[クラスコ]安らぎの種
朝、目が覚めた時から違和感はあった。
だがそれは深く気にする程のものではなく、少し頭の芯がぼやける、程度のもの。
寝起きが悪い事には多少なり自覚があるので、その所為だろうと思って、そのままにした。
今朝の当番だったバッツが作った朝食を食べている時、もう一つ違和感を覚えた。
バッツにしては薄味だ、と思いながら食べていたが、隣に座るティーダが、スクランブルエッグにケチャップをかけていなかった。
味の濃いものが好きなティーダにしては珍しい事だ、と思いながら、黙々とスプーンを運んでいると、ジタンが「今日の卵、甘いな」と言った。
スコールはジタンのその言葉を聞くまで、スクランブルエッグが甘い事に気付かなかった。
……そう言えば、甘い甘くない以前に、卵らしい味も感じない、と言う事に遅蒔きに気付く。
違和感が強くなって来ると、なんとなく気分が悪い───とまでは言わないが、落ち付いて食事を採る気がなくなってきた。
半分まで食べた所で席を外し、リビングのソファに座って転寝をする。
目覚めた時の、頭の芯の靄が再来しているような気がして、体が重くなって行く。
このままソファに沈んで寝てしまおうか、でも今日はジタンとバッツが一緒に行こうとかなんとか…と思っていると、
「スコール。お前、大丈夫なのか」
聞こえた声に、スコールが閉じていた瞼を億劫そうに持ち上げると、変わった虹彩を宿した碧眼が此方を見下ろしていた。
「……クラウド」
「…飯もあまり食ってなかったな。気分でも悪いのか?」
「……別に……」
「お前のそれは、いまいち当てにならないな」
どうにも反応の鈍いスコールに、クラウドは苦笑して言った。
その言葉にスコールがむっと眉根を寄せるが、クラウドは構わずに手を伸ばす。
濃茶色のカーテンがかかる額に、クラウドの手が添えられた。
ごつごつとした厚みのあるクラウドの手は、ひんやりとしていて、スコールは心地良くて目を細める。
その様子を見たクラウドは、やれやれ、と眦を下げ、遠巻きに此方を見ていたジタンへ振り返った。
「少し熱があるようだ。今日のスコールは待機だな」
「やっぱり?おーい、バッツー」
「……別になんともない。あんた達、大袈裟だ」
クラウドの報告を受けて、キッチンで洗い物をしているバッツに報告に行くジタン。
そんな二人の遣り取りを見ていたスコールは、熱などないし、あったとしても大した事ではない、と反論したが、
「素人の半端な診断は信用できないぞ」
「あんただって素人だろ」
「なら、バッツに頼むか?セシルでも良いか」
クラウドの言葉に、スコールの眉間の皺が深くなる。
薬師としての腕が確かなバッツなら、スコール自身やクラウドよりも遥かに正確に診断できるだろう。
が、彼に診断を任せると、後で特別に煎じられた薬を飲まされる。
薬の効果は中々高く、早く治したい時は重宝させて貰うが、彼の作る薬と言うのは、恐ろしく不味いものも少なくない。
良薬口に苦しと言うが、出来ればもう少し飲み易くして欲しい、と言うのは、彼の薬の世話になった人間が総じて抱く切実な願いであった。
セシルは専門的な医学の心得がある訳ではないが、経験豊富で知識も豊かだ。
更に言えば、スコールはセシルのさり気無い押しの強さと言うものを苦手としており、彼に綺麗な笑顔で「判った?」と言われると、閉口するしかない。
あれに睨まれる位なら、最初から大人しくしていた方が良い、とスコールは思っている。
判り易く不満そうな顔をするスコールに、クラウドはくすりと頬を緩めた。
ぽんぽんとクラウドの手がスコールの頭を撫でる。
その頭も、いつもは朝食までに綺麗に整えられているのに、今日は寝癖の痕をくっきりと残していた。
それを見付けた時点で、クラウド他、スコールを良く見ている者には、彼の不調は判る事だった。
洗い物を終えたバッツが、ジタンと共にキッチンから出てくる。
「スコール、調子悪いって?」
「ああ。だから今日のスコールは待機だ」
「おい、クラウド……」
「仕方ないな。朝飯の残り、お粥にしといたから、昼に食べろよ」
自分の体調不良について、まだ納得したとは言い難いスコールだったが、周りはそんな事は気に留めなかった。
それ所か、バッツは判っていましたと言わんばかりの準備の良さだ。
スコールは益々眉間の皺を深くするが、誰もそれを気に留める者はいない。
あれよあれよと言う内に、スコールの体調不良の件は、他の仲間達にも知られた。
バッツとジタンは、今日はスコール抜きで探索に向かう事にし、フリオニールはスコールの部屋に毛布を多目に運び込んだ。
セシルはモーグリショップで購入していた薬の在庫数を確認し、ちょっと少ないね、と言うと、ティーダがばびゅっと買いに行き、セシルもそれを追った。
ティナは、体調を崩すと心細くなるものだからと、スコールにお気に入りのモーグリのぬいぐるみを貸し、ルーネスも暇潰しにどうぞと数冊の本を渡してから、聖域を後にした。
ウォーリア・オブ・ライトは、病気について自分は何も出来る事はないから、とわざわざ断りを入れに来て、代わりに聖域周辺の見回りを強化するので、君はゆっくり休んでいると良い、と言った。
かくして、スコールは、元々の待機番であったクラウドと共に、聖域に残される事となった。
二人きりになった屋敷の中で、スコールはティナが渡して行った大きなモーグリのぬいぐるみに体を半分預けた格好で、ソファに横になっている。
(……平気だって言ってるのに)
誰も聞きやしない、と不満に唇を尖らせるスコール。
しかし、外に出なくて良いとあって、気が抜けたのだろうか。
頭の芯の靄が、またふわふわと濃くなって来るような気がして、スコールはぬいぐるみの腹に顔を埋める。
「スコール。大丈夫か」
「……ん」
クラウドの声に、スコールは顔を上げずに答えた。
「寒気は?」
「……ない」
「部屋で寝なくて良いのか?」
「……ん」
移動できない程に体が重い訳ではなかったが、面倒とは思う。
そんな自分を鑑みて、あまり大丈夫じゃない程度には調子が悪いのかも知れない、とようやく思い直した。
モーグリの腹に顔を埋めていると、ちょっと良いか、とクラウドの声がした。
んー、と意味のない返事だけを放ると、ぬいぐるみと額の間にクラウドの手が割り込む。
ひたりと額に宛がわれたクラウドの手は、やはり僅かに冷たくて心地良い。
「少し汗を掻いてるな。暑いか?」
「……いや……」
「…着替えて寝るか。その格好より、寝間着の方が楽だろう」
スコールの服装は、いつもの黒衣のジャケットとタイトなズボンだ。
今日はバッツ達と出掛ける予定だったから、そのつもりで着替えて、そのままだった。
移動するのは面倒だが、服は楽なものに着替えたい。
そんなスコールの着替えは、自分の部屋にしかないので、面倒な移動を行わなければならない。
億劫そうにスコールが起き上がっていると、クラウドがその背をぽんぽんと撫でて宥め、
「着替えは部屋にあるんだろう。俺が取って来よう」
「……じゃあ、頼む」
クラウドの申し出に、スコールは素直に任せて、またソファに横になった。
リビングを出たクラウドは、五分と経たずに戻って来た。
何せスコールの着替えは、几帳面な彼には珍しく、今朝脱ぎ捨てられたまま、ベッドの上に丸められて放置されていたからだ。
お陰で探す時間がかかる事もなく、クラウドはそれらを回収すると、直ぐにリビングへと戻った。
着替えを用意されたスコールが、もう一度ゆっくりと起き上がる。
長い睫を携えた瞼が、半分下りているのを見て、クラウドは苦笑する。
「今日は外に出なくて良かったな」
「……そうか?」
「そうだろう。自分じゃどうか判らないが、傍目に見るとかなり重症だぞ?」
「……?」
クラウドの言葉に、スコールはことんと首を傾げる。
いまいち会話のテンポが遅いスコールに、自覚も追い付かない位に、調子が悪いんだろうな、とクラウドは思った。
クラウドはスコールをモーグリのぬいぐるみに寄り掛からせ、スコールのジャケットを脱がす。
いつもの厚着で熱が篭ったのだろう、スコールの体はじっとりと汗を滲ませている。
シャツまで脱がせてやると、スコールは少しすっきりとした表情を浮かべた。
「もうこのままで良い……」
「余計に拗らせるぞ」
スコールらしからぬ怠惰な一言に、クラウドは流石にそれは駄目だ、と寝間着のシャツを押し付けた。
だって面倒臭い、と言いたげな蒼がクラウドを見上げる。
上目遣いで判り易く甘えてくるスコールに、少し甘やかしたくなるクラウドだが、此処でうんという訳にはいかない。
「面倒ならじっとしていろ。着替えさせてやるから」
「……ん」
スコールは素直に頷いて、クラウドに寝間着を差し出した。
やれやれ、と肩を竦めつつ、クラウドは丸めていたシャツを広げて、スコールに着せてやる。
ズボンは脱がせようとしたら嫌がるか、と思っていたのだが、これもスコールはされるがままだった。
ちらりと顔を見遣れば、蒼灰色の瞳が半分瞼に隠れている。
気分が悪いと言う様子も見られないので、恐らく、単純に眠くなって来たのだろう。
スコールの着替えを終えると、クラウドはすっかり力の抜けた体を抱き上げた。
どうせ寝るなら、リビングのソファ等ではなく、寝室のベッドの方が良い。
体調と気持ちの緩みとで、スコール自身は動く気が無いようなので、クラウドが部屋へと運んでやる。
蛹の抜け殻のように塊になっている毛布を退けて、スコールをベッドに横たわらせる。
体に力が入っていない人間は、存外と重い物だ。
ふう、とクラウドは一息吐いて、ベッド横の小さな椅子を寄せ、腰を下ろした。
スコールがごろりと寝返りを打ち、ベッド横に座っているクラウドを、心なしかぼんやりとした瞳で見上げる。
「……クラウド」
「ん?」
「あんた、…いいのか?」
「何がだ?」
主語の足りないスコールの問いに、クラウドは毛布を寄せてやりながら問い返す。
スコールは被せられた毛布を素直に受け取りつつ、その、と言い辛そうに澱んでから、
「…あんた、今日、何か用事があったんじゃないのか?」
スコールにバッツ達と出掛ける用事があったように、クラウドも事前に予定されていた事があったのではないか。
例えば、ティーダ、フリオニール、セシルと一緒にイミテーション退治に行くだとか、ルーネスやティナに付き合ってモーグリショップに行くだとか。
ウォーリアとの手合わせも頻繁に行われているので、そういう事もあるだろう。
しかしクラウドは、スコールの世話をするのが自分の仕事とでも言うように、当たり前のように屋敷に残っている。
自身の体調不良を徐々に自覚し始めたスコールにとって、世話を焼いてくれる人間がいるのは有難い事だが、急に予定を変えられて業腹なのではないだろうか、とも思う。
単に待機番が変更になったと言うだけならともかく、他人の面倒を見ると言う、ある意味面倒を押し付けられた形になって、───それもさっきまで不調の自覚のなかった人間の世話をするなど、厄介に思われていたのではないか。
そんな事まで考えるスコールの表情に、クラウドは安心させるように、小さく笑みを浮かべる。
「用事って言ったって、ティーダ達といつもの探索だったし、焦るようなものでもない。それより俺は、お前の事が気になったからな」
「……」
お前が深く気に病む事ではないのだと、クラウドがそう言っている事は、スコールにも理解出来た。
だが、それでも過ぎった不安は振り払えないのがスコールと言う人間だ。
顔を顰めたまま、じっと物言いたげに見詰める青灰色に、クラウドはやれやれ、と苦笑する。
クラウドは、くしゃくしゃとスコールの髪を掻き撫ぜた。
子供をあやす撫で方に、スコールが些かムッとしたようだったが、手を振り払われる事はない。
「今日は周りの事は気にするな。それでも気掛かりなら、後で何か埋め合わせをしてくれれば良い」
「…埋め合わせ?」
「夕飯のメニューだとか、手合わせだとか。デートでも良いぞ?」
「………」
付け足した一言に胡乱な目を向けられて、駄目か、とクラウドは肩を竦める。
スコールの訝しげな表情に、撫でる手を引っ込めて、冗談だ、とクラウドは宥めた。
「ともかく、俺の事は気にしなくて良いから───それより、何か欲しいものはないか?」
「…欲しいもの?」
「水でも、飯でも。一通りのものはバッツ達が用意して行ってくれたからな。用意位は出来るぞ」
家事雑事の類は得意ではないクラウドだが、それは仲間達も理解してくれている。
それでもスコールの面倒を見たい、彼の傍にいてやりたいと思う気持ちも、判ってくれていた。
仲間達は揃ってその意志を汲んでくれ、病人の世話に必要になるであろう諸々を、一通り揃えてから出発している。
スコールの希望に併せ、それらを運んで来る位なら、クラウドにも出来る事だ。
ぼんやりと、そのまま寝入りそうな表情で、スコールはクラウドを見上げていた。
熱が上がっている訳ではないようだが、睡魔の所為で、考えるのも億劫になっているのかも知れない。
寝るなら寝るで良い事だ、とクラウドが思っていると、
「……手……」
「手?」
小さな声にクラウドが反芻させると、スコールは小さく頷いた。
クラウドは自分の手を見てから、スコールの前に伸ばしてやる。
スコールはその手を捕まえると、自分の頬へとそれを運んだ。
ひた、と触れたクラウドの手には、いつものスコールよりも少し高い体温が感じられた。
「……あんたの手、冷たい……」
「そうか?」
水仕事をした訳でもないのに、冷たいとは。
やはりスコールの体温が上がって来ているのだと、クラウドは一瞬眉根を寄せたが、直ぐにそれを解いた。
クラウドの手に頬を冷やされて、スコールの唇が緩んでいる。
野暮な説教はなしにして、スコールがこの僅かな涼を求めているなら、与えるのは吝かではない。
クラウドがそっと白い頬に指を滑らせると、スコールは猫のように目を細めた。
きもちいい、と何処か舌足らずに言った恋人に、クラウドの口元も緩む。
スコールは、クラウドの手を握ったまま、とろとろと目を閉じた。
まるで放すまいと捕まえているような様子に、其処までしなくても良いのに、とクラウドは笑む。
────この手のひらで、愛しい君に安らぎを与える事が出来るのなら、幾らでも。
『クラスコでスコールが怪我or風邪』と言うリクエストを頂きました。
世話焼きクラウドと、無意識に甘えたがるスコールと、なんとなく空気読んでさくさくと行動する仲間達。
薬を買いに行っただけの筈のティーダ達も、適当に暇を潰してから帰ります。
WoLは定期的帰って来るけど、クラウドがいるので、スコールの部屋までは上がって来ない。
そんな訳で、スコールの体調が落ち付いて、クラウドの気が済むまでは、一緒にいるんだと思います。