[フリスコ♀]夕海の音
そもそもがインドアな気質であるから、真夏の海なんてものに誘った所で、スコールが諸手を挙げるような性格ではない事は、フリオニールにも判っている事だった。
しかし、アルバイト先の先輩から、厚意で譲られたチケットを無碍にするのも詮無いと、一応の体で、と言うつもりだったのだろう。
貰ったんだけど、どうかな、と眉尻を下げて言ったフリオニールの手には、有名なリゾートホテルの宿泊招待券。
ペアで一組、と記されたそれは、宿泊代の他、朝晩の食事も無料になると言う好待遇だ。
テレビ番組の懸賞だかで手に入ったらしいそれを、ぽいと人に譲るような人物がいるとは、奇特なことだ───いや、フリオニールの人望だろうか。
ともかく、応募したし当たったけれど行くつもりがないらしい先輩は、フリオニールがひとつ年下の恋人と付き合い始めた事について、色々とお節介を焼いてくれているらしい。
そして、生活の為にアルバイトに追われざるを得ず、中々具体的に二人の時間を作るのが難しいフリオニールを慮り、このチケットを寄越してくれたのだとか。
スコールはそれをフリオニールからの話でしか知らないが、随分と面倒見の良い奴がいるもんだ、と思った。
だからフリオニールから、スコールに「夏休みの間に旅行に行かないか」なんて言う誘いが出て来たのだ。
場所は有名な避暑地だし、夏休みなんて何処に行ってもイモ洗い宜しく人混みになっているだろうから、スコールがその手の場所に行かないことは、フリオニールもよく知っている。
それでも、誘う口実が手元に出来てしまったのだ。
だったら一度くらいは誘ってみないと、と思ったのだそうだ。
そんな感じで誘った訳なので、スコールが頷いた時には、フリオニールは大いに驚いていた。
「良いのか?本当に?」と目を丸くしていた彼に、スコールは「……嫌なら良い」と顔を顰めて言ったが、フリオニールは直ぐに「嫌なんて!」と言った。
ただただ驚いたんだと言うフリオニールに、まあそう言う反応になるよな、とスコールも自覚している。
夏休みだからと、開放的に遊び惚ける性格でもないし、街にある遊泳プールにだって、幼い頃に行ったきりだ。
年齢が上がるにつれて、スコールは人混みを避けるようになったし、昨今も猛暑酷暑の日差しを思えば、外で遊ぶより、図書館で過ごしている方が何倍も良い。
フリオニールもよくよくそれを判っているから、スコールが旅行になんて行く訳ないか、とダメ元で一応の誘いをしたに過ぎなかったのだ。
フリオニールは、予想に反したスコールの返事に驚いたが、しかし一緒に出掛けられるのなら喜ばない事はなかった。
きちんとした日程を組み、アルバイトの休みも取って、滞在先となるホテルのアクセスルートや、周辺情報の下調べもした。
スコールは寮に宿泊届を出し、ルームメイトのリノアに揶揄われつつ世話を焼かれつつ、旅行日までに必要となるであろうあれこれを買い揃えていた。
かくしてやって来た小旅行の日、二人は最寄り駅で待ち合わせして、出発した。
普段のデートも滅多に出来ていないのに、いきなり旅行なんて、となんとなく意識してしまってか、往時の二人の間で会話は少ない。
それでもスコールは、隣にフリオニールがいてくれると言うのが嬉しかった。
出発の前に駅前のコンビニで買ったおにぎりを食べながら、車窓に映る景色をぼうと眺めたり、同じように外を眺めているフリオニールの横顔を盗み見たりしているだけで、楽しい。
少女はささやかな楽しみを堪能しながら、束の間の旅路に耽ったのだった。
ホテルは、リゾート地のそれとして名高いことに相応しく、海が目の前にある。
ホテルの裏手から直接海へと遊びに行ける道も整備されていて、正しく真夏に御用達になっていた。
今日も例に漏れず、ホテルの客の多くは、到着早々に海へと繰り出しており、また地元民もよく遊びに行くようで、遠目から見ても遊泳エリアは沢山の人に溢れている。
判っていたことと言えばそうだが、スコールは其処に飛び込んでいくような気にはなれなかった。
フリオニールもそれはよくよく悟っていて、
「観光できそうな施設があるんだ。そっちに行ってみないか?」
と、提案してくれた。
リゾートとして有名な場所だから、やはり海に客が集まるのは当然だろう。
だが、避暑地としても名が知れているからか、其処に限らず人が興味を寄せそうな施設や店はそこここに散らばっている。
スコールが地元でも良く行く図書館だったり、工芸品が展示されている屋内ミュージアムだったり。
少し距離を延ばせば、小さいながらも水族館もあるようで、移動することに苦がなければ、海に限らずそこそこに楽しむことが出来るだろう。
────本音を言うと、避暑地とは言え、やはり暑い日差しの中を歩き回る事には抵抗があった。
だが、そうなると、ホテルで二人きりの時間を過ごすことになる。
宿泊する部屋は、当然ながらペア一組で使うもので、シングルベッドが二つ並んだツイン仕様だ。
それ程豪奢な訳ではなく、ビジネスホテルに比べれば広くゆったりとしている、と言う程度で、後は窓から海を臨めるのが良い、と言う位か。
貰い物の無料チケットで泊まれるホテルの部屋としては、十分贅沢と言えるものだから、何も不満はない。
ないが、まだまだ初々しい、恋人になりたての男女にとって、そんな場所でも二人きりになると言うのは、色々と意識が働いてしまうものであった。
だからスコールは、出掛けようか、と言うフリオニールに頷いた。
二人きりの空間でまんじりと、なんとも言えない空気の時間を過ごすより、気が紛れると思った。
……恐らくは、誘ったフリオニールの方も、同じ気持ちだったのだろう。
そうして二人は、ホテルを中心に、歩いていけそうな範囲をのんびりと散策した。
道行に街路樹が植えられ、並ぶ店々や宿泊施設も、グリーンカーテンをふんだんに使っており、海辺の街と言うこともあってか、都心で過ごす時間に比べると、少し涼しさも感じられる。
工芸品ミュージアムや、小さな水族館をのんびりと見て回ると、太陽は次第に海の向こうへと傾いていた。
夕方になって、もうめぼしい所は見て回ったかとフリオニールが言った。
「そろそろ、その……戻るか?夕飯の時間もあるしな」
「……ああ」
ホテルに戻る、あの二人きりの部屋に────と思うと、勝手に心臓が跳ねる二人だ。
それをお互い、相手に覚られないようにと平静を装いつつ、足を帰路へと向ける。
海辺の方が道が判り易いから、とフリオニールに促されて、二人は海沿いの道を行くことにした。
西日が海の水面に反射して、きらきらと黄金色に輝いている。
浜で遊んでいた海水浴客も、流石にそろそろお開きのようで、各自パラソルやテントを畳んでいた。
「………」
スコールはなんとなく、道すがらに海を眺めていた。
普段の生活で、海をこんなに間近に見る事はないから、少々の物珍しさも働いている。
そんなスコールを横目に見て歩いていたフリオニールは、
「ちょっと浜に降りてみるか?」
「……まあ……そう、だな」
丁度、道路から浜に降りるステップがあった。
さらさらのきめ細かな砂に覆われた浜を少し下れば、波が寄せて返す際まで行ける。
波打ち際で、まだ遊び足りない若者たちが、白波との追いかけっこをして遊んでいた。
無邪気なその声を何処か遠くに聞きながら、スコールとフリオニールも、波の傍まで行ってみる。
「気持ち良さそうだな。ちょっと入ってみるか」
「……水着もないのに?」
「足元だけなら大丈夫だよ」
そう言うと、フリオニールはサンダルを脱いで、素足で波打ち際へと近付いていく。
ざ、と寄せて来た白波が、フリオニールの足首を浚った。
「おお、冷たい。スコールもどうだ?」
「……俺は……」
「暑かったから、ちょっと冷やしていくのも良いと思うよ」
「……」
フリオニールの言葉に、スコールはしばし考える。
街路樹が多かったので、日中の移動は思ったほどに辛いものにはならなかったが、とは言え真夏である。
随所で蝉の声が聞こえる位には夏真っ盛りで、水分やアイスを堪能しながら過ごしたが、籠った熱が体の中に残っているのも確か。
足首を水に浸すフリオにールは、楽しそうで涼しそうで、少しだけスコールに羨ましさを齎していた。
スコールは靴を脱ぎ、靴下も脱いで、素足で砂浜を踏んだ。
日中の熱を蓄えた砂土は、まだまだ冷めるには至っていないようだが、色の違う場所───波が寄せて返す所まで来ると、今度はひんやりとしている。
足の裏に細かな砂土が付着するのを感じながら、スコールは「ほら」と手を伸ばす恋人の下へと向かった。
ぱしゃん、と足元で水が跳ねる。
冷えた感触で足の裏が洗われて、ふかふかと柔らかな砂地に少しだけ足が埋もれた。
「っ」
「おっと」
感触の変わった足元に、ぐらっと体を揺らしたスコールを、フリオニールが受け止める。
ぽすっと頭を押し付けて支えられたスコールの頬には、フリオニールの胸板が押し付けられていた。
長身に、筋肉が引き締まっている事もあってか、遠目に見るとフリオニールは細身に見えるが、こうして密着すると、その逞しい体つきがよりよく判る。
それがスコールの鼓動を無性に早く急き立るものだから、スコールは赤い顔を隠しながら、いそいそと体勢を繕い直した。
「助かった」
「ああ。波って結構力が強いんだな、初めて知った」
フリオニールの言葉に、俺も、とスコールは頷く。
子供の頃、孤児院で一緒に過ごしていた子供たちと一緒に、最寄りにあった海辺に降りた事は何度もある。
けれども、子供だけで海に入ることは禁止されていたし、そうでなくとも、当時泳げなかったスコールは、自ら海に入ろうとはしなかった。
今ではプール授業で泳ぎも覚え、運動や海への苦手意識もないが、今度は海に近付く機会がない。
遊泳プールに海のような寄せて引く波はないから、波打ち際の足元が、こうも不思議な感覚になるものとは知らなかった。
スコールはフリオニールに両手を握られた状態で、足元を見遣る。
ざあ、さあ、ざあ……と寄せては返す波で、足首や足の甲が何度も浚われ、浜砂を巻き取りながら逃げていく感触が擽ったい。
けれども悪い気はしないのは、夏の日差しで火照った身体が、足元から冷えていくのが心地良いからだろうか。
「もうちょっと向こうに行ってみるか?」
「……服は濡らしたくない」
「うん。だから、膝くらいまで」
「……それなら良い」
水に浸かっているフリオニールは、何処か楽しそうだった。
彼も決してアクティブなタイプでもないが、外遊びが苦ではない性格なのだ。
同行しているのがスコールだから、恋人の趣向に合わせて海に行こうとは言わなかったが、本当は海を堪能するのを楽しみにしていたのかも知れない。
彼は内陸の生まれで、水遊びと言えば川だったらしいので、果てのない海の景色に憧れもあると言っていたか。
(……それなら、明日……少しくらいは、海で過ごしてみても……)
結局、今日一日、フリオニールはスコールの希望に沿って行動してくれた。
暑いのが苦手なスコールの為、見て回った施設は殆どが屋内のもので、冷房も効いている。
屋外を歩く時には、「あった方が良いか思って」と日傘まで用意してくれていた。
余りに気が利いて至れり尽くせりなものだから、スコールは反ってちょっとした罪悪感まで沸いてしまう。
自分ばかりが大事にされて、何も返していないのは不公平なのではないか、と。
フリオニールに手を引かれて、膝まで水が浸かる位置に移動する。
膝元をちゃぷちゃぷと水面が遊び、ホットパンツを履いているスコールはともかく、短パンのフリオニールは裾が濡れていた。
だが、フリオニールは全く気にする様子はなく、スコールの顔を見て楽しそうに笑っている。
「……あんた、海、好きだったんだな」
その様子にスコールが呟くと、フリオニールはううんと考える様子を見せつつ、
「そう、だな。そうみたいだ。海に来たのなんて初めてだったから、ちょっと浮かれてるのもあると思う」
「子供みたいだぞ」
「はは、そうかもな。海ってこんなに冷たいんだな、知らなかった」
「まあ、もう夕方だし。冷えてきてるのもあるんだろう」
「夏に皆が海に行きたがるのが判る気がするな。凄く気持ち良い」
無邪気なフリオニールの言葉に、スコールは、やっぱり遊びたかったんだな、と思った。
彼がそうと口にすることは、相手がスコールである以上、恐らくはしないのだろうが。
……それなら、とスコールは言った。
「明日、泳ぐか」
「えっ?」
「午前中の内、ならだけど」
昼日中になれば、太陽が本格的に熱線を注いでくるから、スコールはそれを浴びるのは避けたかった。
そんな気持ちから、僅かな時間で良ければだけど、と提案してみると、俄かに夕焼け色の瞳がきらきらと輝く。
「良いのか?」
「折角の海だろ。全然泳がないで帰るのも何だし。あんた、水着は?」
「あ、え。ええと、ある。使わないかもと思ったんだけど、その、一応……」
しどろもどろに言うフリオニールは、密かな期待をしていた事を吐露する恥ずかしさを感じているようだった。
恋人の趣向を思えば、使わなくともと思ってはいたが、やはり一抹の期待はあったのだ。
それなら尚更、スコールは、使わないまま帰るのも勿体ない、と思う。
何せ、自分も彼と同じ、密かに用意していたものはあったのだから。
「じゃあ、明日」
「うん」
「昼くらいまで」
「そうだな。帰る準備もしないとだし」
明日の朝、ホテルのチェックアウトを済ませたら、海へ。
昼にはまた遊泳客が増えるだろうから、その頃に上がって、何処かで腹を満たして帰路に着こう。
そう言う予定をざっくりと組んで、スコールは明日を楽しみにしているフリオニールの顔を見ていた。
足元だけとは言え、冷え行く水に長く浸かっていると、その内体も冷えて来る。
上がろうか、と手を引くフリオニールに、スコールもついて行った。
濡れた足元を敢えてそのままに靴を履いて、帰ったらスリッパに履き替えよう、と笑う。
それからホテルに戻り、バイキング形式の夕食を堪能した後、部屋に戻る。
其処で二人は、改めて二人きりで泊まると言う環境に、少々ぎこちない一時を過ごすことになるのだが、それはまた別の話として────。
翌日、海辺でお披露目されたスコールの水着姿に、フリオニールが言葉を失うのも、また別の話なのであった。
『海に行くフリスコ♀』のリクエストを頂きました。
泳がずに水辺でぱしゃぱしゃしてる二人は可愛いと思います。
地元と違って自分たちを知ってる知り合いに遭遇することがないし、ちょっとだけ開放的になって、手を繋いだりしている二人。
それでも結構ドキドキしているので、ホテルで二人きりとかもまだまだ緊張する初々しさ。
スコールの水着は、毎度のパターンですが、寮のルームメイトの親友リノアが、この日の為に選ばなきゃ!とコーディネートしたものだと思います。