[セフィレオ]秘密の共有、その意味を
父の会社を手伝い支えることは、子供の頃から目指していた道だった。
そうするように求められた事はなかったし、自由にして良いんだぞ、と何度も言われたけれど、それならば尚更、自分の自由で以て父を支えたかった。
まだ弟が幼い時分、余りにも早く早逝した母の分まで、彼は子供達のことを愛してくれたのだ。
だからこそレオンは、その恩返しもあり、懸命に働く父の背中を見て、その後を追いたいと思った。
それから勉学に励んで、レオンは真っ当な就職活動の末に、父の会社へと就職を果たす。
身内贔屓と囁く声は聞こえていたが、一切を無視して仕事に打ち込んで行けば、幸いにも相応の結果が付いて来た。
まだ若い身空でありながら、副社長なんて立場に祀り上げられた時には戸惑ったものだが、「お前だったら任せられると思ったからさ」と言われれば、応えない訳にはいかなかった。
相変わらずやっかみのような視線はあるものの、それも努力で変えて行けば良いと思っている。
その分、大変な事も多いけれど、成長した弟にも応援されているから、きっと上手く行く筈だ。
そうなるように、自分自身で変えて行く。
平社員の時には、上から降りて来る仕事を捌く日々であったが、立場が出来た今は、それとは異なる忙しさがある。
同業他社との情報交換、腹の探り合いの会食があったり、大きなプロジェクトに必要となる資金を捻出する為に各銀行と交渉したりと、人との付き合いを如何に上手く回していくかと言う事に注力するようになった。
書類仕事の方が気が楽だ、と感じたのは一度や二度ではないのだが、父はずっとこう言う仕事をしてきたのだと思うと、奮起せねばなるまいとも思った。
以来、時には自らの顔を使って、時には父の代理と言う役割を任されて、様々な人々と逢って来た。
そうしてレオンは、世界と言うのは中々に変わっていて、多種多様な人間がいるのだと言う事を知る。
中々の変わり者と言うのも少なくなく、どうもレオンはそう言う人に好かれる性質らしい───父もそうなので、血筋なのかな、と父の旧友は笑っていた───。
礼を失しない程度にそれを上手く躱して会話を進めるのは労のいる事だったが、お陰で幾つかは上手い結果を得ることが出来た。
だからレオンは、誰かと会食の類に行く事は、一種の交渉の場だと思っている。
其処で自分が発した一言一句、相手に見せた仕草一つで、どんな結果が待っているのか変わるのだ。
それは後々に仕事に影響して来る事も多かったから、レオンはいつも気を引き締めて人と逢う事にしている。
────セフィロスに初めて食事に誘われた時も、レオンは当然、その気持ちだった。
彼は世界的に有名な大手企業の社長で、一代で財を築き上げた事もあり、業界内では時代の風雲児とも呼ばれている。
そんなセフィロスとレオンが知り合ったのは、父と共に海外の社交界へと足を運んだ時の事。
華やかな世界に見えて、沢山の思惑が水面下で行き交う中で、恐らくは既に知り合いだったのだろう、父は存外と気さくに彼に話しかけ、同行していた息子を紹介した。
歳は近いから話が合うんじゃないか、と言う父の予想は、さて当て嵌まったかは別としても、レオンはセフィロスとの語らいを楽しむ事が出来た。
彼方も少なからず笑顔が零れていたし、パーティが終わった後には、連絡先も交換している。
プライベートのものだ、と電話番号を寄越されたのは聊か驚いたが、どんな形であるにせよ、交友関係が増えるのは有り難いものだ。
レオンも、出られる時は少ないとは思うが、と前置きをして、自分の電話番号を伝えている。
そうして細やかな交流を繰り返している内に、次第にレオンは、セフィロスが“友人として”レオンと交流を持ちたいのだと悟るに至る。
影響力のある立場を手に入れたが故に、セフィロスの周りは、悪く言ってしまえば雑虫が多いのだ。
それも自身が年若い事もあり、多くは年嵩の者ばかりに囲まれていた為、環境として、同年代と出逢う機会の方が少ない。
レオンも立場としては似たようなものだったから、段々とその気持ちに共感するようになり、今では肩の力を抜いて、他愛もない話が出来る友人として顔を合わせるようになった。
それからレオンの携帯電話には、時折、セフィロスからの着信がある。
其処には大抵、何日何時に食事でもどうか、と言う誘いが添えられていた。
お互いに多忙な身であるから、随時都合の擦り合わせは行いつつ、────今日もまた、レオンはセフィロスと共に食事に来ていた。
場所はセフィロスがセッティングを済ませており、大抵、個室のある小料理屋やレストランである事が多い。
平時は専ら人目である事を意識する生活をしているから、こんな時位は楽な方が良いだろう、と言うセフィロスの気遣いは有り難い。
都内でもランドマークとして有名な、高層ビルの上層フロアにある、名のあるシェフのレストラン。
席数も少ない為、此処で食べたいのなら熾烈な予約争いをするか、運の良いキャンセル待ちをするしかないと聞いているが、どうやらセフィロスは此処では常連であるらしい。
流石に新進気鋭の社長だな、と、実の所あまり高級レストランの類に興味のないレオンは、感心したような気持ちで食事を済ませた。
会計も終えて、さて今日はこれでお開きか、とレオンが思っていると、
「上のフロアにバーがある。少しどうだ?」
そう誘われて、レオンは少し考えた。
セフィロスからの誘いと言うものを、レオンは基本的に、断らない方向で考えている。
無論、仕事があれば話は別だが、そうでなければ人との付き合いは円滑にしておいた方が良い。
家には父の他、年の離れた弟もいるが、彼ももう高校生になり、目が離せない歳でもなかった。
どうせ帰りはタクシーを使うつもりであるし、酒も嫌いな訳ではない。
「良いな。案内して貰えるか」
「ああ」
応じたレオンの言葉に、セフィロスは整った面立ちを微かに緩ませて、満足気に頷いた。
レストランのあったフロアから、エレベーターで更に三つ昇った先に、静かで赴きのあるバーがあった。
訪れる者が限られるような場所にあるからなのか、此処も席数は少ないのだが、突き抜けたビルの上層にあるお陰で、何処の席でも眺めの良い景色が望める。
夜ともなれば、地上と空の星を同時に見ているようにも思えて、レオンは成功者の見る景色だなと思った。
同時に、隣の席でカクテルを傾ける男に、よくよく似合いの景色だと。
食事の後なので、腹は十分膨れているしと、二人はのんびりとアルコールの味を楽しんだ。
どちらも口数が多い性質ではない為に、然程会話が弾む訳ではないのだが、レオンは彼との沈黙には重苦しさを感じないのが気に入っていた。
お喋りではないレオンにとっては、無理に話題を探し、喋らなければならない方が疲れるものだ。
この静かな空気が許されているから、セフィロスの誘いに乗るのは苦がない。
オレンジ色をゆらゆらと揺蕩わせるカクテルを、そっと口元に運ぶ。
フルーティな味わいが咥内にゆっくりと溶けて行き、仄かに酸味が感じられた。
「うん、美味い」
「気に入ったか」
「ああ。しかし……それなりに強いだろう、これは」
「多少な」
「やっぱり。飲み過ぎないようにしないとな」
苦笑してそう言ったレオンに、セフィロスの眉が微かに寄せられる。
「アルコールには強くなかったか」
「飲めない事はないけど。さっきレストランで飲んだワイン位なら、一本開ける分には大丈夫だ。それ以上になると、怪しくなってくるな」
「ふむ……」
アルコールの入った腹が、仄かに熱を発しているのが判る。
これは調子に乗っては危ないな、とレオンは綺麗な色をした液体を見て思う。
胃が空だったら早々に回ったかも知れない、と思いつつ、もう一口と口をつけた。
その間セフィロスはバーテンダーを呼び、次のアルコールの注文をしている。
リズムの良いシェイカーの音を聞きながら、レオンはちらと隣の男を見た。
バーチェアに深く腰を落ち着かせ、長い足を組み、何かを思案するように緩く目を閉じているセフィロスは、まるで雑誌のポスターにでもなりそうな程、絵映えしている。
店内の空気を壊さず、窓の向こうの夜景を邪魔しない程度の灯りしかなくても、その整った面立ちはよく判った。
レオンから見て、背景となる夜景までもが、目の前の美丈夫を引き立てる為の素材に見える。
世の女性が夢中になる訳だと、いつかの社交界で数多の女性に囲まれていたのを思い出した。
こっそりと面白いと思うのは、そんな男がこんな店に連れてきているのが、自分だと言う事だ。
名のある大女優でも誘えば、それこそ映画のようなロマンスが始まるワンシーンになりそうなのに、どうして同性を誘ったのだか。
代わった男だと思いつつ、レオンはグラスに残っていた最後の一口を飲み干した。
「ふう……ちょっと火照って来た気がするな」
「酔ったか」
「かも知れない。これ以上は、あんたに迷惑をかける」
「俺は全く構わんが」
「そう言う訳にもいかないだろう。すまないな、あまり付き合えなくて」
「いや。俺が勝手に、お前も飲めるものだと思っていただけだ。せめて度数を押さえておけば良かったな───次はそうしよう」
最後に零れたセフィロスの言葉に、レオンはくっと笑った。
「あんた、こんな良い店を知っているなら、俺じゃなくてもっと他の誰かを誘えば良いのに」
「他とは?」
くつくつと笑って言うレオンに、セフィロスはいつもと変わらない表情で尋ね返す。
それは当然、とレオンは先ほど思った事を口にした。
「もっと良い人と言うか、特別な人だとか。あんたに誘われたら、世の名誉だと思って来る女性も多いと思うぞ。それなのに、俺なんか誘って────勿体無い」
「興味がないな。此処には、お前だから連れて来た。まあ、少し外してしまったようだが」
「そんな事はないさ。景色も良いし、酒も美味いし、気に入った。教えて貰って感謝している」
「なら、もう少し分かり易く喜んでくれ。お前の為に設けた席だ」
不思議な虹彩を宿した瞳が、レオンを映す。
伸ばされた腕がレオンの横顔に触れ、指先が頬を滑って耳の下に触れた。
ピアスを嵌めた耳朶を指先が掠めたのを感じて、レオンはくすぐったさに目を細める。
そんな触れ方をされたのは初めてで、レオンは不思議な気持ちになってくる。
「どうしたんだ、あんた。酔っているのか?」
「ああ、そうかもな」
「二杯目、これからなんだろう。大丈夫なのか」
「酒は問題ない。だが、まあ……お前に心配されるのは悪くはないが、今日は此処までにして置こう。お前も飲めとは言わないが、もう少し付き合え」
「それは勿論」
言いながらセフィロスは、レオンの耳朶を指先で柔く摘まんだ。
なんとなくその指先が冷たく感じられるのは、レオン自身の体温が上がっているからだろうか。
二杯目のカクテルがセフィロスの前に運ばれ、レオンに触れていた手が離れる。
長く形の良い指先が、カクテルグラスを摘まんで口に運ぶその様子を、レオンは耳朶に残る感触を感じながら、細めた眼差しで眺めていた。
心地良く緩やかな時間を過ごした後は、漠然とした幸福感があった。
そんな自分を自覚して、やはり酔っているのだろうな、とレオンは眉尻を下げてくつりと笑う。
時刻は夜の十時を過ぎている。
公共交通網はまだ全て止まりはしていないだろうが、のんびりとした足で駅へ向かっていれば、目当ての路線は終電には間に合うまい。
そもそも酔っ払っている訳だから、無理に自分の足で行くよりも、タクシーを使った方が安全だろう。
バーを出る時にセフィロスがタクシーを呼び、ビル前で待機させていると言うので、エレベーターで一階まで降りて行く。
足元が下降していく浮遊感を感じながら、レオンは隣に立っている男に言った。
「中々楽しかった。誘ってくれて感謝する」
「ああ。次はもう少し、お前の好みに合う所を用意しておこう」
どうやら、楽しい時間は次回もあるらしい。
レオンはくすりと笑って、
「次も用意してくれるのは嬉しいけど、本当に俺で良いのか?」
「何度も言っているだろう。お前だからだ」
「こんなにいい所にばかり連れて来て貰って。それも何度も。なんだか、口説かれようとしているみたいだな」
笑みを浮かべて、そんなまさかな、と冗談を言ってみる。
セフィロスは新進気鋭の実業家で、世界的に名の轟く、知らない者などいない著名人だ。
それ故に、彼が望むと望まざると言わず、その周囲には数多の人が集まるが、その多くはやはり彼の力に肖りたいと臨むのだろう。
気の置けない友人と言うのは案外と少なくて、昔からの知己の他は、柵のない学生時代に持った後輩くらいのものらしい。
そんな中で、レオンは久しぶりに持った同じ年頃の友人だから、色々と感覚を共有したくて仕方がないのだろう。
案外、可愛い所もある、とレオンはそんなことを思いながら笑っていると、
「ああ、……そうだな、その方がお前には判り易いかも知れない」
「うん?」
小さな箱の中で、恐らくは独り言だったのだろうセフィロスの呟きに、レオンはことんと首を傾げた。
何の事だろうと思っていると、コートのポケットに入れられていたセフィロスの手が、ゆっくりとレオンの顔へと伸びて来る。
ひた、と頬に触れた手はやはり冷たく感じられたが、向き合う碧の瞳は、それとは裏腹にじんわりと熱が溶けたような色をしていた。
真っ直ぐに見詰める瞳に、意識が囚われたように目を逸らせない。
そんなレオンに、セフィロスは触れそうな程に顔を近付け、
「俺はお前を口説いているんだ、レオン」
「……え?」
蒼の瞳を見開けば、其処に映り込んだ男が何処か艶やかに笑う。
惚けた唇の端に、柔らかいものがほんの一瞬触れて離れた。
エレベーターが一階へと到着した音を鳴らし、ドアが開く。
呆然と立ち尽くすレオンの手を、セフィロスの手がしかと掴んで、ビルの外へと連れ出した。
待機していたタクシーがぱかりと後部座席の口を開け、セフィロスはレオンを半ば強引に座らせると、いつの間にか覚えていたレオンの自宅住所をタクシーに告げる。
運転手が出発の準備をしている間に、セフィロスは未だぽかんと子供のような表情をしているレオンを見て、くつりと笑う。
「言ったからには、逃がすつもりはないぞ」
「あ……ああ……?」
「よくよく考えておいてくれ。じゃあ、また」
そう言ってセフィロスは、レオンの唇に指先を当てる。
其処はつい先程、柔らかいものが触れて離れた場所だった。
後部座席のドアが閉じて、タクシーが走り出し、レオンははっと我に返ってビルの方を振り返る。
遠ざかる夜景の中でもはっきりと存在感を示す銀色は、見えなくなるまで其処に立っていた。
酔いの残った頭で、口端に残る感触の意味をレオンが悟ったのは、それからまた長い時間を要してからの事であった。
『セフィレオ』のリクエストを頂きました。
レオンを口説こうとしている頃のセフィロスも良いなあ、と思いまして。
俺ロスだったら、割と真っ当に食事に誘ったり、景色の良いバーに連れて行ったりしてくれそうだなと。
実は“友人”にもそんな事はしてないよってものなんですけど、最近知り合ったばかりのレオンはそんな事は知らない訳ですね。お気に入りを友達と共有したいなんて可愛い所もあるな、と言う感じ。
しかしはっきりと宣告した以上は、もうセフィロスは押してくるでしょうし、レオンも意識せずにはいられなくなるんだと思います。此処で面と向かって拒絶できない所に、答えの根っこがありそう。