[フリスコ]潮の暇に
シェアハウスの管理人をしている人物───コスモスから、懸賞に当たったのでどうぞ、と団体旅行のチケットが贈られた。
半分が学生と言うコスモス荘の面々がこれに喜ばない筈もなく、折角だから皆で行こう、と言う話になった。
チケットによれば十名までは大丈夫との事なので、夏休みに入っていた学生たちは勿論、社会人組も休暇を取って行く事となる。
旅行先は有名なリゾート地で、海が間近に臨め、ホテルの敷地から直接ビーチに下りる事が出来る。
こうした好立地に学生の多くは遠慮なくはしゃぎ、到着早々、海に行こうと言う流れになった。
それぞれの泊まる部屋を確認し、荷物を置いた後、一部のメンバーは早速ビーチへ。
白浜で元気にはしゃぐ面々の為、他のメンバーは昼食を用意してから海へ向かう。
午前中にシェアハウスを出発してから、それなりに長い時間が移動に宛てられた。
それでも元気な者は元気で、その筆頭がティーダである。
文字通り、水を得た魚のように海で泳ぐ彼に付き合うのは、共に生活するうちにすっかり世話焼きが染み付いたフリオニールだった。
あの岩まで競争しよう、と言うティーダに強請られて、二回三回と浜と岩場を往復遊泳する。
水球部に所属しているティーダに、負けてなるかと気合を入れたフリオニールは、中々良い勝負を見せつけた。
───が、元々水に慣れ親しむ時間を長く持っていないフリオニールとティーダでは、泳ぐ事への疲労の蓄積具合が違う。
段々とフリオニールが疲れて行くにつれ、当然タイムも落ちて行き、
「───っはー!俺の勝ちぃ!」
「はー、はーっ……、ふぅ、はぁー……っ」
ゴールの目印役を引き受けてくれたジタンとバッツにそれぞれタッチして、水面から顔を上げる。
判り易い差で先着を決めたティーダがガッツポーズをしている隣で、フリオニールは息を切らせながら目元に張り付く前髪を掻き揚げた。
「よーし、もっかい行くっスか!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ティーダ。流石に限界だ」
活き活きとして何度目かの再戦を提案するティーダに、フリオニールは待ったをかけた。
「悪いな、また競争するなら、他の誰かと頼む」
「ちぇーっ。ま、良いか。付き合ってくれてサンキュな、フリオ!」
「ああ。俺は少し休むけど、明日にでもまた競争しよう」
「おう!」
元気な返事をしてくれるティーダに手を振って、フリオニールは浜へと向かって泳ぎ出す。
ほんの数メートルを進めばすぐに足が届くようになり、疲れた腕の代わりに、これもまた重みの増した足を動かして、ゆっくりと浅い海底を歩いた。
浜へ上がった所で、お疲れ様、と声をかけられた。
見れば、ビーチボールを持ったティナとルーネスだ。
おーい、と海の向こうに声をかける二人は、どうやらティナの初めてのビーチバレーがしたいらしい。
浜に上がってきたティーダ、バッツ、ジタンを交えて、チーム決めのじゃんけんが始まった。
遊泳客で溢れた浜をきょろきょろと見回したフリオニールは、荷物置き場にしていたヤシの木の下に座っているセシルとウォーリアの姿を見付ける。
フリオニールが滴る雫を拭いながら其方へ向かうと、セシルもフリオニールを見付けて、用意したタオルを差し出す。
「お疲れ様、フリオニール。はい、タオル」
「ありがとう」
「水も飲んで置いた方が良い」
そう言ってウォーリアが水筒の水をコップに入れて差し出した。
ありがとう、ともう一度言ってコップを受け取ったフリオニールは、一息に中身を飲み干す。
タオルで髪を拭きながら、フリオニールはきょろきょろと首を巡らせた。
ティーダに急かされ、海へと繰り出す前に、荷物番をしているから行ってこい、と言った少年の姿が見当たらない。
成人組が来たので問題ないと思って離れたのか、それにしても何処に行ったんだろう、と思っていると、セシルがくすりと笑みを零して言った。
「スコールは散歩に行ったよ」
「えっ」
「探してたんだろう?」
「い、いや、」
何も言っていないのに、誰を探していたのかバレてしまった事に、フリオニールは顔を赤らめる。
あわあわと口を濁すフリオニールの後ろで、さくさくと砂を踏む音が聞こえ、振り帰ってみれば、金色の鶏冠頭───クラウドが両手に缶ジュースの入ったビニール袋を持って到着した所だった。
「お帰り、クラウド」
「ただいま。フリオニールは上がったのか、お疲れだな」
「はは……」
「ねえクラウド、スコールを見なかったかな。フリオニールが探してるんだ」
「え、さ、探してるって程じゃ。ただ、何処に行ったのかと思って」
「ああ、スコールなら向こうの磯の方に向かうのを見たぞ」
「だってさ」
セシルが促すように言って、更にクラウドが「あっちだ」と浜の向こうを指差す。
そんな二人にフリオニールが何度も首を巡らせた後、何とはなしに見守る姿勢を貫くウォーリアを見れば、うむ、と大きく頷かれた。
それが「行ってくると良い」と言っているように聞こえたのは、フリオニールの思い込みではないだろう。
なんとなく、行った方が良いような気がして、フリオニールはその場を後にした。
あれよあれよと流されて行った節もないではないが、しかし姿が見えない彼の事が気になったのも確か。
と言うのも、彼───スコールは人混みが好きではないから、遊泳客でごった返した浜海と言うのは落ち着かないものだっただろう。
ティーダに強請られる形で海岸行は受け入れたものの、遊ぼうと言う言葉はきっぱりと断り、荷物番をしていると言った。
それから大人組が来たので場を譲り、恐らくはセシルかクラウド辺りにも好きに過ごして来いと言われ、人気のない場所を探しに行ったのではないだろう。
海岸に沿って伸びている道を進んで行くうち、段々と人の気配は少なくなって行く。
遊びたい者は皆、ホテルから近い場所で楽しんでいるようで、行く道に擦れ違うのは海岸の散歩をのんびりと楽しむ人々ばかりだ。
その内に耳に届くのは白波の寄せて返す音だけになり、こう言う所ならスコールがいそうだと、辺りを回していると、
(────いた)
スコールはクラウドの言った通り、切り立った崖下の磯に立っていた。
風に揺れる濃茶色の髪と、オーバーサイズの白いパーカー、涼し気な水色のハーフパンツと、滅多に見ない開放的な格好。
崖の上に生えたヤシの木が傾いて、スコールのいる場所は木陰になっている。
緩やかな波と共に吹く冷たい潮風と合わせて、夏の陽射しが苦手なスコールには、良い休息所になっているのだろう。
フリオニールは濡れた足が岩を滑らないように気を付けながら、スコールの元へと向かう。
人の気配に気付いたか、濃茶色の髪が振り返って、駆け寄る青年を見付けた。
「フリオ、」
「スコール!」
名を呼ぶスコールに、フリオニールも名を呼んで返す。
直ぐ傍まで辿り着いて、フリオニールは岩場を跳ねて弾んだ息を整えながら、少し低い位置にある蒼を見下ろした。
「荷物の所にいなかったから、何処に行ったのかと思った。此処は静かで良いな」
「……ん」
笑いかけるフリオニールの言葉に、スコールは小さく頷いて、海岸線へと目を向ける。
遠くに走る遊覧船が通り過ぎていくのを、海の底とよく似た色の瞳が、ゆっくりと追い駆けていた。
なんとなくスコールの見ているものを追って、フリオニールも海へと向き直る。
まだ髪から雫になって落ちる海水を、肩に乗せたままのタオルで拭っていると、スコールが海を見ながら言った。
「ティーダの相手は、もう良いのか」
「ああ。今頃は多分、ジタン達も一緒になって、ビーチバレーでもしてるよ」
「……そう言えば、ティナがしたいって言ってたな。あんたは良かったのか」
「俺はちょっと、疲れてしまって。流石にあんなに泳ぐとなぁ」
「…まあ、そうだろうな」
スコールの言葉に、見られてたか、とフリオニールは苦笑する。
回数を重ねる毎に、体が温まってスピードを上げて行くティーダに対し、フリオニールは純粋に疲労が重なって行った。
段々と差が開いて行く様も見られていたと思うと、少し恥ずかしいな、とフリオニールは頬を掻く。
───と、つん、と何かがフリオニールの左手を掠めた。
何かと思って目線だけで其方を見遣ると、もう一度、つん、と言う触感と共に、スコールの右手の指先が触れている。
「……ス、」
「……」
名前を呼びかけて、ゆるりと向けられた蒼灰色に捕らわれて、言葉を失う。
じっと此方を見上げる瞳には、何処か拗ねたような気配があって、唇は物言いたげに尖っていた。
吸い込まれたように蒼を見詰めていると、すり、とスコールの身体が寄せられる。
触れていた手に指が絡むように重ねられて、フリオニールが恐る恐るとその手を握れば、嬉しそうに握り返される。
タオルの乗った肩に、こつんとスコールの額が乗せられ、猫がじゃれるようにぐりぐりと押しつけられた。
「……あんた、冷たい」
「そ、れは、まあ、泳いでたから…」
「……うん」
そうだな、と言って、スコールはそれきり黙ってしまった。
敷き詰められた岩の隙間を滑るように、打ち寄せた波の音が静かに響く。
数分前には絶えず聞こえていた、海辺ではしゃぐ人々の声は聞こえない。
一緒に遊びに来たシェアハウスの仲間の気配もなく、岩壁に隠されたこの磯場は、まるで密やかな逢瀬の為に用意されたかのようだった。
そう思うと俄かにフリオニールは緊張して、じっと寄り添う恋人の存在を意識せずにはいられない。
どうしよう、何か言った方が良いだろうか。
急に沈黙がぎこちなくなったような気になって、そんな事を考える。
でもスコールは静かな方が好きだから、このまま黙っていた方が、と思っていると、
「……フリオ」
「な、んだ?」
呼ぶ声に我に返って、フリオニールは佇む恋人を見た。
と、此方をじっと見上げる蒼灰色とぶつかって、どくん、とフリオニールの心臓が跳ねる。
フリオニールと違って海に入った訳ではないから、スコールの体は濡れてはいない。
しかし、上がる気温と散歩中に陽光に当てられた所為か、白い肌はほんのりと赤らんで汗を掻いている。
オーバーサイズのパーカーは前が開けられており、薄い胸元が大胆に曝け出されていた。
普段、厚着と言う程でなくとも、あまり肌を晒さないスコールにしては、今日は開放的な格好をしている。
だからだろうか、フリオニールは今のスコールが酷く無防備に思えてならない。
ごくり、と喉が鳴ったのは無意識だった。
フリオニールの喉元を伝い落ちた雫は、海水なのか、汗なのか、自身では判然としない。
そんな自分を自覚しながら、フリオニールは小さな声で言った。
「……ええ、と。……ホテルに、戻る…か…?」
陰になっているとは言え、海の傍でも、暑いものは暑い。
快適な場所の方が良いだろうと訊ねてみると、スコールは小さく首を横に振った。
「……此処で良い」
“此処が”良い。
フリオニールにはそう聞こえた。
戻ればその途中で誰かと合流するだろうから、それを厭ったのか。
それとも、帰る為の道程がもどかしかったのか。
どちらにせよ話は同じ事で、フリオニールはもう戻ろうとは考えなくなった。
そっと重ねた唇の潮の味を、スコールはじっと受け止めたのだった。
『夏めいたフリスコ』のリクエストを頂きました。
夏と言えば海。
海と言えば人目から隠れていちゃいちゃ。
まだ一日目だから一回だけで終わります。多分。多分。