こわい、こわい、こわい
野生の獣人種は、限られた地域にのみ生息が確認されている、希少種である。
多くは獣の特徴とヒトの特徴を持ち、その生態は生活環境によって二分される事が多い。
人の文化に多く触れる形で生まれ育った獣人は、幼子程度の知能を持ち、賢い者なら訓練すれば仕事を持って社会貢献する事も可能とされている。
しかし、多くの獣人は、野生の動物と同じ環境で生まれ育っている。
この場合、獣人は殆ど動物と同じ生活をしており、“モデル”と呼ばれる類似した特徴を持つ動物と近い生態をしていた。
その生態から、基本的には“動物”としての括りにまとめられる獣人種だが、その成長速度は、動物よりも人間に近かった。
多くの動物が、誕生から一年足らずで成体に育つのに対し、個体によって差は有れど、獣人種は最低でも五年~十年間は、幼体のままと見られている。
相対的に寿命も長いのだが、この為、親は普通の動物よりも長い間、子供を育てなくてはならない。
弱肉強食の世界に置いて、力のない子供の期間が長い事は、弱点にしかならない。
その所為か、野生の獣人種の多くは成体になる前にその命を散らし、年々数が減っていると言われている。
嘗ては地域によって害獣扱いされている事もあったのだが、固体が減った今では、その情報も殆ど聞かない。
ヒトと言うには似て非なるながらも、動物の特徴を可愛がる愛好家は少なくなく、近年、獣人種の保護が叫ばれるようになった。
ラグナが所属しているのは、その獣人種の個体数を確認、維持させる事を目的としている機関である。
今回、サバンナへの遠征命令が出たのも、当該地域で確認されていた獣人種の数を再調査する為だった。
広大なサバンナには、以前からぽつりぽつりと獣人種の存在が確認されていた。
動物が多く、猛獣や猛禽類も数多く生息する地は、獣人種には中々厳しい環境と言われているが、反面、動物よりも高い知能を持つ獣人種が、その知恵を使って野生動物を上回るハンティングをする事も多く、獲物が豊富である事を考えれば、悪い事ばかりではない。
しかし、そのサバンナが、今年の雨季に殆ど雨に恵まれなかった。
更にはその後の乾季も特に酷いものとなり、川が干上がり、草も殆ど生えず、草原は最早荒野と呼ぶに相応しい有様となってしまった。
動物達は餌を求めて大移動し、獣人種もそれを追って移動したと思われ、地域一帯に確認されていた獣人種の同行を確認するべく、ラグナとキロス、ウォードの三名は現地入りする事となる。
調査結果は、決して捗々しいとは言えないが、環境の変化を思えば無難なものに落ち付いた。
個体数は前回の調査よりも減っており、その多くは今年の干ばつが原因と思われる。
老いた個体や小さな子供が、今年の気温の上昇変化に耐えられなかったのだろう。
寂しい事ではあったが、自然環境が作り出す変化と言うものは、如何に脳が発達した人間と言えど、未だ如何にもならない事だった。
そんな中、ラグナは森の中で一匹の獣人を見付けた。
まだ成体しているとは言い難い、人間で言えば二歳か三歳程度の大きさの獣人は、トラバサミに肢を挟まれていた。
トラバサミは古いもので、嘗て獣人種が物珍しさに乱獲された頃に仕掛けられたものと思われた。
ハサミを外した後、手当をしようとすると、獣人は必死に抵抗した。
これは野生動物の反応と考えても無理もない事なので、可哀想と思いつつも、やや強引に押さえ付けた状態で最低限の処置を施した。
が、その処置も終わらない内に、獣人はラグナ達の手から逃げ出して行く。
しかし、弱った幼体の獣人は、森に棲む猛獣には格好の餌で、ラグナ達から幾らも離れない内に鳥に襲われた。
それらをラグナ達が追い払うと、獣人は傷だらけの体を強引に運び、必死に何処かへ向かおうとする。
獣人を放って置けなくなったラグナは、まだ幼い獣人の後を追う事にした。
幼い獣人が帰ったのは、ラグナ達が想像していた群れの下ではなく、干上がった草原にぽつんと生えた一本木の下。
その根本に掘られた巣穴の中で、保護した獣人と良く似た一匹が、丸くなって眠っていた。
獣人はその一匹を起こすと、森で捕まえたと思われるリスを分け合って食べ、疲れ切っていたのだろう、ようやく安心したように眠りについた。
────其処で、ラグナ達の役目は終わりの筈だった。
獣人の保護機関に所属しているとは言え、ラグナ達は現地に派遣される末端の構成員である。
何某かの大きな後ろ盾がある訳でもないし、慈善事業でこの活動を行っている訳でもない。
何より、野生の獣人は、カテゴリで言えば“動物”の域を出ず、人間であるラグナ達は深く関わるべきではないとされている。
インパラがトラに襲われているのを可哀想と思うからと言って、トラを追い払うような真似はしてはいけない。
自然界で生きる者は、自然の中で命の営みを巡るのが最も良いとされ、人間が手出しをするのは、自然界の法則を壊す事に繋がると言われているからだ。
しかし、ラグナはどうしても、幼い獣人の兄弟を放って置く事が出来なかった。
数年前、森で道を見失い、途方に暮れていたラグナを人里へと送り届けてくれた、優しい色を宿した獣と同じ色を、兄弟が持っていたからだ。
強引に連れて行くのは可哀想とは思ったが、他に良い方法もなかった。
そもそもこの行為が自分のエゴである事を思うと、方法に良いも悪いもない。
巣穴に充満させた睡眠ガスのお陰で、兄弟はすっかり深い眠りに落ちてくれた。
念の為に用意した大きな檻の中に、野宿用に持っていた毛布を敷き、其処に兄弟を入れてやった。
元より、空腹や体力の限界もあったのだろう、彼等はヘリコプターの音にすら目を覚まさなかった。
野生の獣人を連れ帰ったラグナの行動に、あちらこちらですったもんだと騒がしくはあったが、キロスとウォードの奮闘のお陰で、それらは何とか終息した。
─────が、外の問題は片付いても、内の問題は簡単には解決しない。
ラグナは施設に戻った日から、毎日決まった場所に足を運んでいる。
外とは隔離された奥まった場所に誂えられた部屋は、本来、ラグナとキロス、ウォードの泊まり込み用の部屋だった。
しかし、現在は別の用途として使われている。
「おーっす、キロス。どんな感じだ?」
呼び出しのかかったラグナに代わり、昨日から泊まり込みをしている友人に挨拶をしながらドアを開ける。
キロスは入室したラグナをちらりと見遣った後、ご覧の通り、と言うように、部屋の奥へと視線を戻す。
其処には、ラグナがサバンナから連れ帰った、二匹の獣人の兄弟がいた。
「暴れる事はないんだがな。中々、気を許してはくれない。無理もない事だが」
「飯と水は?」
「それもまだ。興味は示しているから、腹は減っているようだ」
差し入れにと持って来た昼食のパンをキロスに渡して、ラグナは兄弟を見る。
兄弟は、部屋の隅に寄り添って縮こまり、じっとキロス達を睨んでいる。
獣特有の瞳孔は見開いたように大きくなっており、ラグナ達を警戒しているのが明らかだった。
兄弟とラグナ、キロスの間には、プラスチックで作られた柵が設けられている。
簡易的に作った柵なので、体の大きな動物なら簡単に壊せるのだが、まだ幼い二匹には其処までの力はないようだ。
彼等は只管、身を隠すようにして蹲り、自分達を連れ去った人間たちの動向を警戒している。
目覚めてから三日が経っているが、この態度は軟化する様子はなく、ラグナ達が用意した食事と水には一切口をつけようとしない。
警戒対称であるラグナ達が、彼等を休ませようと部屋を出ても、気が抜けない様子で過ごしている。
巣穴で眠り、目が覚めたら見知らぬ場所にいたのだから、無理もない。
が、そろそろ見守っているだけではいけない、とキロスは思っていた。
「あの子の肢の包帯をそろそろ取り替えなければならないのだが……」
キロスが指差したのは、森で見付けた方の獣人だ。
もう一匹に比べると、少し体格が大きいので、此方の方が兄だろうと見ている。
兄の足には包帯が巻かれており、白い筈のそれには、薄らと赤い色が滲んでいた。
トラバサミの所為で出来た傷の処置は、ヘリコプターで運んでいる間に済ませ、その後もきちんと経過を看ていたのだが、目覚めた直後、見知らぬ場所にいた事にパニックを起こし、暴れている時に傷が開いてしまった。
動くと痛くなる事は理解したらしく、その後は足を庇って大人しくしているものの、開いた傷の処置はしなければならない。
しかし、キロスが近付こうとすると、パニックを起こしていた兄を庇って、弟が飛び掛かって来る。
仕方なく弟を宥めすかせてから───と弟に触れようとすると、今度は兄が飛び掛かって来るのだ。
彼等がお互いを守ろうとしている事は理解できるが、二進も三進も行かない状態に、どうしたものかとキロスは頭を悩ませていた。
「薬を使って眠らせる方法は、何度も取りたくはないしな……」
「そーだなぁ。今後の事も考えたら、慣れて貰うのが一番だろうし」
「一先ず、今捲いている包帯を外すだけでもやらなければ。あのままでは化膿する。弟の方を捕まえて置くから、手当を頼む」
「うえっ。俺がやって大丈夫か?キロスの方が手際は良いだろ?」
「処置が終わるまで、君が弟の方を押さえていられるとは思えない」
「あー……あー、うん。そだな…」
兄以上に、弟がラグナ達を警戒しているのは、その表情を見れば判る。
普段は臆病な性格なのか、兄の影に隠れるように───兄が隠しているのかも知れない───蹲っているが、兄を守らなければと言う気持ちの表れなのか、キロスが近付くと躊躇を忘れて飛び掛かって来るのだ。
それを首尾よく捕まえるのは難しくないとしても、その後、遮二無二暴れるであろう弟を、ラグナが心を鬼にして押さえていられるかと言うと、ラグナは首を縦に触れない。
頼んだよ、と言って、キロスが柵を跨ぐ。
壁を越えて領域に入って来たキロスに、弟が兄を庇うべく、毛を逆立てて飛び掛かった。
「ふぎゃーっ!」
「────おっと」
低い姿勢から突進するように飛び付いて来た弟を避け、キロスは背後からその体を捕まえた。
脇の下から胸へと両腕を回し、子供を持ち上げるように捕まえると、獣人の子供はぷらんと宙ぶらりんになった。
「がうっ?がうっ、がうぅうっ!」
「がうっ!!」
助けを求めてじたばたと暴れ始める弟に、兄がキロスの背中に飛び付いた。
弟を救わんとキロスの背中に爪が立てられるが、
「こらこらっ、お前はこっち」
「がうっ、うーっ、がうううっ!」
「あてててっ。引っ掻いちゃ駄目だって」
「ふぎゃーっ!ぎゃーっ!」
ラグナが兄を抱えてキロスの背中から引き剥がし、胡坐をかいた膝に乗せる。
緩んだ拘束に兄がじたばたと暴れ出し、太い指先から出た爪が、何度もラグナの頬を叩く。
がりがりと引っ掛かれたラグナの頬や首に、鬱血の赤い筋が浮かんだ。
弟を抱えているキロスの腕も同様で、鋭い爪は服の袖を裂き、キロスの腕を何度も何度も引っ掻いている。
ラグナは片腕で兄の体を抱えながら、両足の膝を立てて、幼い獣人をホールドした。
身動きが取れなくなった事が恐怖になったのだろう、兄は益々大きな声を上げ始める。
「ふぎゃーっ!ふぎっ、ぎゃうううう!」
「ぐるるるるっ、ぐるっ、がうう!」
暴れる兄に触発されて、弟もキロスを振り解こうと力一杯暴れ出す。
動物とヒトの特徴を持つ獣人種は、身体能力はモデルとされる動物に近い事が多い。
その為か、見た目は小さな子供のようでも、筋力は人間の子供よりも遥かに強かった。
だが、今ばかりは栄養が足りていないお陰で、キロスとラグナの腕を振り払う程の力が発揮される事はなく。
「よしよし、ごめんなあ。痛いよなあ」
「がう、がうううっ!がうーっ!」
「ありゃりゃ、結構開いてる。足触るぞー、ちょっと沁みるぞ。ごめんな」
「ふぎゃううううう!」
「がううっ!がうっ、がうっ!」
「君も良い子にしていなさい。悪い事をしている訳ではないよ、直に終わる」
それぞれに必死に暴れる二匹を、ラグナとキロスも賢明に宥めながら、兄の傷を処置して行く。
が、ラグナは暴れる兄を片腕で押さえなければ作業しなければならず、中々手を進める事が出来ない。
せめてもう一人手伝ってくれたら、と思った所で、
「ラグナ、キロス。二匹の事だが───と、取り込み中か」
「あっ、ウォード!良い所に!」
「ウォード、少し手伝ってくれ。その子の足の傷が開いているんだ」
キロスの簡潔な説明に、ウォードは直ぐに「判った」と頷き、柵を跨ぐ。
大きな体躯の人間が近付いた事で、兄の恐怖がピークに達したようだった。
兄はぴたっと暴れるのを止め、瞳孔の開いた瞳に大粒の雫を浮かべて固まっている。
かたかたとまだ小さな体が震えているのを見て、ラグナは出来るだけ安心させられるようにと、優しく彼の頭を撫でた。
「大丈夫、酷い事なんかしない。今痛いのは、痛くなくなる為だからなんだ。だからそれは、今だけなんだよ。な?」
そう言って笑いかけたラグナの顔は、サバンナの森で、兄を宥めていた時と同じものだ。
兄はぱちりと瞬きをして、すん、すん、と鼻を鳴らしながら、怖々とラグナを見上げた。
ラグナの手が兄の首下をくすぐる。
兄はくすぐったそうに目を細め、ふるふると頭を振ったが、嫌がるにしては弱い仕種だ。
気を紛らわせる事には成功しているようだと、ラグナが兄を構っている間に、ウォードがラグナに変わって、兄の足に新しい包帯を巻き直した。
兄が静かになった時から、弟も静かになっている。
此方はキロスに抱かれたまま、未だぐるぐると喉を鳴らしていたが、それとは裏腹に、怯えたようにすっかり縮こまっている。
尻尾も肢の内側に捲られてしまい、大きな眼にはじわじわと雫が浮かんでいた。
どうやら、ウォードの体の陰になり、兄の姿が見えなくなっている事が、不安で堪らないようだ。
「────これで良し」
「よーしよーし。頑張ったなー、いいこいいこ」
手当が終わった兄を、ラグナは頭を撫でて褒めた。
頭部に髪のように生えている濃茶色の鬣を撫でると、兄はきょとんとした顔を浮かべる。
ラグナが兄をホールドしていた手足を離すと、キロスも弟を捕まえていた腕を放した。
弟はキロスから逃げると、きょろきょろと辺りを見回して、兄の姿を探す。
そんな弟の下に兄が駆け寄り、二匹は仲良く床に転がって、すりすり、すりすりと頬を寄せ合わせた。
「我慢したご褒美にオヤツを───って言いたいトコだけど、ご飯も食べてないんだよな」
「ああ。少し強引に食べさせた方が良いかも知れんが……さっきの今では余計に警戒させるか」
「肉には自分でも興味を持ってるんだろ?じゃあ、もうちょっと待ってみよう。自分で食べてくれるのが一番なんだしさ」
ラグナの言葉に、そうだな、とキロスとウォードも頷いた。
床に転がった兄弟は、一頻り互いの無事を確かめあうようにじゃれ合った後、また部屋の隅で蹲った。
その傍ら、兄は自分の足の具合を何度も確かめ、肢に鼻を近付けては匂いを嫌うように顔を顰める。
だが、その匂いの下である薬のお陰か、包帯で固定されたお陰か、ずっと自分を苛んでいた痛みが僅かに緩和されている事に、兄は気付き始めていた。
≫
顔擦り合わせてるのって可愛いよね。