[ヴァンスコ]君と帰る道
すっかり人気のなくなった下駄箱で、スコールは深い溜息を吐きながら靴を履く。
冷たい空気に覆われた下駄箱の中にあった靴は、中敷きまで冷たくなっていて、靴用カイロを用意しようかと真剣に考えた。
制服のジャケットの上から着込んだダウンの前を手繰り寄せながら、校舎を後にする。
今日もまた、スコールの下校時間は予定よりも随分と遅くずれ込んだ。
生徒会に所属しているからと、体の良い雑用係にされるのは最早諦めとともに慣れたものであったが、やはり面倒である事に変わりはない。
だから時々でもきっぱり断るべきだと、幼馴染の面々からは言われているのだが、如何せんその労力が途方もなく大きく感じられるのが、スコールの良くない所であった。
そうして毎回、自分でなくても良さそうな雑用を了承するから、教職員は益々スコールを当てにするのだ。
秋の頃から鶴瓶落としの太陽は、暦が十二ともなれば更に落ちるのが早くなる。
夕暮れなどほんの一時間あろうかと言う程度で、放課後になると運動部が使うナイター用の電灯の準備が行われていた。
そんなものを使わないといけない程、世界は暗くなって行くと言うのまのに、スコールの高校の運動部は何処も精力的だ。
勉強だけでなく、運動部においても広い分野で強豪校と言われているから、チーム内の席争いは何処も激しくて、朝早くから放課後遅くまで、団体も個人も練習時間が長い。
よくあんなに出来るな、とその手のものに基本的に熱くなれないスコールは、所属する友人を応援する気持ちはありながらも、何処か冷めた気持ちで横目に見るのが精々であった。
スコールにとっては、それよりも、今日の夕飯の献立を考える方が大事だ。
次いで、直ぐ目の前に来ている学期末試験への対策も講じなくてはならない。
対策と言うのは、試験範囲に集中させる勉強だけでなく、期間中の家事をどう効率よく回すかと言う事も指す。
掃除と洗濯は多少溜め込んでも良いとして、問題は食事だ。
夕飯の片付けは父が引き受けてくれるのは幸いなのだが、準備に関しては、スコール自身が自分が請け負った方が効率が良いと判っている。
だから毎日作るにしろ、作り置きをするにしろ、その用意は全てスコールが行わなくてはならない。
(試験の日はコンビニ弁当で良いよな。面倒臭いし)
試験で疲れた後に、台所に立つ気力は残っていない。
そう言う時は楽をするのが一番だと、手が抜ける所は抜けば良いと、スコールは最近ようやく学習した。
試験期間中はそれで良いとして、目下の問題は今日の夕飯だ。
雑用に捕まった所為で妙に疲れがあって、何を食べたいのか、用意する気力があるのかすら考えるのも怪しい。
それこそ、今日はコンビニの弁当か総菜で済ませてしまおうかと思う。
スコールが通う学校は、伝統云々がよく引き合いに出される古い学校で、校内の作りも聊か古く、校門に至っては創立当時の名残が色濃く残っている。
元々は大手門のようなものが建立されていたのであろうそれは、古い写真では木製の大きな門がついていた。
朽ちたのか、某かの声があって改められたのか、今は門そのものは鉄製の両引きになっているが、門柱やそれに伴う屋根は昔の儘である。
門を出た所には道路の外灯が並んでいるが、門柱や屋根が遮蔽を作ってしまう為、日が落ちると随分と暗い。
遅くなってから帰る部活生も多いのだから、正門位は真っ当な灯りを点けてはどうか、とよく思う。
その校門の屋根の下に、佇んでいるダッフルコートを着た少年が一人。
後ろ髪に癖のある鈍色の髪は、スコールがよく知る幼馴染のものだった。
「……ヴァン」
「お。スコール、やっと来た」
「あんた、またいたのか」
名前を呼べば、少年───ヴァンは此方を見て嬉しそうに瞳を輝かせる。
ヴァンは、門扉に預けていた背を伸ばし、「遅いぞー」といつもの間延びした調子で文句を付けつつ、
「今日も先生の手伝いか?」
「……そんな所だ」
「真面目だな」
「……別に」
断るのが面倒臭いだけだと、スコールの本音をヴァンは知っている。
その傍ら、頼まれた完璧にやり遂げないと気が済まない質だと言う事も、幼馴染はよくよく理解していた。
故に中々の確率で貧乏くじを引かされるのだと言う事も。
そんな自分の事よりも、とスコールは溜息を洩らしながらヴァンを見る。
ヴァンはお気に入りのダッフルコートの前ボタンを全て留め、首元にはマフラーを巻き、それもコートの下からと言う完全防備のスタイルだ。
夏には半袖で何処ででも過ごせるヴァンは、冬の寒さには滅法弱く、秋の終わり頃から着膨れ始めていた。
冬も本番となると、帽子や耳当ても装備するので、肌が出ているのは目元だけと言うのが常になる。
今日はまだ頭部の守りが薄いが、近い内に帽子くらいは被るだろうし、中を着込んでいるのか、胴体がずんぐりむっくりになっている。
その状態でも、ヴァンの鼻頭や頬は、この冷えに対する反応ですっかり赤くなっているのを見て、スコールは毎回呆れてしまう。
「…あんた、寒いんだろう。こんな時期まで、わざわざ俺を待つな」
春でも夏でも、秋でも冬でも、ヴァンはスコールの帰りを待って、この校門へやって来る。
幼い頃からそうやって一緒に登下校していたのは確かだが、高校になって、スコールが進学校に、ヴァンが工業高校に入った事で、その道ははっきりと分かれた。
ヴァンが放課後、スコールの学校に来るのは、週の半分ほどだ。
ヴァンの家は、彼が中学生の時に両親が他界して以来、兄と二人暮らしをしている。
その為、家事当番の日は、買い物やら何やらと必要なので直ぐに帰るのだが、そうでない日の場合、ヴァンは必ずと言って良い程スコールを迎えに来ていた。
学校の位置は、スコールの高校から二人の家までの中間地点に工業高校がある。
だから登校はこれまでと同じように、同じ時間帯のバスに乗る事が出来るのだが、帰りは違う。
ヴァンの高校からは、家とは真逆の方向に走るバスに乗らなければいけないのだ。
どう考えても非効率で、どうしてわざわざ、とスコールはいつも思うのだが、
「まあ良いじゃん。俺がスコールと一緒に帰りたいんだ」
臆面もないヴァンの言葉に、それもいつもの事と判っているのに、スコールの頬が勝手に熱くなる。
────とは言え。
この時期、ヴァンがスコールを待つ正門前は、どうにも暗くていけない。
寒さの問題は勿論のこと、何か良からぬ事でも起きないとも言えないのだから、待つならもっと安全な場所にするべきだ。
「……せめてメールでも寄越せ。それで、こんな場所じゃなくて、もう少し明るい───コンビニとかあるだろ。ああいう場所で待ってれば良い」
「それじゃスコールの出迎えが出来ないだろ」
「しなくて良い。あんたが風邪でも引いたら、レックスが大変だろう。これからもっと冷えるんだから、待つなら何処か屋内にいろ」
ヴァンにとって何より大事な兄の名を出せば、ヴァンは拗ねたように眉をハの字にした。
それを言われると、しかしスコールの出迎えはしたい、と唸るように首を捻るヴァン。
そんな幼馴染に、これで少しは行動が改善されると良いが、と半ば諦めたように思っていると、
「明るいとこで待つのは判った。でも、別に寒さは平気なんだよ。まだ」
「嘘吐け。顔が赤い」
「うん、まあ、顔はそだな。でも本当だよ。今日はこれあったから」
そう言ってヴァンは、ダッフルコートの前を開け始めた。
寒いに決まっているのに何してるんだ、とスコールが顔を顰めていると、その懐からガサガサと音が鳴っている。
よいしょ、とヴァンが引っ張り出すように懐から出したのは、コンビニ袋だった。
「じゃーん」
「……なんだよ」
嬉しそうに、効果音をつけて袋を差し出すヴァンに、スコールは意味が判らないと返す。
ヴァンはしっかりと絞っていた袋の口を解き、中に入っていたものを取り出した。
「肉まん!一緒に食べようと思って買って来た」
「……そんな所に入れてたのか」
「だって普通に持ってたら冷めるだろ。スコール、いつ出て来るか判んないしさ。カイロ代わりにもなったから、全然寒くなかったんだ」
言いながらヴァンは、「ほい、スコールの」と二つ入っている肉まんの一つをスコールに差し出した。
帰ったら夕飯なのに、と思いつつ、スコールはそれを受け取る。
どうせ帰宅した所で直ぐに食事が出て来る訳ではないし、昼からもう随分と時間も経って、腹が減っているのは確かだ。
ほかほかとまだ温かい湯気を立ち昇らせる肉まんは、確かに嬉しいサプライズであった。
肉まんは少々形が潰れていたが、破れている訳でもなく、具も零れてはいない。
少し厚みのある皮を二口すれば、ジューシーな味わいが内側から染み出て来た。
校門を離れ、歩きながら肉まんを食べるスコールの隣で、ヴァンも自分の肉まんを頬張る。
「うまーい」
「……ん」
「温かいし、カイロになるし、美味いし。肉まんって良いよな」
「……そうだな」
ヴァンの他愛もない言葉に、スコールは短い相槌のみを返す。
それだけでヴァンは満足そうに、「今日さぁ……」と自分の学校生活について報告して来る。
スコールはそれも半ば聞き流しながら、次にヴァンが来るのは明後日か、と考える。
その時は、何か温かい飲み物でも奢ってやろうか───と思うのだった。
12月8日と言う事で、ヴァンスコ。
ヴァンは寒いの苦手そうだな、と言うイメージ。
スコールも極端な寒さは嫌いそうだけど、ヴァンはそれより手前で、もこもこに着膨れしてたら可愛いなと。
真冬になったら二人揃って着膨れしてると良い。