[ロクスコ]フローズン・テイスティ
馬鹿みたいに暑い日、と言えば一番わかり易いだろう。
ニュースで連日のように報道される、都市部の最高気温と言うものは、日に日に上がり続けていた。
熱中症にご注意を、と言うのが最早締めくくりの言葉として当たり前にもなっていて、ロックはそろそろ聞き飽きた位だ。
そんな日々でも人々の生活は変わらず回り続けているから、どんなに嫌でも、どんなに面倒でも、仕事はしなくてはいけない。
寧ろ、キッチンカーであちこちを回りながらジェラート売りなんて仕事をしていれば、こんなに暑い日々だからこそ売れるもので、書き入れ時と言えばそうだった。
しかし、狭いキッチンカーの中はどんなに冷房を運転させた所でタカが知れている。
あの一畳ほどもない車内で、あくせく働いていれば、外歩きのサラリーマンと同じ位の汗も出る。
それに、確かにこう言う商売をしている人間にとって、暑さは寧ろ客の呼び水にもなるのだが、灼熱のフライパンと化した外界に積極的に出ようと言う者は減るものだから、大盤振る舞いできる程の儲けにはならないのだ。
この数週間、うだる暑さに誰もが辟易し、外出するなら午前中で、と言う風潮が出来上がっていた。
午前は蒸し暑さは残っていても、まだ地面が熱されきっていないので、太陽が昇り切った後よりは活動がし易い。
多くの人はそのつもりで、午前中にやるべき事をやり、暑さが本格化する午後は、空調の効いた屋内で過ごしている。
賢い生き方だ、と今日も蒸し風呂になりつつあるキッチンカーの中で、ロックはそんな事を思う。
今日のキッチンカーは、ショッピングモールの一角を借りていた。
そこは少し広めの公園もあって、快適な季節であれば、昼間は子供を連れた家族、午後から夕方にかけては学校帰りの学生がよく利用する。
しかし、広々とした空間が作られているお陰で、其処には主だった屋根がなく、夏は遊具でさえ焼きゴテのような暑さになってしまう。
木材作りであるものはまだマシだが、金属を塗装したような大型遊具は触れたものではなかった。
この為、当然ながら今日の客足も伸びがなく、ロックはせめて屋根のあるモール内に入れて貰えば良かったと、この夏何度目かの後悔をする。
車内にいると熱がこもって仕方がないので、ロックは束の間にキッチンカーを下りた。
冷凍庫から出して五分ほど経ったスポーツドリンクは、この暑さで短時間のうちに程好く溶けて、表面に沢山の結露が浮いている。
溶けだした分を早々に飲み干し、頭に巻いていたバンダナを解いて汗を拭いていると、
「今日はもう終わりなのか」
聞き慣れた声が聞こえて、振り返ると、蒼灰色の瞳が此方を見ていた。
自然と口元が緩むロックに、蒼は物静かな光を湛えて、じっと返事を待っている。
ロックは口に含んでいた水を飲み干すと、「いいや」と言った。
「車の中が地獄でさ。少し涼んでたんだ」
「……確かに、暑くて狭苦しそうだな」
トラックを改造して作られたキッチンカーを見て、制服姿の蒼い瞳の少年───スコールは言った。
その目が冷え冷えとしたジェラートのショーケースに向けられているのを見て、ロックは解いたばかりのバンダナを巻き直す。
「食うか?」
「……ん」
小さく頷いたスコールに、よしよし、とロックはキッチンカーへ戻る。
スコールが注文をする前に、ロックはアイスカップを一つ取った。
平日で三日に一回の頻度でこのショッピングモールにやって来るジェラート屋に、スコールは必ずやって来る。
最初は友人に連れられてやって来ていたのが、いつの間にか一人でも買いに来るようになって、ロックともぽつりぽつりと会話を交わすようになった。
その際、彼は必ずジェラートを買ってくれるのだが、器にはコーンとカップの内、必ずカップを選んでいる。
友人のように食べるのが早くないとかで、コーンは食べている内に溶け出してしまい、手が汚れるのが嫌なのだとか。
スコールは、車体分高い位置にあるショーケースをじっと見つめ、どれを食べようか選んでいる。
フレーバーは定番のものが8つ、週によって替えているものが2つあって、スコールは大抵、定番のものと変わり種とをダブル仕様にしていた。
「……ショコラとブラッドオレンジ」
「あいよ」
注文を受けて、ロックはショーケースの蓋を開ける。
ヘラで掬い取ったジェラートを、カップに盛り付ければ、二色の三角形が出来上がった。
支払いを済ませ、ほい、と腕を伸ばして差し出すと、スコールはそれを手に取って、早速口を付ける。
ブラッドオレンジの酸味と甘味の効いた、心地良い冷たさに、スコールの眉間の皺がほうっと緩んだ。
他に客もいないし、とロックはまたキッチンカーを降りる。
車体に寄り掛かって水分を補給しながら、立ったままジェラートを食べているスコールを眺め、
「学校はもう夏休みだっけ」
「……ん」
「でも制服ってことは───補習?」
「……」
「お前に限ってそんな訳ないか」
ロックの言葉に、解けたばかりの皺を再度寄らせるスコール。
判り易く不服を見せる少年に、その優秀ぶりを知っているロックは、ははは、と笑って撤回した。
「夏期講習か何かか?」
「……ああ」
「大変だな、学生は」
「……こんな所で客も来ないのに商売してる奴には負ける」
「そりゃどうも。でも客は案外来るんだぜ。まあ、暑いから皆ここまで出て来ないのも確かだけど」
やっぱり来ないんじゃないか、とスコールの目が胡乱に細められる。
全く来ない訳ではないんだから嘘じゃない、とロックは付け足した。
広いショッピングモールを囲う街路樹からは、朝からセミが元気に羽根を震わせている。
たまにキッチンカーの背中にも留まるものだから、その時は煩くて仕方がないのだが、今日は距離があるだけ随分とマシだ。
それより如何ともし難いのはこの暑さで、ロックは佇む少年の肌が赤くなっているのを見て、パラソルでも用意した方が良いかな、と考える。
「スコールの所の学校は、教室に空調はあるのか?」
「ある」
「そりゃ良い。バカみたいに汗掻きながら勉強しなくて済むんだな」
「……教師がクーラーつけて良いって言わないとつけれない」
「あー、そういう決まりがあるのか。でも、この暑さだと流石にOKするだろ?」
「まあ、一応。でも設定温度が高いから、どうなんだか」
「何度?」
「人によるけど、一番高い奴は、30度」
「なんだそりゃ。点けてる意味ないじゃないか。勉強どころじゃないなぁ」
「だから空調のスイッチに近い席の奴が、こっそり下げてる」
それは賢いやり方だ、とロックは笑った。
教師は教師で色々と考えて方針を決めているのだろうが、生徒としては、ただでさえ面倒な勉強に加え、下手な我慢大会の開催は勘弁して欲しいものである。
ショコラとブラッドオレンジのジェラートを、スコールは味を楽しむように交互に食べている。
きちんと味を分けて堪能しているスコールに、何度目の来店だったかの時、「混ぜても良いんだぜ」とロックは言った。
違う味を混ぜて、新しい風味を楽しむのも、ジェラートをダブル・トリプルで食べる時の醍醐味だ。
とは言え、別々に食べて味わうのも勿論良いものなので、ロックはあまり食べ方に口煩くはしたくなかった。
それより、とロックはふと思い出し、
「そうだ。新作を作ってる所なんだけど、ちょっと試しに食べてみてくれないか」
「……新作?」
「ああ。まだ店には出せないんだけど、誰かの意見が欲しくてさ」
ロックは再度キッチンカーに戻ると、キッチン台下の冷凍庫を開ける。
客待ちの間に新作研究をしようと思って、自宅から持って来ていたのだが、この暑さでやる気をなくし、ただただ冷やされていたボウルを取り出す。
其処には濃いピンク色に、所々に粒が入ったジェラートが入っていた。
冷え切って固くなっているジェラートをヘラで程好くなるまで解し、プラスチックスプーンで一掬い。
ほら、とカウンターから腕を伸ばして差し出すと、スコールは持っていたスプーンはカップに差し、ロックの手から試作品を受け取った。
スコールは何の味なのか、警戒するように一口分のジェラートをしげしげと眺めていたが、暑さにゆっくりと溶けだす表面を見て、思い切ってぱくりと口に運ぶ。
「……なんだ、これ」
「どうだ?」
「……少し酸っぱい。なんか、プチプチしてて……?」
フレーバーの正体が判らないからか、スコールの表情は怪訝なものになっていた。
一体何を食べさせられているのかと、早く答えを寄越せと視線を向けられて、ロックは手元のボウルを混ぜながら答える。
「桑の実なんだ。ジャムにして混ぜたんだよ」
「クワの実……」
「一応、ベリー系だな。さっぱりしてるから、夏に良いんじゃないかと思ったんだけど」
どうだ?と訊ねるロックに、スコールは考えて、
「……俺は、そんなに嫌いじゃない」
「おっ。じゃあ、もうちょっと仕上げて、来週あたりに出してみるかな」
ロックの言葉に、スコールの目が分かり易く輝いた。
言葉は酷く少ないのに、存外とお喋りなその瞳に、ロックは噴き出しそうになるのをなんとか堪える。
プライドの高い少年は、周りの大人が思う以上に、地雷が沢山あるのだ。
うっかり怒らせてしまわないようにと、ロックは努めて平静を装いながら、ボウルを冷凍庫へと戻した。
ほんの五分程度、キッチンカーの中にいただけだと言うのに、シャツの中はもう汗を掻いている。
環境柄、致し方のない事とは言え、もう少し涼の取り方を考えないと、いつか倒れてしまいそうだ。
キッチンカーを降りながら、どうしたもんかな、と考えていると、
「……ロック」
「ん?」
「……あんた……いや……」
何かを言いかけ、スコールは口を噤んだ。
もう殆ど食べ終わって空になったアイスカップを片手に、蒼の瞳が居心地悪そうに彷徨う。
どうした、とロックが敢えて訪ねてやると、スコールはまた少し逡巡した後で、
「……大丈夫かと、思っただけだ。……暑いから」
「ああ、心配してくれてたのか」
「…………別に」
そんなつもりじゃない、とスコールはそっぽを向くが、ロックはくつくつと笑みが漏れてしまう。
確かに馬鹿のように暑いから、それ位の心配は、してくれたって罰が当たるものではないだろう。
それでも、余計な世話なのではないかと、悪い方に考えてしまう癖があるのがスコールだ。
ロックは氷の解け切ったスポーツドリンクを飲み切って、空のペットボトルを車体の横に置いたゴミ箱に捨てる。
「今の所は大丈夫。水分も塩分も用意してるし、冷房もつけてるし」
「……そう、か」
「あんまりキツくなったら、ジェラート食って休むさ。売る程あるからな」
ロックの台詞に、そもそも売っているものだろう、とスコールが目を細める。
スコールは空になったアイスカップと、用済みになったブラスチックスプーンを捨てて、背中のスクールバッグを背負い直す。
今から正に太陽が本格的に仕事をする時間になると言うのに、彼はこれから家に帰らなくてはならないのだ。
まずショッピングモールの敷地から出る距離を歩くだけで、ロックはうんざりとしそうなのだが、この少年はそれを熟さなくては家路につけないのである。
「じゃあ、もう帰る」
「うん。こんな暑さだし、送ってやれたら良かったんだけど」
「……店がなくなったら、客が来た時困るだろ」
来ない訳じゃないんだから、と言うスコールに、ご尤も、とロックは眉尻を下げる。
炎天の下、キッチンカーを離れていく背中を見詰めるロック。
本音と言うと、客を多少困らせたって良いから、彼を送って行けたら良いのに、と思う。
そうすればスコールはこんな猛暑の中をフラフラと歩かなくて済むし、何より、もう少し他愛のないお喋りの出来る時間が増える。
寡黙な彼にとっては会話の時間など増えても面倒なだけかも知れないが、ロックにとっては、彼と過ごす時間が細やかな楽しみなのだ。
しかし、少年はどうしてロックがそんなにも世話を焼きたがるのか、恐らく理解していない。
だからロックが送ってやると申し出た所で、店のことは勿論、他人に手間をかけさせることを嫌って断るに違いない。
そう言う事が判る位には、ロックは彼のことを見ているつもりだ。
駐車場を行き交う車の向こうに、仄かな想い人の姿が見えなくなって、ロックは一つ伸びをする。
「うーん……まあ、もうしばらく長い目でって所かな」
多感な時期の少年に、下手な混乱を与えて、疎遠になるのは避けたい。
ロックは気を取り直して、先ずは彼の期待に答える為、新作のブラッシュアップに臨むことにした。
『猛暑日のロクスコ』のリクエストを頂きました。
暑いとアイスとかジェラートとか食べたいよねって言う。
現パロのロックの職業(公式25歳なので基本は社会人と言うイメージだけどサラリーマンとか合わなそう)を悩むのですが、今回は移動販売してる人と言うことにしてみた。
スコールとは、まだ毎日顔を合わせる程じゃないけど、近過ぎないけど程好い距離感で交流している所。
心配してくれる位に自分のことを気にしてくれてるんだなー、と言う細やかな喜びの頃です。
その内ロックの家にスコールが来て、試作品の味見とかするようになるんだと思います。