[レオン&子スコ]まってる 2
今日は二次会も参加しろよ、と言っていたレオンの上司は、一次会の終わりに既に酔い潰れていた。
絡み酒でやたらと高かったテンションも、一次会の終盤には落ち着いてしまったようで、座敷の隅で座布団を抱き枕にしてかーかーと寝息を立てていた始末だ。
一次会が終わり、店を出る時に上司を抱えて来たのは、レオンであった。
レオンでなければ動かないと上司が駄々を捏ねたからだ。
どうやらそれは、稀に飲みに参加しても、一次会終わりにはするりといなくなってしまうレオンを捕獲する為の駄々であったらしく、
「行くぞ!レオン!二次会だ!」
一次会が終わった店を出て、誰が二次会に行くのかと幹事が確かめていた所で、上司が叫んだ。
二次会だ、二次会だと意味不明な唄を歌う上司に、夜ですから静かに、と窘めるレオンだが、効果はない。
────しかし、レオンが二次会に行く事はなかった。
家で待っているである弟に、帰りが遅くなると言う旨は伝えてあるものの、何せ弟はまだ6歳の幼子である。
一人で夜の街に出歩かない事、誰か来ても絶対に玄関を開けないように教えていても、やはり兄の不安は拭えない。
出来るだけ早く家に帰って、弟の無事な姿を確かめたい。
その気持ちを汲んでくれた同僚達のお陰で、レオンは此処で飲み会から外して貰う事となった。
レオンの離脱と同時に、すっかり飲み潰れた上司も離脱を余儀なくされた。
明日は早朝から大事な会議があるのだから、と部下達に窘められた彼だが、レオンがいなくなった後の絡み酒の被害を皆が敬遠したと言うのが、正直な話だったりする。
部下達のそんな心情は露知らず、上司は酒の席から強制離脱させられる事に駄々を捏ねていたが、レオンが家まで送り届けると言う条件の下、帰宅を受け入れた。
それから、もう一人、二次会不参加を表明した者がいる。
レオンの大学時代から続く後輩である、クラウドだ。
「良かったのか?二次会に行かなくて」
上司を背負って、タクシーを捕まえる為に大通りへ向かう道すがら、レオンは後輩の男に訊ねた。
クラウドはちらりとレオンを見遣った後、直ぐに視線を前方へ戻し、
「構わない。明日は俺も早出だから。二次会に行っても、途中で抜けただろうし」
クラウドはレオンの後輩だが、言葉遣いは砕けている。
大学の頃から続いている仲だし、会社にいる時は別だが、プライベートでは自然体のままで良いと、レオンが言ったからだ。
クラウドの返答に、そうか、とだけレオンは言った。
背中にあるものが、ずるる、と落ちる気配がして、抱え直す。
クラウドは夢と現実の狭間を行き来している上司を見て、策士だな、と呟いた。
「何か言ったか?クラウド」
「策士だなと」
「誰が?」
「お前が」
小さな横断歩道の赤信号に引っ掛かって、レオンとクラウドは立ち止まった。
「俺が策士って、何の話だ?」
問うレオンに、クラウドは溜息を一つ漏らす。
よくもまあ、と言いたげな碧色に、レオンは眉根を寄せる。
「……あんた、あんまり飲んでないだろう」
「まあな。お前に比べれば」
「グラス一杯飲んだか?」
「飲んだ。見ていただろう?」
「見ていた。だから聞いている。俺には、お前がグラス一杯分も飲んだとは思えない」
クラウドの言葉に、レオンは眉根を寄せた。
酒の席で、クラウドはレオンの隣に座っていた。
だから、上司がレオンのグラスにどんどん酒を足して行ったのも、自分と同じ焼酎やカクテルを注文して飲ませていたのも知っている筈。
それなのに、どうしてそんな事を言われなければならないのか、とレオンが顔を顰めていると、
「あんた、自分のグラスと俺のグラス、こっそり摩り替えてただろう」
─────クラウドが、自分の飲んでいた焼酎のグラスを空にした時の事。
摘まみを食べて、そろそろ次の酒を注文しようか、と思って何気なく自分のグラスを見ると、其処には並々と入った焼酎のグラスがあった。
全部飲んだと思ったのだが、思い違いか、それとも誰かが注ぎ足してくれたのだろうか。
れまでにそこそこの飲酒をしていたので、もう酔ってしまったのだろうかと首を傾げつつ、酒を飲むのは決して嫌いではないので、取り敢えずこれをもう一度飲み干してから、新しいものを注文しようと考えた。
しかし、飲めども飲めども、酒はなくならない。
空になったと思い、次の酒は何にしようかとメニュー表を見た後、ふっと顔を上げると、またグラスには並々とした酒が。
一度や二度ではなく、三度、四度と続くその現象に、一体何が自分の身に起きているのかと混乱した。
取り敢えず、飲んでいた焼酎に飽きてしまったので、元に戻るグラスについては飲む事を放棄し、新しいものを注文した。
……それが、この『飲んでも飲んでも中身が減らない魔法のグラス』の謎を解明するに繋がった。
「最初は俺もあんた達と同じ焼酎を飲んでたけど。途中、カクテルを頼んで飲んでた筈なのに、また途中から味が焼酎に変わってた。あれ、あんたの仕業だろう」
味の変化は明確なものであった。
其処でクラウドは、余り酒の飲めないレオンが、酔い潰れないようにと、自分のグラスと隣に座っていたクラウドの空のグラスを隙を見ては取り替えていた事に気付いた。
実際、クラウドがグラスを空けてしばらく放置していると、レオンの手が伸びて来て、上司のお陰で一杯に注がれた焼酎のグラスと、飲み干されたグラスとを入れ替えている現場を捉える事が出来た。
クラウドの言葉に、レオンは暫く沈黙していたが、ちらりと背中の上司を見た後、彼がすっかり熟睡しているのを見て、観念したように溜息を一つ。
「悪かったな。だが、お陰で俺は助かった」
「それはどうも。俺はすっかり酒が回ったが」
「そうは見えないな」
「まあまあ強いし、俺は顔に出難いらしいからな」
だが、今回ばかりは飲み過ぎた、とクラウドは呟く。
その原因とも言えるレオンは、苦い笑みを浮かべて「悪かった」ともう一度詫びた。
酒に弱いレオンが、上司と同じハイペースで飲み続け、いつまでも素面でいられる訳がなかったのだ。
だからレオンは、絡み酒で評判の上司に捕まった時から、上司だけに飲ませて潰してしまおうと考えていた。
意識がある限り、彼は自分を解放してはくれないだろうから。
しかし、、隣席を余儀なくされた以上、レオンも全く飲まない訳にも行かない。
最初はグラスに口をつけるだけで誤魔化していたのだが、酒が減っていない事を指摘されてから、クラウドの言った通り、彼のグラスと自分のグラスを交換する戦法に出た。
先にクラウドに一言断る事が出来れば良かったのだが、上司はようやく実現できたレオンとの飲みの席に感極まっていたようで、とにかくレオンを独占したがったのである。
少しでもレオンがクラウドや他の社員に話しかけようとすると、「俺を無視するなよ~」と甘えるように頬擦りをして来たのだ。
大の大人に甘えられるのは、父のお陰で慣れていたレオンであったが、父と上司では勝手が違う。
止む無くクラウドには黙ったまま、後で言及されたらその時に謝ろうと、最後まで自分とクラウドのグラスを交換し続け、酒を飲んでいるように見せかけたのであった。
レオンがあまり酒に強くない体質である事も、家で一人待つ小さな弟がいる事も、クラウドは知っている。
だから、途中からレオンの行為に気付いても、何も言わなかったのだ。
飲み会中の後輩の無言の気遣いに、レオンは心から感謝した。
「明日の朝一の仕事、大丈夫か?」
「なんとかなるだろ。二日酔いになった事はないから」
信号が青に変わって、横断歩道を渡る。
その直ぐ傍の道沿いに、客待ちのタクシーが数台並んでいた。
レオンは一台のタクシーに近付いて、ドアを開けて貰った。
クラウドの手を借りながら、背中に負ぶっていた上司をタクシーに乗せる。
「ふう……」
「熟睡だな。暢気なもんだ。あれだけ騒いでおいて」
タクシーの後部座席を占領し、ぐうぐうと寝息を立てる上司を見て、クラウドが言った。
クラウドもこの上司の事は嫌いではないが、やはり、酒の席だけは隣になりたくないと思う。
以前隣になった時、ノリが悪いと言われた上、何度も一発芸をやらされたのがトラウマになっているのだ。
取り敢えず持っているネタを一通り披露してその場は解放されたが、ネタは受けるものばかりではなく、見事に大スベリしたものもあり、その後クラウドは三日間会社を休む程のダメージを負ったと言う事件は、レオンも会社の噂で耳にしている。
そんな上司も、完全に飲み潰されてしまった今日は、もう目覚めそうにない。
ならば家まで送る道中も平和だろう、とレオンが最後の一仕事、と気持ちを切り替えて、上司と同じタクシーに乗ろうとすると、
「待った」
「?」
ぐい、とクラウドに腕を引かれて、レオンは止まった。
なんだ、と思って振り返ると、クラウドは後ろに控えているタクシーを指差し、
「あんたはあっちだ」
「……は?」
「で、こっちには俺が乗る」
レオンを押し退けて、クラウドはタクシーに乗り込んだ。
ぐうぐうと眠る上司に、邪魔だな、と呟いて退かし、自分の据わるスペースを確保する。
「おい、クラウド。何を…」
「何をって。こいつを家に送ってくる」
こいつ、と言ってクラウドが指を差したのは、無論上司である。
会社だったら叱ってる所だ、と思いつつ、レオンが溜息を吐いていると、
「早く帰れ、レオン。スコールが待ってるんだろう」
此処から先の面倒は、自分が引き受けてやる────クラウドはそう言っているのだ。
レオンが家まで送ることを条件に、二次会離脱を渋々了承した上司だが、当人はすっかり夢の中。
明日になったら覚えているかどうかも判らない事を、この後もレオンが生真面目に守り通す必要はないのだ。
それよりも、きっとこんな遅い時間になっても、健気に兄の帰りを待っているだろう弟を、早く安心させてやらなければいけない。
レオンは眉尻を下げて、小さく笑みを浮かべた。
すまん、と呟くレオンに、別に、とシンプルな返事が投げられる。
「来週、何処でも良いから、都合が合う日があったら言ってくれ。礼に夕飯ぐらい奢ってやる」
「奢りも良いが、俺はあんたの作った飯がいい」
「……なら、何が食べたいのか、考えておけ」
「ああ。じゃ、お休み」
レオンが一歩後ろに下がると、タクシーのドアが閉められた。
程なく発車したタクシーの窓から、クラウドが手を振っているのが見えた。
隙間を埋めるように後続のタクシーが滑り込み、レオンの前で停止する。
それを見て、レオンはようやく帰れるのだと、文字通り荷が下りて軽くなった肩を落として、ほっと安堵の息を吐いた。
レオンとしては、クラウドは判ってくれると思ってるから巻き込んで良いと思ってる。
クラウドも判ってるし、レオンもスコールも好きだから、これ位いいやと思ってる。