃ、あと頼むな」
「ああ」


何もかもを相手にして貰っては、反って落ち着かなくなると言うのは、二人ともにある事だ。
ティーダはしょうがないな、と言う顔をしながら、スコールの気持ちを汲んだ。

これだけやらせて、と言う台拭きをティーダに任せ、スコールは食器を洗う。
その傍ら、コンロに残っている鍋を見て、


(……明日)


当番の順で言えば、正しくは明日がティーダが夕飯当番だ。
だが、明日の料理はもう決まったし、それを作るのはスコールである。

失敗しないようにしないとな───と頭の中で明日のメニュー表を作りながら、スコールはスポンジに洗剤を足した。





10月8日と言う事で、ティスコ。
ティーダの食べっぷりに感化されてるスコールが浮かんだ。
ティーダがすっかりスコールに胃袋を掴まれていますが、スコールは別の意味でティーダに胃袋を掴まれていると良いなって。

スコールも男子高校生だし、Ⅷ原作は傭兵としての体作りとしてそこそこ食べそうな気もしつつ、ティーダはそれ以上によく食べる健康優良児と言うイメージがある。
水泳ってエネルギー使うよね。筋肉だけでは重い、体が冷える(スフィアプールが普通の水かは置いといて)ので、それなりに脂肪もついてると良いなと思っているので、その辺がスコールのシルエットと差があったら良いな……と思っています。

[16/シド]三回、深呼吸する

お題配布サイト 【シュレーディンガーの猫】






ああ、まただ。
どうにもならない遣り切れなさと、此処まで走ったなら十分だろうと、無理やりに自分を納得させる為の思考を反復する。
体を否応なしに苛む感覚が響く度、そんなことを繰り返す。

それなりに人生経験は豊富だと自負している。
それは生きて来た流れでそうなったとも思っているし、単純に、生きた年数からそう思う所もある。
長い間剣を握って生きる者のうち、自分の年齢まで生き長らえた者は、相当な幸運持ちに違いない。
流れの傭兵をしていた時も、分不相応な立場に祀り上げられていた時も、それらを全て捨ててからも、死神はいつだって隣にいた。
雷帝の力に目覚めたとてそれは変わらず、寧ろ、その負荷によって死神がけたけたと笑う聲が酷くなったように思う。
さあお前はいつまで持つかな、とでも謡うように。

左腕が軋むようになった。
左手の感覚が鈍くなった。
左肩が上がらなくなった。
少しずつ少しずつ、確実に、この身を蝕む毒は拡がっていく。
お前の理想など叶うことはない、叶えるまでにその身は砂になって崩れるのだと、笑う死神の聲がする。

この現象は、逆転することはない。
様々な文献を紐解いて記録を漁ってみたが、治療の方法は何処にもなく、今の所、新たにそれが見付かりそうな気配もない。
腕の良い医者が仲間になってくれたから、彼女に協力を仰いで色々と研究して貰ってはいるが、何にせよ、こうした研究は一朝一夕で叶うものでもなかった。
医者故にその進行度の重要性をよくよく知っている彼女には、本当に、厭なことに付き合わせていると思うが、彼女は「私は医者だから、これは私がやるべきこと」と言ってくれる。
強い仲間がいてくれることが嬉しかった。

その傍ら、一人、また一人、静かに朽ちていく仲間を見送る。
静かな寝床で眠るように逝けた者が、一体何人いただろうか。
呻き声を仲間に聞かせたくないから、子供たちを怖がらせたくないからと、調合した()で最後の眠りに就く者を見る度に、また救えなかったと歯を噛む。
自分の意思で、自分が最後に眠る場所を選べるのだから幸福だと、そう言ってくれる仲間の言葉が、せめてもの慰めだった。

そしていつか、自分も其処へ行くのだろう。
皮膚を白むものが拡がっていくのを見る度に、その現実を目に焼き付ける。

ただ、それでもまだ、止まれないのだ。

黒の一帯の只中にひっそりと作った、隠れ家の一番奥の部屋。
商売っ気の強い仲間のお陰で手に入った、丈夫で質の良いデスクは、こんな環境でも光沢を失わない、上等な代物だ。
その天板に広げた地図は、ある一地域を広く記したものから、誰も知らない密かな地下道まで綴られている。
部屋の主が思考の為に広げたものだが、今その人物───シドはそれを見ていない。


(……くそ。まだ痛む)


右手で握り潰すように掴んだ左腕は、鈍く重い痛みを発している。
痛み止めを使えば多少は柔らぐだろうが、手持ちのものは使い切っていた。
タルヤの下に貰いに行くのは難しくないが、最近、それの消費が激しいことを知られれば、彼女にどんな顔をさせてしまうか、想像は易い。
頻度が増えていること、痛みの度合いが酷くなっていること、それを軽減する方法が殆どないこと───どれもが彼女にとっては悔しいに違いない。

そして隠れ家の長たるシドの不調が続けば、その事実は次第に隠れ家全体に広がって、此処で生活している者たちに不安を覚えさせてしまう。
この場所以外で、ヒトとして生きていくことが出来ない者たちにとって、それは換え難い恐怖になるだろう。
彼らが安心して日々を過ごせるように、シドは出来るだけ、この痛みを隠し通さねばならなかった。

懐から愛用の煙草を取り出して、口に咥える。
いつものように指先で火をつけようとして、痛む体がそれを妨害した。


「……煙草も満足に吸えんか。いよいよかもな、これは」


小さく呟けば、虚しい声音が冴えた空気に溶けるように消えていく。
苦い表情に笑みが浮かぶのは、そんな顔でもしなければやっていられない、意地と自嘲によるものだ。

そもそも、煙草なんてものは、痛む体に鞭を打つようなものだ。
だからタルヤは毎度顔を顰めてくれるのだが、数少ない趣向品であることと、言っても聞かないと言う諦めか、取り上げることはしなかったし、カローンに仕入れてくれるなとも言わない。
それは恐らく、“煙草を吸うシド”と言う姿が、隠れ家で暮らす人々にとって、一種の安心材料として受け入れられているからだろう。
何でもない日常の中に溶け込むその風景の為に、タルヤはあくまで医者として、苦言を呈す以上のことはしなかった。

───ふう、とシドは意識して細い息を吐き出す。
そうしてもう一度、指先に燈した魔力で、煙草の火をつけた。


「………ふーーー……」


煙をたっぷりと肺に送り込んで、薄暗く高い天井に向かって吐き出す。
燻る紫煙はゆらゆらと波打つように揺らめいて、洞窟特有の冷たい空気の中に混じって見えなくなった。

咥え煙草のまま、シドは自身の左手を見た。
指先を動かすと、まだ其処に神経が通っている感覚がある。
手のひらを握り、開き、と繰り返しながら、じんじんとした重い痛みが体にかける負荷の具合を確かめた。


(……まだ動く)


全くの健全にと言う訳ではなかったが、感覚はあるし、思った通りに指も動く。
この手で剣を握れと言うのは聊か厳しいが、精密な操作をしない魔法を撃つなら問題ないだろう。
まだ前線に立つことは出来る。

だが、鬱陶しいことに、痛みの感覚は未だ治まる様子はなかった。
表面に見えるだけでなく、皮膚の内側、肉の内部でも、浸食が進んでいるのだろう。
こうなってくると、内側から訴える痛みが簡単に止んでくれることはない。

……がやがやと、ドアの向こうから遠く賑やかな声がする。
耳を欹ててみれば、どうやら魔物の討伐に出ていた仲間たちが戻ってきたらしい。
ついでに何か良い収穫が手に入ったのか、何処かはしゃぐように高い声も聞こえてくる。
今日の厨房はいつもよりも忙しく、ラウンジは賑やかになるかも知れない。

────と、言うことは、とシドが考えると同時に、足音と声がこの部屋へと近付いて来るのが分かった。


「だからよ、あそこの道は結構厳しいんだって」
「でも越えられるなら、あそこを通った方が効率的だろう」
「そりゃそうだけど、魔物だって多いんだぜ。安全取るなら、迂回した方が良かったよ。まあ、何もなかったけどさ」
「迂回ルートは落石があるだろう。魔物なら俺が切れば済む」


言い合う会話が聞こえてきて、随分仲良くなったもんだ、とシドは小さく笑う。

その傍ら、煙草を指に挟んで、煙のない呼吸を一回、二回と繰り返した。
意識して深く吸い込んだ空気を、ゆっくり、途切れないように意識しながら細く長く吐き出す。
体が訴える鈍い痛みを、静かに蓋をするように、体の奥底へと押し込んでいく。

最後の一息は、煙を飲んでから。
口元に当てた煙草から、重石を乗せるように、腹の底に己が抱えるものを閉じる。

ゴツゴツ、と固い感触のノックがドアの向こうから聞こえて来た。
来たぞと報せる為だけの音に、シドが返事をしなくても、扉は向こう側から開かれる。


「戻ったぞ、シド」
「聞いてくれよ、シド。こいつまた無茶してさあ」


部屋にやってきたのは、クライヴとガブだった。
その顔は分かりやすく疲労が滲んでいるが、ともかく報告だけは先にしておこうと、帰った足で此処まで来たのだろう。

報告よりも何よりも、先ずは相方がまたしても無茶をしてくれたことに、ガブの愚痴が始まった。
なんとか言ってやってくれ、と顔を顰めて言うガブに、クライヴは物言いたげに眉根を寄せているが、未だ口数ではガブの方が分があるらしい。
ああでこうでと身振りに説明するガブを、時折反論するように何某か挟むクライヴだが、ガブはお構いなしに喋り続けた。

ガブの愚痴は止まらないが、そんな話が報告代わりに出て来ること、それをクライヴが制止しない所からして、今日の魔物討伐は無事に終わったと言う事だろう。
若しも深刻な負傷者がいるのなら、ガブもこうは言わないし、クライヴの表情ももっと昏い。
だからシドは、ガブの気が済むのを十分に待ちながら、肺の中に取り込んだ煙をゆっくりと吐き出してから、いつものように「ご苦労さん」と笑うのだった。



あと少し、もう少し。
その少し先に行き付くまで、煙に隠した深呼吸を繰り返す。






【一途に思い続けた先へ5つのお題】
2:三回、深呼吸する

恐らく、シドとクライヴが出逢った時点で、シドの体の石化は既にそこそこ進んでると思うんです。
石化すると動かないのは勿論、痛みを発する他、感覚神経の鈍麻もあるんじゃないかなと。
でもシドはドレイクヘッドに向かう時も、クライヴに自分の体がそうであるとは言わないし。
タルヤを筆頭に、付き合いの長い面々には石化のことは知られていても、それが内包的に何処まで進行しているかと言うのは、大分隠していたんじゃないかと思っています。
自分がいなくなっても大丈夫、と思える環境が出来るまで、自分の後を託せる人を得られるまで(結果的に最期まで)、シドは隠れ家に置ける自分の存在の重要性を鑑みて、結構色んな事を秘密にしてたんじゃないかなあ……

[16/ジョシュクラ]ぼくの心音が聞こえますか

お題配布サイト 【シュレディンガーの猫】





互いの存在を確かめ合うように肌を重ねた後は、その名残の余韻に酔いながら、ゆっくりと眠りの沼に落ちて行く。
兄と言う存在をこの腕に抱くことへの罪悪感や、不謹慎にも背徳に興奮が混じる感覚は、もう遠退いた。
今はただ、彼と言う存在が傍にあるという現実と、彼が自分に身を委ねてくれることを嬉しく思う。

この隠れ家の長として、皆の好意から特別に誂えられた兄の部屋は、夜半になれば人の気配が随分と遠い。
それが皆からの配慮による遠慮なのか、偶々、この隠れ家がそう言う構造で出来上がった結果なのかは、つい最近此処に来たばかりのジョシュアには判らない。
訊ねれば、兄にせよ幼馴染にせよ、この隠れ家が完成するまでの経緯を教えてくれそうだが、どうしても知りたいと言う訳でもない。
その内、話の種にでも出来る機会があれば尋ねてみても良いとは思うが、今の所、そう言うタイミングは回っていなかった。

ともあれ、そのお陰で、こうして自分は兄を抱くことが出来るのだ。
聞きたいのに声を抑えてくれる兄に、少し勿体なくは思うけれど、隙間風も多い環境だから仕方がない。
以前の隠れ家が敵の急襲によって悲惨な最後となったのは聞いている。
あの時のことも鑑みて、また“石の剣”と名を冠したベアラーたちによる戦闘可能なメンバーを起用したことにより、其処から隠れ家には常に見張り役が立つようになった。
夜になってもいくつかの篝火は灯されており、何某かあればすぐに兄の部屋へと報告が来るように手筈を整えているから、───つまるところ、あられもない兄の声なんて大っぴらに聞かせる訳にはいかないのである。
また、兄が声を抑えるのは、過去の経験に因る所も多く、此方に関してはジョシュアはそれこそ悔しい砌であったが、それを口に出せば彼を困らせるのも分かっている。
だから幾つかの不満と言うのは、根本的にジョシュアの気持ちとして片を付けるしかない。
それでいて、そんな環境でも抱きたいと願う弟の気持ちを、兄が汲んでくれての行為なのだから、これ以上を望むのは至極贅沢なのだ。

子供の頃よりもずっと体力がついたとは言え、やはり、性行為と言うものは多量のエネルギーを消費してしまうものだ。
胸の痛みも堪えながらに没頭していることも少なくはなく、それを打ち消す為により一層熱を追うこともある。
そして、何より、兄の体が持つ体温が、その内側の熱が心地良くて、理性と言うブレーキを飴蜜のように溶かしてしまう。
人の体とは、その内側とは、こんなにも心地の良いものだったのか。
いや、これは他でもない兄だからこそ、得られるものに違いない。
重ね合う度、まるで元々ひとつであったものが分かたれていた、それが元に戻ろうとしているかのような感覚は、他の何かで得られるようなものではないのだから。

今日もまた。ベッドの軋む音が終わって、ジョシュアは程なく意識を飛ばしていた。
ゆるゆるとした感覚で目を覚ました時には、もう部屋の中はすっかり静まり返っていて、湖面の微かな小波の音が聞こえてくるほど。
どれくらい寝ていたのだろう、と時間の導に枕元の蝋燭を見遣れば、記憶よりも随分と短くなっていた。
最後にそれを見たのは、事を始める前だったから、最中に半分は消費していたとして───あと一時間もしない内に蝋の殆どが形を失くすだろう。
と言うことは、一刻程度もすれば未明にはなるだろうか。

そんな事を薄ぼんやりと眠気の残る頭で考えていると、きしり、と小さくベッドの軋む音がした。

寝台は決して上等な代物ではなく、木箱を幾つか並べ、その上に板を据え付け、厚めの布や綿材をリネンで包んだ、簡素な代物だ。
それでも病人用の救護所にあるベッドを除けば、この隠れ家では上等な部類ではあるらしい。
資金も資材も限られた環境にあって、「シドには出来るだけ良いものを」と皆の好意で誂えられたそれを、兄は十分に気に入っている。
そこで弟と熱を交えることに対する罪悪感は、聊か否めない所はあるようだが。

決して大きくはないベッドの上で身動ぎをすると、自然と音が鳴るし、マット替わりのリネンが体重の移動で少し傾く。
ジョシュアは、隣にいる男───兄クライヴが目を覚ましていることに気付いた。
彼はジョシュアの隣で片膝を抱えるような格好で、部屋の格子の隙間に覗く夜の湖畔を眺めているようだった。
ジョシュアが目を覚ましていることには、どうやら、気付いていない。


(……寒くはないのかな……)


差し込む月明かりが、兄の裸身を柔く映し出している。
今日の湖畔は風も少ないから、身震いするようなことはないだろうが、熱を交えたばかりなのだ。
ジョシュアは体にその名残もあって、時折湖面から昇って来る冷気との温度差を感じていた。

均整の取れた体躯は、外界で過ごすに当たり、傭兵だと言えば十分に通用するものだった。
その立派な体躯を駆使すれば、組み敷くジョシュアを投げ飛ばすのも簡単だろうに、彼は決してそうしない。
弟に抱かれながら、何処か嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべてくれることを、ジョシュアがどんなにか嬉しく思っているか、彼は知っているだろうか。
知らなくて良い、と思いつつ、こんなに嬉しいんだ、と言うことを知っても欲しいと、ジョシュアは密かな我儘を抱いている。

触れたいな、とジョシュアは唐突に思った。
直ぐ其処にいる、兄の体に、その心に、触れたい。
少しくらいなら良いだろうか、と投げ出している右手を持ち上げようとした所で、また、きし、とベッドが鳴った。

透明な青い瞳が此方へと向くのを見付けて、反射的に目を瞑る。
今、彼と目を合わせてはいけない。
合わせず、このまま、自分は眠っていることにした方が良いと言うことを、ジョシュアは経験で知っていた。


「………ジョシュア」


名を呼ぶ兄の声にも、努めて反応しない。
眠っている、と言う格好を崩さないように、ジョシュアは規則正しく、呼吸していた。

夜の闇色に閉じた視界の代わりに、聴覚が情報を集めている。
ベッドが静かに、ゆっくりと、出来るだけ音を立てないように、軋んでいるのが聞こえた。
それが、疲れているであろう弟の眠りを妨げないようにと言う、クライヴの気遣いであることは知っている。

ジョシュアの手に、大きくしっかりとした、温かい手が重ねられる。
クライヴの手だ。
反射的にそれを握り返そうとして、ジョシュアはその衝動を抑えた。

クライヴの手がゆっくりと、ジョシュアの手首、腕、肩を辿って行く。
起こさないように、と隠れ祈るように兄が触れているのを感じながら、ジョシュアは静かに息を吐いた。
鳴る心臓の波が平静になるように、努めて、努めて。

そして肩を、鎖骨を辿ったクライヴの手は、やがてジョシュアの胸へと辿り着く。
其処には忌々しいものを封じ込めた軌跡の石が根を張り、今も蠢くそれが血管を侵食するようにして息衝いている。
今この時は大人しく静かなそれも、ふとした時にジョシュアの体を奪い取らんとばかりに喚き出すから、鬱陶しいばかりだ。
だが、これがあるから、兄は今、兄として存在している。
嘗て守られるばかりだったジョシュアにとって、この身を持って兄を守っている証明とも言えるそれは、誇りのひとつにも思えた。

その歪な誇りに、そっとクライヴの手が重ねられる。


(ああ────其処には、触れないで欲しい、のに)


其処にいるのは、他の誰でもない、貴方を蝕もうとしているものだ。
だから、万が一にも其処から浸食を受けない為にも、貴方には触れないで欲しいのに。

ジョシュアの祈りが、兄に届く事はない。
その傍ら、この痛々しい痕跡があることが、兄を守ると言うことを文字通りに体現していることが、誇らしくもあるのだ。
その誇りに兄が優しく、労わるように触れてくれることへの喜びもまた、誤魔化せない自分がいた。

そしてクライヴは、ゆっくりと、ジョシュアの胸に頭を乗せる。
癖のついた、この環境では仕方もあるまいに、碌に手入れもされていないのだろう伸ばしっぱなしの黒髪が、ジョシュアの胸元をくすぐるように掠める。
ジョシュアが、今ならきっと大丈夫、とこっそりと目を開けてみれば、思った通り、弟の胸元に耳を当ててじっと鼓膜を潜めている兄の姿が見える。


「………」
(……兄さん)
「………」
(……兄さん……)


声になく呼ぶジョシュアに、クライヴが答えてくれることはない。
きちんと呼べば直ぐにクライヴは返事をしてくれるだろうが、その代わり、直ぐに跳び起きてしまうだろう。
彼はきっと、今自分がやっていることを、ジョシュアに知られたくはないだろうから。

胸に押し付けられた、クライヴの耳の凹凸の感触。
目を閉じた兄が何に意識を研ぎ澄ませているのか、ジョシュアは痛いほどに分かる。


(兄さん……聞こえている?)
「………」
(僕の心臓は、まだ……音がする?)


クライヴの耳元で、その密着したジョシュアの皮膚と肉の奥で、息衝く臓器。
生命のあるものならば須らく存在し、脈を打っている筈の、心の臓。
それをなくして人は生きていることにはならないから、それが動く音を発し続けていることが、ジョシュアが生きている証になる。

嘗てジョシュアは、肉体の殆どを喪う程の傷を負った。
その時の自分自身をジョシュアは認識してはいなかったが、目覚めた時、体が指一本と動かすことも出来ず、フェニックスの力による傷の修復と、その力の負荷とそもそもの損傷による肉体の崩壊が、同時進行で進むと言う状態にあった。
傷みか熱かも分からない感覚に、何年苛まれたのか分からない。
その間、其処にない兄に援けを求め、脳裏に浮かぶ父の最期の夢を繰り返し、フェニックスゲートで起こった出来事の顛末を聞いてからは、兄が死んだと言う絶望感に生きる気力すら喪った。
それでも生きて貰わねばならないと、傅く者たちに根の国へ渡ることを阻止され続けていたけれど、心のどこかで思っていた。
自分はとっくの昔に死んでいて、大事なものを何もかも失ったのに、自分一人だけが持ち得る力によって活かされていると言う、罰の夢を見続けているのではないかと。

ようやく体が動かせる程度になって、兄が生きていたと言う報告を聞いた。
同時に知った、あの異形の炎の怪物が兄であったと、自分を半死半生の身にしたのが彼であったと知って、愕然とした。
だが、兄が本当に、その意思でジョシュアを手にかけるとは思えない。
そう言う人ではない、とジョシュアは知っていた。
だから騎士団にも、彼を伏すべしと言う者たちを黙らせて、作為は他にあると信じたのだ。

真実を探して、生き延びた意味を探して、いつかもう一度兄と再会できる日を夢見た。
果たして幸運なことにそれは叶い、今こうして、ジョシュアは兄と共に過ごす夜を得ている。
これ以上の僥倖があろうか───そう思うからこそ、尚更、今この時間があることが、文字通りの夢であるような気がしてならない。
今と言うこの瞬間が、とうに果てた死人が、己が死んだと忘れる為の、都合の良い夢なのではないか、と。

そんな途方もない不安に支配される度、ジョシュアは兄を求めた。


(兄さん。兄さん。貴方が、僕が生きていると、そう思ってくれるなら)
「………」
(僕はまだ……きっと、生きているんだ)


身を寄せ、胸の鼓動を聞くことに意識を集中している兄。
彼もまた、嘗て弟を守れなかったと、喪ったと思い、途方もない自責に駆られていたと言う。
いや、今もその自責の念は彼の中で消えた訳ではなく、時折、こうして弟の生存が現実であることを確かめる時間を欲している。

そうして、やがてクライヴは、ほう……とゆっくりと息を吐き、


「……ジョシュア」


安堵したように弟の名を呼び、その手がジョシュアの頬へと触れる。
するりと滑る手のひらの感触に、ジョシュアは目を開けようとして、堪えた。
まだ、起きてはいけない。

ベッドの軋む音がしばらく続いた後、それは静かになる。
ジョシュアがようやくに目を開けると、格子窓の向こうから、差し込み始めた光が見えた。
隣で息衝く気配が規則正しいものであることを確かめてから、ジョシュアはそっと起き上がる。


「……兄さん」
「……」


此方を向いたまま、目を閉じている兄に呼び掛けても、返事はない。
すぅ、すぅ、と繰り返される小さな寝息に、兄が短く深い眠りに就いていることが分かった。

ジョシュアはそっとクライヴの首筋に触れ、其処で血脈がとうとうと流れていることを確かめる。
兄が自分の胸元で、その鼓動を感じていたのと同じように、ジョシュアも彼が生きていることを感じたかった。
そうして兄の生を確かめては、ジョシュアもまた、ほうと安堵の息を漏らす。

何度こうして確かめても、きっとまた、兄弟はそれぞれの生の証を確かめるのだろう。
鼓動の途絶えた夢に苛まれた十数年と言う月日は、余りに長く、余りに強い。
それはジョシュア自身の力で拭うには余りに根付き過ぎているから、ジョシュアは兄に確かめて貰う他に、自分の生と言う現実を受け止めきれない。


(兄さん……また、聞いてね。僕が今、生きているってことを)
「……」
(生きて、貴方の傍にいられるんだって言うことを……確かめたいから)


祈りのように思いながら、ジョシュアは眠るクライヴの唇に、そっと己のものを重ねる。



────もしもいつか、心音を確かめるクライヴの唇から、安堵が零れることがなくなったら。
名を呼ぶ声が微かな喜びの音ではなく、嗚咽を押し殺したものになったとしたら、きっとその時、自分は遂に死んだのだろう。
その時から、この柔くて温かい感触は、夢の泡になって終わるに違いない。

自分自身の心臓が、確かに動いていることを、誰よりも信じているクライヴに確かめて欲しい。
此処に在るのが、夢の産物ではないことを。
此処にいる兄が、自分にとって都合の良い幻ではないことを。
生きて、再会して、熱を交え合っていることが、現実であると言うことを。

何度でも、何度でも────





【一途に思い続けた先へ5つのお題】
1:ぼくの心音が聞こえますか

お互い生きて再会できたことを嬉しく思っているけど、都合の良い夢幻じゃないかと不安になってる二人。
クライヴはそもそも十年以上、死んだ、殺したと思っていたジョシュアが生きていたと言うことに。
ジョシュアは兄と再会できたことも勿論ですが、フェニックスゲート事変で普通なら死んでいる状態まで陥ったことから、自分自身が生きて兄の傍にいられると言う現実そのものに。

知られていないつもりで、何度も相手が生きてることを確かめていたりするかも知れないな、と思ったのでした。

[ジタスコ]守り人

  • 2025/09/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



折々に仲間たちよりも背が低い事をネタにして、羨んでみせる言動をしてはいるけれど、実の所、本気でそれを妬んでいることはない。
確かに見栄えのする体格と言うものは良いものだが、では自分が自身の世界でそうも小さかったかと言われると、そうでもない、と言う感覚があった。

ジタンの世界は多種多様な種族が坩堝のように一つの国街で入り混じっていたし、種族で固まる傾向があった国でも、行商人が行き交うのでやはり多様な姿を見る事が出来た。
だからジタンより大柄な者は勿論いたし、大人であってもずっと小柄な者もいたのだ。
どちらかと言えばジタンは標準的な所であった筈、とも思っている。
加えて、「ヒトの魅力は体の大小に左右されるものではない」と知っているので、この異世界であっても、自分が小柄な類に入ることについて、然程気にはしていなかったのだ。

ただ、ルーネスもそうだが、小柄であるが故に───年齢の所も大いにあるが───、若干の子供扱いのようなものを受けることも儘ある為、其処については時折閉口することもある。

と言った個人の心中如何はともかくとして、ジタンは自分が他人を見上げることが多いことについて、深く気にしたことはない。
今直ぐどうしようもないと言う所もあるし、心が大きく持てば十分、と言う自信もあった。
何にしろ、小柄であることは、身軽を生かす盗賊であるジタンにとって良い事だったし、恥じる必要など何処にもなかったのだ。

────だが、今ばかりはもう少し、身長が欲しいと思う。
体の力を半分ほどは失った状態で、辛うじて歩を進めるのが精一杯と言う仲間に肩を貸しながら、ジタンは苦い表情を浮かべて歩いていた。


(何処かに休めそうな場所───背中が守れて、出来れば屋根があって、隠れられそうな場所が良い。何処かにないか)


鼻先を刺す鉄錆の匂いに顔を顰めながら、ジタンは目を皿のようにして辺りを見回す。
鬱蒼とした森には、湿った匂いが充満し、薄暗い天上からはゴロゴロと不穏な音が聞こえていた。
あれが泣き出す前に、せめて頭上を守れる所を見付けたいが、この辺りの地形は全くの未探索だ。
何処に何があるのか、何処に向かえば何処へ出るのかも判らないから、ジタンはとにかく真っ直ぐに歩いていた。
川でも崖でもなんでも良いから、突き当りにぶつかるまで真っ直ぐ進むようにしないと、あっと言う間に迷子になってしまう。
今の状況で、それだけは避けたかった。

遅々と進まざるを得ないジタンの肩には、スコールが寄り掛かっている。
その身体からは明らかな発熱症状があり、ジタンの耳元には、小さく痛みに呻く声が零れ届いていた。
体はジタンの肩に担ぎ抱えられる事で辛うじて姿勢を保っており、足元を引き摺りながら、ジタンの歩に倣う格好で辛うじて歩いている。

ジタンは肩の重みがずるりと落ちることに気付いて、足を止めてスコールの身体を支え直した。
肩に回していた腕を引っ張って、首の後ろにスコールの上腕が被さるように乗る。
それから背中と肩でスコールの胸元を持ち上げる形で乗せて、両の足をしっかり、真っ直ぐ、膝を伸ばして立った。
其処までやっても、スコールの長い足は半ばほど折れた形で、背中は丸まっていないとジタンの体に身を預けられない。


「スコール、もうちょっと頑張れな。なんなら、オレに乗っかってても良いから」
「……」


声をかけるジタンに、スコールからの返事はない。
項垂れる顔を横目に見遣れば、スコールは辛うじて目を開けてはいたものの、唇は蒼く半開きになっていて精気がない。
意識を保っているのが精一杯、と言う状態だった。

ぽつぽつとした雨粒が落ちて来るのを感じて、ジタンは小さく舌を打つ。
せめて本降りになる前に休める場所を、と辺りを見渡したジタンの目に、ひとつ大きな樹が映る。
樹齢を何百年と重ねた見た目をしたその根元は、土が小山のように膨らみ、其処からはみ出て剥き出しになった根が絡み合い、洞を作っていた。

ジタンが其方へ近付いてみると、洞はぽっかりとした空洞になっており、獣の気配もない。
土の湿った匂いばかりが漂う其処を覗き込んで、魔物の類がいないことを確認すると、ジタンは其処にスコールを座らせてやった。


「う……」


体を動かすと痛みがあるのだろう、呻く声が漏れる。
ジタンは脂汗を滲ませたスコールの額に軽く拭って、自分のベストを脱ぎ、スコールの体の前側に被せてやった。
袖のないベストは、スコールの着ているジャケットよりも大した防寒具にはならないが、ともあれないよりはマシだろう。
今は彼の体温が、汗と湿気の冷気で奪われないよう、保ってやることが大事だ。

今、スコールの体には、スピアー種の魔物が総じて持ち得る毒が回っている。
歪の中で遭遇した魔物と戦っている最中、最後の足掻きにうち放たれた毒針が皮膚を掠めた。
獲物を捕らえ、生きたまま捕食する趣向を持つ魔物の毒は、時間と共にスコールの体を蝕み、体を動かしただけで全身に激痛を起こす。
受けた直後に治療できれば深刻化することもないのだが、今日の探索はジタンとスコールの二人で行っていた。
ポイゾナやエスナと言った、浄化系の魔法を使えるバッツが、今日に限っては不在だったのだ。

歪を脱出した頃からスコールは自力で動くことが困難になっていた。
毒消し薬は念の為に持ってはいたものの、それだけでは浄化しきれずに、じわじわとスコールにダメージを与え続けている。
こうなっては、直ぐに帰投する、と言うのも難しく、ジタンは安全に休める場所で症状が落ち着くのを待つしかない、と判断した。

そしてようやく、この洞穴に辿り着いたのだ。


(雨が降り始めたし、これなら魔物もあまりウロウロしないだろうな。止むまでは休んでいられるか)


ジタンは、壁に寄り掛からせたスコールの傍に座って、外を見ながらそう考えた。
雨粒は少しずつ大きくなっており、本格的な雨になろうとしている。
発熱と痛みを抱えたスコールを、この中に歩き回らせなくて済んだ事に、ほっとした。

なんとか腰を落ち着けることが出来たのだから、あとはスコールの容態が悪化しないようにしなければ。
ジタンは荷物袋の中から水筒を取り出して、スコールに差し出した。


「スコール。水、飲んどけよ」
「……」
「腕動かせるか?」


薄く目を開けたスコールが、重い腕を持ち上げる。
痛みを堪えて眉根を寄せる様子と、手指を動かすのもやっとと言うスコールの表情に、ジタンは水筒の口を自分の方へと寄せた。
一口分、水を咥内に含んで、スコールの頭を上向けさせる。
唇を重ね、薄く開いた隙間に液体を注ぎ込むと、スコールは微かに呻く声を漏らしながら、ごくりと喉を動かした。

口を離すと、はあっ……とスコールの唇から呼気が漏れる。
ジタンは、もう一口、と水を含んで、同じように唇を重ねた。


「ん……、う……っ」
「……っふぅ……」


ごく、こくん、とスコールの喉が鳴って、ジタンは顔を離した。
呼吸が出来るようになると、スコールは大きく息を吸い、吐いて、と数回繰り返す。
その都度に痛みを堪える表情はあるものの、彼の呼吸は随分とスムーズに送り出されるようになった。

水分を摂取し、また浮き始める額の汗を、ジタンは手袋を外した手で拭う。
そのまま手の甲でスコールの首筋に触れると、とくとくとした鼓動の感触があった。
それはジタンが普段知っているものよりも微かに早く、毒によって体内臓器の稼働がまだ過剰な働きをしていることを教えてくれる。
だが、歪を脱出したばかりの時に比べれば、そのリズムの早さは幾らか収まっていた。


「このままじっとしてれば、もうちょっと楽になるかもな」
「……ああ……」
「悪いな、魔法が使えなくて。エスナが使えりゃ、もっと早く治せるのに」
「……それは、あんたの所為じゃ、ないだろ……」


詫びるジタンに、スコールは眉根を寄せながら言った。
気にしてくれるな、と言うスコールの言葉に、ジタンも慰められて頷く。
ないものねだりはどうしようもないのだから、と。

降りしきる雨は真っ直ぐに地面に落ちて、柔らかな草土の地面に沁み込んでいく。
風は感じられなかったが、空を覆う雲の動きは早かった。
この分なら、思うよりも早く雨は止んでくれるかも知れない───とジタンが思っていると、


「……ん?」


雨のカーテンの向こうに、茫洋と近付いて来る人影がある。
生き物ならば避けるであろう雨の中を、ゆっくりと幽鬼のように進む人影と言うのは、如何にも不気味で不穏だった。

目尻を尖らせて影を睨むジタンの想像に違わず、それはイミテーションだった。
視覚よりも気配を追ってくるタイプか、イミテーションは右へ左へふらふらと蛇行するように歩きながら、徐々にジタンたちが身を休めている洞穴に近付いている。
その不規則に歩く一体に追従するように、大きさの違う人影がひとつ、ふたつと増えて来るのを見て、ジタンは眉根を寄せる。


(こんな時に、面倒なのが来ちまったな)


体温を奪われれば凍えてしまう生き物と違い、人形たちに生物的概念は通じない。
雨だろうが雪だろうが、滾るマグマがすぐ傍にあろうが、環境の不利を感じることなく、襲い掛かって来るのだ。
加えて、疲労感と言ったものに堪えるものでもないので、幾らでも歩き回るし、戦い続けることが出来る。

このままジタン達が洞穴でじっとしていれば、程なく見つかることだろう。
ジタンは、傍らでじっと呼吸を整えることに終始しているスコールを見た。
時間の経過とともに、毒による神経痛の類は多少収まっているようだが、体はまだ発熱している。
激しい戦闘が出来るような状態ではないことは、傍目に明らかであった。

ジタンはスコールの額に手を伸ばして、傷の走る眉間の辺りに指をあてる。
薄らと浮かぶ汗の感触を感じていると、蒼灰色が薄く開いて、ジタンを映した。
蒼に剣呑とした色が滲んでいるのを見て、彼もまた、ジタンと同じく近付く存在に気付いていることが判る。


「……ジタン……」
「ああ。大丈夫だよ」
「………」
「気にすんなって。こういうのは、お互い様なんだ」


スコールは、自身がまだ戦える状態まで回復していないことを理解していた。
忌々し気に眉根を寄せるスコールに、ジタンは浮いた眉間の皺を指先でぐりぐりと押しながら笑って見せる。
立場が逆なら、きっとスコールも同じことをしているのだから、と。


「お前はしっかり休んでな。もし体が動けるようになったら、手伝ってくれれば良いさ」
「………」


ウィンクをしたジタンの言葉に、スコールは目を閉じて溜息をひとつ。
それが必要な程に苦戦はしないだろう、と言葉なく信頼した気配を感じて、ジタンは金色の尻尾を揺らした。

武器を手に洞穴を出ると、雨はまだ降っていたが、視界は然程暗くはない。
雨粒が目元を叩くのが鬱陶しかったが、けぶる程の大雨になっていないのは幸いだった。
イミテーションの姿ははっきりと形が判る程に近くなり、あちらもジタンの姿を遂に確かめたか、蛇行した動きがなくなり、三体が真っ直ぐ此方に向かって近付いて来る。

イミテーションのどれか───恐らくは先行していた一体───は、秩序の戦士が此処に二人いることを感じ取っているだろう。
ジタンは、洞で休まざるを得ないスコールを背に庇う位置に立って、二本のダガーを構えた。


「ようやく休憩できる場所があったんだ。もうちょいゆっくり休ませてくれよ」


言った所で、イミテーションが容赦などする筈もない。
槍に杖にと構えるイミテーションよりも先に、ジタンは強く地を蹴って走った。





9月8日と言うことでジタスコ。
怪我したスコールを抱えてるジタンが浮かんで、身長足りないよなぁ……とか思いつつ。
体が動かないスコールに、ジタンが躊躇なく口移ししてるのが見たいなとなったので。

大事な人とか仲間を守るために、ちょっとした軽口や雰囲気を出しながら、当たり前に戦うモードに入るジタンは格好良いよなと夢を詰めた。
スコールの方も、ジタンがこうなら大丈夫、と信頼していると良いなあ。

[クラレオ]お楽しみは不憫の後で

  • 2025/08/11 21:05
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



間の悪いこともあるものだ、と両手に抱えた荷袋を見ながら思う。

今日と言う日を当人が楽しみにしていたかはともかく、ちょっとした宛くらいにはしていただろうに、よりにもよって今朝から熱を出すとは。
熱を出したら大人しく休め、と言う方針の部署であるので、無理をさせる必要がなかったのは幸いだが、同僚たちが持ち寄った品々は、残念ながら彼ら自身の手で本人に渡すことは出来なかった。
渡した時の反応を見たかった、と言う人はいるが、かと言って、体調不良の人間の下に、大人数が押しかけるのも良くない。
代表として、彼を良く知る人物としてレオンに任されることになったのは、当然と言うべきか、仕方ないと言うべきか、ともあれ自然な流れではあったのだろう。

鉄筋コンクリート製の四階建アパートの一番上の奥に、クラウドは住んでいる。
簡素な打ちっぱなしの外観をした其処は、外見は中々に年季が入っているが、中は人が出入りするごとに清掃修復され、必要であれば設備も見直されるらしく、壁の厚みもあって住人にとっては随分快適なのだとか。
唯一クラウドが愚痴を垂れる事と言えば、エレベーターが設置されていないことで、最奥に住んでいる人間にとってはそれだけが不便とのこと。
それでも周辺環境や日当たりの立地条件などが良く、要所への交通アクセスも悪くないので、物件としては人気がある。

階段を四階まで上がり切ったレオンは、成程、これは疲れている時には堪える、と思う。
幾ら若い年齢であると言っても、一日の就労を終えた後にこれは面倒だろう。
自宅のマンションにエレベーターがあることの有難みを、レオンは此処に来る度に感じている。

一番奥の扉の前で、レオンは鞄の中からシリンダー錠の鍵を取り出した。
それを鍵穴に差す前に、一応のチャイムを鳴らして置く。
半々の確率で予想していた通り、中からの応答はなく、まあ仕方ないなと思いながら、鍵を玄関の穴に差し込んでがちゃりと回した。

玄関ドアを開けると、中は薄暗い。
足元を見ると、見覚えのある靴が散らかるようにして残っていたから、家主が出掛けている訳ではなさそうだ。
レオンはドアを閉めると、知った位置にある電気のスイッチを手探りに探し、壁についているそれをパチリと押す。
辺りが明るくなると、短い廊下の横についている簡素なキッチンに、空のペットボトルが三本転がっていた。
内側に水滴が付着しているそれを見て、洗っている訳ではないことと、放置されてそれ程間がないことを読み取る。


「邪魔するぞ、クラウド」


一応の断りを入れてから、レオンは靴を脱いだ。

キッチン向こうのドアを開ければ、家主が日々を暮らす居住室がある。
其処も真っ暗になっていて、レオンはドアの傍にあるスイッチを切り替えた。
天井の電気が明々と照り、雑然とした部屋の中で、角隅にあるベッドにこんもりとした山が出来ているのを見付ける。


「クラウド」


シーツに潜り込んでいる人物の名を呼べば、唸るような声が聞こえた。
それはしばらくうごうごとベッドの上で身じろいだ後、胡乱な目をしてのっそりと起き上がった。


「……あんたか」
「返事がなかったから勝手に入ったぞ」
「……ん」


家主の断りを待たずに入った事を告げれば、クラウドは気にした風もない。
それよりも、赤い顔で顰めた顔をしている辺りに、彼の体調が中々良くないことが読み取れる。

レオンは両腕に抱えていた荷物を一旦下ろした。


「皆からの誕生日プレゼントを持って来たんだが、今日はそれ所じゃなさそうだな」
「……くそ。なんだって今日なんだ……」
「日頃の不摂生かもな。食事と薬はちゃんと摂ったのか?」
「……薬は飲んだ。飯は食ってない」
「ちゃんと食え、治すにもエネルギーが必要だろう。食欲は?」
「……腹が減った感じはあるけど、作るのが面倒だ……」


起き上っているのも体が重いのだろう、クラウドはベッドに大の字で転がる。
その顔が、普段の色白さとは正反対に紅潮しているのを見て、レオンはやれやれと近付いた。
赤いクラウドの額に手を当て、自分の体温と比べてみると、中々の発熱をしていることが判る。


「高いな。薬を飲んだのはいつだ?」
「……忘れた」
「朝か昼か。夕方か?」
「あー……多分昼……?」
「それならもう五時間以上は経ってるな。飯を食っていないなら作ってやる。それから薬だ」


レオンは上着を脱ぐと、ハンガーにそれをかけて、部屋を出た。

キッチンにある冷蔵庫を開けてみると、大方の予想通り、中身は殆ど入っていない。
料理の類に全く才能がないクラウドは、専らコンビニ弁当とインスタント食品、そして外食暮らしである。
電子レンジで温めて食べられる米を見付け、鍋にそれと水を入れてしばらく煮込む。
その間に、他に何かないかと探っていると、インスタントのスープ各種が入った箱を見付けた。
顆粒で入っているそれを鍋に入れ、軽くかき混ぜながら、塩と胡椒で味を調える。
卵でもあれば入れる所だったが、冷蔵庫にそれらしきものは見付からなかった。

出来上がったコンソメ入りの粥を丼皿に移し、部屋へと戻ると、クラウドが起き上がっている。
体は怠くても、寝転がっていることに飽きたのか、彼はレオンが持って来た紙袋───同僚たちからの誕生日プレゼントを覗き込んでいた。


「クラウド、飯だ。一日何も食べてないんだろう、これ位は入れておけ」
「……どうも」


自分で準備をするのは億劫だったが、食欲がない訳ではないのだろう。
レオンがテーブルに置いた粥に、クラウドは直ぐに手を付けた。

今日一日、クラウドはとにかく、寝て過ごしていたと言う。
熱のピークは朝が最も高かったそうで、会社に休む旨を連絡した後は、薬を飲む以外の活動はほとんどしていない。
昼を過ぎた頃には空っぽの胃が主張してきたが、熱が下がっていなかった事もあり、食事の準備の為に起き上がる気になれなかった。
水分だけは欠かさず摂るように心掛けていたが、胃に入れたのはそれだけだ。

そんなクラウドにとって、レオンが作った粥は、丸一日ぶりのまともな食事である。
クラウドは丼一杯に注がれた粥を、綺麗さっぱりに平らげた。


「ふう……」
「それだけ食えるなら大丈夫そうだな。ほら、薬だ」


常備薬を差し出したレオンに、クラウドは水と一緒にそれを受け取った。
一息にそれを飲み干したクラドは、心なしかすっきりとした表情で、ベッドの端に寄り掛かる。

レオンは空になった食器を洗う為、一旦席を立った。
部屋とキッチンの間のドアは開けたまま、キッチン周りの片付けを始める。
水の流れる音の傍ら、クラウドが深々と溜息を吐いていた。


「全く、散々だ。今日は色々得が出来た筈なのに」
「まあ、そうだな。皆の事だから、プレゼントだけじゃなくて、飯に行って驕るくらいは予定にあっただろうし」
「振替は効くのか?」
「さあな。治ったら自分で聞いてみろ」


言いながらレオンは、まあ応じてくれるだろうな、と思っていた。
誕生日に熱を出して、一番うんざりとしているのはクラウドだろうし、職場の仲間たちも、クラウドの誕生日を口実にしつつ皆で飲みに行くのを楽しみにしていたのだ。
今日の所はこうした結果になってしまったが、楽しみを取り戻すことに厭を唱える者はいないだろう。
都合の擦り合わせさえ出来れば、多くはまた集まってくれる筈だ。

洗い物を終えたレオンは、部屋に戻ると、床に置いていた自分の荷物を取った。


「じゃあ、俺は帰る。もう寝飽きただろうが、熱が下がるまでは大人しくしていろよ」
「ちょっと待て」


そのまま返す踵で出て行こうとするレオンの服を、クラウドの手がしっかと捕まえる。
なんだ、とレオンが眉根を寄せながら振り返れば、判りやすく不満そうな顔が此方を見ていた。


「熱を出している恋人を置いて、そうもさっさと帰るのか、あんたは」
「伝染されたくはないからな。お前も俺がいない方が大人しく寝るだろう」
「病人だぞ。誕生日だぞ。もう少し構え、優しくしろ」
「おいこら、まとわりつくな」


服端だけでは物足りないと言わんばかりに、クラウドの腕がレオンの腰に回って来る。
厄介な甘え癖を発揮して来たな、と胡乱に目を細めるレオンだが、見下ろした男の額は赤い。
それだけでなく、捕まって寄り掛かって来る全身が火照った熱を持っているのが感じ取れた。

今日がクラウドの誕生日で、その当人が不運にも熱を出してしまっているのは事実だ。
そう考えると、如何にレオンとて、あまり素っ気なくも出来ない。
はあ、と溜息を吐いて、レオンは持っていた荷物を再び床へ下ろした。


「全く……判ったから離せ、ベッドに戻れ。ぶり返したら俺の責任になるだろう」
「そうしたら、あんたは責任を取ってくれるだろうから、それもありだな」
「……確信犯に付き合ってやる義理はない」


図太いことを言ってくれる男に、レオンは力づくで張り付く腕を剥がした。
肩を押してベッドへと押し戻すと、クラウドは渋々と布団へ戻る。

レオンも諦めに似た気分を抱きつつ、クラウドが寝転んだベッドの端へと腰を下ろす。
動いた所為で体の熱感が上がったのか、クラウドは唸るようにして枕に顔を埋めている。
そうも具合が悪いのなら、駄々を捏ねずに大人しくしていれば良いものを、と思うレオンであったが、


(……病気になると弱気になる、とは言うな。こいつにそんな柔な神経があるとも思ってないが……)


普段のことを思えば、クラウドがそうも繊細な気質であるかと言えば、少なくともレオンから見る限りは否である。
だがそれも、それを感じさせない程に普段が健康そのものであるから、と言われればそうだ。
滅多に体調を崩さない人間程、稀に熱のひとつも出ようものなら、精神的な所から参ることもある。
慣れない体調不良と言うものに、ともすれば過剰なほどに不安が募る───と言うのは、理解できない話でもなかった。

そう考えると、やはり、このまま放っておくのも聊か気が引けて来る。
また、普段は図々しいほどに抜け抜けとしてくる様子を見ている所為か、判りやすく弱っていると、此方も少々調子が狂う。

レオンは、ベッドに突っ伏しているクラウドの金色の髪に手を置いて、ぽんぽんと撫でてやった。
クラウドはしばらくそれを享受した後、首だけ動かしてレオンの方を見る。


「……優しいな。誕生日だからか?」
「お前が優しくしろと言ったんだろう。……まあ、そんな日にこんな熱を出している奴に、多少の同情はしているかもな」


そう言ってレオンが手を引こうとすると、その手をクラウドが掴んだ。
もう少し、と言わんばかりに、レオンの手は彼の頭へと戻される。
仕方なくレオンは、何処となくヒヨコを連想させるクラウドの金色の鶏冠頭をくしゃくしゃと撫でる。
クラウドはその心地良さに目を細めながら、ベッドの横に置いたプレゼントの紙袋を見た。


「あれ、あんたからのも入ってるのか」
「いや。良いものが見付からなかったから、俺から渡す物はない」


問いにレオンが答えると、碧の瞳がじとりと湿気を持って此方を見た。
拗ねたと判る表情に、存外と自分が期待されていたらしいことを知る。


「恋人の誕生日なのに……俺だってあんたに用意してるんだぞ」


後に控えるレオンの誕生日を引き合いに出して唇を尖らせるクラウドに、やれやれ、とレオンは息をひとつ。


「それは殊勝な事だが……適当なものを渡されても嬉しくないだろう、お前は」
「物に因る。別にネタ物でも面白ければ構わないし」
「そう言うのはザックスやユフィを宛にしてくれ。俺にそんな引き出しはない」
「まあ、確かにあんたがそう言うものを用意したら、誰の入れ知恵かと思うだろうな」


大喜利には向いてない、と言うクラウドに、レオンは肩を竦める。
───それで、と話を元に戻した。


「物は用意できそうになかったから、代わりに、偶には色々応じてやろうかと思っていたんだ」
「……色々って?」
「言葉の通りだな」


見上げる碧が判り易い期待で見上げるのを、レオンは否定しなかった。
事ばかりは曖昧に、好きに想像すれば良い、と言う態度は、暗に“なんでも”と示しているに等しい。

爛々とした碧が興奮したように起き上ってきたが、レオンはその後頭部を押さえてベッドへ潰し戻した。


「だが、この有様じゃあな」
「なんでもしてくれるなら、今からでも」
「今からか。それだと、病人の世話ならしてやるが、それで消費しても良いのか?」
「……そいつは勿体ない」


レオンにとって、今日のクラウドは病人なのだ。
熱も下がり切っていない、朝から調子の悪い人間を相手に、レオンはその身体を酷使させるつもりもない。
看病してくれと希望するなら応じても良いが、それを今日と言う日の特別特権に使って良いものか。
その特権の希少価値と言うものを、クラウドもよくよく知っているから、迂闊に消費する気にはならなかった。

クラウドはベッドに伏せた格好で、ふう、と諦めの一区切りに息を吐いた。
体がごろりと転がって、ベッド端に座ったレオンに密着して来る。
腰に腕が絡みついて、しっかりと捕まえて来るのを、レオンは好きにさせていた。


「今日の所は、このまま面倒を看てやる。病人だからな」
「……嬉しいことだな。で、今日貰える筈だったあんたからのプレゼントは、後でまた貰えるのか」
「そうだな。ちゃんと風邪が治ったら」
「いつでも良いのか」
「仕事に支障が出ない範囲にしろよ」


それなら好きな時にすれば良い、と言うレオンの背中に、ぐりぐりとクラウドの頭が押し付けられる。
いつになく甘えたな仕草を繰り返すのもやはり体調不良の所為だろう。
その様子に自分が絆されている所があるのも否定は出来ないな、とレオンは思う。

しばらくの静寂の内に、クラウドはうつらうつらとし始めていた。
空っぽだった胃袋にもエネルギー源が入り、薬も効いてきて、熱の感覚も多少は収まったのか、頬は相変わらず赤みが強いものの、唸るような様子はない。
その癖、レオンにしがみついたままの腕は解かれる気配がなかった。
今日はこのまま此処で寝るしかないか、とレオンは今夜の寝床に諦めを持ちつつ、


(……俺も飯を食って置けば良かったな。このままだと動けない)


そもそもレオンは、クラウドに最低限の世話をしたら帰るつもりだったのだ。
だから自分の腹が空っぽの状態なのも気にしていなかったのだが、このままだと、それを宥めることも出来ない。
しかし、腰に絡む腕はしっかりとした力でレオンを捕まえていて、当分は離れそうになかった。
無理に解かせようとすると、駄々を捏ねる子供のように、より強い力がかかって来る。

はあ、とレオンは何度目かの溜息を吐いて、くっつき虫の頭をぽんぽんと撫でてやった。
それだけで何処か満足そうに眦が和らぐ恋人に、まあ良いか、と思う事にしたのだった。





クラウドの誕生日と言うことで、クラレオ。

うちのレオンは基本的にクラウドに対してドライですが、なんだかんだ優しくしてしまう所もあるので、そう言うのが見たいなぁとか思いまして。
現パロならKH世界よりも優しくし易いかな、とか思ったんですが、やっぱりドライ。でも甘いと言う感じに。
そして誕生日に風邪っぴきな不運なクラウドですが、後日にしっかり貰えるもの貰って堪能するので結果オーライで。

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