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2020年08月
スコールが手袋を外す瞬間を、ラグナは気に入っている。
スコールの手は、いつも黒の手袋を嵌めていた。
武器が起こす振動摩擦から皮膚を保護し、戦闘による汗やターゲットの返り血で愛剣を滑り落とす事のないように、そう言った目的で使用されている。
手の防護としての役割もあるから、それなりに頑丈で厚みのある物で、その手で握手をすると、スコールの手の形と言うのは判り難かった。
平時、決まった私服で過ごす事が多いスコールは、この手袋もセットで身に着けている。
SeeD服を着ている時は、コーディネートの問題なのか、黒の手袋は外している事も多いが、正式な式典の場で着用する際には、白手袋を嵌めている事もあった。
大体はそう言った具合だし、他者の眼を気にする性格もあって、人前に出る時にはいつもの服装だけでも一揃い欠かさず身に着けている為、スコールが人目に素手を晒している事は滅多にない。
だから、だろうか。
SeeD服を着用している時を除いて、スコールが手袋を外すと言う行為は、彼のスイッチの切り替えを暗喩しているように思えてならなかった。
今日もスコールはいつもの通りの服装で、ラグナの護衛に従事している。
彼がエスタに大統領護衛の任務と言う目的を負ってエスタに来たのは、三日前のこと。
それからスコールは、ほぼ24時間をラグナと同じ空間で過ごし、ラグナのタイムスケジュールに沿って行動している。
こうなるとスコールに構いたくて構いたくて仕方がないのがラグナである。
最近見え難くなって来た書類仕事と格闘しながら、なんとか隙間を捻出しては、傍で見守る格好になっているスコールに構い甘える。
初めの頃はそんなラグナを「仕事をしろ」と叱っていたスコールだったが、最近は諦めたらしく、あしらいながら仕事を再開させるように促すだけだ。
仕事よりスコールと話がしたい、なんて子供のような我儘を言う男に、スコールが「……俺も手伝うから」と言ったのはいつだったか。
それ以来、ラグナが溜まった仕事から逃げるように自分に構い始めると、溜息を吐きながら書類整理を行うスコールの姿が見られるようになった。
様々な分野から持ち運ばれ、積み上げられた書類の山を、スコールが締め切りが早い順に仕分けて並べていく。
先ずは今日中に目を通さなければならないものをラグナの前に置いて、隣に明日締め切りのものを置く。
ラグナがそれらの内容を確認、承認印を押している間に、スコールは後の締め切りとなっている書類を分野ごとに分けて行った。
スコールのこのサポートのお陰で、一山二山とごちゃごちゃになっていた紙束は、平たい山裾が幾つか残るのみとなる。
これも後々また追加されて山へと育って行くのだろうが、ともあれ、今日の内に済ませておくべき案件は、無事に全てが片付いた。
「は~、終わった!」
「……ご苦労様でした」
椅子の背凭れにどさっと体重を預け、大きな声で今日の終了を宣言したラグナに、スコールは書類束の端を机にトントンと落として端を揃えながら、短い労いを投げかけた。
ラグナは天井を仰いで大きく深呼吸し、肺に溜まった詰まりを吐き出して、体を起こす。
碧の瞳が、デスクの向こうで書類の枚数を確認する少年を見て、へにゃりと眉尻を下げて笑った。
「いつも悪いなあ、手伝って貰って」
「そう思うなら、俺が手を出さなくても良いように仕事をしてくれ」
「ご尤もで」
スコールのぴしゃりとした返しに、ラグナは苦笑いを浮かべるしかない。
ラグナが大統領として仕事をするに辺り、努力が足りない、訳ではない。
同様に、これまでエスタの文官として大統領補佐の仕事をしてくれていた人達が、その仕事をサボタージュしていると言う訳でもない。
今のエスタは、十七年の鎖国を解き、国際社会への復帰を果たす為、やらねばならない事が多過ぎるのだ。
前代の魔女の遺産による、望まぬ鎖国ではあったものの、結果としてそのお陰でエスタは外界と隔絶された平穏が保たれていた。
しかし、スコール達を初めとした異邦人の来訪は、今後も避けて行けるものではない。
魔女戦争と言う大きな出来事で、社会情勢は大きく動き、エスタもその波の中で開国した。
新たな時代として目を覚ました沈黙の国は、他国にとってみれば得体の知れない国とされ、エスタ自体も他国世論の常識との剥離が否めず、信頼を得るのも一苦労であった。
こうした事情で、様々な新しい案件が日に日に舞い込み、それに伴って書類が山となるのである。
スコールもそう言った事情は理解している。
だから、エスタの人間でもない、護衛として契約しているだけである事を理解しながら、ラグナの手助けをしているのだ。
機密的な文書まで当たり前のように紛れ込んでいる書類の山に、これで良いのかと溜息を吐きながら。
それもキロスやウォードを含めたエスタの文官が、スコールの事を信頼しているから、とも言えるのだが、本来の自分は部外者なのだから、もっと警戒して欲しいとも思う。
スコールが並べてくれた書類を、ラグナはパラパラと捲って見る。
今この場に残っている書類は、四日目以降の締め切りのものだけ。
これなら、明日から配達される新たな案件についても、少しは余裕を持って臨む事が出来るだろう。
それを確かめたラグナは、最近手放せなくなって来た眼鏡を外して、デスクの引き出しへと片付けた。
「よし。今日は此処までにして、帰ろうぜ」
「……ああ」
椅子から立って伸びをするラグナの言葉に、スコールも頷いた。
ラグナは内線で「そろそろ帰るよ」と言う連絡をしてから、執務室を出る。
人気の少なくなった廊下を進み、官邸の外へと出ると、キロスと、運転手としてウォードが車を用意して待っていた。
ラグナとスコールを乗せて、車が走り出す。
タイヤのない、浮力と揚力を利用して走る車は、エスタの平坦な道の造りと相まって、走行による振動が殆どない。
この感覚にも慣れたなあ、と思いつつ、ラグナは欠伸を漏らす。
「……眠いのか」
「んー、ちょっとな」
「……着いたら起こす」
「良いよ、そんなに時間かかる距離じゃないし。寝る前に着いちまうよ」
同乗者の気遣いに感謝しつつ、ラグナはそう返した。
スコールは「…そうか」とだけ言って、窓の外へと目を向ける。
蒼灰色の瞳が、官邸で書類仕事をしていた時よりも、剣呑さを帯びて、通り過ぎる景色を睨んでいた。
ラグナは十七年間の独裁政権を、ほぼ善政と読んで良い形で統治しているが、それは全体の割合で見て支持率が高いから言える事だ。
様々な利権やら何やらと言った柵は、エスタでも皆無ではない。
特に魔女戦争後に開国してからは、これまでの暮らしと否応なく変化が起きるであろう事も考えられ、拒否反応を示す国民もいる。
こうした理由から、ラグナ・レウァール政権を打倒しようと働きかける声も生まれ始めた。
時代の転換期とも言える今現在に置いて、こうした動きはあって然るべきものとラグナは捉えているが、故にこそ“護衛”の任を負ったスコールの責任は大きい。
大統領の護衛と言う任務を持っているスコールにとって、街を移動している時は、一層気が抜けない時間である。
エスタの街は複雑に入り組んでおり、路は上に下に斜めにと伸びており、その隙間を埋めるように高層ビルが生えている。
人が潜み易く、見付かり難く、何らかの仕掛けを施してもバレ難い場所。
そう言うポイントがそこかしこにあるから、スコールは全身の神経をセンサーのように張り巡らせて、通過する風景を見詰めていた。
────其処までしても、何事もなく二人は私邸に辿り着く。
それが護衛任務としては何よりの事だ。
「じゃ、また明日な、ウォード」
「………」
「判ってる、寝坊なんてしねえって。あっ、信用してねえな!」
「……」
怒って見せるラグナの声に、ウォードはくつくつと笑った。
黒い瞳がちらりとスコールを見て、ラグナを宜しく、と言う。
スコールはその声なき声は聞こえなかったようで、きょとんとした顔で首を傾げていた。
それでもウォードには十分な反応だったようで、じゃあな、と手を振ってハンドルを握り直す。
車は音なく滑り出し、門扉を越えて曲がった所で見えなくなった。
スコールの手で私邸の玄関扉が開かれて、ありがと、と言ってラグナは敷居を跨ぐ。
広さに反して人気が少ないのはいつもの事で、賑やかし事が好きなラグナではあるが、この私邸に限ってはこの静寂が心地良い。
「ふぅ~、ちょっと休憩だな」
「……ああ」
そんな遣り取りをして廊下を進み、二人はリビングへと入った。
ラグナはリビングの真ん中に据えられたソファへどさっと腰を落として、背凭れに沈む。
書類仕事で固まった肩から力が抜けて、気持ちも抜けたか、眼の奥がじんとした感覚に見舞われた。
目薬が欲しいなあ、と少しぼやける天井を見上げてながら思っていると、ぱさ、と軽い音が鼓膜に届く。
霞目を擦りながら首を巡らせると、スコールが上着を脱いでいた。
ファーのついた黒いジャケットがテーブルに置かれ、すっきりとした首回りのラインが露わになっている。
蒼の瞳は、今日一日嵌め続けていた黒手袋を見詰めており、左手指が右手袋の爪先を引っ張って、手と指の関節の締め付けを緩ませる。
手首を包む縁を捲るように持ち上げてやれば、傭兵と言う職業に反して、細い印象を与える節張った手首が露わになる。
指先に向けて縁を送り出すように添え押して行くと、手袋はするするとスコールの手肌を滑って、外された。
脱いだ手袋をジャケットの上に放り重ねて、スコールは左手の手袋も外しにかかる。
厚みのある手袋だが、作りは非常にしっかりとしていて、スコールの手の形にぴったりだ。
それが丁寧に手から剥がれて行く様子を、ラグナはじいと見つめていたが、
「……何か用か」
「ん?」
あまりにもじっと見詰めていたからだろう、スコールが眉間に皺を寄せてラグナを見た。
手袋はまだ指先が入ったままで、それを取るより、ラグナの方が気になる位、視線が煩かったらしい。
用があるなら言えと、蒼の瞳が声なく言いながら、スコールは手袋を取った。
丸まった手袋を惰性の手つきで伸ばし直すスコールを、ラグナは呼ぶ。
「スコール。こっちおいで」
「……」
来い、ではなく、おいで、と言う誘い。
スコールの眉間の皺がまた深くなったが、彼は手袋を机に置くと、素直にラグナのいるソファへと近付いた。
ソファの横に立ってラグナを見下ろす、スコールの手。
ラグナが何も言わずにその手を捕まえると、驚いたようにスコールの体が固まった。
振り払う事を忘れているのか、立ち尽くして硬直しているスコールの手を、ラグナは口元へと持って行く。
指先に柔らかく触れた感触に、蒼の瞳が丸く開かれる。
それを見上げてにっかりと笑いかければ、幼さの残る貌が真っ赤に染まって、ラグナは可愛いなもんだあと思った。
手袋を外す瞬間ってなんかとてもアレじゃないですかって言う話。
スコール自身は特に無意識に行っている行動に、ラグナが嵌っていると良いなと。
普段は頑なに手袋をしてそうなスコールだと尚更。
肌を重ね、互いの熱を分け合って、一番気持ちの良い所で相手の存在を確かめた。
一度や二度で終わらない濃厚な夜となったのは、数日振りの事だったから当然と言える。
必然的に、それだけ深く繋がった後で、スコールが意識を飛ばしてしまったのも、無理のない事だった。
レオンもまた、そんなスコールの寝顔を見詰めながら、ゆらゆらと心地の良い倦怠感に沈む。
それから、どれ程の時間が経ったのか。
窓の向こうに既に月は見えなかったが、空は暗く、朝の兆しは見えない頃。
水底からゆっくりと揺蕩い上るようにして、スコールの意識は浮上した。
(………?)
重い瞼を半分だけ持ち上げて、スコールはぼんやりとしていた。
額に当たる温かな感触に顔を上げると、すぅ、すぅ、と静かな寝息を立てている男の顔がある。
それを、レオンだ、と認識するのは早かったが、どうして彼がこんなに近い位置ににるのだろう、と言う事を理解するには十数秒の時間を要した。
するり、とスコールの背中に大きな手が滑る。
その感触を受けて、自分も彼も裸身であると知ってから、ようやくスコールは意識を失う以前の事を思い出した。
途端に赤くなる顔を、眠る男の胸に埋めて隠す。
ぐりぐりと、スコールの額を押し付けられたレオンは、小さくむずがる音を漏らしただけで、目を開ける事はなかった。
(……ああ、もう……)
褥の中、触れる熱に翻弄されて、スコールはあられもない声を上げていた。
そんな事まで思い出してしまった所為で、顔が熱くて仕方がない。
スコールはしばらくの間、レオンの腕の中で、じっと体の火照りが引くのを待った。
時計が見えないので時間が判らないが、スコールが気絶してから、まだそれ程時間が経っていないのだろうか。
何も入っていない筈の秘部に、レオンの感触が残っているような気がしてならない。
汗塗れになったであろう体は綺麗に清められているし、きっとレオンの事だから後処理もしてくれていると思うのだが、奥で彼を感じた時の名残は失われていなかった。
ともすれば、目の前にある顔を見ているだけで持ち上がってしまいそうな中心部を、静まれ静まれと言い聞かせて過ごす。
自己暗示が効いたかどうかは定かでないが、甲斐があったか、なんとかスコールの体は火照りを治めていく。
伴って頭も少し冷えた所で、スコールはレオンの胸に埋めていた顔を、もう一度上げた。
(……寝てる……)
其処にある男の顔をまじまじと見て、スコールは素直にそう思った。
自分とよく似た色の、けれど僅かに柔らかい余裕も灯した蒼灰の瞳は、瞼の裏に閉じられて見えない。
時間を思えば当たり前の事だが、スコールがその色を探す時、彼は直ぐに応えて此方を見てくれるのが普通の事だったから、今に限ってそれを叶えて貰えない事が、俄かに寂しさを誘う。
が、逆に言えば、スコールが滅多に見れないレオンの寝顔を拝む、絶好のチャンスでもあった。
彼と同衾するようになってから、何度も同じ夜を過ごしたスコールだが、スコールはいつも彼より先に寝落ちてしまう。
目を覚ますのは必ずレオンの方が先で、スコールが目を覚ました時には、ブルーグレイはいつも恋人を映して優しく微笑んでいた。
その瞬間がスコールはこっそりと好きだったのだが、いつも自分の寝顔を見ていると言うレオンに、恥ずかしいような悔しいような気持ちがあったのも確かだった。
(……今なら)
今なら見れる。
レオンの寝顔を、誰より近くで、見ていられる。
そう思うと、俄かにスコールの心が弾む。
途端にドキドキと煩くなった心臓が、レオンに気付かれる事のないように、スコールは息を詰めて宥めようと試みる。
余り収まる気配はなかったものの、レオンがすやすやと規則正しい寝息を零している事に安堵して、スコールはそろそろと腕を持ち上げた。
身体が密着しているから、自分の動きでレオンの眠りを妨げないよう、ゆっくりと。
秘密の行為をしているような気分で、スコールは目と鼻の先にあるレオンの貌に、そうっと掌を当てた。
長く伸びてレオンの頬に落ちている横髪を退かすと、すっきりと整った面が露わになる。
(……綺麗な顔だな)
見慣れた顔を、改めるようにまじまじと見つめて、スコールは素直にそう思った。
長い睫毛と少し釣り気味の目尻に、鼻は高く、薄く開いた唇の形も程好い山形を描いている。
眠っているから瞳の意志の強さは今ばかりは臨めないが、その代わり、無防備な口元の様子も相俟って、見る者に安らぎを感じさせる雰囲気がある。
スコールの手がレオンの貌を滑り、目元の涙袋に指が触れた。
下を向いている長い睫毛を掠めない位置で、外から内に向かってそのラインをそっとなぞる。
それから鼻筋を辿って降りて、顔のパーツで一番高さのある頂きに辿り着く。
つん、と其処を突いてやると、「……ん、」と小さく零れる声があったが、瞼はじっと降りたままだった。
(大分深く寝てるな。これなら……)
レオンは他人には勿論、スコールに対しては特に気配に聡い。
だから直ぐにスコールの視線に気付くし、スコールが求めている事を、本人が口にするよりも前に察知する。
以心伝心なんて、信じるのも眉唾だとスコールは思っているのだが、レオンに対してはそうも言えない気がしていた。
だが、こうしてスコールが触れていても、目を覚まさない程に深く眠っているのなら、今しか出来ない事がきっとある。
そう思うと、スコールの心臓が興奮したように煩く高鳴った。
(……ちょっと、だけ……)
興奮から荒くなりそうな鼻息を努めて堪えつつ、スコールはそっと首を伸ばした。
眠るレオンの唇に、そっと、触れるだけのキスをする。
ただそれだけの事なのに、レオンが眠っていると言う事が、スコールの心にそこはかとない緊張感を生んでいた。
「ん……っ」
「……」
「ふ…ん……、」
離れた感触が名残惜しくて、もう一度重ねる。
情交の最中のような深い口付けは流石に憚られたが、代わりにスコールは、何度も唇を重ねて離してと繰り返した。
満足するまでキスを重ねて行く内に、それでも起きないレオンの貌を見て、また心臓が躍る。
此処に触れたらどうなるだろう、と言うスコールの想いの表れに、頬に添えていた手が滑ってレオンの首筋を擽る。
起きないよな、起きてないよな、と何度も睫毛の位置を確かめながら、スコールはレオンの首筋に唇を寄せた。
「……ん…ぅ……っ」
窄めた唇で、ちゅぅ、とレオンの喉を吸う。
ぴく、とレオンの肩が微かに震えたが、スコールは構わずにレオンの首筋を愛し続けた。
身体を重ねている時、レオンはよくスコールの身体に痕を残す。
主には服で隠せる場所だが、時折興奮に任せて、鎖骨や手首と言った隠れ切らない場所に華を咲かせてくれる。
その事をスコールは何度か抗議しているのだが、事が始まってしまうと、スコールがそれを振り払う術はなかった。
レオンもそれを判っていて、スコールを蕩けに蕩けさせて、痕を欲しがる様を待っている事がある。
その度、わざと見える場所にキスマークを残されて、誰かに見られたらどうするんだと真っ赤な顔で抗議するスコールを、レオンは楽しそうに眺めていた。
偶にはあんたも、同じ気持ちを味わえばいい。
そんな気持ちで、レオンが普段全く隠す事をしていない首筋にキスマークを作ろうとするスコールだったが、
(……薄い)
レオンの首から口を離して、触れた場所を覗き込みながら、スコールは眉根を寄せる。
何度も繰り返し吸った筈なのに、レオンの首筋には薄らとした赤い点が残っただけだった。
部屋が暗いから見辛いだけなのかも知れないが、かと言って部屋の電気を点けて確認する訳にも行かないだろう。
もう一度したら、少しははっきり見えるようになるだろうか、と考えていると、背中を抱く腕がするりと動いて、寝癖のついた濃茶色の髪を梳くように撫でた。
同時に、瞳に映った男の唇が、緩く孤を描いている事に気付く。
「レオ、」
「可愛いことをしてくれてるな」
目を瞠ったスコールに、レオンがくつくつと笑いながら言った。
降りていた瞼はしっかり持ち上がり、蒼灰色の瞳が楽しそうに年下の恋人を見詰めている。
スコールの顔が、暗がりの中でも判る程、真っ赤に沸騰する。
咄嗟にそれを目の前の男から隠そうと、スコールは背を抱く腕を振り払って逃げようとした。
が、一足早くそんなスコールの行動を察知したレオンは、髪を撫でていた手でスコールの手首を捕まえて、自分より一回り細い体をベッドシーツへと仰向けにして縫い留める。
更に自分の体で檻を作るように覆い被さって、スコールの首筋へと吸い付いた。
「あっ……!」
ちゅう、と強く首筋を吸われて、びくん、とスコールの身体が跳ねる。
スコールの足元がばたばたと暴れて抵抗を示したが、覆い被さる男には何の効果もなかった。
レオンは構わずスコールの首筋を食み、組み敷いた肢体が抵抗を忘れるまでたっぷりと寵愛して、ようやく解放する。
そうして白い肌に残された赤い蕾を見下ろして、レオンの蒼の瞳がうっそりと悦に染まる。
「こうやるんだ。判ったか?」
痕を残したばかりの首筋を、レオンの指がそっとなぞる。
ぞくぞくとした感覚がスコールの背中を奔って、身体の奥に覚えのある熱が蘇る。
スコールは潤んだ瞳で組み敷く男を見上げた。
はあ、と熱を孕んだ吐息を零せば、その内情を既に覚っているのだろう、レオンの顔がゆっくりと近付いて来る。
その顔が酷く楽しそうにしているのが判って、いつから起きてたんだ、とスコールは聞きたかった。
しかし、問おうと開いた唇は、簡単にレオンのそれに塞がれて、呼吸すらも奪われるように貪られる。
こうなってしまえば、もうスコールにはどうする事も出来ない。
その夜、レオンは手本を示すように、幾つもスコールの躰に痕を残した。
対してスコールがレオンに残したのは、付けられたと知っているから気付く程度の淡色が一つ。
それでも、その一つの花を愛でるように、レオンが何度もそこに触れる事を、スコールは知らない。
寝込みを襲うスコールと、さていつから起きていたでしょう?なレオン。
どうやってもレオンの方が一枚も二枚も上手なレオスコ。
この後、スコールがムキになってレオンにキスマークを付けたがるようになる。
レオンはスコールが一所懸命つけたキスマークを鏡で確認して、ご機嫌になるんだと思います。
海が見たい、と彼は言った。
海ならいつでも直ぐに見れる、バラムの地で。
だから、彼が見たい海は、きっと此処ではない海の事なのだろうと、リノアは理解した。
先の魔女戦争の最中、本人の意志とは無関係の内に、バラムガーデン擁するSeeDの指揮官に就いてしまったスコール。
事が終われば直ぐにでも他の人に押し付けてやる、と忌々しげに呟いていた事もあった(恐らく誰にも聞かれていないと思っているだろう)が、結局彼は、今でもその肩書を放り出せずにいる。
人の上に立つような性分ではないと彼は言うが、その反面、真面目な気質が彼の気分的に損をさせるのだろう。
不安定な世界の情勢も相俟ってか、育った“家”への素直になれない愛着か、きちんと実力的に信頼できる者が見付からなければ、『指揮官』と言う役割を捨てる決断が出来ないようだ。
そう言う責任感の強さは、逢って間もない彼の父親に似ている、のかも知れない。
言えば眉間の皺が三倍増しになりそうなので、言わないが。
ともかく、そんな訳だから、スコールは非常に忙しい。
バラムガーデンの金銭的な問題を一手に握り、引き受けていた、マスターと言う存在がいなくなった事で、ガーデンの経営は少々難を被っている。
幸いなのは、金にがめつかったマスター・ノーグの遺産が見付かった事で、当面の資金は一先ずは心配ないと言う事だが、金は有限である。
これの息が尽きない内に、金銭面を好転させなければ、いよいよ後がない。
世界中が“月の涙”の影響を受け、ガーデンに対して魔物退治の依頼が次々と舞い込んでくるのは丁度良い話なのだが、回せるSeeDの数には限りがある。
それを半ば無理やりに回しながら依頼をこなし、不足する人員を埋める為に再度試験を計画準備し、依頼終了により上がって来る報告書や始末書に目を通し……と、スコールの一日はそんな具合で埋まる。
お陰でスコールは、若干17歳でワーカーホリック状態であった。
体が資本の傭兵稼業だと言うのに、書類仕事が多過ぎる所為で、眠る時間も削らなければならない。
本人が案外と自分自身への配慮と言うものに欠けている面がある所為で、一日の食事をコーヒー一杯で済ませていた時など、カドワキから保健室呼び出しからの厳重注意を受けた程だ。
流石に食事はそれなりに時間を取って固形物を摂取するようにはなったが、本人が幾ら自分の生活を改めようと意識しようとしても、環境がそれを守らせてくれない。
周りもスコールの事を大切に思っているから───バラムガーデンの指揮官だから、ではなく、彼個人を───、何とかしてやりたいと各自で出来る事には手を付けているのだが、それが出来る人の数もまた限られるのが現実だった。
こんな状態で、人が消耗しない訳がない。
休みたい、何も考えないで良い場所で、と願うのも当然だろう。
自分の力と意思で、そう言った余裕をもぎ取る努力をするのが難しい人間なら、尚更。
だからスコールが「海が見たい」と言った時、リノアは何としてでも連れて行こうと思ったのだ。
“世界で唯一の魔女”となってしまった自分が、表面的でも、前と変わらない日常を保っていられるのは、“魔女の騎士”でるスコールが矢面に立っているからだ。
彼がバラムガーデンの指揮官として、世界的な信頼を得ていれば、仮にリノアが魔女である事が流布されても、その名を盾に護る事が出来るかも知れない。
そんなに無理しなくて良いよ、とリノアは言ったが、スコールは自分で出来る限りの事をしたいと言った。
俺がリノアを護りたいから、と。
誰より信頼している、誰より愛した人にそんな事を言われて、リノアも嬉しかった。
嬉しかったけれど、自分の為に無理をし通そうとする恋人の姿は、リノアにとって心苦しくもあった。
だからせめて、自分がスコールにとって少しでも心安らげる場所で在りたいと、スコールの為に自分が出来る事があるのならやり通そうと、決めたのだ。
ドールは商的娯楽施設に富んだ国だ。
国の規模そのものは大きくはなく、嘗てガルバディアに攻められた時には、SeeDへの救援依頼をしなければならなかった程だが、国内で動く金はガルバディアの比ではない。
それは国内外の富裕層がこの地に別荘を構えているからで、そうした人がバケーションシーズンには来訪するからである。
この層を狙ったホテルやカジノも数多く並び、また富豪に気に入られようと芸術家も先を争って作品を出品・売り込みに来る。
こうした世情により、ドールは富裕層の保養地の一つとして、一定の人気を持っている。
そんなドールに、カーウェイ大佐が一つ別荘を持っている事をリノアが思い出したのは、数年ぶりの事だった。
母ジュリアが生きていた頃は、家族揃って別荘で休暇を過ごす事もあったが、父娘の間が冷え切ってからはさっぱりだ。
それでもカーウェイは別荘を手放してはおらず、管理者を雇って、状態の保持を続けていた。
其処を数日で良いから使わせて欲しい、とお願いに来た娘に、父は一度目を眇めたが、深くは聞かずに鍵を貸してくれた。
ついでに、管理者には連絡して暇を出しておく、とも言われたので、色々と察せられたような気はするが、リノアはそれは気付かない振りをした。
多忙を極めるスコールを、任務外でガーデン外に連れ出すのは難しい。
だが、スコールが疲れている事は、幼馴染の面々も判っていた。
休む事に気後れするスコールを、サイファーが「湿気たツラが鬱陶しい」と仕事を取り上げて蹴り出す位には、仲間達も理解してくれていたのだ。
そんな彼らが、リノアが行動するまでスコールに休みを出せなかったのは、忙しいと言う理由の他にも、スコール自身が休息が下手だと言う問題があった所為だ。
放っておけば端末を自室に持ち込んで仕事を始めてしまう彼を本格的に休めるには、そう言う行動自体が出来ない環境に送り出すのが良い。
だから、ドールの別荘に連れて行きたい、休ませてあげたい、と言うリノアの行動は、彼女の声なら無視できないスコールを動かすには、幼馴染達にとって願ったり叶ったりだったのだ。
────かくして、リノアはスコールと共にドールにやって来た。
移動を含めて五日間の休暇なんて、スコールが指揮官職に従事するようになってから、初めての事だ。
荷物は一足先に別荘地に付くように手配して、身軽な身体で、バラムの港からドールへ渡った。
ドール港へ着いたその足で、タクシーを使って郊外の住所へと向かえば、二階建てのコテージが建っていた。
「わー、久しぶり!」
「…あんた、こんな所持ってたんだな」
「私じゃなくてパパのだけどね」
役目を終えたタクシーが遠ざかる音を背に、弾んだ足取りで見覚えのある玄関への階段へ走るリノアを、スコールは変わらぬ歩調で追う。
呟きに対し、けろりとした顔で言うリノアに、そう言えばお嬢様だった、と日常的な所作から忘れ勝ちだった事を思い出した。
荷物は管理者が離れる前に届いており、玄関の中に置かれていた。
それらを大きなソファと暖炉が供えられたリビングで開けて、中身を確認し、必要なものを取り出しておく。
食料品は、今日明日の分は管理者が用意してくれたようで、冷蔵庫の中身も充実している。
必要なら明日の午後にでも、これまた用意済みのレンタカーで、ドールの街へ買い出しに行けば十分だろう。
正に至れり尽くせりだ。
そんな中でも、自分が準備した訳でも、そう手配した訳でもないから、スコールはどうしても気になる事が多いようで、
「…リノア。色々確認したいから、見て来ても良いか」
「うん、良いよ。私も久しぶりだから色々見たいし」
初めて訪れた場所は、スコールにとって落ち着かない事も多いだろう。
それでなくとも、彼は名の知れた傭兵で、その恋人であるリノアは“魔女”だ。
否応なくついて回るその肩書は、どうしても幾らかの警戒心を捨てさせてくれない。
コテージの一階はリビングとキッチン、バスルームが設けられ、二階が寝室になっている。
寝室は二つ、ベッドもそれぞれ二つであったが、
「私が此処に来てた頃って、いつも片方の寝室しか使わなかったんだよね」
「…どうして」
「私、小さかったから。三人で一緒に寝てたの。ベッド二つくっつけて、お母さんに引っ付いて寝てた」
リノアが幼い頃から、カーウェイは仕事で忙しく過ごしていた。
リノアが起きている間に家に帰って来る事は稀で、一緒に寝るなんて、彼の休暇で別荘に来た時位しかなかったのだ。
父に対して素直だった頃は、真っ直ぐ甘えられていたから、一緒に寝たいとおねだりするのも難しくなかった。
カーウェイもそんな娘の要望に応え、休暇の間は彼女の可愛い我儘に応えてくれた。
母に抱かれ、父に頭を撫でられながら眠った記憶を思い出して、温かかったなあ、とリノアは思う。
そんな優しい思い出も、此処に来なかったらきっと思い出せないままだっただろう。
まだ少しだけぎこちなくなり勝ちな父との距離感を思いつつ、理由はどうあれ、頼んで良かったなと鍵を貸してくれた父に感謝した。
寝室には大きな掃き出しの開き窓がある。
スコールがそれを開けると、テラスがあり、その向こうに水平線が広がっていた。
「……海」
零れたその声は、きっと無意識だったのだろう。
遠く続く海の向こうを見詰める蒼が、水面に反射する陽光を映してきらきらと輝いている。
そんなスコールの眼を、リノアは随分と久しぶりに見た気がした。
吸い込まれるように海を見詰めるスコールを、リノアは黙って見上げていた。
無防備に垂れている左手に、そっと右手を重ねると、驚いたようにスコールの肩が跳ねた。
油断し切っていた、と焦りも滲んだ顔が此方を見て、リノアはにっこりと笑いかける。
彼が安心できるように、その張り詰めた心が少しでも安らげるように。
「あのね、スコール」
「……なんだ」
「ここね、プライベートビーチなんだ」
「……」
「誰もいないの。私達以外」
テラスの向こうに広がる海。
其処へと続く白い砂浜。
島国バラムで過ごしていれば、そう遠くはない場所に、似た景色がある。
小さな島であるから、少し足を延ばせば浜があり、ガーデンを出なくても二階デッキから臨む事は出来る。
だが、其処で海を見ているのは、“バラムガーデンの指揮官”で“魔女戦争の英雄”の肩書を持ったスコールだ。
周囲に自分をそう呼ぶ者がいる限り、スコールはその肩書から逃げられない。
魔女の力を受け継いだリノアが、自分が何を思っても、“魔女”である事実が変えられないように。
けれど、この海を見ている今は、正真正銘、二人きり。
“スコール”と“リノア”と名を呼び合う以外の存在は、何処にもいない。
「ね、スコール」
名前を呼んで、リノアはスコールに身を寄せた。
ぽす、と頭がスコールの肩に乗せられる。
重ねていた手を握り締めると、そっと握り返す力があった。
「私がスコールに出来ることって、こんな事くらいだけど」
「……別に。十分、だろう」
「……えへへ」
詰まりながら返すスコールの言葉に、リノアは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「ほんのちょっとの間だけだけど。のんびりしようね、スコール」
「……ん」
お互いを息苦しく絡め取る柵は、簡単には解けない。
それでも傍にいたいと願うから、この柵は捨てたくない。
でも、時々で良いから、楽に呼吸が出来る場所も欲しかった。
例え一時のものでしかないとしても。
願うように目を綴じたリノアの額に、柔らかい感触が触れる。
不意打ちのそれに目を丸くして顔を上げれば、蒼はもう海を見ていた。
スコールとリノアに二人きりで過ごして欲しかったので。
リノアってお嬢様なんだよなぁ……と思いつつ、あんまりそう言う事を感じさせない言動が多いリノアだけど、そう言う立場だから出来る事もあるよなと。
FFⅧの日常生活の中で、リノアが直接スコールを援けると言うのは難しそうだけど、自分が持ちうることで出来る・思い付く事でスコールを支えようと努力してたら可愛いなって。
そんで疲れたスコールは、人目がないので思い切りリノアに甘えれば良いと思う。リノアを護る為になんでもするけど、彼は本質的に甘えっ子だと思う。