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User: k_ryuto
スコールの背中に出来た火傷を見て、見た目よりは酷くはないな、とレオンは言った。
受けたのが義士の放った炎の矢であった事が幸いしたのだろう。
本物からして、魔法の扱いは得意じゃないんだ、と言う言葉の通り、彼の魔法は威力も速度も大したものではない。
とは言え、全くの見た目だけでダメージがない、などと言うことはなく、当たると言うより“接近状態で着実に当てる”ことに使い方を絞れば、戦闘に置いて牽制や次への繋ぎの一手としては十分有効だ。
スコールは複数のイミテーションとの混戦の最中、義士に背後を取られ、これを喰らわされた。
義士の持ち味は接近での多彩な武器の扱いであったこともあり、裏をかかれたのは否定できず、スコールにとっては悔しい傷となっている。
スコールはウォーリア・オブ・ライトやフリオニール、セシルと違い、鎧を身に付けていない。
元の世界の在り様からして、足が鈍重にならざるを得ないような甲冑類はとうの昔に廃れていたし、あっても精々局所を防護する為のものだ。
それも重さは金属よりも軽く、かつ衝撃を逃がしながら耐えうる特殊合金であるとか、カーボン等を多用した柔軟性のあるものが多かった。
尚且つ、接近戦よりも、銃を多用したり、大型駆動の機械兵器で圧力を与える戦術が主流であるので、弾丸を防ぐような防弾ジャケットの類は別としても、個々人の防具装備と言うのは、機動性が重視される所もあった。
また、スコール達SeeDは、ジャンクションと言う能力を使うことが出来るから、それを接続する事で自身の身体能力を底上げすることが出来る為、道具に関しては武器を最優先に、後は各人の戦闘スタイルに合わせて、機動力を落とさないように選ぶことが推奨されている。
だが、召喚されたこの異世界では、防具の類は中々大事なものになっている。
銃火器を使う者はいないし、弾丸もスコールがガンブレードに装填する以外に使い道はないが、その代わり、多くの世界では魔法の火力が非常に強い。
本物の魔女を除き、“疑似魔法”しか使うことが出来なかったスコールの世界に比べ、ファイア一発でもその威力は大幅に違う。
魔力を扱うのは得意ではない、と言ったフリオニールに関してもそれは同じで、スコールのファイアよりも、彼のファイアの方が幾らか威力は上だった。
この為、頑強な防具を身に付けていないスコールがそれを喰らえば、それなりのダメージが残る事になる。
────だが、スコールの背中に残った火傷の後は、範囲こそ広いものの、ほぼ表面的なもので済んでいるとレオンは言った。
「間近で喰らった訳ではないんだな」
「……多分」
火傷用の塗り薬をスコールの背中に塗り広げながら言うレオンに、スコールは小さく頷いた。
後ろからの攻撃だった為、自分自身でさえその詳細は確認できていないが、少なくとも数メートルの距離はあった筈。
だから撃って来るなら投げナイフか手斧だと警戒していたのだが、直線軌道のないファイアを使われるとは思わなかった。
慢心だ、と読みが浅かったことに唇を噛む。
レオンは薬を塗り終わると、救急箱から包帯を取り出した。
慣れた手つきで巻き付けられていく包帯の感触に、動き辛くなる、とスコールは眉根を寄せる。
「……包帯なんて良いのに」
「じゃあ、背中全部を覆う位、大きなガーゼでも買ってこようか」
「もっと邪魔だろ、そんなもの」
「なら大人しくしている事だ」
ぐ、と包帯の巻き具合を軽く締めるレオン。
スコールはまた唇を噛んで、むうう、と眉間に深い皺を刻んでいた。
「そもそも大袈裟なんだ。薬だって」
「だが、ケアルもポーションも使う程じゃないと言ったのはお前だろう」
「動けない傷じゃないんだ、ケアルだって薬だって勿体無い。それなのに」
「傷そのものを今すぐ治さなくて良いなら、傷口の保護くらいはしないと、衛生上良くないぞ」
「それは────そうだけど」
レオンの言うことは最もで、大した事がないからと、負傷を何もかも放置するのは良くない。
この世界で怪我と言うのは日常茶飯事であるから、その一つ一つに丁寧に手当てをするのはキリがないのだが、最低限の処置はしておくべきだ。
これなら大人しくケアルを貰って置けば良かったかも知れない、と包帯の窮屈さに辟易しながらスコールは思う。
そんなスコールの様子に、レオンは包帯の端を固定しながら言った。
「そう拗ねるな。何せ場所が背中だからな、自分ではどうなっているのかちゃんと見えてないだろう」
「……」
「大した火傷じゃないのは確かだが、何せ範囲が広い。判るか、此処から此処までだ」
トン、とレオンの指がスコールの背中の一点を押し、其処から随分と離れて下へ。
此処まで、と言ってもう一度指が押した場所までを考えると、確かに広い範囲と言えるだろう。
レオンがスコールを諫める為、大袈裟に誇張していなければ、だが。
「お前自身、大したことがないと思ってるなら、それは良い事だ。だが、かと言って軽く見過ぎるのも良くない」
「……判ってる」
「なら良い。包帯は明日、具合を確認するついでに替えるとしよう。ついでに他にも傷があるなら見ておくが、どうだ?」
「別に、他は何も」
傷なら戦闘の都度に大なり小なりつくものであるが、治療が必要なほどのものはない。
擦り傷だとか小さな切り傷だとか、そんなものまで気にしていたら、この世界では傷薬が幾つあっても足りなくなるだろう。
そろそろ服を着よう、とスコールがソファの上に放っていたシャツに手をかけた時だった。
ひた、とスコールの脇腹に、柔らかく触れる手の感触。
「ここの傷は?」
「傷?」
そんな所にあったか、とスコールは首を傾げた。
其処なら自分で見て確認できるだろうと視線を落としてみると、レオンの手が丁度それらしき場所を覆っている。
それじゃ見えない、とレオンの手を退かそうとすると、思いの外しっかりとした抵抗感に遭った。
「……レオン?」
「うん」
「……別に痛くもないから、多分大したものじゃない」
「そうか。じゃあ、こっちは?」
スコールの脇腹に触れていた手が、するりと腰を抱くように絡まって、強い力で引っ張られる。
身構える間もなく、スコールはレオンの腕に抱き寄せられるように捕まっていた。
手当の為にソファに横向きに片足を挙げて座っていたレオン。
その膝の上にスコールは座らせ、彼の胸に背中を預けるように寄り掛かる。
そしてレオンの手は、巻いた包帯のすぐ上───スコールの胸の上あたりを滑るように撫でた。
俄かにぞくん、とした感覚が体を走って、スコールは真っ赤になってじたばたと暴れ始める。
「っそんな所に傷なんてない!」
「よく見たか?」
「見てる!見えてる!」
目のない背中と違って、体の前ならちゃんと自分で見えるのだ。
首ともなると鑑が必要だが、胸の上位なら、少し見え辛くはあっても、ちゃんと視界に入る。
何度見ても傷なんてものは其処にないと言うのに、レオンの手は悪戯を止めない。
「ちょっと、止め……っ」
「背中の傷に響くぞ。大人しくしていろ」
「あんたが変な事をするから!」
「変な事と言うのは────」
これか、とするりと胸を撫でる指先。
たったそれだけの事なのに、覚えのある感覚に、スコールは口を噤んでしまう。
そうしないと、あられもない声が出てしまいそうになるからだ。
今日の秩序の聖域は至って静かなもので、いつもスコールに構いつけて来る賑やか組は勿論、他のメンバーも出払っている。
レオンは今日の待機番で屋敷に残っており、スコールはいつものように一人で出て、一人で帰ってきた。
よく追い駆けて来るバッツとジタンは、今日はそれぞれのパーティに組まれている為、スコールは一人気儘な時間を過ごしたと言う訳だ。
そんな時にイミテーションの群れと遭遇し、口惜しくも負傷して帰ってきたのだから、手隙でもあったレオンが手当てをしようと言うのは当然の流れだろう。
其処までは理解するが、しかし此処から先は、どう考えても手当と言う名目から外れている。
レオンは巻いたばかりの包帯のある場所を避けながら、他の露出している肌を酷く柔らかい触れ方で撫でて行く。
早く服を着れば良かった、とスコールは思うも既に遅く、後ろから首を甘噛みされるのが判った。
痕が残らない程度に立てられる歯の感触に、あ、と小さな声が漏れる。
「一通り確認しておこうか」
「な、にを……」
「他にも傷がないかどうか。お前はすぐに隠したがるから」
言いながら、レオンの右手がするすると降りて行き、スコールの腹を撫でた。
其処からまたゆっくりと、体のラインを確かめるように滑る手が、引き締まった太腿へ。
「だから、そんな所に傷なんて……」
「ないと言い切れるか?此処にもあるのに」
ちゅ、とレオンの唇が、スコールの肩の後ろを吸った。
彼の言う通り、其処に傷があるのか、今のスコールには確かめようもない。
だが本当に傷があるのなら、レオンはこんな戯れをしていないで、真っ当に手当てをしようと言い出すだろう。
それを思えば、やっぱり嘘か、精々とうに治った傷の瘡蓋が消え切っていないとか、その程度だろうとは思うのだが、
「こんな世界だからな。傷なんて一々気にしているものじゃないとは思うが」
「ん……う……」
「お前が無事だと言うこと位、触れて確認するのは良いだろう?」
そう言ったレオンの手が、益々確信をもって悪戯をするのを感じていると、これは確認じゃない、とスコールは思う。
屋敷の中はやはり静かで、メンバーは今朝発ったばかりだから、斥候や探索から早々に帰って来る者は少ないだろう。
しかしスコール然り、ふらりと出掛けて気が済めば帰って来る者がいない訳ではないのだ。
それを思うと、共有スペースとも言えるリビングで、これ以上の“確認”は聊か不味いと思うのも確かで。
「……レオ、ン……」
「ん?」
じわじわと育って行く熱の感触に、堪え切れないのはいつだってスコールの方だ。
レオンは普段と変わらない顔をしながら、けれど何処か楽しそうな顔で、スコールがそれを切り出すのを待っている。
言わなくては次に進んでくれないのが常だから、スコールは真っ赤になりながら白旗を上げるしかない。
此処は嫌だ、と蚊の鳴くような声で零せば、レオンは満足そうにスコールの項にキスをした。
柔く舌が当たるのが判って、ぞくりとした感覚が背筋を駆け抜ける。
背中の傷が、大人しく出来ないのかと抗議したような気がしたが、抱き上げる腕から逃げるなんて選択肢はないのだった。
レオスコいちゃいちゃ。
抵抗しているけど、レオンになら割と何されても良い距離感のスコール。
レオンの方も判っているので、スコールが本気で嫌がらない程度に揶揄いながら可愛がってる。
いつかの旅は、今思えばリノアにとって、とても自由で広くて無限大だった。
ティンバーのレジスタンス活動に関して、サイファーに相談しようと思って訪れたバラムガーデン。
そこで一緒にダンスを踊った青年は、「踊れないんだ」と言ったのに、本当はとてもダンスが上手かった。
なんで嘘を吐いたんだろうとその時は思ったけれど、今なら判る。
彼はごくごく単純に、ああいう場自体が好きではなく、他人と物理的にも心理的にも近しい距離になるのが好きではなかったから、壁の花に徹していたのだろう。
それを踊り場に半ば強引に引っ張りだした自覚はあったが、リノアはその瞬間のことを後悔していない。
あそこで彼に逢えたから、彼の顔をじっくりと見て覚えたから、その後の再会でもリノアはすぐに「あの時の人だ」と思い出すことができたのだ。
もしも思い出すことがなかったら、きっとリノアは彼にとって、“ただの依頼人”として終わっていただろう。
それから魔女と対決したり、軍に捕まったり、ガーデン内の派閥争いに巻き込まれたり。
動き出したけれど操作不能になったバラムガーデンの中を案内して貰ったり、海の真ん中にある大きな駅で、彼と二人きりで話をしたり。
魔女に意識を乗っ取られている間の事は、当然ながら全く覚えていないのだけれど、目を覚ました時の絶望感は忘れられない。
何処までも真っ暗な世界の中に独りぼっち、指先から冷えて行く体、息も出来ないほど、肺まで冷たくなって行くのが判った。
このまま死んじゃうんだ、と他人事のように思った、その時。
頭の中から響いてきた、死ぬ間際の空耳のようにも一瞬感じた、けれどはっきりと伝わった、名前を呼ぶ強い声。
必死に、一所懸命に、そんな風に自分の名前を呼んでくれる人がいるだなんて、思ってもいなかった。
そして、彼から預けて貰った“一番のお気に入り”が目の前できらきらと輝いていたから、ああこれは返さなくちゃ、と思ったのだ。
だから、生きなくちゃ、と。
それから二人きりの宇宙空間で、ほんの少しの間、話をした。
大事な話をしなくてはいけないことは判っていたけれど、現実から目を逸らしたくて、他愛もないことを語り合ったりもした。
けれど残酷な事実は、逃げても追い駆けて来て、結局、魔女の力のことは知られてしまった。
あの時、泣き出しそうな顔をしていたのは、リノア自身だけではないのだと、彼は気付いていただろうか。
沢山の人に、何より目の前の人に嫌われる前に、いなくなりたいと言った。
そうすれば、自分の心の中にいるのは、宇宙まで自分を迎えに来てくれた目の前の人でいっぱいになる。
それがあの時、リノアが精一杯に考えて考えて行き付いた、最後の我儘と、自分への慰めだった。
だと言うのに、そこからまた迎えに来てくれるだなんて、誰が思っただろう。
泣きそうな顔で見送ってくれた彼は、お気に入りのリングも預けたままで良いと言った。
だからきっと、多分、彼も最初はそういうつもりではなかったのだ。
彼はリノアの我儘をずっとずっと叶え続けてくれて、あの時もそれは同じで、最後までリノアの心に寄り添ってくれていた。
だからこそ、もう一度迎えに来てくれるなんて、想像もしていなかったのだ。
受け止めてくれた彼の腕の体温を覚えている。
「魔女でも良い」と言ってくれたその声は、耳の奥に染み付いて、きっと一生忘れない。
そして、きっと皆の旅の始まりとなった、未来の魔女との闘いは終わった。
何処にだって行く事が出来たような気がした、リノアの自由な旅も終わった。
拗れ続けていた父親との間は、彼が不慣れだろうに間に入ってくれて、自分自身もあの頃よりも周りがきちんと見えるようになって、少しだけ改善されている。
ただその分、ティンバーを駆け回っていた時のような向こう見ずな勢いは形を潜めてしまって、今は限られた場所を行き来する毎日。
内包する儘の魔女の力のこともあったし、それそのものはやはり恐ろしくはあるけれど、付き合って行こうと思う位には、受け入れた。
だってこの力があったから、リノアは彼等と一緒に旅をすることが出来たのだ。
だから、今後この力をどうするのか、どうすることが出来るのかと言う研究に協力することも含めて、以前よりは不自由になった日々を受け入れている。
────と、こう綴ると、今の日々が窮屈にも見えるのだが、存外とリノアは自由である。
行ける場所に限りはあるけれど、常に傍に監視がある訳ではなかったし、遠出をする際には護衛が求められる身にはなったが、その際就いてくれるのは事情を知っている面々、つまりはあの旅を過ごした仲間達だ。
カーウェイからの依頼と言う形もあり、彼等にとっては仕事の一つと言うことだが、それでもリノアにとっては、束の間、気心の知れた仲間と逢える貴重な機会だった。
特に一番心を寄せる、リノアの“魔女の騎士”は忙しさは最たるもので、中々その護衛任務に来てもらうことも出来ない。
それでも顔だけでも見たい、と願うリノアの乙女心を皆は理解してくれるから、可能な時には、彼のスケジュールを譲って貰えることもあった。
今回、バラムガーデンに来たのも、それが理由だ。
リノアは、一ヵ月ぶりにバラムガーデンの門を潜り、旧知の面々と再会した。
と言っても、皆多忙な身であるから、逢えたのはガーデンに教師業もあるからと詰めているキスティスと、任務帰りだったと言うゼルだけだ。
他のメンバーは、それぞれ明日には帰る筈よ、と言われたので、それを楽しみにしている。
そしてリノアは、「まだ顔を見てないから、多分部屋よ」と言うキスティスのアドバイスに従って、ガーデンのSeeD寮へと急いでいる。
(昨日も遅かったみたいだし、まだ寝てるかも)
勝手知ったる人の庭で、ガーデンの構造はリノアの頭に入っている。
すっかり通い慣れたルートを歩く足は、分かり易く弾んでいて、この後のことを楽しみにしているのが判る。
その後ろをついて来る愛犬も、久しぶりに彼と逢えるのが嬉しいのか、終始興奮気味にステップを踏んでいた。
寮の建物に入ったら、二階に上がって、並ぶ扉を四つ通り過ぎる。
部屋番号を間違えていないことを確認し、扉横のパネルについているキーボタンをぽちぽちと押した。
もう見なくても間違えずに押してしまえる位に、此処に通っているのだと思うと、なんだか面映ゆい。
解錠ボタンを押すと、ピピ、と言う小さな音が聞こえた後に、かちゃん、とロックが外れる音が鳴った。
「おじゃましま~す」
部屋主が寝ているかも知れないと言う配慮から、気持ち声を潜めて挨拶をしながらドアを開ける。
返事はなかったが、いつものことと言えばそうで、リノアは構わず中に入った。
アンジェロが一緒に中に入ったのを確認してから、そうっとドアを閉める。
改めて部屋へと向き直ると、思った通り、部屋の主───スコール・レオンハートはベッドの上で蹲るようにして眠っていた。
ネコちゃんみたい、と思いつつ、リノアは足音を忍ばせて、眠る部屋主の下に近付く。
「……おーい」
「………」
「お邪魔してますよ~」
声をかけるリノアだが、その声は眠りを妨げない小さなものだ。
目元にかかる前髪のカーテンを、リノアの指がそうっと持ち上げてみても、長い睫毛を携えた瞼は動かない。
大分深い眠りの中にいるようで、これは揺さぶりでもしないと起きないだろう。
けれど、日々を忙殺の中で過ごしている彼の事を思うと、それをするのは聊か可哀想だ。
アンジェロがベッドの端に顎を乗せて、くんくんと鼻を鳴らしている。
久しぶりに嗅いだスコールの匂いが、アンジェロにとっても嬉しいようで、はっはっはっ、と息が弾んでいた。
早く起きて遊んで欲しいけれど、眠りを妨げようとはしない愛犬に、リノアは良い子良い子と頭を撫でた。
「スコールが起きるまで、ちょっと待ってよっか」
「クゥン」
「うんうん」
返事をするように小さく鳴いたアンジェロに、リノアはくすりと笑う。
リノアがベッド横にすとんと腰を下ろすと、アンジェロはその隣に伏せた。
飼い主の気持ちに沿ってくれる、彼女もとても良いパートナーだ。
だから、リノアが大好きな彼に、彼女もよくよく懐いてくれたのだろう。
リノアはアンジェロの柔らかい毛並みの背中を撫でながら、じっと眠る恋人を眺めていた。
(やっぱり寝顔、可愛いなあ)
いつかに初めてその寝顔を見た時、リノアは同じ事を思った。
普段はずっと、それが基本のパーツのように浮かんでいる眉間の皺は、眠っている時だけ緩んで消える。
そうすると、存外と幼い顔立ちをしているのが露わになって、昔の彼が“泣き虫だった”と語るサイファーの言葉が判る気がする。
少なくとも、気が強い人の顔をしていないのだ。
彼等と知り合ってからまだ一年程度しか経っていないリノアにとって、そう言った思い出話は聞いていることしか出来ないものだけれど、こうやって、ふとした時にその名残の片鱗を見付けられる。
その瞬間が少しだけ嬉しくて、リノアは彼等の思い出話を聞くのが好きだった。
リノアはそうっと手を伸ばして、スコールの頬に触れる。
色白と言う訳ではないけれど、スコールの肌はあまり日に焼けることが出来ないらしく、日光に当たると僅かに赤らむ。
今日はずっとこの部屋で眠っているのだろう、そのお陰で今は健やかな肌色だ。
その頬をつんつんと突いてみると、薄い弾力の感触が帰ってきた。
(流石にそんなに柔らかくはないよね。スコールだし)
セルフィやゼルのようにころころと表情を変える訳ではないので、スコールの表情筋は固い。
ラグナのようにお喋りに富む訳でもないので、口の周りは尚更、動かすことは少なかった。
(初めて会った時からそうだった。あんまり喋らないし、ずっと眉間に皺寄せた顔してたし)
壁の花になっていた時、スコールの下には、ゼルやセルフィが声をかけに行っていた。
試験の時に同じ班───よくよく聞くとセルフィはまた違ったそうだが───だった縁もあっての事だろう。
その時から、スコールはあまり口を動かしていなくて、二人の方がオーバーにはしゃいでいるように見えた位だ。
スコールは早く帰りたい、と言わんばかりの様子で、面倒臭そうに黙々とグラスを傾けていた。
リノアは、そんなスコールを見付けて、格好良いな、と思ったのだ。
グラスを片手に、壁に寄り掛かって、一見するとぼんやりとした表情で、じっと天井を見上げている。
誰もが見ているようで見ていない、ガラス越しの空を、彼は一人見ていたのだ。
その時、リノアもなんとなく空を見上げていて、月の前を横切るように走る、小さな光を見付けた。
今思えばあの光は、大気圏で人工衛星か何か───ロマンを掲げるのなら隕石か───が燃え落ちる瞬間だったのだろう。
一秒になるかならないか、そんな僅かな時間に輝いた光を、自分と彼だけが見ていたから、リノアは彼に声をかけようと思ったのかも知れない。
(あと、格好良かったし)
別に人選びをしていたつもりではなかったけれど、あの場でスコールを見付けた時、彼が一番格好良い、とリノアは思った。
人目を避けるように壁の花に徹していた彼が、リノアには誰よりも眩しく色付いて見えたのだ。
あれからスコールとは色々あって、喧嘩もしたし、仲直りもした。
スコールは言葉が少ないから、暖簾に腕押しをしている気分になるのはよくある事だったが、それでも彼は色々な事を考えてくれている。
そして、大事な時には、きちんとリノアが欲しい言葉をくれた。
あの花畑で、つっかえながら話してくれたスコールの言葉は、何処まで行ってもリノアの一番柔らかい場所に溶け込んでいる。
(……今は、あんまり傍にいられなくなっちゃっているけど。でも、それでも……)
離れるな、と言ってくれた時、どんなに嬉しかったか。
リノアの望みに添って離した手を、もう一度握り締めに来てくれた時、その手を引いて封印施設から逃げた時。
嬉しくて眩しくて温かくて、前を走るその背中が愛しくて、夢を見ているような気持ちになった。
そして今も、スコールは、リノアを沢山の悪意から守る為に奔走している。
リノアが遠くに行かなくて良いように、自分の手の届く場所で守り続けることが出来るように。
だから彼の言った「俺の傍から離れるな」と言う言葉は、あの頃と形が少し変わっただけで、今もずっと続いているのだ。
(だからね、スコール。無理しないでね)
リノアが部屋の中に入って来ても、傍でこうして眺めていても、起きる様子のないスコール。
それ程、疲れているのだと思うと、リノアは歯痒いものもあったが、同時に嬉しくもあった。
大好きな人が、自分の為にこんなにも頑張ってくれる人がいる事が、嬉しくない訳がない。
だからリノアは、極力、休息を採るスコールの邪魔をしないようにと努めている。
……けれども、いつまでもこうして眺めているだけで時間が過ぎて行くのも、勿体無くもあって。
「……落書きでもしちゃおうかなぁ」
そんな風に、する気のない悪戯を呟くいた時だった。
んん、と小さくむずかる声が零れて、丸くなったスコールの手脚が身動ぎする。
「……う……」
「あ」
ぎゅう、と眉間に皺が寄せられた後、重い瞼が震えた。
薄らと覗いた蒼の瞳は、まだ差し込む陽光の眩しさを嫌い、何度も強く閉じては一瞬だけ開くのを繰り返す。
気配を察知してか、伏せていたアンジェロが頭を起こし、じっとベッドの上の住人を見詰めていた。
リノアはそっと、スコールの頬に手を当てた。
夢か現か、まだ寝惚けているのだろう、スコールのぼんやりとした瞳がリノアを捉える。
「……リノア……」
「うん。おはよう、スコール」
触れる温もりは夢ではないと、此処に自分はいるのだと伝えるように、優しく撫でてみる。
スコールはそんなリノアの手に、自分の手を重ねると、愛おしむようにそっとそれを口元に寄せ、
「……おはよう、リノア」
手のひらに触れる柔らかい感触に、わあ、とリノアの顔が赤くなった。
居眠りスコールと、それを眺めるリノア。
スコールにとって眠るリノアを眺めるのは、色々と思い出して複雑になりそうですが、リノアの方はスコールの寝顔を見るのは好きそうだなあと。公式に「寝顔、かわいい」で起きるまで眺めてたようだし。
あとうちのリノアは、スコールの顔が大好きなようです。格好良いし可愛いしで、痘痕も笑窪。スコールにとってリノアもそうなので、お互い様。
目覚めと同時に、鈍い頭痛を感じて、ああ二日酔いなのだと直ぐに気付いた。
昨晩は遅くまで飲んでいて、それ自体も先ずレオンにとっては稀な話だったのだが、加えて相手が気の知れた相手だった事も、また珍しい話だったと言えるだろう。
そもそもレオンが滅多に深酒をしないし、外で飲んだのなら尚更で、大抵は酔いが回る前に切り上げるようにしている。
その方が翌日に支障も出ないし、飲み相手の手を煩わせる事もないからだ。
しかし、気分が良ければやはり杯も進むもので、相手が彼ならとついつい気も緩んだ。
翌日の仕事が休みと言うこともあり、明日を気にする必要がないとなれば、やはりレオンも酒の誘惑には抗えず───結果、この頭痛と相成った訳だ。
重い瞼を擦りながら目を開けると、知らない天井が見えた。
ほぼ真四角で、それほど視界を動かさなくても一杯に見える辺り、ビジネスホテルであろうか。
シンプルで飾り気のない天井には、これもまたシンプルなLED電球が四つあるだけで、見様にによっては殺風景に見えるのかも知れない。
傍らには小さな滑り出しの窓があり、カーテンも引かれていたが、隙間から僅かに陽光が差し込んでいた。
光がそれ程強くない事から、まだ朝の時間としては早いのだろう、恐らく。
取り敢えず、正確な時間を確認しようと、レオンは時間を確認できるものを探した。
首だけを緩く回して、何処かに時計か携帯電話がないかと思っていた時、直ぐ傍らに、眩い程のプラチナブロンドが流れているのを見付けて、
「……────??!」
がばっ、とレオンは起き上がった。
自慢にもならないが、レオンの寝起きは悪い方だ。
仕事となれば覚醒用のスイッチが入るので、早め早めにアラームをセットする事も含め、浅い眠りからすんなりと浮上する程度の寝起きを得ることは出来るが、休みであれば話は別だ。
普段、そうやって仕事用の意識を徹底している所為か、休みの朝はそうして不足した睡眠を取り戻すように、覚醒までのエンジンが遅い。
どちらかと言えば低血圧気味だから、朝は余り急激な運動は控え、朝食を採るまでたっぷりと時間を採りながら行動する方だ。
そんなレオンであったが、今朝ばかりは違った。
ロケットスターターを踏んだように跳ね起きたレオンは、傍らにあるものを見て、更に目を見開く。
加えて、自分がすっかり裸である事に気付き、益々混乱が深まる。
(は?……何……え?)
古代の時代、とある国では床に広がる程の長い黒髪を持っている事が持て囃され、緑の黒髪と言う言葉が生まれた。
その黒髪は水が流れるように滑らかで、真っ直ぐ艶やかである事がより良いと言われ、それ故か、古文書に綴られた女性たちの多くは、そう言った言葉が似合うように描かれている。
現代では髪型は随分と自由になり、かくあれと言うようなイメージは、逆に個人の自由を奪っていると反論する声もあるのだが、それはそれとして、テレビCMでも度々見かけるように、しっとりと流れる長い髪と言うのは、やはり人々の羨望を集めるものであった。
その流れるように長い艶やかな髪が、今レオンの傍らに寝ている。
色は黒とは真逆の銀色であるが、その色であるが故に、黒よりも柔く光を反射させ、きらきらと眩く輝いている。
一本一本は酷く細い線のようで、それが幾重にも束になり、絡む事なく一本ずつが流れに沿っていく様子は、多くの女性の憧れを集める事だろう。
背中側からそれを見たレオンは、一瞬、酔った勢いで知らない女と寝たのかと思ったが、
(……セフィ、ロス?)
女でも早々見ないであろう、長く艶やかな銀髪の隙間から、しっかりとした背筋が覗いている。
均等に鍛えられ引き締まった筋肉は、フィットネスかボディビルでもしていれば別だろうが、女性のものとは明らかに違う。
時折身動ぎするその肩も、幅も、やはり男のものであった。
レオンの知り合いで、銀髪を持っている男と言えば、一人しかいない。
昨晩、一緒に飲みに出かけた、同僚のセフィロスただ一人だ。
一体どういう訳だとレオンが混乱するのは当然であったが、
(どうして、……ええと……あ……終電を逃して、一緒に泊まったのか?)
それなら納得がいく、とレオンはふと落ち着きを取り戻す。
昨日は珍しくセフィロスの誘いで飲みに行く事になり、良い店を見付けたと言う彼に任せていた。
案内された店は、ひっそりとした場所にあった隠れ家的なバーで、確かにレオンものんびりと過ごす事が出来たし、美味い酒にもあり付けた。
積もる話があったと言う程ではないが、会社の愚痴なり、案件の相談なり、レオンの家族の関する話なりと、意外と話題は尽きず、その間にそれなりに酒も飲んだ。
其処までは辛うじて思い出したレオンだが、やはり飲んだ量があった所為か、いつ店を出たのか、帰り路をどうしたのかは全く出て来ない。
現状として考えられるのは、終電を逃し、店の場所からしてタクシーで帰るのも聊か遠いだとか、レオンが潰れた事で近場のホテルで泊まることをセフィロスが選んだと言う所か。
それで納得がいく事は幾らもあるのだが、いやしかし、
(………なんで……裸なんだ?)
ベッドが一つしかない小さな部屋だと言う事は、空いている部屋が其処しかなかったのだろうと思う。
そこそこ体格の良い男が二人で並んでも全く窮屈に感じないと言う事は、ダブルかセミダブルだろうか。
それもまた、部屋が選べなかった上、意識の飛んだ酔っ払いを抱えて別のホテルを探す面倒を思えば、理解できる。
だが、どうして二人とも裸なのだろう。
裸で同衾しているなんて、まるで何かあったみたいじゃないか、とレオンがまさかと思った時だ。
(……何か……いや……それは……)
じん、とした感覚がレオンの体に滲んで来て、その違和感の部位を覚ってしまう。
それこそまさかと思うのだが、ではこの感覚の正体と由来は一体何なのかと問われれば、答えに詰まる。
正確な答えを知らないレオンは想像するしかないのだが、ともかく“そう言うものではないか”と思ってしまう位には、答えが一つしか浮かばなかった。
(酔って……吐いた?服の上にぶちまけたとか。それなら、脱がすのは、当たり前で……)
覚えはないが、ひょっとしたら吐いたのかも知れない。
酔っ払いが衝動で襲ってくる吐き気にできる対応など知れたもので、我慢できずに衣服を犠牲にするのはある事だ。
その際、飲み相手の服まで駄目にしてしまうと言う事も、残念ながら、起き得る事である。
そうなれば、服は脱がされ、着替えさせるまでは面倒にされて、裸のままベッドに放り込まれるのも理解できる。
だがレオンの方はそれで良いとして、どうしてセフィロスまで裸で寝ているのか。
眠る時には裸身でなくては落ち着かないと言う人はいるから、そう言うことだろうか、と当て嵌まる理由を探すように惑乱していると、ゆっくりと銀色が起き上がり、
「……ああ。起きたか」
ゆっくりと振り返った美丈夫は、不思議な虹彩を宿した翠にレオンを認め、そう言った。
普段の様子と全く変わらないその冷静振りに、レオンが反対に言葉を失っていると、形の良い指がゆっくりとレオンの頬へと伸ばされる。
寝癖のついた髪を指先で愛でるように滑らせた後、その手はレオンの耳の裏側を柔らかく圧した。
「辛くはないか。それなりに配慮はしたつもりだが」
「……え」
セフィロスの言葉に、レオンは意味が読み取れずに混乱する。
どういう意味だ、と問う事さえも忘れ、ただただ目の前の銀色美人を見詰めてフリーズしている間に、セフィロスはレオンの肩を抱き寄せた。
突然の力の作用に、これまたレオンが目を丸くしていると、セフィロスの手はレオンの腰の後ろに添えられる。
「痛むならこの辺りだと思うが」
「ちょ……セフィロス、待ってくれ」
止めるレオンの声などどこ吹く風と、セフィロスはレオンの肩口から背中を覗き込んでいる。
腰に添えられた手が、酷くやんわりとそこを撫でるものだから、レオンは俄かに妙な感覚に襲われた。
待ってくれ、ともう一度訴えるが、セフィロスは酷く真剣な顔でレオンの背中を見下ろしている。
「……見ただけでは分からんな」
「な、何を見ているんだ」
「後は……ああ、一番無理をしたのは此処だと思うが、どうだ?」
そう言ってセフィロスは、レオンの臀部をするりと撫でた。
労わっているのか、揶揄っているのか、よく判らないその仕種に、レオンは咄嗟にセフィロスの腕から逃げる。
後ずさって距離を取ったレオンは、掛布団を蹴り飛ばしていた。
布団はベッドの端に放られ、男二人がすっかり裸になっているのが露わになる。
案の定、レオンもセフィロスも、下着すら履かずに全くの裸であったことが明らかになり、どうして───とレオンが更なる混乱で言葉を喪うと、
「……覚えていないか。まあ、仕方がないとは言え、残念だな」
「な……」
「俺としてもそれなりに腹を括った話をしたつもりだったんだが」
「は……!?」
セフィロスは一体何をしているのか。
一体何を言っているのか。
昨晩、自分達は一体何をどうしたと言うのか。
幾つも浮かぶ疑問を、レオンは目の前の男にぶつけるべき言葉も探せずに、ただただ硬直する。
その傍ら、先も感じた躰の違和感が、じんじんとした信号を持って主張し始める。
まるで、答えはこれだと言わんばかりの感覚に、まさかそんな事はと、理性と常識と言う理屈がレオンを雁字搦めにしていた。
蒼くなって赤くなって、見当たらない記憶を必死に探るレオンに、セフィロスは肩膝を立て、其処に頬杖をつきながら、緩く笑みを浮かべて見せる。
「まあ、俺も昨日は多少なり酒が回っていたからな。その所為で口が滑ったようなものだったが、お前の方から構わないと言ってくれたのは、嬉しかった」
「……俺の方、から?」
「お陰で俺も変に張り切っていたかも知れないな。だが、離そうとしなかったのはお前だったし」
「……俺、が……」
「ああ。初めての事だから無理はさせたくなかったんだが、随分と情熱的に強請ってくれるものだから、俺も止められなかった」
何を、何が、とセフィロスははっきりとその単語を口にはしていない。
しかし、何をしたのか、何があったのか、それをレオンに匂わせ理解させるには、十分な言葉が使われていた。
ただそれを確定的にさせないのは、レオンの昨夜の記憶がない、と言う点のみ。
それ以外は、レオン自身がずっと感じている体の感覚も含めて、それが事実であると告げているようなものだった。
きしり、と小さくベッドのスプリングが音を立てる。
ベッドの隅に逃げていたレオンの下に、セフィロスはいつの間にか近付いていて、あの恐ろしく整った顔がレオンの目の前に迫っていた。
同僚として見慣れている筈だったその貌に、触れそうな程に近い距離で見詰められ、俄かにレオンの心臓が走り出す。
妙に距離感の近い所のある男だから、そんな距離に詰められるのはレオンにとって決して初めての事ではない筈なのに、まるで体が“何か”を覚えたかのように、じんじんとした熱が腹の奥で疼き出した。
吐息が届きそうな距離で、セフィロスはゆるりと笑って言った。
「お前が酒に弱いことを、もっと考えておくべきだったな。覚えていないのなら、それは仕方がない」
「……セフィ、ロス……っ」
「だが、それならもう一度、確かめてみるまでだ」
セフィロスの指がレオンの顎を捉え、まるで逃げるなと言うように、綺麗な顔へと向かされる。
幾人もの異性を虜にし、同性の嫉妬を集める、整い過ぎた貌が、どうしてよりにもよってこっちへ向けられているのかと、レオンの思考はずれた方向を向き始めていた。
逸る心臓は、今にも口から飛び出して行きそうだった。
それを塞ぐかのように、ゆっくりとセフィロスの貌が近付いて来る。
「なあ、レオン────」
告げる言葉を、自分は本当に、昨日の夜に聞いたのか。
それに何と答えたのか、必死に記憶を探るも、やはり答えは見付からないのだった。
ただ突き飛ばす事も出来ずに、その唇を受け入れていた時、目の前で閃く虹彩が、酷く満足そうに笑んだ事だけが判った。
7月8日なのでセフィレオ。
大人なのでね。酔った勢いでそんな事が起きたりもするかも知れない。
この件の後、レオンはしばらくぎくしゃくしてますが、セフィロスの方は拒否されなかったので良し良しと思ってる。
脈アリなのは確かなので、此処からはじっくり囲って行くんだと思います。
一見すると大人びて見えるものだから、折々にその年齢を忘れることがあるのだが、スコールはれっきとした17歳だ。
シャープな印象を与える整った面立ちや、同年齢の少年少女達に比べ、聊か冷たく見えるほどの落ち着きぶりがあるので、大学生くらいに間違えられるのはよくある事だ。
フォーマル系の服でも来ていたら、既に成人していると言っても、余り違和感はないかも知れない。
だが、彼をよくよく知ってから見ると、見た目の印象に反して、存外と子供っぽいのだと言うことがよく分かる。
大人びて見える言動は、彼自身が少しでも早く大人になりたい、幼い頃の甘えん坊から脱却したいと足掻いた結果。
しかし根の部分はそう簡単に覆る程変われる筈もなく、見栄っ張りな部分や、負けず嫌いで意地っ張りな所、相手にも因るが、やられたらやり返さないと気が済まない等、年相応に幼い青臭さもしっかりとあるのだ。
そして、彼が言葉以上に頭の中でお喋りをしており、非常に感受性豊かである事は、ごく限られた人間の間でしか知られていない。
そんなスコールとクラウドが恋人同士になってから、そろそろ半年が経とうとしている。
付き合い始めて三カ月が経った頃、健全な一線も無事に越えて、身も心も繋がった。
以来、スコールは週に一回、多ければ二回と言う頻度で、クラウドの家に泊まりに来ている。
お陰で散らかり易くて幼馴染のティファにも呆れられたクラウドの自宅は、年上として少しはきちんとしているように見せなくてはと、そんな気持ちから多少なり整えられるようになった。
碌に使っていなかったキッチンは、スコールが来た時に手料理を作ってくれるので、半年の間に調理機材が着々と増え、今では立派に“キッチン”として稼働している。
一日三食、下手をすると一週間をカップラーメンで過ごし、ビールの置き場くらいにしか役立っていなかった冷蔵庫の中には、葉物に根菜、調味料、作り置きの料理の入ったタッパーなんてものも入り、見違える生活ぶりだ。
勿論、クラウドの生活サイクルにも変化はあり、ともするとゲーム廃人のような休日を送っていた以前に比べると、真っ当に健康的な生活習慣が完成している。
人は恋をすると此処まで変わるのだと言うことを、クラウドは我が身にしてしみじみと感じていた。
クラウドを其処まで変えてくれた年下の恋人は、今日もクラウドのアパートに泊まりに来ていた。
安普請なアパートで、エアコンも年代物で「風の強さが強と最強しかない」と言われるような環境は、恋人と熱い夜を過ごすには聊か不便もなくはない。
主には壁の厚みであったが、かと言ってスコールの家にクラウドが行くのは、お互いに少々抵抗があった。
と言うのも、スコールは幼い頃に母を失くして以来、子煩悩な父親と二人暮らしをしている。
仕事の都合でいない時の方が多いと言うその父親であるが、とは言え全く帰って来ない訳でもないから、其処で諸々をするのは流石に憚られるものがあった。
そもそもスコールは、クラウドと付き合っている事を、まだ父親に話していない。
いつかは────と思ってはいても、人との交友と言うものに積極的ではないスコールであるから、恋人を持ったのはこれが初めての事だった。
それが普通に同じ年頃の少女であればもう少し話は違ったのだろうが、しかしクラウドは男である。
既に体の関係も持っているとは言え、どんな顔して言えって言うんだ、反対されたら────と言う不安もあって、まだ二人の関係は父親に対して秘密にされている。
クラウドはいつでも腹を括って挨拶に行くつもりではあるが、スコールがそう言うならと、彼のペースに合わせるつもりだった。
だから、二人が共に夜を過ごすのは、クラウドのアパートでと決まっているのだ。
スコールが家に来てくれた日は、必ず彼が夕飯を作ってくれる。
仕事で疲れて帰ったクラウドの為、必ずボリューム満点の食事を用意してくれるのだが、これが中々凝っていて旨い。
更に、酒の当てになるものも作ってくれるから、クラウドはスコールが家に来るようになってから、少々体重が増えたような気がしている。
肉体労働の職種であるので、カロリーも消費するから、体型が大きく変わる事はないようだが、カップラーメンで日々を過ごしていた頃に比べると、胃袋の満足感が鰻上りになったのは間違いない。
夕飯を腹六分で済ませて、後は酒を飲みながらツマミを貰ったお陰で、クラウドはすっかり上機嫌だ。
酒は親友から、その親友はどうも仲の良い上司から貰った由来のあるもので、まだまだ薄給と言えるクラウドがおいそれと買えることのない高級品だった。
度数がそこそこ高いと言うのに、口当たりが柔らかいものだから、ついつい杯を重ねてしまう。
しかし、今夜はスコールがいるから、クラウドはまだ欲しい気持ちをぐっと堪えて、晩酌をお開きにした。
スコールが「俺が片付けておく」と言ってくれたので、食器を彼に預け、クラウドは風呂に入っている。
(中々良い酒だったな。全く、何処であんなものを手に入れて、それをポイと人に譲れるんだか)
親友と共通の上司の顔を頭に浮かべながら、羨ましいものだと天井を仰ぐ。
あれと同じ位の成績と出世をすれば、自分も同じような代物を手に入れることが出来るのだろうか。
そんな事を考えてみるが、一小市民な気概が染み付いた自分では、高級品は中々気後れして手が延びそうにない。
(……しかし、スコールと一緒に飲むなら、どうせなら美味い奴の方が良いな。良い酒だったから、いつかスコールにも飲ませてやりたいし)
スコールはまだ17歳だ。
誕生日がクラウドと近いと言っていたので、直に18歳になるそうだが、それを含めても彼の成人まではあと二年。
それまでにもう少し給料が上がっていると良いが、と少々世知辛い事を考えつつ、クラウドは湯から上がった。
この後も期待もあって、夜着に袖を通すクラウドは少しそわそわとしていた。
年下の恋人はこの手の事には極めて初心なのだが、最近少しずつ、クラウドと褥を共にする事に慣れてきている。
その傍ら、風呂に入る頃にその後のことを彼も意識しているようで、風呂が空いたぞ、と言うと赤くなりながらいそいそと風呂場に向かう後ろ姿に、クラウドは少し興奮していた。
「スコール。上がったぞ」
キッチンの方を覗き込みながらそう言ったクラウドだったが、其処にあった光景に目を丸くした。
流し台で食器を片付けていた筈のスコールが、その下で座り込んでいるのだ。
慌ててクラウドはスコールに駆け寄り、傍らに片膝をついて声をかける。
「おい、スコール。どうした?」
「……」
「スコール。気分が悪いのか?」
口元を手で抑え、俯ているスコールに、クラウドは体調が悪いのかと心配する。
しかしスコールからの反応はなく、揺すって良いものかと肩に沿えた手に力を込めつつも迷っていると、緩慢な仕草でスコールがやっと顔を上げる。
「……クラウド……?」
「ああ。大丈夫か?」
「……ん……」
何処か焦点の合わない、ゆらゆらと頼りなく見える蒼の瞳が、クラウドを見詰める。
眉間の皺が緩んでいる所為か、その表情は酷く幼く見えて、目元が薄らと潤んでいるものだから、クラウドは一瞬彼が泣いているのかと思った。
スコールの口元に当てられていた手が、ゆっくりと其処から離れ、恋人へと伸ばされる。
その手はクラウドに触れるか触れないかの所で止まり、迷っているようにも見えた。
クラウドがそれを掬うように握ってやると、心なしか安堵したように、スコールの眦が甘く和らいだ。
かと思ったら、スコールの頭がゆっくりと傾いて、目の前で跪く格好になっているクラウドの肩に、ぽすん、とその頭が乗せられる。
「スコール?」
「……んぅ……」
「……?」
名を呼んでみれば、むずがるような声が聞こえて、クラウドは首を傾げる。
スコールのこう言った仕草は、寝惚けている時に儘見られる可愛らしいものであるが、それをこんな時にするとはどう言う事なのか。
ひょっとして熱でもあるのか、ともう一度顔を確認しようとするクラウドだったが、スコールはクラウドの首に腕を回して、しっかと抱き着いて来る。
ぴったりと密着しているものだから、クラウドからはスコールの耳元が見えるのが精々であった。
しばし迷った末に、クラウドはそっとスコールを抱き上げて見る。
いつもなら恥ずかしがって離せ下ろせと暴れ出す、所謂お姫様抱っこと言うスタイルで持ち上げると、スコールは意外にも腕の中にすっぽりと納まってくれた。
それなりに身長がある───何せクラウドよりも少しだけ、ほんの少しだけ高い───から、長い足が狭い廊下の壁を擦っていたが、当人は全く気にせずクラウドにくっついている。
いやはやこれは、と益々の混乱を感じつつ、一先ずクラウドはベッドへと向かった。
朝の抜け殻の気配を残すベッドにスコールを下ろそうとすると、ぎゅう、と抱き着く力が強くなる。
「おい、スコール」
「…ん……」
「下ろすから、腕を」
「……んぅ……」
離してくれ、と言う前に、またスコールの腕に力が籠る。
これは無言の「イヤ」だ。
(……甘えているのか?それは、嬉しいが……)
スコールが判り易く甘えてくれるのは、滅多にない事だ。
それが見られるのは、朝に弱いスコールの寝起きか、熱い夜を過ごして彼をとろとろに溶かした時位のもの。
まだ夜の帷も入り口にならない内から、こんなにも抱き着いてくれるなんて、今までになかった事だ。
可能性として有り得るのは、何か嫌な事を思い出したとか、父親と喧嘩をしたとかで情緒不安定になっている時だが、夕餉の時も晩酌の時もそう言った様子はなかったから、恐らくどちらも違うのだろう。
本当に急な事に、クラウドはしばし戸惑っていたが、
「……ん?」
「クラウド……」
「……スコール。ちょっと」
「ふ……?」
すん、と鼻に覚えのある匂いを感じて、クラウドはスコールの口元を見詰める。
顎を指で捉えて、薄く唇を開かせた状態で、クラウドは鼻を寄せてみた。
────ついさっき、クラウドが飲んでいたばかりの酒の匂いがしている。
「……スコール。ひょっとして、飲んだのか?」
「………」
問うてみると、スコールはしばしの沈黙の後、ぷいっとそっぽを向いた。
叱られることを感じ取った猫の仕草だ。
(そう言えば、興味がありそうに見てたな……)
晩酌をしている間、クラウドが摘まみと一緒に飲んでいた酒。
スコールも作った摘まみを夜食に齧りつつ、ジュースを飲んでいたのだが、時折その視線はクラウドのグラスに向けられていた。
冗談交じりにクラウドが「飲んでみるか?」と言った時には、「未成年に奨めるな」と諫めてくれる位には真面目だったのだが、本心では気になっていたと言うことか。
そして片付けを引き受けて、クラウドが風呂に入っている隙に、グラスに僅かに残っていたアルコールに口を付けてみた、と言った所か。
クラウドは、そっぽを向きつつも、姫抱きの状態から逃げようとはしないスコールに、これ見よがしに聞こえる溜息を一つ。
スコールも自分がやった事への罪の意識はあるのだろう、びく、と小さく震えるのが伝わった。
逸らされていた顔が、そろそろとクラウドへと向き直り、伺うような蒼の瞳がじいっと上目遣いに恋人を見詰める。
「……どれ位飲んだ?」
「……のんでない」
「嘘を吐け。ちゃんと言わないと、怒るぞ」
「………」
語尾を少しだけ強めに言うと、スコールはいやいやと首を横に振って、クラウドにしがみ付く。
怒っちゃ嫌だ、と言うその姿は、駄々を捏ねる子供そのものだ。
酔うとこんな風になるのか、と少し新鮮な気持ちでその姿を見ていると、
「……ちょっと、舐めた、だけ……」
「本当に?」
「……苦かったから」
美味しく感じられなくて、スコールはそれ以上は口をつけていない、と言う。
それでこんなにも酔っ払うのかと、普段との言動の差もあって、クラウドは内心驚く。
これは相当弱いな、と思っていると、スコールはクラウドの頬に猫のように頭を擦り付けて言った。
「クラウド」
「ん?」
「セックスするんだろ」
しよう、とスコールはクラウドの唇にキスをする。
いつにない積極性に、これもまた酒の力か、と思っている間に、クラウドはベッドへと押し倒されていた。
スコールはその体の上に覆い被さるように乗って、クラウドの頬に首筋に、キスの雨を降らせている。
素直に甘えてくれる事は勿論、こんなにも積極的なスコールも珍しい。
人との交流と言うものに消極的なスコールは、初めての恋人関係と言うものも、どうして良いのか分からず、普段は専ら受け身である事が多い。
性的な事に関しては尚更で、いつも主導権はクラウドに任せており、自身は言われるように、されるがままに委ね切っていた。
回数を重ねるに連れて、少しずつ自らも行動するようにはなっているが、元々の恥ずかしがり屋や、理性が強い性格も相俟って、やはり基本的にはクラウドの合図を待っている所があった。
それを思うと、こんなにも積極的に求めてくれると言うのは、クラウドにとっても驚き一入に嬉しいものがある。
照れ屋な部分が、酒のお陰でその抑制が外されていると思うと、このまま雪崩れ込んでしまいたい気持ちはなくもない────が。
(……いや、それもどうなんだ。事故とは言え、酔っ払った未成年を相手に)
此方は良い年をした大人だ。
年齢は十も離れてはいないが、クラウドは一端の社会人のつもりがある。
幾ら可愛い恋人とは言え、流石に良くはないだろうと、ブレーキが働いた。
それに、すりすりと懐くように甘えてくれるスコールの様子は、本当に子供のようだ。
普段はこんな風に甘えたいのを、背伸びしたがる心が抑えているのかと思うと、反って庇護欲めいたものが刺激される。
「スコール。スコール」
「……ん……?」
名前を呼ぶと、スコールはとろりと蕩けた瞳を向けてきた。
熱を持っている時の表情に、クラウドも少しばかり欲望が疼くものがあったが、ぐっと堪えて細身の体を抱き締めてやる。
「クラウド?」
「こっちだ」
「う」
腹の上に乗っている重みを、クラウドは隣へと転がした。
ぽすん、とシーツに落とされたスコールは、きょとんとした表情でクラウドを見詰めている。
ゆっくりとその眉尻が下りて、心なしか不安そうな表情を浮かべるスコールに、クラウドはくすりと笑って濃茶色の頭をぽんぽんと撫でた。
「……しないのか?」
「そうだな……」
「やだ、する」
「こら」
ごそごそと身を寄せて、下肢に触れようとする腕を、クラウドはやんわりと捕まえる。
納得のいかない拗ねた顔で睨むスコールだが、クラウドはその目尻に柔くキスをした。
「するなら、俺のペースで良いか?」
「……あんたの?」
「ああ」
「……いい」
クラウドの言葉に、掴まれていた腕の、抵抗する力が抜ける。
拗ねた表情は早い内に引っ込んで、スコールは目を閉じ、また猫が甘えるようにクラウドに身を寄せた。
喉元に触れる唇の気配を感じながら、クラウドはそっとスコールの背中に腕を回す。
努めて優しく抱きしめて、体温を分け合うように密着し、ゆっくりと背中を叩いてやる。
規則正しい一定のリズムで背を叩く手に、スコールは心地よさそうに目を細めるのだった。
7月8日でクラスコの日。
良い大人としてちゃんとしているクラウドと、駄々っ子スコールが浮かんだので。
……ちゃんとしてるけど、手は出しているんだなあ。お互いの明確な意識で同意の上でね。
斥候なり調査なりと、遠出をする時には、野宿で夜を越すのは当然のことだ。
その際、テントなどの道具を持ち出しているかは、時とメンバーにより変わるものだった。
遠出をする時は、それよりも食料や薬と言った備蓄を多く用意しておきたい事もあり、赴くのが二人程度なら野宿用の道具は置いて行かれる事が多い。
荷物を持つ手に余裕があれば、寝袋程度は用意しておこうか、と言う位だった。
同行者が増え、一日二日で帰るには聊か厳しい距離が予想される場合は、嵩張るが眠り休む環境を整える目的で、簡易テントを持って行くようにしている。
秩序、混沌ともに十人と言う数を思うと、四人での行動ともなれば十分に大人数と言えるだろう。
となれば、やはりテントは持って行くべきだろうと言う意見が出る。
その理由の一つには、今回のメンバーにティナが組まれており、秩序の陣営唯一の女性である事も相俟って、男達はやはり少々手厚くしてしまう所があった。
これがもし完全な男所帯であり、軍属や兵役の経験のある者のみで構成された選出であったなら、地面に雑魚寝も厭わなかっただろう。
勿論、それも行く先の状況、予想される襲撃等も加味した上での選択ではあるが、サバイバルに慣れている者である程に、そう言った荷の選定にはシビアなものである。
今回はメルモンド湿原方面にて確認された歪の解放と、先日、奇妙な空間の亀裂を見付けたと言うティーダの発言を元に、その調査に赴いていた。
空間の亀裂と言うのが、まさしく文字通りの代物だと彼が言うので、物理的なものよりも、魔力の方を探ってみた方が良さそうだ、と言う事から、ティナの同道が決まった。
発見者であるティーダ、魔力の感知に長けたティナ、そして後はクラウドとスコールと言うメンバーだ。
メルモンド湿原はほぼ常に雨が降り続いている為、この地で長時間の調査をするとなると、雨避けの道具は必需品となる。
テントも勿論持ち込まれており、雨避けとしての役割がそこそこに期待できる樹の下にそれを張って、そこを拠点にしての調査を開始した。
調査開始から二日目の夜、ティナはふと目を覚ました。
日中、魔力探知の為に気を張っている事を鑑みて、ティナは見張りのルーティンから外されており、残りの三名で不寝番をしていた。
長く休ませて貰える事は、助かる反面、少し申し訳ないな、と思う。
しかし、必要であれば探査魔法の他、イミテーションと遭遇した際には遠方にいる内に先手必勝と魔法を使う機会も多いので、夜を回復に専念させて貰える事は非常に有り難い。
それ故にティナの眠りはそこそこ深いものであったのだが、不意の覚醒と言うのはあるものだ。
雨粒のサイズが大きくなったか、木枝を擦り抜けた雨粒がテントを叩く音を鳴らしていたのも、それを促した理由だったのかも知れない。
だが夢を見ていた訳でもないので、寝覚めの不快感や焦燥感と言うのもなかった。
本当に、ただただ目が覚めただけなのだ───と、目覚めてから一分ほど経って認識するに至った。
その間に雨により冷えた空気が感じられるようになって、寝袋の端を摘まんで包まろうとした時、
(────あ)
視界の端にちらりと影が見えて、ティナはそうっと首を巡らせた。
肩越しに見えたのは、雨音に叩かれるテントの屋根をじっと見上げているスコールだ。
まだ遅い時間なのだろう、テントの中は灯りもない為、夜に溶けたような色をしているスコールのシルエットは、少し見難かった。
けれども、よくよく知る仲間のものであるから、肩だけがふわふわと柔らかそうな毛束があるのも含め、それが誰かと言う情報については十分だ。
段々と暗闇に目が慣れるにつれ、少しずつテントを見上げる少年の表情も見えて来る。
何かを思い出しているような、雨の音を聞いているような、そんな顔をしていた。
その横顔が何かを無心に求めているように見えて、何か声をかけた方が良いだろうかとティナは思案していたが、その切っ掛けは彼方から先にやって来た。
「……起こしたか」
気配か視線か、どちらにせよティナは彼をじっと見詰めていたものだから、覚るには十分だっただろう。
顔を此方へ向けてそう言ったスコールに、ティナはころりと体を向けて、小さく首を横に振った。
「ううん、目が覚めただけ。スコールの所為じゃないよ」
「……そうか」
ティナの言葉に、スコールの反応は少ない。
寡黙な彼にはよくある事で、返事がある事自体が、彼が気を許してくれている証拠なのだと教えてくれたのは、ジタンとバッツだ。
そんなスコールの向こうでは、かーかーと寝息を立てているティーダがいる。
ティナが起き上がって、スコールの陰から覗き込むようにしてそれを見てみれば、スコールは察したのか少し体を退けてくれた。
ティーダは小さなテントである事など気にせず、手足を自然に放り出すように伸ばして、健やかに眠っている。
口を開けているのが、彼の奔放さを表しているようで、ティナはくすりと目元を綻ばせた。
「ティーダ、よく寝てるね」
「……そうだな」
「スコールは、あまり眠れそうにないの?」
「いや……」
ティナの言葉に、そんな事はない、とでも言おうとしたのだろうか。
しかしそれきりスコールは口を噤んでしまい、ばたばたと音を鳴らす布天井をまた見上げている。
ティナはなんとなく、スコールの視線を追うようにして、天井を見た。
使い古されたテントではあるが、幔幕はまだしっかりとしており、解れも少ないので、雨漏りすることはないだろう。
耐水性には優れた代物であるが、材質としては布なので、多量の水を被ればやはり水分を多く含んで湿気を生んで来る。
心なしか重く弛んだように見える天井を見つめるスコールの横顔は、先と同じ、心此処にあらずと言うように見えた。
さわ、とティナの胸の内で、何かがささめいた。
それは彼女自身、自分の内の事でありながら、はっきりと聞き取れないものであったが、自然とその唇は開く。
「……スコールは、まだ眠らないの?」
「……その内寝る」
今の所は寝る気にならないのか、スコールは天井を見上げたままでそう答えた。
それが、「今は眠れない」と呟いているようにも聞こえたのは、ティナの気の所為だろうか。
ううんと、とティナはしばし迷ったが、薄暗い中に見える少年の貌を見詰めている内に、決心が決まった。
よく眠っているティーダをうっかり起こしてしまう事のないように、ティナはそうっと起き上がる。
その気配に気付いて、此方に視線を向けたスコールの眉間には皺が浮かんでいたが、ティナは幸いにも気付かなかった。
包まっていた寝袋を開くと、外気から体を守ってくれる殻がなくなって、冷たい湿気の感触が判る。
これでは眠る気にもなれない筈だと納得しながら、ティナはスコールの方を向いて、両腕を伸ばして見せた。
「はい、スコール」
「……は?」
どうぞ、と両の掌も前に出して見せるティナに、スコールは傍目に少々面白い具合に表情筋を偏らせた。
一体何をしている、と問う瞳に、ティナは小さな子供を宥めるように、はんなりと笑って言う。
「寒いんでしょう?だから、一緒に寝ましょう」
「…………はぁ?」
ティナの提案に、スコールはたっぷりと間を置いて、顔を引き攣らせる。
相変わらず、良くも悪くも、ティナはそんなスコールの反応の理由には疎く。
「温かくなったらきっと眠れるわ。怖い夢を見る事もないし」
「別にそんなものは……いや、そもそも怖い夢を見た訳じゃ」
「遠慮しなくて良いの。ルーネスやジタンとも時々一緒に寝る事もあるし」
「あいつらと俺を一緒にしないでくれ」
「クラウドとも一緒に寝る事があるのよ。だから大丈夫」
慣れてるから、と言うティナに、スコールの表情が何やら忙しく変化する。
眉間の皺は当然にあるものとして、テントの外にいるであろう見張り役を見遣ったり、天井を仰いでみたり。
真一文字の唇の中で、何やら色々な言葉が渦巻いているようだったが、彼はそれを口にはしなかった。
バッツやジタンなら、それを読み取る事も出来たのかな、と思いつつ、ティナは両腕を差し出してスコールがやって来るのを待つ。
寒いから一緒に寝てくれないかい、とよく提案して来るのはジタンだ。
そう言う時、大抵ルーネスを始めとして、他のメンバーからジタンは叱られたりするのだが、寒い野宿の夜は、暖を取ろうと皆で団子になるのはよくある事だった。
ルーネスと二人で野宿をする時も、やはり寒さを凌ぐ為、彼と一つの毛布に包まって眠る事は儘ある。
そしてクラウドは、今日のスコールのように夢見が悪い等で眠れない事が時折あって、そんな時にティナは膝枕をしたり、そのまま寝落ちた彼と一緒に眠る事もあった。
しかし、考えてみれば、スコールに対してそう言った事を提案するのは初めての事だ。
それに気付いたティナは、スコールの頑なな様子に、初めてクラウドに膝枕をした時のことを思い出した。
あの時はクラウドも随分と遠慮していて、しかし明らかに疲れているのに眠れない様子であったから、ティナは少々強引に彼の頭を膝へと誘導している。
恐らく、スコールにも同じようなことが必要なのだろうが、
(クラウドはちょっと強引にしても大丈夫だったけど、スコールは……)
嫌がられそう、びっくりさせてしまいそう────ティナがそう思ってくれたのは、スコールにとっては幸いだっただろう。
何と言って彼女を宥め、提案を流してしまおうか考えている彼にとっては。
だが、ティナは自分の提案を良案だと思っている。
何より、天井をじっと見詰めていたスコールの、何処か迷子になった幼子のような横顔が忘れられない。
あれは放って置いてはいけないものだ、とティナの胸の奥底に眠る何かが訴えていた。
「大丈夫だよ、スコール。私がスコールを守るから」
そう言って微笑むティナに、スコールは言葉を喪ったように沈黙した。
じっと見つめる蒼の瞳を、ティナは真っ直ぐに受け止めて、出来るだけ安心させる事が出来るように努める。
守るなんて言葉は、自分からスコールに向けるには烏滸がましいものだと、ティナも判っていた。
戦う力そのものに怯えを持つティナと、傭兵として常に戦いに身を置く事を選ぶスコール。
その精神やパワーバランスから見ても、スコールがティナを護る事こそあれど、その逆はないだろう。
だが、今この時に限っては、ティナはスコールを、彼の中にある冷たくて寒いものから守ろうと、固く決意していた。
その意志が伝わったか、或いはティナが引きさがらない事を感じ取ったのだろう。
貝のように動かなかったスコールが、……はあ、と何かを諦めるように息を吐いた後、そろりとティナの方へと身を寄せる。
腕を伸ばしたティナに届くか届かないか、もどかしい所で止まったスコールに、今度はティナの方から近寄って、子供を包み込むように抱き締める。
「どうかな」
「……まあ……寒くは、ない」
「良かった。このまま眠って良いよ」
「それは……」
勘弁してくれ、とスコールは小さな声で言った。
遠慮しなくて良いのに、とティナは思うが、取り敢えずはスコールの気持ちに沿うようにと頷く。
ティナはスコールのジャケットのファーに頬を埋めた。
場所が場所、天気も良くないので、其処は湿気を含んでしんなりとしており、いつものふかふかとした感触がなくて少々残念だが、仕方あるまい。
ティナはスコールを抱き締めたまま、片手で寝袋を手繰り、二人の足元に被せて包んだ。
────それから、幾何か。
天幕を叩く雨音が、大粒の煩いものから、徐々に小さくなって行く。
それでも振り続ける雨は、相変わらずテントを濡らし続けていたが、しとしととしたそれは数十分前に比べれば静かなものだった。
そんな静かな天井をティナが見上げていると、抱き締めていた少年の躰から、徐々に力が抜けていく。
重みを感じ始めたそれに気付いて、ティナは「……スコール?」と小さく小さく名を呼んでみるが、反応はなく。
「……ふふ」
ティナの肩に額を乗せて、すぅ、すぅ、と寝息を零しているスコール。
座ったままでは辛いだろうと、ティナは彼を起こさないように、殊更にゆっくりとその体を横たえてやった。
背中を丸めて、横を向いて眠っているスコールの姿は、まるで赤ん坊のように幼い。
ティナはその目元にかかる前髪をそっと梳いて、彼の隣に寄り添うように横になった。
「おやすみ、スコール」
この寒い雨の夜が、彼の夢路を冷たいものにしないように。
ほんのりとした血色を宿した頬を撫でて、ティナももう一度眠る為に目を閉じた。
6月8日と言う事でティナスコ。
ティナママの包容力はすごい。お姉ちゃん子なスコールにはよく効きますね。
013のティナは記憶の欠如もあって儚げな所が前面に出ていますが、根本はやはりティナママだと思っています。NTでは記憶が完璧なのでよりママ。
あと良くも悪くも天然だし、原作でも普通の人間的な人生や教育を送っていた訳ではない為、男女の機微、況してや年下の思春期の男の子の葛藤には鈍いだろうなあと。夢も込み。
そんなティナに弟属性のスコールが強く出れる訳もなく、しょんぼりさせると後が面倒になりそうだし、ティナが満足するようにしておこう……って合わせたけど、結局は安心して寝ちゃったのでした。