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2020年08月08日
あんたは馬鹿なのか、と言われた時、そう言われるのも無理はないと思った。
だからその言葉に対して怒る事はなかったし、受け止めるべきだろうとも。
見舞に行った所で、スコールが喜ばない事は判っていた。
自分がしようとした事の意味も、それで彼が何を思っているのかも想像できたから、雷が落ちるだろうとも思っていた。
だが、それでも自分が間違った事をしたとは、ラグナは思わなかった。
あの時、ラグナの体は反射的に動いていたのだ。
脳からの命令を待つ時間もなく、気付いた瞬間、守らなければとその為に全身の筋肉が動いた。
彼を───スコールを守らなくてはと、そう思ったから。
だが結果として、その所為でスコールは余計な傷を負った事も事実だ。
ラグナが彼を庇おうとした為に、スコールはそれを強引に庇って背に傷を受けた。
あの数瞬で、それが一番良い事だと、他に選べる選択肢がないと、即座に判断した彼の思考は、“護衛”として正しかったのだろう。
本当なら、傷を負わない様に、負わざるを得ないとしてももっと最小限に抑える事が出来たものを、彼は無防備に背中を晒す事になった。
その原因は間違いなく、ラグナの行動にある。
だが、スコールが怒っているのは、ラグナの所為で自分が計算外の負傷をした事ではない。
“自分を庇おうとしたラグナ”に、彼は心底から憤っているのだ。
無防備に晒す事になった背中に負った傷は、深くはないと本人は言ったが、範囲が広い所為で出血が酷かった。
キロスに促され、ウォードに半ば強引に病院に連れていかれて、ようやく彼はきちんとした治療を受けてくれた。
事の後に回復魔法で治療を施していたので、言葉通り傷は浅く済み、三日ほど様子を見て何事もなければ直ぐに退院できるそうだ。
それでも一端は護衛の任から離れざるを得ない為、バラムガーデンには報告を入れ、代わりの者を派遣する手筈が整えられている。
その日の夜、大統領としての仕事を終えて、ラグナは病院に向かった。
本来の面会時間などとうに過ぎてはいたが、病院スタッフは快くラグナを迎え、病室へと通してくれた。
そして目にしたのは、ベッドの上で痛々しい包帯に上体を包まれたスコールの姿だ。
傭兵と言う職業に就いているのだから、怪我など彼にとっては当たり前のものなのだろうが、それでも傷付いた彼の姿と言うのは、ラグナに痛い棘を突き立てる。
今回は自分の所為でそんな有様にさせたのだから、尚更。
詫びてどうにもなる事ではなかったが、ラグナは一言は言わねばならないだろうと思っていた。
それは、自分の心に刺さった罪悪感と言う棘を抜く為、贖罪の真似事をしようとしたのかも知れない。
だが、スコールはラグナがそれを口にする前に、言った。
「あんたは馬鹿なのか」
俯き、此方を見ずにそう言ったスコールの声は、明らかに怒っていた。
ベッドシーツを握る手は、白む程に力が籠り、ひょっとした声を荒げたい気持ちもあったのかも知れない。
それ位に、スコールは怒りに震えていたのだ。
スコールの言葉にラグナが返すものを探している間に、彼は顔を上げた。
吊り上げた眦がラグナを睨み、そんな風に蒼を向けられた事がなかったラグナは、一瞬、その鋭さに息を飲んだ。
「あんた、俺を庇おうとしただろう」
「うん───あ、その、えーと」
「馬鹿なのか。俺が何の為にあんたと一緒にいると思ってるんだ?」
反射的に正直に頷いてしまってから、益々スコールの貌が険しくなるのを見て、しまった、とラグナは思った。
直ぐにスコールはもう一度棘を刺してきて、ラグナは胸の内の痛みに、弱ったなと俯くしかない。
「俺はあんたを護衛する為に此処にいる。それなのに、あんたが俺を庇ってどうする」
本末転倒だと言うスコールの指摘は正しい。
ラグナは、バラムガーデンに対し、スコールを指名して『大統領の終日護衛』の依頼を出している。
スコールはその任を受けてラグナの傍に身を置いているのであって、いつ如何なる時も、ラグナの無事を優先する為に行動する事を義務付けられていた。
そんな立場にいるスコールを、守られるべき立場である筈のラグナが庇っては、護衛として傍にいる意味がない。
「それは、そのう。悪かったよ。なんか、勝手に体が動いちまって」
「……」
「スコールならなんとか出来るって、信用してなかったとか、そう言うつもりはないんだ。でも、その───無意識にって言うか。あっ不味い、って思ったら、つい」
「不味いと思ったのなら、あんたは俺を盾にするべきだ。護衛対象が、護衛の兵の前に出たら意味がない」
「………」
これもスコールが正しい。
ラグナはエスタの大統領で、スコールはそんなラグナに雇われた護衛だ。
緊急事態に置いて、ラグナが優先するべきは自己の保存であり、護衛兵を守る事ではない。
俯くラグナを見詰めた後、スコールは大きく溜息を吐いた。
包帯の巻かれた上体を庇いながら、ベッドヘッドに背を預け、ゆっくりと体の力を抜く───その様子が「呆れた」と言っているように見える。
事実、スコールにしてみれば、そう言う気分なのだろう。
「…もう良い。俺が油断したのが原因なんだ」
「……悪かったよ、スコール」
「だから、もう良いと言った。でも、次はちゃんと後ろにいてくれ。俺の事なんか庇うな」
「………」
「俺はSeeDで、傭兵だ。ただの駒で、使い捨てのできる盾だと思っていれば、それで良い」
スコールのその言葉に、じくりとしたものがラグナの心に居場所を作る。
それは普段からラグナの胸の内にあり、自分が芯から願うものと、目の前にある現実とが決して噛み合わない事を感じ取る度に生まれ蓄積していた。
だからだろう。
次にスコールが発した言葉が、ラグナの一番柔らかい部分を突き刺した。
「俺の代わりなんて、他にもいるんだ」
自分がいなくても、代わりの者が派遣される。
自分と言う存在は、その程度のものなのだと、スコールはそう言った。
傭兵として常に使い捨てにされる者として、その覚悟の上で生きているのだと。
だが、それがスコールにとって当たり前の意識であっても、ラグナにとってはそうではない。
そうであってはならないのだと、眼に見えない繋がりに縋るラグナの心が、悲鳴を上げた。
「……そんなの、いねえよ」
零した声は、目の前の少年にははっきりとは聞こえなかったらしい。
「は?」と問い返すように顔を上げたスコールを、俯き唇を噛んだラグナは見ていなかった。
「お前はお前しかいないんだから、代わりなんていない」
「…あんたがそう思うのは勝手だけど、他にもSeeDはいる。こんな任務、回せる奴は限られるけど、全くいない訳じゃない」
「お前がSeeDだとか傭兵だとか、そう言う事じゃねえんだ。お前って言う存在が、俺には代わりなんてない。だから、使い捨てなんて、出来る訳ないんだ」
「捨てろ。あんたから見た俺の利用価値は、そういう物であるべきだ」
「利用とか!そう言うのじゃなくて、俺は、」
言いたい事はそうではないのだと、ラグナは堪らず声を大きくした。
そうする事に何も意味はないのだが、そうしないとスコールの言葉を停める事が出来ない気がしたのだ。
俺は、と其処から先に続く言葉が出て来ない。
スコールが口を噤んでくれている間に、自分の気持ちをしっかりと言葉に乗せなければならない。
スコールとラグナの関係は、旧友たちとの間にあるものとは違い、言葉なくして心がが伝わるような距離感ではない。
悲しいかな、それは事実として二人に間に横たわり、深い溝を作っている。
それを埋めるには、埋めたいと思っているのなら、ラグナが言葉を探さなければならないのだ。
「……俺はお前に、怪我して欲しくないって思ってる」
ラグナの言葉に、ぴくり、とスコールの眉が顰められる。
頭の良い子であるから、ラグナのその言葉が、大きな矛盾を孕んでいる事に気付いているのだろう。
それでも、この気持ちは他の何にも変えられない本物だから、ラグナは続けた。
「お前が、いつも、無事で元気にいて欲しいって、願ってる」
「……」
「自分の護衛を依頼して置いて、変な事言ってるって言うのは、判ってるつもりなんだ。……でもやっぱり俺は、お前が……傷ついたりする事がなければ良いって、思ってる」
「それなら、俺を雇うのを辞めろ」
「……そうしたら、お前は他の任務に行くんだろ?」
問えば、当たり前だとスコールは答えた。
バラムガーデンに所属するSeeDである以上───そうでなくとも、傭兵と言う職業であれば───、スコールには常に某かの依頼が舞い込んでいる。
“月の涙”の影響もあり、バラムガーデンには危険度の高い魔物の討伐依頼が急増している。
それはエスタの地でも同様で、ラグナはガーデンに対し、自身の護衛を依頼する他、街の近郊に出現する魔物退治も依頼していた。
指揮官であるスコールもその情報は把握しているし、エスタに現地入りしたSeeDが、現地に詳しいスコールからの情報を求めて、大統領官邸に来館する事もある。
時には救援としてスコールが急ぎ現地に向かう事態も起きる程だ。
また、大統領護衛の任務機関が終わったスコールが、ラグナロクを足にして、バラムではなく他の地へと向かうのもよく見る。
それ程、スコールは多忙であり、あらゆる場所でその手を求められる人物なのだ。
ラグナは、それが歯痒かった。
真っ黒なスケジュールで過ごしているスコールは、前の任務で負傷しても、治療をそこそこにして次の任務に就く事が多々ある。
護衛の任務の方が優先だからと、傷の残った体でエスタに降り立つスコールを見る度、此処にいる間だけは何事もなければ良いと、ラグナは願わずにいられない。
だが護衛である以上、何事か起こればスコールはラグナの前に立ち、ラグナの代わりにその身に傷を受けるのだ。
時には致命傷に鳴り得るものであるとしても、躊躇わずにその身を使う───そう言う立場に、彼はいる。
「……俺、お前にいなくならないで欲しいんだ。だから怪我しないで欲しいって思う。どうせなら、危ない目に遭わないで欲しいし、平和な所でのんびりしてて欲しい」
「余計なお世話だ」
ぴしゃりと返された言葉に、ラグナの心がずきりと痛む。
「俺はSeeDだ。傭兵だ。それ以外のものになって生きるつもりはない」
きっぱりと言い切ったスコールは、本当に“SeeD以外の自分”と言うものを考えていないようだった。
いや、それ以外の道がある事を、きっと彼は知らないのだ。
物心がついた時にはバラムガーデンと言う場所にいて、傭兵になるべく英才教育されて来たのだから。
その末に今の自分がいるのだから、それを否定するものを、スコールは受け入れない。
それはつまり、スコールは傷付き続けると言う事だ。
ラグナの前でも、知らない何処かでも、その命が果てるまで、自分を自分で使い捨てていく。
「だから、もし次に同じような事があっても、あんたは絶対俺の前に出るな。俺を守ろうなんて思うな。俺はそんなものはいらない」
「でも、スコール。俺はお前に────」
「それ以上言ったら、俺はもうこの任務を請けない」
強く冷たい蒼の瞳が、ラグナの眼を真っ直ぐに射貫く。
それは常に戦場に身を置き、他者の命も、自分の命も容易く消える場所に立つ者の、強い意志だった。
嘗てはラグナも其処にいた筈だったが、否応なく退いてから随分と長い。
もう彼と同じ場所には立てないと悟っているから、其処にいる少年を連れ出したいと願ってしまうのだ。
俯いたラグナから、スコールの視線がゆっくりと外される。
小さく、「……疲れた」と呟くのが聞こえて、ラグナは潮時だと理解した。
この話は何処まで行ってもきっと平行線だし、それを厭だと踏み越えれば、きっと自分とこの少年との繋がりは本当に途絶えてしまう事になる。
「……今日は、帰るよ。悪かったな、無理させて」
「……別に」
顔を背けたまま、スコールはいつもの何と受け取れば良いのか難しい口癖を零した。
今はその言葉が帰って来てくれた事に安堵して、ラグナはそうっと息を吐く。
病室を出ると、付き添いに来ていたキロスとウォードが待っていた。
二対の目がラグナの翠と混じって、どちらともが眉尻を下げた顔を作る。
───出会って半年も経っていない父子の間柄を、二人はよく知っている。
ラグナが出来ることならスコールを手元に置いておきたい事、危険な事とは無縁な場所で日々を健やかに過ごして欲しい事。
それは、本来なら幼い彼の傍にいた筈のラグナが、してやるべきであったこと。
だがスコールは、父の知らない所で大きく育ち、自分で自分の道を決める意志を持つまでになった。
そしてSeeDと言う自身の立場に確かな矜持を持ち、その為に在るべき心構えも含め、彼と言う人物を形成する一部として根付いている。
ラグナがスコールに平穏を望むと言う事は、彼のそうしたアイデンティティを奪う事と同じなのだ。
……反面、スコールが決してラグナに悪感情のみを抱いている訳ではない事も、キロス達は知っている。
バラムガーデンに大統領の護衛依頼を出しているのは確かだが、その任務の選択権を握って離さないのはスコールだった。
時には前任務の関係で、他の者を派遣するかもしれない、と言う連絡があった時でも、スコールはエスタにやって来る。
大統領の護衛を───ラグナの傍に身を置ける権利を、他の誰にも譲るまいとして。
病室内の父子の遣り取りは、待機していた二人に聞こえていたに違いない。
どうにも気まずい気分がして、なんと誤魔化したものかと思ったラグナの胸中もしっかり汲み取っているらしい旧友達に、少し泣きつきたい自分がいたが、扉の向こうで一人過ごす少年を思い出して堪えた。
吐き出す言葉も失くした気分で、ラグナはがしがしと頭を掻く。
そのまま病室を離れて行くラグナを、キロスとウォードも追い、
「儘ならないね、君達は」
溜息交じりに呟かれた友人の言葉に、ラグナの視界がぐにゃりと歪む。
あの子の事で涙を流す事など、きっと自分には赦されないと思うのに、競り上がる感情は勝手に目頭を熱くする。
その存在を守りたいのは、お互い様なのだ。
だが現実として、二人は守る者と守られる者と言う立場に分かれている。
可惜にその垣根を越えようとすれば、必ずどちらかの気持ちを踏み躙る事になる。
それでも今は、この関係しか互いを繋ぎ止める方法を知らなかった。
『喧嘩をするラグナとスコール』のリクエストを頂きました。
お互い譲れない部分があってギスギスする二人、と言う事で、どうやっても譲れないもので衝突してるけど無視し合う事は出来ない8親子です。
傍にいるし、お互い大事にしてるのに、大事にしたいそのやり方が相手の望みを無視する事になる感じ。
この二人は間に誰かを置いて徹底的に膝付き合わせないと、一番大事な所を誤解し合ったままになりそう。
その癖誰かの介入は嫌いそう(特にスコールが)で、拗れまくりそうですな。
クラウド自身はあまり人付き合いが得意ではないのだが、交友関係の広い親友がいるお陰で、その人物からいつの間にか枝葉が広く拡がっている事が多い。
本来なら知り合う機会そのものがないであろう高校生の友人が増えたのも、その親友のお陰であった。
親友の人柄のお陰か、その知り合いも皆良い人物ばかりで、取っ付き難いであろう自分に対しても、明るく朗らかに声をかけてくれる。
だからだろうか、明るい人柄が目立つ者が多い中で、少し異色の彼女は特別な存在に見えた。
よくよく知れば、ほんの少し大人びて───背伸びして───いるだけで、中身はごく普通の女の子だったのだが、其処に至るまでがやはり少し変わっていた。
その詳細はまた長い話になるので、割愛だ。
知り合ってから紆余曲折の末に、クラウドは彼女───スコールと恋人同士になった。
アルバイトに忙しい大学生と、勉強に忙しい高校生とあって、逢う時間は限られている。
それでも、クラウドはこまめにメールで連絡を取り、生真面目な彼女の負担や苦にならない程度の時間を捻出しては逢瀬を重ねた。
その逢瀬も、家庭が厳しい、と言うよりも、過保護な父親がいるから、余り夜遅くまで外にいる事は出来ないと言う彼女の為、マンションの上階と駐車場で顔を合わせる程度のもの。
そんな細やかなコミュニケーションを重ね、クラウドは彼女と確かに愛を育んでいた。
平時がそう言った遣り取りで過ぎていくから、クラウドにとって、彼女と名実ともに過ごせる時間と言うのは貴重であった。
学費と生活費の為、休日を埋め尽くしていたアルバイトのシフトに運良く隙間が出来て、更にスコールのテスト期間も終わったばかり。
これなら、と久しぶりに二人で出掛けないかと誘った所、「いく」と短い返事が返ってきた。
自分以外誰もいない独り暮らしのアパートで、声を出してガッツポーズをしたのは当然であった。
スコールと逢えると決まってから、クラウドは判り易く浮かれていた。
大学の授業中も、アルバイトの最中にも機嫌が良いので、親友のザックスにはあっと言う間にバレた。
しっかりエスコートして来いよ、なんて台詞と共に背中を叩かれたのも、クラウドには嬉しい話である。
普段、あまり服装と言うものに拘りのないクラウドだが、流石にデートとなれば気を遣わねばなるまい。
何せ、相手はモデルのようなスレンダー体型をしたスコールだ。
どんな服装をしていても、学校の規定の制服でさえも、彼女が着ると空気が変わる。
せめて彼女に見合う格好にはしていかないと、と以前ザックスに薦められて購入して以来、着る機会のなかったジャケットを引っ張り出し、それに合うようにとコーディネイトを考えた。
スコールがどんな格好で来るかは聞いていないが、ともかく、みすぼらしい事はするまいと、その一念で。
────だが、これは想像していなかった。
真っ赤な顔で視線を逸らし、可愛らしい小さめのショルダーバッグのベルトを握り締めるスコールを見て、クラウドは言葉を失う。
「……スコール」
「……」
「……だよな」
「……」
思わず確認してしまったクラウドを、スコールは怒らなかった。
ただ、益々顔を赤くして、眉間にそれはそれは深い谷を刻むのみ。
───スコールの事だから、待ち合わせより早い時間に来るだろうと、クラウドはそれを見越して駅前に向かった。
お陰でクラウドは一足先に待ち合わせ場所に着き、見付け易いであろう場所を確保する事が出来たのだが、予想に反して時間の5分前になっても恋人は現れない。
基本10分前には行動を始めるスコールにしては珍しい、ひょっとして何かあったか、と心配でそわそわしてきた所に、彼女は現れた。
制服以外では今まで一度も見た事のない、スカート姿で。
中々来ない恋人に、連絡をしようかと携帯電話を取り出した瞬間の格好のまま、クラウドは固まっていた。
そんなクラウドにゆっくり近付いてくるスコールの足元からは、コツ、コツ、と言う音がする。
音がする度、ふわりとしたスカートの裾が拡がって揺れた。
その足音を追うように、道行く人々が振り返り、沢山の目がスコールを追う。
「……」
「…………」
「……笑いたかったら笑え」
沈黙に耐え切れなくなって、スコールは言い捨てた。
寧ろ、笑え、とばかりに。
しかしクラウドは、丸々と見開いた目で見つめるばかりで、遂にスコールの限界が来た。
「俺にはこんなの似合わないって言ったんだ」
「……」
「なのに、リノアが。折角、…、……でーと、……だからって」
スコールの口から出てきたのは、彼女のクラスメイトで親友の名前。
クラウドとザックスの関係と同じように、交友関係が広い人物で、スコールは彼女を発端して色々な人との繋がりを得た。
遠因的に言えば、クラウドとスコールが知り合う切っ掛けを作った人物でもある。
リノアは、親友とクラウドが付き合っていることを知っており、スコールも初めての恋愛に戸惑っては彼女に某かを報告したり、相談する事も多かった。
付き合い始めたばかりの頃は、「私はスコールの保護者だから!」とクラウドを見定める役目も買って出ていた位だ。
そんな彼女の事だから、きっとスコールから今日のデートの事を聞かされ、意気揚々とデート用のコーディネートをしてくれたに違いない。
だからスコールも、普段自分では絶対に着ない、選ばない服装で、此処へ来てくれたのだ。
袖に大きめのフリルのあるカットソーと、シンプルながらフレアで涼やかな印象を与えるスカート。
いつもは銀色のライオンが光る首元には、小さなリングが飾られている。
肩にかけた小さめのバッグなんて、碌に物が入らない、とデザイン以前に用途に合わないと見向きもしない。
足元は少しヒールの高いミュールで、慣れていないのだろう、バランスが取り難そうな立ち姿になっている。
何もかもが普段のスコールとは違う井出達に、きっと一番堪えられないのは、彼女本人だ。
案の定、ううう、とスコールは唸りに唸って、
「帰る。帰って着替えて来る」
「待て。待て待て、スコール」
くるっと踵を返したスコールに、クラウドは我に返って慌てて止める。
腕を掴んで引き留めれば、スコールはぶんぶんとその腕を振り回して、クラウドを振り払おうとした。
「あんただってどうせ変だと思ってるんだろ!」
「落ち着け、誰もそんな事言ってないだろう」
「言ってないだけだ!思ってる!絶対そうだ!」
「思っていない。少し驚いただけだ」
珍しく声を大きくするスコールに、クラウドは努めて静かに言い聞かせた。
変だなんて思っていない、いつも見ない服装だからびっくりした、それだけをと繰り返し。
それでもスコールの沸騰は中々引かず、心無しか涙が滲んだ目で唸り続ける。
「リノアにも言ったんだ。俺がこんな格好しても変なだけだって。あんたと違って俺は可愛くなんかないんだから、似合わないって」
「いや、そんな事はない。似合ってる」
「嘘だ!」
「嘘じゃない。似合っているし、可愛い。本気でそう思っている」
「……うぅ~……っ!」
クラウドの言葉に、スコールは虚を突かれたように目を丸くした後で、また唸る。
喉には言いたい言葉が色々と詰まっているのだろうが、出所を失くしたようだ。
可愛い、と言われて、安堵のような恥ずかしような、思春期の複雑な女心が素直な蒼の瞳にありありと映る。
取り敢えず落ち着かせよう、とクラウドはスコールを適当なベンチに誘導した。
スカートの端を摘まんで、足が広がらないように、ぴったりと膝を揃えて座っているスコール。
クラウドはその隣に座って、スカートを摘まんでいるスコールの手に、自分の手を重ねた。
「落ち着いたか」
「……ぅ……」
声をかけると、ぷい、とスコールはそっぽを向く。
座って少し頭は冷えたが、今の自分の有様が恥ずかしい事には変わりないようだ。
だが、しばらくそのままで待っていると、クラウドが手を重ねていた手がくるりと上向いて、緩く指を絡めてきた。
ちらりとクラウドがその顔を覗き見ると、スコールはまだ耳元を赤くしつつも、幾らか落ち着いた面持ちで、握ったクラウドの手をじっと見詰めていた。
久しぶりの直の逢瀬で感じる恋人の感触を確かめるように、嫋やかな指が何度もクラウドの指の隙間で握り開きを繰り返す。
その横顔が、大人びた顔立ちとは裏腹に幼い子供のような雰囲気を滲ませていて、クラウドは微笑ましさで口元が緩む。
「…取り敢えず、昼飯でも食べに行くか」
「……ん」
「何処が良い?」
「……どこでも。でも、静かな所が良い」
「なら少し移動するか」
駅前は行き交う人が多く、休日とあって若者の姿も多い。
賑々しいのでそれらを当てにした飲食店も多いが、丁度昼の時刻とあって、何処も満席になっている事だろう。
そうでなくとも、人の声が絶えない空間と言うのはスコールの得意なものではないから、静かな店を探すなら、メインの通りからは外れた方が良い。
行こう、とクラウドが立ち上がると、スコールも腰を上げた。
並んで歩きだせば、コツコツと響く足音があって、ヒールのある靴なんて珍しいなとちらと彼女の足元を見た。
ひらひらと揺れるスカートの裾から、ちらり、ちらりと覗くのは、小さな花がアクセントにあしらわれたミュール。
普段はローファーか、動き易さを重視するとシューズ系を履いているばかりなので、足元が見えるのが新鮮だ。
大通りを一本外れると、人々の気配は少し遠くなり、都会の真ん中でも多少は静かに感じられる。
さて食事は何処で採ろう、とスコールの好みそうな看板を探しながら歩いていると、
「クラウド、」
「ん?」
呼ぶ声が後ろから聞こえて振り返ると、スコールとクラウドの距離が少し開いていた。
いつも同じ歩調で歩く彼女を置いて歩いていたなんて、初めての事だ。
クラウドが数歩戻ったところで、スコールも追い付くが、
「う、」
「スコール!」
がくっ、とスコールの体が傾いて、クラウドは反射的に手を伸ばす。
助けを求めて伸ばされたスコールの手を捕まえて、なんとか彼女が転ぶ事は回避できた。
スコールはほっとした顔で、クラウドの手に捕まって体勢を直す。
「…助かった」
「いや、置いて行って悪かった。大丈夫か?」
「……ん」
「歩き難いのか」
クラウドが訊ねると、スコールは「少し……」と頷いた。
普段は全然履かないから、と言うスコールに、それは転ぶのも無理はないと悟る。
「ゆっくり歩くか」
「……そうしてくれると助かる」
「あと、ほら」
提案にほっとした顔を浮かべたスコールに、クラウドは左手を差し出す。
その手の意図が汲み取れず、スコールはきょとんと首を傾げた。
「…なんだ?」
「掴まっていた方が楽なんじゃないかと思ってな」
「別に……」
「足元ばかりを見てると、次は前方不注意にもなるぞ」
クラウドの言葉に、スコールはむぅと唇を尖らせる。
意地のようにショルダーバッグのベルトを握る手に力が籠った。
だが、このままいつも通りに歩こうとしても、自分が辛いのは判っているのだろう。
きっと家を出てから待ち合わせ場所に着くまでも、何度も躓き転びそうになったのだ。
その徒労を思い出してか、スコールはおずおずと手を伸ばして、クラウドの手を握る。
慣れない足元のスコールが無理をせずに歩けるように、クラウドは努めてゆっくりとした歩調で足を動かした。
いつもよりもずっと遅い歩き方に、少々もどかしくならない訳ではないが、それより今は隣を歩く彼女が大事だ。
時折、繋いだ手を強く握って踏ん張るような気配があって、お洒落をすると言うのも大変だな、と思う。
それでも、親友の手を借りながら、目一杯のデート向け衣装に誂えて来てくれた恋人が、クラウドは可愛くて堪らなかった。
(さて、何処の店に入るかな。仕切りでもある店なら良いんだが)
俯き加減になって歩く恋人を見て、そんな事を考える。
待ち合わせ場所に来た時とから、スコールは沢山の人々の目を惹きつけていた。
元々大人びた高身長美人で通っていたし、人目を引き易いタイプであったが、甘めのコーディネートで普段の取っ付き難い雰囲気が緩和されているからだろうか。
下心持ちの男どもの不躾な視線も多く寄せてしまっていて、クラウドは気が気ではなかった。
こんなに可愛い恋人を、いつまでも人目に晒してはいけない。
早く独り占めできる場所に隠さなければと、繋いだ手が寄せる信頼の感触を確かめながら思った。
『クラスコ♀』のリクエストを頂きました。
「デートなんだからお洒落しなきゃ」「クラウドも喜んでくれるかも」と言われ、ちょっとその気になって可愛めの格好してきたスコールでした。
リノアに乗せられ励まされながら服を選んで、当日、着替えて準備して家を出る段階になって、正気に戻って色々不安になりながら待ち合わせ場所に来たんだと思います。
クラウドはとっても喜んでいます。良かったね!
サイスコ企画様に投稿させて頂いた、[オトナの階段]の続きに当たります。
現代パロで二十歳(大学生)の二人。
酔った勢いであろうと、重ねてしまった時間をなかった事には出来ない───したくない。
だからサイファーは、情事の形跡は隠す事なくそのままに、スコールが目を覚ますのを待った。
そうしておけば、幾ら鈍い彼でも、自分たちが何をしたのか悟るだろう。
その際の彼のダメージを慮らない訳ではなかったが、それ位の事をしなければ、スコールはちゃんと真正面から向き合う事をしない。
幼馴染として、彼以上に彼の事を理解しているからこそ、サイファーは腹を括って決めたのだ。
起きてから、彼は判り易く狼狽した。
裸で寝ていたベッド、その隣には同じく裸身の男、そして体に残るあらぬ場所からの鈍い痛み。
次いで、サイファーにとっては幸いと言うべきか、スコールは昨夜の事を辛うじて覚えていた。
何をどうしていたのか明確な所は抜けていたが、自分達がセックスをしたのだと言う事は、きちんと記憶の中に残っていたのだ。
当然、スコールは酔っ払いの愚かな行為であると言った。
反応としては、それが普通のものだろうとは思うので、サイファーも咎めはしない。
しかし、スコールの方はそうだったとしても、サイファーは違うのだ。
酒のお陰で順序をすっ飛ばしてしまったが、サイファーがスコールに特別な感情を持っている事は紛れもない事実である。
スコールを混乱させない為にと胸中で留めていたのが、アルコールの緩みによって露呈してしまったのだ。
自分が酔っていた事を含めて、サイファーはスコールに滔々と聞かせた。
当然、スコールは更に混乱したが、それもサイファーには判っていた事だ。
スコールはまだサイファーが酒に酔っているのだと思ったし、そうでなくてはこんな事───男同士で、それも相手が自分となんて───にサイファーが手を染めるとは考えられなかった。
だからちゃんと酒が抜ければ、サイファーは正気に戻って、昨夜の事は飲み過ぎてハメを外しただけなのだと、そう思う事がスコールにとっては自分の平穏を守る事に繋がったのだろうけれど、サイファーはそれを赦すつもりはなかった。
「良いか、スコール。俺は素面だ。素面で言ってる。俺はお前を愛してるんだ」
逃げようとする蒼灰色を捕まえて、真っ直ぐそれを捉えて言ったサイファーに、スコールが息を飲む。
その目が、腕を捕まえる手が、本気を滲ませている事を、スコールは理解した。
酒の勢いで始まった関係は、しかし、その後は特に大きく変わる事はなかった。
スコールもサイファーもそれぞれの学業で忙しく、偶に食堂や寮で顔を合わせる事もあるが、それも前の日常と同じ事だ。
学年は違えど、同じ学び舎で過ごしているのだから、当たり前の光景である。
今日もスコールは、昼時間の食堂で、サイファーの姿を見付けた。
いつも一緒にいる取り巻きの風神と雷神の姿はなく、四人テーブルに一人で座り、ラーメン定食を啜っている。
その周囲の席は綺麗に空けられており、サイファーの大きな体でも悠々と過ごせるスペースが守られていた。
これもまた、昔からよく見ている、普段と何も変わらない、日常の景色だ。
だが、それでもスコールは、サイファー・アルマシーと言う存在を意識してしまう。
あんな言い方をされて、意識するなと言うのが、土台無理な話なのだ。
(……席…あそこしかないのか)
自分の食事の為に座る場所を探して、スコールは嘆息した。
昼真っ盛りの食堂は、沢山の生徒に溢れていて、どのテーブルも埋まっている。
唯一、サイファーが陣取っている場所だけが、ぽっかりと空いているのである。
トレイを持ったまま、どうしたものかと立ち尽くしているスコールを、碧の瞳が視界の端で捉えた。
顔を上げたサイファーと、スコールの目線が思い切り交じってしまい、しまった、とスコールが顔を顰めていると、
「良いぜ、相席してやっても」
「……」
「遠慮すんなよ」
にやにやと笑うサイファーの言葉に、スコールの眉間の皺が深くなる。
遠慮とかじゃなくて嫌なんだ、と唇を尖らせても、他の席が埋まっている以上、スコールが選べる選択肢はない。
スコールは、サイファーと斜め向かいになる場所に座る事にした。
正面も隣も嫌だから、選べる場所は此処しかない。
いらっしゃい、等と言うサイファーを無視して、スコールは昼食に箸をつける。
黙々と料理を口に運ぶスコールは、斜め向かいから判り易く向けられる、煩い視線に気付いていた。
(なんだよ……)
じっと見つめる碧眼の所為で、スコールは落ち着けない。
昼食位、誰の干渉も受けずに、のんびりと採りたいスコールにとって、この煩い視線はとても邪魔だ。
それなら「邪魔」「見るな」とはっきり言えば良いではないか、と思ってはいるのだが、最近のスコールは、そう出来ない理由があった。
昔から、サイファーの視線と言うものは、よく感じ取っていた。
幼い頃からサイファーは何かとスコールにちょっかいを出してきて、泣かされたことも一度や二度ではない。
反面、スコールの変化と言うものにも敏感で、落ち込んでいる時に真っ先に声をかけてくるのもサイファーだった。
だからサイファーの視線が煩いことは、スコールにとっては今更の話なのだが、問題はその瞳から滲む色だ。
幼い頃、気弱だったスコールを、サイファーはよく揶揄っていた。
だからサイファーが自分を見ている時と言うのは、揶揄うタイミングを図っていると言うのがスコールの中で定説化していたのだが、最近、どうやらそれだけではないと言う事に気付いた。
気付かされてしまった。
(……露骨すぎるだろ)
碧眼が映すのは、愛しいものを愛でる感情。
愛している、愛していると、何度も繰り返して囁く、まるで恋の歌。
────事の始まりは、スコールの二十歳の誕生日祝いにと、二人で酒を酌み交わした日。
細かな経緯は忘れたが、ともかく酒の入った勢いの中で、スコールはサイファーに抱かれた。
それから目を覚まし、酒も抜けた後で、スコールはサイファーから「愛している」と言われたのだ。
抱いたのは確かに酒の勢いが切っ掛けであるが、単純な過ちなどではないのだと、素面のサイファーから面と向かって告げられた。
順序としては失敗したが、それでも「酒の所為」でなかった事にはさせないと、真摯な碧眼が言っていた。
あれからスコールは、サイファーの視線と言うものが気になって仕方がない。
いや、視線だけではない、“サイファー”と言う存在が、スコールの中に確かな楔を打っていた。
(……それなのに。あれから何もして来ないし…)
あの日以来、サイファーはスコールに対し、一線を引いた態度を取っている。
正確には、距離を取ろうとしているスコールが、反射的に逃げない程度の距離を保っていた。
まるでスコールの返事を待ちながら、かと言って催促はしないように、僅かな逃げ道を残してくれているかのよう。
本当の本当は、ただスコールを揶揄っているのだと、真正直に信じて馬鹿な奴だと、そう言おうとしているのではないかとも思った。
いつネタ晴らしをしてやろうか、このままスコールが気付くまで調子を合わせてやろうか、遊んでいるのではないかとも。
けれど、スコールの事をサイファーがよく知るように、スコールもサイファーの事を知っている。
俺様王様な横柄な態度を取りながら、本当は根からロマンチストである事も、性質の悪い冗談をいつまでも続ける性格ではない事も。
自分を見る時の碧眼が、嘘を吐いているのか、本気なのか、きちんと示している事も。
(……知ってる。判ってる。あんたは……俺がちゃんと答えを出すのを、待ってる)
あの日から、サイファーは表立ってスコールに何かして来る事はない。
過ごす日々は昔から変わらない距離感を保っているから、傍目には二人の関係が少々ぎこちなくなっている事に気付く者もいないだろう。
それはつまり、このままスコールが黙っていれば、何事もなく日常は続いて行くと言う事。
あの日、「愛している」と言ったサイファーの言葉に返事をしなくても、少なくともスコールの生活が大きな変化に見舞われる事はないと言う事。
混乱極まっていたスコールに、サイファーは返事を急かさなかった。
ただ、酒の勢いで越えてしまった一線を、なかった事にしたくなかったのだと、彼は言う。
初めて抱いた想い人の体温を、曖昧な夢のように溶かして忘れたくなかったのだと。
どうすれば良いんだ、と苦い気持ちが沸き上がって来て、スコールは口の中で箸を噛んだ。
意識が斜め向かいの男に向かってしまって、食事に集中できない。
誰かこいつを他所に連れて行ってくれ、願っていると、
「あ、いたいた、サイファー」
「……なんだ、ヘタレかよ。何の用だ」
聞き覚えのある声にスコールが顔を上げると、アーヴァインが立っていた。
ようやくスコールから外れた視線が、傍らのクラウスメイトに向かい、判り易く機嫌を損ねる。
「そんなに睨まないでよ。邪魔して悪いとは思ってるんだから」
「思ってるんなら早く消えろ」
「そう言う訳にもいかないんだ。ほら、この間貸したノート、そろそろ提出期限だから返して欲しいな~って」
「ああ、あれか。判った判った」
やれやれと、サイファーは重い腰を持ち上げた。
とっくに平らげていたラーメン定食のトレイを「返しとけ」とアーヴァインに押し付ける。
アーヴァインは「え~?」と面倒そうな声を上げるが、大人しく踵を返し、返却口へと向かう。
良かった、これでいなくなってくれる。
ようやく食事に集中できると、スコールが密かにほっと安堵していると、
「じゃあな」
ぽん、とスコールの頭に大きな手が乗って、くしゃりと髪を掻き混ぜた。
唐突な事にスコールが目を丸くしている間に、手はするりと離れて、その持ち主にひらひらと振られながら遠退いて行く。
────あんなに大きな手だったろうか。
あんなに優しく触れる手だっただろうか。
一世一代の告白をしておいて、碌な返事もしない相手に、そんな風に触れられる男だっただろうか。
(……大人の余裕、なのか)
つい先日、二十歳を迎えたスコールと、その一年前に二十歳になったサイファー。
たかが一年、されど一年の差が、まるで幼い子供の成長の差を見ているようで、時々、スコールの胸にじわりと棘が滲む。
それは恐らく、サイファーが大人かどうかではなく、自分の幼稚さが浮き彫りになるからだろう。
そんな差を感じさせてしまう位に、自分と彼の間にある、心の余裕の違いを思い知る。
(……そんなので俺は、あんたの隣に、いても良い?)
熱を宿した碧眼を見付ける度に、辛うじて忘れてはいなかった、あの夜の事を思い出す。
あの日のあれで、スコールはまた一つ“大人”になった。
けれど、同じく“大人”である男を見る度、本当はまだ自分が“子供”なのだと突きつけられる。
それでも、頭を撫でる手を振り払えなかったように、見詰める碧眼を見るなと突き放す事も出来ない。
あの目に見つめられていると、酒を飲んだ訳でもないのに、頭の中が熱くなってふわふわとするのだ。
(────ああ、)
それが自分の答えだと、ようやく気付く。
途端に胸が一杯になって、口の中の物を飲み込む事にも苦労した。
まるであの日飲んでいた酒のように、苦い感覚に襲われる。
同時に顔が熱くなって、アルコールなんてこの食堂では提供していないのに、酔ったみたいに頭が揺れた。
『サイスコ企画に投稿している[オトナの階段]の後日談』のリクエストを頂きました。
酒の勢いで告白も何もかっもすっ飛ばしてシちゃった二人のその後!
日常生活や色恋でパニックになると逃げる癖のある宅のスコールですが、実はちゃんと答えは決まっていたって言う。
ただ本人が自分の気持ちに気付くのと、それが恋だと消化するまでに時間がかかるのです。
それを確信持ちで待ってあげてるサイファーの大人の余裕。
去年から、バッツはスコールと同棲を始めた。
幼馴染から恋人同士に関係が変化してから、間もなくの事である。
同棲に至る切っ掛けは、スコールが高校生になると同時に、実家を出て一人暮らしをしたい、と言い始めた事だ。
目指したのは“独り暮らし”の筈なのに、どうしてバッツと“同棲”する事になったのかは、彼の父の過保護が理由の一つにある。
幼い頃、スコールは病気勝ちで、保育園を度々休み、小学校に上がってからも、学校行事の時に折り悪く体調を崩してしまう事が多かった。
元々気が弱い性格であった事や、母を早くに亡くしてしまった事も手伝い、年々内向的になって行っていたと言っても良い。
この為、唯一の肉親である父に対しての依存も大きくならざるを得ず、父もまた息子に対して何かと過剰な程に心配するのが常になっていた。
中学生になると、少しずつ体付きも丈夫さも周囲に追い付いて来るようになったスコールだが、父ラグナにとっては、幼年期に何度も熱を出しては譫言に父を呼んだ息子の姿が、今も忘れられないのだろう。
今でも時折、疲れを溜め込むと熱を出し、二日三日と寝込んでしまう事もあるスコールだ。
息子を愛するが故に、スコールを一人送り出す事に、父はどうしても同意できなかった。
それがスコールの成長の一つであり、いつまでも自分が傍にいられる訳ではないと言う、現実があるのだとしても。
だから、幼馴染であり、昔から何かとスコールの面倒を見ていたバッツに白羽の矢が立った。
スコールが合格した高校は、バッツが一人暮らしをしているアパートから程近い場所にある。
幼い頃から世話になっている病院も、電車で二駅、タクシーで行っても直ぐの距離。
何より、スコールが一人になる事に不安を拭えないラグナにとって、互いによく知る人物が傍にいると言う事が大きかった。
バッツならスコールの事情を理解しているし、スコールが寝込んでも看病できるし、いざとなればラグナに連絡する事も可能だ。
彼と同居するなら実家を出ても良い、と精一杯の譲歩で、成長した息子の意思を汲もうとする父に、折れない過保護ぶりにスコールは拗ねた顔をしていたが、それでも一つ自分の枠を飛び越える事には変わりない。
何より、一緒にいるのがバッツなら、と言う想いもあった。
こうしてスコールはバッツと一つ屋根の下で暮らす事になった。
案の定、初めのうちは、一人暮らしと高校生活と言う環境の変化で体調を崩し勝ちで、ラグナの心配が当たったなと苦笑いするバッツに、スコールは返す言葉がない。
しかし、一年も経てば生活環境には慣れて行くもので、スコールが頻繁に寝込む事もなくなった。
高校の友達を家に連れて来る事も増え、バッツの交友関係の中にも紹介され、スコールの世界はどんどん広がって行く。
だが、そんな生活をしていても、スコールの世界の中心にいる人物は変わらない。
その事にバッツはこっそりと喜びを感じていた。
土曜日の工事現場のアルバイトを終えて帰って来ると、スコールが夕飯を作っていた。
父子二人暮らしで、何かとおっちょこちょいな父親に代わって、早い内から家事を引き受けていた事もあり、スコールは中々料理が上手い。
本人はレシピに則っただけだとか、そんなに手の込んだものはしていない、あんたの方が上手いだろうと言うけれど、バッツはスコールの料理以上に美味い食べ物を知らない。
恋人の愛情たっぷりの手作り料理なんて、この世で一番美味いに決まっているのだから。
帰宅の挨拶もそこそこに、じゃれたがるバッツに席に着くように言って、スコールはフライパンで炒めていた肉野菜炒めを皿に盛る。
土方の仕事はスタミナを消費するから、胃袋は空っぽで鳴りっぱなしだ。
頂きます、と挨拶を終えると、バッツはすぐさま肉野菜炒めに齧り付き、リスのように頬袋を膨らませて舌鼓を打った。
「美味い!やっぱりスコールの作ってくれたご飯は良いなあ」
「大袈裟だろ……」
褒めちぎるバッツに呆れながら、スコールも自分の分に手を付ける。
皿に盛られた諸々の料理は、バッツに装ったものに比べると、どれも半分程度しかなかった。
バッツが大食漢なのか、スコールが小食なのか、友人が見れば両方だろうと言っただろう。
それだけ量に差があっても、食べ終わる時にはいつも同時だ。
スコールは食べるのがのんびりだなあ、とバッツが言うと、あんたが早過ぎるんだと返って来る。
これについては、どっちかと言えばスコールが正しい、と言ったのは共通の友人であるジタンだったか。
夕飯を終えて、バッツが膨らんだ腹を撫でていると、スコールがコーヒーを淹れ始める。
父親の影響でコーヒー党になったらしいスコールは、実家にいる頃から、夕飯後にはコーヒーを飲む習慣が出来ていた。
元々は母が食後に父の為に淹れていたのが始まりで、受け継ぐようにスコールが父にコーヒーを淹れるようになった。
中学生の頃からスコールもコーヒーを嗜むようになり、自分の分も淹れるようになって、今に至る。
二杯分のコーヒーがソーサーに注がれ、砂糖とミルクを一杯ずつ入れた方がバッツの前に置かれた。
「ありがと」
「……ん」
短い返事をして、スコールは自分のコーヒーを持って席へ戻る。
バッツはふーふーと息をかけて少し冷ましてから、コーヒーに口を付けた。
香ばしい香りと少しの酸味が舌を滑り、苦味はミルクのお陰でまろやかな口当たり。
「はー……」
零れた吐息は、安堵と安らぎ。
今日も一日しっかり働き、家に帰れば愛しい人が待っていて、その人が淹れてくれたコーヒーをのんびりと傾ける事が出来る幸せを、バッツはしっかりと噛み締める。
カリ、と小さな砕く音がして、スコールを見てみると、食卓テーブルの端に置いていたクッキーを齧っていた。
陶器のシュガーポットをお菓子入れにして常備されているそれは、食後の一服のアテだ。
バッツも一個貰おうと手を伸ばすと、スコールが取り易いようにとシュガーポットを寄せてくれる。
しばらくのんびりと過ごしていると、スコールの携帯電話が着信音を鳴らす。
腕を伸ばして携帯電話を取り、液晶画面を確認して、
「……ティーダ」
「お。明日遊ぼうって?」
「…そんな所だ」
「ティーダはスコール大好きだな~」
発信主はスコールの同級生。
余り交友関係と言うものに積極的ではないスコールに、あちら側からよく接触してくれるクラスメイト。
バッツも何度か会った事があり、明るくノリが良くて良い奴、と覚えている。
そんなティーダは毎日のようにアクティブなタイプで、休日はよく外出に繰り出していた。
しかし一人で遊ぶのは寂しいからと、友達に連絡を取って、一緒に行こう、と誘ってくる。
スコールもそんなティーダを悪く思う事はなく、特に決まった予定がなければ、行ってやっても良い、と言う返事をするのが常だった。
が、今日のスコールは直ぐに返事を打つことはせず、じっと黙って液晶画面を見ている。
返事を迷っている時の表情だと、バッツは直ぐに気付いた。
「どした?行かないのか?」
「………」
バッツが訊ねてみると、蒼灰色の瞳がちらりと此方を見遣る。
じい、と見つめる瞳が何か物言いたげに見えて、バッツは「ん?」と首を傾げて促してみた。
スコールはやはり迷うように視線を彷徨わせた後で、
「…あんた、明日、休みなんだろ」
「ああ、うん。バイトは入れてないな」
「……だから……」
どうしようかと思って───と言うスコール。
「……」
「良いよ、ティーダと遊んできても。折角の日曜日だろ?」
「………」
悩むスコールの背を押すつもりでバッツが言うと、む、と眉間に深い皺が刻まれる。
唇を尖らせ、判り易く拗ねた顔がバッツを睨み、
「あんたが日曜日に家にいるなんて、久しぶりだろ……」
心持ち小さな声で、スコールはそう言った。
普段のバッツのスケジュールは、学業と睡眠時間以外はアルバイトで埋まっている事が多い。
学費に家賃に生活費にと、自分の手で賄わなくてはならないからだ。
家賃については、スコールとの同居を始めるに辺り、父親が半分出してくれるようになったので少し楽になったが、学費と生活費の負担は変わらない。
ラグナは必要なら構わないと言ってはくれたが、これは他人に甘えるものじゃないと、バッツが決めて線引きしたものだ。
そう言う訳で、どうしてもバッツの生活というものは、アルバイトを中心として回る事になるのである。
複数のアルバイトを掛け持ちしている為、バッツの完全な休日と言うのは非常に稀である。
明日はシフトの都合で偶々空いた休日で、バッツが意図して空けたものではなかった。
月に一度はそう言う休みが出て来るものだが、それが日曜日、スコールも学校に行く必要がない休日と合致したと言うのが、更に希少価値を高めていた。
だからスコールは、友達からの誘いに、なんと答えたものかと迷っているのだ。
ティーダと遊ぶのも決して嫌いではないけれど、バッツと一日のんびり過ごせる日は、次はいつあるかと言う話だから。
「……明日は、昼にあんたの好きなものでも作ろうかと」
「そうなのか?」
「……あんたがいらないなら、別に、遊びに行くけど…」
食い付いて身を乗り出したバッツに、スコールが拗ねた顔でそんな事を言ってくれるから、バッツは「待って待って!」と引き留める。
もうテーブル一枚の距離がもどかしくて、バッツは席を立った。
がちゃんと空になったソーサーが音を立てるのも構わずテーブルを周って、座っているスコールに抱き着く。
「やだ、行かないでくれよ、スコール」
「行っても良いんだろ。さっきそう言った」
「それなし!おれもスコールと一緒に過ごしたい。スコールが作ってくれるもの食べたい」
追い縋るように甘えて寄り掛かるバッツに、スコールは重みに眉根を寄せる。
が、振り払う事はせず、どうしてやろうか、と言いたげな目が向けられるばかり。
バッツはそれを真っ直ぐ見返しながら、お願い、と言ってやった。
スコールはしばらくバッツの顔を見詰めた後で、やれやれと溜息を吐いて携帯電話に向き直る。
打ち込む文章をバッツが覗き込もうとした時には、スコールは送信ボタンを押し、液晶をスリープモードにしてしまう。
「え、え。どっち?スコール。行っちゃうのか?」
「……行かない。行ったらあんた、後で煩そうだし」
「煩くなんてしないよ。でも嬉しい。ありがとうな!」
ぎゅう、と思い切り抱き締められて、スコールの眉間の皺が深くなる。
しかしこれも振り払う事はなく、少々遣り辛そうに、コーヒーを口へと運んだ。
その頬がほんのりと赤らんでいるのを見て、バッツは想いのままに、柔らかな頬に唇を押し付ける。
「───バッ……!」
「へへ。可愛いなあ、スコールは」
「バカな事言ってないで離れろ!暑い!」
「もうちょっと良いだろ~?」
椅子に座っているスコールの肩に、バッツは覆い被さるように体重を乗せた。
暑い、重い、と抗議の声が聞こえるが、押し離そうとはしないスコールに、バッツは彼からの愛情を感じていた。
そう思うと益々腕の中の恋人が愛しく思えて、今度は額にキスをする。
ちゅ、ちゅ、と何度も触れては離れてキスの雨を降らせると、スコールは何とも言えない面持ちで、ぎゅうと目を瞑ってバッツの愛を受け止める。
どうにもむず痒そうなその眉間にはくっきりと縦皺が浮かんでいたが、
「バッツ、ちょっ……」
「んー?」
「あんた、しつこい……!」
「だってスコールと一日一緒にいられるのって久しぶりだからさ。嬉しくて」
「…行けば良いって言った癖に」
「言ったけどさぁ。だっておれ、結構好きにさせて貰ってるから、スコールも気にせず好きにして良いんだぞ~って気持ちで」
元々一人暮らしだったバッツだが、スコールと同棲生活が始まってからも、その生活サイクルに大きな変化は起きていない。
それはスコールが、自分が転がり込ませて貰った身であるからと、生活リズムを専らバッツの方に合わせてくれているからだ。
寝起きは弱い性質なのに、早朝のアルバイトがあるバッツの為に、それより早く起きて食事の支度をする。
夕方から夜のアルバイトがある日には、バッツが帰宅する時間に合わせて、夕食を作って揃えておく。
幾ら元々はバッツの家だったからとは言え、其処までしなくても良いのに、とバッツは思うのだが、スコールはスコールでそうしている方が気を遣い過ぎなくて楽らしい。
とは言え、スコールは学生だ。
勉強やテストがあるように、学校でのクラスメイトとの付き合いも大事である。
ティーダや他の友人たちから、遊ぼうと言う誘いのメールが届くのは、どうでも良い事のように見えて、案外大事な事なのだ。
バッツもそれをよく知っているし、自分は(主にアルバイトの時間の事だが)やりたいようにやらせて貰っているから、スコールにもそう言う時間を大事にして欲しいと思う。
バッツがそう言うと、スコールはまた少し拗ねた顔をして、
「……自分の好きなようには、してる。だから、誘いは断った」
友人の誘いは、決して無碍にするものではないし、するつもりもない。
ただそれよりも、バッツと一緒にいたいのだと、恥ずかしそうに揺れる蒼の瞳がそう言ったのを、バッツは確かにその目で聞いた。
ああもう、とバッツの胸が充足感で膨らんで、破裂しそうな気分だった。
ぱんぱんの風船のように大きくなったその心から、愛しさが一気に噴き出してしまいそうだ。
「スコールー!」
「うるさ、んむっ!?」
感極まって大きな声で名を呼ぶバッツに、近所迷惑だと叱ろうとしたスコールの唇が塞がれる。
喜色満面の笑顔を間近に見て、だから大袈裟なんだとスコールは呆れるのだった。
『長年一緒にいて「ああ、やっぱ好きだなあ」と思う瞬間のバツスコ』のリクエストを頂きました。
スコールの優先順位の一番は、今も昔もずっとバッツ。
それを実感する度に嬉しくて好きで好きで堪らないバッツでした。
※R-15
激しい戦闘の後と言うものは、昂ぶりが収まらない事も多い。
それは種の存続を求める生き物の本能として、幾何かはどうしようもない事だった。
戦場では常に命の危機が付きまとい、特に戦闘行為はそれと真っ向からぶつかっている為、より一層動物の本能が剥き出しになる。
その残滓を処理する為に、しばしの手間を取るのも、致し方のない事であった。
しかし、拠点である秩序の聖域の屋敷に戻れる時ならともかく、野営でそれを行う事は難しい。
単独行動なら周囲の警戒は怠れずとも、事務的に済ませてしまう事が可能だが、今日は複数人での団体行動である。
凶暴な魔狼の群れに襲われた時は、単独行動ではなかったお陰で無事に撃退させる事が出来たのだが、終わった後の事がスコールにとってはネックだった。
隙あらば腕だろうが足だろうが、頭だろうがもぎ千切ろうとする魔狼を退けてから、数時間。
未だスコールの躰はその時の名残を宿し、休息する筈の時間を無為に浪費する羽目になっていた。
(……くそ……)
眠れない事に毒づいても、睡魔は一向にやって来ない。
背中に感じる気配がある事が、余計にスコールを落ち着かない気分にさせていた。
二人が入って寝転べば、それだけで一杯になってしまう小さなテント。
スコールと共にそれを使っているのは、クラウドだった。
外で雑談をしているティーダやジタンに比べ、寝相も悪くない、同衾する人間としては静かで良い───のだが、今のスコールにとって、其処にいるのが誰であれ、自分以外の他人がいる事が問題なのだ。
眠ってしまえば気にならなくなる筈のものだが、眠れないと益々気になって、余計に眠り難くなる。
無心になるのが一番、と言う理屈はあっても、それが出来ないから苦労しているのだと、本末転倒な事を思う。
───では、今ここで?
外で処理しないのなら、そう言う選択になってしまう。
(……外に行くか)
少なくとも、此処でまんじりともしない時間を過ごしているよりは良い。
済ませるだけをさっさと済ませれば、戻って眠るだけで済む。
ちらりと背後の眠る男に目を遣る。
静かな彼は、寝息も酷く薄い程度にしか聞こえず、野営の時には寝返りも殆ど打たない。
スコール同様、兵士として下積みを積んでいたと言うから、こういった環境では休む時でも全身でリラックスと言う風にはならないのだろう。
となると、スコールが起きた事に伴って、彼を起こしてしまう可能性もあるが、
(……まあ、良いか。クラウドだし…)
クラウドは必要以上に他者の領域に踏み込まない。
頑なに他人との交流を拒絶している訳ではなかったが、それも相手を見極めているようで、気安い相手とそうでない者とで、距離の取り方を変えている。
スコールに対しては一歩引いた距離を保っており、物理的にも精神的にも、それ程近付いては来なかった。
スコールの機嫌が悪い時には、当たり障りのない会話で少し様子を確かめた後、何かあれば言え、とだけ言って離れて行くので、スコールは気が楽だった。
だからと言って、こんな環境で、この距離で───とは思うのだが、このままだと朝まで眠れそうにない。
ひょっとしたら何処かで寝落ちるかも知れないが、今現在、そう言う気配もないのがスコールにはストレスだった。
目を閉じても妙に苛々する気がするし、せめてその波位は抑えないと、休めるものも休めない。
スコールは起き上がってテントを出た。
眠ったとばかり思っていたのだろう、見張りのジタンとティーダが顔を上げ、
「どした?スコール」
「…少し見回りして来る」
「一人で平気か?」
「問題ない」
ついて行こうか、と言い出しそうな二人を、スコールは先に制した。
見張りに飽きつつあるのか、どちらも残念そうな顔をしたが、「いってらっしゃーい」とスコールを見送る。
あまり野営地を離れるのも良くないと、スコールは焚火の灯りが臨める程度の距離で足を停めた。
距離にして数十メートル、茂みを壁代わりにして身を隠す。
一応、辺りの気配を気にしながら、スコールはそろそろと右手を下ろす。
申し訳程度の温もりの為に被っている毛布の中で、自身に少しだけ触れてみた。
案の定、と言う感触がして、やっぱりこのままでは眠れない、とひっそりと溜息を吐く。
(……直ぐ終わらせよう)
男の体なんて、馬鹿正直に出来ている。
こんな環境でもこうなる訳だから、強引にでも出してしまえば少しは落ち着いてくれる。
そもそもこうならなければ、こんな事をする必要もないのだが、と不毛な事を思いながら、スコールはベルトのバックルを外した。
金属の鳴る小さな音すら警戒して、ゆっくり、そっと外したから、いやに時間がかかってしまったが、それでもどうにか前を緩める事には成功する。
息を殺し、口を開かないように力を入れて噤んで、自身を刺激する。
落ち着かない環境と気分がそうさせるのか、どうにも手付きは乱雑だったが、それも無理はない。
(早く済ませよう)
スコールの気持ちはそれしかない。
とにかく、済ませるものを済ませて、休む体勢に戻りたい。
色々と気を散らせるものがあるのはどうしようもないから、出来るだけ何も考えなくて良いように、スコールは目を閉じた。
追う感覚だけに意識を集中させて、けれど口はぐっと噛む。
緊張感が抜けない体は強張るばかりであったが、それでも体は徐々に熱を高めていく。
唇を解けば、上がった息が零れそうだった。
額に汗が滲むのは、体の熱の所為なのか、それよりも焦りの表れのように思えてならない。
(ん…、っく……!)
急く気持ちを抑えるように努めるが、急げと意識する程、体が感じるものは鈍くなって行く。
手の中のものは少しずつ育っているのが判るが、それから先に行かない。
(もう…少し…、強く……)
自身を握る手に力を入れて、動きを早めてみる。
ひくひくと震えそうになる体を強引に御しながら、ちらりと肩越しに後ろを見る。
辺りは静かなもので、遠くにある焚火の光以外は、何も見えない。
しばらくその明かりを観察し、人が来る気配もないと判って、ほうっと詰めていた息を吐く。
ゆっくりと動かす手を再開させると、緊張感が妙な神経を刺激したのか、さっきよりも敏感になっている。
これなら、とスコールは早い内に済ませようと、より強い刺激を与えようと試みる。
(は…ふ…っ、はぁ……っ、は……っ!)
声を上げる訳にはいかないから、口は噤んで呼吸も抑える。
しかし、鼻息が荒くなって行くのは隠せなかった。
せめて少しでも隠そうと、空いている手で鼻口を覆う。
下肢が俄かに汗を滲ませ、自身が張り詰めて行くのが判った。
それなら後少し、もう少しだと言い聞かせて、スコールは早くこの苦しい時間が終わるように祈りながら、意識を集中していたのだが、
(ふ…ん…っ、ん────)
ぞくぞくとした感覚に、上り詰められそうだと思った瞬間。
さく、と土を踏む音があった事に気付かなかったのが、スコールにとって失敗だった。
「スコール」
「!!」
呼ぶ声を聞いて、びくん、と露骨にスコールの躰が跳ねる。
混乱極まった意識の中で、スコールの躰は彼自身の手の中ではっきりと身を起こしている。
そろそろとスコールが顔を上げると、木の影から半身を覗かせているクラウドがいた。
「何をしていているのかと思っていたが」
「……っ」
「…大変そうだな」
そう言った男の顔が、薄く笑みを梳いているように見えたのは、スコールの思い込みだろうか。
クラウドの視線は、スコールの右手に向かっている。
緩めた其処で右手が何をしているのか、男なら判らない筈がないだろう。
スコールは思わず膝を寄せて体を丸め、自身の有様を隠そうとしたが、既に遅い。
「スコール」
「……!」
名前を呼ばれても、どんな反応をすれば良いのか判らなくて、スコールは顔を背けた。
クラウドはそんなスコールの前に膝を折り、同じ目線の高さになる。
どうしてそんな事を、早く何処かに行ってくれと願うスコールの胸中をすっかり無視して、クラウドは顔を近付けてくる。
「…手伝ってやろうか?」
(は?)
「その方が直ぐに済むだろう」
(な、あ、)
この男は何を言っているのか。
スコールが混乱極まっている間に、クラウドの手が足の間に滑り込んできた。
慌てたスコールが膝に力を入れて侵入を阻もうとするが、既に遅く、スコールの太腿はクラウドの手首を挟むだけ。
そのままクラウドの手はスコールの右手に重なって、顔を出している先端に指が宛がわれ、
「っん……!」
「静かに」
聞こえるぞ、と耳元で囁かれ、スコールは口を噤んだ。
自分の右手がクラウドの手で強引に動かされて、びくびくと体が跳ねる。
こんな状況でも感じてしまう躰が酷く浅ましく思えて、涙が滲んだ。
それを生温いものが掬い取るように撫でて行き、クラウドの左手がくしゃりと濃茶色の髪を撫でる。
宥めているつもりなのだろうが、スコールには子供扱いにしか思えなかったし、何よりこんな状態で───剰えクラウドの手でされているのに、その当人に慰められても、どうしようもない。
どうして最初に見付かった時にさっさと逃げ出さなかったのかと、悔やむ思考は現実逃避の表れだ。
そうでもしないと、この状況に対して、涙が出るのを抑えられなかった。
ぞくぞくとしたものが背中を駆けのぼり、程無くスコールの熱が吐き出される。
押し殺した声が喉の奥で塊になっている気がして、スコールの躰は強張りから戻れなかった。
その一方で、クラウドはそんな少年の姿をじっと見つめ、
「まだきつそうだな」
「……っは…、は……っ、」
「……スコール」
名を呼ぶ声に、スコールはゆるゆると目を開けた。
酷く近い位置に変わった虹彩を宿した碧眼があって、其処に熱っぽいものが滲んでいるのを見付ける。
変な顔だ、とどうして彼がそんな表情をしているのかと、まとまらない頭で思った。
『野外でオナ○ーしてたら、クラウドに見られてしまって、色々いじわるされちゃうクラスコ(クラウドの片思い)』のリクエストを頂きました。
クラウドはスコールが落ち着かない様子だった事には気付いていて、テントを出て行ったので気になったので追って来た。
そうしたら自分でしている所を見てしまって、どうしようか迷ったけど、我慢できなくなって手を出してしまったの図。
そんな流れから始まるいつか両想いになる(予定)クラスコ。