[ジェクレオ]満たされるのは幸福と
冷蔵庫を開けて、ああしまった、とレオンは眉根を寄せた。
箱の中身は色々と詰め込まれた状態ではあるのだが、今日の主食に使えそうなものがない。
既に調理済みのものが入っているタッパーを取り出し、その中身を確認してみるが、どれも同居人を満足させる程の品にはならなかった。
ありものを掻き合わせて量を嵩増しさせることは出来るが、野菜ばかりで彼の胃袋は満足しないだろう。
動物性タンパク質の塊がひとつは欲しい、と思うが、何度冷蔵庫の中身を探っても、それを補ってくれるものは見付からなかった。
仕方がない、とレオンは冷蔵庫の蓋を閉じる。
ないものを幾ら探した所で、結局ないのなら見付かる訳もない。
時刻は直に毎日の夕食時間だが、今日は少し遅れるものと割り切って、今から何か買いに行こう。
レオンはそう決めて、リビングで新聞を読んでいるジェクトに声をかけた。
「ジェクト、すまない。買い物に行ってくるから、夕飯が少し遅くなる」
「今から行くのか?珍しい」
「此処しばらく、買い物に行き損ねていたからな。主菜に出来るものが残っていなかった」
財布を取りに行こうと自室へ向かおうとするレオンに、ジェクトがもう一度「珍しいな」と呟いてから、
「どうせ出るなら───おい、レオン。折角だ、食いに行こうぜ」
「え?」
財布と上着を取って、玄関へ向かおうとした足を止め、レオンはリビングを振り返った。
ジェクトもソファから腰を上げ、リビングの隅のチェストに置いていた折り畳み財布を取る。
それを色落ちしたジーンズのポケットに捻じ込みながら、ジェクトはレオンを追い抜いて、玄関へと向かった。
後を追う形でレオンが玄関前に立っていると、靴を履き終えたジェクトがドアノブに手をかけながら言う。
「毎日栄養管理してくれるのは有難いが、偶にはサボっても良いじゃねえか。一日くらい平気だろ?」
「それは、まあ……あんたも此処しばらくは、飲み会も控えているようだし」
「偶にはお前に楽に飯食わせてやりたいしな。奢りだ、行こうぜ。で、帰りについでにマーケット寄って、足りないもの買い足して置けば良い」
レオンの是非の返事を待たず、ジェクトは玄関を潜った。
行く気満々、仮にレオンが断ったとて聞かないだろうと判るその様子に、レオンはくすりと笑みを浮かべて、靴を履いた。
マンションを出たジェクトが、そのまま足で街へと向かうのを、レオンは並んで追う。
「ジェクト。何処に行くつもりなんだ?」
「さぁて。お前さんは何処に行きたい?」
「俺は何処でも構わないが───折角だから、あんたの行きつけを覗いてみたいかな」
ジェクトのマネージャーとして傍につき、仕事の効率も含め、レオンが彼と同居生活をするようになってからそれなりの時間が経っている。
その間に、レオンとジェクトは人目を憚るようにして関係を深め、今では密かに恋人同士となった。
しかし対外的には、ジェクトは水球選手として、レオンはその活躍を下支えすることを仕事とする、ビジネスパートナーとしての域は出ない事にしている。
世界的な水球選手として有名なジェクトにとって、漏れてしまえばスキャンダルとして大騒ぎになることは勿論のこと、何より、まだ二人はそれぞれの家族に関係を打ち明けることに躊躇いがあった。
その躊躇いは、家庭環境から来る相手への家族への若干の後ろめたさもありつつ、「まだ二人きりでいたい」と言う、秘密の共有による特別感を味わっていたかったからだ。
対外的には秘密の関係である為、二人がプライベートな時間を共に過ごすと言うのは、存外と少ない。
ジェクトはシーズン中は練習と調整、試合に明け暮れており、レオンもジェクトの生活管理やスケジュールの調整に追われている。
私的な時間がそもそも少ないこともあり、忙しい時には、同居していながら朝晩の挨拶くらいしか会話をしない、と言うのも珍しくはなかった。
飲み会も、ジェクトは選手同士で、レオンは所属チームスタッフと行くことが多いから、人付き合いも行く先もバラバラである。
お互いに良い年齢をした大人なのだから、余程のトラブルでもない限り、お互いの私生活には触れないのが暗黙の了解だった。
だからレオンは、ジェクトが好んでいく店と言うものを、詳しくは知らない。
どこそこの店に行ったとと言う報告や、あそこでジェクトを見かけたと言う目撃談は聞くので、街のどのあたりに好んで出没するのかは凡そ把握しているが、その程度だ。
「俺の行きつけねえ……」
「あんたが俺に店を知られたくないなら、無理にとは言わないけど」
「お前に隠し事する必要が何処にあるよ」
「身内にだって隠し事がしたいことはあるだろう。誰にも知られない隠れ家がひとつくらいは欲しい、って」
「お前も欲しいのか?」
「さあ。今も隠れ家生活してるようなものだからな、俺は。随分大きな隠れ家だけど」
秘密の関係性であることを暗に滲ませながら、笑みを浮かべて言うレオンに、ジェクトは読み取ったようでにやりと笑う。
「デカいから良いんだろ?」
「まあな。でも苦労する事も多い」
「感謝してるよ。お、其処の店にするか」
道すがらに看板を吊るした店を見付けて、ジェクトの足が其方へ向いた。
誘われるままにレオンも其処へと入る。
店の中はがやがやと賑やかな声が犇めいており、店員が忙しなく歩き回って食事を提供している。
どうやら大衆食堂のようで、アルコールの提供も多く、ご機嫌な歌を歌っている人が其処此処にいた。
ジェクトは勝手知ったる場所なのか、店員の案内を待たず、空いている席を探して、隅にあったテーブル席へと腰を下ろした。
レオンも向かい合う椅子に座りながら、辺りを見回してみる。
「よく来る店か?」
「まあな。カツとパスタが旨いんだ、食うか?」
「そうだな。何が良いのか判らないし、あんたのオススメがあればそれにしよう」
レオンの言葉を聞いて、ジェクトは満足そうに笑う。
右へ左へ忙しくしている店員を一人捕まえたジェクトは、メニュー表も見ずに注文を通す。
店員は相手がジェクトである事に気付きつつも、特段のリアクションはせず、注文をメモして厨房へと消えていった。
この街では知らない者はいない、と言っても過言ではない程のジェクトが入店しても、店員は勿論、客も強く気にする様子がない。
客の中には声を潜めながら此方を見ている者もいるが、それだけだ。
成程、これならジェクトもゆっくり飲める、とレオンも悟る。
十分もしない頃に、ウェイターが料理を運んできた。
先ずはジョッキのビールに、大きなカツレツにソースとマッシュポテトが添えられ、オレンジ色のスープが並ぶ。
更にトマト色に煮込まれた野菜に、大きなポークソーセージ。
太い筒状のショートパスタには、魚介のクリームソースがかかっていた。
そのどれもが、特にはカツレツが皿をはみ出る程にサイズも量も大きいものであったから、レオンは眉尻を下げて苦笑する。
「ジェクト。頼み過ぎじゃないか?」
「いつもこんなモンだよ」
ジェクトはそう答えながら、カツレツにナイフを入れている。
レオンは、食べきれるだろうか、と戸惑いつつ、ショートパスタの皿を傍へ寄せた。
レオンがパスタを食べている間に、ジェクトは料理を平らげていく。
昔からよく食べる方だったとレオンは覚えているが、もう中年の年齢になっても、ジェクトの胃袋は衰えを見せない。
カツや唐揚げと言った油ものは今でも好物で、母国に帰った折には、息子と大人げない争奪戦を繰り広げている光景もよく見る。
毎日の水泳練習や筋肉トレーニングも欠かさないから、食べ物の消化は勿論、代謝率も下がらないのだろう。
それを思うと───と、レオンはポークソーセージを齧るジェクトを見ながら、
「なあ、ジェクト。あんた、ひょっとして俺の作るものだと、物足りなかったりしないか?」
「ん?」
ビールを流し込みながら、ジェクトはぱちりと瞬きをひとつ。
「突然なんだよ」
「いや……こうしてあんたが食べている所を見ると、もっと量があった方が良いんじゃないかと思って。食べる量が足りないのなら、あんたのパフォーマンスにも影響するかも知れないし、メニューの基準を変える必要があるかと……」
ジェクトが日々を試合の為に集中できるように、彼の生活まわりのことは、レオンが管理している。
栄養管理はその最たるものとも言え、効率的に体作りの下となる食材を選び、疲労回復にも秀でた物も取り入れていた。
レオンは長い間、早逝した母に代わり、働き盛りであった父と、年の離れた弟の面倒を看ていたから、こうした知識や技術を取り込むことには積極的である。
しかし、単純なカロリー摂取量と言う点で言うと、レオン含めた家族がそれほど量を摂るタイプではなかったこともあって、やや控えめになっている所は否めない。
ジェクトとその息子の面倒を看るようになってからは、彼らの為に量を増やすようになったが、根本的には健康志向と言って良い範疇だ。
テーブルに重ねられていく空の皿を、真面目な表情で見つめているレオン。
何処まで増やすべきだろう、と真剣に考えている様子のレオンに、ジェクトはくっと喉を鳴らして笑う。
「良いよ、別に。お前の作る飯に不満なんかねえしな」
「……本当か?あんたの身の回りの管理は、あんたの為のもので、それは俺が整えるのが仕事だ。不満、と言うか、改善した方が良い点があるのなら、それは遠慮なく言って欲しい」
「真面目な奴だな、ホントに」
レオンの言葉に、ジェクトは苦笑を交えて言った。
「お前はお前なりに、ちゃんと計算して飯作ってくれるだろ。それで物足りなきゃその時に言うし、追加も出してくれるじゃねえか。十分だ」
「……」
「飲みの後には楽に食えるモン作ってくれるし。そりゃあ、偶にもうちょっと濃いモンが食いてえなって思うことは、まあ、あるけどよ」
「やっぱり」
「偶にだ、偶に。大体、毎日それをやるのも良くないもんだろ?」
「それは、な。摂った分、それ以上に消費しているなら、問題はないかも知れないが……長い目で見ると、歓迎は出来ない」
「そう言う所をお前が全部やってくれてるんだ。それで、俺の好みに合わせた飯を作って貰ってる。腹持ちも十分良い。贅沢なもんだ」
そう言ってジェクトは、ジョッキに残っていたビールを一気に煽る。
そして、空になったジョッキをテーブルに置くと、
「それより、食う量ならお前だ、お前」
「ん?俺?」
突然に矛先が向いて来たものだから、今度はレオンが目を丸くする。
何を言い出すのだろうと首を傾げるレオンに、ジェクトは続けた。
「うちのガキより食わねえじゃねえか。そんなだから細いんだよ」
「細くはない。あんたを基準にしないでくれ」
「細いだろーが、腰なんかこう……」
「だから、それもあんたの手がでかいから」
両手でレオンの腰のサイズ感について表すジェクトに、レオンは眉根を寄せて言い返す。
ジェクトにとって自分自身が基準になるのは無理もないが、決してそれは一般的な規格サイズではないのだと、レオンは繰り返し主張するのであった。
10月8日と言う事で、ジェクレオ。
今年もプロスポーツ選手×マネージャーです。周りを気にしてるようで気にしていない生活をしている二人のいちゃいちゃ。
レオンに胃袋を掴まれているジェクトですが、毎日作るのは大変だよなと言うのは判っているので、偶にはこんな日もあるかも知れない。
体格ではレオンは標準よりも上、しっかり締まった筋肉質だと思うんですが、ジェクトからすると細いと良いなと。そもそも体幹や骨の作りの基準が違うと言う。あとジェクトの手が大きいので、大体の人の腰は両手で覆えてしまう感じ。