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2014年08月08日
何処までも何処までも続く、果てと言うものが存在するのかも怪しい、深く暗い迷宮────ラビリンス。
其処に迷い込んでから、既にどれ程の時間が流れたのだろうか。
眩しい陽の光を好んで浴びる性格ではないけれど、そろそろ健やかな外の空気が恋しいと思う。
初めは、一人だった。
闘争の世界に召喚されてから、いつの間にか自分の回りには沢山の喧騒があったけれど、それが一切ないのは久しぶりで、一瞬、柄にもなく戸惑った。
直に冷静を取戻し、元々自分は一人で立って歩く為の強さを求めていた筈だと思い出すと、後は脱出への道を探す事に迷いはなかった。
しかし、歩けど歩けど、見付かるのは地下へ地下へと進む階段ばかりで、いい加減に気が滅入っていた所に、よく知る気配を感じ取った。
そうして、先ず一人、そして二人目の同行者を迎え、一行の足は更に奥へと進む。
出来れば上に向かう道があれば其方を選びたいのだが、上階へ昇った所で、やはりまた階段は下へ向かう。
どうやら終着点まで進まなければ、脱出さえも儘ならない場所らしい。
面倒だと思いながら、足を進めなければ話も進まないので、只管、地下へ地下へと潜って行く。
ラビリンスには、魔物は存在しない。
在るのは、闘争の世界で戦い続けてきた戦士達を模した、無数のイミテーションばかりだ。
それらと一人延々と戦い続けていた事を思うと、仲間と言う存在は決して無駄とは思わない。
─────が、しかし。
「伏せろ、スコール!」
響いた声に、スコールは咄嗟に身を屈めた。
遠方から放たれた剣圧が、衝撃波となってスコールに肉迫していたイミテーションを襲う。
罅割れた断末魔を上げて、模造は硝子の破片となって飛び散った。
ざん、とスコールの背後に着地する音。
視界の端に移るバスターソードを見れば、それが誰のものか直ぐに判った。
「無事か、スコール」
「問題ない」
そもそも、助けて貰う程の危機でもなかった、とスコールは思ったが、口にはしなかった。
スコールにそれ以上喋る余裕がなかった所為でもあるし、クラウドもまた、直ぐに駆け出して行ったからだ。
辺り一体を埋め尽くしていた煩わしい人形達は、随分と数を減らした。
いい加減に休みたい、と疲労した体が怠けたがっているが、まだ立ち止まる事は出来ない。
最低でも、このフロアに存在するイミテーションを一通り駆逐しなければ、一息つく暇も与えられないのだ。
後方から飛んできた魔女の矢を、ガンブレードで叩き落とす。
近距離戦が自分の間合いであるスコールにとって、遠方から魔法を使う輩は、厄介の一言に尽きる。
振り返って矢を放った魔女を探せば、無機質な顔に歪んだ笑みを浮かべて、新たな魔法を構築していた。
今から近付いて魔法を妨げるには遠すぎる、とスコールは放たれた槍に備えてガンブレードを横に構える。
直後、魔女とスコールの間に人影が割り込んだ。
自身と同じ濃茶色の髪、しかしそれはスコールよりも長く伸びていて、少し肩にかかっている。
ジャケットは防護服と言うよりも完全に至福で、スコールの世界と文明が近しいのだろうか、それとも同じ世界の者なのか。
手にした銀刃は、名前も構造も、スコールが握っているものと全く同じもの。
「引き受ける」
影────レオンは言って、ガンブレードで槍の軌道を逸らした。
弾道を逸らされた槍が、地面に落ちて跳弾し、頭上を漂っていたクリスタルの結晶を壊す。
直ぐに次の詠唱に入る魔女に、レオンは強く地を蹴って跳び込んだ。
逃げようとする魔女を更に追い、自分の間合いまで詰めると、振り被った剣で薙ぎ払う。
魔女は胴を二つに割られ、悲鳴を上げて砕け散った。
それから十数分が経過した所で、ようやくイミテーションの掃討は完了した。
癪だがスタミナの足りないスコールは、些か疲れが勝った。
は、は、と肩の荒い息を整えながら、周囲をぐるりと見渡して、残党がいない事を確認する。
「スコール」
「スコール!」
左右それぞれから聞こえた声に、スコールは振り返らなかった。
頭は一つしかないから、どちらかに応えれば、もう一方に背を向ける形になる。
そうなると、色々と面倒な事が起きてしまう。
駆け寄って来た二つの気配は、秩序と混沌のものだった。
秩序のそれはスコールと同陣営にいるクラウドのものである。
「疲れたか?少し休んでから進むか」
「いや、問題ない。またイミテーションが湧いてくる前に先に進もう」
クラウドの言葉に首を横に振って、スコールは見えている階段を指差して言った。
直ぐに其方へ向かおうと一歩を踏み出す。
が、ぐっと肩を掴む手に阻まれ、くるりと方向転換させられる。
強引にスコールの足を止めたのは、混沌の気配を纏った青年、レオンであった。
「進むのは俺も賛成だが、その前に傷を見せろ」
レオンの言葉に、ぎくり、とスコールは肩を震わせた。
気付かれていないと思っていたのに、と。
見下ろす蒼灰色の瞳は深く暗く、スコールを逃がすつもりはないらしい。
スコールも、レオンに気付かれたのなら仕方がないと、大人しくジャケットを脱ぐ。
ジャケットは肩部分に穴が開いており、スコールの肩にも矢が突き刺さったような痕が残っていた。
「傷は放って置くなと言っただろう」
「…後で自分で治すつもりだったんだ」
ケアルのストックが残っているから、フロアを移動してから治療しようと思っていた。
これは嘘ではない────が、普段、多少の傷を放置する事が多い所為だろう。
レオンは明らかに信用していない表情で、咎めるようにじっとスコールの貌を見下ろした。
目を逸らして俯いているスコールに、レオンは一つ溜息を吐いて、ケアルをかけようとスコールの肩に手を伸ばす。
が、それよりも早く、とくとくと淡い光を帯びた液体がスコールの肩に注がれた。
「………何をしている」
「治療している」
地を這う声で睨んだレオンを、クラウドは見ていない。
彼の手には開けたばかりのポーションがあり、逆様にされたその中身はスコールの肩をあっと言う間に癒して行った。
ポーションが空になった頃には、スコールの肩には傷痕すら残っていなかった。
「よし、治ったな」
「……余計な真似をするな。アイテムの数は限られている。勝手に消費させるな」
「魔力も有限だ。癪だがあんたの魔力は大きいから、回復より戦闘に使え。アイテムはまた拾えば良い。それに、あんたは混沌の戦士だろう。勝手にスコールに触るな」
ぴりぴりと張り詰め始めた空気を察して、まずい、とスコールは口の中で呟く。
「スコールに触るのに、お前の許可がいるのか?」
「あんたが信用ならないからな」
「それは理解する。だが、スコールに関する事で、お前に何の権限がある?……そもそも、誰の所為でスコールが怪我をしたと思ってるんだ」
ぼそりと呟いたレオンの言葉に、ぴしっとクラウドが固まった。
胡乱な碧眼がレオンを見遣る。
「……俺の所為とでも言いたいのか」
「お前が持ち場を放置したからだろう」
「あれはスコールが危ない状況だと判断したから、それを」
「あの時、お前が魔女の相手を途中放棄しなければ、スコールが狙われる事はなかったんだ」
スコールの肩を貫いたのは、魔女が放った矢だった。
己を狙って放たれた瞬間、直ぐに反応したスコールだったが、捌き切れずに幾つか喰らってしまった。
その中で特に深く突き刺さったのが、肩を貫いた矢である。
魔女はスコールを狙う直前まで、クラウドと相対していた。
そのクラウドが、咄嗟にスコールを狙った猛者に標的を変えた為、一時的にターゲットを見失う事になる。
直後、自分の間合いでもっとも近い距離にいたスコールに、狙いを変えたのである。
それをレオンの口から指摘されて、クラウドはぐっと押し黙った。
が、直ぐにその苦い口から言い返す。
「あんたこそ、もっと早くスコールを助けに行けたんじゃないのか」
クラウドの言葉に、ぴくり、とレオンの肩が揺れる。
「あんたがもっと早く魔女の動きに気付いていれば、スコールが傷を負う事はなかった。あんたの反応速度なら、それが出来た筈だ」
クラウドが言っているのは、スコールが最初に魔女の矢に気付いた時の事だ。
あの時、レオンは数十メートル離れた場所にいたが、彼の視野なら十分スコールをカバー出来る位置にいた。
魔女の動きが全く見えていなかった訳ではないし、クラウドが魔女のターゲットから外れれば、次に狙われるのが誰かも予測できただろう。
じろり、と蒼と碧が睨み合う。
スコールはその間に挟まれて、始まった、と溜息を吐いた。
二人の間で、ばちばちと見えない火花が散っているように見えるのは、気の所為ではあるまい。
このラビンリンスで顔を合わせてしまった時から、二人はこの調子だった。
「そう言えば、あんたは混沌の戦士だったな」
「それがどうした?」
「あんた、この機に乗じてスコールを罠に嵌めようとしてるんじゃないか。だからさっきも反応が遅れた振りをして」
「それ以上ふざけた事を言うと、お前の首と胴が離れるぞ」
「……俺を挟んで物騒な話をしないでくれ」
あわや血を見る事態かと言う遣り取りに耐え切れなくなったのは、スコールであった。
うんざりとしたその声に、握った剣を構えようとしていた二人の動きが止まる。
まだ険の抜けない二対の瞳が、スコールへと向けられる。
「……助けて貰った事には感謝している」
助けられなければならなかったと言う状況ではなかったと思うので、思う事は色々とあったが、スコールはそれを飲み込んだ。
此処で自分が選ぶ言葉を間違えたら、更に面倒な事になるからだ。
「傷を治してくれたのも、治そうとしてくれたのも。あんた達の気遣いは、ちゃんと判ってるから。だから一々喧嘩をするのは止めてくれ」
「しかしスコール、こいつは、」
「クラウド、最初に言っただろう。レオンは、混沌も秩序も関係ないと。そうだろ?」
「……ああ。俺は、お前が無事ならそれでいい」
後は混沌も秩序も、そもそも神々の闘争そのものにも興味はない。
きっぱりと言い切るレオンだが、クラウドの疑う瞳は消えなかった。
腹の中を探ろうとしているクラウドに対し、レオンは何も言わない。
スコールが間に入った事で、これ以上の口論は何も実にならないと悟ったのだろう。
弁明をする事もなく、ふいと碧眼から目を逸らし、認識すら拒絶するように目を閉じる。
クラウドもしばらくレオンを睨んでいたが、それを咎めるように見詰めるスコールの視線に気付くと、小さく舌打ちをして視線を逸らした。
互いに明後日の方向を向いたレオンとクラウドの姿に、スコールは今日何度目か知れない溜息を吐く。
「……俺はもう行く。ついて来るなら、一々張り合わないでくれ」
彼等が互いの意見を譲ろうとしないのは、その間にスコールがいるからだ。
スコールも少なからずそれは理解している。
自分が原因で仲間───レオンはグレーゾーンだが、スコールの個人的感情では安全だと思う。少なくとも、彼が自分に敵意を向けた事はないから───が揉めると言うのは、気分の良いものではない。
普段、レオンもクラウドも余りスコールの前で激しい自己主張をしないから、余計にスコールは戸惑ってしまう。
以前、それぞれと二人で行動していた時は、レオンもクラウドも、スコールのやりたいようにやらせてくれていたのに。
今もその頃と同じように、それぞれ静かに過ごしてくれていれば、スコールにとってこんなにも有益な同行者はいないと言うのに。
いつまでもあの二人に挟まれているのは辛い。
しかし、何処まで行けば出口に辿り着けるか判らないラビリンスの中で、彼等と別れると言うのは、今後に響く。
二人と合流してから大分フロアを下ったし、もしも他に人がいるなら、そろそろ合流してはくれないだろうか。
出来れば、場の雰囲気を読む事に長けて、レオンとクラウドのあの空気に飲まれる事なく、それを塗り替える技量を持っている人物が良い。
高望みだろうな、と思いながら階段を降りたスコールは、ぽっかりと空いた白い空間にぽつんと座り込んでいる人物を見て、思わず目を輝かせた。
カツリ、と靴が音を鳴らすと、明るい金色と尻尾がくるっと振り返る。
「おっ、スコールじゃないか!お前も此処に来てたんだな!」
埃や煤に塗れた服を払って、スコールの下へと駆け寄って来たのは、ジタンだった。
スコールと同じように一人で此処に召喚され、ずっと一人で進み続けていたのだろうか。
ジタンの表情には疲労が滲んでいたが、仲間と合流できた喜びからか、ブループラネットがきらきらと嬉しそうに輝いている。
────-今のスコールにとって、こんなにも頼もしい仲間が他にいるだろうか。
感極まったように己を抱き締めたスコールに、ジタンは引っ繰り返った声を上げた。
なんだ、どうしたと戸惑いながら、ジタンはスコールの頭を撫でる。
自分がこれから、嘗てないほどに胃が痛くなる思いをする事は、彼はまだ知らない。
『クラウドとレオンのスコールの取り合い』でリクエストを頂きました。
此処まで露骨にギスギスさせた二人を書いたのは初めてな気がする。レオンを混沌・クラウドを秩序にすると、とことん反りが合わなくなるようです。
お互いに「俺が守るからお前は失せろ」と言外に圧力をかけています。
スコールと二人きりなれば、スコールにとっては間違いなく快適。二人きりになれば(当面無理。)。
探索から秩序の聖域に戻る途中、雨に見舞われた。
不安定なこの世界では、前触れもなく雨雲が現れ、発達する事は珍しくない。
地域によっては嵐、雪、雹が唐突に降って来る事もあるのだから、雨風で済む程度なら幸運だ。
しかし、視界が悪い状態で進むのは得策ではないだろうと、兵士と傭兵の意見は一致し、丘の上に点在していた文明の跡地で雨宿りする事にした。
辛うじて建物の体を残している場所を見付けて、其処に滑り込む。
直後にざあざあと雨音が大きくなったのを聞いて、ギリギリセーフだったとクラウドは息を吐いた。
「あと少し遅かったら、ズブ濡れになっていたな」
「……ああ」
クラウドの言葉に言葉少なに頷いて、スコールは濡れたジャケットを脱いだ。
立派な鬣を思わせるファーは、水分を吸ってすっかり情けない有様になっている。
濡れ鼠にはならなかったが、お気に入りのジャケットが残念な事になっているのが、スコールには少々応えたようだった。
あからさまに残念そうな溜息が漏れている。
ぽっかりと空いた窓から外を見ると、けぶる雨で一寸先も見えない状態だった。
無理に先に進もうとしなくて良かった、と自分達の判断が正しかった事を確認して、クラウドは窓に背を向ける。
「止むまで待つしかないな」
「…そうだな……」
「焚火でも起こせると良いんだが」
「燃やせる物なんかないぞ」
スコールの言う通り、火種になりそうなものは何処にもない。
物がなくても、魔法があれば何処でも火は起こせるが、生憎この場にいる二人では、其処まで小規模な魔力コントロールは出来ない。
建物の中は、がらんどうになっていた。
歪みの中で遭遇する民家なら、忘れ去られたように食糧や何某かの道具が見付かったりするのだが、遺跡ではそうも行かない。
雨で濡れた体に暖を取りたかったのだが、ないのなら仕方がない、クラウドは諦める。
が、隣で細い躯が微かに震えるのを見て、眉尻を下げる。
「寒いか?」
「……別に」
長袖のジャケットを脱ぎ、いつもより薄手の格好になっている事が、スコールには堪えるのだろう。
腕を組む振りをして、体を庇うように抱えている。
参ったな、とクラウドは頭を掻いた。
フリオニールやセシルならマントがあるのだろうが、クラウドは上に羽織れるようなものを持っていない。
持っていたとしても、雨の中を走って此処まで来たのだから、スコールのジャケットと同じ結果になっていたのは目に見えている。
今日の偵察は日中に戻る予定であった為、毛布の類も持ち合わせていない。
「……っくしゅ!」
押し殺そうとした失敗した、そんな小さなくしゃみが聞こえた。
その方向を見れば、スコールは全く明後日の方向を向いている。
「大丈夫か?」
「……問題ない」
「そうは見えないんだが」
細身に見えても、スコールとて傭兵である。
柔な体の作りはしていないと知ってはいるが、やはり筋肉も脂肪も薄いとなると、寒さは大敵だ。
「上着、着ておいた方が良いぞ。濡れてるだろうが、ないよりはマシだろう?」
「……まあ……」
クラウドの言葉に、スコールは気が進まないと言う表情で、持っていたジャケットを広げる。
袖を通す気にはならなかったようで、背中に羽織るだけだったが、肩が冷えないだけでも随分違うだろう。
スコールはジャケットの端を握り開きと繰り返しながら、窓の外を眺めてるクラウドを見て訊ねた。
「あんたは、平気なのか?」
「寒さには慣れてる。故郷がそう言う場所だったしな」
「雨が多い所…?」
「そう言う訳でもないが、山の中の田舎でな。冬には雪が降ったし、夜は結構冷えた」
クラウドの言葉に、ふぅん、とスコールからは気のない返事。
ざあざあと雨は降り続く。
このまま明日まで降るのではないかと言う勢いで、空の雫は地面を叩き続けていた。
「……っく、しゅっ」
また堪えようとして失敗したくしゃみが聞こえた。
そんなに冷えるだろうか、と振り返って訊ねようとして、クラウドは納得した。
スコールが座っている場所は、隙間風が丁度当たる位置だったのだ。
濡れた体に細く冷たい風とくれば、一層体が冷えてしまうのも無理はない。
「スコール、こっちに来い。そこ、冷えるだろう。隙間風があるんだ」
「………」
意地を張って、問題ない、と言われるかとも思ったが、スコールは素直に近付いてきた。
雨が止めば此処から秩序の聖域まで歩かなければならないのに、これ以上体調を崩す訳には行かない。
のそのそと移動したスコールは、クラウドの隣に身を寄せる位置で落ち着いた。
これ以上の熱を逃がすまいと、膝を抱えて蹲っている。
そんなスコールを見て、クラウドは徐にスコールの背後へと移動すると、後ろから彼を抱き締めた。
「……!?」
突発的な出来事に弱いスコールは、戦闘以外で予測していない事態に見舞われると、固まる癖がある。
今回も発揮されたその癖に、幸いとばかりにクラウドは抱き締める腕に力を込めた。
触れた場所から伝わる体温は、クラウドには少し冷たく感じられる。
やはり、雨と隙間風の所為で体温を奪われてしまったのだろう。
自分の体温を分け与えるように、体を密着させて強く抱き締めると、触れた胸の奥で鼓動が逸っているのが感じられた。
「ク、ラ…何……っ」
何をしている、何を考えている。
スコールが言おうとしたのは、大方そんな所なのだろう。
言葉少ない者同士であるからか、それとも誰よりも心を近付け合う仲となったからか、クラウドはなんとなく、スコールが言おうとしている事が判るようになった。
(…ま、この状況なら、俺でなくても判るだろうが)
欲目だったな、と自分の思考を叱りつつ、クラウドはスコールの肩に顎を乗せた。
スコールの首下が、クラウドの目の前にある。
其処がほんのりと赤らんでいる事に気付いて、クラウドはこっそりと笑って、言った。
「寒いんだ」
独り言にも近い音量で呟かれた言葉に、スコールが「え?」と聞き返す。
しかしクラウドは、それきり口を噤んで目を閉じた。
抱き締める腕の中で、とくとくと早い鼓動が鳴っている。
それは次第に速度を緩めて行くものの、恐らく常よりは早いリズムである事は変わらないままだった。
だが、温もりを嫌う筈の少年が、背中に密着した男を振り払う事はない。
抱き締める腕に、そっと冷たい手が重なる。
それを絡め取るように握ってやれば、また一つ鼓動が跳ねてるのが聞こえた。
『クラスコでほのぼのらぶらぶ』リクを頂きました。
この後、雨が止んでも中々出発しないと思われる。
ラグナ←レオンの現代ものです。二人の間に血縁関係はありません。
誰にも心を預けないように、誰にも寄り掛からないように生きて来たつもりだ。
それが、邪魔にしかならない存在である自分の、精一杯の他者への気遣いだから。
物心がついて間もなく、両親が離婚した。
一人息子だった自分の行先について、両親が延々と言い争っていた事を覚えている。
幼い耳に聞こえてきたのは、どちらが引き取るか、と言う言葉ではなく、貴方がお前が引き取れと言うもの。
何が原因で両親が離婚に至ったのかは、今となっても判らない。
ただ何となく、自分が原因だったのではないかと感じ、それを否定する者もいなかったから、きっとそれで正解なのだろうと自己完結した。
押し付け合いは決着を着かず、一先ずは母の下に引き取られる事となったが、母子の暮らしは長くは続かなかった。
夏の暑い日、大きな駅に連れて行かれ、母は此処で待っていなさいと言って、何処かに行った。
母の背が遠退くのを見詰めながら、ああ自分はやっぱり要らない子だったんだと知るまで、それ程時間はかからなかった。
駅の待合ベンチに子供が一人、いつまで経っても其処から動かないとなれば、流石に周りも怪しむ。
駅員が来てお父さんは?お母さんは?と聞いたので、初めは母に言われた言葉を繰り返し、母を待っている子供を演じ続けていたが、判っていた。
母は自分を迎えに来る事はない、母にとって自分は要らない存在なのだと。
何時間が経っても迎えが来ないのだから、駅員も流石に察したのだろう、やがて警察がやって来た。
母は息子に、身分証明になるものは一つも持たせず、三日分の着替えと水筒とお菓子だけをリュックに詰めて背負わせていた。
子供がそれ以外に持っていたのは、自分の名前一つだけ。
行く宛てのない子供は、養護施設に入る事になった。
同じような境遇の子供達が集められた中、彼は少しだけ、異質だった。
頭が良く、よく気が付く性格で、甘え下手だが年下をあやすのは上手かった。
そんな子供を引き取りたいと言う大人は数知れなかったが、子供は一度として首を縦には振らず、かと言って施設で過ごす事に執着している訳でもない。
彼が目指していたのは、一刻も早く自立する事で、一人で生きる術を身に付ける事。
率先して施設員の手伝いを買って出ていたのは、少しでも早く、自分一人で生活する術を得る為であった。
彼は、誰にも心を許していなかった。
優しい職員にも、懐いてくれる年下の子供達にも、誰にも。
それは、彼自身が、“要らない子”として生まれた自分に課した、二度と捨てられない為の防衛手段であった。
────それでも、やっぱり。
意識していない心の深い場所では、寂しかったのだろう、と他人事のように自分の胸中を分析する。
大人数でわいわいと飲むのが好きだと言う彼が、自分を酒宴に誘う時は、決まって静かなバーを選ぶ。
それは、人が多いのが苦手だと零した自分の愚痴を覚えていて、こっそり気遣ってくれているからだ。
気にしなくて良いのに、と言っても、彼は「俺がお前と飲みたいの」と言って笑う。
その笑顔が、少しずつ少しずつ、甘い果実酒の杯を重ねるように、レオンの内側に沁み込んで残って行く。
今日もまた、ラグナはレオンを連れてバーに入った。
出張先のホテルの地下一階に設けられた、ダウンライトに照らされたシックな空間で、二人静かにグラスを傾ける。
「んでさぁ、スコールも試験前で忙しいだろうから、俺が代わりに部屋の掃除してやろうと思って」
愛する一人息子について語るラグナの顔は、熟れた林檎のように赤い。
すっかり酔いが回っている横顔を眺めながら、レオンはくすりと小さく笑って、
「掃除をしたら、後でしこたま怒られた、と」
「そうなんだよぉ。勝手に俺の部屋に入ったな!?って」
ありがとうって言って貰えると思ったのに、とさめざめと泣くラグナ。
ラグナの愛息子であるスコールを、レオンはよく知っていた。
出逢った頃には、まだランドセルを背負っていた子供は、今では思春期真っ盛りの高校生になっている。
父に対して厳しい態度を取る事が増え、息子を溺愛して止まないラグナは、度々寂しい寂しいと言って泣いていた。
とは言え、スコールが父を本気で毛嫌いしているかと言えば、そうではない。
父には素直に言えない事も、兄代わりのように接しているレオンには零せるようで、気難しい少年の本音はそんな所にぽろりと出て来る。
今日の議題についても、スコールは「一応、感謝はしてる…」とレオンに伝えており、試験期間が終わったら、出張から帰った父の為に好きな料理を作ってやると言っていた。
これを伝えればラグナが泣く事もないのだろうが、言うとまたスコールが恥ずかしがって怒ってしまい、料理も作らなくなってしまうのが予想に難くないので、レオンは口が堅い男を守っている。
その後もラグナは、泣いたと思ったら笑い、惚気話を思わせるような表情で、息子について語り続けた。
しっかり者に育ってくれて嬉しい、でも偶には昔に見たいにパパ~って呼んで甘えて欲しい。
最近は段々レインにも似て来て……と語るラグナに、レオンは相槌を打ちながら、聞き手に終始した。
グラスの中を何度目かの空にして、そろそろ頃合いか、とレオンはバーのマスターを呼ぶ。
「会計を」
「かしこまりました。少々お待ちを」
「え~?もう終わりかぁ?」
まだ飲みたい、と言うより、まだ喋りたい、と言う表情でレオンを見るラグナ。
殆どテーブルに突っ伏し、上目遣いでねだる彼の顔は、すっかり赤らみ、眦も緩んでいる。
「駄目ですよ。明日の朝も早いんだから、この辺りでお開きにしないと、起きられなくなります」
「俺は平気だよ~。レオンがいつも起こしてくれるもんなっ」
「その為にも、お開きで。俺もあまり酒には強くないって知ってるでしょう?」
起きて下さい、と肩を揺すり、ラグナはようやく渋々と起き上がった。
マスターが差し出した伝票を見て、レオンは足下に置いていた鞄から財布を取り出す。
と、その間に、ラグナが背広のポケットから財布を取り出し、紙幣をマスターに渡していた。
「あ、ちょ……」
「ん?あ~、いいからいいから」
「でも、」
「俺の方が年上なんだし。じょーしだし。遠慮せずに甘えなさい!」
言いながら、ラグナはマスターから釣銭を受け取り、財布をしまう。
ごちそーさま!と無邪気に笑って店を出て行く彼を、レオンも追った。
エレベーターへ向かうラグナの足取りは、ふらふらと踊っていて危なっかしい。
通路に人気がないのが幸いだ、と思いつつ、レオンはラグナの背を追いながら言った。
「あの、ラグナさん。飲み代、俺も出します」
「いーっていーって。気にすんなって」
「……でも……」
どうにも気が引けて、レオンは口籠る。
エレベーターの扉が開いて、二人で箱の中に乗る。
何階だっけ、と訊ねるラグナに代わり、レオンが部屋のあるフロアのボタンを押した。
唐突に、レオンは甘えるのヘタだなぁ、とラグナが言った。
昔からそう言われます、と返せば、そうだろうなあ、とラグナは笑う。
莫迦にしている訳ではない、そうした意図はラグナの声には微塵もなく、純粋に思った事を呟いただけだろう。
そして、もっと甘えって良いんだぞ、と言って、ラグナがレオンの頭を撫でるのが、お決まりの流れだった。
くしゃりと頭を撫でられた所で、エレベーターが停止する。
エレベーターからそう遠くないツインの部屋に入ると、ラグナは真っ直ぐベッドに向かって倒れ込んだ。
「あー、なんかきもちいー」
「上着、脱がないと皺になりますよ」
良い具合にアルコールが回っているのだろう、幸せそうなラグナに、レオンは忠告する。
が、そのまま反応しなくなったラグナに、やれやれ、と溜息を吐いて、レオンはベッドに近付いた。
「ほら、上着脱いで。明日も着るんですから」
「んぁ~」
「ネクタイも。楽にしておいた方が良いですよ」
言いながら、レオンはラグナのジャケットを脱がせる。
全く、と言いながら、脱がせたそれをハンガーにかけていると、
「レオンは、世話焼きだなぁ」
「……否定はしません」
「いい嫁さんになるなー」
ふわふわと楽しそうな声には、他意は感じられなかった。
エレベーターで会話をしていた時と同じで、思った事が口を突いて出ただけだろう。
レオンも上着を脱いでハンガーにかけ、ネクタイの結びを緩めながら、ラグナの下に戻る。
「俺は男ですよ」
「あはは、そうだった。───そういやレオン、お前、結婚とかしねえの?」
「…藪から棒ですね」
レオンはそう言ったが、自身の年齢を考えれば、何処かで出る話題であったと言える。
二十代の半ばで、仕事は順調、社交性も決して低くはないレオンだから、社内の女性達からは頗る人気である。
バレンタインデー等は箱単位のチョコレートを貰うし、積極的な女性から食事に誘われる事も少なくない。
が、レオンはそれらを受け流してばかりで、バレンタイン等は全員に平等のお返しを配る程だから、社内に特に気になる女性はいないと思われていた───実際、その通りである。
そもそも、レオンに結婚であるとか、恋人を作る意識があるかと言われれば、否だ。
レオンは誰にも寄り掛かるつもりはないし、誰かの心の中に居場所を作るつもりもない。
そうする事は許されない人間なのだと、レオン自身が思っていた。
レオンの表情が微かに影を深めている事に、ラグナは気付かない。
なあ、と無邪気に見上げて問うラグナに、レオンは喉奥に詰まった物をゆっくりと吐き出すように息を吐き、
「当面、予定はありません。相手もいないし」
「なんで?勿体ないな。俺ならお前みたいないい男、ほっとかないのになぁ」
ああ、高見の花って思われてるとか?
そんな事を言う相変わらずの上司に、高嶺の花です、そんな大層なものじゃありません、と言った後、────ぎしり、とベッドが軋む音が鳴る。
暗く深い蒼灰色と、宝石のような眩しい碧が、ごく近い距離で交差して、
「そんなに言ってくれるのなら、貴方が俺を貰ってくれますか?」
しっとりとした唇に、何処か歪な笑みを浮かべて、レオンは言った。
細められた眦が、獲物を吟味する猫のように、見上げる男を見詰めている。
ゆっくりと近付いて来る青年の顔を見詰めて、あれ、とラグナは瞬きを繰り返す。
普段、彼との物理的距離はあってないようなもの───だが、それはラグナがスキンシップを好むからだ。
レオンの方はと言うと、自ら他人に触れる事は勿論、近付く事もせず、しかし他人行儀にはならない微妙な距離感を保っているのが常であった。
ラグナに対してだけは、繰り返されるスキンシップの中で慣れたのか、比較的近い距離を許してくれるようになったが、それでもレオンから訳もなく近付いて来る事はない。
ふ、とアルコールの匂いが、ラグナの鼻腔をくすぐった。
近付く蒼灰色の宝玉は、綺麗な筈なのに、何か薄暗いものを滲ませているように見えて、ラグナは密かに息を飲む。
「貴方は、俺を、」
鼓膜を震わせた声に、ラグナの意識が戻る。
眠っていた訳でもないのに、白昼夢でも見ていたような、そんな気分だった。
改めて眼前の青年との距離感に気付いて、目を瞠る。
「え、あ、…おぉ?」
「………」
「れ、れおん、くん?」
名前を呼ぶと、ぴたり、と近付く蒼が止まった。
ラグナは、どくどくと心臓の音が煩く打ち鳴るのを聞きながら、じっと青年の挙動を見守る。
それから幾許か、数秒か、数分か────判然としない時間が経った後、す、と蒼が瞼の下に隠れ、
「なんて顔してるんですか」
くすくすと笑う声に、ラグナはぱちくりと瞬きを一つ。
離れて行く顔を目線で追ってみれば、レオンはすっくと立ち上がり、悪戯が成功した子供のように口角を上げて笑っていた。
「本気にしましたか?冗談ですよ」
「あ……うん、そう、だな。そうだよな」
「驚きました?」
「そりゃまぁ。なんつーか、らしくない冗談って感じだったし」
「そうですね……結構酔ってるのかも知れません」
言いながら、レオンはアメニティのグラス二つを持って洗面所に入り、浄水を注ぐ。
部屋に戻って、グラスの一つをラグナに差し出すと、ラグナは呆けた表情のままでそれを受け取った。
ちびちびとグラスを傾けるラグナの目が、伺うようにレオンに向かう。
レオンはそれに気付かない振りをして、自分のグラスを空にした。
「じゃあ、俺、先にシャワー頂きますね」
「あー……って、酔ってるのに大丈夫か?」
「直ぐに出ますから」
何かあったら直ぐに呼べよ、と言うラグナの言葉に頷いて、レオンは風呂場へ向かう。
脱いだ服を乱雑に籠に入れて、微かに冷えた空気に支配された浴室に入る。
シャワーの温度を確かめずにコックを捻ると、水とも湯とも言えない温度の雨が降り出した。
高い位置に設置されたシャワーから降り注ぐ雨を、レオンは頭から受け止める。
不精に伸ばしていた前髪が、額に、頬に張り付いて、水滴がレオンの頬から顎へ伝って落ちて行く。
────酔っていたのか否かと聞かれれば、酔っていた。
では、自分の行動に抑制が効かない程に酩酊していたのかと聞かれれば、そうではない。
意識ははっきりしているし、自分が何をしているのか、何を言っているのかも判っていた。
だから、「冗談です」と言って離れる事が出来た。
肩から背中に流れ落ちて行く水は、体温よりも低い所為で、表記されている温度よりも冷たく感じられた。
だが、今はそれが心地良い。
(……馬鹿な事をした)
間近で見た透明な碧を思い出しながら、レオンは独り言ちる。
呆けた貌で、信じられない物を見る目で此方を見詰める男の顔が、脳裏に浮かぶ。
(俺は、あの人の幸せを壊したいのか?)
彼がどんな人なのか知っている。
彼が、どんなに家族を愛しているのか知っている。
そんな彼の幸せを、自分なんかが壊して良い訳がない。
それは判り切っている事だった。
だから、どんなに彼と繋がる事を望んでも、その願いは決して口にしてはいけない。
危うく禁忌を破る所だった、と自身の行動を後悔しながら、─────それでも、と思う。
(……振り払われなかった)
あんなに距離を近付けても、押し退けられなかった事が、レオンの胸を微かに温かくさせていた。
単に、彼が驚いて身動きできなかっただけだと判っていても、嬉しかった。
(……それに)
レオンの脳裏に、ラグナの言葉が蘇る。
『俺ならお前みたいないい男、ほっとかないのになぁ』
(あんたがそう言ってくれるだけで、俺は、)
幸せを望んでも良いんじゃないかと、そう思えるだけで、幸せになれるんだ。
ラグナ×レオンで不倫ネタを頂いたので。
不倫ネタから始まった筈なのに、設定広げてる間にレオンさんの切ない大人の片恋物語になったので、その片鱗を書き散らしてみた。
段々日常でこんなモーションかけるようになって、ラグナに露骨に拒否されない事だけに幸せを感じてたら、ラグナもレオンを気にし始めて、レオンの方が怖くなって逃げ出したりとか。そんな話でした。
しっかり者で通してるレオンが誰かに甘える図が可愛い。
あと、頭からシャワー被ってぼんやり考え込んでるレオンは色っぽい。
国際社会に復帰して以来、エスタの大統領は世界各国に引っ張りだこになっている。
元敵国であったガルバディアへも外交の窓口は開いており、頻繁に来国していた。
その際、未だ混乱の多いガルバディア軍は勿論、今も地下で政府打倒を目論んでいるレジスタンスと、不安要素が拭えない為、特別編成の警護チームが作られている。
その編成が“特別”とされる最たる所は、やはり、先達ての魔女戦争の“英雄”が含められている事に尽きるだろう。
魔女戦争の“英雄”ことスコール・レオンハートは、専ら大統領の近衛警備に当てられている。
一時の休憩時間や公的な会談の場を除き、常にエスタ大統領ラグナ・レウァールに最も近い場所にいるのだ。
各々の打ち合わせの為、一時離れる時であっても、直ぐに互いの連絡が取れるように専用の通信機を持ち歩いている。
この通信機はラグナが持つ方に特殊なGPSが組み込まれており、スコールの持つ通信機からその場所が割り出す事が出来る。
止むを得ず離れなければならない時、万が一を考えて、スコールがラグナに持たせたものだった。
─────のだが、その通信機は、現在の所、専らスコールの想像の斜め上の使われ方をしている。
ラグナが特別編成の警護チームと共に、ガルバディアの首都デリングシティに来て、今日で三日目。
ラグナが午後の打ち合わせの為、限られた官僚とエスタ兵の護衛を連れてホテルの部屋に引き籠った後、スコールも同様に打ち合わせの為に別の部屋へと移動した。
午後の警備予定に関して再確認し、明日の予定についてもう一度目を通す。
今日の午前の警備中、不審な影が見られると言う情報を元に、警備プランを部分的に修正し、念の為明日の警備は増員する事が決まった。
今のガルバディア軍は、何処で何が破裂するか判らない上、それを狙うレジスタンスもあちこちで不穏な動きが増えている。
準備には念を入れておくに越した事はないのだ。
そうして、入念にチェックを繰り返した打ち合わせが終わって間もなく、スコールのジャケットの中で電子音が鳴り始めた。
ピーピーピーと言う味気ないその音に、書類をまとめていたキスティスが顔を上げた。
「あら。何かあったかしら」
「……さあ」
ポケットからシンプルな通信機を取り出して、スコールは眉根を寄せた。
通信をオンにして、直ぐに耳に当てる。
「此方レオンハート、何か────」
『スコール!打ち合わせ終わったぜ!な、まだ戻れないか?もうちょっと時間かかるか?』
ありましたか、と言うスコールの問いは、最後まで形にならなかった。
聞きなれた陽気声が通信機の向こうでスコールを呼ぶ。
ざわっと周りのSeeD達がざわめくのが判って、スコールの眉間に深い皺が刻まれた。
スコール、スコールと何度も呼ぶ声に、周囲のざわめきが益々大きくなって行く。
無理もあるまい、スコールが手にしている通信機は、非常時用の大統領との直接回線だ。
それが鳴り出し、たとなれば、警護に集められた者達が騒然とならない訳がない。
しかし、スコールは溜息を吐き、キスティスはくすくすと笑う。
全く緊張した様子のない指揮官とその補佐官に、周囲がおや、と思い始めた頃、通信機から聞こえる声が静かなものに変わった。
『すまない、スコール君。打ち合わせは終わったかな』
「はい」
『では、至急此方へ来て貰えると助かるのだが』
「……了解しました」
短い返答をして、スコールは通信を切った。
もう一度深い溜息を吐くスコールに、キスティスは咳払い一つ。
「こっちは私に任せて良いから」
「……ああ。俺はそのまま警備につくから、後は予定通りに動いてくれ」
「了解」
最低限の指示を残して、スコールは部屋を出て行く。
何かあったんですか、と問うSeeD達に、スコールは答えなかった。
会議用に使っていた部屋を出て、エレベーターを使って大統領宿泊の為に貸し切られているフロアに上る。
フロアは静かなもので、所々にエスタ兵とガルバディア兵の警備がある以外には、人の姿はない。
これを見る限り、大統領の身に危険が起きた訳ではない事が判る。
(……緊急時以外は使うなと言ってるのに……)
何度目かになる溜息を吐いて、スコールはある扉の前で止まる。
壁は熱いが、扉はそれ程でもないのだろう、その向こうから騒がしい声が聞こえていた。
それが自分の名前を連呼している事に気付いて、頬に朱が上る。
正直言って、入りたくない。
しかし、入らない訳には行かない。
腹を括るまでたっぷり十秒を使って、スコールは扉をノックした。
直後、ドタバタと騒がしい音がしたが、ドアを開けたのは想像とは違う人物だった。
厳つい顔をした、丸みのある筋肉を乗せた大きな体躯の男────ウォードを見上げて、スコールはほっと息を吐く
「大統領閣下はご無事ですか?」
「……」
一応とばかりに固い表情で問うスコールに、ウォードは大きく頷いた。
扉が大きく開けられ、入るようにと促される。
些か重い足を動かして、スコールは数十分振りに大統領の部屋へと入室した。
大統領が使う部屋とあって、上等な調度品が揃えられた部屋の中、凡そ肩書きとは程遠いラフな格好をしたラグナ・レウァールがソファに座っている。
ラグナは拗ねた貌をして其処にいたが、ウォードの翳になっていたスコールの姿が見えると、ぱっと破顔してソファを立った。
「スコール!午前の仕事、終わったぜ!」
「打ち合わせが終わっただけでしょう」
外交に出て来ている以上、国に帰るまではどんな時でも仕事中だ───とスコールは思うのだが、ラグナは気にしていない。
いや、判っていない訳ではないのだろう、彼は馬鹿な男であっても、決して愚鈍な馬鹿ではないのだから。
ラグナはスコールの下へ駆け寄ると、スコールの手を取って強く引く。
「よし、行こうぜ!」
「は?」
何処に、と言うスコールの声は、音にはならなかった。
引っ張る手に流されるままに部屋を出て行く、間際に「行ってらっしゃい」と言うキロスの声が聞こえた。
エレベーターホールでは、先に部屋を出ていたらしいピエールが、エレベーターの扉を開けて待っていた。
ラグナはさんきゅー、と言って、スコールの手を引きながらエレベーターに乗り込む。
行ってらっしゃい、とピエールは言って、エレベーターの扉が閉じた。
二人きりになった小さな箱の中で、スコールはじろりとラグナを睨む。
視線を感じてか、振り返ったラグナがへらりと笑ったのを見て、スコールは腕を掴んでいる手を振り払った。
「あー……」
振り払われた手を見下ろして、ラグナの情けない声が漏れる。
それに構わず、スコールはフロアボタンを一つ押した。
直ぐにエレベーターが止まり、扉が開く。
エレベーターから降りようとしたスコールを、ラグナの手が掴んで止めた。
「スコール、怒って、」
「着替えるだけだ」
怒ってるのか、と言うラグナの声を遮って、スコールは言った。
きょとんとした表情で、ラグナは振り返らない少年を見詰める。
「SeeD服のままじゃ目立つ」
「…あ、」
「あんたがエスタ大統領だって気付かれる。そんな格好していても」
「…ああ、うん」
草臥れたワイシャツと、スラックスと、サンダルは流石に止められたのだろう、シンプルな靴。
髪は後ろで無造作に結び、テレビで報道されているような、洗練された雰囲気はない。
それでも気付かれる人には気付かれるかも知れないが、そんなまさかな、と言う気持ちで流される事を祈る。
だと言うのに、スコールがSeeD然とした格好していては意味がない。
せめてデリングシティの街に溶け込む服装にならなければ、此処にいるのがラグナ・レウァールであると忽ち知られてしまうだろう。
「エレベーター、そのまま止めて待っててくれ」
スコールが宿泊する為に取っている───と言っても、殆ど使う予定はないが───は、エレベーターホールの直ぐ近くにある。
急げば五分もなく戻って来れる距離だろう。
早足で部屋へ向かうスコールの背中に、急がなくて良いからな、と言う声。
それに応えずに、スコールは部屋に入ると、ベッド上に投げ出していた荷物を広げた。
三分足らずでエレベーターに戻って来たスコールを見て、ラグナが嬉しそうに笑う。
再び閉じた小さな箱の中で、ラグナは赤らんだスコールの耳にキスをした。
一部の人には公認、それ以外には秘密の関係で、仕事の合間にお忍デート。
ラグナに振り回されてるだけのように見えても、案外満更でもないスコールでした。
闘争の世界なのだから、傷なんてものは逐一気にしていたらキリがない。
近距離での戦闘を自分の持ち場としていれば尚更で、迫る敵との対峙は勿論、後方に控える仲間を庇う事も少なくない。
となれば、生傷なんてものは次から次へと作られるもので、それを一つ一つ丁寧に治療していたら、あっと言う間に魔力も薬も枯渇してしまう。
だと言うのに、レオンはスコールが怪我をする度、一つ一つに丁寧に治療魔法を施して行く。
無論、擦り剥いたとか打ち身程度の傷なら気にしないが、明らかに刃が掠めた痕だとか、火傷になりかけた皮膚の炎症は、スコールが何度言っても放って置かなかった。
魔力を回復する方法は、魔法薬に頼る以外には、自然な回復を待つしかない。
ティナやルーネスのような、魔法に秀でたタイプは比較的回復が早いようだが、レオンはそうではなかった。
どちらかといえばスコールと同じ、物理戦を得意とする彼の魔力は、貴重なものである。
戦術の一部としても活躍し、時に刃ともなるその魔力は、決して無駄遣いして良いものではないのだ。
────と、何度も言っているのに、今日もまた。
「スコール」
呼ぶ声に、スコールは判り易く不機嫌な顔をして振り返ってやった。
眉間に深い皺を刻んだ少年の顔を見て、レオンはぱちりと瞬き一つしたが、それ以上は気にしない。
「さっき、脇腹をやられただろう。見せてみろ」
「……特に問題はない。放って置いて良い」
「それは確認してから判断する。ほら」
レオンはスコールの腕を捕まえて引き寄せると、シャツの裾を捲った。
うわ、と引き攣った声を上げるスコールに構わず、レオンは赤黒く擦れたスコールの脇腹を見て、目を細める。
傷を作ったのは、義士が放った闘氣をまとった矢だ。
詰めた距離から放たれたそれを、スコールは寸での所でかわしたが、氣と風圧に皮膚を持って行かれた。
戦闘に支障が出る程の傷にはならなかったので、皮膚が引き攣る感覚は無視して、戦闘を続行していたのだが、やはり激しく動けば傷は広がるものである。
じっとりと赤い色を滲ませた皮膚に、今度はレオンの眉間に深い皺が刻まれた。
レオンの右手が傷に宛がわれる。
スコールはそれから逃れようと身を捩ったが、レオンの左腕が腰に回され、しっかりと捕まえられた。
「動くな、傷が開く」
「あんたは無闇に魔法を使うな!これ位、放って置けば塞がる!」
持って行かれた皮膚の幅が大きかった所為で、見た目には酷い傷に見えるが、肉を削がれた訳でもない。
初めこそ裂かれた皮膚の痛みがあったが、それももう終わった。
赤も大方固まっており、これ以上の出血はないだろう事が伺える。
しかし、レオンにはそんな事は関係なかった。
淡い光がレオンの手の中に生まれて、スコールの傷口を覆い隠して行く。
スコールが幾ら言っても、暴れても、レオンは治療が終わるまでスコールを離そうとしなかった。
体格も筋力もレオンに劣るスコールでは、力勝負で叶う筈がないのだ。
結局、スコールが眉間に深い皺を寄せ、レオンが気が済むのを待つ事になる。
そうしてようやく解放された頃には、脇腹にあった傷は、その痕すらも残されていなかった。
「よし」
「………」
満足したように頷いて、捲っていたシャツを戻すレオン。
スコールは違和感のなくなった脇腹に手を当てて、唇を尖らせていた。
「他に傷はないな?」
「……ん」
「ん?」
問いに小さく頷いたスコールであったが、そんなスコールを、レオンはまじまじと見詰める。
「……ない」
「そうか」
スコールの言葉を、信じているのか、いないのか。
読めない表情でレオンは頷いて、スコールに背を向け、歩き出す。
スコールは、レオンの背中を見詰めて歩いていた。
レオンは、後ろをついて来る気配には気付いているのだろうに、時折確認するように後ろを振り返ってスコールを見た。
まるで、小さな子供が迷子になってしまわないように確かめているようで、スコールは益々不機嫌になる。
レオンは、いつでもこんな調子だった。
彼の方が年上で、精神的にも余裕があるのは仕方がないとしよう────納得は出来ないが。
だが、だからと言って、あからさまに子供扱いされるのは、スコールのプライドが許さなかった。
「……レオン」
いい加減に、言ってやらねばなるまい。
そう思ったスコールが、遂に行動に移したのだから、レオンの此の行動は本当に長い間続いていた事が伺える。
呼ばれて振り返ったレオンが足を止めたので、スコールも立ち止まった。
どうした、と問い掛けるレオンの声は、心配の色が滲んでいる。
やはり何処か痛めていたのか、とでも言い出しそうな男を、スコールは眦を尖らせて睨む。
「いちいちこっちを振り返るな」
「…唐突だな」
「それと、俺が怪我をしたからって、一々治しに来るな」
固い口調で言ったスコールに、レオンの眉間に皺が寄せられる。
不機嫌な顔をした者同士で睨み合う。
いや、レオンは特に睨んでいるつもりはないだろう、眉間の皺とスコールの思い込みの所為でそう見えるだけだ。
そうして向き合っていると、お前らやっぱりよく似てるなー、と揶揄いに来るジタンとバッツは、今日はいない。
「俺は、あんたが思ってる程子供じゃない。あいつらと違って逸れる事もないし、少し傷を放って置いたって何ともない」
「………」
「だから、一々俺なんかに、魔力の無駄遣いとか、するな」
小さな女子供ではないのだと、スコールは言った。
傷一つで泣く事もないし、道に迷ったからと言って立ち尽くして泣き出す程幼くもない。
自分がするべき事も、その為になにをすべきかと言う事も、何を優先するべきかも、スコールは判っている。
それなのに、それらをまるで無視して子供扱いするレオンには、いい加減に業が煮える気分だった。
────が、レオンはしばらくきょとんとした表情を浮かべた後、
「……別に、そんなつもりはなかったんだが」
眉尻を下げ、スコールと同じ濃茶色の長い髪を掻いて呟いた。
蒼の瞳が言葉を探すように彷徨い、数秒の間が開く。
「お前は、放って置くと傷を隠すから、早い内に治した方が良いと思ったんだ」
「深い傷なら自分でちゃんと治療する」
「…悪いが、お前のその言葉は信用ならないな」
直ぐに意地を張るから、と苦笑して言うレオンに、スコールの眉間に深い皺が浮かぶ。
また子供扱いだ、と不機嫌を深めるスコールだったが、
「それに、俺が確かめたいんだ。お前の身体に、俺以外の痕はないんだって事を」
スコールの身体に刻まれる“痕”────それが傷痕であれ、何であれ、レオンは許せなかった。
日焼けを知らない白い肌は、痕が残ると殊更目立つ。
腫れて赤くなるのも、血の巡りが悪くなって内出血を起こすのも、実際の傷以上に際立って見える。
此処は闘争の世界で、スコールは傭兵なのだから、傷などあって当たり前のものであり、スコールの言う通り、一々気に留める方がどうかしていると言えるだろう。
それでも、レオンは許せなかったのだ。
額に刻まれた傷は仕方がないとして(自分にも同様のものもあるし)、他はどうしても許容する事が出来ない。
「お前の身体に、俺以外が触れた痕跡なんていらないから」
レオンの持ち上げた手が、指が、スコールの首筋を撫でる。
ジャケットのファーで見え隠れする微妙な位置に、赤い華が咲いている事を、スコールは知らない。
そして首の後ろには、微かに噛み付いた痕が残っている事も、彼は知らない。
レオンの言葉の意味を判じ兼ねたのだろう、スコールはぽかんとした表情でレオンを見上げていた。
そんなスコールの額に、レオンは徐に唇を寄せる。
ちゅ、と言う小さな音が聞こえて、スコールはようやく我に返った。
「ちょ……あんた、何して」
「……くく、」
「なんで笑ってるんだ」
睨むスコールを交わすように、レオンはくるりと踵を返す。
先を歩きだしたレオンに、スコールは眉間に深い皺を寄せて、後を追って歩き出した。
前を歩きながら、レオンは振り返らずに言う。
「スコール。俺は別に、お前を子供扱いしてはいないぞ」
「…嘘吐け」
「本当だ。嘘なら、あんな事をする筈がないだろう」
────あんな事。
何とは明言されていないその言葉に、スコールの顔が思わず赤くなる。
それを読んだように肩越しに振り返った蒼が、「何を思い出したんだ?」と笑って問うから、スコールの不機嫌は益々増した。
逐一スコールの傷を治すレオンを書いてみたら、過保護と独占欲まみれになった。
でもスコールの方も満更でもない。