[Cat Panic]防御本能
京一は、犬が嫌いだ。
苦手と言うよりも、嫌いと言った方が当て嵌まる。
その存在の気配を敏感に察知すると、彼は脱兎の如く逃げ出してしまう。
明らかに怖がっていると判る行動なのだが、本人はそれを認めるのは悔しいらしく、「ちょっとトイレ!」とか「鳥!」とか言いながら、逆方向へ走って行く。
一時して、犬が遠くに去って行ってから、八剣が京一が逃げた方向へと向かうと、彼は大抵、茂みの中に頭だけを突っ込んでいたりする。
京一がどうしてそんなにも犬が嫌いなのか、八剣は知らない。
八剣が彼を拾う以前に何かあったのだろう事は予測がつくのだが、詳細を聞いた事はなかった。
意地っ張りな子猫の事だから、聞いてもきっと教えてくれないだろうし。
以前は専ら八剣の部屋で過ごすばかりであった京一だが、龍麻と知り合ってからは外遊びをする事も増えた。
とは言え、京一の遊び相手と言えばやはり龍麻一人である為、公園などに言っても大抵一人でジャングルジムに上ったりして遊んでいる。
行くのが平日の昼間であるから、見た目小学生程度の京一と同じような子供は学校に行っている時間だし、仮に誰か子供がいたとしても、京一が自ら近付く事はないだろう。
見た目が小さな子供とは言え、ヒトと動物の中間的存在である京一の成長スピードは、どちらかと言えば動物寄りだ。
まだまだ子供のような生意気さがあるものの、京一は野良で過ごした日々の所為か、子供にしては大人びている所がある。
本人も、人間の子供の事を「ガキくさい」と言っており、感覚が合わない事は自覚しているようだった。
八剣は、一人で鉄棒遊びをしている京一を遠目に眺めながら、一つ小さな溜息を吐く。
龍麻と言う友達が出来たとは言え、京一は相変わらず、一人遊びばかりをしている。
これは子育てとしてどうなのかな────等と、最近、妙に所帯じみて来た頭で、そんな心配が浮かんでいた。
「────いてっ!」
短い悲鳴を聞いて、八剣が顔を上げると、京一が鉄棒から落ちていた。
彼は悔しそうに尻尾を揺らしながら立ち上がると、リベンジとばかりに、鉄棒に跳び付いた。
見た目は人間の子供に獣の耳と尻尾がついただけでも、やはり彼の中身は猫である。
身体能力も人間にしては優れており、身軽さやバランス感覚は、正に猫のそれであった。
しかし、やはりまだまだ幼い所為か、経験不足で小さなミスをする事は多い。
大人の猫でも、マンションのベランダから足を踏み外して落下する事故があるのだから、子猫など尚の事だ。
身軽さと好奇心だけで動いてしまうので、その後の事など考えていない。
京一は、自分の身長よりも高い位置にある鉄棒にぶら下がっている。
尻尾がバランスを取ってゆらゆら揺れて、せーの、と勢いと腕の力で逆上がりに足を上に振り上げた。
くるんと小さな体が回って、京一は体が一番高い位置を迎える直前に、鉄棒を握る持ち手を変えて、伸ばしていた足を引っ込める。
ちょこん、と京一は鉄棒の上に座って、満足げにふふんと尻尾を揺らす。
昨日のテレビで見た、体操選手の演技の真似が出来て嬉しいのだ。
「京ちゃん、落ちて怪我しないようにね」
「ンなドジやんねーよ!」
ついさっき落ちたばかりである事は忘れて、京一は言った。
京一は足元に気を付けつつ、体が揺れない体勢と位置を探す。
しばしもぞもぞと身動ぎしてから、落ち着くと、京一は鉄棒から手を離して立ち上がった。
「お、お、」
「危ないよ、京ちゃん」
「ヘーキ、だ、と、おっ」
片足を浮かせ、両手を飛行機のように左右に伸ばし、ぐらぐらと不安定な体勢。
鉄棒から地面までの高さは一メートルと少しだが、うっかり落ちて頭でも打ったら、先の尻餅の比ではないだろう。
結局、京一はそのままバランスを保てず、自ら地面へと飛び降りた。
危なげなく着地した京一に、八剣は浮かしかけていた腰をベンチに戻す。
その様子を見た京一が、拗ねたように唇を尖らせた。
「なんでェ。その辺のガキじゃねえんだから、オレがケガするようなドジする訳ねェだろ」
「それなら、良いんだけどね」
「高いトコくらい、なんともねーし。ガキ扱いすんなよ」
胸を張って得意げな表情をする子猫に、そうだね、と八剣は眉尻を下げて笑う。
─────その直後。
「…………!!」
「京ちゃん?」
「うにゃっ!」
ぼんっと京一の尻尾が膨らんで、かと思うと、京一は踵を返して一目散に駆け出した。
そのまま彼は公園を囲んでいる木の一本に駆け寄り、瞬く間にその天辺まで上り詰める。
八剣がベンチから腰を上げ、その木の下まで行くと、京一は尻尾を抱えるように丸めて縮こまっていた。
「京ちゃん」
「フ─────ッ!」
「……ん?」
膨らんだ尻尾を抱えたまま、京一は何かに向かって激しく威嚇する。
八剣は、子猫の視線を追って振り返った。
……そして理解する。
ハッ、ハッ、と舌を出して尻尾を振っている、大きな犬が一匹。
人懐こい顔をした雑種で、ふさふさと尻尾をぱたぱたと揺らしながら、八剣を見ている。
ばっちり目が合った後、犬はやはり尻尾を揺らしながら、八剣の下まで歩み寄って来た。
頭上から「フギャーッ!」と言う、泣き出しそうな声が響く。
八剣が膝を曲げて手を差し出すと、犬は其処に頭を摺り寄せる。
「首輪があるな。野良ではないか」
「フーッ!フギャーッ!」
「わふっ」
「フ────ッッ!!」
頭上で威嚇を続ける猫に対し、犬の吠える声は、なんとも暢気なものであった。
その差が無性に可笑しくて、八剣はくつくつと笑う。
それが聞こえたのか、頭上で子猫がより一層鳴き出した。
「フギャーッ!にゃ、フシャ────ッ!」
「はいはい」
くすりと笑って、八剣は犬の頭を撫でて、八剣は地面に落ちていた枝を拾う。
犬の鼻先でそれをちらちらと揺らせて見せ、犬の視線がそれを追うのを確認して、枝を遠くへと放り投げた。
犬は直ぐにそれを追って走り出す。
公園の反対側の茂みにその姿が見えなくなって、八剣は頭上へと視線を戻す。
「ほら、今の内だ」
「………」
「降りておいで、京ちゃん。早くしないと、犬が戻ってくるよ」
京一は、枝にしがみ付いていた。
尻尾はまだ膨らんでいるが、先程よりは幾らか落ち着いたようだ。
しかし、京一は全く動こうとしない。
どうしたのかと八剣が微かに首を傾げると、
「……………たけェ………」
へにゃ、と頭の上の耳も、膨らんでいた尻尾も、可愛そうにすっかり萎んで。
泣きそうな顔で見下ろす子猫を見て、八剣はつい吹き出してしまった。
子猫って、自分で得意げに高いトコ上って、降りられなくなるよね。
「どうしよう…」な感じで途方に暮れてるのが可愛い。