[ティスコ]スペシャル・リワード
学生二人の生活は、中々快適でもあるし、不便でもある。
監視的な意味を持つ大人が同じ空間にいない為、生活の様式や、日々の暮らし方と言うのは、基本的に気儘な所があった。
スコールはスケジュールを組むとそれを守りたいと思う所はあるが、実の所、彼の実生活と言うのは案外物臭なものだったりする。
生真面目な性質と、相反して何事にも腰が重い性質が同居している為、スコールは自分が気にならない所はルーズになる一面があった。
朝に弱いので、土日や休みの日なんてものは、ずるずるとベッドの中で過ごしているし、食事にもそれ程執着がないから、パン一枚でも齧れば良いだろう、とする事もある。
一方で、真面目な部分と言うものは、勉強の進み具合だとか、学校から帰ったらすぐに課題を広げて片付けてしまうとか、そう言った部分に発揮されていた。
ティーダはと言うと、きっちりかっちりと言う管理が苦手で、予定を立てるのはいつも大雑把だ。
聞こえがよく言えば、何事にも大らかで、ポジティブな言動と相俟って、丼勘定と勢いで乗り切る所がある。
そんなものだから、課題をするのを忘れたり、授業に必要なものを忘れたりと言う事も少なくなく、幼馴染であり同居人であるスコールに、両手を合わせて教材を借りに行く事も頻繁だった。
反面、彼は好きな事については徹底的にストイックになる一面があり、それに関しては、まるでスイッチが切り替わったように管理を怠らない。
朝早くから決まった時間にランニングに行ったり、昼休憩には自主練習、放課後の部活も余程の事がなければ欠かさない。
その努力はしっかりと彼の実力として実を結び、ティーダは二年生にして、水球部のエースの名を欲しいままにしていた。
そんな正反対な二人であるが、生活を始めると、これが存外と上手く噛み合う。
元々付き合いも古く、よく知った仲でもあるし、互いがそれぞれに何を優先しているかも判っている。
且つ共に周りの事が確りと見えていて、自分よりも他者に合わせようとする所もあった。
だからもしも、全く知らない人間との同居であれば、息苦しさを感じる程に遠慮したり、角を立てまいと過剰に相手の都合を優先させてしまった可能性もあったが、幸い、彼等は幼馴染だ。
譲る所と譲らない所、相手が何を一番に考えようとしているかの予測は、遠からず当たる。
その上でそれぞれに折り合いを付けて行く内に、生活の歯車は綺麗に噛み合ったのであった。
二人の生活において、家事雑事は基本的に当番制を取るようにしているが、食事の用意はスコールが担う事になっている。
共に父子家庭と言う背景もあり、幼少期から父───スコールは其処に年の離れた兄も加わる───の手を援ける為に家事に手を出していたので、ティーダも料理が出来ない訳ではないのだが、日々の栄養管理から何から、スコールの方がよく気が回る。
二人の学校では、部活も長い時間が使われているし、食材の買い出しやら何やらと言うのは、放課後がフリーになっているスコールの方が都合がついた。
そう言う訳で、食事に関してはスコールが預かる事になり、ティーダはそれ以外───掃除や洗濯ものの片付けなど───を週の半分以上を引き受ける事で折半とした。
そんな風に二人の生活様式が固まった結果、スコールは、ティーダの毎日の早朝ジョギングに合わせて、きちんと決まった時間に布団を出る。
ティーダが帰って来た時には、バランスの取れた朝食が用意されており、二人揃って食べた後は、ティーダが片付けを請け負う。
それから揃って登校、土日休みの場合は朝に弱いスコールが二度寝しに行くのがパターンだ。
そうなってもスコールは昼にはちゃんと起きて来るし、ティーダも時間が空くとスコールから「課題は終わったのか」と詰められるので、休みだからと遊び惚ける事もない。
生活の流れが“自分一人だけのものではない”と言う環境が、気を抜けば奔放にもなり易いであろう、若者二人の生活にメリハリを作っていた。
案外としっかりとしている生活を送る少年達であるが、その傍ら、大人がいない大変さも理解している。
特に、試験期間に突入すると、少年達はそれを痛感せずにはいられない。
来週に控えた試験の為、言い訳を付けてそれから逃げたがるティーダを捕まえ、スコールはリビングダイニングのテーブルで勉強時間を設けた。
大袈裟な事にも思えるが、こうでもしないとティーダがいつまでも現実逃避をするのだから仕方がない。
前回の試験で、苦手な教科が赤点ギリギリだった事で、ティーダは部活禁止一歩手前のイエローカードが出ている。
学生の本分である勉強が疎かになるのなら、チームのエースと言えど部活はさせない、と言うのが顧問の方針だ。
スコールもそれを知っているから、今回はなんとしてでも逃がさないと、縛る勢いでティーダをテーブルに縫い留めている。
しかし、今回スコールがティーダの為に出来るのは其処までだった。
普段はスコールも自分の理解が深まるからと、ある程度まで彼に勉強を教える事を寛容しているのだが、今回はその余裕がない。
スコール自身の苦手範囲が複数の教科に渡って当たってしまい、人を気にする暇がなくなったのだ。
「うー……」
「……」
「んん~……」
「……」
「ぐぅぅ~~~……!」
ティーダは、鼻と口の間にシャーペンを乗せたり、歯を食いしばって問題文を睨んでみたり。
答えを穿りだそうとするように、金色の髪を両手でぐしゃぐしゃと掻き回したりと、忙しなくしながら、開いた問題集と対峙している。
その唸り声が鳴る度、スコールの眉間には皺が増えていくのだが、今のスコールはそれを煩いと叱る時間も勿体無かった。
また、ティーダが唸っているのはふざけているからではなく、スコールの余裕のなさを理解しているから、その邪魔をしないように、自分でなんとかしようと頑張っているからだ。
スコールもそれが判っているから、唸る位は目くじらを立てまいと思っている。
しかし、ティーダの問題集は勿論のこと、スコールの手元に開いたプリントも、遅々として進まない。
言葉と言うものの不可解さを、幼い頃から感じ続けているスコールにとって、その分野は意識からして気が進まないものだった。
そう言った気持ちの邪魔もあって、プリントに綴られる問題文に対し、重箱の隅を突いてやりたくなる。
「うぐぅ~~~~~!」
「………はあ……」
向かいの席から、今日一番の唸り声が上がって、スコールはそれをちらりと見て溜息を吐いた。
持っていたシャーペンを転がし、席を立ったスコールを見て、ティーダが抱えていた頭を上げる。
「スコール?」
「……休憩だ。コーヒー淹れる」
「俺のも頂戴、砂糖とミルクも」
ねだるティーダに、そのつもりだと、スコールは無言で食器棚からマグカップを二つ取り出した。
コーヒーの淹れ方は、父から兄へ、兄から弟へと受け継がれている。
豆に拘りがある程ではないが、淹れ方は兄から教わったものをそっくり真似ていた。
その甲斐あってなのか、ティーダはスコールが淹れたコーヒーが好きだと言う。
ただし、彼は苦いものが得意ではないので、ブラックではなく砂糖1杯とミルク少々が欠かせない。
コーヒーが出来るのを待つ間に、テーブルに突っ伏したティーダがスコールを見ながら言った。
「なあ、スコール」
「教えるのは無理だぞ。俺も余裕がない」
先に封じる形でスコールが言うと、ティーダは「判ってるって」と言って、
「そりゃ教えてくれたら一番嬉しいけど。そうじゃなくてさ、やっぱりモチベーション上がらないから、ちょっとだけ応援とかしてくれないかなって」
「応援?」
ティーダの言葉に、スコールは分かり易く顔を顰める。
勉強の応援なんて、まさか横で拍子を叩いて笛を吹けとでも言うのか。
スコールの頭の中には、体育祭の時に見た、学ランに鉢巻きスタイルで応援合戦をしている生徒の様子が浮かぶ。
そんな事を想像してしまったものだから、スコールは露骨に顔を顰めていたのだが、ティーダは気にせずに続けた。
「頑張ったらご褒美、みたいなさ。お願い一つ叶えてくれる、とか」
「…言いたい事は判ったけど。テストで頑張るのは、俺もなんだが?」
「判ってるって。だからスコールには、ちゃんと俺からご褒美あげるから」
それなら良いだろ、と言うティーダに、何が良いのか……とスコールは思うが、不公平よりは余程良い。
決して好きでもない勉強に嫌でも齧りつかねばならないのなら、その褒賞を貰う位、願っても罰は当たるまい───と言うティーダの言葉には、スコールも概ね同意であるが、
「……で、あんたは何が欲しいんだ?」
話の主題は、ご褒美云々ではなく其処だろう、とスコールは読んでいた。
確かに勉強へのモチベーションを上げると言う目的もあるのだろうが、ティーダが一番求めているのは、やる気云々ではない。
延々と続く山道を登った先で食べる、美味しい美味しい弁当の中身を、彼は欲しがっているのだ。
それを読んで、スコールは直球に訊ねてやった。
大方、夕飯のメニューか、そうでなければ新作ゲームあたりだろう────と思っていたのだが、
「テストが終わったらさ。色々気にしなくて良くなるだろ」
「……まあな」
「試験が終わればゆっくり出来るし」
「補習もなければな」
「うぐ。うん、そう、それもそう」
痛い所を刺されて、ティーダが一度口を噤む。
じわじわと効いて来るであろうスコールの一言を脇に追い遣りつつ、だからさ、とティーダは言った。
「でさ試験終わった次の日って、土日だろ?」
「ああ」
「だからその時にさ、」
エッチしよ。
ティーダがそう言った瞬間、がちゃん、とスコールの手元でマグカップが音を立てる。
入れたばかりのコーヒーが、シンクの中に茶色い川を作って、排水溝へと流れて行った。
スコールは取り落としてしまったマグカップが、幸運にも罅も入らず無事だったことに安堵しつつ、耳まで赤くなった顔でティーダを睨む。
「何言ってるんだ、あんたは!」
「良いじゃないっスか、ずっと我慢してるんだから!」
「だからってそんな事、試験明けにする事じゃないだろ!」
「じゃあいつなら良いんだよ。スコール、いつもそんな事言って全然やらせてくれないじゃないっスか!」
「でかい声で言うな、そんなこと!」
「スコールの声もでかいっスよ!」
羞恥心から声を荒げるスコールに、負けじとティーダの声も大きくなる。
が、此処はセキュリティこそしっかりとしてはいるものの、そう広くはないアパートマンションの一室だ。
壁の厚みはそこそこあるとは言え、若者二人の腹から出した声を全て防いでくれる程、上等な施工はされていない。
スコールは湯気が出そうな程に赤い顔で、シンクに転がしてしまったマグカップを拾う。
勿体無い、と呟きながら、とソーサーに残っていたお代わり分のコーヒーを注ぎ直していると、
「なあ、スコール。なあってば」
「煩い」
「俺、ちゃんと頑張るから」
ティーダの声は真剣だった。
その声を、もっと違う流れで聞きたかった、とスコールは思う。
淹れ直したブラックコーヒーと、砂糖とミルクを入れたコーヒーを手に、テーブルへと戻る。
ティーダの前に彼のコーヒーを置いて、元の位置へと座り直すと、スコールはプリントを手繰り直す。
転がしていたシャーペンを取って、並ぶ問題群に視線を落としていると、
「スコール。スコールってば」
「………」
「……やっぱ駄目?」
呼ぶ声を無視していると、「だよなぁ」と諦めの混じった笑い声が聞こえた。
ちらとスコールが見遣ってみれば、ティーダは湯気を立てているコーヒーに息を吹きかけて冷ましている。
程好く表面が冷めた所で口を付け、ふう、と一息吐いて、彼も改めてシャーペンを握り直す。
────今回、自分がティーダを援けられない以上、ティーダには自力で頑張って貰わなくてはいけない。
その為に必要不可欠なのは、彼自身の勉強に向ける意欲的エネルギーだ。
普段からそれは半ば枯渇気味ではあるのだが、ティーダは基本的には前向きな思考をしているので、ささやかなご褒美のようなものでもあれば、一応はそれを目標にする事が出来る。
それを考えれば、ティーダが自ら希望した“ご褒美”と言うものは、効果的と言えるだろう。
同時に、ティーダが求める“ご褒美”は、スコールにとっても強ちそうと言えなくもないのも事実で。
「……」
「うーん……」
問題集に向き直ったティーダは、先程よりは落ち着いた様子で、数字の羅列を見つめている。
考えているのか、眺めているのか、微妙な所ではあったが、ご褒美云々とは関係なく、次のテストの対策をしなければと言う気持ちはあるのだ。
コツ、とスコールの手元で、シャーペンが小さく机の天板を鳴らす。
紙に置かれた芯が僅かに黒鉛を滑らせて、芯の触れた痕が小さく残った。
スコールはじっとそれを見つめた後、顔を上げる。
「ティーダ」
「ん?」
名前を呼ばれて顔を挙げたティーダは、いつもの顔をしている。
ついさっき、自分がねだった言葉など忘れたようなその表情に、スコールは一瞬、口を開くのを躊躇ったものの、結局は意を決してそれを告げた。
「頑張るのは、当たり前のことだから、ご褒美とかは関係ない」
「っスよね~」
スコールの言葉に、判ってた、とティーダが表情を崩す。
ちょっとだけ残念───と言う気持ちも滲むその顔を見つめながら、スコールは続ける。
「だから、ご褒美が出るのは、ちゃんと結果が出たらの話だ」
「ん?」
「…全教科でそれぞれ平均点。採れたら……良い」
「え」
「採れたらな」
其処まで言って、スコールは手元のプリントへと視線を戻す。
黙々と問題を解く手を再開させたスコールに、ティーダはぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
ええと、と今し方、幼馴染の口から告げられた事を頭の中で再生させ、その意味を考えること数秒。
ようやくその意味を汲み取り始めてから、その内容にまだ頭がついて行かなくて、もう一度聞いて確かめようと見た幼馴染が、伏せた顔を耳まで真っ赤にしている事に気付く。
うずうずと、ティーダは今すぐ目の前の幼馴染兼恋人に抱き着きたかった。
しかしスコールは筋金入りの恥ずかしがり屋で天邪鬼だから、きっと振り払われてしまうだろう。
その上、折角約束してくれた”ご褒美”を反故にされてしまっては勿体ない。
しかし、湧き上がる気持ちまでは誤魔化しきれなくて、せめてそれだけは吐き出さなくては、息が詰まりそうだった。
「スコール!」
「なんだよ」
「俺、絶対良い点採るからな!」
「判ったから集中しろ」
もうこっちを見るな、と苦いものを噛む口でスコールは言った。
それが恥ずかしがっているからだと判っているから、ティーダの口元は緩んでしまう。
ティーダは両手で自分の頬を叩いて、気合を入れ直した。
赤らんだ頬で問題集に臨む幼馴染を、スコールはちらりと見遣って、現金振りに呆れてこっそりと溜息を吐く。
その傍ら、甘やかしてしまった自分の胸の内に燻る期待だけは覚らせないように、努めていつもの仏頂面を浮かべるのだった。
10月8日と言う事で、ティスコ!
お盛んだって良いじゃない、17歳だもの。
試験明けに一杯いちゃいちゃすれば良いと思います。