[ジェクレオ]欲しいのならばその手で掴め
プロの水球選手であるジェクトは、学生のうちにその名を広く知らしめ、プロプレイヤーになってからはあっという間にスターへの階段を駆け上がった。
若くして名声を欲しいままにしたジェクトは、その道の真っ只中にファンであったと言う一般人女性と結婚し、一男を儲けるに至る。
しかし、息子の誕生から数年後、病気により妻は急逝───それ以降は、男やもめで一人息子を育てる事となる。
父子二人の生活が始まったジェクトにとって、何よりも援けとなったのは、新しい生活を始めた際に引っ越して出会った、マンションの隣部屋の一家だ。
ジェクト同様、妻を失ったと言うその部屋の住人は、父一人子二人と言う組み合わせ。
幸運だったのは、二人の息子の内、弟の方がジェクトの息子ティーダと同い年だったと言う事だ。
急激な環境の変化と、まだ受け止め難くもあった妻(母)の急逝で、ジェクトとティーダの間はぎこちなさが露わとなり、二人きりでの生活と言うものに、ジェクト自身多くの不安があった。
それを隣家が気遣い、気の良い父と、良く出来た長男が気を配り、引っ込み思案だが思いやりのある次男がティーダの友達になってくれた事で、ジェクトは随分と楽になった。
それから近所付合いは長く長く続き、次第に息子の手を離せるようになって来た。
父親に対して何かと対抗意識が強かった事や、ジェクト自身に生活力が中々乏しい事もあって、ティーダが自立意識を強くするのは早かったと言って良い。
隣家の兄が十代の内に、父の為にと家事全般を引き受け、弟がそれを手伝おうとしていた姿にも刺激されたか、ジェクトが気付いた時には、一人で簡易ながら家事諸々が出来るようになっていた位だ。
ジェクト自身から見ても、あいつの方が余程しっかりしている、と言えるほど、ティーダは立派になっていた。
だが、まだまだ親の庇護が必要な年齢である事には変わりないから、全くの手放しにするつもりもない。
妻が生きていた頃から、水球に心血を注ぐ余りに、家庭と言うものをきちんと見ていなかった罪の意識もあって、ジェクトはティーダが成人するまでは、出来る限り守り養っていくつもりである。
とは言え、息子から常に目を離せない、なんて言う時期が過ぎたのも確か。
息子が成長して行くに連れ、隣家との信頼関係の構築もあり、ジェクトはティーダを隣家に預け、次第に海外遠征で家に帰らない日が増えるようになる。
その内に年の半分は不在、ティーダが高校生になる頃には、彼はほぼ一人暮らし同然と言う環境が定着した。
そして、シーズンオフでも、取材やショーと言った仕事が増えて行くと、いよいよジェクトが母国に帰る時間は減って行く。
こういった環境を鑑みてか、息子は電話越しに「もう平気だよ」と少し素っ気なく言った。
だからアンタは好きにしろよ────と、突き放す形にも似たその言葉が、親離れの始まりだったのだと思う。
同時に息子は、真っ直ぐに父の背中を見て、己の力でそれを追い駆けて行く事を選んだのだとしたら、いつかその背が追い付いて来るまで、ジェクトは誰よりも強く在らねばなるまい。
そう思ったから、ジェクトも不器用に繋ぎ続けていた手を解いたのだ。
そして競技に集中する為に、ジェクトは海外へと己の拠点を移した。
チームが保有する練習施設の近くにあるマンションを一室借り、其処で生活しながらコンディションを整え、試合に出場する。
オフシーズンには取材を受け、市や国が主催するエンターテイメントショーに出演してパフォーマンスを行う。
スター選手として名が知れているジェクトは、テレビ番組への出演を求める依頼も多く舞い込んでおり、時にはシーズン最中の試合に出ている時期よりも忙しく感じる事もある。
ジェクトがサービス精神旺盛にして見せるものだから、ファンは更に増え、彼の豪快で派手なパフォーマンスを見たがる者も増えて行った。
並行して当然ながらジェクトへのイベントやテレビの出演依頼は急増して行き、彼専用のマネージャーが必要とされるようになる。
それが、近所付合いも長くなり、幼い息子を預かる度にしっかりと面倒を見て、躾までしてくれた、隣家の二人息子のうちの兄───レオンであった。
以前は幼い弟達を守り慈しむ為にあったレオンの手は、今現在、ジェクトの為に忙しなく働いている。
ジェクトの仕事のスケジュール管理は勿論のこと、パフォーマンスの質を落とさない為、健康管理を初めてとした生活環境のコントロールを行っているのはレオンなのだ。
酒好きで知られたジェクトが、試合前に無茶な飲み方をしないように、目を光らせるのも彼の役目である。
お陰でジェクトの遅刻癖もなくなり、中々に頭に血が上り易いジェクトを諫める役も果たし、チームの運営陣からは「レオンでなくてはジェクトのマネージャーは務められない」と言う程の有能振りを発揮していた。
実際、ジェクトもレオンを頼りにしている所は多くあり、そして彼だからこそ信じて任せられると思っている自覚もあった。
────そんなレオンとジェクトは、“パートナー”だ。
それはプロスポーツ選手とそのマネージャーとしてだけではなく、密かなプライベートの間柄としても、そう言った名で呼べるものとなっていた。
マネージャーとしてジェクトの身の回りの管理を徹底する、と言う目的もあり、現在レオンはジェクトと共に生活している。
ジェクトが買ったマンションに住み込ませて貰い、食事は勿論、財布の管理も彼の仕事だ。
こう綴るとジェクトには堅苦しい生活をしているように聞こえるが、ジェクトもレオンも大人である。
チームや運営組織内での人付き合いと言うものに必要な費用と言うのも、レオンは判っていた。
また、ジェクトも決して考えなしに散在する訳ではない───酒が入ると、ただでさえ大きな気が更に大きくなる為、店の客全員に奢るなどと言うことをするので、その時はかなりの数字が吹っ飛んでいく為、レオンは少々頭を痛めていたりする───ので、レオンに財布の紐を預ける事も納得している。
そして大会試合が近くなると、ジェクトの生活はストイックになって行く。
練習のメニュー、食事のメニューと言った所から、体調も常に万全に保ちつつ、相手チームの研究も怠らない。
チームミーティングも遅くまで続くし、新たな戦術の考案にも余念がない。
そうした日々が続く内に、いよいよ試合を明日に控えると言う頃になると、やはり彼もピリピリと尖らせた空気を纏うようになる。
緊張している、と言う気持ちも全くないではないが、彼の場合、その緊張は不安よりも興奮から来るものであった。
相手がどんなチームであろうと、どんな作戦手段を使って来ようと、正面から捩じ伏せてやる。
戦闘意欲とも呼べるそのエネルギーを、今にも爆発させそうな程に蓄えて、ジェクトは試合当日を迎えるのだ。
その為に、レオンも試合がスタートする瞬間まで気が抜けない。
「────明日の朝食はこんな所で良いか?」
リビングで今日一日の振り返りを済ませ、いよいよとなった明日の為、最後の調整となるもの。
その日のコンディションの足掛かりとなる朝食メニューについて、レオンがメモに走らせたものをジェクトに差し出すと、ジェクトはそれを受け取って、
「……」
「何か必要なものがあるなら足すが」
「お前の計算なら十分なんだろ?」
「まあ、一応。でもゲン担ぎでもしたいならと思って」
「ンなもん要らねえよ」
「だと思った」
メモをレオンに返しながら、全幅の信頼を寄せたジェクトの言葉に、レオンはくすりと笑う。
「先に寝てくれ。朝の仕込みをしておくから」
朝食に必要となるもので足りないものはないか、冷蔵庫の中身を確認するべく、レオンは腰を上げる。
キッチンに向かうその背中を、ジェクトはじっと見詰めていた。
てきぱきと仕込みを始めた青年は、とことん真面目で、いつでも仕事に手を抜かない。
幼い頃からそうやって父を支え、年の離れた弟を育てたレオンは、ジェクトと知り合った頃から、“しっかりし過ぎている”位の子供だった。
それは母を亡くし、遺された弟を守らねばと言う気持ちと、父を助けるべく、早すぎる自立を目指したが故。
お陰でレオンは、自力で何でも熟す事が出来るほどにしっかりとしたのだが、その反面、大人への甘え方と言うものを忘れていた。
本人でさえ無自覚であったのだろう、その一面を引き出したのは、他でもないジェクトである。
迷惑をかけたくないと、父親にすら覗かせる事を拒否したレオンの深層意識にある甘え心を、ジェクトはいつの間にか見付けていた。
それからふとした瞬間に零れ見える彼の表情が放って置けなくて、不器用なりに少し強引にレオンを甘えさせている内に、二人は今の関係へと至る。
大人同士がそう言う関係になっている訳だから、付き纏うものも当然ある。
同性であってもそれが成り立つ事に初めは少し驚きもしたが、ジェクトも枯れた年齢ではないし、レオンはもっと若い。
盛んと言えば盛んな年齢であるので、二人が体の関係まで持つまで、それ程時間はかからなかった。
───此処しばらく、試合の為に全てを注ぎ込んだ日々を送っているお陰で、其方の方は随分とご無沙汰だ。
それが試合の前日となって、最高潮に達しているのを、ジェクトは自覚していた。
「おい、レオン」
「何だ」
ジェクトが声をかけると、レオンは卵を割りながら振り返らずに返事をした。
菜箸を使い、慣れた手付きで卵を解しているレオンの下に、ジェクトはゆっくりと近付く。
フライパンを取り出して油を引き始めたレオンの体に、ジェクトは覆い被さるように密着した。
薄い腹───と言っても標準以上の引き締まりはあるのだが───に腕を回し、閉じ込めるようにその体を抱いてやる。
そうすると、背中に当たるものに、レオンも背後の男が言わんとしている事を察したようで、
「しないぞ」
「まだ何も言ってねえだろ」
「当ててるだろう」
「じゃあ判んだろ?」
「だからしないって言っただろう」
昂ぶりの有様をありありと示している感触に、レオンは先んじて要求を封じた。
それでもジェクトは諦め悪く食い下がり、レオンの腹を大きな掌でするりと撫でる。
と、その手の甲の皮を思い切り抓られた。
「いっててて!」
「全く……」
筋肉や骨は鍛えて太く出来ても、皮と其処に這う神経はどうしても鍛えられない。
悲鳴を上げてやっと抱く手を放したジェクトに、レオンはやれやれと溜息を吐いた。
「試合は明日だぞ。こんな所で体力を使ってどうする」
「一晩くれえ問題ねえよ」
「持て余してるエネルギーは、明日の試合にぶつける為に取っておけ」
「かかり過ぎるのも良くねえもんだろ。ガス抜きさせてくれよ」
「そう言って“ガス抜き”で終わらなくなるだろう、あんたは」
経験則だと、レオンは言った。
「朝までがっつかれるのは御免だ。俺だって明日も仕事があるんだから」
「そんなにしねえよ。そうだな、日付変わる位まで」
「あんたが止まってくれる気がしない。前もそう言って、結局明け方になったじゃないか。その所為で寝坊はするし、調整の詰めも中途半端になったし。試合は勝ったけど、あんたの動きは酷かったぞ」
忘れたとは言わせない、と蒼の瞳がじろりとジェクトを睨み付ける。
ジェクトはそんな事もあったなと、明後日の方向を見て逃げた。
闘争心の塊になったジェクトは、火が付けば正しく獣のような荒々しさを発揮する。
試合のリズムとそのエネルギーの波長が見事にかち合えば、文字通り、破竹の勢いで相手チームを撃破するに違いない。
圧倒的なフィジカルパワーで試合の流れを作り出し、まるで滝を遡る龍のように、その勢いは凄まじい。
その為にこそ、今くすぶり続けているジェクトのエネルギーの奔流は、無駄遣いする訳にはいかないのだ。
と、言う理由もありながら、レオン個人としては、もう少し別の所に本音がある。
それだけのエネルギーを持て余している訳だから、こんな時のジェクトとセックスをすると、その熱が全て自分に流れ込んで来るのだ。
時に首筋に痕が残る程に噛み付かれ、猛獣に襲われているような錯覚すら覚える程、それは激しいものになる。
当然、その翌日にレオンがまともに動ける筈もなく、仕事に支障が出ないように工夫するのも一苦労。
過去にその経験をしているから、レオンは今日と言う日は絶対にジェクトとセックスはしない、と決めている。
「あんたが本気になると、俺じゃ敵わないんだから、ちゃんと我慢してくれ」
「……へいへい。判ってるよ」
レオンの言葉に、ジェクトは拗ねたように唇を尖らせつつも頷いた。
我儘を言っている自覚はあったし、正論は完全にレオンの方にある。
あまりしつこく食い下がっても、レオンの機嫌を損ねるだけだと、ジェクトも理解していた。
傍にいるとまたムラムラとして来そうで、ジェクトはいそいそとキッチンから離れた。
リビングのソファに戻ったジェクトは、すっかり見慣れた天井を見上げ、「あー……」と気の抜けた声を出す。
レオンの言う通り、明日は大事な試合なのだから、下手な事はしないでさっさと眠り、体力を温存させておくべきだ。
気晴らしにテレビでも見てから寝ようと、ソファ横のテーブルに置いてあったリモコンを手に取る。
そう言えば母国の方はどうなっているだろうと、衛星チャンネルをつけて、恋人の言葉以外で久しぶりに聞く母国語のニュースをぼんやりと眺めていると、
「ジェクト」
「あー?」
呼ぶ声に、ジェクトはテレビを眺めながら返事を投げた。
と、ふっと後ろから影が差して、首を後ろへ傾ける形で視線を上へと上げると、電灯の逆行を受けて見下ろす恋人の貌がある。
「明日の試合、勝つんだろう?」
「当たり前だ」
何を聞くんだ、と言う表情で、ジェクトはレオンの言葉に返す。
するとレオンの双眸が、すぅと細められて笑みを浮かべ、
「じゃあ、明日はあんたの好きにすると良い」
「……ふぅん?」
「勿論、あんたがベストな仕事をして、勝てたらの話だが」
負けたらこの話はナシで、と言うレオンに、ジェクトの口元が笑みに歪む。
ソファの背凭れに乗せていた腕を持ち上げ、見下ろす青年の頬に触れてやれば、レオンの方から猫のように摺り寄せて来るのが判った。
「言ってくれるねえ。俺を誰だと思ってんだ?」
「ケダモノ」
「この」
言ってくれる恋人に、ジェクトはその頬を抓ってやる。
幼い頃はまだ丸みがあったが、今はすっかりシャープな輪郭になったので、レオンの頬は大して伸びない。
母国にいる彼の弟や、息子のティーダなら、まだ摘まむ余裕位はあるだろうか。
そんな事を考えるジェクトの唇に、レオンのそれが落ちて来る。
カサついて罅割れ気味のジェクトの其処を、レオンの舌が潤すように一舐めすると、ジェクトの腕が捕まえようとするのを察したように、レオンはするりと逃げて行った。
「おやすみ、ジェクト」
「寝らんねえよ。どうしてくれんだ」
「一杯くらいなら飲んで良いぞ」
「しゃーねえ、手酌で我慢するかね」
悶々と眠れないまま過ごすのも、時間と体力の無為な浪費だ。
ジェクトは今夜の体温のことは諦めて、適当な手段で睡眠を呼び込もうと、アルコールを準備するべく腰を上げた。
冷蔵庫の横に備えているワインセラーからウィスキーのボトルを取り出し、食器棚から適当にグラスを取る。
一杯だけだぞ、とレオンが釘を刺してきたので、へいへいと返事をしながら酒を作った。
氷の揺れる音がするグラスを手に、付けっ放しのテレビの前へと戻って、ジェクトはソファに腰を沈める。
この国で流れるニュースに比べると、遥かに平和なニュースばかりの母国の時事情報を聞き流しながら、ジェクトはのんびりとグラスを傾けた。
一杯限りのアルコールは、勿体ぶる程の量もなく、程無くグラスは空になる。
それを持ってシンクに行くと、調理の終わった道具を洗っていたレオンが気付き、
「置いておいてくれ。まとめて洗っておく」
「おう」
「明日は7時には出るからな。朝飯は6時頃か」
「判ってる判ってる」
忘れるなと重ねて言うレオンに、ジェクトは濃茶色の髪をぐしゃぐしゃと撫でながら言った。
さて寝るか、と寝室に向かおうとしたジェクトであったが、ふと気になった事を思い出して足を止める。
「おい、レオン」
「なんだ」
「明日、俺の“好きに”して良いんだな?」
聞き間違いではないよな、と確かめる意図で問うてみる。
するとレオンは、手許の洗いものに落としていた視線を持ち上げてジェクトを見た。
蒼の瞳がゆるりと細められて、含みを含んだ笑みが浮かぶ。
それを見るだけで、ジェクトの中で微睡み始めた獣が起きる事を、この青年は知っている。
知っていて、このタイミングでそんな表情を浮かべてくれる恋人に、ジェクトはくっと笑った。
「性悪」
「何の事だか」
白々しい事を言ってくれるレオンに、ジェクトは今日の所は白旗を挙げた。
寝起きの獣が本格的に暴れ始める前に、酒の力でさっさと寝落ちてしまおう。
背を向け、じゃあな、と手を振るジェクトに、おやすみ、と言う声が投げられた。
10月8日なのでジェクレオ。
しっかり手綱を握っているレオンと、そんなのも悪くはないよなと思っているジェクト。
明後日のレオンは起きれないんでしょうね。判ってるからしっかり休みは確保してると思います。