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[16/シドクラ]ホット・ショコラ・ショー



世の中が甘い匂いで溢れているような気がする。
それを実際に鼻孔で確認する程ではないのだが、なんとなく、雰囲気がそう感じさせるのだ。
街のあちこちに散りばめられた、チョコレートの祭典を公告するポスターや電子パネルは、昨今、老若男女の垣根を越えて効果を出している。
元々は製菓会社の陰謀だとも言うこの習慣は、今や海を越え、世界中に有名になった。
となれば、その腕を競い合う者たちも、この期がチャンスと一堂に会する事も増え、最早見逃せないシーズン行事として成長している。

お陰で今日のクライヴの鞄には、チョコレート菓子がいっぱいに詰め込まれることになった。
同じ職場で働くことになった幼馴染のジルを皮切りに、同僚たちがこれもどうぞと続々と詰め掛けた。
古くからの慣習に倣えば、それは女性から男性にと言う流れがあったが、近年ではそう言った枠もじわじわと失せつつあり、ガブやオットーからも労いの菓子を貰った。
クライヴの方はと言えば、忙しさに感けてすっかりそんな事は忘れていて、貰う一方になったことに申し訳なさを感じる。
となれば、ジルは「気にしないで」と気遣い、ガブは「来月のお返しが楽しみってもんだな!」と笑う。
有り難いもので、それなら一ヶ月後の今日には、きちんと礼を尽くさねばと思った。

名の知れたパティシエの店のものから、コンビニで売っている駄菓子まで、頂き物は種々様々。
行く先々で沢山のチョコレートが販売されていたことを思うと、これと決めるまでの選ぶ時間も、楽しんだ人々もいるだろう。
自分も偶にはそう言うものに参加しても良かったかも知れないな、と、帰り道の店先にあった、今日までのセールを報せる看板が仕舞われて行くのを見ながら思った。

家への最寄り駅から、いつものスーパーに立ち寄って、一通りのものを買い揃える。
と、会計レジの傍に、カートに乗せられた商品が、ふと目に着いた。
何気ない気持ちで手に取ったそれは、牛乳に溶かして飲む、ショコラドリンクだ。
普通の商品棚とは違う場所に置いてある其処には、今日と言う日を彩るポップが飾られ、成程これも確かにチョコレートの類だと納得する。


「……ふむ」


甘いものは特別好む訳ではないが、嫌いと言う事もない。
疲労を労う時、考え事で脳のエネルギーを入れたい時、何はなくとも欲しくなる時もある。
6袋入り一箱のそれを、クライヴは買い物籠の中へと入れた。

暦としては冬も終盤に近付いているようだが、空気はまだまだ冷たく、吐く息にも白が混じる。
悴む感覚を訴える両手をダウンジャケットのポケットに突っ込んで、クライヴの歩く足は早くなった。

帰宅すれば、自分よりも一足遅く会社を出た筈の同居人が、買い物をしている間にでも抜かれたか、先に帰っていた。
リビングダイニングの方から漂う匂いは、火を入れた特製ソースのもの。
なんでもさり気無く人に仕事を振る傍ら、当人も何につけても器用だから、キッチンに立った時には中々凝った料理が出て来る。
本人は「適当に放り込んでるだけだよ」と嘯くが、娘の為に栄養管理を怠らず、且つ新し物好きな父子が揃って飽きないようにと、手を変え品を変えて二十年近くも暮らして来た訳だから、この手のものは得意なのだ。
平時はクライヴの方が先に帰ることが多く、それで家事を引き受けているから、シドの手料理に与れるタイミングと言うのは、案外と限られている。
久しぶりにそれが楽しめそうだな、とクライヴは少々浮いた気分で靴を脱いだ。

リビングダイニングへの扉を開けると、食欲をそそる匂いが一層深く鼻孔を刺激する。


「ただいま」
「おう、お帰り」


じゅう、と言う焼き物の音と同時に、シドの声が聞こえた。
対面式のキッチンを見れば、思った通り、シドが今日の夕飯を作っている。
キッチンへと回り込んでみれば、既に幾つかの料理は完成しており、二人分の皿に盛り付けが成されていた。
今作っているのは、メインのポークカツレツの最後の一焼きだろう。

買い付けたものを必要な場所に収め、クライヴは私室に入って部屋着へと着替えると、シドが整えた料理皿を食卓へと運んだ。
シドも席へと着いて、いつも通りの夕食が始まる。
その最中に、シドがふっと思い出したように言った。


「お前、来月は大変だぞ」
「なんだ、藪から棒に」


話の切り出し方の唐突さに、クライヴが詳細を求めて返せば、シドはカツレツにフォークを刺しながら、


「バレンタインだよ。随分貰っただろう」
「ああ。ジルと、タルヤと、オルテンスと───ガブも。他にも沢山。俺も来年は用意していくべきかな」
「そりゃあ好きにすれば良い。だが、貰った分くらいは、来月はちゃんと答えてやれよ。あいつらもせがむ性質じゃないが、ま、円滑なコミュニケーションの一環って奴だ」


シドの言葉に、クライヴは「ああ、分かっているよ」と口元を緩める。

以前は、会社の中で、人同士のコミュニケーションなど、あってないようなものだった。
仕事に必要な連絡事項は行うものの、事務的なものばかりで、それも上からの無茶な打診の横行で、滞る事も多かった。
とても“円滑なコミュニケーション”だとか、“信頼関係の構築”などと言うものに、意識も時間も割けるものではなかったのだ。
長い間、そんな場所にいたものだから、そう言うものだとクライヴは諦めにも似た享受さえしていた。

あの頃に比べると、今はまるで別世界に来たような感覚で、ちょっとした時間の隙間に交わす、仲間達との何気ない会話が心地良い。
クライヴが受け取った沢山のチョコレートも、そう言う空気が成り立っているから出来る事だ。
くれた人の数、そのお返しの準備に必要な数を思うと、一人一人に品を選ぶのは聊か難しいが、せめて皆に配れるくらいのものは用意したい。
甘いものが好きな者、得意でない者、酒を好むメンバーと、さてどううするのが一番良いかと巡らせつつ、クライヴは夕食を平らげた。

夕飯を作ったのがシドなら、片付けるのはクライヴだ。
余程に疲れていると言う時でもなければ、家事はこうやって分担と交代で担う事にしている。
効率を上げる事で余暇を楽しむシドは、料理をしながらも手すきを見付けては調理器具の片付けも行うから、洗い物の数は食事に使った食器くらいのもの。
クライヴ自身も長い一人暮らしで───その内半分は、生活様式は聊か崩壊気味だったが───家事は慣れたものであるから、手早く洗い物は終わった。

さて、とクライヴはシンク下の収納からミルクパンを取り出し、冷蔵庫から牛乳を。
マグカップ一杯分の牛乳をパンに移して、弱火でじっくりと温める。
鍋の縁からふつふつと煮立った気配がした頃に、スーパーで買ったものを開けて、小分け袋が入ったその一つの封を切った。
ぱらぱらと零れ出すのは小さな粒のチョコレートだ。
温まったミルクの中で、チョコレートはとろとろと溶けて行き、クライヴはヘラを使ってそれをくるりと優しく混ぜた。

カカオとミルクが溶け合い、柔らかな茶色みに染まった液体を、スプーンで掬って一口舐めてみる。


(甘いな。でも、こんなものか?)


普段、あまり口にしないものであるから、良し悪しの基準はよく判らない。
とは言え、飲めないことはないだろうと、クライヴは出来上がったショコラドリンクをマグカップへと移した。

片付けをしている間に、シドはリビングのソファで寛いでいる。
テレビは流行の曲を生放送スタイルで送る音楽番組が流れているが、シドは興味があるのかないのか、その手元には本がある。
BGMに聞いてるだけなんだろうな、と思いつつ、クライヴはソファ前のコーヒーテーブルにマグカップを置いた。
ことん、と言う小さな音が鳴ると、シドが顔を上げる。


「ん?なんだ、こりゃあ」
「食後の一服かな」
「珍しいサービスじゃないか」


稀にシドが食後のコーヒーを嗜むことはあるが、クライヴはあまりそう言ったことをしない。
偶にあるとすれば、それは仕事を持ち帰っている時だが、近頃はその頻度も減っていた。

シドは、さて何の気紛れかねと思いつつ、先ずは有り難く貰おうと、マグカップに手を伸ばした。
口元までそれを持って行けば、鼻孔を擽るものが、想像と真逆の甘い香りである事に気付く。
クライヴは、シドの眉尻が微かに上がったのを確認したが、気にせずキッチンの残りの洗い物を片付けることにした。

シドは一口、マグカップの中身を飲んでみる。


「へえ。お前にしちゃ珍しいものを出してくれたな」
「まあ、そうだな」
「これがお前からの贈り物か?」


そう言ったシドの口元には、にんまりと楽し気な笑みが浮かんでいる。
今日が何の日だと言う事かは、彼も部下同僚から揃って沢山の贈り物をされたから、理解していた。
それでいてこの飲み物となれば、と言うシドに、クライヴは「さあ?」と肩を竦めて見せた。


「売っていたからさ。ついでに買ってみたんだ。偶には悪くはないだろ?」
「そうだな。悪くはないが────」


其処まで行って、シドは席を立つ。
おや、とクライヴが見守っていると、シドはリビングの棚の隅に置いていた、自分の鞄を開けていた。

シドが取り出したものを見せると、其処には、クライヴが購入したものと全く同じパッケージの箱がある。


「あ」
「煙草を買いに行ったら、売っててな。ついでに買ってみたんだよ」


今し方、自分が言ったものと同じ事をそっくりに言われて、クライヴは眉尻を下げて噴き出した。

シドはパッケージをダイニングのテーブルに置いて、どうするかねえ、と苦笑する。
一箱6本入りのこのショコラドリンクは、確かに手軽に作れるだろうが、シドとクライヴではそう進んで飲むことも少ないだろう。
今日は特別だから、シドもクライヴの入れてくれたものは喜んで頂くつもりだが、明日以降はどうしたものか。


「───まあ、保存期間もそこそこ長いものだし。糖分が欲しくなったら飲むよ。案外、どうにでもなるだろう」
「そんなもんだな。なんなら、幾つかミドにやれば良い。あいつは甘いものなら幾らでも飲むぞ」


言いながらシドはキッチンにやって来て、クライヴが片付けようとしていたミルクパンを取り上げる。
おい、とクライヴが言う間に、シドはそれをコンロに戻して、冷蔵庫からも牛乳を取り出した。


「折角だから、お前も飲め。開いてる方を使うけどな」


そう言って、調理台に置いたままにしていた箱から一袋、ショコラの素を取り出す。
牛乳をミルクパンに注ぎ、慣れた手つきで温め始めたシドに、クライヴも柔く唇を緩めて、完成を待つことにしたのだった。




大分遅れましたが、バレンタインのシドクラが書きたかった。
お互いにチョコレートを用意して、と言うほどの事はしないけど、今日に肖るちょっとした変化を。
と思ったら、同じような流れで同じようなことをしていた二人とか良いなあと思ったのでした。

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