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2019年08月
エスタ大統領がバラムガーデンを公式訪問したのは、公的教育機関の視察の為だった。
エスタにも学校と言うものは勿論存在しており、機関としての責務も十分に果たしてはいるが、長い間同じ体制での教育形態を続けているので、マンネリ化とでも言うのか、そうした問題も起こっていると言う。
所謂学級崩壊だとか言われるような大きな社会問題こそ起きていないものの、教育内容の見直し等は考えられており、しかし鎖国していたが故に新たなモデル形態も見付からなかった為、長く先延ばしにされていた。
其処へ魔女戦争の終結と共にエスタの開国となり、これからはエスタも変わって行かなければならない、とした宣言した上で、ラグナは各国の様々な公的機関の視察を行っている。
バラムガーデンは傭兵を育成する為に創られたものだが、その根幹は普通の学校と差して変わらない。
まだ幼児と呼ばれる年齢の幼年クラスから、国際的に成人として扱われるようになる20歳までの、エスカレーター式の一貫校である。
最終目標はSeeDとなる事、ではあるものの、中にはSeeDになる事を諦めて(或いは忘れて)自分の趣味趣向に邁進したり、別の道を見付けて方向転換する者もいる。
勿論、そうした少年少女たちに対してもバラムガーデンは何らかの標を用意するようにと努めており、SeeDにはなれなかったもののフリーランスの傭兵として活動したり、何処かの街にある工場に就職したり、新進気鋭の会社を立ち上げて独立を図る者にも様々な伝手を紹介したりと、某かの形で若者達を応援していた。
時にはガーデンで培った知識や技術を悪用する者も出て来る為、そう言った時にはガーデンや勤める大人達が槍玉に上げられる事もあるが、そう言った問題は何処の国、何処の機関であっても、起これば当然問題視される事である。
そう言った事件が起きない事が最も良いのだが、如何せん、人の心とは移ろいやすく愚かなもので、難しい事だ。
ガーデンは教育機関である為、こうした事件が起きないよう、“傭兵”を育成する為の場所でありながらも、道徳や倫理の授業もカリキュラムに加えられている。
それ故に相反した教育内容にぶつかる事で、SeeDを目指す事、傭兵になると言う事に疑問を持つ生徒も出て来る。
バラムガーデンの学園長であり、ガーデンと言う形態の創始者であるシド・クレイマーは、それもまた一つの道であるとして、ガーデンに入学したからと頑なにSeeDを目指す必要はない、と言った。
────きっと教育者として正しい言葉なのだろうけれど、スコールは酷く上滑りした言葉のように聞こえたが、それは彼一人の胸中に秘されるのみである。
エスタ大統領が視察に来た訳であるから、スコールはその護衛として彼に付き添っていた。
平時はガーデン内を私服で過ごす所を、要人警護の一環であるとする為、SeeD服を着ているので完全に任務モードだ。
そんなスコールと、此方もまた一応公的な視察であるからと、スーツを着たラグナが並んで歩いている。
其処から一歩下がった所に、エスタ高官の独特の衣装を身にまとったキロスとウォードがいた。
最近はエスタならば見慣れた並びであるが、バラムでは初めての事である。
ガーデンの日常を崩さない為にと、生徒の授業がある平日に行われた視察であったが、任務帰りのSeeDであったり、サボタージュの生徒であったり、午後の授業のない年少クラスであったりと、廊下を歩く人目が全くない訳ではない。
普段は執務室に籠り切りになり勝ちなスコールが付き添っている事も含めて、四人は非常に目立っていた。
目立つ事は嫌いなスコールだが、指揮官としてあちこちに連れ出されるようになった所為で、多少は慣れた────と言うよりも諦めた。
下手なパーティとは違い、こう言った警護任務の最中なら、自分から喋る必要もないので、黙って時間が過ぎるのを待てば良い。
……のだが、今日は流石に終始沈黙している訳にも行かない。
初めてバラムガーデンを訪れたラグナに、校内施設の説明をしなくてはならないからだ。
こう言う事はキスティスかセルフィが向いている、と思うのだが、生憎どちらも任務で出ている。
ロビーから順に時計回りに施設を巡り案内し、一周して戻って来た所で、やっと終わった、とスコールは聊か疲れた表情で安堵した。
「……以上が、バラムガーデン全体の説明になります。何か他に気になる所はありますか?」
「うーん……」
スコールの確認に、ラグナは案内板を見ながら唸る。
目を細めながら記載されている文字を睨むのを見て、老眼か、とスコールはこっそりと思った。
眼鏡は手元に用意していなかったのか、ラグナは眉間に皺を寄せつつ、案内板を一頻り眺め、
「図書室ってさ、本の貸し出しもやってる?」
「はい」
「ガーデンの生徒じゃなくても、貸し出しして貰えるのか?」
「身元の証明がはっきりとしていれば、可能です。ガーデンの外への持ち出しは、生徒のみですが」
「そっかそっか。じゃあ何か借りて、このガーデンの中で読む分には構わないんだ。食堂とかに持って行っても良いんだよな?」
ラグナの言葉にスコールが頷くと、ラグナは嬉しそうに目を細めた。
そう言えば、ラグナは元々はジャーナリストを目指していたし、雑誌への寄稿もよく行っていた。
エスタに辿り着いてからは、様々な事情が絡み合い、色々なものを諦めざるを得なかったラグナだが、旅した景色の記憶は褪せていないのだろう。
エスタの大統領官邸には、エスタで流通している様々な本が集められており、その多くがラグナが私物として買い集めた本だと聞いた。
鎖国していたと言う背景もあり、殆どがエスタ国内、エスタ大陸にある風景に限定されてはいたものの、街の中からだけでは見えない景色と言うものに、ラグナの心が憧れていた事は想像に難くない。
ラグナは本の虫ではないが、外に出られない分、こう行った情報を追う欲は反動のように大きくなって行ったのかも知れない。
バラムガーデンにはエスタにはない本もあるだろうし、それを見て見たい、と思ったのかも知れない。
「図書室は夜間以外は出入り自由です。流石に、大統領が行かれるのであれば、念の為に司書に確認を取ってからと言う形にはなりますが……」
「ああ、うんうん。それはしゃーないもんな。後で一回行きたいから、その時に頼んで良いか?」
「了解しました」
後で、と言う事は、今すぐには行かなくて良いと言う事か。
とは言え、行きたいからと言うそのタイミングに司書に伝えるのでは遅いので、事前に連絡だけでもしておくか、とスコールが考えていると、
「その前にさ、寮をもう一回見たいんだけど、良いか?」
「はい」
「あと、お前の部屋も見たい」
「は……、」
流れを惰性でスルーしそうになって、スコールは寸での所で留まった。
何を言い出すのか、とラグナの貌を見れば、にこにこと楽しそうだ。
「学生寮って言うの、俺は初めてでさ。エスタにもそう言うのを作ってる学校はあるんだけど、こっちの寮はどうなってうんだろうと思って」
「……は、あ……」
「寮の中って言うか、部屋の中って言うか。そう言う所って、やっぱり生徒の生活環境として大事な所だろ?エスタの学生寮はさ、飯とかが携帯食みたいなのだったり、栄養補助食品みたいなのも多くて、こう、あんまり生活感がないって言うか。エスタは割と何処でもそんな感じもあるんだけど。でも、他の国はそうじゃないだろ?食育ってのも大事だし、教えることはそりゃカリキュラムあれば出来るけど、その後の意識とかは自分であれこれしたりって言うのは、環境がないとだし、蔑ろにしちまう事も多いだろうし」
「……」
「此処は大きな食堂があるから、その辺は大丈夫な気もするけど。あそこのおばちゃん達も良い人達だったしな!後は、えーと、そうそう、やっぱり学校なんだし、勉強に集中できる造りなのかとか、それとももっと皆とワイワイしてられるのかなとか……」
早口で喋るラグナに、何処かしら言い訳めいた雰囲気を感じたスコールであったが、彼の言っている事は的を射ている部分もある。
寮はガーデンに在籍する生徒達にとって家であり、スコールも含め、生徒達の生活のあらゆる場面に根付いている。
寝起きをするのは寮の部屋だし、食堂はあるが一人で食事をしたい者は此処で食べるし、課題をするのも此処だ。
SeeDになれば個室が与えられるが、候補生までは共同生活であるし、それでもきちんと個々の生活が回るようにと配慮して作られている。
公的教育機関の視察に来た大統領が、そのモデルケースを増やす為にも、しっかりと見れる所は見て置きたい、と思うのは当然か。
「……それなら、確か空き部屋があったと思うので、其方を」
「んあっ。いや、それはちょっとなぁ……」
スコールの言葉に、ラグナは微妙な反応を返す。
何か不都合でも、とスコールが視線で問えば、
「空き部屋って、誰も其処にいないんだろ?それだとちょっと、こう、生活してる気配がないだろ。それよりもうちょっと具体的な雰囲気が知りたいなと思って」
「………」
確かに、空き部屋は誰も使っていないので、生活臭は全くない。
しかし、誰かに自分の部屋を見せてくれなんて言われて、そう簡単にはいどうぞと見せられる者は少ないだろう。
ガーデンの生徒の多くは思春期の真っ只中であるから、色々と他人に見られたくない物だって転がっている。
自分の親でもいざ知らず、況してや他国の大統領にそんなものを見付けられるかも知れないなんて、絶対に嫌だ。
自分の部屋に他人を上げる事を厭うのは、スコールも同じだ。
幼馴染の面々は遠慮なしに入って来るが、それはスコールが少なからず気を許している事と、彼等がスコールの地雷を踏まない場所を弁えているからだ。
しかし、大統領のこの要請に対し、誰に許可を求めるでもなく応じる事が出来るとすれば、スコール自身の部屋を使うしかない。
仕方ないか────と仕事として割り切り始めた所で、
「それに、なあ。見て見たいんだよな、お前がいつも過ごしている部屋っての」
ぽつりと零したラグナの言葉は、独り言だったのかも知れない。
そうでなければ、意地の悪い言葉だ。
声に伴う感情が、スコールだけが知る“ラグナ”の色を含んでいたのだから。
場所も時間も弁えず、じわりと熱くなる体に、スコールは素知らぬ顔をした。
大統領の視察の為だから、その要請に応えるだけだからと、そんな顔で踵を返す。
「……では、私の部屋にご案内します」
「それなら、我々は食堂で待機していますよ」
「一緒には来られないのですか?」
いそいそとスコールの後を追うラグナに対し、キロスの言葉に、スコールは向かおうとした足を止める。
見ればキロスだけでなく、ウォードも此処で別れて待機するつもりである事が判った。
「指揮官殿の私室が気にならない訳ではないが、余り他人が大勢で詰めかけるのも良くないでしょう。何か異変があれば、連絡を頂ければ直ぐに向かいます」
「…判りました。視察が終わりましたら、大統領を食堂へお送りします」
「了解しました。では、後程」
短い挨拶をして、キロスが背を向ける。
ウォードも頭を下げる仕草を見せてから、キロスと共に食堂へと向かった。
最初にラグナを案内した時と同じく、学生寮は静かなものだった。
直に午前の授業が終わり、昼休憩に入るだろうから、そうなれば多少は人の気配が増えるが、多くの生徒は食堂へと向かうだろう。
そう思うと食堂にいる二人が目立ちそうだったが、彼等ならば卒なく躱すのも難しくあるまい。
ラグナを人の輪から引き離し、ランチタイムが終わるまで、自分の部屋に隔離して置く方が安全と考えると、ラグナが寮を見たいと言い出したのは、案外丁度良かったのかも知れない。
自室に入ってラグナを招き入れると、ラグナは「おお~」と何に対してか判らない感心の声を上げて、きょろきょろと部屋を見回した。
その傍らで自分も改めて自室を見回して、物が少ないな、と思う。
普段、執務室にいるか任務に出ているかで、部屋では寝起きする位なので、どうしてもスコールの部屋は殺風景だ。
出しっぱなしの私物と言えば、仕事に使うパソコンがデスクの上にあるのと、デッキ構成中のカード、読んでいる途中の月間武器くらいのものだろうか。
後はガンブレードケースを立てかけている位のものだろう。
備え付けのキッチンに至っては、前に其処を使ったのはいつだろう、と思う程度である。
ラグナは生活の気配がある部屋を参考にしてみたかった筈なので、これでは何の参考にもならないな、と思っていると、
「ふぅん。スコールはいつも此処で生活してるんだな」
「…はい」
「奥見ても良い?」
「はい」
一応の断りを入れて許可を貰うと、ラグナはいそいそと奥へ向かう。
デスクと並ぶベッドと、少しの本棚があるだけのシンプルな部屋を見回して、デスクに備えられた端末を見付ける。
「これでいつも俺と話してる?」
これ、と端末を指差すラグナが言っているのは、依頼や情報の遣り取りをする時の話ではない。
大統領と傭兵の指揮官と言う立場を忘れ、“ラグナ”と“スコール”として話をしている時。
その時にのみスコールが使うのが、自分の部屋に備えられている、私的利用の為と使い分けた端末だった。
スコールが沈黙して応えずにいると、ラグナは何かを勝手に解釈したか、にっこりと笑って見せた。
どう言う意味だ、と表情の奥底が読み取れずに眉間に皺を寄せるスコールに構わず、ラグナはデスクチェアを引く。
すとんと腰を下ろしたらラグナは、スコールに向かって両手を広げて見せた。
「スコール」
名前を呼ぶ声に、今は仕事中だ、とスコールは無言で睨む。
しかしラグナは笑顔のままで、
「大丈夫だって」
「……」
「おいで」
誰も見ていないから、と言うラグナに、そう言う問題じゃないとスコールは思った。
今は一時の視察の為に部屋に戻って来ただけで、ラグナの気が済めばキロス達と合流しなければいけない。
そう思った所で、午後の授業が終わるチャイムが聞こえた。
まだ寮は静かなものだが、五分としない内に食堂は腹を空かせた生徒達で溢れ帰り、好奇心旺盛な彼等の目にはキロスとウォードが捕まるだろう。
もしもゼルやアーヴァインがその場にいれば、遠巻きに見ている生徒達を他所に、気安い雰囲気で声をかけるに違いない。
そんな所にスコールを伴ったラグナも合流したら、どうなる事か。
もう一度、おいで、とラグナは言った。
瞳の奥にある熱が、ゆっくりと絡み付いて来るのを感じながら、ふらりとスコールの足は歩き出した。
ほんのり狡い大人と、判っているけど拒めないし本当は欲しいスコール。
昼の休憩時間が終わってからもう少ししてから食堂に……行けたら良いね。
頭を撫でる手のを大きさを確かめる度に、彼は大人なのだと実感する。
その度に、自分はまだ子供なのだと現実を突きつけられているような気がした。
スコールが生まれた時から、その手は直ぐ傍にあった。
それはスコールの頭を撫で、手を握り、時に涙を拭ったりもしてくれた。
余りにも当たり前に近くにあるから、スコールはそれの大切さと言うものに気付くまで、随分と時間がかかったものだ。
それ程にスコールにとって、あの手は、彼と言う存在は、ごく自然に空気のように自分に寄り添うものだったのである。
彼────レオンはスコールの実兄だ。
八歳と言う年齢差の所為か、彼は弟であるスコールを、幼い頃からそれはそれは溺愛した。
溺愛していると言う点では父も同じなのだが、只管に構いたがり構われたがる父に比べると、スコールが思春期になってからは適度に距離を置きつつ過ごしてくれるので、スコールは大いに助かっている。
しかし根本的に溺愛していると言う事は変わらないので、スコールに某かの変化があると、本人よりも先に反応を示す。
そしてスコールが疲れているなら休憩を、少し荒んでいるのなら気分転換でも、とあれこれと世話を焼いてくれるのだ。
スコールもレオンの事を好いているし、頼っている。
幼い時分には引っ込み思案で、何に対しても臆病だったスコールは、レオンに手を引かれながら世界を拡げていった。
お兄ちゃんがいるなら怖くない、と言うのが幼いスコールの根底にはあって、逆に言えば、レオンがいなければ何もかもが恐ろしくて仕方がなかったのだ。
流石に成長するに従って其処までの依存はなくなったが、やはり何かあると「レオンに相談しないと…」と思う所は変わっていない。
自分に自信が持てない所も、スコールは中々克服できていないから、そう言う所を兄に背を押して貰う事で、一つ安心して一歩を踏み出す事が出来るのだ。
お互いに、距離が近過ぎる兄弟だったのだろう、とは思う。
しかし、その距離感に違和感や拒否感が生まれるかと言われると、結局はなかった。
寧ろスコールが成長するに従い、兄への信頼とは違う感情も生まれ、思慕となったそれに悩んだ事もある。
兄弟なのに、男同士なのに、とぐるぐると考えていたスコールだったが、それが兄も同じであったと知った時には、瞠目したその裏で無償の喜びを感じた。
レオンも俺と同じ事を考えている、同じ気持ちを俺に対して持っている。
そう知ってしまったスコールの感情はもう止められなくて、それまで隠さなければと押し殺していた感情は呆気なく堰を壊し、夢中になって彼を求めた。
スコールを溺愛するレオンが、そんな弟を咎められる訳もなく、また彼自身もスコールが自分に思慕を抱いていた事に喜びを感じていた。
それから二人は、兄弟であり、恋人と言う関係になった。
父にも秘密にしている関係を、少し後ろ暗く思う事もない訳ではないけれど、それよりもレオンと繋がり合える幸福がスコールには大事だった。
ただ、いつか父には打ち明けなければいけない、と言う気持ちもある。
それがいつになるのかは、まだ目途も立っていない。
だから、二人が供に褥で過ごせる時間と言うのは限られていた。
今日はラグナが朝早くから海外出張に出ており、帰って来るのは来週となっている。
日々の触れ合いはさり気無く交わしてはいるが、濃密な時間と言うものは久しぶりで、スコールは風呂上がりに直ぐにレオンに甘えた。
レオンも判っていたようで、スコールを寝室に促した後は、手早くシャワーだけを済ませて戻ってくる。
そうして久しぶりの熱の共有を果たして、
「……っは……ふう……」
背中に艶を孕んだ声を混じらせた吐息が落ちて来るのを、スコールは熱に浮かされた頭でぼんやりと聞いた。
腹の奥がどくどくと熱いもので支配されているのを感じて、スコールの表情はうっとりと蕩けている。
レオンはそんなスコールの項に顔を寄せて、柔らかく唇を押し当てた。
奥まで納められていたものがゆっくりと引き抜かれて行く。
無意識にまだ熱を欲しがった穴が、きゅう、と締め付けてレオンに縋って誘うが、これ以上は、とレオンは自制した。
久しぶりの夜でもっと一つになっていたい気持ちもあるけれど、明日は平日で、スコールは学校があるし、レオンも仕事に行かなければならない。
別に一日くらいサボっても良い、と頭の隅で悪魔が囁くが、別に今晩焦らなくても良いんだと理性の振りをした本能が諭す。
俯せになっているスコールの頭を、レオンの手がゆっくりと撫でる。
子猫をあやすように優しい触れ方をするその手に、スコールは柔らかく目を細めた。
「…ん……」
「辛かったか?」
「……ん……」
訊ねる声に、スコールはゆるゆると首を横に振った。
重ね合う事は確かに疲れるし、時には痛いし、快感が大きすぎて怖いと思う事もある。
それらを辛いと言えば辛いのだろうけれど、それよりも、彼が中に出してくれた時の得も言われぬ充足感がスコールは好きだった。
生まれた時からスコールはレオンに手を引かれ、彼のいる世界で生きて来たけれど、中に出して貰うと、内側まで彼の色で染められているようで安心するのだ。
頭を撫でていた手が移動して、スコールの火照った頬を撫でる。
心地良いその感触にもっと浸っていたくて、スコールはまだ撫でて、と言うように頭を横に向けた。
差し出すように見せた頬を、心得ているレオンの手がひたりと触れて、指が優しく滑って行く。
「風呂に入らないとな……」
「……面倒くさい……」
「言うと思った」
くつくつと笑って、レオンの手が離れる。
後を追うようにスコールが手を伸ばすと、レオンは子供をあやすようにその手を握り、直ぐに離した。
起き上がる事は愚か、寝返りもしたくないとベッドに沈んでいる弟を、レオンは横抱きにして抱き上げる。
スコールは抵抗する事もなく、レオンの腕に体を委ねていた。
こうしていれば、何もかもレオンが済ませてくれるから、いつも甘えている。
バスルームに移動して、レオンはスコールの体を洗い始めた。
胡坐を掻いた膝の上にスコールを座らせ、ボディソープを泡立てた手で、スコールの躰を撫でていく。
性的な触れ合いをしている時とは違い、少しくすぐったい感触に、スコールは時々身を捩った。
「んぅ……」
「こら、動くな」
「…くすぐったいんだ」
「我慢しろ」
ぴしゃりと言うレオンに、スコールは唇を尖らせる。
そんな弟に構わず、レオンは手早くスコールの躰を清めて行った。
シャワーでスコールの体の泡を流した後、レオンはスコールを抱えて湯舟に入った。
ふう、と言うレオンの吐息が、スコールの耳元にかかる。
その感触が、ついさっきまで聞いていた、耳元で名を呼ばれていた時にも感じていたものとよく似ていて、スコールの貌がこっそりと赤くなる。
「……うん?どうした、スコール」
「……別に……」
「そうか?」
そうは見えないが、と言いながら、レオンはスコールのしっとりと濡れた髪を撫でる。
相変わらず目敏い、と些細な変化を見逃さない兄に、何処をどう見ているのだろうと不思議な気持ちを隠しつつ、スコールはレオンの胸に寄り掛かった。
体を洗っていた時と同じように、スコールはレオンの膝の上に座っている。
幼い頃は、体格の差もあって、よくこうして甘やかされていたものだった。
もうスコールはあの頃のような子供ではないし、レオンも流石にそれが判らない訳ではないけれど、でもこれは幼い頃の距離感とは意味が違う。
恋人同士の、体を繋げあった後の、緩やかで甘い営みの一つ。
そう思うと、それはそれでスコールには恥ずかしいものがあるのだけれど、
「スコール」
「……なんだ」
「いや、なんでも」
呼ぶ声に返事をすれば、嬉しそうな声と、頬を撫でる手が返される。
レオンは、ふとすればスコールのことを撫でている。
それは頭であったり、頬であったり、彼にしか許していない場所であったりする。
基本的にスコールは誰かに触れられる事そのものが好きではないのだが、レオンの大きな手は昔から安心できるものだった。
幼い頃は自分よりもずっと大きく、今でも一回りは差のある、大きな手。
それが自分と彼の、比喩も含めた器の大きさの違いを示しているようで、コンプレックスに感じる事もあった。
この手と同じ大きさになれたら、彼の隣に並ぶに相応しい者になれるのではないか────と、そんな夢を見た事もある。
けれど今は、この手に包まれていられる事だけで、スコールは幸せになれる。
────寝るなよ、と言う声を聴きながら、スコールはゆっくりと目を閉じる。
撫でる手の大きさが、体温が、鼓動がこれからも離れないようにと祈りながら。
レオスコいちゃいちゃ。
普段のスコールは、ラグナへの意識もあるので、もう少し素っ気ないフリを頑張ってしている筈。
その反動もあるので、二人きりになると甘えたがるし甘やかして貰いたい。
でも多分肝心な所は普段からダダ漏れだったり、レオンが隠す気があるのかないのかみたいな所もある。
スコールのスケジュールと言うものは、大抵真っ黒に塗り潰されているものだった。
それはスコールの立場故のものもあるが、それ以上に、SeeDが慢性的に人手不足だと言う点が大きい。
“月の涙”の影響で、魔物討伐の類の依頼が殺到するようになり、経営難のような話には捕まらなかったバラムガーデンであるが、元よりSeeDと言うのは限られた者のみが得られた称号のようなものだったから、全てのSeeDを投入しても、世界中から舞い込んでくる依頼全てに応えるのは難しかった。
その上、“月の涙”によって落ちて来た魔物や、それにより生息地を追われた魔物が街に近付くようになったとかで、危険度の高い魔物の出現が増えている。
SeeDとは言えその実力はピンからキリまであり、誰もがスコールやその幼馴染達のようなSランク級ではない。
加えて、各国の要人警護と言った依頼もあり、これはこれで断る訳にも行かない事も多く、時にはスコールを指名して護衛を求める者もいて、これもまた厄介であった。
キスティスやシュウがスコールのスケジュールを管理し、どうにかこうにか調整して、無理のないように回すように務めてはいるが、そんな彼女達にも実働任務は寄せられる。
サイファーも引っ張り出して魔物討伐の依頼を集中的に回したりもするが、やはり追い付かない事も多かった。
が、そんなスコールのスケジュールが、ぽっかりと空いた。
それは誰が調整した訳でもなく、偶然の産物で、誰もその日の予定が空白である事には気付かなかった。
スコール自身も含めて、だ。
今朝、今日もいつもと変わらず任務があるとばかりに思って目を覚ましたスコールは、パソコンのスケジュール表を開いて首を傾げた。
任務でなければ、大体二つか三つは何かしら予定や用事が書いてある表に、何も書いていない。
間違えて削除したかと思い、キスティスに連絡してみると、彼女も「あら……?」と不思議そうな声を零しつつ、今日は特に予定はないと言った。
キスティスがそう言うのだから、予定が入っていないのは確かなのだろう───とは思ったが、やはり何か腑に落ちない気がして、スコールはサイファーにも連絡を取った。
彼にはスコールが任務で不在の際、スコールの代わりに諸々の仕事を任せる(押し付ける、と彼は言う。否定はしない)事になっているので、スケジュールを半分ほど共有している状態にある。
今日の昼から任務に出る筈のサイファーに連絡をし、確認させると、彼もまた訝し気な様子で、お前の予定は何もない、と言った。
流石に此処まで来ると、正真正銘、予定は入っていないのだと納得するしかなかった。
これは即ち、休みだ。
意図せず得たが、休日と言うものだ。
サイファーならラッキーだと言って、ガンブレードを片手に気晴らしに訓練所へ向かう所だろう。
スコールも常ならばそうしていた────常ならば。
今、スコールは、じっと自分の部屋の天井を見上げている。
今朝抜け出したベッドにもう一度横になり、眠る訳でもなく、ぼんやりと過ごしていた。
(……暇だ……)
意図せず手に入れた休日と言うものを、スコールは持て余している。
仕事があると思って目を覚ましただけに、拍子抜けしたような気分が拭えない。
其処からくる虚脱感とでも言うのか、改めて何かをする為に動き出す気になれなかった。
ごろり、と寝返りを打って、今度は白い壁を見詰める。
いつかは何かあるとこうやって白い壁や天井を見詰めていたような気がするが、最近はそんな時間もなく忙殺されていた。
それを思うと、この一日は非常に貴重なものであり、溜まりに溜まったあれやこれやを片付けたり、羽を伸ばすには格好の日だ、とは思うのだが、
(……何もする気にならないな)
元々スコールは惰性な性質である。
必要なことであると割り切れば、心中で愚痴を零しつつも熟すスコールだが、そうでないなら放置する事に抵抗はない。
そして今日、どうしてもしなければならない事柄はない。
となれば、スコールの惰性癖が顔を出すのも、当然の流れであった。
しかし、余りにこうして何もせずに過ごすと言うのも退屈過ぎる。
何もしていないのだから当たり前だ。
せめて本でも読めば暇潰しになるのだろうが、スコールはそれを手に取る気も湧かなかった。
(……いっそ任務があった方が楽で良いな)
そもそも、朝はそのつもりで起きたのだ。
何か雑務でも良いから、手を紛らわせるものが欲しい。
普段は仕事なんて面倒臭い、としか思わない自分を棚に上げて、スコールはそんな事を考えていた。
執務室に行けば、何か書類が残っているかも知れない。
そんな事を思って、スコールはようやくベッドから起き上がった。
ドアを開けた瞬間、キスティスに「何しに来たの?」と言われそうな気もするが、仕事を前倒しに片付けるのは何も悪い事ではないのだから、構わないだろう。
と、自室のドアを開けようとした所で、それは勝手に口を開けた。
正しくは、ドアの向こうに立っていた人物によって開かれた。
「おハロー、スコール!」
快活な笑顔と共に、独特の挨拶をしてくれたのはリノアだ。
ガルバディアの実家にいるとばかり思っていた彼女の姿に、スコールは目を丸くする。
「……リノア」
「はい、リノアちゃんです。久しぶり」
「…ん」
見慣れた変わらない笑顔に、スコールの目元が綻ぶ。
ついさっきまで腐るように過ごしていた事を忘れ、スコールは時間が動き出すのを感じていた。
リノアは魔女戦争の後、実家に戻りはしたものの、内包している魔女の力の問題も変わらず抱えている。
望まずして手に入れてしまった力を、今後どうして行くのか、リノアは度々バラムガーデンを訪れては、魔女の先輩であるイデアに相談しているらしい。
また、バラムガーデンには自分の事をよく知る仲間達の存在もあるので、顔を見て話をするのが楽しみなのだと言う。
その中でもリノアはスコールと逢える事を切望してはいるのだが、如何せん、スコールのスケジュールが余りにも真っ黒である為、中々その機会に恵まれなかった。
と言う事情を抱える彼女にしてみれば、今日と言う日は千載一遇のチャンスである。
「ね、ね。スコール、今日はお暇なんだって?キスティスが言ってた」
「……ああ」
「今だけ暇?もう何か予定が入ってる?」
「別に、何も」
予定を入れるも何も、余りにもやる事がなさ過ぎて、仕事に手を付けようとしていた位だ。
それを言うと、リノアは眉をへの字にして困ったように笑い、
「スコールらしいなあ」
(…なんだよ。駄目か?)
「おっ、眉間のシワ」
傷の走る眉間に寄せられる皺を見て、リノアは悪戯っ子の顔で、指でつんと突く。
益々眉間の皺が深くなるスコールだが、リノアは特に気にしなかった。
想像通りの反応をしてくれるスコールの様子に、くすくすと笑みを零しつつ、
「ねえ、スコール。暇なら一緒に出掛けない?」
「……出掛けるって、何処に?」
「何処でも良いよ。バラムに行く?今からティンバーは日帰りキツいかな」
今日は暇でも、明日は忙しいよね、と言うリノアに、スコールは頷いた。
明日からは任務で出なければならないから、今日の夜にはガーデンに戻って準備をしなければならない。
────そう思うと、今日は暇だと思っても、スコールが完全に自由にできる時間と言うのは、案外少ないのだ。
そんな時に来てくれたリノア。
だからこそ、一緒にいられる時間が作れるんじゃないかと、きっとそんな気持ちで此処までやって来たのだろう。
そう思うと、胸の奥が言いようもなく温かくなって、慣れない感覚にスコールは少し戸惑う。
けれど同時に、その感覚が嫌ではない事も、スコールはよく知っていた。
「……バラム、行くか」
「ほんと?」
スコールの言葉に、リノアの表情がぱあっと明るくなる。
花が咲くような表情の変化に、スコールの唇が緩んだ。
「あのね、あのね。綺麗なブックカフェのお店が出来てたんだよ」
「ブックカフェ?」
「色んな本が置いてあるの。月間武器もあったよ」
「それは毎月読んでるから良い。他には?」
「ファッション雑誌もあるし、小説も。静かで居心地が良いから、スコールも気に入るんじゃないかな~って」
「…じゃあ、其処に行くか。でも俺、場所は知らないぞ」
「お任せください。ご案内します!」
胸を張って自信満々に宣言するリノアに、余程気に入ってるんだな、とスコールは思う。
歩き出したスコールの隣を、心なしか軽い足取りのリノアが歩く。
地面を軽く弾み蹴るように歩く彼女は、今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気だ。
そんなリノアを横目に見ながら、これなら急な休みも悪くない、と今日初めて思うのだった。
いちゃいちゃスコリノ。
二人とも立場やら環境やらと色々あるけど、一緒に過ごして欲しいね。