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User: k_ryuto
身軽を売りにしているジタンにとって、道なき道を進む事は、少なくない選択肢だ。
鬱蒼とした森の中、その樹々の上を飛び渡るのは、眼下の大地で起こり得る戦闘を回避するのに、良いルートになる。
この世界のあちこちで歩き回っているイミテーションの多くは、視覚情報と思しきものを頼りに、此方を襲ってくる。
だから彼らの目に入らない場所を移動していれば、かなりの確率で、安全圏を行く事が出来るのだ。
上位のものになると、聴覚のようなものも発達するのか、物音にも反応するようになり、中には魔力探知に優れたものもあるので、絶対のものではないが、取り敢えずひとっ走りで此処からあそこまで、と言う時にはこうした身軽さは非常に便利である。
秩序の聖域から少々離れた場所に、陣営の面々がちょっとした目印にしている木がある。
高い崖の上に迫り出すように植わったそれは、紫色の林檎が生っていた。
林檎と言うと往々にして紅、若しくは碧のイメージがあるものだから、多くの者は初めて見た時には林檎だとは思わなかった。
クラウドが「見覚えがある」と言わなければ、食べられる品種であるとは思わなかっただろう。
なんでも一年中、季節を問わずに実を付けるとかで、少々不名誉な二つ名を冠しているそうなのだが、味は中々に良いとか。
その言葉を信じて、食いしん坊と好奇心旺盛な面々が試しに口にしてみた所、中々に好評であった。
季節を問わず実が生る、と言うのは、通年性のものだと思えば勝手の良いもので、安全なものだと判って以来、秩序の戦士達は時折この木の下を訪れて、熟した実を採っている。
その他、実の色が特徴的なこと、崖を迫り出して伸びている為、その下からも見付けやすいこと、他にこれと同じ種の木が見当たらないことから、現在地を確認する良い目印となっていた。
今日のジタンは、その林檎の木へと一走りした。
昨夜、夕飯を食べた後、ティーダが「そろそろ甘いもんとか食いたいっスね」と言った。
それは独り言であったのだが、それを聞いたティナが「リンゴのパイとか、食べたいね」と言った。
耳を大きくしてしっかりそれを聞き取ったジタンは、ならばと朝一番に屋敷を発ち、件の林檎の木の下に向かったのだ。
綺麗に皮が色付いたものを厳選し、一つ二つ、どうせならパイにする他にも、ともう一つ二つ、三つと採る。
麻の小袋の中に採取したそれを入れ、保存食として砂糖漬けにするにも十分な数を確保したジタンは、さてと、と先ず崖の下へと飛び降りた。
それが林檎の木から、秩序の聖域へと戻る、最短のルートだったからだ。
腰に結わえ付けた袋は、林檎のお陰で少々重いが、ジタンの身軽さに支障を齎すほどではない。
この分なら昼には帰れるな、と夕飯までにパイを一つ焼き上げるくらいは出来そうだと、時間の算段を考えていた時、
「ん?」
枝を蹴って飛んだ瞬間、視界の隅に映ったものが、彼の意識を引いた。
とん、と降りた枝の上でバランスを取りつつ、今し方過ぎたばかりの方向へと首を巡らせると、
(スコール。一人か?)
木の下にある黒い影を見付けて、ジタンは目を凝らした。
茂る木々の葉枝で視界が遮られ、其処にいると思しき人物の様子はよく見えない。
ふむ、としばらく考えていたジタンであったが、そうしている間も動く気配のない影を見て、くるりと体の向きを変える。
一歩、二歩、三歩と枝を渡ると、目的地にはすぐに辿り着いた。
その間、気配も音も意図的に殺さなかったのだが、眼下の人物はやはり動かない。
ジタンはひょいと飛び降りて、木の根元にすとっと着地した。
そこまでしてようやく、幹にじっと寄り掛かっていた体が動き、ゆっくりと蒼灰色の瞳が此方を認識する。
「……あんたか」
一瞬、瞳の奥にあった険は、警戒の為だったのだろう。
其処にいるのが見知った仲間であり、石細工の人形でもない事をしっかりと確認した後、スコールはまた目を閉じた。
体は重怠そうに、片膝を立てて木の幹に体重を預け、頭を動かすのも面倒臭いと言う様子が伺える。
すん、と鼻を鳴らして、ジタンは血の匂いがないか確認した。
それらしいものがない事にこっそりと安堵しつつ、柔らかい草が敷き詰められた地面を踏んで、スコールの前へ近付く。
「どうした?怪我してんのか」
「……いや」
匂いはないが念の為、打撲でも何でも可能性はあると問うと、スコールは僅かな間を置いてから否定した。
その間は何かを誤魔化そうとしてのものではなく、ただただ、答えるのが面倒だった、と言う風だ。
しかし、平時から口数の少ないスコールでも、問われた事には案外律儀に応えてくれるもので、こうも応答自体を拒否するほど物臭ではない。
ジタンが傍にしゃがんで目線の高さを合わせると、蒼の瞳を抱いた瞼が、ゆっくりと瞬きをする。
ウォーリア・オブ・ライト程ではなくとも、スコールもそれなりに目力のある方なのだが、それが今は随分と弱い。
その原因を、スコールの方から説明してくれた。
「……コンフュを食らったんだ。弱いイミテーションだったから、意識が飛ぶほどじゃなかったが……少し頭がふらつくから、治まるまでじっとしていた」
「成程ね。そういやお前、ああいう魔法はちょっと弱かったもんな」
スコールはスリプルやコンフュなど、精神作用系と呼ばれる魔法への耐性が低い。
フリオニールやティーダも同様で、魔法の得意不得意はこう言う所にも表れるようだ。
思い返せば、ジタンが此処に来た時、スコールが警戒と共に一瞬強く睨んだのは、混乱魔法による視覚認識が少し危うかった所為なのかも知れない。
しかし、すぐにジタンのことを正確に認識したことから鑑みると、スコールが言ったように、その魔法の威力はそれほど強くはなかったようだ。
スコールはゆっくりと目を閉じて、後頭部を木の幹に押し付けた。
空を仰ぐように首を反らし、ふー……、と長く細い息を吐く。
ジタンはその整った横顔をじっと見つめ、顔色やその仕種から、スコールが他に傷の類を隠してはいない事を観察から読み取る。
「まだ休んだ方が良い感じか?」
「……そうだな」
ジタンが確認を取ると、スコールは少しの間を置いて答えた。
エスナなどの解呪魔法を持たない者にとって、意識の混乱を齎すコンフュの効果は、正常な認識や思考を大きく掻き回すので、理性が残っているなら、完全に魔法の効果が抜けるまでじっとしておく方が無難だ。
だからスコールの判断は間違っていないし、ジタンもそうするべきだろうと思っている。
だが、やむを得ずに選んだ場所なのだろうが、この木の周囲は少し開けていて、野生の魔物は勿論、徘徊するイミテーションからも見付かる可能性がある。
だから先程、ジタンが木の上からでも、彼を見付ける事が出来たのだ。
となれば、このままジタンがこの場をおさらばする訳にもいくまい。
少なくともジタンにとっては、十分な理由だった。
「じゃあ、治まるまでオレがここで見張っててやるよ」
胡坐をかいて地面に座ると、スコールは薄く目を開けて、胡乱な表情でジタンを見る。
「……必要ない。あんた、どうせただの通りすがりだったんだろう」
「まあそうだけど」
「だったら早く聖域まで戻れば良い。もう直に治まるだろうから、俺はそれから」
「直ぐ治るって保障のある話じゃないだろ?それまで此処が安全な訳でもないし」
スコールが魔法を喰らったのがどれ位前なのか、ジタンには判らないし、恐らく、訊ねてもスコールも正確な所は覚えていないだろう。
コンフュとはそう言った記憶の反芻や、思考力も乱してくるものだ。
ジタンの言葉に、スコールは判り易く眉間の皺を深くして、恐らくはその頭の中で色々と言葉を連ねていたのだろうが、声にならないそれはジタンには聞こえない。
考えてるんだろうなとジタンは十分察していたが、出て来ない限り、此方が少々強引に押しても許されることも知っていた。
「別に急ぎで帰ろうと思ってた訳じゃないし。ちょっと休憩して行っても良いさ」
「……」
「それにほら、二人で帰った方が色々都合が良いと思うぜ。誰に見付かったって言い訳もし易いし」
「……」
「ついでに今なら、林檎がオマケでついて来る」
「……は?」
黙って聞いていたスコールだったが、オマケの一押しには流石に声が出た。
眉間の皺を倍に深めて、何を言っているんだ、と言わんばかりの彼に、ジタンは腰に下げていた麻袋を探る。
一番上にあったものを適当に掴んで差し出せば、馴染のない色であるからだろう、一瞬彼は思い切り顔を顰めるが、
「……これは、あそこの林檎か」
「ああ。やっぱ大丈夫だって言われても、パッと見るとすごい色してるよな」
クラウドの世界でも、この色の林檎は他にないと言うから、本当に変わった品種なのだろう。
ジタンが差し出した林檎を、スコールはしばらく見つめていた。
改めて本当に食べられるものなのかを考えるように、胡乱な目で見つめ続けた後、諦めたように瞼が伏せられる。
もう一度蒼の瞳が見られた時には、相変わらず怠そうな印象が其処に映っていて、考えるのが面倒臭くなった、とありありと語っていた。
スコールは林檎を持っているジタンの顔をちらと見て、
「……これは、ティナの為に採ったんだろう」
「確かにその為に採りに行ったけど、一つだけ持って帰るなんてケチ臭いことはしないさ。どうせなら皆で食った方が美味いしな」
だから他にも採ってある、と笑って言えば、スコールはまた一つ諦めるように溜息を吐く。
面倒臭そうな表情をしながらも、重力に従っていた腕が持ち上げられ、ジタンの手から林檎を受け取る。
「……食って良いんだな?」
「ああ。特別にな」
念入りに確認をするスコールに、ジタンはウィンクをしながら言った。
元々、ティナには勿論、皆の為にと思って採ってきた林檎なのだ。
其処から丸々一つをスコールに食べさせてやると言うのは、ちょっとした贔屓にも思えたが、とは言え林檎はまだ十分あるのだ。
一つ特別に誰かにやっても惜しいものではないし、何より、こうしてスコールが受け取ってくれた事がジタンにとっては嬉しい。
(前はこう言うの、絶対要らないって言っただろうしな)
この世界で初めて顔を合わせた頃のスコールを思い出せば、今目の前で林檎を受け取ってくれた彼が、ジタンのことをどれほど信じてくれるようになったか判るだろう。
見張りをするよと言って、万が一にもジタンが裏切るような事をしないと、常に最悪の事態を想定する彼が、その可能性を考えないと言うのも嬉しいことだ。
それ程までに、彼の信頼が厚いことを思えば、林檎一つの贔屓位は可愛いものではないか。
紫色の林檎が、スコールの小さな口に運ばれる。
しゃり、と果肉を食む音に、ジタンの尻尾がゆらりと揺れた。
9月8日と言う事でジタスコ!
ずっとこっちを警戒してた猫が、今も素っ気ない態度は相変わらずだけど、ちゃんと信頼してくれてるのが嬉しいジタンでした。
故郷から闇を払い、幼馴染たちが其処で復興を始めてから約一年────区域はまだまだ限られるものの、日常生活を送る事が出来るような、安全な場所も増えて来た。
それに伴い、かつて散り散りにならざるを得なかった街の人々も、ぽつりぽつりと戻ってくる姿が見えるようになった。
クラウドはと言うと、早いうちに一度故郷に戻りはしたものの、相変わらず、闇の力を使って外の世界を渡る日々を送っている。
そんな生活をしているものだから、日付感覚というものは非情に曖昧であった。
何せ、外の世界と言う物は様々な理に溢れていて、時間の概念すらも狂ったように、あっという間に“一日”が終わるような世界もあれば、常に夜のような空に覆われた世界もある。
そんな所を自分の思う儘に行き来していれば、今日が何月何日であるのかも判らなくなろうと言うものだ。
そんな訳で、クラウドが故郷に帰って来たのは、文字通り、ふらりとした気紛れによるものだった。
だが、どうやら今回は、折の良いタイミングで帰って来ていたらしい。
前々回に帰って来た時だったか、最近人が増えたんだよ、と言われていた市場通りの様子を見に行ったクラウドは、其処で思いも寄らぬ歓待を受けたのだ。
「確か今日が誕生日だっただろう?ほら、これ持って行きな」
「いつもハートレス退治ありがとうよ。こいつは礼と、誕生日の祝いだ」
「幾つになったんだ?酒はもういけるんだろう?」
────と、こんな具合だ。
通りを一巡した時には、クラウドの両手は土産物ですっかり埋まっていた。
両腕に抱えた紙袋の中身は、その殆どが飲食で片付くものである辺り、街の住人から見たクラウドの生活を伺えたような気がする。
気紛れにいたりいなかったりをする男に、花や調度品など邪魔なだけだし、装飾品については本人の拘りの衣装があるので、受け取りはしても身に着けるものは限られるだろう。
それなら消えてなくなるものが一番気楽なものだろうと、見繕われたプレゼントの内容は判り易い気遣いも込められていた。
クラウドは荷物を抱えたままではどうにもならない、ついでに小腹も空いた事だしと、見晴らしの良い場所で早速それを頂く事にした。
嘗て賢者が治めていた城への道は、まだまだハートレスが蔓延っている事は勿論、瓦礫道でもある為、限られた人間しか来る事はない。
少し高台にもなっているので、街並みや谷の景色を眺める事が出来る。
そこに転がっている適当な瓦礫を椅子代わりにして、クラウドはまだ温かいホットドッグに齧りついた。
「……うん。美味い」
チリソースとマスタードが良い仕事をしている。
指についたソースをぺろりと舐めながら、クラウドは舌鼓を打った。
飲み物はないかと荷物を探ると、ワインが出て来た。
飲めるものならなんでも、と思わないでもなかったが、よくよく見ると、クラウドの誕生年に作られたと判るラベルが貼ってある。
これはもう少し、きちんとした場所で───と言っても、そんなものは限られているのだが───グラスを傾ける方が美味いに違いない。
もう少し探ると、炭酸のジュースを詰めたボトルが見付かったので、これを開ける事にする。
市場通りにいる人々の大半からプレゼントを貰ったので、量はそこそこのものがある。
これを今全部食べるのは流石に無理だなと、クラウドは半分ほど食べた所で袋を閉じた。
あと少しになった炭酸ジュースを片手に、膨らんだ腹を撫でながら、遠くに伸びて行く谷の道を眺めていると、
「此処にいたか」
聞き慣れた声に振り返れば、ガンブレードを片手にレオンが此方に近付いて来る所だった。
「市場の皆から、お前が帰ってきていると聞いたんでな」
「お迎えをしてくれるとは、いつになく優しいじゃないか」
「まあ、誕生日だからな」
肩を竦めるレオンは、だからしょうがない、と言った風だ。
実際、迎えがいるような男ではないと思っているだろうから、大方、街の皆に「誕生日なんだから」等と言う枕詞で押されたか、単純にクラウドに用事を押し付けるつもりかのどちらかだろう。
その予想に違わず、レオンはクラウドの隣へと並ぶと、
「東地区に少々厄介なハートレスが集団で居座っている。手を貸せ」
「そんな事だろうと思った。東は、まだクレイモアが稼働していないんだったか」
「設置用のベースは確保したが、本体はまだだ。入り組んでいるから、マップの入力に時間が必要になるとシドが言っていた」
「……やれやれ」
帰って早々、此方も結構な歓待だ。
レオン達にしてみれば、幾らも手が足りない中にクラウドが帰って来たのなら、これ幸いであるに違いない。
クラウドも普段は自分の要件を最優先に勝手をしている身であるから、偶に戻って来た時位は仕方ないと思う事にしている。
言われたこと、頼まれたことさえ守れば、寝床と食事が約束されるのだから、安い宿泊料だ。
炭酸ジュースのボトルを空にして、クラウドは腰掛けていた瓦礫から立ち上がった。
行く気になったクラウドが気を変えない内にと、レオンも来たばかりの瓦礫道を逆に歩き出す。
「退治に行く前に、荷物を置いておきたいんだが」
「ああ、そうだな。折角街の皆から貰ったものなんだし」
「あんたの家で良い。どうせ行くんだから」
「そう言う提案はお前の方からするものじゃないだろう」
やれやれ、とレオンは呆れた溜息を吐くが、クラウドにしてみれば、実際行くだろう、と言う所だ。
校外に誂えた彼のアパートは、偶にしか故郷に帰って来ないクラウドにとって、良い宿泊所だった。
周囲がまだまだ人の気配がないので静かなものだし、同じアパート内に他の人間が住んでいる訳でもないから、色々と気儘に過ごせる。
本来一人暮らしを好む筈のレオンにとしては、不定期に転がり込んで来る居候は邪魔臭いのだろうが、クラウドが彼に追い出された事はない。
甘いんだか面倒臭がりなんだか、と思いつつ、お陰で雨風を気にせず休める場所が確保できているのは、クラウドにとってこの上なく良い事であった。
真っ直ぐ東地区へ向かうつもりであったのだろうレオンだが、一旦方向を変えた。
家へと向かうその後ろを、クラウドもいつものようについて行く。
「レオン」
「なんだ」
「あんたからはないのか」
「何が」
「誕生日プレゼント」
「図々しいな」
クラウドの催促に、レオンは胡乱な目で此方を見た。
両手に十分持っているだろう、と言わんばかりだが、それはそれ、である。
街の人々からの厚意は有り難く頂戴しているが、だからこれ以上は要らないだろう、とはならない。
「良いだろう、誕生日なんだから。今日限りの特権だ」
「お前な……」
「普段、あんたの頼みを聞いてるんだ。こう言う時位はお返しがあっても良いだろう」
「宿泊費タダで飯も食ってる奴が言うんじゃない」
いけしゃあしゃあと要求してやれば、レオンの拳がごつんとクラウドの頭を打った。
痛くはないが、痛いな、と抗議してやると、レオンは解いた手をひらひらと振る。
自業自得だ、と言っているのが聞こえた気がした。
はあ、とレオンは深い溜息を吐いて、
「お前が帰って来るなんて思っていなかったからな。生憎、何も準備がない」
「じゃああんたを寄越せ。それで良い」
「……安上がりなんだか高くついてるんだか、よく判らないな」
要求の裏側にあるものを読んで、レオンは益々呆れたと言う表情を浮かべた。
クラウドはその隣に並んで、自分より僅かに上にある整った顔を見遣り、
「今日の主役は俺だからな。俺の希望を叶えてくれれば十分だ」
「……嫌な予感しかしないんだが」
「それはあんたが勝手にそう想像していることだろう。何をするとも言っていないのに。で、何を想像したんだ?」
にやにやと笑ってクラウドが問い詰めてやれば、蒼の瞳がじろりと睨んだ。
しかし、睨み黙するばかりで、それ以上のことはしないレオンに、つくづく年下に甘いなと思う。
それだから堂々と漬け込んでやれるのだと、クラウドはひっそりとほくそ笑む。
見えて来たアパートに向かうレオンの足が、判り易く重みを増している。
今から其処に籠る訳ではないのだが、夜のことを考えて、色々と面倒に感じているのだろう。
下手に甘やかすものじゃない、と今日と言う日を恨んでいるレオンに、クラウドは鼻歌で漏れそうな上機嫌さで言った。
「あんたが俺の希望を叶えてくれるなら、今日の東地区のハートレス退治は俺一人でやってやろう」
「……まあ、それならそれで、助かるが」
「ああ。その代わり、俺の寝床と晩飯と、────後は言うまでもないか。誕生日に働くんだから、それ位は良いだろう?」
「…随分、自分を高く見積もってるようだな」
「ああ、安くはないんでな」
笑みを浮かべるクラウドの言葉に、自分で言うか、とレオンは何度目かの溜息を漏らす。
だが、クラウドがやる気で動いてくれるのなら、レオンにとってはこれ以上ない援けである。
レオンは自宅のアパートの前で足を止め、
「荷物は俺が持って入れておいてやる。お前は東地区へ」
「ああ。晩飯はスタミナをつけられるものにしてくれ」
「調子に乗るな」
両手に抱えていたプレゼントをレオンに渡して、クラウドは闇の翼を開かせる。
トッ、と地面を蹴って跳んだ男を、蒼の瞳はやはり呆れた色で見送った。
残された男は、無人になった空を見上げながら、「……やっぱり高くついたな」と諦めたように呟いた。
クラウド誕生日おめでとう!なクラレオ。
ドライな遣り取りしながら、やることやってる二人は好きです。
クラウドは大分羽目を外そうとしている気がする。この後何されるんでしょうね、レオンは。ご想像にお任せします。
「あんたのしたい事、なんでもする」
────なんてことを恋人に言われたら、一瞬でも邪なアレやコレやが浮かぶのは、男として仕方がない事だと思う。
それを口に出せば、「そんなのはあんただけだ」と顔を顰められるのだろうが、本能に忠実になるように出来ている世の中の大半の雄と言う生き物にとって、その台詞はまたとない好機に聞こえるものだ。
特に、恋人のガードが堅い性質だと、ならばこの千載一遇のチャンスに、と食指を動かすものだろう。
クラウドも例に漏れずそんな下世話な生き物だった訳だが、しかし。
恋人はまだ現役高校生と言う初心も初心な年頃で、元々が人との交流と言う類に消極的であるから、色恋沙汰のすったもんだと言うのはよく判っていない。
そんな彼も、クラウドと恋仲になってから、紆余曲折に色々な経験を積む事になった。
其処には真っ新だった白い紙を、自分の意のままに染めていけると言う、雄としてはついつい興が乗ってしまう事もあり、また恋人の方も、世間一般の恋愛模様と言うのがよく判らないから、クラウドに言われるがままに染まって行ったと言う経緯がある。
後になって色々と友人たちから聞き、あんた嘘吐いたな、と睨まれたのは一度や二度ではないのだが、染まった色は簡単に色抜きは出来ない。
なんだかんだとクラウド色に染められつつある恋人は、今ではすっかりクラウド好みになっている。
そんな間柄である訳だから、先の恋人の───スコールの一言は、クラウドを助長させるには十分な破壊力だった。
怒るだろうと敢えて頼まなかったことだとか、嫌がることをするのは本位ではないので、避けていた事だとかを、このチャンスに試してみるのも良いかも知れない。
初めての事をする度に、彼は顔を真っ赤にしながら、戸惑いつつもクラウドの願いを考えてくれようとする。
とは言え、あまりに抵抗が勝る事は流石に了承はしてくれず、元々のガードの固さも相俟って、「絶対しない」と言われればそれきりだ。
あまりしつこく頼むと、絶対零度の眼が向けられて、「別れる」と通牒されるので引き下がるしかない。
……そもそも、何も知らないことを良い事に、あれやこれやと教え込んで行った悪い大人は此方なので、嫌がる彼に無理強いするのは良くないと、形ばかりの大人の常識にクラウドの欲望は辛うじて抑え込まれている。
それをスコールの方から、扉を開けてくれると言うのだ。
じゃああんなこととか、こんなこととか、と口に出せばスコールが沸騰するような事がクラウドの頭を巡った。
非常に残念な頭の作りだとは自分でも思うが、それも恋人の色んな顔が見たいからだ。
体を重ねるようになってから、より深く蕩ける度に晒し出される恋人の顔は、クラウドを夢中にさせて已まない。
もっと見たい、もっと、もっと────と、麻薬のように虜になって行く。
あんなことをしたら、どんな顔を見せてくれるだろうと、俄かに興奮したのは当然であった。
────しかし、だ。
顔を真っ赤にしながら告げたスコールの顔を見ている内に、これを泣かせるのは如何なものか、と言うブレーキがかかったのであった。
クラウドの誕生日当日は、平日だった。
こんな日位は休ませてくれれば良いのにと、容赦のない会社の人使いの荒さに辟易しつつ、いつも通りに仕事を終える。
仕事の間中、友人たちからひっきりなしにメールが到着して、おめでとう、と祝いを貰った。
仕事を終えて帰社すると、入れ替わりに出社した親友から、「これお祝いな!」と、クラウドお気に入りのブランドロゴの入った鞄を貰う。
軽くて丈夫、デザインもクラウドの好みを熟知した親友からのプレゼントに、自然とクラウドの口元は緩んだ。
夕方色に染まりつつある空の下、まだまだ煩い蝉の鳴き声を聴きながら、クラウドは恋人が通う学校へと向かう。
近くのコンビニで冷たいスポーツドリンクを二本買って、二輪車置き場の屋根の下で、彼が通り掛かるのを待つ事十分。
前日からの約束通り、放課後に入って真っ直ぐに此処へ向かって来たのだろう恋人がやって来た。
「クラウド」
「ああ。授業お疲れ様」
「……あんたも」
挨拶と一緒にペットボトルを差し出すと、スコールはほんのりと頬を赤らめながらそれを受け取った。
まだまだうだる暑さの中、走って来たのだろう、スコールは額に汗を掻いている。
それを服の袖で拭いながら、よく冷えたペットボトルに口を付けた。
スコールが体を冷やしている間に、クラウドはバイクのヘルメットを取り出す。
クラウドのヘルメットと同じ色だが、異なるステッカーを貼ったそれは、スコール専用のヘルメットだった。
スコールは不足した水分を十分に補ってから、ヘルメットを受け取る。
「……何処に行くんだ?」
「特に決めてはいないが、海沿いでも行くか。風があればそこそこ気持ち良い筈だ。お前が行きたい所がるなら、其処でも構わない」
「……別にそれはない。あんたの行きたい所で良い。……今日はあんたに付き合うから」
スコールの言葉に、じゃあそうさせて貰おう、とクラウドは言った。
クラウドがバイクに跨り、その後ろにスコールが乗る。
安全の為にしっかり捕まるようにと促せば、判ってる、と返事があった。
クラウドの腰にスコールの腕が回り、腹の下で手を組んで、しっかりと捕まる。
背中に密着する体温は、夏に見合って体温以上に暑かったが、夏の間は仕方のない事だ。
それよりもクラウドは、初めの頃に判っていても遠慮がちにしか掴まれなかったスコールの事を思い出し、随分慣れてくれたなとそのくすぐったさに口元が緩んだ。
クラウドもしっかりとヘルメットを被り、その内側にセットしている無線通信のスイッチを入れる。
これでバイクの走行音を気にせず、ヘルメットと言うガードの壁も擦り抜けて、スコールと会話が出来る。
通信のの感度を確かめてから、良し良し、とクラウドはバイクのエンジンを入れた。
クラウドにしろスコールにしろ、決してお喋りな性質ではないから、こうして一緒に走っていても、沈黙の時間をと言うのは少なくない。
喋っているよりもお互いに黙っている時間の方が長いのは、最早見慣れた光景だった。
息苦しくなんねえの、とザックスに訊ねられた事があるが、少なくともクラウドは、スコールとの沈黙は心地良いものと感じている。
スコール方はと言うと、元々お喋りが得意ではないと言う事もあって、黙っていて良いと感じられるのは楽だとか。
共に静寂に苦を感じないのだから、波長が合っていると思って良いのだろう。
道を曲がるとか、車が来てるから端に寄るとか、走る間、交わす会話はそんなものだ。
スコールが身を寄せている背中に、じっとりとした汗が浮くのは仕方のない事で、恐らくスコールも暑いだろうなと思う。
保冷剤を仕込めるジャケット位は用意した方が良かったかも知れない、と今更のように考える。
バイクで十分も走れば、坂道の向こうに海が見えて来る。
遊泳場の為に開かれている駐車場に下りた二人は、其処で一旦バイクを止めた。
ヘルメットを外すと、籠った空気から解放されて、ふう、と安堵の息が零れる。
乱れた髪をそれぞれ手櫛で直しながら、碧と蒼の目は、遠くまできらきらと輝く夏の海へと向けられた。
「良い天気だな」
「……良すぎるだろ。暑い」
クラウドの言葉に、スコールは溜息を吐きながら言った。
とは言え、海の向こうから吹く潮風は、街中の熱風よりも遥かに心地が良い。
スコールはそれを吸い込むように大きく息を吸って、またゆっくりと吐き出した。
クラウドはそれを眺めつつ、手に持ったヘルメットをぽんぽんと投げて遊びながら、
「さて。どうする、スコール」
「どうって、何が」
声をかけたクラウドに、スコールは質問の意図が判らない、と眉根を寄せる。
クラウドはそんな恋人に目を細めつつ、
「海に来たんだ。泳ぐか?」
「……水着もないのに、泳ぐ訳ないだろ」
「水遊び位は出来るだろう」
「良い、制服なんだ。濡らしたら面倒臭い」
「そうか」
「……あんたが遊びたいなら、良いけど」
行かないと言ったその口で、スコールは付け足した。
クラウドが海で遊びたいのなら、多少は付き合っても良い、と。
あくまで今日はクラウドの意向が優先なのだと言うスコールに、クラウドはくすりと笑って、
「じゃあ、また走るとしよう」
「判った」
それで良い、と言って、スコールはその前に水分補給をする。
十分な補給を済ませてから、スコールはクラウドが待つバイクにもう一度跨った。
駐車場前の信号が切り替わるのを待っていると、「なあ」と通信越しに声がする。
「なんだ?」
「……あんた、本当にこんなので良いのか」
問う声に、何の事かとしばし考えたクラウドだったが、
「誕生日祝いの事か」
「……」
スコールから否定の言葉は無い。
そうでなくとも、スコールが今日ずっと気にしている事と言ったら、恐らくそれしかないだろう。
信号が青に変わって、バイクは再び走り出した。
海を臨む海岸沿いを、道なりにそって真っ直ぐに行けば、海の向こうから吹く風が届いて来る。
ヘルメットがなければもっと気持ちが良いんだが、と思いつつ、こればかりはルールなのだから仕方がない。
海外の何処だったかはしなくて良いとか言う話を聞いたので、機会があれば、スコールを其処に連れていって、こうして走れたらと密かに願う。
クラウドは先のスコールの問いに対し、何と答えたものかなと、しばしの間考えた。
その沈黙の間、スコールはクラウドの背中に口元を押し付け、じっと返事を待っている。
「まあ、正直に言うとだな。こう言う事以外にも、色々考えたのはある」
「……色々?」
「お前があんな事を言ってくれたからな」
あんな事────と指すものを、スコールも覚えていたようで、腹に回された腕の捕まる力が強くなった。
背中にいるので見えないが、きっと赤くなっているのだろうと、クラウドは勝手に想像する。
「お前も正直に言ってみろ、スコール。あんな言い方をして、俺に何を”お願い”されると思ったんだ?」
「…………やらしいこと」
通信越しにたっぷり間を置いて、スコールは小さく小さく呟いた。
感度の良い通信機を使っているお陰で、それはしっかりクラウドの耳元まで届く。
やっぱりな、とくつくつと笑えば、その声もまたスコールにしっかりと届いていた。
「笑うな。あんたの事だから、絶対変な事言ってくると思ったんだ」
「そこまで予想していたのに、あんな事を言ってくれて。期待されているのかと思ったぞ」
「あんたじゃないのに、そんな訳ないだろ」
「健全な男なんだから仕方がないだろう」
「不健全の間違いだろ」
ごち、とクラウドのヘルメットの後頭部に、固いものが当たる。
揺らす程にもならない、同じ固いものを押し当てただけのものだが、この場においてスコールが出来る目一杯の抗議だ。
信号待ちの横断歩道に引っ掛かって、クラウドはバイクのブレーキをかける。
停止した車体が、ドッドッドッ、と鳴らす低音を尻目に、クラウドは後ろを振り返った。
ヘルメットのガード越しに、振り返られると思っていなかったのだろう、蒼がきょとんと眼を丸くしていた。
「誕生日だし、折角だしと色々期待したのは確かだが。何をされるか判らなくて、緊張もしていたんだろう?」
「……別に……」
クラウドの言葉に、スコールは拗ねたように唇を尖らせて、視線を逸らす。
それが本音を見抜かれていると吐露している態度になると、彼はまだまだ自覚がない。
クラウドが前へと向き直ると、丁度良く信号が青に変わった。
またバイクが動き出し、背中に掴まる恋人の体温がぴったりと密着する。
「色々お前に頼んでみたい事はあったが、それより、こうしてゆっくり過ごすのも良いんじゃないかと思ったんだ。実際、デートなんて久しぶりだろう」
「……まあ、そうだな」
「お互い忙しい身だからな。今日も明日も平日だから、お前に無理をさせる訳にも行かないし」
「………」
きらきらと光る水平線を横目に、クラウドは気の向くままにバイクを走らせる。
これだけでも心地良いことだったが、背中に身を寄せてくれる恋人がいてくれる事が、一層クラウドの心を穏やかにさせた。
普段、片や社会人、片や学生で、生活リズムの違いもあり、デートなんて前にしたのはいつだったかと思う程だ。
逢瀬の時間は、お互いが捻出し合って都合をつけているので、それなりにある。
しかし、その時間は大抵、夕方から夜にかけてと言うもので、また互いに若いものであるから、ついつい即物的な繋がりでお互いの存在を確かめたくなってしまう。
それが一番わかり易くて、深くまで繋がり合って実感できるから。
お陰でスコールはあっという間にクラウドの色に染まってくれた訳だが、そんな事ばかりに傾倒するのもどうか───とは一応、思ったりもするのだ。
況してや大人である自分の方が、何かとがっつき、一所懸命に応えてくれる年下の恋人に付き合わせるばかりと言うのは聊か配慮に欠けてはいないか、と偶には思ったりもするのだ。
海岸沿いをずっと走る内に、道は坂道を上っていた。
切り立った崖の上を上る道は、小高い所に休憩できるスペースが設けられている。
クラウドは其処に一旦バイクを止めて、スコールの手を引いてガードレールに囲われた道の端へと向かう。
其処は山側から茂る樹々で心地良い木洩れ日が落ち、崖の向こうは一つも遮るもののない水平線た見えた。
「良い景色だろう」
「……そうだな」
小さく返したスコールの瞳は、じっと海の向こうに向けられている。
普段は専ら屋内で過ごしているスコールであるから、この夏でも海に行った事なんてないだろう。
海岸沿いの道路の向こうに、こんな心地良い風と景色が見られる場所があるなんて、知りもしなかった。
クラウドはスコールを連れて、何処の誰がいつ設置したのかも判らない、古びた木製ベンチに腰を下ろす。
大丈夫なのかこれ、とスコールは言ったが、作り自体はしっかりしているし、落ち葉が積もらないように掃除もされている。
ちゃんと管理されているものだと言えば、スコールはそろそろと、クラウドの隣に腰を下ろした。
潮風が運んで来る匂いと、山からの草いきれの匂い。
日差しが直接当たらないから、此処は真夏と思えない位に涼しくて、心地が良かった。
「……いい場所だな」
「ああ。人目もないしな」
ぽつりと呟いたスコールに、クラウドがそう言うと、はたとしたように蒼が此方を見た。
その時にはもう、クラウドはスコールの直ぐ其処まで顔を近付けていて、色の薄い唇が「待て───」と止めるも、既に遅く。
柔く重ねた唇の味が逃げないように、頬を捕まえて撫でてやれば、ふるりとその肩が震えるのが判った。
こんな穏やかな誕生日も悪くない。
真っ赤になって固まる恋人の顔を見詰めながら、クラウドはそう思うのだった。
クラウド誕生日おめでとう!
なんでもして良いって!それなら……と考えた後に、ふと冷静になったクラウド。
スコールは色々覚悟してはいたから拍子抜けした気分だけど、ちょっとほっとしてもいる。
今日やらなかった事は、きっと別の機会にやるんでしょう。若しくは今夜ちょっとだけやるかも知れない(台無し)。
一人、傷を負って帰還したスコールを迎えたのは、レオンだった。
滲む血の匂いに気付いたレオンは、すぐにスコールをリビングに引っ張り込んで、手当てを始めた。
スコールは自分で出来ると何度も言ったが、傷を負った本人がするよりも、他人がやった方が的確な処置が出来るだろうと言い返された。
痛みや疲労で適当な手当てで済ませるよりは、きちんと消毒し、傷を保護した方が良いのは当然だ。
レオンはさっさとスコールの上着とシャツを脱がせ、てきぱきと傷の治療処置を始めた。
傷の経緯については、混沌の大陸の探索中に、歪の中でカオス勢の戦士と遭遇した事に因る。
スコールはいつものように、ジタンとバッツと言ったメンバーで調査をしていたのだが、戦闘中に起こった時空の歪みにより、それぞれ分断されてしまった。
その後、敵の猛攻により手負いとなったスコールは、已む無く転身して歪からの脱出を優先している。
歪を脱出した後は、最寄のテレポストーンへと急ぎ、真っ直ぐに帰還の途に着いた。
足を負傷した為にその歩みは遅かったのだが、聖域に着くまでにはぐれた仲間達との合流は叶わなかった。
彼等については、直に帰って来るだろうと信じて待つのみである。
手当をしながら、後でリーダーへの報告の為にと経緯を聞いたレオンは、話し終えた所で「そうか」と言った。
「ジタンとバッツは、まだ帰ってきていない。何処にいるかも判らないが、まあ、一先ずは様子見だな」
「……ああ」
「お前は、ティナかセシル辺りが帰って来るまで、大人しくしていることだ。傷はどれも深くは無いようだが、念の為にな」
そう言ってレオンは、血の滲んだ濡れタオルをスコールの脇腹から離す。
出血が固まって皮膚にこびりついていた其処は大分綺麗になり、レオンは其処に消毒液が染み込んだ脱脂綿を当てる。
「う、」
「我慢していろ」
「……判ってる」
染みる痛みにスコールが微かに顔を顰めた。
ふう、と意識して息を吐き、まだしばらく続くであろうその痛みに心構えをする。
脇腹の処置を終えた時、其処は厚手のガーゼと包帯でしっかりと固定された。
腹回りが少々窮屈で、スコールは眉間に皺を寄せるが、治療魔法を得意としているメンバーが帰って来るまでは我慢するしかない。
言えば、その時までの辛抱なのだから。
次は足の手当てだった。
レオンは、ソファに座ったスコールの前に膝をついて、黒のズボンの裾を捲り上げる。
「切り傷だな。血は止まっているようだが、痛みは?」
「……多少」
「歩いて来た所為もあるんだろうな。また少し染みるぞ」
レオンはタオルの清潔な部分を使って、傷回りを優しく拭く。
皮膚にこびりつき始めていた血が取れると、消毒液で傷口の処置をした。
「大分無理をして歩いたようだな。ケアルは使わなかったのか?」
「……戦闘中に使い切った。ポーションも。バッツとはもうはぐれていたし」
「なら、仕方がないか」
回復魔法の利用を勿体ぶった訳ではない、と言うスコールに、レオンは眉尻を下げた。
戦闘中でも、帰りの道中でも、バッツがいれば───彼の魔力が尽きていなければ───回復魔法を頼めるが、孤立無援では仕方がない。
出来る限りの無理を避け、真っ直ぐに帰還すると言う選択を取ったのが、スコールに出来る最善であった。
レオンは「動かすぞ」と言って、スコールの足を持ち上げた。
神経が振動を感知して、じんとした痛みがスコールの右足に響いたが、眉根を寄せるのみで堪える。
改めて見た自分の足は、思っていた以上に長さのある傷が刻まれていた。
────が、それよりスコールの目に飛び込んできたのは、自分の前で跪く格好になっているレオンの胸元だった。
「………」
「ん?」
さっ、と目を逸らしたスコールに、レオンが顔を上げる。
どうかしたか、と訊ねて来る彼女に、スコールは何も言わなかった……のだが、少年の髪の隙間から覗く耳元が、不自然に赤くなっているのを、目敏い彼女は見逃さない。
「スコール?」
「……なんでもない」
名前を呼ぶレオンに、スコールはいつもの声でそれだけを返す。
早く済ませてくれ、と手当てを急かせば、レオンは直ぐに処置を再開させた。
此方も大きめのガーゼを広げ、傷全体を保護し、包帯で固定する。
「これで良い。他にはないか?」
「十分だ」
「なら手当は此処までで良いとして……次はお前自身だな」
「……?」
レオンの言葉に、スコールは何の事だと眉根を寄せた。
自分自身も何も、傷の手当以外は特に問題はない筈だ、と思っていると、
「ほら、来い」
「……は?」
スコールの前で膝立ちになって、レオンは両手を広げて見せる。
おいで、とでも言っているような仕草に、その意図する所が読めなくて、スコールは判り易く顔を顰めた。
それを見たレオンは、何処か楽しそうな表情を浮かべて、
「疲れているようだからな。癒してやろうと思って」
「……別に必要ない」
「そう言うな。来ないならこっちから行こうか」
「だからいらな────」
い、とスコールが言い切る前に、柔らかいものがスコールの顔を覆った。
むに、と柔らかい弾力のあるものに、顔全体が包み込まれている。
頭を抱きかかえられるように、後頭部にはレオンの腕が回って、捕えたスコールを離すまいとしていた。
そんな事よりスコールは、鼻先に触れる鍵慣れない匂いと、急に暗くなった視界に混乱する。
自分が今どうなっているのか判らないまま硬直するスコールを、レオンは子供をあやすように、濃茶色の髪をぽんぽんと撫でた。
「よしよし」
「……っおい!」
子供扱いと判るその触れ方に、スコールは添えられた手を振り払うように、勢いよく顔を上げた。
危うくレオンの顎を打ち上げる所だったとは気付かぬまま、酷く近い位置にある、自分と同じ傷を持った顔を睨み付ける。
「何してるんだ、あんたは」
「癒しの提供だ。知っているか?ハグにはそう言う効果があるらしい」
「知らない。と言うか離せ、あんた、これ……っ」
異常な程に近い距離にレオンの顔があること、後ろ頭に感じる回された腕。
喋る度に口元で感じる、柔らかい感触に、スコールはようやく”それ”が何なのか理解が追い付いた。
解ってしまえば、“それ”は年若い青少年には、聊か無視できないものになってしまう。
しかし、スコールの望みとは真逆に、レオンは笑みを深め、スコールの頭を抱き締める腕に力を籠める。
豊かに育った胸の谷間に、口元から鼻先まで埋められて、隙間から微かに漂う汗の匂いに、スコールの顔が真っ赤に吹き上がった。
「レオン!」
声を荒げて名を呼ぶと、それまで頭を抱えていた腕が、ぱっと離れた。
解放されてすぐに体を退き逃がすスコールに、レオンはくつくつと楽しそうに笑う。
「そう怒るな。ハグに癒し効果があると言うのは、一応、ちゃんとした研究結果が出ている話だぞ」
「知った事か。あんたの悪ふざけに付き合うつもりはない」
「労う気持ちは本物なんだがな」
険しい顔つきで睨むスコールに、レオンは至極心外と言う表情を浮かべる。
「そう言う事をするなら、ジタンが帰って来た時にでもやってやれ。あいつの方が喜ぶだろ」
「まあ、そうかもな。別にやるのは構わないが……今は、お前にしてやりたいんだよ、俺は」
そう言ったレオンの口元は柔らかく、目元は温かく緩んでいた。
時折、年下の仲間達を相手に向けられるその表情は、何か眩しいものを見るように、微かな憂いを孕んでいる事がある。
彼女がどうしてそんな表情を浮かべるのか、スコールの知る由はない。
ただ、それが自分に向けられた時、何かばつの悪いものを感じる気がして、スコールはなんとなく口を噤んでしまっていた。
どうにも毒気が抜かれたような気分で、しかし青少年には聊か性質の悪い悪戯に、スコールがなんとしたものかと考えていると、とすり、と隣に座る気配があった。
見れば当然、其処にいるのはレオンで、笑みを浮かべた表情で此方をじっと見つめている。
「癒しの提供が不要なら、仕方ない。他に何か欲しいものはあるか?」
「……別に」
「そう拗ねてくれるな」
スコールの返答を、臍を曲げたものだとレオンは受け取ったらしい。
飯でも食うか、と訊ねて来るレオンに、スコールの腹の虫が勝手に返事をして、しっかり彼女に聞き留められてしまった。
「空腹か。歩きどおしで帰って来たのなら、当然だな」
「……」
「軽いのなら朝の、しっかり食いたいなら昨晩の残り物がある。どっちが良い?」
「……軽いので良い」
よし、とレオンが席を立つ。
キッチンへと向かうその背中を見送って、スコールは一つ溜息を吐いた。
────どう言う理由と目的があってか知らないが、レオンはやけにスコールに構いたがる。
悪意を持って接して来る事がないのは良いのだが、逆にスコールはそれが若干の戸惑いを生んでもいた。
目に見えて判る悪意は振り払えば良いが、好意と言うのはどうにも扱いに困る。
ジタン等は「お姉さまに気に入られてるなんて羨ましいぜ」等と言ってくれるが、それなら立場を丸ごと交代して欲しい。
しかしレオンは、専ら”スコールを”構いたいようで、他の仲間達には平等に均等に、対等な仲間らしく応対していた。
ある意味でそれは徹底していると言って良い程、レオンはスコールを特別扱いするのである。
元の世界の記憶が戻れば、彼女が何かと構い付ける理由も判るのだろうか。
何度かそんな事を考えてみるが、今確認できる記憶や感覚を総動員しても、レオンに関する事はいまいち琴線に引っ掛かるものがない。
顔が似ているとか、傷の形も場所も同じだとかで、あちらが勝手に親近感を持っているのかも知れない。
だとすれば、こんな事は考えるだけ無為なもののようにも思えるのだが、理由のない判らない好意と言うのは、なんとなく落ち着かなかった。
キッチンから戻って来たレオンの手には、サンドイッチを乗せた皿と、水の入ったグラス。
レオンはそれをソファの前のテーブルに置いた。
「スープとサラダもあるが」
「……良い。これで十分だ」
サンドイッチを手に取るスコールに、そうか、とレオンは言って、テーブルを挟んだ反対側のソファに座る。
黙々と食べるスコールを、レオンはソファのひじ掛けに寄り掛かって眺めていた。
判り易いその視線を、スコールは敢えて無視して、食事に集中する。
ハムと卵、レタスとチーズを、マヨネーズと一緒に挟んだサンドイッチは、空腹の胃には大層染みた。
胃袋がじわじわと満たされるに連れて、体が段々と重くなって来る。
帰還するまで張り詰めていた神経がようやく解け、休息を求めているのだろう。
食ったら部屋に帰って寝よう、とスコールが思っていると、
「戻ったぜー。誰かいるかあ?」
廊下の向こう、玄関の方から聞こえた声は、バッツのものだ。
それと続いて、少し不明瞭ではあったが、誰かと会話しているらしき声も聞こえたて、どうやらジタンも一緒にいるらしい。
「俺が見てこよう。スコールはゆっくり食べていると良い」
「……ん」
疲労感もあって、動かなくて済むのなら幸いと、スコールは顔を上げずにサンドイッチを頬張った。
レオンはソファから立って、廊下の方へと向かおうとするが、その前にはたと足を止める。
「スコール」
「……なんだよ」
「二人を連れて来る前に、付いているのを取った方が良いぞ」
そう言って自分の口元を指差すレオンに、スコールは顔を顰めた。
彼女の言わんとしている事は理解したので、手の甲で雑に口元を拭う。
意地汚いのは判っていたが、別に構うまいと、手に着いたマヨネーズを舐めていると、
「まだついてる」
そう言って屈んできたレオンに、スコールは反射的に体を退かせた。
が、レオンは構わず顔を近付け、スコールの口元をぺろりと舐める。
まるで、親猫が子猫の毛繕いをするように。
────距離の近さと、まるで当たり前のことのように触れて離れた感触に、スコールは目を丸くして固まった。
レオンはそんなスコールの様子に、くつりと笑って、今しがた触れたばかりの場所に指先を当て、柔らかく其処を拭ってやる。
「これで大丈夫だ。じゃあ、二人を呼んで来る」
そう言ってようやくソファを離れて行ったレオンの足取りは、いつもと変わらないもの。
ドアの開け閉めの音が鳴って、ようやくスコールが我に返った時には、彼女はもう扉の向こうに消えていたのだった。
つくづく意味が判らないと、また揶揄われた事に顔を顰めて、スコールは残っていたサンドイッチを口の中に捻じ込んだ。
空になった皿をキッチンのシンクに置いて、リビングに人が戻って来る前に其処を抜け出す。
背中にはしゃぐ仲間達の声が聞こえたが、スコールはその一切を無視して自分の部屋へと向かうのだった。
『レオンお姉さんに悪戯されるスコール』のリクエストを頂きました。
イタズラ……どこまでのイタズラ……!?と勝手に悶々としていた私です。
♀レオンと♂スコールの組み合わせは新鮮でした。
この後スコールはベッドでゴロゴロタイムですが、その内59が突撃してくるんだと思います。
なんやかやしてる内にどうでも良くなって、またレオンとも普通に接するんでしょうね。
そんな距離まで気を許している事について、スコール本人の自覚は無い。レオンの方は判っていて、年相応(なんならそれより幼い)の青臭い所も含めて可愛い可愛いしてる。
一日の授業を終えて、スコールはやれやれと言う気分で校門を出る。
後ろをついて歩くのは、いつの間にかセットでの行動が定着していた、ティーダとヴァンだ。
時には此処に後輩のジタンが加わるのだが、今日は彼が所属している演劇部の活動日なので、彼はいない。
それでも後ろの会話が賑やかな事には変わらず、喧しい奴等だな、と思いながら、それもいつもの光景と慣れた足で家路につく。
高校入学を期に、生まれ育った街から離れたスコールであるが、一人暮らしをしている訳ではない。
入学先であった学校から程近い場所に、嘗ての幼馴染であり、兄代わり的存在であった青年が、社会人として暮らしていた。
彼のもとに下宿と言う形で住むことが決まり───と言うよりは、元々彼の傍に行くことを目当てにスコールは進学先を選んだと言う本音がある。
住み込ませて貰う事まで想定していた訳ではなかったが、しかし彼が傍にいるなら話は早いと、父ラグナの方から兄代わりの彼に連絡が取られた。
女子じゃあるまいし大袈裟な、と言う人はいるかも知れないが、だが父の心配の種は、強ち冗談ではないのだ。
何せスコールは、幼い頃に何度か誘拐未遂をされているし、中学生の頃にもストーカーめいた被害に遭っている。
兄代わりの青年もそれを知っているから、此方に来るのならいっそ、とラグナと彼との間で話はとんとん拍子に進んだ。
そしてあれよあれよと、近所住まい所か、スコールも密かな恋心を持ち続けていた事もあって、好きな人と一緒にいられる、と言う機会を手放す気にはなれず、同居する事が決まった。
それが一年と半年前の話になる。
そして、今年の冬の終わり頃から、スコールと兄代わりの青年───ウォーリアは正式に恋人同士となった。
幼い頃から密かに抱いていた恋心が、まさか叶う事があるなんて、スコールは思ってもいなかったから、今でも時々あれは夢なのではないかと思う。
だが、そんな事を考える度、ふとした折に彼が優しく触れてくれるから、ああ現実なんだと知る。
そんな風に、毎日を夢と現の境目にいるような気分に見舞われるスコールだが、学校帰りはとても現実的な思考になる。
何せ毎日の夕飯の支度はスコールの仕事だから、献立なり冷蔵庫の中身なりと、考えなくてはいけないことは幾らでもあるのだ。
実家で暮らしていた頃から家事はスコールの役目として定着していたので、放課後に入るなり、夕飯のメニューを考えるのは、最早癖のようなものだった。
(残ってたものは昨日全部使ったから、今日は大目に買い出しして……サラダも使い切ったな。スープは何を……その前にメインを肉にするか魚にするか……)
考えることが多い、とスコールは一つ溜息を吐く。
今週の頭に定期テストが入っていたから、その前週の食事は、専ら作り置きを利用し、足りないものは買い込んでいた冷凍食品やフリーズドライを使った。
スコールはそれ程食べる訳ではないし、ウォーリアも必要最低限のエネルギーが摂れれば十分という性質だから、それで食事量は上手く回すことが出来た。
しかし、一週間と言う、常を思えば少々長い期間、買い物の時間を削っていたので、そろそろ冷蔵庫の中は心許なくなっている。
非常食として置いているカップラーメンを開けても良いが、自分一人ならそれで良くても、同居人がいるとなると、やはり其方には気を遣うものであった。
主菜も副菜も当てに出来るものがないので、スコールは程なく考えるのを辞める。
取り敢えず、今日はスーパーに行ってから、必要なものを軒並み揃えて、その中から適当に考えても良いだろう。
財布の中身だけは確認しておかないと、としばらく開けていないその中身について思い出そうとしていると、
「あ、ウォーリアだ」
「……え?」
「本当だ。ほら、あそこあそこ」
ヴァンの言葉に、スコールが聞き違いかと思わず足を止める間に、ティーダが前を指差した。
彼が示した先には、きらきらと眩い銀糸を持った男が立っている。
傍らには、彼が毎日の出勤に使っている、黒の乗用車が停められていた。
見知った顔との遭遇に、ティーダが嬉しそうに走り寄る。
それにつられてヴァンが「行こうぜ」とスコールの手を引っ張って行くものだから、スコールはどうしてウォルが此処に、と言う混乱のまま、彼の下まで引き摺られて行った。
「ウォーリア、今帰りっスか?」
「ああ」
「スコールを迎えに来たのか?」
「ああ」
矢継ぎ早の少年たちの質問に、ウォーリアはそれぞれ頷いて答えた。
それを聞いたティーダとヴァンは、そうかそうかと言って、後ろに棒立ちになっていたスコールを前へと押す。
「そんじゃ、今日は俺達は此処までっスね」
「な……おい、」
「また明日な~」
スコールがまだ何も言っていない内に、友人二人はさっさと退散してしまう。
おい、とスコールの手は彷徨ったまま、半ば呆然として、スコールは二人の背中を見送る事となった。
取り残された形になってから、数十秒か。
我に返ったスコールが振り返れば、柔らかいアイスブルーの瞳が此方を見ていた。
不意を打ったように視線が交わったものだから、スコールは思わず言葉を失うが、ウォーリアの方は心なしか嬉しそうに口元が緩み、
「早く上がって良いと言われたのでな。君も今から帰る時間だろうとお思って、迎えに来た」
「……そうか」
「邪魔をしたかも知れないな。すまない」
「……別、に」
友人との放課後は、学生にとっては少しの自由時間となるものだ。
実際スコールも、友人たちに連れられて、ちょっとした散策に参加する事は儘ある。
その予定だったのならすまない、と詫びるウォーリアに、スコールは緩く首を横に振った。
ウォーリアが助手席のドアを開けてくれたので、スコールは車に乗り込んだ。
エンジンは切られていたが、此処に来てから間もなかったのか、車内は冷房が効いていて涼しい。
ふう、と冷風の心地良さに目を細めている内に、ウォーリアが運転席へと座る。
ウォーリアはエンジンをつけた車のウィンカーを点けて言った。
「何処かに立ち寄る予定があるのなら、其方に向かうが」
「……冷蔵庫の中身が空だ。スーパーに行く。夕飯も考えないといけないし」
第一ボタンを外したワイシャツの襟元で首回りを扇ぎなら、スコールは答える。
すると、ウォーリアは少し考えるように沈黙した後、
「では、今日は外食にしないか」
「外食?」
「ああ。その方が、君も準備や片付けをしなくて良いだろう」
「……まあ、それは助かるけど」
家事は自分の仕事として引き受けてはいるが、日々のそれを面倒に思わない訳ではない。
買い出しでも食事の用意でも、楽が出来るなら、それはスコールにとって有り難いことだった。
素直にそう答えれば、「では、そうしよう」と言って、ウォーリアは車を発進させた。
ウォーリアと一緒に暮らすようになって一年半、その内に外食した回数は非常に少ない。
ウォーリア自身は料理ができないこともあり、以前は外食やコンビニ弁当を食べることが多かったそうだが、同居を始めてからは、スコールがそれを一手に担う事もあり、殆ど機会がなくなった。
昼もスコールが自分の弁当を作るついでに用意するので、其方も行くタイミングは激減している。
同居を始めた頃は、まだお互いの遠慮もあり、スコールも勝手の分からないキッチンを使う事に躊躇いもあったので、何度か外食で済ませた事もあったが、もうそんな話もない。
久しぶりの外食に、何処に連れていかれるのかと思ったら、何処にでもあるチェーン店のファミレスだった。
品の種類が豊富だから、君も好きなものがあるのではないか────と選択の理由をウォーリアは語る。
別に好き嫌いはないし、何処でも良かったスコールだが、ウォーリアが此処を選んだと言うのが少し意外だった。
勝手ながら、少々敷居の高いレストランだとか、コース料理が出る所だとかを想像していたからだ。
だが、気楽に気兼ねをせずに、スコールが楽に過ごせる場所と言う意味で選んだのであるならば、スコールにとっては少し擽ったいものだ。
あくまでこの選択は、スコールの為を思ってのこと、なのだから。
どれでも好きに食べると良い、と言われて、スコールはパスタとサラダを頼んだ。
セットのドリンクバーも頼んでおくと、注文を取った後、ウォーリアが「私が行こう」と席を立つ。
ドリンクバーの使い方を判っているのか、となんとなく不安になって席から見守っていたスコールだが、ウォーリアは問題なく、炭酸ジュースと自分のコーヒーを持ってきた。
よくよく考えれば、スコールが家に来るまでは、こう言う店にも比較的頻繁に足を運んでいたのだ。
何処か浮世離れしている印象が消えない恋人であるが、余計な心配だった、とスコールはこっそり反省する。
夕食を済ませると、「デザートは要らないか?」と訊ねられた。
別に、いるかいらないかと言えば、“どっちでも良い”スコールであったが、なんとなくそれは口に出し難かった。
尋ねる恋人の視線が、酷く柔らかくて、小さな子供をあやしているようにも見えたからだ。
子供じゃないんだが────と思いつつも、多分これもウォーリアからの気遣いだろうと受け取って、アイスを一つ注文した。
程無く運ばれてきたアイスの冷たさに舌鼓を打ちつつ、
「……なんで急に外食しようなんて言い出したんだ?」
食べる所をずっと見られているのが落ち着かない気持ちもあって、スコールは間を埋めるようにそんな質問をしてみる。
ウォーリアは、二杯目となったコーヒーに口を付けていた所だった。
それをソーサーへと静かに戻し、長い睫毛を携えた目元を僅かに伏せて、
「先日まで、君は試験だっただろう」
「ああ」
「その間でも、君は家事を引き受けてくれている。その感謝は常に絶えないが、気持ちだけではどうなのか、と思ったのだ」
曰く。
元々の習慣として、日々のノルマ的に意識にあるものだから、スコールは試験勉強期間の最中も、家事は欠かさなかった。
作り置きを事前に用意し、保存食も活用し、手間を削って時短を優先してはいるが、準備も片付けも全てスコールが行っている。
台所仕事の他にも、掃除や洗濯も。
それはウォーリアよりも自分の方が時間の融通が利くから、家にいる時間が長いから、と効率を優先してのことなのだが、とは言え、其処に試験勉強も重なれば、いよいよ自分の時間が足りなくなる。
スコール自身は、試験期間中だけの話だと割り切っているが、とは言え、大変ではない訳でもない。
「私が君を手伝えれば良かったのだが、結局何も出来なかった」
「それは───別に、あんたの所為じゃないだろう。仕事だってあるんだし」
「君にも勉強がある。試験期間に限った話ではないが、私がもっと君の手を補える事が出来たら、と思うことはあるのだ」
「………」
俺が勝手に引き受けた事なんだから、気にしなくて良いのに。
スコールはそう思う傍ら、どうにも自分が要領が悪いものだから、ウォーリアには「大変そうだ」と言う印象を与えるのかも知れない、とも思う。
口の中に籠る言葉を誤魔化すように、アイスを口に運ぶスコールを見て、ウォーリアは続けた。
「恐らく私が悪戯に手を出しても、余計に君の手を煩わせてしまうだけだろう。今後、君を手伝えるように努力はして行きたいと思っているが……それはそれとして、先日の試験の間も家事を引き受けてくれていた君に、何か返せるものはないかと考えた」
「……」
「だが、これと言って浮かぶものがなかった。それならばせめて、君に楽をさせてやれないかと思って、外食ならば、片付けも準備も要らないだろうと。これは今日限りのことではなく、今後も機会を作れたらと思っている」
────つまり、この外食は、ウォーリアからの精一杯の気遣いと、感謝の形なのだ。
その事にスコールは、大袈裟な、と思いつつも、じんわりと胸の奥が温かくなる。
自分の仕事と割り切っていても、時には目が回りそうなこともあるし、面倒だと思う事は少なくなくて、優しい恋人はそんなスコールのことをちゃんと見ていたのだ。
そして、なんとかしてやりたいと思って、彼なりに見付けた方法が、この外食だった。
アイスも食べ終え、レジへと向かうウォーリアの後ろをついて歩きながら、確かに楽だった、とスコールは思う。
家事はスコールにとって仕事で、別に趣味だとか好きでやっている訳ではないから、しなくて良いのは非情に助かる。
ただ手料理をするより割高にはなるよな、と、環境柄、社会人の恋人に養って貰う立場となっている事が聊か頭を擡げるが、今はそれは追い遣っておくことにした。
駐車場へ出て、車に乗り込もうとすると、ウォーリアがそのドアを開けた。
助手席のドアを開けて待つウォーリアは、まるでレディファーストを心がける紳士のようだ。
女子じゃないんだけど、とスコールは思いつつ、じっとスコールの乗車を待つウォーリアの眼は、何処までも愛しいものを見る甘さを孕んでいて、文句を言う気にもならない。
スコールが車に乗り込むと、ウォーリアも運転席に座り、
「何処か寄る所はあるか?まだ何処の店も閉まっていないから、行ける筈だ」
足になってくれる、と彼は言う。
それじゃあ、とスコールは今日は遠慮しないことに決めた。
「スーパーに行く。明日の食べるものがない」
「了解した。他には?」
今日の夕食は外食で助かったが、明日の朝までそれが出来る訳ではない。
必要なものは買い足しておかないと、と言うスコールに、ウォーリアも頷いた。
その他にはないか、と訊ねて来るウォーリアに、スコールはしばし考えてみるが、
「後は……特にない。……それより、早く帰って、あんたとゆっくりしたい」
家に帰って、二人きりで。
遠慮をしないと決めたから、スコールは今日は目一杯、恋人に甘えたくなってそう言った。
顔が熱くなるのを自覚しながら、隣の恋人をそろりと見ると、綺麗な顔がじっと此方を見詰めている。
薄く開いた唇が、自分の名前を呼ぶのが聞こえて、スコールは体の奥がじんと熱くなった。
吸い込まれるように近付く距離は、すぐになくなって、二人の唇が静かに重なる。
とうに陽が沈んでいる上、この駐車場は広さの割に外灯の数が少ないものだから、車内は互いの顔を見るのが精一杯と言う暗さだ。
車内灯もつけていない今、車の隣か正面にでも来ない限り、人に見られることはないだろう。
だからだろうか、触れ合っていたのはほんの少しの時間なのに、スコールには随分と長く感じられた。
そう感じるのはきっと、じっと見つめるアイスブルーが、何処までも甘くて優しかったからだろう。
ゆっくりと唇が離れていく間、スコールは細めた双眸で、ウォーリアの顔を見つめていた。
ほう、と溶けた吐息を零した後、大きな手がスコールの頬を撫でる。
「では、行こうか」
このキスの続きは、家に帰ってから。
そんな声を聴いた気がして、スコールは小さく頷いた。
『スコールをべたべたに甘やかすウォーリア・オブ・ライト』のリクエストを頂きました。
迎えに来たり、外食に誘ったり、遠慮しがちなスコールにデザートを促したり。
全部含めて甘やかしてますが、一番は“助手席のドアを開けるWoL”だと思う(書きたかった)。
家に帰ったら、人目もない訳だし、存分に(隠喩)甘やかして欲しいですね。