[三&空]小さな世界、小さなウソ
今日は嘘を吐いて良い日。
悟浄からそう言われた時、悟空は首を傾げた。
嘘は嘘で、言わない方が良いものだから、どうして“嘘を吐いて良い”と言う事になるのか判らなくて。
大体、嘘を吐いて良いと言った悟浄は、その直後、灰皿代わりにした空き缶を八戒に発見され、「どうしてやっちゃうんでしょうね?」と言う八戒に、何も言う事が出来ずにいた。
嘘を吐いて良い日なら、その時こそ嘘でも言って許して貰う事が出来たかもしれないのに、悟浄は嘘を吐かなかった。
どころか、しどろもどろの言い訳に完璧な笑顔(青筋付)を喰らい、真っ青になっていたのである。
結局、どうして“嘘を吐いて良い日”なのかは教えて貰えないまま、悟空は悟浄宅を退散した。
お説教モードになった八戒の、身が縮まるオーラに当てられるのは御免だった。
寺院に戻り、三蔵の執務室に入ると、彼は相変わらず大量の書類と向き合って、不機嫌なオーラを撒き散らしていた。
このオーラは、慣れてしまえばそれ程気になるものではない。
少なくとも、仕事の邪魔さえしないようにすれば、八つ当たりされる事もないのだ。
構ってほしい気持ちはあったものの、此処でまとわりつくと拳骨が落ちるので、悟空は大人しく部屋の隅で丸くなっていた。
八戒に買って貰った落書き帳を開いて、ぐりぐりと黄色のクレヨンで描いて、塗って。
──────そのまま、暫くは静かな時間が過ぎていたのだが、
「失礼します、三蔵様」
僧侶が一人、また大量の書類の追加を持って部屋に入って来た。
その声を聞いた瞬間、三蔵の筆を持つ手が動きを止め、眉間の皺が三割増しになる。
僧侶は、書類を机に置くと、いそいそと部屋を出て行った。
その様は忙しそうと言うよりも、三蔵の不機嫌な空気に飲まれ、恐れ戦いていると言った方が正しい。
悟空はそれを横目に見ながら、まだしばらく遊んで貰えないな、と小さく溜息を吐いた。
しかし、悟空の予想に反して、三蔵は筆を置いた。
カタン、と固い木の音を聞いた悟空が顔を上げると、三蔵は目を閉じて椅子に寄り掛かっている。
悟空は落書き帳を床に置いて、恐る恐る、三蔵に近付いた。
「さんぞ、仕事」
「終わってねぇよ」
言い終わる前に返されて、だよなあ、と悟空は唇を尖らせる。
とは言え、今の所、三蔵は執務を再開させるつもりもないようで、煙草を取り出して火をつけている。
一服する時間くらいは、構って貰えるかもしれない、と悟空は考え直した。
「なあ、三蔵。今日って、ウソついて良い日なんだって。知ってた?」
「ああ……四月馬鹿か」
「しがつばか?」
「何処の国が発祥だか知らんが、四月一日はエイプリルフールっつって、嘘を吐いて良い日って言われてる。そのエイプリルフールを訳すと、“四月馬鹿”」
ふーん、と悟空は机に顎を乗せて漏らす。
「変な日だな」
「そうだな」
ふ、と紫煙が吐き出されて、ゆらゆらと浮かんで消える。
そのまま、しばらく部屋の中は沈黙して─────ふ、と悟空は思った事を口にする。
「なあ、三蔵。そのエイプリルなんとかって、誰でも嘘吐いて良いの?」
「一応な」
「オレも?三蔵も?」
悟空の問いに、三蔵はまた煙を燻らせて頷いてやる。
嘘を吐いて良い人間と、吐いてはいけない人間がいる、と言う事はない。
ただし、嘘の内容に程度は弁えるべき。
三蔵のその言葉を聞いて、ふぅん、と悟空は呟いた後で、
「じゃあ三蔵が腹痛になったってウソでも良いの?」
「………はあ?」
片眉を上げて顔を顰める三蔵に、悟空はやっぱ駄目か、と机に俯せる。
腹痛でも、頭痛でも、理由は何でも良い。
嘘が許される日なら、嘘でも良いから三蔵が仕事を休みになってしまえば、少しは構って貰えるかと思った。
しかし現実はそんなに簡単なものではない。
大体、腹痛だの頭痛だの、そんな理由で仕事を休める程、三蔵は自由な立場ではないのだ。
今こうして雑談しているのも、単なる小休止の間の事なのだし。
「………ふん」
じゅ、と三蔵の煙草が灰皿へと押し付けられる。
仕事再開だ。
─────と、悟空は思ったのだが、
「……あれ?さんぞ?」
執務椅子から腰を上げて、隣の寝室へ向かう三蔵を見て、悟空は首を傾げた。
三蔵はそれに答えないまま、寝室へ入って行く。
悟空は床に投げていた落書き帳とクレヨンを拾って、三蔵を追い駆ける。
寝室を覗いてみると、三蔵は法衣を脱いで、ベッドに横になっていた。
「三蔵、どうかしたの?」
駆け寄ってベッドに登り、三蔵の顔を覗き込む。
すると三蔵は、目を閉じたまま、覗き込んでいる悟空の襟首を掴んで、ベッドに引き倒した。
「わぷっ!」
「煩い。寝てろ」
「だって三蔵、仕事」
「腹痛なんだ。やってられるか」
周囲の雑音を遮断するように俯せて呟いた三蔵に、え、と悟空はぱちりと瞬き一つ。
三蔵は、悟空を抱き枕のように抱えたまま、動かなくなった。
抱えられたままで保護者の顔を覗き込めば、目を閉じていて、完全に寝る姿勢。
「……三蔵、腹痛ぇの?」
問いかけに返事はない。
しばらくして、聞こえて来る呼吸が寝息に変わったのが分かった。
小さな世界の、小さなウソは、壊されるほど大きくはない。
開け放たれた窓から、柔らかな風が吹いていた。
うちの三蔵様って仕事サボってばっかな気がする。