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2020年08月
去年から、バッツはスコールと同棲を始めた。
幼馴染から恋人同士に関係が変化してから、間もなくの事である。
同棲に至る切っ掛けは、スコールが高校生になると同時に、実家を出て一人暮らしをしたい、と言い始めた事だ。
目指したのは“独り暮らし”の筈なのに、どうしてバッツと“同棲”する事になったのかは、彼の父の過保護が理由の一つにある。
幼い頃、スコールは病気勝ちで、保育園を度々休み、小学校に上がってからも、学校行事の時に折り悪く体調を崩してしまう事が多かった。
元々気が弱い性格であった事や、母を早くに亡くしてしまった事も手伝い、年々内向的になって行っていたと言っても良い。
この為、唯一の肉親である父に対しての依存も大きくならざるを得ず、父もまた息子に対して何かと過剰な程に心配するのが常になっていた。
中学生になると、少しずつ体付きも丈夫さも周囲に追い付いて来るようになったスコールだが、父ラグナにとっては、幼年期に何度も熱を出しては譫言に父を呼んだ息子の姿が、今も忘れられないのだろう。
今でも時折、疲れを溜め込むと熱を出し、二日三日と寝込んでしまう事もあるスコールだ。
息子を愛するが故に、スコールを一人送り出す事に、父はどうしても同意できなかった。
それがスコールの成長の一つであり、いつまでも自分が傍にいられる訳ではないと言う、現実があるのだとしても。
だから、幼馴染であり、昔から何かとスコールの面倒を見ていたバッツに白羽の矢が立った。
スコールが合格した高校は、バッツが一人暮らしをしているアパートから程近い場所にある。
幼い頃から世話になっている病院も、電車で二駅、タクシーで行っても直ぐの距離。
何より、スコールが一人になる事に不安を拭えないラグナにとって、互いによく知る人物が傍にいると言う事が大きかった。
バッツならスコールの事情を理解しているし、スコールが寝込んでも看病できるし、いざとなればラグナに連絡する事も可能だ。
彼と同居するなら実家を出ても良い、と精一杯の譲歩で、成長した息子の意思を汲もうとする父に、折れない過保護ぶりにスコールは拗ねた顔をしていたが、それでも一つ自分の枠を飛び越える事には変わりない。
何より、一緒にいるのがバッツなら、と言う想いもあった。
こうしてスコールはバッツと一つ屋根の下で暮らす事になった。
案の定、初めのうちは、一人暮らしと高校生活と言う環境の変化で体調を崩し勝ちで、ラグナの心配が当たったなと苦笑いするバッツに、スコールは返す言葉がない。
しかし、一年も経てば生活環境には慣れて行くもので、スコールが頻繁に寝込む事もなくなった。
高校の友達を家に連れて来る事も増え、バッツの交友関係の中にも紹介され、スコールの世界はどんどん広がって行く。
だが、そんな生活をしていても、スコールの世界の中心にいる人物は変わらない。
その事にバッツはこっそりと喜びを感じていた。
土曜日の工事現場のアルバイトを終えて帰って来ると、スコールが夕飯を作っていた。
父子二人暮らしで、何かとおっちょこちょいな父親に代わって、早い内から家事を引き受けていた事もあり、スコールは中々料理が上手い。
本人はレシピに則っただけだとか、そんなに手の込んだものはしていない、あんたの方が上手いだろうと言うけれど、バッツはスコールの料理以上に美味い食べ物を知らない。
恋人の愛情たっぷりの手作り料理なんて、この世で一番美味いに決まっているのだから。
帰宅の挨拶もそこそこに、じゃれたがるバッツに席に着くように言って、スコールはフライパンで炒めていた肉野菜炒めを皿に盛る。
土方の仕事はスタミナを消費するから、胃袋は空っぽで鳴りっぱなしだ。
頂きます、と挨拶を終えると、バッツはすぐさま肉野菜炒めに齧り付き、リスのように頬袋を膨らませて舌鼓を打った。
「美味い!やっぱりスコールの作ってくれたご飯は良いなあ」
「大袈裟だろ……」
褒めちぎるバッツに呆れながら、スコールも自分の分に手を付ける。
皿に盛られた諸々の料理は、バッツに装ったものに比べると、どれも半分程度しかなかった。
バッツが大食漢なのか、スコールが小食なのか、友人が見れば両方だろうと言っただろう。
それだけ量に差があっても、食べ終わる時にはいつも同時だ。
スコールは食べるのがのんびりだなあ、とバッツが言うと、あんたが早過ぎるんだと返って来る。
これについては、どっちかと言えばスコールが正しい、と言ったのは共通の友人であるジタンだったか。
夕飯を終えて、バッツが膨らんだ腹を撫でていると、スコールがコーヒーを淹れ始める。
父親の影響でコーヒー党になったらしいスコールは、実家にいる頃から、夕飯後にはコーヒーを飲む習慣が出来ていた。
元々は母が食後に父の為に淹れていたのが始まりで、受け継ぐようにスコールが父にコーヒーを淹れるようになった。
中学生の頃からスコールもコーヒーを嗜むようになり、自分の分も淹れるようになって、今に至る。
二杯分のコーヒーがソーサーに注がれ、砂糖とミルクを一杯ずつ入れた方がバッツの前に置かれた。
「ありがと」
「……ん」
短い返事をして、スコールは自分のコーヒーを持って席へ戻る。
バッツはふーふーと息をかけて少し冷ましてから、コーヒーに口を付けた。
香ばしい香りと少しの酸味が舌を滑り、苦味はミルクのお陰でまろやかな口当たり。
「はー……」
零れた吐息は、安堵と安らぎ。
今日も一日しっかり働き、家に帰れば愛しい人が待っていて、その人が淹れてくれたコーヒーをのんびりと傾ける事が出来る幸せを、バッツはしっかりと噛み締める。
カリ、と小さな砕く音がして、スコールを見てみると、食卓テーブルの端に置いていたクッキーを齧っていた。
陶器のシュガーポットをお菓子入れにして常備されているそれは、食後の一服のアテだ。
バッツも一個貰おうと手を伸ばすと、スコールが取り易いようにとシュガーポットを寄せてくれる。
しばらくのんびりと過ごしていると、スコールの携帯電話が着信音を鳴らす。
腕を伸ばして携帯電話を取り、液晶画面を確認して、
「……ティーダ」
「お。明日遊ぼうって?」
「…そんな所だ」
「ティーダはスコール大好きだな~」
発信主はスコールの同級生。
余り交友関係と言うものに積極的ではないスコールに、あちら側からよく接触してくれるクラスメイト。
バッツも何度か会った事があり、明るくノリが良くて良い奴、と覚えている。
そんなティーダは毎日のようにアクティブなタイプで、休日はよく外出に繰り出していた。
しかし一人で遊ぶのは寂しいからと、友達に連絡を取って、一緒に行こう、と誘ってくる。
スコールもそんなティーダを悪く思う事はなく、特に決まった予定がなければ、行ってやっても良い、と言う返事をするのが常だった。
が、今日のスコールは直ぐに返事を打つことはせず、じっと黙って液晶画面を見ている。
返事を迷っている時の表情だと、バッツは直ぐに気付いた。
「どした?行かないのか?」
「………」
バッツが訊ねてみると、蒼灰色の瞳がちらりと此方を見遣る。
じい、と見つめる瞳が何か物言いたげに見えて、バッツは「ん?」と首を傾げて促してみた。
スコールはやはり迷うように視線を彷徨わせた後で、
「…あんた、明日、休みなんだろ」
「ああ、うん。バイトは入れてないな」
「……だから……」
どうしようかと思って───と言うスコール。
「……」
「良いよ、ティーダと遊んできても。折角の日曜日だろ?」
「………」
悩むスコールの背を押すつもりでバッツが言うと、む、と眉間に深い皺が刻まれる。
唇を尖らせ、判り易く拗ねた顔がバッツを睨み、
「あんたが日曜日に家にいるなんて、久しぶりだろ……」
心持ち小さな声で、スコールはそう言った。
普段のバッツのスケジュールは、学業と睡眠時間以外はアルバイトで埋まっている事が多い。
学費に家賃に生活費にと、自分の手で賄わなくてはならないからだ。
家賃については、スコールとの同居を始めるに辺り、父親が半分出してくれるようになったので少し楽になったが、学費と生活費の負担は変わらない。
ラグナは必要なら構わないと言ってはくれたが、これは他人に甘えるものじゃないと、バッツが決めて線引きしたものだ。
そう言う訳で、どうしてもバッツの生活というものは、アルバイトを中心として回る事になるのである。
複数のアルバイトを掛け持ちしている為、バッツの完全な休日と言うのは非常に稀である。
明日はシフトの都合で偶々空いた休日で、バッツが意図して空けたものではなかった。
月に一度はそう言う休みが出て来るものだが、それが日曜日、スコールも学校に行く必要がない休日と合致したと言うのが、更に希少価値を高めていた。
だからスコールは、友達からの誘いに、なんと答えたものかと迷っているのだ。
ティーダと遊ぶのも決して嫌いではないけれど、バッツと一日のんびり過ごせる日は、次はいつあるかと言う話だから。
「……明日は、昼にあんたの好きなものでも作ろうかと」
「そうなのか?」
「……あんたがいらないなら、別に、遊びに行くけど…」
食い付いて身を乗り出したバッツに、スコールが拗ねた顔でそんな事を言ってくれるから、バッツは「待って待って!」と引き留める。
もうテーブル一枚の距離がもどかしくて、バッツは席を立った。
がちゃんと空になったソーサーが音を立てるのも構わずテーブルを周って、座っているスコールに抱き着く。
「やだ、行かないでくれよ、スコール」
「行っても良いんだろ。さっきそう言った」
「それなし!おれもスコールと一緒に過ごしたい。スコールが作ってくれるもの食べたい」
追い縋るように甘えて寄り掛かるバッツに、スコールは重みに眉根を寄せる。
が、振り払う事はせず、どうしてやろうか、と言いたげな目が向けられるばかり。
バッツはそれを真っ直ぐ見返しながら、お願い、と言ってやった。
スコールはしばらくバッツの顔を見詰めた後で、やれやれと溜息を吐いて携帯電話に向き直る。
打ち込む文章をバッツが覗き込もうとした時には、スコールは送信ボタンを押し、液晶をスリープモードにしてしまう。
「え、え。どっち?スコール。行っちゃうのか?」
「……行かない。行ったらあんた、後で煩そうだし」
「煩くなんてしないよ。でも嬉しい。ありがとうな!」
ぎゅう、と思い切り抱き締められて、スコールの眉間の皺が深くなる。
しかしこれも振り払う事はなく、少々遣り辛そうに、コーヒーを口へと運んだ。
その頬がほんのりと赤らんでいるのを見て、バッツは想いのままに、柔らかな頬に唇を押し付ける。
「───バッ……!」
「へへ。可愛いなあ、スコールは」
「バカな事言ってないで離れろ!暑い!」
「もうちょっと良いだろ~?」
椅子に座っているスコールの肩に、バッツは覆い被さるように体重を乗せた。
暑い、重い、と抗議の声が聞こえるが、押し離そうとはしないスコールに、バッツは彼からの愛情を感じていた。
そう思うと益々腕の中の恋人が愛しく思えて、今度は額にキスをする。
ちゅ、ちゅ、と何度も触れては離れてキスの雨を降らせると、スコールは何とも言えない面持ちで、ぎゅうと目を瞑ってバッツの愛を受け止める。
どうにもむず痒そうなその眉間にはくっきりと縦皺が浮かんでいたが、
「バッツ、ちょっ……」
「んー?」
「あんた、しつこい……!」
「だってスコールと一日一緒にいられるのって久しぶりだからさ。嬉しくて」
「…行けば良いって言った癖に」
「言ったけどさぁ。だっておれ、結構好きにさせて貰ってるから、スコールも気にせず好きにして良いんだぞ~って気持ちで」
元々一人暮らしだったバッツだが、スコールと同棲生活が始まってからも、その生活サイクルに大きな変化は起きていない。
それはスコールが、自分が転がり込ませて貰った身であるからと、生活リズムを専らバッツの方に合わせてくれているからだ。
寝起きは弱い性質なのに、早朝のアルバイトがあるバッツの為に、それより早く起きて食事の支度をする。
夕方から夜のアルバイトがある日には、バッツが帰宅する時間に合わせて、夕食を作って揃えておく。
幾ら元々はバッツの家だったからとは言え、其処までしなくても良いのに、とバッツは思うのだが、スコールはスコールでそうしている方が気を遣い過ぎなくて楽らしい。
とは言え、スコールは学生だ。
勉強やテストがあるように、学校でのクラスメイトとの付き合いも大事である。
ティーダや他の友人たちから、遊ぼうと言う誘いのメールが届くのは、どうでも良い事のように見えて、案外大事な事なのだ。
バッツもそれをよく知っているし、自分は(主にアルバイトの時間の事だが)やりたいようにやらせて貰っているから、スコールにもそう言う時間を大事にして欲しいと思う。
バッツがそう言うと、スコールはまた少し拗ねた顔をして、
「……自分の好きなようには、してる。だから、誘いは断った」
友人の誘いは、決して無碍にするものではないし、するつもりもない。
ただそれよりも、バッツと一緒にいたいのだと、恥ずかしそうに揺れる蒼の瞳がそう言ったのを、バッツは確かにその目で聞いた。
ああもう、とバッツの胸が充足感で膨らんで、破裂しそうな気分だった。
ぱんぱんの風船のように大きくなったその心から、愛しさが一気に噴き出してしまいそうだ。
「スコールー!」
「うるさ、んむっ!?」
感極まって大きな声で名を呼ぶバッツに、近所迷惑だと叱ろうとしたスコールの唇が塞がれる。
喜色満面の笑顔を間近に見て、だから大袈裟なんだとスコールは呆れるのだった。
『長年一緒にいて「ああ、やっぱ好きだなあ」と思う瞬間のバツスコ』のリクエストを頂きました。
スコールの優先順位の一番は、今も昔もずっとバッツ。
それを実感する度に嬉しくて好きで好きで堪らないバッツでした。
※R-15
激しい戦闘の後と言うものは、昂ぶりが収まらない事も多い。
それは種の存続を求める生き物の本能として、幾何かはどうしようもない事だった。
戦場では常に命の危機が付きまとい、特に戦闘行為はそれと真っ向からぶつかっている為、より一層動物の本能が剥き出しになる。
その残滓を処理する為に、しばしの手間を取るのも、致し方のない事であった。
しかし、拠点である秩序の聖域の屋敷に戻れる時ならともかく、野営でそれを行う事は難しい。
単独行動なら周囲の警戒は怠れずとも、事務的に済ませてしまう事が可能だが、今日は複数人での団体行動である。
凶暴な魔狼の群れに襲われた時は、単独行動ではなかったお陰で無事に撃退させる事が出来たのだが、終わった後の事がスコールにとってはネックだった。
隙あらば腕だろうが足だろうが、頭だろうがもぎ千切ろうとする魔狼を退けてから、数時間。
未だスコールの躰はその時の名残を宿し、休息する筈の時間を無為に浪費する羽目になっていた。
(……くそ……)
眠れない事に毒づいても、睡魔は一向にやって来ない。
背中に感じる気配がある事が、余計にスコールを落ち着かない気分にさせていた。
二人が入って寝転べば、それだけで一杯になってしまう小さなテント。
スコールと共にそれを使っているのは、クラウドだった。
外で雑談をしているティーダやジタンに比べ、寝相も悪くない、同衾する人間としては静かで良い───のだが、今のスコールにとって、其処にいるのが誰であれ、自分以外の他人がいる事が問題なのだ。
眠ってしまえば気にならなくなる筈のものだが、眠れないと益々気になって、余計に眠り難くなる。
無心になるのが一番、と言う理屈はあっても、それが出来ないから苦労しているのだと、本末転倒な事を思う。
───では、今ここで?
外で処理しないのなら、そう言う選択になってしまう。
(……外に行くか)
少なくとも、此処でまんじりともしない時間を過ごしているよりは良い。
済ませるだけをさっさと済ませれば、戻って眠るだけで済む。
ちらりと背後の眠る男に目を遣る。
静かな彼は、寝息も酷く薄い程度にしか聞こえず、野営の時には寝返りも殆ど打たない。
スコール同様、兵士として下積みを積んでいたと言うから、こういった環境では休む時でも全身でリラックスと言う風にはならないのだろう。
となると、スコールが起きた事に伴って、彼を起こしてしまう可能性もあるが、
(……まあ、良いか。クラウドだし…)
クラウドは必要以上に他者の領域に踏み込まない。
頑なに他人との交流を拒絶している訳ではなかったが、それも相手を見極めているようで、気安い相手とそうでない者とで、距離の取り方を変えている。
スコールに対しては一歩引いた距離を保っており、物理的にも精神的にも、それ程近付いては来なかった。
スコールの機嫌が悪い時には、当たり障りのない会話で少し様子を確かめた後、何かあれば言え、とだけ言って離れて行くので、スコールは気が楽だった。
だからと言って、こんな環境で、この距離で───とは思うのだが、このままだと朝まで眠れそうにない。
ひょっとしたら何処かで寝落ちるかも知れないが、今現在、そう言う気配もないのがスコールにはストレスだった。
目を閉じても妙に苛々する気がするし、せめてその波位は抑えないと、休めるものも休めない。
スコールは起き上がってテントを出た。
眠ったとばかり思っていたのだろう、見張りのジタンとティーダが顔を上げ、
「どした?スコール」
「…少し見回りして来る」
「一人で平気か?」
「問題ない」
ついて行こうか、と言い出しそうな二人を、スコールは先に制した。
見張りに飽きつつあるのか、どちらも残念そうな顔をしたが、「いってらっしゃーい」とスコールを見送る。
あまり野営地を離れるのも良くないと、スコールは焚火の灯りが臨める程度の距離で足を停めた。
距離にして数十メートル、茂みを壁代わりにして身を隠す。
一応、辺りの気配を気にしながら、スコールはそろそろと右手を下ろす。
申し訳程度の温もりの為に被っている毛布の中で、自身に少しだけ触れてみた。
案の定、と言う感触がして、やっぱりこのままでは眠れない、とひっそりと溜息を吐く。
(……直ぐ終わらせよう)
男の体なんて、馬鹿正直に出来ている。
こんな環境でもこうなる訳だから、強引にでも出してしまえば少しは落ち着いてくれる。
そもそもこうならなければ、こんな事をする必要もないのだが、と不毛な事を思いながら、スコールはベルトのバックルを外した。
金属の鳴る小さな音すら警戒して、ゆっくり、そっと外したから、いやに時間がかかってしまったが、それでもどうにか前を緩める事には成功する。
息を殺し、口を開かないように力を入れて噤んで、自身を刺激する。
落ち着かない環境と気分がそうさせるのか、どうにも手付きは乱雑だったが、それも無理はない。
(早く済ませよう)
スコールの気持ちはそれしかない。
とにかく、済ませるものを済ませて、休む体勢に戻りたい。
色々と気を散らせるものがあるのはどうしようもないから、出来るだけ何も考えなくて良いように、スコールは目を閉じた。
追う感覚だけに意識を集中させて、けれど口はぐっと噛む。
緊張感が抜けない体は強張るばかりであったが、それでも体は徐々に熱を高めていく。
唇を解けば、上がった息が零れそうだった。
額に汗が滲むのは、体の熱の所為なのか、それよりも焦りの表れのように思えてならない。
(ん…、っく……!)
急く気持ちを抑えるように努めるが、急げと意識する程、体が感じるものは鈍くなって行く。
手の中のものは少しずつ育っているのが判るが、それから先に行かない。
(もう…少し…、強く……)
自身を握る手に力を入れて、動きを早めてみる。
ひくひくと震えそうになる体を強引に御しながら、ちらりと肩越しに後ろを見る。
辺りは静かなもので、遠くにある焚火の光以外は、何も見えない。
しばらくその明かりを観察し、人が来る気配もないと判って、ほうっと詰めていた息を吐く。
ゆっくりと動かす手を再開させると、緊張感が妙な神経を刺激したのか、さっきよりも敏感になっている。
これなら、とスコールは早い内に済ませようと、より強い刺激を与えようと試みる。
(は…ふ…っ、はぁ……っ、は……っ!)
声を上げる訳にはいかないから、口は噤んで呼吸も抑える。
しかし、鼻息が荒くなって行くのは隠せなかった。
せめて少しでも隠そうと、空いている手で鼻口を覆う。
下肢が俄かに汗を滲ませ、自身が張り詰めて行くのが判った。
それなら後少し、もう少しだと言い聞かせて、スコールは早くこの苦しい時間が終わるように祈りながら、意識を集中していたのだが、
(ふ…ん…っ、ん────)
ぞくぞくとした感覚に、上り詰められそうだと思った瞬間。
さく、と土を踏む音があった事に気付かなかったのが、スコールにとって失敗だった。
「スコール」
「!!」
呼ぶ声を聞いて、びくん、と露骨にスコールの躰が跳ねる。
混乱極まった意識の中で、スコールの躰は彼自身の手の中ではっきりと身を起こしている。
そろそろとスコールが顔を上げると、木の影から半身を覗かせているクラウドがいた。
「何をしていているのかと思っていたが」
「……っ」
「…大変そうだな」
そう言った男の顔が、薄く笑みを梳いているように見えたのは、スコールの思い込みだろうか。
クラウドの視線は、スコールの右手に向かっている。
緩めた其処で右手が何をしているのか、男なら判らない筈がないだろう。
スコールは思わず膝を寄せて体を丸め、自身の有様を隠そうとしたが、既に遅い。
「スコール」
「……!」
名前を呼ばれても、どんな反応をすれば良いのか判らなくて、スコールは顔を背けた。
クラウドはそんなスコールの前に膝を折り、同じ目線の高さになる。
どうしてそんな事を、早く何処かに行ってくれと願うスコールの胸中をすっかり無視して、クラウドは顔を近付けてくる。
「…手伝ってやろうか?」
(は?)
「その方が直ぐに済むだろう」
(な、あ、)
この男は何を言っているのか。
スコールが混乱極まっている間に、クラウドの手が足の間に滑り込んできた。
慌てたスコールが膝に力を入れて侵入を阻もうとするが、既に遅く、スコールの太腿はクラウドの手首を挟むだけ。
そのままクラウドの手はスコールの右手に重なって、顔を出している先端に指が宛がわれ、
「っん……!」
「静かに」
聞こえるぞ、と耳元で囁かれ、スコールは口を噤んだ。
自分の右手がクラウドの手で強引に動かされて、びくびくと体が跳ねる。
こんな状況でも感じてしまう躰が酷く浅ましく思えて、涙が滲んだ。
それを生温いものが掬い取るように撫でて行き、クラウドの左手がくしゃりと濃茶色の髪を撫でる。
宥めているつもりなのだろうが、スコールには子供扱いにしか思えなかったし、何よりこんな状態で───剰えクラウドの手でされているのに、その当人に慰められても、どうしようもない。
どうして最初に見付かった時にさっさと逃げ出さなかったのかと、悔やむ思考は現実逃避の表れだ。
そうでもしないと、この状況に対して、涙が出るのを抑えられなかった。
ぞくぞくとしたものが背中を駆けのぼり、程無くスコールの熱が吐き出される。
押し殺した声が喉の奥で塊になっている気がして、スコールの躰は強張りから戻れなかった。
その一方で、クラウドはそんな少年の姿をじっと見つめ、
「まだきつそうだな」
「……っは…、は……っ、」
「……スコール」
名を呼ぶ声に、スコールはゆるゆると目を開けた。
酷く近い位置に変わった虹彩を宿した碧眼があって、其処に熱っぽいものが滲んでいるのを見付ける。
変な顔だ、とどうして彼がそんな表情をしているのかと、まとまらない頭で思った。
『野外でオナ○ーしてたら、クラウドに見られてしまって、色々いじわるされちゃうクラスコ(クラウドの片思い)』のリクエストを頂きました。
クラウドはスコールが落ち着かない様子だった事には気付いていて、テントを出て行ったので気になったので追って来た。
そうしたら自分でしている所を見てしまって、どうしようか迷ったけど、我慢できなくなって手を出してしまったの図。
そんな流れから始まるいつか両想いになる(予定)クラスコ。
シェアハウスの管理人をしている人物───コスモスから、懸賞に当たったのでどうぞ、と団体旅行のチケットが贈られた。
半分が学生と言うコスモス荘の面々がこれに喜ばない筈もなく、折角だから皆で行こう、と言う話になった。
チケットによれば十名までは大丈夫との事なので、夏休みに入っていた学生たちは勿論、社会人組も休暇を取って行く事となる。
旅行先は有名なリゾート地で、海が間近に臨め、ホテルの敷地から直接ビーチに下りる事が出来る。
こうした好立地に学生の多くは遠慮なくはしゃぎ、到着早々、海に行こうと言う流れになった。
それぞれの泊まる部屋を確認し、荷物を置いた後、一部のメンバーは早速ビーチへ。
白浜で元気にはしゃぐ面々の為、他のメンバーは昼食を用意してから海へ向かう。
午前中にシェアハウスを出発してから、それなりに長い時間が移動に宛てられた。
それでも元気な者は元気で、その筆頭がティーダである。
文字通り、水を得た魚のように海で泳ぐ彼に付き合うのは、共に生活するうちにすっかり世話焼きが染み付いたフリオニールだった。
あの岩まで競争しよう、と言うティーダに強請られて、二回三回と浜と岩場を往復遊泳する。
水球部に所属しているティーダに、負けてなるかと気合を入れたフリオニールは、中々良い勝負を見せつけた。
───が、元々水に慣れ親しむ時間を長く持っていないフリオニールとティーダでは、泳ぐ事への疲労の蓄積具合が違う。
段々とフリオニールが疲れて行くにつれ、当然タイムも落ちて行き、
「───っはー!俺の勝ちぃ!」
「はー、はーっ……、ふぅ、はぁー……っ」
ゴールの目印役を引き受けてくれたジタンとバッツにそれぞれタッチして、水面から顔を上げる。
判り易い差で先着を決めたティーダがガッツポーズをしている隣で、フリオニールは息を切らせながら目元に張り付く前髪を掻き揚げた。
「よーし、もっかい行くっスか!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ティーダ。流石に限界だ」
活き活きとして何度目かの再戦を提案するティーダに、フリオニールは待ったをかけた。
「悪いな、また競争するなら、他の誰かと頼む」
「ちぇーっ。ま、良いか。付き合ってくれてサンキュな、フリオ!」
「ああ。俺は少し休むけど、明日にでもまた競争しよう」
「おう!」
元気な返事をしてくれるティーダに手を振って、フリオニールは浜へと向かって泳ぎ出す。
ほんの数メートルを進めばすぐに足が届くようになり、疲れた腕の代わりに、これもまた重みの増した足を動かして、ゆっくりと浅い海底を歩いた。
浜へ上がった所で、お疲れ様、と声をかけられた。
見れば、ビーチボールを持ったティナとルーネスだ。
おーい、と海の向こうに声をかける二人は、どうやらティナの初めてのビーチバレーがしたいらしい。
浜に上がってきたティーダ、バッツ、ジタンを交えて、チーム決めのじゃんけんが始まった。
遊泳客で溢れた浜をきょろきょろと見回したフリオニールは、荷物置き場にしていたヤシの木の下に座っているセシルとウォーリアの姿を見付ける。
フリオニールが滴る雫を拭いながら其方へ向かうと、セシルもフリオニールを見付けて、用意したタオルを差し出す。
「お疲れ様、フリオニール。はい、タオル」
「ありがとう」
「水も飲んで置いた方が良い」
そう言ってウォーリアが水筒の水をコップに入れて差し出した。
ありがとう、ともう一度言ってコップを受け取ったフリオニールは、一息に中身を飲み干す。
タオルで髪を拭きながら、フリオニールはきょろきょろと首を巡らせた。
ティーダに急かされ、海へと繰り出す前に、荷物番をしているから行ってこい、と言った少年の姿が見当たらない。
成人組が来たので問題ないと思って離れたのか、それにしても何処に行ったんだろう、と思っていると、セシルがくすりと笑みを零して言った。
「スコールは散歩に行ったよ」
「えっ」
「探してたんだろう?」
「い、いや、」
何も言っていないのに、誰を探していたのかバレてしまった事に、フリオニールは顔を赤らめる。
あわあわと口を濁すフリオニールの後ろで、さくさくと砂を踏む音が聞こえ、振り帰ってみれば、金色の鶏冠頭───クラウドが両手に缶ジュースの入ったビニール袋を持って到着した所だった。
「お帰り、クラウド」
「ただいま。フリオニールは上がったのか、お疲れだな」
「はは……」
「ねえクラウド、スコールを見なかったかな。フリオニールが探してるんだ」
「え、さ、探してるって程じゃ。ただ、何処に行ったのかと思って」
「ああ、スコールなら向こうの磯の方に向かうのを見たぞ」
「だってさ」
セシルが促すように言って、更にクラウドが「あっちだ」と浜の向こうを指差す。
そんな二人にフリオニールが何度も首を巡らせた後、何とはなしに見守る姿勢を貫くウォーリアを見れば、うむ、と大きく頷かれた。
それが「行ってくると良い」と言っているように聞こえたのは、フリオニールの思い込みではないだろう。
なんとなく、行った方が良いような気がして、フリオニールはその場を後にした。
あれよあれよと流されて行った節もないではないが、しかし姿が見えない彼の事が気になったのも確か。
と言うのも、彼───スコールは人混みが好きではないから、遊泳客でごった返した浜海と言うのは落ち着かないものだっただろう。
ティーダに強請られる形で海岸行は受け入れたものの、遊ぼうと言う言葉はきっぱりと断り、荷物番をしていると言った。
それから大人組が来たので場を譲り、恐らくはセシルかクラウド辺りにも好きに過ごして来いと言われ、人気のない場所を探しに行ったのではないだろう。
海岸に沿って伸びている道を進んで行くうち、段々と人の気配は少なくなって行く。
遊びたい者は皆、ホテルから近い場所で楽しんでいるようで、行く道に擦れ違うのは海岸の散歩をのんびりと楽しむ人々ばかりだ。
その内に耳に届くのは白波の寄せて返す音だけになり、こう言う所ならスコールがいそうだと、辺りを回していると、
(────いた)
スコールはクラウドの言った通り、切り立った崖下の磯に立っていた。
風に揺れる濃茶色の髪と、オーバーサイズの白いパーカー、涼し気な水色のハーフパンツと、滅多に見ない開放的な格好。
崖の上に生えたヤシの木が傾いて、スコールのいる場所は木陰になっている。
緩やかな波と共に吹く冷たい潮風と合わせて、夏の陽射しが苦手なスコールには、良い休息所になっているのだろう。
フリオニールは濡れた足が岩を滑らないように気を付けながら、スコールの元へと向かう。
人の気配に気付いたか、濃茶色の髪が振り返って、駆け寄る青年を見付けた。
「フリオ、」
「スコール!」
名を呼ぶスコールに、フリオニールも名を呼んで返す。
直ぐ傍まで辿り着いて、フリオニールは岩場を跳ねて弾んだ息を整えながら、少し低い位置にある蒼を見下ろした。
「荷物の所にいなかったから、何処に行ったのかと思った。此処は静かで良いな」
「……ん」
笑いかけるフリオニールの言葉に、スコールは小さく頷いて、海岸線へと目を向ける。
遠くに走る遊覧船が通り過ぎていくのを、海の底とよく似た色の瞳が、ゆっくりと追い駆けていた。
なんとなくスコールの見ているものを追って、フリオニールも海へと向き直る。
まだ髪から雫になって落ちる海水を、肩に乗せたままのタオルで拭っていると、スコールが海を見ながら言った。
「ティーダの相手は、もう良いのか」
「ああ。今頃は多分、ジタン達も一緒になって、ビーチバレーでもしてるよ」
「……そう言えば、ティナがしたいって言ってたな。あんたは良かったのか」
「俺はちょっと、疲れてしまって。流石にあんなに泳ぐとなぁ」
「…まあ、そうだろうな」
スコールの言葉に、見られてたか、とフリオニールは苦笑する。
回数を重ねる毎に、体が温まってスピードを上げて行くティーダに対し、フリオニールは純粋に疲労が重なって行った。
段々と差が開いて行く様も見られていたと思うと、少し恥ずかしいな、とフリオニールは頬を掻く。
───と、つん、と何かがフリオニールの左手を掠めた。
何かと思って目線だけで其方を見遣ると、もう一度、つん、と言う触感と共に、スコールの右手の指先が触れている。
「……ス、」
「……」
名前を呼びかけて、ゆるりと向けられた蒼灰色に捕らわれて、言葉を失う。
じっと此方を見上げる瞳には、何処か拗ねたような気配があって、唇は物言いたげに尖っていた。
吸い込まれたように蒼を見詰めていると、すり、とスコールの身体が寄せられる。
触れていた手に指が絡むように重ねられて、フリオニールが恐る恐るとその手を握れば、嬉しそうに握り返される。
タオルの乗った肩に、こつんとスコールの額が乗せられ、猫がじゃれるようにぐりぐりと押しつけられた。
「……あんた、冷たい」
「そ、れは、まあ、泳いでたから…」
「……うん」
そうだな、と言って、スコールはそれきり黙ってしまった。
敷き詰められた岩の隙間を滑るように、打ち寄せた波の音が静かに響く。
数分前には絶えず聞こえていた、海辺ではしゃぐ人々の声は聞こえない。
一緒に遊びに来たシェアハウスの仲間の気配もなく、岩壁に隠されたこの磯場は、まるで密やかな逢瀬の為に用意されたかのようだった。
そう思うと俄かにフリオニールは緊張して、じっと寄り添う恋人の存在を意識せずにはいられない。
どうしよう、何か言った方が良いだろうか。
急に沈黙がぎこちなくなったような気になって、そんな事を考える。
でもスコールは静かな方が好きだから、このまま黙っていた方が、と思っていると、
「……フリオ」
「な、んだ?」
呼ぶ声に我に返って、フリオニールは佇む恋人を見た。
と、此方をじっと見上げる蒼灰色とぶつかって、どくん、とフリオニールの心臓が跳ねる。
フリオニールと違って海に入った訳ではないから、スコールの体は濡れてはいない。
しかし、上がる気温と散歩中に陽光に当てられた所為か、白い肌はほんのりと赤らんで汗を掻いている。
オーバーサイズのパーカーは前が開けられており、薄い胸元が大胆に曝け出されていた。
普段、厚着と言う程でなくとも、あまり肌を晒さないスコールにしては、今日は開放的な格好をしている。
だからだろうか、フリオニールは今のスコールが酷く無防備に思えてならない。
ごくり、と喉が鳴ったのは無意識だった。
フリオニールの喉元を伝い落ちた雫は、海水なのか、汗なのか、自身では判然としない。
そんな自分を自覚しながら、フリオニールは小さな声で言った。
「……ええ、と。……ホテルに、戻る…か…?」
陰になっているとは言え、海の傍でも、暑いものは暑い。
快適な場所の方が良いだろうと訊ねてみると、スコールは小さく首を横に振った。
「……此処で良い」
“此処が”良い。
フリオニールにはそう聞こえた。
戻ればその途中で誰かと合流するだろうから、それを厭ったのか。
それとも、帰る為の道程がもどかしかったのか。
どちらにせよ話は同じ事で、フリオニールはもう戻ろうとは考えなくなった。
そっと重ねた唇の潮の味を、スコールはじっと受け止めたのだった。
『夏めいたフリスコ』のリクエストを頂きました。
夏と言えば海。
海と言えば人目から隠れていちゃいちゃ。
まだ一日目だから一回だけで終わります。多分。多分。
家から車で一時間弱の距離を走った所に、森林公園がある。
一家が其処に行くのは、頻度としては半年に一度、あるかないかと言う所。
そう言う場所へのお出かけと言うのは、まだ幼い子供達にとって、ちょっとしたプチ旅行のようなものだった。
春か秋の過ごし易いタイミングで、レインとレオンが作った弁当を持って、ピクニックに行くのだ。
毎回行かなくてはいけない、と言うような恒例行事にしている訳ではないのだが、レオンが生まれた時から足繁く通っているのも確かで、エルオーネの方はすっかり習慣として覚えていた。
スコールはようやく森林公園に“前も行った”と言う事を覚えて来た所で、姉や兄の「ピクニックに行くよ」と言う言葉にも喜ぶ仕草を見せるようになった。
街の真ん中にある家を出発し、ラグナの運転で郊外へと向かう。
立ち並ぶビル群を抜け出して、窓の向こうに畑の景色が増えて行き、それも通り抜けて緑一杯の世界に入って行く。
森林公園が近い事をアナウンスする看板を見付けて、エルオーネが弟に「もう直ぐだよ!」と言った。
スコールもわくわくとした顔で窓の外を見詰め、まだかな、まだかなぁ、と待ち遠しそうに兄に話しかけている。
レオンはそんな弟と妹の頭を撫でて、もう直ぐだから良い子にしていような、と言った。
くねくねと不規則に曲がる坂道を上り、拓けた場所に出る。
駐車場のマークがついている其処に車を停めて、一家は車を降りた。
一時間の運転に凝った躰を伸ばすラグナを、お疲れ様、とレインが労わる。
その間にレオンが車の後部トランクを開け、それぞれの荷物を取り出して、妹弟にも自分のリュックを背負わせた。
早く早くと遊びに行きたがる妹を宥め、こちらもそわそわとしているスコールとお互いに手を繋がせる。
それからレオンは、ラグナとレインに荷物を届ける。
「これで全部かな」
「ええ」
「じゃあ行こうぜ!」
「わーい!」
「わぁい!」
号令をかけたラグナの声に、エルオーネが弾んだ声を上げた。
この森林公園は自然体験を目的とした設備が揃えられており、都心で暮らす子供達の自然との触れ合い、学習を目的として運営されている。
キャンプ場やバーベキュー広場の他、木材でオモチャを作る体験学習の為の教室付きの建物や、土産売り場もある。
レオンは小学生の頃に授業でこの体験教室に行った事があり、その時に彼が作った木製のペン立ては、今もラグナの部屋で現役に働いていた。
時期的にエルオーネもそろそろ同様に授業が計画される頃で、エルは何を作って来るのかな、と言うのが両親の密かな楽しみであった。
休憩所が併設された建物のゲートを潜ると、その向こうは広い芝広場になっている。
子供達の目には何処までも続きそうな程の開放的な光景に、早速エルオーネが駆けだした。
「わーい!広い広い!」
「あ、あ、おねえちゃんまって!」
活発な姉が駆けだせば、手を繋いだままの弟も引っ張られる。
慌てて短いコンパスを動かして、スコールはエルオーネの後を追った。
エルオーネは自分が引く手がある事を思い出すと、走るスピードを落として、スコールの貌を見ながら芝の真ん中へ向かって走った。
「エル、前見ないと危ないぞ!」
「俺が行くよ。エルー、スコールー!」
弁当箱の入ったバスケットを抱えて、いつものように妹たちを追い駆けられないレオンに代わり、ラグナが小さな二人を追い駆けた。
大人の長い脚で追えば、小さな子供達はあっという間に射程距離に捉える。
ラグナが追って来た事に気付いたエルは、きゃあきゃあと楽しそうに声を上げながら、ラグナの手に捕まった。
「よいしょお!」
「きゃあー!」
「ふあう」
二人の子供をそれぞれ右腕と左腕を胴に回して、ラグナは気合の声と共に抱き上げた。
ふわりと宙に浮く感覚に、エルオーネがはしゃいだ声を上げ、スコールは慌てて父の腕に掴まった。
ラグナは子供二人を抱き上げで、ぐるんぐるんとその場で回転する。
エルオーネとスコールは、遠心力で振り回されるのを、ラグナの肩に掴まりながら楽しんだ。
「やー!目が回るー!」
「おとうさーん!」
「ぐーるぐるぐる~~~っ!」
「あははは!」
ぐるんぐるんと回る視界に、子供達がはしゃぐ声を上げた。
ラグナが一頻りその賑やかな声を楽しんでいる間に、レインとレオンも追い付いて、
「はあ~。回った回った。俺の目が」
「父さん、大丈夫か?」
「うん、平気平気。んじゃ先ずは昼飯かな?」
「そうね。時間もそれ位だし。木陰が良いけど、何処にしようかしら」
レインが芝広場の周囲を見渡すと、他にもピクニックに来たのであろう家族連れの姿。
午前をのんびりと出発し、正午も少し回った今になって到着したから、木陰の良さそうな場所はもう先客が着いている。
が、レオンが「あそこは?」と指差した場所にはまだ空きがあった。
若芽の目立つ木の下にレジャーシートを敷き、レオンが抱えていたバスケットを下ろす。
蓋を開ければ綺麗に並べられたサンドイッチと、タッパーに詰めたポテトサラダが現れ、エルオーネとスコールがきらきらと目を輝かせた。
頬にジャムをつけながら食べるスコールを、レオンが甲斐甲斐しく世話をしながら自身も食事を進めていく。
エルオーネは終始お喋りで、昨日ね、学校でね、とラグナとレインに日々の報告を伝えた。
毎日事件が起きて忙しいエルオーネの報告を、ラグナはうんうんと相槌を打って聞いている。
そんな賑やかな食事は、綺麗にバスケットを空にして終わった。
食事が終われば、遊びの時間だ。
一番活発なエルオーネがレジャーシートを離れたので、レオンも直ぐに後を追う。
「レオン、あれ見て、あそこ」
「なんだ?」
「川!橋!」
生い茂る木々の向こうを指差すエルオーネ。
其処には彼女が言う通り、澄んだ川が横たわり、その上を一本の長い橋が横断していた。
「…吊り橋かな?」
「吊り橋!渡れる?」
「多分。ほら、人がいる」
レオンが吊り橋の向こうに見える親子の人影を指差せば、エルオーネの黒い瞳が益々輝いた。
「行きたい!ね、行こう」
「待って。父さんと母さんに言ってからだ」
「はーい。ねえ、吊り橋あるよ!吊り橋行こう!」
レオンに行きたいのなら伝えてからと促され、エルオーネは両親に駆け寄りながら、その間も惜しいと大きな声で希望する。
昼ご飯を終えて、母の膝で日向ぼっこをしていたスコールをあやしつつ、今日は何処で子供達を遊ばせようかと相談していたラグナとレインが顔をあげる。
「何?吊り橋?」
「あっちにあるの!ねえ、行きたい!」
「人が歩いてるから、渡れるみたいなんだ」
「そんな所あったんだな。よし、ちょっと行ってみっか」
「スコールも行こ!」
「おにいちゃんとおねえちゃんもいく?」
「ああ、行くよ」
兄と姉の真似をしたい盛りの末っ子は、頷くレオンの言葉を聞いて「いく!」と言った。
母の膝から降りて靴を履く傍ら、レオンとレインでレジャーシートを簡単に畳んで鞄に詰めた。
その間にラグナとエルオーネが広場の隅に立てられていた案内板で地図を確認する。
芝広場から吊り橋のある場所まで、道なりに進んで二本目の矢印案内の所で、上り坂を選べば良いとのこと。
上り坂と言っても緩やかなもので、芝広場のあった場所から、それ程勾配差はないようだ。
途中で親子連れと擦れ違い、怖かった、面白かった、と言う子供の声を聞く。
それを聞いたエルオーネが、早く早くとラグナを急かし、大きな手を引いて坂道をどんどん上って行った。
強い日の光を遮ってくれる木々に守られながら進み、辿り着いた吊り橋は、幅二メートルの大きなもの。
川を挟んだ反対側の山へと繋がるそれは、元々は木と綱で造られたもので、森林公園が整備されるに当たって鉄筋で補強された橋だった。
「すごーい、吊り橋だ!」
「こりゃ中々年代モンだなぁ。でも、ロープも太いし、補強されてるし。きちんと手入れされてるみたいだから、大丈夫かな」
「すごいすごい、レオン、スコール、見て!川が見えるよ!」
後ろを追う形で近付いて来る兄弟を、エルオーネが呼ぶ。
姉に呼ばれたスコールがぱたぱたと走って行く───が、橋まであと一メートルと言う所で、その足がぴたっと止まった。
追い付いた兄が「どうした?」と声をかけると、すすす、と小さな体が兄に身を寄せる。
「スコール?」
「おちちゃいそ……」
「ああ……はは、そう見えるよな」
スコールが俄かに感じた恐怖を、レオンも直ぐに理解した。
エルオーネが言った通り、吊り橋は並べられた踏板に隙間があるし、側面も組まれたロープで落下防止の柵になってはいるものの、子供の体ならするりと潜り抜ける事が出来るだろう。
実際には橋桁も側面も鉄網格子で覆われ、頑丈なケーブルで補強されているので、子供の体でも潜る事は出来ないのだが、遠目に見ているスコールに鉄網は見えなかった。
見えても下が透けて見える事には変わりないから、スコールにとって補強の有無はあまり意味がないだろう。
本能的な落下への恐怖か、動かなくなってしまったスコールを、レオンが手を引いて促してみる。
が、スコールはその場に踏ん張って、いやいやと首を横に振った。
そんな弟とは対照的に、エルオーネはラグナと手を繋いで、そろそろと吊り橋第一歩にチャレンジしている。
「うん、しょっ」
「ほいっ」
大きな足と小さな足と、揃えての第一歩。
補強のお陰で吊り橋らしい揺れる気配もないのを確かめて、ラグナもこれなら大丈夫だと判断し、娘と手を繋いで進んで行く。
「ひゃ~、高ぁい!」
「そうだな~」
「あっ、お魚!」
足元を流れて行く川を見下ろしながらはしゃぐエルオーネに、強いなあ、とラグナは思う。
その一方で、後ろを見ると、スコールがレオンと手を繋ぎ、初めての吊り橋チャレンジをしている所だった。
「ほら、行くぞ、スコール」
「ん、ん」
「やっぱりやめる?」
「うゅ……」
涙目で兄にしがみつく末っ子に、レインがリタイアを提案してみるが、スコールはふるふると首を横に振った。
蒼い瞳が、橋の中央で楽しそうに過ごす父姉へと向けられる。
自分の足では怖くて進めないけれど、家族が見ている景色を、スコールも見たかった。
元々の慎重な性格もあって、中々一歩が踏み出せないスコール。
そんなスコールに、ラグナは大きな声で応援した。
「スコール、大丈夫!スコールなら出来る出来る!」
「スコール、がんばれ~!」
ラグナの声を聞いて、エルオーネも弟を応援する。
橋の真ん中で、こっちにおいでと大きく手を振る父と姉に、スコールはぎゅうっとレオンの手を握って唇を引き結ぶ。
そぉ……と小さな足が伸ばされる。
ちょん、と爪先が踏板を触って、直ぐに引っ込んだ。
それからもう一度足が出て、ちょん、ちょん、と爪先で感触を確かめ、恐々と足の裏が乗せられる。
良いぞ、と励ますレオンも、スコールと同じペースで橋に足を乗せた。
その反対側ではレインがいて、スコールは右手をレオンと、左手を母と繋いで、慎重に一歩一歩を進めていく。
ふとすれば床板が抜けてしまうんじゃないかと、そんな想像と戦いながら新たな世界に踏み入れたスコールを、ラグナとエルオーネはぎゅうと両手を握って見守った。
スコールが橋の四分の一まで来た所で、エルオーネが走って弟の下へ向かう。
「スコール!」
「おねえちゃ、」
「がんばったね~!」
駆け寄って来た姉と、その後ろをついて追って来た父を見て、スコールの表情がほわっと和らぐ。
エルオーネはそんなスコールの頭を両手でくしゃくしゃと撫でて、弟の決死の頑張りを褒めちぎった。
ラグナがスコールの身体を抱き上げる。
ただでさえ吊り橋の上で視線が高かったように思えた世界が、更にもう一段階高くなって、スコールはラグナの首に掴まった。
ラグナはそんな息子の背中をぽんぽんと叩いてあやし、小さな身体をしっかりと両腕に抱いて、遮るもののない自然の景色を見せてやる。
「ほら、スコール。良い眺めだろ!」
「ふぁ」
ラグナに促され、スコールが首を巡らせれば、遠く伸びる川と、山の豊かな緑が世界を覆い尽くしている。
都会の真ん中で生まれ育ったスコールには、テレビの世界でしか見た事のなかった光景だ。
蒼の瞳が丸々と開かれ、焼き付けんばかりに見入るその姿に、頑張った甲斐はあったのだとラグナは思った。
お魚さんがいるよ、とエルオーネが川面を指差して、レオンがその陰を一緒に探す。
橋下を見下ろすのはスコールにはやはり怖いようで、ラグナが見ようと言っても首を横に振った。
代わりに父にぎゅっと抱き着いて、飛び行く鳥を捕まえようと試みる。
届く筈もない小さな手が、それでも嬉しそうに横切る影を追うのを見て、レインは夫と顔を見合わせてくすりと笑った。
初めての吊り橋チャレンジ。
怖いけど置いて行かれたくなくて頑張ったスコールでした。
中で溶け合う瞬間に、今が夢ではないのだと、そう思っているのが自分だけではない事を、彼は気付いているだろうか。
何度目の触れ合いになるのか、そろそろ片手が埋まる筈だが、はっきりと思い出す事は出来なかった。
そんな事に意識を割いている暇があるのなら、腕の中で強張る躰を抱き締めていたいと思う。
「あ…あ……っ」
最後の余韻を示すような声が漏れて、ラグナの首に縋っていた腕から力が抜ける。
引き締まった腕がぱたりとシーツの海に落ちて、はあ、はあ、とあえかな吐息が零れて消える。
濃茶色の髪が散らばって広がる光景が、酷く扇情的で現実味のない景色に見えて、ラグナはほうと息を吐いて目を細めた。
まだ強張りの抜けきらない感触から、ラグナはゆっくりと自分自身を取り出した。
レオンが緩く首を振る仕草を見せたが、疲れ切った身体がラグナを追う事はない。
ただ、蒼の瞳が少し寂しそうにしているのが判ったから、ラグナはそっと青年の頭を撫でて、傷の走る額にキスをした。
「ラグ…ナ、さん……」
力なく恋人の名を呼ぶ唇は、何度もラグナが吸った所為で、ほんのりと赤い。
ラグナがその唇に指を掠めると、ふ、とレオンの目尻に笑みが滲んだ。
形の良いレオンの唇を、なぞり擽り遊んでいると、ベッドに投げ出されていたレオンの腕が持ち上がる。
その手がするりとラグナの髪を梳いた後、ゆっくりと頬へと触れる。
若々しい雰囲気を持っと言われるラグナではあるが、加齢の現象は確かにその相貌にも浮かんでいた。
レオンの指はその痕跡を探すように、すり、すり、と丹念な仕草でラグナの頬を撫でている。
「……」
「ん?」
「………」
見下ろす男を、レオンはじっと見詰めている。
そんなレオンに、ラグナが顔を近付けてみると、レオンの目は嬉しそうに細められた。
ラグナの半分をようやく越えた頃の青年は、いつも一分の隙を見せない程に出来た人物だ。
けれど、肌を重ねて抱き合った後、レオンはまるで小さな子供のように、素直で甘えん坊な一面を見せる。
重ねた情交によって、理性も矜持も溶かされた後だから、彼の一番柔らかい部分が曝け出されているのだろう。
きっとレオンの核に一番近い場所だから、ラグナは殊更優しく、レオンに触れるように努めていた。
レオンの手がもう片方も持ち上がって、ラグナの頬を包み込む。
耳の縁に指先が触れるのがこそばゆくて、ラグナがふふっと笑うと、伝染したようにレオンの口元も緩んだ。
「ラグナさん……」
「うん」
「……ラグナ…」
「うん」
レオンはラグナの顔を撫でながら、其処にある存在を確かめるように、何度も恋人の名前を呼ぶ。
何かある訳でもなく、ただ名前を繰り返すレオンに、ラグナは短い返事を返してやった。
放って置けばいつまでもラグナの顔を撫でているであろうレオン。
ラグナはそんなレオンの背中を抱いて、起き上がるようにと促した。
レオンがラグナの肩に掴まったので、二人でゆっくりと体を起こす。
ベッドの上に向き合って座った格好になると、またレオンの手はラグナの顔へと移動して、ぺた、ぺた、と掌でラグナの顔の形を確かめた。
「レオン」
「…はい」
「俺の顔、好き?」
「……はい」
ラグナの問いかけは唐突なものだったが、レオンはその意図を確かめる事もなく、素直に頷いて答えた。
「一番好きな所ってある?」
「…一番、ですか?」
「うん。俺の顔で、一番好きな所」
続けた問いかけに、レオンはうぅん、と首を捻る。
ひた、とラグナの額にレオンの手が触れて、長く伸ばされた前髪をそうっと撫で上げる。
さらさらと指の隙間から零れ落ちて行く黒髪を眺めた後、レオンの手はラグナの眉へと触れた。
整った形を指先がそっと辿り、生え際まで来ると、直ぐに下にある目尻へ。
ぱち、ぱち、と瞬きをするラグナの邪魔にならないように気を付けながら、レオンの指はゆっくりとラグナの涙袋の縁をなぞった。
「……目……」
「目?」
「……綺麗な碧色で、きらきらしていて、好きです」
そう言って、レオンは眩しそうに目を細めた。
じっと見つめる瞳から、愛しいと言う感情が惜しみなく溢れ出す。
ラグナはそんなレオンの顔をじっと見つめ、ゆるりと笑みを浮かべて、
「そっか」
「はい」
「俺も、レオンの目、好きだなぁ」
お返しにとレオンの好きな場所を告白すると、レオンの頬がほんのりと赤くなる。
恥ずかしそうなレオンは目を逸らしたがっているようだったが、そうすると自分がラグナの顔が、眼が見れなくなるので、もどかしい葛藤が生まれたらしい。
逃げては戻る、向かう先の定まらない蒼灰色に、可愛いなあ、とラグナはくつくつと笑った。
結局レオンは、またラグナと向き合った。
照れ臭さより、ラグナの顔を見ていたいと言う気持ちが勝ったようだ。
もう一度レオンはラグナの顔に触れて、火照りの落ち着いた肌をそっと撫でる。
滑って行く指先が、小さなピアスの穴が開いた耳朶を掠めて、そのまま後ろへと流れて行く。
項にかかる髪の隙間に指が、手が通って、レオンの腕がラグナの首へと絡み付いた。
ラグナは、近付いて来るレオンの顔をじっと見詰めて、その唇を迎え入れる。
「ん……」
柔らかな感触を確かめるように、レオンはラグナの唇に長い間触れていた。
薄く開かれた蒼の瞳が、長い睫毛の隙間から覗くのを、ラグナはじっと見詰めている。
熱に浮かされ、一度蕩けた甘い瞳。
眠って目覚めればきっといつも通りの冴えた光を帯びる宝石は、今夜のうちはラグナの虜であり続けるだろう。
普段は人目もあって具に隠しているその感情が、止める事を忘れたように溢れ出す様が、ラグナは好きだった。
だからラグナは、レオンの目が好きなのだ。
どんなに隠す事に長けていても、本当は何よりも正直な瞳だから。
満足するまでラグナを感じて、レオンはようやく唇を離す。
「は…ふぅ……」
「満足した?」
「……少し」
ほうっと息を吐いたレオンにラグナが訊ねれば、レオンは微かに頬を赤らめて答えた。
だが、瞳の奥には、不満とまでは言わずとも、物足りなさげな色が滲んでいる。
ラグナはレオンの頭をわしわしと犬を撫でるように掻き混ぜた。
柔らかな毛質の髪が、ラグナの指の隙間からぴんぴんと跳ねている。
レオンは掻き撫ぜる手を大人しく受け入れて、くすぐったそうに目を細めて笑っていた。
そんなレオンに釣られるように笑いながら、ラグナはレオンの頬に口付けた。
突然の事に驚いたように目を丸くするレオンに構わず、何度も触れては離れて、レオンにキスの雨を贈る。
「ラグナさん、」
「ん~?」
「ふふ……」
恥ずかしがるかと思いきや、レオンは上機嫌だった。
照れ臭いのか未だに頬は赤かったが、ちょっと待って、とも言わないので、ラグナも構わず続ける。
これは反って朝になってからの方が大変かも───と理性を取り戻した時のレオンの慄く様を想像したラグナだったが、目を閉じて口付けを享受する青年の姿に、それもまた良いかと思う事にした。
目一杯にレオンを愛でるラグナだが、幾ら触れてもまだ足りない、と思う。
「んー……な、レオン」
「はい」
「もう一回して良いか?」
瞼に口付けながら言ったラグナに、レオンは「え、」と小さく声を漏らした。
ラグナは唇を離して、レオンの顔を見て訊ねる。
「駄目か?明日も仕事あるしなぁ」
「それは、その。そうですけど」
「一回だけでも?」
駄目かなあ、と言うラグナの顔は、眉尻を下げて弱った子供のようだ。
レオンが自分のそんな表情に弱い事を、ラグナは知っている。
ちょっと狡い事してるよなあと思いつつ、レオンに自分を受け入れて欲しくて、そんな言い方をした。
するとレオンは、近い距離にあるラグナの視線から逃げるように俯いて、
「……別に、俺は…その…駄目とは……言ってない、です……」
レオンのその言葉に、ラグナはぱちりと目を丸くした後で、確かにそうだと小さく笑った。
明日も仕事があるし、明後日だってそれは同じだ。
ラグナはそれなりに歳を重ねているから、何度も出来ないし、遅くまで起きていれば疲れも残ってしまう。
だから二人の情交は、ゆったりと長い時間をかけた一回、二回で終わる事が多い。
お互いの事を慮っての事であるから、レオンもそれに不満がある訳ではないが、やはり改めてもう一度とラグナに求められるのは嬉しかった。
どちらともなく唇を重ねて、角度を変えて、深く舌を絡ませ合う。
ラグナの手がゆっくりとレオンの背中を辿って行くに連れ、蒼の瞳がまたとろりと溶けて行く。
其処に映り込んだ碧色も、再び芽吹き始めた熱を露わに映し出していた。
しっとりしっぽりなラグレオ。
偶には好きな人に甘えたり好き好きって素直なレオンも良いんじゃないかなと思った。
普段はしっかりしているレオンが、甘えモードに入るとデレデレになるのが可愛いラグナも良いな。