[カイスコ]雨の隙間にて
なんとも折の悪い事だ、と泣き出した空を見上げる。
恐らくは俄か雨だろうが、一時のことと片付けてしまうには、聊か空が重い。
ビルの谷間から見上げる遠い空は、見える限り暗雲に覆い尽くされており、少なくとも当分の間は切れ間が来ないことを示していた。
始めこそ、この位なら、と思う程度であった雨は、数分としない内に粒を成長させていった。
仕方なく適当な軒下に逃げ込んで、ジャケットに浮いた雨粒を払う。
一先ずこの後の天気を確認してみようと携帯電話を取り出した。
普段は気にも留めない天気予報アプリを起動してみると、西の方から千切れ気味の雨雲が次々と流れてきている。
(……雨宿りをした所で、大した意味もないな。しかし、これでは行く気にもならない)
このまま当分の間は、雨降りと、太陽が束の間に顔を出すのが繰り返される。
ならば濡れることは諦めて駅へと走る手もあるが、視界は既に雨煙である。
此処から走って行けば、駅に着く頃にはすっかり濡れ鼠と化しているに違いない。
せめて、雨粒が少しでも小さくなってくれれば、と溜息交じりに空を見る。
特段、急ぐ用事がないのが幸いではあるが、それにしても無為な時間であった。
辺りに居並ぶ軒の下には、雨から避難した人々が集まっている。
急な雨であったものだから、多くの人は備えがなく、うんざりとした表情で雨が落ち着くのを待っていた。
今朝のニュースの天気予報では、雨の予報などなかったのだから無理もない。
皆一様に、急な天気の崩れを嘆き、空の成り行きを見守っていた。
───と、そんな人々の中に、カインは見覚えのある人物を見付ける。
ダークブラウンの髪に、長く伸ばした前髪の隙間から覗く、子猫を思わせるキトゥン・ブルーの瞳。
制服を着ている時を除けば、基本的にモノトーンな衣服を好んで身に着けるその人物は、今日も例に漏れない出で立ちで其処に立っていた。
腕には大事そうにビニール袋を抱えており、その形からして、中身は恐らく本の類だろうと思われた。
年の頃は、遠目に見ると大人びているが、実はまだ高校生なのだと言うことをカインは知っている。
少年は、カインのいる場所とは、大きな車道を挟んで反対側にいる。
ふむ、とカインはしばし考えた後、携帯電話を取り出した。
メッセージアプリを立ち上げ、目当ての人物を選択し、短く打ち込んだメッセージを送る。
『向かい側が見えるか』と端的な文面は、すぐに既読マークが付き、車道の向こうで少年がきょろきょろと首を巡らせる。
やがてその目がカインを見付けると、蒼灰色は微かに見開いた後、すぐ携帯電話に向き直った。
『何してるんだ、あんた』
帰ってきたメッセージは、思った通り、ぶっきらぼうで簡素なものだ。
これが彼の通常の状態であると知っている。
また、メッセージが返ってくること自体が、彼にとっては中々好感度の高いものであることも判っていた。
カインはすぐに返信メッセージを打ち込む。
『お前と同じだ』
『あんたも災難だった訳だな』
『そうだな』
お互い、突然の雨に降られて、雨宿りを余儀なくされた。
道路の向こうで、少年が深々と溜息を吐いているのが見えて、カインは苦笑する。
『雨が降るなんて聞いてない』
『急な崩れのようだな』
『最悪だ』
『運が悪かったな。俺もお前も』
『この雨、やむのか?』
『晴れ間程度はあるだろう。その後も降るようだが』
カインの返信から僅かに間を置いて、もう一度『最悪だ』と返信が届く。
予定外の雨にやられて、どうやら相当ご立腹らしい。
ふむ、とカインはもう一度考えて、辺りに首を巡らせる。
少年が経っている場所から、連なる軒を三つ越えた所に、小さな看板を出している店があった。
あれは確か悪くない場所だった、とそう遠くはない記憶を掘り起こして、携帯電話に向き直る。
『そちらに行く。少し待て』
それだけ送って、既読マークが付くのも待たず、カインは軒を出た。
タイミングの良いことで、傍の横断歩道は青になった所だ。
雨粒はまだ大きかったが、この短い距離であれば、走り抜ければそれ程苦はなかった。
少年が携帯電話から顔を上げた時には、カインは既に反対歩道に着いており、そのまま彼───スコールのいる軒下に滑り込む。
傍にやって来た男を、蒼灰色がなんとも言えない様子で見上げた。
「何やってるんだ、あんた。濡れてるだろ」
呆れた表情で、スコールは肩にかけていた鞄からハンカチを取り出す。
カインは、撥水の利いたジャケットに浮いた雨粒を拭う為、有難くそれを借りた。
「すまんな」
「別に。それで、わざわざこっちに来た理由はなんだ」
「雨宿りをするなら、もう少しまともな所に行った方が良いだろう。丁度良い店がある。来い」
ハンカチを返して、カインは踵を返した。
軒の下を辿って行くカインに、一拍遅れたものの、直ぐに追う気配が続いた。
カインは、反対歩道で見付けていた、小さな看板を吊るしている、ガラスの嵌まった扉を押した。
其処は炒ったコーヒー豆の匂いが漂う喫茶店だった。
店内は少し薄暗く、照明はやや絞り気味で、雨の外界と言うことも手伝ってか、少し光量が足りないようにも感じられる。
その分、何処か全体が厳かな雰囲気すら滲んでいて、所々に座っている客の話し声も、自然と密やかなものになっていた。
席の埋まりは疎らで、店員からは「お好きな所にどうぞ」と言われる。
窓辺のテーブル席が空いていたので、カインが其処に向かえば、スコールも後をついて来た。
向かい合う形で座り、窓縁に置かれていたメニュー表をスコールに差し出す。
「何か頼むと良い。支払いは俺が持つ」
「……いい。自分で出す」
「そうか」
理由が何であれ、他人に借りを作ることを嫌うスコールである。
彼が気兼ねなく過ごすのならば、彼の好きにさせるのが良いのだろう、とカインは思っている。
店員にコーヒーをふたつ注文して、しばしの沈黙が下りる。
カインは椅子に深く腰掛けて、目の前の少年を眺めていた。
スコールは木製のテーブルに肩肘をつき、手のひらを皿に顎を乗せ、窓の向こうを見ている。
見える景色は狭い路地裏であったが、店の裏手で客の目に着くことを意識してか、外置きの植木鉢が置かれ、景観に心ばかりの彩を添えている。
少年がぼうと外を眺めている内に、雨粒は更に大きさを増していく。
しまいにはざあざあと言う音が聞こえる程の大雨になっていた。
「間一髪だったようだな」
カインが呟くと、蒼灰色がちらとこちらを見て、また窓へと戻る。
「……まあ、そうだな。こんな雨で外にいたんじゃ、雨宿りしてたって濡れる」
植木鉢に植えられた花が、雨と風に煽られている。
この状態では、軒下に逃げていた所で、足元は勿論、半身程度の犠牲は覚悟せねばなるまい。
カインはそこまで読んでいた訳ではなかったが、手頃な店へと避難したのは良い采配であった。
注文していたコーヒーが届けられると、スコールはそれを一口飲んだ。
この店では、五種類のブレンドの中から選ぶことが出来る。
メニュー表には味の特徴が簡素に添えられていたから、豆のことをよく知らなくても、多少は飲みやすいものが選べるだろう。
スコールも好みのものを引けたようで、そのまま黙々とコーヒーを飲み続けた。
「食事はいらないか?」
「……昼は食べた。まだ必要ない。……あんたは?」
「俺も済ませている」
時刻は午後二時。
カインが昼食を食べたのは一時になる手前のことだったから、あれから一時間と経っていない。
流石にまだ腹に食べ物を入れる気にはならなかった。
スコールの視線は何度となく窓へと向かった。
眉間に皺が浮いている所からして、其処から見える景色が気に入った、と言う訳ではないだろう。
降りしきる雨がいつやむか、彼が気にしているのは専らそれに違いない。
カインは雨宿りをしている時に確認した、天気予報図を思い出す。
「向こう一時間は、雨と晴れ間の繰り返しだ。それを過ぎれば、落ち着くらしい」
「一時間……」
「その間に弱まることはあるだろうが、またいつ強くなるか、それは読めんな」
雨粒が小さくなった隙に、外に出ることは出来るだろう。
しかし、雨雲は当分の間、流れ流れにやってくる。
いつ降るか、いつ晴れるか、気を揉みながら行動するのは面倒なのか、スコールはひとつ溜息を吐くと、ようやく窓から視線を剥がした。
店内は、雨から逃げてきた客で席がほとんど埋まったが、静かなものであった。
連れ合いのある者も、潜めた声で会話をしている程度で、店内BGMに混じっている程度にしか聞こえない。
茶器や食器の小さな金属音が少々目立って聞こえる位だ。
カインとスコールも、カップに伸びる手は自然と少し慎重なものになり、持ったカップを元の位置に戻すのも、そっと置くものになる。
かと言って、この静寂が息苦しいかと言われれば、そうではない。
この静けさが保たれる空気感こそが、カインにとってはこの店の居心地の良さになっていた。
スコールも、初めこそ雨と慣れない場所に硬い表情をしていたが、今は眉間の皺も解けている。
此処ならば、気難しい少年も厭な気分にはならないだろうと選んだが、結果として狙い通りに働いたようだ。
───一時間とは、長いようにも、短いようにも感じる時間だ。
二人の間に会話は然程多くはなく、黙してコーヒーを飲み、時折店内や窓の外を見遣るばかりであった。
元より、どちらとも言葉数の多くない質である。
お喋りの気遣いが必要ない相手であることは、互いに理解していたから、これもまた丁度良かった。
やがて外の雨は徐々に落ち着き、間断なく続いていた雨雲が通り過ぎる。
最後には、先程の大雨は何だったのかと思うような、すっきりとした青空が太陽と共に顔を出した。
時計を見れば、二人が店に入ってから、一時間と少し。
ついでに天気予報の雨雲レーダーを確認すると、斑の雨雲は東へ流れ切ったことが判った。
「頃合いだな」
カインが言うと、スコールも携帯電話に落としていた顔を上げる。
「……助かった」
「構わん」
礼を言われる程のことではない、と言いながら、カインは席を立つ。
会計の気配を感じ取った店員が、素早くレジカウンターが設置された場所に向かった。
掲示された金額の支払いを済ませると、後ろに立っていたスコールが「おい」と声をかける。
「あんた、支払い」
「もう済んだ」
「自分の分は払うって言っただろう」
あんたも納得したじゃないか、と抗議する声を背に、カインは店を出る。
続いて店を出てきたスコールを、ドア横で迎えて、カインは言った。
「確かにお前はそう言ったが」
「だったら」
「だが、効率はこの方が早いだろう。二人分の会計を一人で済ませただけだのことだ」
「じゃああんたに代金を渡す」
スコールは鞄から財布を取り出した。
幾らだった、と聞くスコールに、カインは財布を探るその手をやんわりと止めた。
「いらんさ。ただの気紛れだ」
「嫌だ。気持ちが悪い」
きっぱりと言い返してきたスコールに、カインは苦笑する。
こうも真っ直ぐ跳ね返されると、反って清々しい。
「人の厚意は受け取っておけ。貸し借りと思うなら、次の機会で返せば良い」
「……」
「少なくとも、俺は今、それを受け取る気がないのでな」
それ、と指差すのはスコールの財布。
スコールは判り易く眉間に皺を寄せていたが、カインが頑として動かないのを察したか、渋々と言う顔で財布を鞄へ戻す。
駅へ向かって歩く足が並ぶのは、そちらに向かうのだから自然なものであった。
スコールはまだ納得のいかない表情を浮かべているが、蒸し返すのも意味がないと思ってか、唇を尖らせたまま噤んでいる。
カインは、僅かに低い位置にあるスコールの表情を見ながら、くつりと笑うのだった。
4月8日と言うことでカイスコ!
大した会話はないのだけど、だから一緒にいてもまあ良いかと思うくらいの距離感の二人。
無理に会話をしようとしないで良いので楽、と言う感じ。
カインからすると、スコールはちょっと背伸びしたがる少年と言う感覚。なんか危なっかしい所があるので、少し世話を焼きたくなるのかも知れない。無自覚に。
スコールもそれを感じ取っている節はある様子。子供扱いは嫌いなので反発もするが、カインの方が決して無理強いする訳ではないので、なんか流されている。無自覚に好感度が高いんだと思います。