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User: k_ryuto
学生二人の生活は、中々快適でもあるし、不便でもある。
監視的な意味を持つ大人が同じ空間にいない為、生活の様式や、日々の暮らし方と言うのは、基本的に気儘な所があった。
スコールはスケジュールを組むとそれを守りたいと思う所はあるが、実の所、彼の実生活と言うのは案外物臭なものだったりする。
生真面目な性質と、相反して何事にも腰が重い性質が同居している為、スコールは自分が気にならない所はルーズになる一面があった。
朝に弱いので、土日や休みの日なんてものは、ずるずるとベッドの中で過ごしているし、食事にもそれ程執着がないから、パン一枚でも齧れば良いだろう、とする事もある。
一方で、真面目な部分と言うものは、勉強の進み具合だとか、学校から帰ったらすぐに課題を広げて片付けてしまうとか、そう言った部分に発揮されていた。
ティーダはと言うと、きっちりかっちりと言う管理が苦手で、予定を立てるのはいつも大雑把だ。
聞こえがよく言えば、何事にも大らかで、ポジティブな言動と相俟って、丼勘定と勢いで乗り切る所がある。
そんなものだから、課題をするのを忘れたり、授業に必要なものを忘れたりと言う事も少なくなく、幼馴染であり同居人であるスコールに、両手を合わせて教材を借りに行く事も頻繁だった。
反面、彼は好きな事については徹底的にストイックになる一面があり、それに関しては、まるでスイッチが切り替わったように管理を怠らない。
朝早くから決まった時間にランニングに行ったり、昼休憩には自主練習、放課後の部活も余程の事がなければ欠かさない。
その努力はしっかりと彼の実力として実を結び、ティーダは二年生にして、水球部のエースの名を欲しいままにしていた。
そんな正反対な二人であるが、生活を始めると、これが存外と上手く噛み合う。
元々付き合いも古く、よく知った仲でもあるし、互いがそれぞれに何を優先しているかも判っている。
且つ共に周りの事が確りと見えていて、自分よりも他者に合わせようとする所もあった。
だからもしも、全く知らない人間との同居であれば、息苦しさを感じる程に遠慮したり、角を立てまいと過剰に相手の都合を優先させてしまった可能性もあったが、幸い、彼等は幼馴染だ。
譲る所と譲らない所、相手が何を一番に考えようとしているかの予測は、遠からず当たる。
その上でそれぞれに折り合いを付けて行く内に、生活の歯車は綺麗に噛み合ったのであった。
二人の生活において、家事雑事は基本的に当番制を取るようにしているが、食事の用意はスコールが担う事になっている。
共に父子家庭と言う背景もあり、幼少期から父───スコールは其処に年の離れた兄も加わる───の手を援ける為に家事に手を出していたので、ティーダも料理が出来ない訳ではないのだが、日々の栄養管理から何から、スコールの方がよく気が回る。
二人の学校では、部活も長い時間が使われているし、食材の買い出しやら何やらと言うのは、放課後がフリーになっているスコールの方が都合がついた。
そう言う訳で、食事に関してはスコールが預かる事になり、ティーダはそれ以外───掃除や洗濯ものの片付けなど───を週の半分以上を引き受ける事で折半とした。
そんな風に二人の生活様式が固まった結果、スコールは、ティーダの毎日の早朝ジョギングに合わせて、きちんと決まった時間に布団を出る。
ティーダが帰って来た時には、バランスの取れた朝食が用意されており、二人揃って食べた後は、ティーダが片付けを請け負う。
それから揃って登校、土日休みの場合は朝に弱いスコールが二度寝しに行くのがパターンだ。
そうなってもスコールは昼にはちゃんと起きて来るし、ティーダも時間が空くとスコールから「課題は終わったのか」と詰められるので、休みだからと遊び惚ける事もない。
生活の流れが“自分一人だけのものではない”と言う環境が、気を抜けば奔放にもなり易いであろう、若者二人の生活にメリハリを作っていた。
案外としっかりとしている生活を送る少年達であるが、その傍ら、大人がいない大変さも理解している。
特に、試験期間に突入すると、少年達はそれを痛感せずにはいられない。
来週に控えた試験の為、言い訳を付けてそれから逃げたがるティーダを捕まえ、スコールはリビングダイニングのテーブルで勉強時間を設けた。
大袈裟な事にも思えるが、こうでもしないとティーダがいつまでも現実逃避をするのだから仕方がない。
前回の試験で、苦手な教科が赤点ギリギリだった事で、ティーダは部活禁止一歩手前のイエローカードが出ている。
学生の本分である勉強が疎かになるのなら、チームのエースと言えど部活はさせない、と言うのが顧問の方針だ。
スコールもそれを知っているから、今回はなんとしてでも逃がさないと、縛る勢いでティーダをテーブルに縫い留めている。
しかし、今回スコールがティーダの為に出来るのは其処までだった。
普段はスコールも自分の理解が深まるからと、ある程度まで彼に勉強を教える事を寛容しているのだが、今回はその余裕がない。
スコール自身の苦手範囲が複数の教科に渡って当たってしまい、人を気にする暇がなくなったのだ。
「うー……」
「……」
「んん~……」
「……」
「ぐぅぅ~~~……!」
ティーダは、鼻と口の間にシャーペンを乗せたり、歯を食いしばって問題文を睨んでみたり。
答えを穿りだそうとするように、金色の髪を両手でぐしゃぐしゃと掻き回したりと、忙しなくしながら、開いた問題集と対峙している。
その唸り声が鳴る度、スコールの眉間には皺が増えていくのだが、今のスコールはそれを煩いと叱る時間も勿体無かった。
また、ティーダが唸っているのはふざけているからではなく、スコールの余裕のなさを理解しているから、その邪魔をしないように、自分でなんとかしようと頑張っているからだ。
スコールもそれが判っているから、唸る位は目くじらを立てまいと思っている。
しかし、ティーダの問題集は勿論のこと、スコールの手元に開いたプリントも、遅々として進まない。
言葉と言うものの不可解さを、幼い頃から感じ続けているスコールにとって、その分野は意識からして気が進まないものだった。
そう言った気持ちの邪魔もあって、プリントに綴られる問題文に対し、重箱の隅を突いてやりたくなる。
「うぐぅ~~~~~!」
「………はあ……」
向かいの席から、今日一番の唸り声が上がって、スコールはそれをちらりと見て溜息を吐いた。
持っていたシャーペンを転がし、席を立ったスコールを見て、ティーダが抱えていた頭を上げる。
「スコール?」
「……休憩だ。コーヒー淹れる」
「俺のも頂戴、砂糖とミルクも」
ねだるティーダに、そのつもりだと、スコールは無言で食器棚からマグカップを二つ取り出した。
コーヒーの淹れ方は、父から兄へ、兄から弟へと受け継がれている。
豆に拘りがある程ではないが、淹れ方は兄から教わったものをそっくり真似ていた。
その甲斐あってなのか、ティーダはスコールが淹れたコーヒーが好きだと言う。
ただし、彼は苦いものが得意ではないので、ブラックではなく砂糖1杯とミルク少々が欠かせない。
コーヒーが出来るのを待つ間に、テーブルに突っ伏したティーダがスコールを見ながら言った。
「なあ、スコール」
「教えるのは無理だぞ。俺も余裕がない」
先に封じる形でスコールが言うと、ティーダは「判ってるって」と言って、
「そりゃ教えてくれたら一番嬉しいけど。そうじゃなくてさ、やっぱりモチベーション上がらないから、ちょっとだけ応援とかしてくれないかなって」
「応援?」
ティーダの言葉に、スコールは分かり易く顔を顰める。
勉強の応援なんて、まさか横で拍子を叩いて笛を吹けとでも言うのか。
スコールの頭の中には、体育祭の時に見た、学ランに鉢巻きスタイルで応援合戦をしている生徒の様子が浮かぶ。
そんな事を想像してしまったものだから、スコールは露骨に顔を顰めていたのだが、ティーダは気にせずに続けた。
「頑張ったらご褒美、みたいなさ。お願い一つ叶えてくれる、とか」
「…言いたい事は判ったけど。テストで頑張るのは、俺もなんだが?」
「判ってるって。だからスコールには、ちゃんと俺からご褒美あげるから」
それなら良いだろ、と言うティーダに、何が良いのか……とスコールは思うが、不公平よりは余程良い。
決して好きでもない勉強に嫌でも齧りつかねばならないのなら、その褒賞を貰う位、願っても罰は当たるまい───と言うティーダの言葉には、スコールも概ね同意であるが、
「……で、あんたは何が欲しいんだ?」
話の主題は、ご褒美云々ではなく其処だろう、とスコールは読んでいた。
確かに勉強へのモチベーションを上げると言う目的もあるのだろうが、ティーダが一番求めているのは、やる気云々ではない。
延々と続く山道を登った先で食べる、美味しい美味しい弁当の中身を、彼は欲しがっているのだ。
それを読んで、スコールは直球に訊ねてやった。
大方、夕飯のメニューか、そうでなければ新作ゲームあたりだろう────と思っていたのだが、
「テストが終わったらさ。色々気にしなくて良くなるだろ」
「……まあな」
「試験が終わればゆっくり出来るし」
「補習もなければな」
「うぐ。うん、そう、それもそう」
痛い所を刺されて、ティーダが一度口を噤む。
じわじわと効いて来るであろうスコールの一言を脇に追い遣りつつ、だからさ、とティーダは言った。
「でさ試験終わった次の日って、土日だろ?」
「ああ」
「だからその時にさ、」
エッチしよ。
ティーダがそう言った瞬間、がちゃん、とスコールの手元でマグカップが音を立てる。
入れたばかりのコーヒーが、シンクの中に茶色い川を作って、排水溝へと流れて行った。
スコールは取り落としてしまったマグカップが、幸運にも罅も入らず無事だったことに安堵しつつ、耳まで赤くなった顔でティーダを睨む。
「何言ってるんだ、あんたは!」
「良いじゃないっスか、ずっと我慢してるんだから!」
「だからってそんな事、試験明けにする事じゃないだろ!」
「じゃあいつなら良いんだよ。スコール、いつもそんな事言って全然やらせてくれないじゃないっスか!」
「でかい声で言うな、そんなこと!」
「スコールの声もでかいっスよ!」
羞恥心から声を荒げるスコールに、負けじとティーダの声も大きくなる。
が、此処はセキュリティこそしっかりとしてはいるものの、そう広くはないアパートマンションの一室だ。
壁の厚みはそこそこあるとは言え、若者二人の腹から出した声を全て防いでくれる程、上等な施工はされていない。
スコールは湯気が出そうな程に赤い顔で、シンクに転がしてしまったマグカップを拾う。
勿体無い、と呟きながら、とソーサーに残っていたお代わり分のコーヒーを注ぎ直していると、
「なあ、スコール。なあってば」
「煩い」
「俺、ちゃんと頑張るから」
ティーダの声は真剣だった。
その声を、もっと違う流れで聞きたかった、とスコールは思う。
淹れ直したブラックコーヒーと、砂糖とミルクを入れたコーヒーを手に、テーブルへと戻る。
ティーダの前に彼のコーヒーを置いて、元の位置へと座り直すと、スコールはプリントを手繰り直す。
転がしていたシャーペンを取って、並ぶ問題群に視線を落としていると、
「スコール。スコールってば」
「………」
「……やっぱ駄目?」
呼ぶ声を無視していると、「だよなぁ」と諦めの混じった笑い声が聞こえた。
ちらとスコールが見遣ってみれば、ティーダは湯気を立てているコーヒーに息を吹きかけて冷ましている。
程好く表面が冷めた所で口を付け、ふう、と一息吐いて、彼も改めてシャーペンを握り直す。
────今回、自分がティーダを援けられない以上、ティーダには自力で頑張って貰わなくてはいけない。
その為に必要不可欠なのは、彼自身の勉強に向ける意欲的エネルギーだ。
普段からそれは半ば枯渇気味ではあるのだが、ティーダは基本的には前向きな思考をしているので、ささやかなご褒美のようなものでもあれば、一応はそれを目標にする事が出来る。
それを考えれば、ティーダが自ら希望した“ご褒美”と言うものは、効果的と言えるだろう。
同時に、ティーダが求める“ご褒美”は、スコールにとっても強ちそうと言えなくもないのも事実で。
「……」
「うーん……」
問題集に向き直ったティーダは、先程よりは落ち着いた様子で、数字の羅列を見つめている。
考えているのか、眺めているのか、微妙な所ではあったが、ご褒美云々とは関係なく、次のテストの対策をしなければと言う気持ちはあるのだ。
コツ、とスコールの手元で、シャーペンが小さく机の天板を鳴らす。
紙に置かれた芯が僅かに黒鉛を滑らせて、芯の触れた痕が小さく残った。
スコールはじっとそれを見つめた後、顔を上げる。
「ティーダ」
「ん?」
名前を呼ばれて顔を挙げたティーダは、いつもの顔をしている。
ついさっき、自分がねだった言葉など忘れたようなその表情に、スコールは一瞬、口を開くのを躊躇ったものの、結局は意を決してそれを告げた。
「頑張るのは、当たり前のことだから、ご褒美とかは関係ない」
「っスよね~」
スコールの言葉に、判ってた、とティーダが表情を崩す。
ちょっとだけ残念───と言う気持ちも滲むその顔を見つめながら、スコールは続ける。
「だから、ご褒美が出るのは、ちゃんと結果が出たらの話だ」
「ん?」
「…全教科でそれぞれ平均点。採れたら……良い」
「え」
「採れたらな」
其処まで言って、スコールは手元のプリントへと視線を戻す。
黙々と問題を解く手を再開させたスコールに、ティーダはぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
ええと、と今し方、幼馴染の口から告げられた事を頭の中で再生させ、その意味を考えること数秒。
ようやくその意味を汲み取り始めてから、その内容にまだ頭がついて行かなくて、もう一度聞いて確かめようと見た幼馴染が、伏せた顔を耳まで真っ赤にしている事に気付く。
うずうずと、ティーダは今すぐ目の前の幼馴染兼恋人に抱き着きたかった。
しかしスコールは筋金入りの恥ずかしがり屋で天邪鬼だから、きっと振り払われてしまうだろう。
その上、折角約束してくれた”ご褒美”を反故にされてしまっては勿体ない。
しかし、湧き上がる気持ちまでは誤魔化しきれなくて、せめてそれだけは吐き出さなくては、息が詰まりそうだった。
「スコール!」
「なんだよ」
「俺、絶対良い点採るからな!」
「判ったから集中しろ」
もうこっちを見るな、と苦いものを噛む口でスコールは言った。
それが恥ずかしがっているからだと判っているから、ティーダの口元は緩んでしまう。
ティーダは両手で自分の頬を叩いて、気合を入れ直した。
赤らんだ頬で問題集に臨む幼馴染を、スコールはちらりと見遣って、現金振りに呆れてこっそりと溜息を吐く。
その傍ら、甘やかしてしまった自分の胸の内に燻る期待だけは覚らせないように、努めていつもの仏頂面を浮かべるのだった。
10月8日と言う事で、ティスコ!
お盛んだって良いじゃない、17歳だもの。
試験明けに一杯いちゃいちゃすれば良いと思います。
レオンの家に、ふらりとやってくる客は、二人いる。
一人は幼馴染であり、このレディアントガーデンを故郷としているが、何やら忙しそうにいなくなったり帰って来たりとするクラウドだ。
彼はこの街が故郷であるにも関わらず、日々の殆どを全く遠い何処か異なる場所で過ごしており、帰って来るのは気まぐれな事だった。
故にか、彼はそれなりに復興が進んだ今でも、自分自身が住まう、我が家と呼ぶような場所を持っていない。
あった所でほぼ空き家になる事を思えば、持たない事は合理的であると言えよう。
その代わり、帰って来る都度、彼はレオンの自宅を宿替わりに使っており、レオンはその代わりに彼を復興作業の貴重な人材として使っている。
そしてもう一人が、このレディアントガーデンの世界と名前を取り戻してくれた、キーブレードの勇者───ソラである。
彼の場合、グミシップに乗って、文字通り世界を跨いで旅をしている為、日々の中でレディアントガーデンを訪れるのは僅かな時のみだ。
その僅かな時間を、ソラはレオンの下で過ごしたがる。
どうやら、彼の冒険の一番最初───まだ右も左も判らなかった頃の彼に、レオンが微かな指標を示して、「行ってこい」と送り出した事が、彼の心をレオンに縫い留める切っ掛けになったらしい。
そしてレディアントガーデン(当時はホロウバスティオンの名で呼んでいたが)の闇が払われ、その後一年、彼は何処かで眠っていたそうだが、目覚めてから次の行先を考えようとして、最初に浮かんだのがレオンの顔だったそうだ。
旅の再開に向け、一年ぶりに降り立ったその地で、レオンとソラは再開した。
それから様々な事件が起き、それも一段落してからも、ソラは不定期であるが街を訪れている。
レオン達の地道な努力と、セキュリティシステムの存在もあり、この街は数多の世界に比べると平穏が保たれているようで、ソラ達が休息するには丁度良いのだろう。
彼に頼られるのはレオンとて決して悪い気はしなかったから、普段は世界を股に大変な旅をしている少年を労う気持ちで、滞在中の彼の要望に応じていた。
今回も、ソラは数日前にレディアントガーデンへとやって来て、レオンの自宅に泊まっている。
彼の仲間も、それぞれ既知の人物の下を頼り、羽を伸ばしているそうだ。
此処にいる間は、某か事件でも起きない限りは、三人それぞれにのんびりと過ごす事にしているようで、次の合流の日まで顔を合わせない事もあるらしい。
朝の日差しが差し込む窓辺で、ベッドの上で丸くなって眠るソラ。
レオンはその隣で、ベッドから落ちないように、横向きになって眠っていた。
ベッドは当然ながら大人一人用のシングルサイズで、大人のレオンと、まだ子供とは言え小さくはないソラが一緒に横になると、やはり少し窮屈だ。
だからレオンは、ソラが来ている時は、彼にベッドを譲って自分はソファを使おうと思っている───のだが、ソラは頻繁に「一緒に寝よ!」と言ってくる。
狭いだけだぞ、と言いはするものの、「二人で寝た方が暖かいじゃん」と言うソラに押され、湯たんぽ替わりにして一緒に寝るのがパターンとなっていた。
すやすやと眠るソラの傍らで、レオンはゆっくりと目を開ける。
まだ光に慣れない瞳に、カーテンの隙間から差し込む陽光が眩しい。
レオンはゆっくりと起き上がると、そっとソラの体を跨ぐようにベッドに手を突き、窓の方へと腕を伸ばした。
僅かな隙間のあるカーテンを閉め直し、古いベッドが軋む音を立てないように気を付けながら、ソラの体の上から退くと、
「んん~……」
ごろん、とソラが寝返りを打った。
壁側に寄って腕を投げ出したものだから、その腕がこつんと壁に当たる。
が、ソラの寝息は規則正しく変わらず、彼がまだ深い眠りの中にいる事を教えてくれた。
ぱかりと口を開け、かーかーと気持ちの良く眠るソラの姿に、見下ろすレオンの口元が緩む。
口の中が渇くぞ、と小さく呟いて、レオンはソラの顎を軽く指で押し上げてやった。
むぐ、と閉じた所で指を離すと、どうも引き結ぶ力が弱いのだろう、またソラの顎が落ちて口がぱかりと空いてしまった。
子供らしい無邪気で無防備な寝顔に、レオンはくすりと笑みを漏らし、茶色のツンツン頭をくしゃりと撫でる。
レオンは、ベッドを降りて軽く肩を回しながら、小さなキッチンへと向かう。
普段ならトースト一枚とコーヒー一杯で済ませる朝食であるが、ソラがいるならそうはいかない。
育ち盛りで食べ盛りの少年は、朝から胃袋も元気なのだ。
昨日の夕飯にも食べたチキンの残りを冷蔵庫から取り出し、作り置きして置いたソースと絡めながら、じっくりと焼き蒸しを始める。
ソラが来た時には必ず買う、コーンポタージュをマグカップに注ぎ、電子レンジに入れて温めボタンを押した。
温まるのを待つ間に、パンにバターを塗ってトースターにセットし、サラダは昨日の作り置きを取り出して皿に盛る。
チキンもあるしこれ位で良いか、と思ったレオンだが、やはりもう一品と思って卵を取り出した。
手早くスクランブルエッグを作り、サラダの横に盛り付けて、良い色合いに焼き目のついたチキンも並べる。
電子レンジに入れていたコーンポタージュも温まり、あとはパンの焼き上がりを待つだけ。
それも直に終わることなので、レオンは寝室へと戻った。
「ソラ」
「……んぷぅ~…」
「ソラ、飯だぞ。起きろ」
まだまだ寝汚い様子のソラであったが、レオンはベッドの傍に寄ると、少年の肩を緩く揺すった。
ソラは駄々を捏ねるように顔をくしゃくしゃにするが、すん、と一つ鼻を鳴らすと、
「……朝ご飯?」
睡眠欲より食欲が勝つのがソラである。
夏の高い空を思わせる、青い目がぱちりと開いて、眠たそうにレオンを見た。
レオンがソラの言葉に頷くと、ソラは眩しそうに目を細めながら起き上がる。
「んん~……なんか良い匂いする……」
「昨日の晩飯にローストチキンを食べただろう。あのソースが残っていたから、それでまた鶏を焼いたんだ」
「あれ美味しかった」
「なら良かった。ほら、早く顔を洗って来い。熱い内の方が旨いぞ」
そう言ってレオンがベッドを離れると、ソラものろのろと起きる準備を始めた。
ふああぁぁ、と大きな欠伸をしながら体を延ばし、ベッドを降りて、洗面所へと向かう。
朝の水は冷たいもので、それで顔を洗うとよく目が覚める。
洗面所からダイニングへと戻って来たソラも、瞼がしっかりと上がっていた。
その大きな目がテーブルに並べられた朝食を見て、嬉しそうに爛々と輝く。
「美味そう~!って言うか、絶対美味い!昨日も美味しかったもん!」
食べる前から言い切るソラに、レオンは擽ったい気分になる。
ソラは、先に椅子についていたレオンと向かい合う席に座った。
きちんと両手を合わせ、「いただきまーす!」と軽快に言って、フォークを掴むと真っ先にチキンに飛び付く。
パリッと香ばしく焼けた薄皮を破り、ソースの味が染み込んだ肉を、ソラの綺麗に生えそろった歯が噛み千切る。
頬を膨らませてもぐもぐと食べるソラの様子は、見ているレオンにも気持ち良い位の食べっぷりだった。
「うん、ほら!すっごく美味い!」
「ああ、上手く出来たようだ。ソラ、肉ばかりじゃなくて、野菜もちゃんと食べるんだぞ」
「判ってるって。でもこのチキン、すっごい美味いんだよ~」
大きく口を開け、はぐはぐとチキンを頬張るソラ。
口の周りにソースがついて、なんとも豪快で元気な食べ方だ。
チキンを殆ど食べ切ってから、ソラはパンに手を付けた。
バターが染み込んだパンを齧るソラに、レオンが出しておいたリンゴジャムを差し出すと、嬉しそうにそれを受け取る。
甘味の強いリンゴジャムが最近ソラのブームのようで、此処数日、朝には必ずパンに塗って食べていた。
それからソラはスクランブルエッグを食べ、サラダを食べて、コーンポタージュも飲み干す。
レオンよりも多めに盛っていたソラの皿は、レオンよりも先に空っぽになった。
ちゃんと噛んでるんだろうな、とレオンが言うと、ソラはポタージュを飲みながら頷く。
取り敢えず頷いた、と言うのがありありとした反応であったが、まあ良いか、とレオンは苦笑する。
「はぁ~、腹一杯。ご馳走様でした!」
「お粗末様」
「片付け手伝うよ」
「良いか?助かる」
ソラに一拍遅れてレオンも食事を終え、片付ける為に席を立つと、ソラもついて来た。
キッチンは小さなものだが、二人並べる位のスペースはある。
レオンは食器を洗うとソラに渡し、ソラはそれを落とさないように気を付けながら、布巾で丁寧に拭いて行った。
レオンは、チキンを焼くのに使っていたフライパンの焦げ目をスポンジで擦りながら、仕事を待っているソラを見て、
「今日は、もう出発するんだったな」
「あ、うん。そうそう。そうだった」
「忘れていたのか?ドナルド達に怒られるぞ」
「えへへ、忘れてない忘れてない。うん。思い出した」
愛想笑いを浮かべるソラの言葉に、やっぱり忘れていたんじゃないか、とレオンは眉尻を下げて苦笑を浮かべる。
まあこれは言いふらしはすまい、と思いつつ、ようやく焦げつきの落ちたフライパンをソラに渡す。
「今度はさ、ちょっと遠くに行く感じになってるんだ」
「遠く、か」
フライパンを拭きながらのソラの台詞に、レオンは小さく呟く。
遠い昔にこの世界を喪い、追い出されるように通り過ぎた、暗く広い星の海。
辿り着いた常夜の街で、故郷がとてもとても遠くにある事を思う度に、レオンの心は軋んで行った。
その遠い道程を逆に辿り、ようやく故郷に帰って来たレオンにとって、もう“この世界の外”と言うのは、以前よりも遥かに遠いものになっていた。
それは、十数年ぶりに戻った故郷の地に、彼の両足がしっかりと根付いている証でもあった。
その反面、何処までも遠く、何処までも自由に走って行ける傍らの少年を、少し羨ましくも思う。
小さな肩に乗せられる重い命運、其処にはレオンが嘗て抱いていた、失った故郷を取り戻したいと言う期待もあった事は判っているつもりだ。
それでも羨望を抱く事を辞められないものだから、その罪滅ぼしのように、レオンはソラを甘やかしてしまう。
「休みたくなったら、またいつでも戻って来い。お前が来てくれると、ユフィ達も嬉しそうだからな」
彼の旅の終着点が何処にあるのかなど、レオンの知る由もない。
ただ、其処に行くまでに、ソラには沢山の出来事が降りかかるだろう。
それに翻弄されて、疲れて立ち止まりたくなったら、いつでも此処に帰って来て、束の間の休息に浸れば良い。
そんな気持ちで、レオンはソラの髪をくしゃりと撫でた。
ソラは手元のフライパンを綺麗に拭くと、今朝の役目を終えたコンロにそれを置いて、ちらりとレオンを見上げる。
低い位置にあるソラの眼と、見下ろすレオンの瞳とが交わると、ソラはレオンを真っ直ぐに見ながら言った。
「レオンはどう?」
「ん?」
「オレが来るの、どう?嬉しい?」
じっと見つめる澄んだ青の瞳。
ころころと変わる表情を含め、言葉以上にお喋りなソラの眼は、いつでもありのままにその心を映し出す。
自分がこの街にきて、レオンはどう思っているのか、どう感じているのか知りたい───そんな声がレオンの耳には聞こえた気がした。
────大人と言うのは面倒なもので、中々自分の思う気持ちをそのまま口にする事が出来ない。
しかし今はきちんと口にしなくてはと、レオンは気恥ずかしさを隠しながら、ソラの問いに答えた。
「ああ、嬉しいよ。良い気分転換になるしな」
「そう?そっか。じゃあ良かった!」
レオンの答えに、ソラは太陽のようにきらきらと笑う。
その明るい笑顔が、レオンにはとても眩しくて、ついつい双眸を細めてしまう。
「ほら、そろそろ出ないと、皆を待たせるんじゃないか?朝9時に集合だって聞いた気がするぞ」
「え~、もうちょっと。やっぱりレオンと一緒にいたいよー」
そう言って抱き着いて来るソラに、レオンはやれやれと眉尻を下げる。
子犬か子猫が甘えるように、レオンの胸にすりすりと頬を寄せて甘えるソラに、レオンはされるがままだ。
「遅刻と言うのは、中々罪が深いものだぞ」
「遅刻はしないようにするよ。でも良いじゃん、もうちょっとだけ」
「そう言ってる間に、時間は直ぐに過ぎるものだ。ほら、ちゃんと服も着替えて来い」
「うー、判ったよぉ」
促すレオンに、ソラは渋々顔でようやく離れた。
ベッドの横に昨日脱ぎ散らかし、寝る前にレオンが畳んでソファに置いておいた服を取り、忙しなく着換えを済ませる。
忘れ物はないかと指差し確認して、ソラはようやく玄関へ向かった。
行くのなら見送り位はしてやろうと、レオンは靴を履いているソラの後ろに立つ。
ソラは靴の爪先や踵をこつこつと床に当てて、具合を確認してから、くるんとレオンの方へと向き直った。
「レオン、ちょっと屈んで」
「なんだ?」
「また帰って来るからさ。その為におまじないしようと思って」
おまじない───随分と可愛い単語が出て来たな、とレオンは思いつつ、要望に応えて少し背中を丸めて屈む。
と、レオンの頬に、ちゅっと柔らかいものが押し当てられた。
それは触れたと思ったら直ぐに離れ、ぽかんとするレオンを、にっかりと無邪気な笑顔が見上げる。
「へへっ、これでオッケー!じゃあ行ってきまーす!」
「あ───ああ、」
元気も元気に、手を振りながら、ソラはレオンの家を後にした。
彼が開け放ち、潜り抜けて、ゆっくりと締まり行く扉の向こうでは、燦々とした太陽の光が降り注いでいる。
その光に誘われるように、レオンが締まる手前のドアを押せば、もうソラは石畳の向こうを走っていた。
まだ傷の残る、立ち並ぶ建物群の向こうから、ゆっくりと太陽が昇って来る。
光の向こうへ躊躇いなく、真っ直ぐ駆けていく少年の背中に、レオンはまた目を細め、
「……行ってらっしゃい、ソラ」
その足が、一体何処まで行く事が出来るのか、レオンには判らない。
今はただ、彼が行ける所まで行ける事を願って、レオンは遠くなって行く背中を見送るのだった。
ソラがスマブラSPに参戦と言う快挙の記念に。放送での発表見てから勢いで書いてます。
当方、スマブラシリーズは一切触った事がないのですが、それでもタイトルだけは知ってまして。
沢山の枠を越えてこのゲームに参戦する事が出来たのは、本当にすごい事だと思います。
そんな訳で、これから『遠く』で頑張るソラを、レオンさんに見送って貰いました。
バッツが「良さそうな匂いがする」と言って其方の方向に向かって歩き出したので、スコールとジタンもその後を追った。
一体どんな匂いなのかと訊ねてみると、臭いようなそうでもないような、と言う。
“臭い”ものを“良さそう”とは、随分と真逆な事を言ってくれると、スコールは眉根を寄せたが、バッツの足取りに迷いはない。
妙なトラブルに巻き込まれない事を願いながら、スコールは歩を進め、ジタンも同じ気持ちで彼について行く。
バッツにしか見えない道を辿るように進んでしばらく後、ジタンもバッツが感じていたと思しき匂いに気付いた。
そのお陰で、なんとなくバッツが言うものの正体に気付き始めた所で、スコールも同じように“臭いようなそうでもないような、良さそうな匂い”と言うものを感じ取ったらしい。
そうしてバッツが進行方向を決めてから十分程度は経っただろうかと言う頃に、“それ”は発見された。
「温泉だー!」
バッツとジタンが二人揃って声を上げる。
其処はグルグ火山地帯の麓に当たり、其処から湧き出る複数本の川の水が小さな池に流れ込んでいた。
湯の源流は熱湯と言って十分な程の温度だが、他の川から届いた冷水と混ざり、程好い温度まで下がっている。
付近に生息していると思しき動物や魔獣が浸かりに来ている所を見るに、水質も危ないものではなさそうだ。
こんな良条件は滅多にないと、今日の野営地は満場一致でこの温泉の傍と決まった。
池の周りは鬱蒼とした森に囲まれ、見通しはあまり良くはなかったが、それはこの世界ではよくあることだ。
それよりも、清流の川が遠くなく、其処に魚が棲んでいるので食料確保には事欠かないし、何より天然温泉を楽しめるなんて最高ではないか。
秩序の聖域にある屋敷で、広々とした浴場を使えることは非常に恵まれたことであると判ってはいるが、露天風呂の解放感はまた格別だ。
明日、帰還した時には仲間達にこの情報を共有するとして、今日の所は、三人だけで思う存分楽しもうじゃないか、と言う話になった。
温泉が齎す環境か、周囲には様々な獣が生息しており、その素材を集めるのに一役買った。
普段なら中々手に入らないような貴重な毛や羽根も手に入り、先日確認したモーグリショップのトレード品の上位のものも幾つか購入する事が出来るほどだ。
普段の三分の二ほどの探索時間が過ぎた所で、中間報告に集まって成果を確認すると、いつもの倍近くの価値があるものが集められた。
これはもう十分だろう、と満足感も手に入り、今日の所はのんびりしても良いじゃないか、と言うジタンに二人も同感で、予定よりも早めの野宿設営を始めた。
夕飯を終えると、ジタンとバッツは早速温泉に入ることにした。
温度はジタンにとっては少し温めに感じられたが、長湯をするならこれ位の方が良い、と言う程度。
柔らかな水質は、のんびりと浸っていて心地良く、体の芯までじんわりと染み渡り、奥からぽかぽかと温まって行くのが判る。
温泉の質や効能などは判別できるものではなかったが、湯治に良さそうなものである事は感じられた。
森の奥と言う立地である為、通うには聊か不向きな場所だが、偶に足を伸ばして来る位の魅力はあるだろう。
何より、風呂に入りながら空を見上げることの解放感が良い。
遮るもののない空には、ゆっくりと立ち上る湯気が消え行き、その雲が晴れて見える夜空には、満点の星が散らばっている。
これは中々の贅沢だ。
たっぷりと温泉を堪能していたジタンであったが、ざぱん、と水音を聞いて顔を上げる。
見ると、バッツが湯から上がって、手早く体を拭いている所だった。
「もう上がるのか?」
「うん。スコールと交代しようと思ってさ」
スコールは、温泉にはしゃぐ二人を尻目に、火の番を引き受けると言っていた。
彼に甘える形でジタンとバッツは温泉を堪能していたのだが、こんなに気持ちの良いものなのだから、彼も一度くらいは入っておくべきだとバッツは言う。
まだ髪が濡れた状態のまま、バッツはスコールの下へと戻って行った。
一人残ったジタンは、汲んだ手で水鉄砲を遊びながら、のんびりと過ごす。
しばらくそうして待っていると、小さく土を踏む音が聞こえて、池の岸に目を向ければ、ジャケットを脱いだ格好で此方に歩み寄って来るスコールの姿が見えた。
「おっ、スコール。来たか」
「……」
声をかけるジタンに、スコールは視線だけを寄越す。
その表情が、別に入りたい訳じゃない、と聊か拗ねているように見えるのは、ジタンの気の所為ではあるまい。
大方、バッツに「良いから行って来いって!」とせっつかれて、半ば強引に火の番を交代されたのだろう。
仕事を奪われてはどうしようもないと、またあるのなら確かに入って置かないのは損だとでも思ったか、渋々気味の足まで此処まで来たと言う訳だ。
スコールは手袋を外した手で湯の温度を確かめてから、服を脱ぎ始めた。
裸になって湯に入ると、スコールは足元を滑らせないように気を付けながら、座って体が沈められる深さの場所を探す。
先客の動物には近付かないようにしながら、丁度良さそうな場所を見付けると、スコールはその場に腰を下ろした。
「……ふう……」
漏れた吐息に、ジタンはくすりと笑う。
「気持ち良いだろ?」
「……まあ、悪くはない」
ジタンの言葉に、スコールは短く返した。
聊か素っ気ない位のその台詞が、彼の素直ではない所を表している。
スコールは掌で湯を掬って顔を洗った。
濡れた前髪を掻き上げると、特徴的な傷の走る額が露わになり、其処が血流が良好になってほんのりと赤らんでいるのがよく判る。
二回、三回と続けて顔を洗えば、雫が額や頬、高い鼻筋をゆっくりと滑り落ちて行き、彼の整った面立ちをより魅惑的に演出する。
普段は恒常的になっている眉間の皺が緩み、真一文字に引き結ばれている唇も解けているお陰で、近付き難い雰囲気もない。
そう言う顔で過ごしてればモテるんだろうなぁ、とジタンは思ったが、
(ま、そんなスコールと付き合ってるのは、オレなんだけど)
誰に対してでもなく、自慢げな気分になって、ジタンの尻尾が湯の中で上機嫌に揺れる。
それから、ふと一足先に湯から上がった仲間のことを思い出し、
(気ぃ遣わせたか?別に良いんだけどなーっつっても、有り難いっちゃ有り難いんだよな)
バッツは、ジタンとスコールが恋仲である事を知っている。
と言うよりも、彼が間であれこれと気を回してくれたお陰で、ジタンは自分の気持ちを受け入れられたし、スコールも戸惑いながらもジタンの告白を受け止めてくれたのだ。
その後、「おれの事は気にしなくて良いからさ」と言って、二人の為を想って距離を取ろうとしたバッツであったが、彼も含めた三人グループで過ごす事は、ジタンとスコールにとっても日常と化していた。
バッツのお陰で助かる事は幾らでもあったし、何より、ジタンとスコールが恋仲になったからと言って、彼と距離が出来て良い訳でもない。
だから二人が良い仲となってからも、バッツとはいつも通り、今まで通りに過ごしている。
とは言え、やはりバッツとて全く気を遣わない訳ではなく、野営の隙にはこうして二人だけの時間を作ってくれた。
スコールはバッツのこの気遣いを反って強く意識してしまうようだったが、ジタンにとっては有り難い。
何せスコールは人との交流に慣れていないものだから、触れ合いには全く消極的で、ジタンの方からアクションを起こさないと、中々“恋人同士”らしい雰囲気になれない。
そして人目があると素直になれない恥ずかしがり屋が顔を出すので、バッツがこうやって気を遣い、二人きりの時間を意図的に作る事で、彼を少しでもハードル意識を緩和させる必要があった。
お陰で最近のスコールは、二人きりの時であれば、ぎこちないながらも、自分からジタンに触れる事も増えていた。
こんな気を回させるばかりの事をして、やはり一緒にいるのはバッツにとって余計な負担ではないかとジタンは思ったりしたのだが、本人に訊いてみると、そうでもないらしい。
元々、バッツの執り成しがあって、今のジタンとスコールの関係が定着した訳で、バッツにとってはその行方を見守るのが楽しいのだそうだ。
だから二人が何か良くない雰囲気があれば直ぐに介入するし、偶に“良い”雰囲気があれば、良かった良かったと満足しているとのこと。
それを聞いた時のジタンは、酔狂な奴だなぁ、と思ったが、親友がそんなスタンスでいてくれる事は有り難いのも確かだった。
そんなバッツの気遣いのお陰で、今ジタンは恋人との温泉を満喫している。
「スコール。体洗ってやろっか?」
「……洗うようなもの、持ってきてないだろう」
「タオル用の布ならあるから、背中流す位は出来るぜ」
温泉を見付けるなんて思いも寄らなかった事だから、入浴に必要なものなんて持って来ていない。
が、運が良ければ野営で水浴び位はしたいものだし、何にでも使えるしと、多くはないが布は持って来ている。
既に水を含んでいる綿布を搾りながら近付いて来るジタンに、スコールはなんとも言えない表情を浮かべながらも、その背中に周るのを止めなかった。
ジタンはスコールの後ろに膝立ちになって、湯に浸かったままのスコールの背中を擦ってやる。
「お客さん、如何ですかー」
「……何の真似だ、それは」
「まあまあ、ノリだよノリ。で、どうだ?」
「……意味不明だ」
聞いている事の意味が判らない、と言うスコール。
ジタンは、位置の所為でスコールの表情は見えないが、顰め面してんだろうなあ、と思いつつ苦笑する。
しかし、スコールは背中を流すジタンの手を止める事はしなかった。
肩膝を立てて、其処に腕も置いて枕にし、頭を下ろしている様子に、随分とリラックスしている事が判る。
恋人と二人きりと言う環境でも、可惜に緊張せずにいてくれるようになったのは、ジタンにとって嬉しいことだ。
「ふー。終わったかな。サービスで前も洗ってやろっか?」
「要らない」
「そう遠慮するなって!」
「遠慮とかじゃ────」
ない、と言うスコールの声は引っ込んだ。
ジタンが飛び付くように背中に突進して来て、脇の下から潜らせた手で体を擽り始めたからだ。
「な、ひっ、ジタン、おいっ!」
「うりゃうりゃうりゃ」
「やめ、バカ!くすぐった、いっ、ひ、ふっく、」
背中のくっつき虫を振り払おうとするスコールだが、ジタンは暴れるか体を往なしながら、スコールの腹を擽る。
小手先の作業によく慣れて、細かく動くジタンの十指が、スコールの薄いがしっかりと割れた腹筋の上を刺激する。
スコールは腹筋に力を入れて刺激を防ごうとするが、鍛えられ発達した筋肉と言うのは、反って敏感なものである。
況してやスコールの場合、脂肪も殆どついていないようなものだから、筋肉の表面を覆うのは肌皮一枚しかない訳で、
「ひ、ふ、くく、うっ」
「腰も弱いよなー?」
「やめろって言って、う、ふ、はっ、は、」
「我慢しなくて良いんだぜ?ほらほら、笑顔の練習ってな!」
「これの、何処か、~~~~っ!」
腹から腰、脇と、ジタンにあちこちを満遍なく擽られて、スコールは体を守るように身を縮めている。
服を着ていればそれで守れる場所もあっただろうが、温泉と言う場所でそれは無理な話。
ジタンはここぞとばかりに、スコールの体を攻めまくる。
ばしゃばしゃと騒々しい珍客二人に、のんびりと湯殿に浸っていた動物たちが遠巻きに離れていく。
ティーダであれば笑い転げながら逃げる所だろうが、スコールは口を噤んで声を上げないように堪えていた。
そうやって体中を強張らせるから、余計に刺激に敏感になっているのだろうが、刺激への反射反応なのでどうしようもあるまい。
が、いつまでもされるがままでは堪らないと、スコールは思い切って後ろに向かって腕を振り回した。
「やめろ!」
「ほいほい~っと」
声を大きくしたスコールに、ジタンは素早く逃げ飛んだ。
赤らんだ顔に目尻に我慢の雫を浮かべて睨むスコールから、ジタンは脱兎のごとく離れる。
「ちょっとふざけただけだろ~?」
「何が“ちょっと”だ」
「ちょっとだって。オレが本気出したら、こんなもんじゃ済まないぜ。お前の弱いとこ、ぜーんぶ知ってんだから」
両手をわきわきと動かして見せながら言えば、スコールは沸騰宜しく真っ赤になって、足で水面を蹴飛ばした。
ばしゃっと跳ねた湯がジタンの顔にかかって、猫のように頭を震わせるジタンを見て、スコールは少しばかりの留飲を下げる。
まだ少し息を切らしながら、スコールはようやくと言う心地で、また湯の中に体を下ろす。
池の中には大きな岩が幾つか沈んでおり、水面から頭を出しているものもあって、スコールはその一つに背中を預けた。
判り易く背後からの襲撃を警戒しているスコールに、ジタンは「もうやんねえって」と言ったが、向けられる視線は判り易く疑っていた。
疑念一色のブルーグレイに、ジタンは悲しんで見せる表情を作ってみるが、判り易い演技で同情が誘えるほど、この恋人は甘くはない。
ふん、とそっぽを向いてしまったスコールに、思った通りの反応だとジタンはくつくつと笑った。
「さてと。長湯したし、オレもそろそろ上がるかな」
「……そうか」
「スコールはゆっくりしろよ」
「ああ」
寧ろ、やっと本当にゆっくり出来る、とスコールがほうと息を吐いている。
そんなまだまだ素っ気ない───今日のその態度の原因を作ったのはジタンであるが、それは置いておいて───恋人に、ジタンは此処を離れる前にとスコールの下に向かう。
湯の中に座っているスコールを、ジタンは見下ろす。
身長差の所為で殆どの仲間達を見上げる事になるジタンにとって、スコールの旋毛が見れる機会と言うのは珍しかった。
「スコール」
「何だ」
まだ警戒心を持っている蒼灰色が此方を見た。
その宝石を隠すように飾る、長い睫毛を抱いた瞼に、ジタンは触れるだけのキスをする。
不意打ちの感触に目を丸くして、スコールはジタンを見上げている。
その眦にもキスをして、ジタンはスコールが再起動をかかる前に「じゃ、お先!」と言って湯舟を上がった。
手早く体を拭いて、絞った布だけをスコールの服の傍に置いておき、ジタンは温泉を後にした。
野営地に戻ると、火の番をしていたバッツに、「機嫌良さそうだな」と言われた。
そりゃあもうと頷けば、バッツもまた嬉しそうな表情を浮かべ、焚火に薪を放り込んだのだった。
9月8日と言うことで、ジタスコです。
仲間としてわちゃわちゃ過ごしながら、恋人としても距離を縮めてる二人とか見たい。
バツスコでも言えるのですが、CPとはまた別に589トリオも好きなので、二人が付き合っててももう一人も相変わらず一緒にいるのが好き。
どうしても気を遣う所はある訳だけど、だからと言って別々になるのは考えられない三人が良いなって。思ってます。
誕生日と言うこともあって、何か欲しいものでもあるか、と聞いてみた。
この年になってと呟く当人の気持ちには全く同意するが、それはともかく、幼馴染の面々は祝う気満々になっている。
レオンもそれに促される形で、折角ではあるし、と彼女たちに便乗ついでに応えておこうかと思ったのだ。
とは言え、祝う方法について具体的なものが浮かぶ訳もなく、サプライズを狙うような相手でもないしと、手っ取り早く本人に聞く方法を取った。
その結果、返って来たのは、
「……何もしなくて済むのが良いな」
と言った。
平時のクラウドは、闇の力を使って外の世界を彷徨っている事が多く、レディアントガーデンに帰って来るのは気まぐれなものだった。
何を切っ掛けに帰郷して来るのか、理由についてレオンは知らないし、聞く事もしない。
だが、基本的には休むつもりで故郷に戻って来ているつもりのようで、レオンの家で何をするでもなく過ごしている事が多い。
結局は、其処にいるなら手を貸せとレオンや再建委員の面々が貴重な人材として駆り出すので、彼が望む程に休みを満喫しているかは微妙だが。
恐らく、そう言う所があるから、誕生日位はパトロールに駆り出される事なく過ごしたい、と思ったのだろう。
レオンもトラヴァーズタウンにいた頃は、自分の誕生日くらいはと暇を渡されたし、エアリスやユフィが誕生日の時にも、彼女たちがその日を思うように過ごせるよう計らった事がある。
今のレオン達にとって、ハートレスと戦う力を持ち、力仕事と言った他諸々の雑事に呼べるクラウドは、使わない手はないと言える程に重宝しているのだが、
(まあ……誕生日だしな)
普段、クラウドを駆り出す際、レオンは彼の都合をほぼ無視している。
都合と言うものの多くが、寝たいとか休みたいとか言うものである事、済ませる事を済ませれば解放している事、更に彼が故郷で過ごしている間はレオンの自宅に居候をしており、その面倒を見ている分の返礼くらいは働け、と言う理由もあっての事だ。
正直に言えば、レオンとしては今日明日でハートレスを片付けておきたいエリアがあり、其処にクラウドの手を借りようと思っていたのだが、誕生日プレゼントを聞いたのは自分の方であるし、それを跳ね付けるのも聊か気が引ける。
何より、焦っての事かと言われればそうではなく、早い内に済ませる事が出来れば、と言う程度の事だ。
予定のエリアのハートレスも、昨日確認した限りでは、それ程多くはいなかった。
自分一人でもなんとかなるか、とクラウドの希望に応じようとしたレオンであったが、
「あと、あんたも付けてくれると有り難い」
笑みを浮かべたクラウドに、レオンは僅かに眉根を寄せたが、まあ良いか、と思う事にした。
昼の内にクラウドを拠点に連れて行き、再建委員会メンバーと揃って、彼の誕生祝を兼ねた昼食を採った。
キーブレードの勇者のような年齢ならともかく、もう二十歳も過ぎて、祝われる事に特別な感慨がある訳でもないが、それでも祝ってくれる仲間達がいる事は有り難いものだ。
クラウドもそれは判っているのか、シド特製の唐揚げを山積みにして「クラウドの分ね!」と目の前に置いたユフィにも、呆れつつもそれを平らげて見せた。
他にも祝いなんだからと昼間から酒を持ってきたシドであったり、黄色い小鳥の飾りを乗せたケーキを用意したエアリスにも、シンプルな礼を述べて、どちらもしっかり手を付けた。
流石に酒もケーキも全て食べ切る訳にもいかなかったので、これらはクラウドが満足する程度で済ませている。
それでも、ボリュームのあった昼食も含め、クラウドの腹は十分に満たされた。
帰り際、次はレオンの番だからね、と言うユフィにレオンは苦笑する。
すっかり忘れていたが、確かに十日もすれば自分の誕生日が回って来る。
クラウド同様、何もなくとも気にしない、寧ろこうして思い出してもまた忘れてしまいそうなレオンの事など気にせず、ユフィやエアリスは何か計画しているのだろう。
当日を密かに楽しみに思う位には、自分も今の生活に余裕を感じているのだろうか。
そんな事を考えている間に、レオンとクラウドは自宅───クラウドにとっては間借り先───に着いていた。
中に入れば、クラウドは腹を撫でながら、定位置のソファに寝転ぶ。
手を乗せた腹がいつもより僅かに膨らんでいるように見えて、レオンはくつりと笑った。
「随分食っていたな」
「流石に腹が重い」
「その分じゃ、晩飯は無くて良いか?」
「それとこれとは別だ」
数時間もすれば消化は終わる、と言って、クラウドはちゃっかり夕飯を所望する。
判り切った事なので、レオンは肩を竦めながら、冷蔵庫の中身を確認しに向かった。
馳走は昼に十分味わったから、夕飯は質素でも良いだろう。
とは言え誕生日ではあるのだし、クラウドが好みそうな厚みのある肉を一品添えても良い。
そう考えると、結局質素ではなくなるな、と思ったが、折角なのだから良いだろう。
夕飯に使えるものは一通り揃っていたので、今日は買い出しに行く必要もない。
クラウドからの希望があるので、レオンがパトロールやデータの確認に行く予定もなくなったし、レオンは手持無沙汰な気分だった。
意図せぬ休日を得たと言えばそうだが、レオンとしては勿体ない気がして仕方ない。
ソラが集めてくれているアンセムレポートの確認でもしようか───と思っていると、
「レオン」
「なんだ?」
「こっち」
促す声にレオンは首を傾げつつ、呼ぶ人間の下へと向かう。
相変わらずソファに寝転がったまま動かないクラウドの傍に来ると、床を指してしゃがむように示された。
膝を折ってソファの前に座ると、伸びて来た腕がレオンの頬を撫で、ピアスの光る耳へと触れる。
「やっとあんたを堪能できる」
「そんな事の為に俺を付けたのか」
「大事なことだろう。あんたは俺をほったらかしにするから」
「殆ど街にいないのはお前だろう」
ほったらかしも何も、いない人間を気にするような暇はレオンにはない。
きっぱりと言ってやれば、クラウドは如何にもわざとらしく、傷付いた顔をして見せる。
露骨な表情に乗ってやるのもバカバカしくて、レオンは頬を撫で遊んでいたクラウドの手を払う。
と、その手が今度はレオンの肩を掴んで、ぐっと引き寄せた。
前に傾いたレオンの首にしっかりとした腕が絡まって、逃げ場を塞いでキスをされる。
無防備に薄く開いていた唇の隙間から舌が入り込んで来て、レオンのそれを絡め取り、水音を立てながら咥内を弄る。
「ん、…ふ……っ」
遠慮をしない侵入者に、柔く歯を当てて噛んでやると、舌は益々調子に乗った。
じゅる、じゅぷ、と昼日中から聞くには聊か不適切さを匂わせる音がして、ぞくりとしたものがレオンの首筋を走る。
たっぷりとレオンの咥内を味わって、ようやくクラウドは離れた。
はあ、と息苦しさに喘ぐ灰に酸素を送って宥めつつ、レオンはソファに寄り掛かる。
首を固定していたクラウドの手が緩んで、背中にかかる濃茶色の髪の毛先に指を絡めて遊んでいた。
「はぁ……全く、お前はいつも唐突だ」
「それは否定しないが、今日はあんたが先に聞いて来たんだろう。何が欲しいって」
それはそうだが、と呆れつつ、レオンは体の向きを反転させた。
床に座ってソファに凭れかかるレオン。
十分な供給を見たした肺が落ち着いて、レオンは天井を見上げながら、ふう、と一息。
それでレオンが落ち着いた事を察して、クラウドがソファから起き上がった。
「俺は休みで、あんたも休み。今日一日は自由に過ごせる」
「アラートでも鳴らなければな」
「無視すれば良いだろう」
「お前じゃないんだ、そう言う訳にはいかない」
無責任な事を言うな、と咎めれば、クラウドは素知らぬ顔だ。
故郷がまだまだ大変だと判っているのだろうか───と思うレオンであったが、彼も一応、この地に郷愁がない訳ではないらしい。
だから本当にアラートなり緊急事態なりと起これば、レオンが家を出て行くのを止めはしないだろうし、必要であればその腕を振るうだろう。
気分屋な所はあるが、律儀な所は律儀なのだ、とレオンは幼馴染の男をよく知っている。
ソファに座ってレオンの旋毛を見ていたクラウドであったが、なんとなく其処から流れる髪の毛先を追って手櫛を滑らせていると、後髪の隙間から覗く項に辿り着く。
いつからか伸ばした髪が隠すようになった其処に指先を宛がって、生え際の後れ毛をくるりとくすぐった。
むず痒い感触にレオンがその手を払うが、クラウドは構わず首の形をゆっくりと辿り、耳の裏をなぞる。
「クラウド」
「感じるか?」
レオンの咎める色を含んだ声に、クラウドがにやりと笑う。
調子に乗ってるな、とレオンは眉根を寄せたが、クラウドの腕に抱えられるように持ち上げられて、ソファの上に転がされ、その上にクラウドが跨って来る。
「……昼間からする気か」
「良いだろう。今日は俺の誕生日なんだから」
好きにさせて貰う、と言いながら、クラウドの手はレオンの腹を、胸を撫でていく。
首元に整った顔が近付いて、ぬるり、と舌がレオンの喉を這う。
シャツが捲り上げられ、引き締まった躰が露わになると、クラウドの瞳に熱が宿る。
全くお盛んな奴だと呆れたレオンであったが、久しぶりであるのはレオンも同じで、まあ良いかと思う事にした。
妙な趣味を疑うような事を要求されなければ、今日はクラウドのしたいようにさせるのも悪くない。
クラウドが手袋を外したので、レオンも自分のそれを外す。
ソファの端に置いたそれが、際過ぎたのかぽとりと落ちたが、伸し掛かる男が邪魔で直す事は諦める。
クラウドはと言うと、手袋はぽいと適当に放り投げて、ベストを脱いだ。
昼日中とあって外は明るく、部屋の電気をつけなくても、鍛え抜かれた躰がはっきりと見る事が出来る。
それはクラウドからも同様で、均整の取れたレオンの躰を余す所なく眺めては、今日はこれを独占できるのだと言うことに良いようのない興奮が浮かんだ。
「お前、溜まってるのか」
「あんたが構ってくれないからな」
呆れながら言うレオンに、クラウドはきっぱりと責任転嫁してくれた。
しかし、確かに当分してはいなかったな、とも思い出して、レオンは体の力を抜いた。
好きにしろ、と言う意思表示を示すレオンに、クラウドの口元に笑みが深まって、胸元に頭が下りて来る。
窓から差し込む太陽の眩しさと、躰を這い上って来る熱が、レオンに背徳感のようなものを感じさせた。
時計を見れば三つ時で、この時間から始めたとして終わるのは────と凡その計算をしようとするが、下肢に押し付けられるものの感触に気付いて諦めた。
どうせ自分が思うような時間に解放される事はないだろうし、夕飯ももう簡単に昨日の残り物で片付けてしまえば良い。
誕生日だから、と少し位の贅沢はさせてやろうと思ってはいたが、絡み合う躰以上にこの男に贅沢を感じさせるものはないらしい。
安上がりで良いか、と思う事にして、レオンはクラウドの頬に手を伸ばす。
すり、と指先が白い肌に触れて、クラウドが顔を挙げた。
雄の気配を宿した碧の瞳を、細めた双眸で見詰めると、何に誘われたのかその顔が近付いて来る。
重ねた唇を甘く吸ってやると、貪るように食い付かれて、その判り易さにレオンはくつりと笑った。
誕生日と言うことでクラレオ!
甘やかされの許しが出たので、此処ぞとばかりに調子に乗るクラウドと、誕生日だからまあ良いかのレオンでした。
最初に誕生日祝いだと言ってプレゼントをくれたのは、友人のザックスだ。
いつも通りに出社して、今日配達の荷物を確認している所へ、一拍遅れて会社に到着した足で、そのまま渡しに来てくれた。
ファッションの類にまるで興味のない友人を慮って、良さそうな上着を見付けたんだよ、と言っていたザックス。
クラウドはそれを有り難く受け取ると、自分のロッカーの中へと納めておいた。
それを切っ掛けにしたように、他の友人たちからも祝いの品を貰った。
多くは今日がクラウドの誕生日である事に初めて気付いたようなものだったから、手持ちに愛用している飴玉だったり、社の冷蔵庫に常備している摘まめる駄菓子だったり。
だが女性社員は前々から準備してくれていたようで、女性社員一同から、と言う形で、ペンケースをくれた。
革製の黒い光沢のあるペンケースは、使い込む程に手に馴染んで行く事だろう。
長く使えるものを用意してくれた女性社員に感謝を述べて、クラウドはそれもロッカーの中へと仕舞った。
仕事は滞りなく片付ける事が出来、気分の良さも相俟ってか、一日は案外と早く終わった。
空を多く橙色に、ぼちぼち早くなり始めた宵闇が滲む頃に、クラウドは退勤のタイムスタンプを押す。
特にいつもと変わった事がある訳ではなかったが、それでも誕生日であるし、帰りにコンビニで酒でも買って帰ろうか。
そんな事を思いつつ、プレゼントを詰めた鞄を肩に担ぎ、会社を出ようとした所で、
「クラウド。例の子、来てるってさ」
事務方に今日の報告書を提出しようとしていたザックスに言われて、クラウドの胸が弾む。
大した距離でもないのだが、進む足が早くなったのは、自然な事だ。
社員用の通用口である裏口から出ると、外は大分暗くなり、街灯が煌々と点いている。
クラウドは駐車場に置いていた大型バイクを押して、敷地の外へと出た。
其処からほんの数メートル離れた場所で、一人の少年が電柱に寄り掛かっている。
「スコール」
「……お疲れ」
「ああ」
名前を呼べば、少年───スコールが顔を上げる。
今日を労ってくれるスコールの言葉に、クラウドは小さく頷いて、彼の傍へと近付く。
「塾は終わったのか」
「ん」
スコールは高校二年生で、この近くにある進学塾に通っている。
この案外と近い距離が縁で、二人は知り合い、今では深い仲へと発展していた。
スコールは電柱に預けていた背を放すと、クラウドを向き合って少し俯いた。
街灯に照らし出された大人びた顔立ちの中、噤まれていた小さな唇が、何度か開いて閉じてと繰り返す。
何かを言おうとして言葉を探している時の様子だと察して、クラウドはスコールが音を出す準備を整えるのを待った。
しばしの沈黙の後、スコールは肩にかけていた鞄を下ろし、中から小さな箱を取り出した。
掌に乗せていられるサイズの正方形のそれには、銀色のテープが飾られている。
「……これ。あんた、今日、誕生日だから…」
そう言って箱を差し出すスコールは、判り易くクラウドから目を逸らしている。
夕暮れがまだ僅かに届く中、耳が赤くなっているのを見付けて、くすりとクラウドの唇に笑みが滲む。
「ありがとう、スコール」
「……別に」
小さなプレゼントボックスを受け取り、感謝の言葉を告げれば、スコールは益々赤くなる。
素っ気ない言葉は彼の口癖のようなもので、それすらもクラウドは愛らしく思っていた。
箱はサイズの割には重さが感じられる。
銀色のテープには薄く刻印が施されており、クラウドが愛用しているアクセサリーのブランド名が記されていた。
ロックを外して蓋を開けてみれば、きらきらと一寸の穢れもない、銀色の狼を頂いたシルバーリングが納められている。
学生が手に入れるには少々根が張るものだった筈だ。
スコールが夏休みに入る前から、懇意にしている友人の紹介を頼り、アルバイトをしていた事は聞いている。
この為に、自分の為に頑張ってくれていたのかと思うと、クラウドは面映ゆくて仕方がない。
クラウドは視線を逸らしたままのスコールの肩を優しく捕まえると、そっぽを向き続ける赤らんだ頬にキスをした。
突然の事にスコールは一瞬固まった後、益々赤くなってクラウドの方を見る。
「あんた、何して……っ!」
「お前が可愛いことをしてくれたから、その礼だ」
「ば、かじゃないのか!」
恥ずかしさからだろう、飛び退こうと体を引くスコールだったが、クラウドの腕がそれを許さなかった。
しっかりとその肩を捕まえたまま、今度は唇にキスをする。
「ん、ん……っ!」
未だにスキンシップと言うものに慣れないスコールは、手を繋ぐだけでもぎこちない。
キスともなれば尚更で、ついつい体が緊張して硬直するのが癖になっていた。
そんなスコールの唇を柔く吸いながら、反射反応で逃げを打とうとする背中に腕を回し、しっかりと檻の中に閉じ込める。
うんうんと唸る声はしばらく続いていたが、絡め取った舌を吸ってやれば、ビクッと震えるのを最後に、あとはクラウドのされるがままだ。
たっぷりと恋人の愛しい唇を堪能して、クラウドはゆっくりとスコールを解放する。
濡れた桜色の唇から、はあ……っ、と熱の籠った吐息が漏れた。
スコールはそのまま一回、二回と息を吸って、足りなくなった酸素を補った後、相変わらず赤い顔でクラウドを睨む。
「……こんなとこで…やめろって言ってるのに」
「ああ、そうだったな。嬉しかったから我慢できなかった」
クラウドの言葉に、スコールは「やっぱりバカだ」と呟く。
クラウドはシルバーリングの入った箱を鞄の中に入れた。
家に帰ったら真っ先に取り出して、もっとじっくり見てみよう。
薄暗くなり始めた空の下でも、白銀の瞬きが美しかったのだから、明るい場所で見たらどんなにか。
その精巧さと、スコールが選んでくれたと言うことも含めて、きっとお気に入りの一つになるに違いない。
スコールが大通りの方に向かって歩き始めたので、クラウドもバイクを押して後を追う。
「高かったんじゃないか、あの指輪」
「……別に」
「アルバイトをしてたって」
「…もうやってない」
「楽しかったか?」
「……それなりに」
クラウドが投げかける言葉に、スコールの返す言葉は短い。
元々お互いに無口な方であるし、沈黙は苦ではない方だが、クラウドはスコールを構いたかった。
「よく買えたな」
「……足りて良かった」
「大事にするよ」
「……大袈裟だな」
「お前から貰った“指輪”だぞ?大事にしないと罰が当たる」
「だから、大袈裟だって言ってる。……ただの指輪だろ」
スコールの言葉は何処までも素っ気ない。
歩く足は心なしか速くなっていて、バイクを押すクラウドを置いて行こうとしているかのようだった。
それが彼の照れ隠しであると、クラウドは知っている。
「婚約指輪にしようか。あれ」
「……は?」
クラウドの台詞に、スコールは思わずと立ち止まり、振り返る。
ぽかんと丸くなった蒼い瞳が此方を見たので、クラウドが口角を上げて笑んでやると、またスコールの顔は沸騰して行く。
「た……ただの指輪だって、言ってるだろ!」
「俺にとっては特別だ。ああ、結婚指輪の方が良かったか。お前はまだ17歳だし、配慮したつもりだったんだが、野暮だったな」
「誰もそんな話してない!そんな馬鹿な事言ってるなら返せ!」
「それは断る。婚約破棄になるだろう」
「だから婚約じゃないって……!」
思わず声を大きくしていくスコールに、クラウドは笑みを浮かべた表情のまま、人差し指を立てて口元に当てる。
一応、この辺りには住宅もあるので、人の生活の気配もあるのだ。
あまり大きな声を出すと聞かれるぞ、と促してやれば、賢くて恥ずかしがり屋の少年は、赤い顔で唇をはくはくとさせるしか出来ない。
路地を抜けて通りが広くなると、ライトをつけた車が絶え間なく行き交っていた。
「さて……乗れ、スコール。家まで送るぞ」
「……」
「バイクの方が楽だろう?」
先の会話を引き摺ってか、恥ずかしそうに睨んで来るスコールに、クラウドはバイクの後部座席をぽんと叩いて促す。
スコールの家は、此処からは電車に乗る必要がある。
もう通い慣れたものではあるのだが、塾の終業時間が多くの会社の退勤時間と重なる事もあって、電車はいつも満員だ。
人混み嫌いのスコールはそれを嫌っており、クラウドはそれを理由にスコールをバイクに乗せて家まで送り届けていた。
座席を開けてスコールのヘルメットを取り出すと、代わりに二人の鞄が収納される。
クラウドがバイクのエンジンをかけて、良いぞ、と視線を投げると、スコールも慣れた様子でバイクを跨いだ。
「何処か寄りたい所はあるか?」
「……特にない」
買い物でもあるなら、と訊ねたクラウドだったが、スコールの返事はシンプルだった。
じゃあ直帰か、とエンジンを回す。
バイクが走り出し、スピードに乗るに連れて、クラウドに捕まるスコールの腕に力が籠って行く。
スコールは人と近付く事を、物理的にも精神的にも苦手としているが、クラウドのバイクに乗る事には随分と慣れてくれた。
背中に触れる温もりが、緊張していない事に気付いたのは、いつだっただろう。
カーブでバイクを傾ける時も、しっかりとタイミングを合わせてくれるようになって、クラウドはバイクに乗っている間、スコールと呼吸が一つになっているように思う。
その感覚がクラウドは心地良くて、一分一秒でも長く、この時間を味わっていたかった。
スコールは父子二人暮らしをしていて、そう言った環境故か、父は少々過保護気味だ。
クラウドもそれを知っているから、早い内に家に送り届けた方が良い、と言うことは判っている。
それでも今日は、今日だけはと、わざと遠回りの道を選んでも、背中の少年は何も言わなかった。
(そう言えば、スコールの誕生日も、もう直ぐだな)
あと十日と少し後で、スコールも18歳の誕生日を迎える。
今日のお返しも含めて何か用意しなくては───と考えて、直ぐにクラウドの頭に浮かんだのは、
(やっぱり、指輪かな)
スコールがクラウドにしてくれたように、彼が好きなブランドの中から、似合いそうな指輪を贈ろう。
指輪の交換だと言えば、またスコールは赤くなるのだろうか。
遠くはない日の事を想像しながら、背中の少年が少しでも喜んでくれるものを選ばねばと思った。
クラウド誕生日おめでとう!なクラスコ。
スコールとしては似合いそうだし、喜んでくれるだろうと思って選んだのが、偶々指輪だった。のだけど、クラウドがこんな事を言い出したから、自分の誕生日に指輪を渡されたら完全に意識してしまうんだと思います。