[ちび京一]あまのがわ
夜こそが本番とばかりに、無数のネオンがギラギラと輝く歌舞伎町で、星空を見るのは少々難しい。
空を見上げる場所がない訳ではないのだが、大抵の場所は光害のお陰で、小さな星など殆ど見付けられないのだ。
それは日々を歌舞伎町で過ごす幼い京一にも、判っている事だった。
だと言うのに、歌舞伎町の片隅で店を営む人々は、幼い京一を連れて、これから営業のピークであろう筈の店を出た。
「天の川を見に来ましょう」と言って。
見に行きましょうも何も、身に行けるような場所なんてないだろう。
そう思いながら、ビルとビルの細い隙間から空を見れば、ぼんやりと雨雲がかかった暗さがあった。
あと少し経てば、泣き出しそうな空だ、と京一は思った。
これでは天の川だの星見だのは愚か、夜の散歩道すらいつまで続けていられるか怪しい。
そもそも京一は、引く手の持ち主達が何処に向かおうとしているのか、それさえも京一は知らないのだ。
「天の川を見る」と彼女達は言っていたが、向かう方角にそんなものが見られる場所があるとも思えない。
「なあ、何処行くんだよ」
手を繋いでいるアンジーを見上げて、京一は尋ねた。
アンジーの視線が落ちて来て、にこり、とピンク色の紅を引いた唇が優しく笑う。
「天の川を見に行くのよ」
「……つったって……もう直ぐ雨降るぜ。天の川なんか見れねェよ」
京一は、もう一度空を見上げて、改めて雲に覆われているのを見て言った。
すると、くすくすと傍らから楽しそうに笑う声がする。
「大丈夫よォ、京ちゃん」
「でも、雨降るぞ。天気予報でも雨だって言ってた」
京一がわざわざこうして繰り返さずとも、彼女達もそれは判っている筈なのだ。
実際、キャメロンとサユリの腕には人数分の傘が抱えられているから、嘘でもこのまま星空を拝めるような状態になるとは思っていないだろう。
それなのに、誰も店に帰ろうとはしない。
大丈夫だからと京一を宥め透かして、小さな手を引き、他愛のない会話をしながら、何処かへ歩いて行く。
別段、京一一人でも、帰ろうと思えば帰る事は出来る。
けれどもそれをしようとしないのは、手を引くアンジー達が嬉しそうに、楽しそうに見下ろして来るからだ。
生意気盛りの素直になれない子供でも、京一は決して人の感情に鈍い訳ではないし、世話になっている人達が楽しんでいる所に水を差すのも気が引ける。
だから結局、京一はアンジーの手を握り直して、彼女達について行くのだ。
薄らと赤くなった顔を俯けて。
「あーあ……ほんと何処まで行くんだよ。オレ腹減った……」
「ふふ。京ちゃん、疲れちゃった?」
「疲れたんじゃなくて、腹減ったんだって。兄さん、団子くれよ」
京一と繋いでいる手とは反対の、アンジーの左手には、ビニール袋に入っている団子がある。
京一が好きな甘味屋で買った団子なのだが、京一はこれをずっとお預けにされているのだ。
夕飯を終えてから数時間が経って、育ち盛りでエネルギー消費の早い子供の胃袋は、既に空っぽになっている。
物欲しそうに見上げて来る子供に、アンジーは困ったように眉尻を下げて、繋いでいた手を放し、京一の頭を撫でた。
「もうちょっとだから、ガマンしてね」
「…もうちょっとって、あとどれ位だよ?」
「そうねェ」
唇を尖らせる京一に、アンジーはしばし考えた後で、進行方向の突き当たりを指差した。
「あそこを右に曲がるまで、かしらね」
──────アンジーが言い終えるか否か、と言うタイミングで、京一は走り出した。
キャサリンの呼ぶ声が聞こえたが、京一は振り返らない。
其処まで行けば団子に有り付けるのだから、頭の中はそれ一色である。
ビッグママの仕方ないねェ、と言う声があって、アンジー達早足になって京一を追う。
京一は、角を曲がった先の川の前で振り返って、アンジー達に手を振る。
早く、と急かす子供の腹はすっかり限界に達しており、呼ぶ声の合間にぐぅう、と気の抜ける音を鳴らしていた。
「兄さん、早く団子!」
「はいはい。じゃあ、其処に座ってね」
「ん!」
団子に有り付く為とばかりに、京一は言われた通り、指差された川岸の土手に腰を下ろす。
その隣をビッグママとアンジーが座り、三人を挟む形で、両端にキャメロンとサユリが座った。
アンジーが団子の入った袋を膝に乗せると、素早く子供の手が伸びて、パックに入った団子を攫う。
ビッグママが「誰も奪りやしないよ」と言ったけれど、そんな事には京一には関係ない。
散々お預けを食わされて、空腹も我慢して歩いて、やっと有り付けるタイミングになったのだから、がっつくのも無理はない。
ころころと丸い団子の一つに、京一は取り付けられていた楊枝を挿した。
あーん、と大きく開けた口に、白い団子が消えていく。
「美味しいかい?」
「ん」
ビッグママの声に、むぐむぐと顎を動かしながら頷いた。
其処へ、ぽつり、と京一の鼻頭に何か冷たいものが落ちる。
顔を上げてみると、とうとう空が泣き出した所だった。
「うげっ、雨!」
「あらあら。傘差さなくっちゃ」
顔を顰める京一の横で、アンジー達が持って来ていた傘を開いた。
アンジーが開いた傘は紳士用の大きなものだったが、彼女の体格はとても大きく、京一と並んで入ると食み出てしまう。
自分の所為で彼女が風邪を引いてしまうのは嫌だったから、京一はアンジーの膝の上に移動した。
膝の上に座っているなんて、正直恥ずかしかったりするのだが、この時ばかりは大人しくする。
─────それにしても。
「雨降るし。傘なんか差してちゃ、空なんか見えねェよ」
天の川なんて到底見れる状況ではない、と顔を顰めて団子を頬張る京一に、頭上からくすくすと笑う気配。
何が可笑しいのか。
頬を膨れさせて見上げた京一と、アンジーの目が合った。
「何笑ってんだよ」
「ふふ、ごめんなさいねェ。京ちゃん、なんだかんだ言って、天の川楽しみにしてたのね」
「違ェよ!兄さん達がやけに自信満々に言うから」
「あら、期待してくれてたんだ。んもう、京ちゃんたらカワイイ~!」
「可愛くねーし苦しいっつの、離せよ!」
ぎゅうう、と力一杯抱き締められて、京一は逃げようとじたばたと暴れる。
しかし、アンジーの腕力に子供の京一が叶う筈もなく、京一は不貞腐れた顔でまた団子を頬張った。
剥れた子供の頭を撫でながら、アンジーが言った。
「お空の天の川は、見れないけど。此処からならもっと近くの天の川が見れるのよ」
「……もっと近くの、天の川?」
そっくりそのまま、言葉を繰り返した京一に、アンジーは頷いて。
ほら、と彼女の指差した先を、子供の丸みのある瞳が追い駆ける。
其処には、海へと続く大きな川と、その上を一直線に渡す橋。
橋の上には沢山の明かりが灯り、川を渡る人々の道標となっている。
その沢山の明かりが、川面に映り込んで、波に揺れてきらきらと光る。
空にあるから“天の川”だと言うのなら、其処に有るのは“天の川”ではないけれど、
きらきらと水面に揺れる光の川は、背中に触れる温もりと一緒に、少年の心に光を零した。
アンジー兄さんに膝抱っこされてる京一が書きたくて(其処かよ)。
『女優』の皆が、ちび京一を連れて手を繋いで、夜の散歩に行くって言うのが好きなんです。