[レオスコ]フレグランス・メモリー
これだから夏は嫌いなんだ、とぎらぎらと輝く太陽に照らされ、灼熱になったコンクリートの上を歩きながら思う。
夏期講習なんて申し込むんじゃなかった。
そんな事を思うのも、今回が初めての事ではなく、毎年恒例の事だった。
恒例であるのに、毎年申し込んでしまうのは、休み明けのテストに備えたいからだ。
クラスメイトのティーダやヴァンは、「スコールなら勉強しなくても平気だろ」等と言うけれど、スコールの成績は日々の努力を重ねる事によって得たものである。
何もせずにテストで100点が取れるなら、スコールだってそうしたいし、折角の夏休みを勉強時間で潰すのもバカバカしいと思っている。
それでも、テストの結果や成績の上下と言うものが気になるから、やはり夏期講習は申し込まなければと思う。
夏期講習は午前中に学校の指定教室で行われる。
登校時は日差しがまだ強くはないので───暑い事に変わりはないが───、まだ楽だったが、帰りはそうもいかない。
講習が終わるのは正午前で、太陽が蓄えたエネルギーを発散させている真っ最中だ。
建物による影も短く、ただ只管、焼かれながら帰り道を行くしかない。
校内の自動販売機で買ったペットボトルの水は、初めこそよく冷えていたが、時間経過と共に涼を逃して行く。
中身はもう半分もなく、家に着く前に全てを飲み干してしまいそうだ。
コンビニで冷凍ペットボトルを買った方が建設的だったかも知れない。
でもあれは買った直後は直ぐには飲めないし、水が欲しいと思った時は、その場で直ぐに喉を潤したいものだ。
登校中に立ち寄れば良かったか、と今になって考えつつ、でもそれだと荷物が増えるし、解け始めた時の水滴が、とも考える。
ぐるぐるとそんな事ばかりを考えているのは、勉強疲れと、熱さにやられた意識が現実逃避をしているからだろう。
平時の登下校なら、こんなにも辛い思いはしなくて良い。
スコールの住むマンションから学校までは、バスが通っているから、それに乗っていれば良い。
登校時はラッシュ宜しく混み合うので好きではないのだが、帰りは自分で時間を調整して、空いている時に乗れば良いので楽だった。
しかし、バスの時間は朝夕の本数が多い代わりに、昼は少なく、一本を逃すと次は30分以上は待たなければならない。
こんな炎天下で、日陰もないバス停で棒立ちになっている位なら、歩いて帰った方が良い。
そう判断して、のろのろと歩いていたスコールだったが、既に後悔し始めていた。
(バスが来る時間まで、図書室にでもいれば良かった…)
スコールの学校では、夏休みでも図書室が生徒向けに解放されている。
だから夏期講習が終わった後、其処で自主勉強する者や、読書なりと休憩して行く者も少なくない。
スコールもそうする時があるが、今日は早く帰ってのんびりしたかったので、帰路を急いだのだが、その為の判断を若干誤った気がしないでもない。
とは言え、家路はそろそろ半分になる。
今から戻ると言うのも尚の事バカバカしいので、スコールは残る気力を振り絞って、歩を進めていく────と、ププッ、と短いクラクションが聞こえて、顔を上げる。
「……あ」
横断歩道で信号待ちをしている車の先頭に、見覚えのある色がある。
運転席でハンドルを握り、片手を挙げた男と目が合う────スコールの兄、レオンだ。
気付いた、と片手を挙げて合図すると、レオンは嬉しそうに目を細めた。
レオンは斜向かいの位置にある小さな有料駐車場を指差す。
スコールは頷いて、横断歩道を渡ると、90度向きを変えて、駐車場行きの信号が青に変わるのを待った。
駐車場は近辺の飲食店を使う人向けに整備されている他、30分程度の駐車なら無料で使える。
レオンは其処に車を止めると、追って来る弟の為、助手席のロックを開けた。
運転席側に回ろうとするスコールに、レオンは助手席を指差して、開いてる、と口を動かす。
スコールはほっとした表情を浮かべて、いそいそと助手席側へと移動した。
ドアを開けると、ひんやりとした冷気が、スコールの赤らんだ肌を撫でた。
「夏期講習、お疲れ様」
「ん。レオンも、仕事帰り?」
「ああ。……腕、真っ赤だな。大丈夫か?」
「……あまり」
言葉少なく、大丈夫じゃない、と答えるスコールに、レオンは眉尻を下げて苦笑する。
「バスを待たなかったんだな」
「待つより歩いた方が早いと思ったんだ。でも、こんなに暑いと思わなかった」
赤らんだ肌を摩り宥めながら、スコールは苦い表情で言った。
車内はクーラーのお陰で、快適な温度だ。
外の熱に焼かれていたスコールにとっては、温度差で少し肌寒くも感じる程である。
ヒリヒリと痛むように熱を持つ肌を摩っていると、レオンがグローブボックスに手を伸ばした。
「確か此処に……ああ、残っていたな。使って良いぞ」
そう言ってレオンが差し出したのは、冷感ボディクリームだ。
レオンもスコール同様、熱に弱いので、外歩きの時には必需品となっている。
有難く借りる事にして、スコールはクリームを日に焼けた腕に塗った。
塗り伸ばした所にクーラーの風が当たると、ひんやりとして心地が良い。
その傍ら、ほんのりと甘い香りがスコールの鼻孔を擽り、何処かで感じた覚えのある匂いに、何処だったか、と考えつつ、クリームの蓋を締める。
「助かった。ありがとう」
「ああ。其処に戻しておいてくれ。で、今日はもう帰るのか?」
「そのつもりだった」
それじゃあ、とレオンはスコールにシートベルトを締めるように促した。
スコールがベルトをロックさせると、レオンはサイドブレーキを上げて、ゆっくりと車を発進させる。
炎天下を歩いていた時は散々だと思っていた家路だったが、今はバスを使わないで良かった、とスコールは思った。
図書室で待ち、バスを待っていれば快適だっただろうが、代わりに兄に逢う事はなかっただろう。
進む道の向こうに、陽炎が昇っている。
ラジオから都内の気温が35度を越えていると聞いて、レオンに逢わなかったら熱中症になっていたかも知れない、と思う。
次の講習の時は、無理に帰ろうとはせずに、図書室でバスを待つ事にしよう。
今日は偶然レオンに拾って貰えて助かったが、毎回都合良く彼と合流できるとは限らないのだから。
車を走らせながら、レオンが言った。
「ちょっとドラッグストアに寄るか」
「何かいるのか?」
「ああ、さっきの冷感クリームをな。お前用にも買った方が良いかと思って」
普段、スコールはインドア生活が主であるから、日焼けを気にする事は少ない。
しかし、全く外界に出ない生活と言うのは無理なもので、夏期講習に買い物にと、出掛ける機会は多かった。
大抵は太陽が本気を出す前の午前中か、陽が傾いて気温が下がり始めた頃に済ませるようにしているのだが、毎回都合の良いタイミングで時間が捻出できる訳ではない。
夏本番となって陽が長くなれば尚更で、暑い内から行動しなければならない事も増える。
日に焼けると痛みを発してしまう肌質なので、ケア用品はあるに越した事はない。
「でも、そのクリーム、意外と匂いが強いんだな」
「……そうなのか?」
レオンの言葉に、スコールはクリームを塗った手首を鼻に近付ける。
意識して嗅いでみると、確かに甘い香りはするが、運転席にいるレオンにまで届く程とは感じない。
「……?」
「まあ、俺も普段は気にしていないんだけどな。自分でつけてると判り難いのもあるし」
自分の体から放たれる匂いに、自分自身は鈍いものだ。
況してやレオンは普段、一人で行動している時に使っているから、香料の具合を深く気にする機会もなかったのだろう。
スコールはもう一度手首を鼻に近付けた。
くん、と嗅いでみると、柔らかな甘い匂いがして、スコールの記憶中枢が震えた。
(そう、か。レオンの、匂い……────)
レオンが持っているクリームなのだから、レオンからその匂いがする事があるのは当然だ。
が、それを感じた時の記憶まで思い出すと、スコールの無性にむず痒くなった。
赤信号で車がブレーキを踏み、ゆっくりと停止する。
目的のドラッグストアの看板が見えた所で、レオンはふと、隣に座っている少年の顔が赤らんでいる事に気付き、
「どうした、スコール。暑いのか?」
「い、や、」
なんでもない、と言って、スコールは明後日の方向を向いた。
ドラッグストアの駐車場に車が入り、停止する。
行こうか、と言われて、スコールは赤い貌を必死に戻そうと意識しながら───残念ながら、その努力は然したる効果がないのだが───、車を降りた。
クリームは違う匂いのものか、あれば無香料のものにしよう。
そうしないと、香りを感じる度に思い出してしまいそうで、とてもではないが使っていられそうにない。
────そんなスコールの思いも虚しく、一つだけ残されている商品棚を見て、一人悶える事になるのであった。
結局買って、使う度に色々考えるスコールと、スコールから匂いを感じるようになって後になって色々察するレオン。
お互いに意識し合って使えばよいと思います。
どっちかが先になくなったら、相手のちょっと分けて貰ったりして、それも余計に意識したら良い。